七章 魔障

1

 クロアは四日目の戦士探しを終え、夜の外出からもどってきた。初日以来、ルッツのような戦士を発見できない日々が続く。初日に人材を次々と得られたのは運がよかった。その運はそう続くものではないのだと、クロアは一日を経るごとに感じてくる。

「この町じゃもう、いい戦士は見つからないのかしら」

 クロアは自室の円卓でそうぼやいた。同じ席にダムトがおり、彼は茶をクロアに出しながら「そうかもしれません」と同調する。

「もとよりこの町は出稼ぎする戦士の中継地点です。長期の滞在をする人はあまりいませんし──」

「一晩だけ宿泊してる戦士を見つけることにちょっとムリがありそうね」

「このままでは時間が経つばかりになりそうです」

「そうなるとうちで使える費用がどんどん減ってくわけね……」

 客分二人の滞在費はクロアの年間活動費から差っ引かれる。そうそう費用が底を尽くことはないが、むざむざ浪費していくのも心苦しい。

「町の外でもいいから、わたしたちを手伝ってくれる人がいれば……」

 クロアがかるい気持ちで発した言葉に、ダムトが反応する。

「俺のツテでよければ、人手は集まります」

「ふーん、魔人の友だち?」

 クロアは率直に思ったことをたずねた。この従者は十数年も屋敷勤めしている。彼が外部との交友関係が育める時期とは、彼が屋敷にやってくるまえ。魔族寄りな人間だという彼なら魔人の知り合いが多そうだと考えた。

 ダムトは「まあそうです」と簡単に認める。

「確実に受けてくれるとは約束しかねますが、事情を話せばわかってくれると思います」

「あなたが言っている方はどういう魔人なの?」

「交渉がうまくいったときにお話しします」

「もったいぶるのねえ、なんでそう自分に関係することを話したがらないの?」

「隠す利点が多いのです」

 その利点についてダムトは説明せず、人集めの話題を続行する。

「協力者探しのために、また俺が単独行動してもよろしいですか」

「? 『また』って……」

 同じ行為を繰り返す、という言い方にクロアは違和感をおぼえた。しかしその言葉の背景を考えてみると、彼がほんの数日前に遠出していたことを思い出す。

「あ、そうよね、偵察に出かけてたのよね」

「もうおわすれになっていましたか」

 ダムトがかるくなじってきた。いつものことなのだが、クロアには反論の余地がある。

「あなただってわたしへの報告をしわすれてるじゃないの。偵察の結果はまだ聞いてないのよ」

「賊が何人いた、などと申し上げても貴女は討伐日までおぼえていられないでしょう。どうせ決行前の会議の場で発表しますから、それまでお待ちください」

「二度手間は御免というわけね」

「おっしゃるとおりです」

 従者は主人への報告回数をも最適化しようとしている。クロアは腹立たしくなったが、実際敵の人数を知れても自分がその情報を保持することはむずかしい。そのうえ対策を講じることもダムト任せな面があるので、彼の判断を容認せざるをえない。

「それはそれでいいわ。じゃああなたが見てきた感じ、傭兵が何人いたら勝てそうな連中なの?」

 クロアは助っ人集めに有益な質問を投げた。そもそもクロアたちが目指す五人の傭兵の確保には、その人数を充分とする根拠がない。厭戦的な高官が適当に提示しただけの数字だ。正直なところクロアは五人もいらないと思っており、敵方の勢力が弱小だという証拠をつかめれば頭数をそろえる必要はないと考えた。

 ダムトは無表情だった顔をややしかめる。

「数は問題ではありません」

「どういう意味? 五人あつめたってムダなの?」

「はい。いまの戦力では勝てない要素がありました」

「つよーい兵器でもあったの?」

「そのようなものです」

 敵勢を唯一知るダムトがあやふやな返答をした。そこを伏せられては協議しようがない。クロアは従者が主人の意見を聞く価値がないと判断したのだと思い、キツめに対案を聞く。

「あなたはその対策をどう取るつもり?」

「それが俺のツテです。彼がいれば最悪の事態はまぬがれる……ですが、クロアさまにとってはどうか……」

 クロアは思わせぶりな言葉の真意を聞こうとしたが、話者の顔を見ると声がつまった。あの憎まれ口をよく叩く従者が、クロアを憐憫と慈愛がまざる視線をそそいだためだ。

「貴女は……すべてを失う覚悟がありますか?」

「すべてって……なにを?」

「貴女の地位も、家族も、生活も……それらが一変してしまっても、後悔しませんか?」

 賊を倒すくらいでなにを大げさな、とクロアは笑い飛ばしたかった。だが彼の真剣なまなざしをまえにすると、ふざけた返答はできなかった。

「悔いるとお思いになる場合……賊の討伐はあきらめたほうがよいでしょう」

「ダメよ、そんなの」

 クロアは初志貫徹の意志をまげない。これはクロア個人の問題ではないのだ。

「たしか、石付きの魔獣が賊の手元にいるんでしょ?」

 ダムトと話すうちに、自身が賊の対処に躍起になる要因を思い出せていた。いまなお苦しむ魔獣を救うための討伐である、と。

「魔獣を助けなきゃ……その子は、どんな様子だったの?」

「石付きの状態のまま、服従用の術具を装着させられ、賊に従属していたようです」

「二重でひどい目に遭わされてるのね。なおさらほっとけないわ」

 そう言って、クロアははたとひらめく。

「あ、もしかしてその魔獣がめちゃくちゃ強いの?」

 クロアたちでは賊に勝てない戦力──それが魔獣だと考えると、クロアはいたく腑に落ちた。しかしダムトはどこか抗議的な目をしている。

「……いまはそういうことにしておきますか」

「なによ、ちがうんだったら本当のことを言いなさい」

「いずれおわかりになります。俺とのおしゃべりはこれでおしまいにしましょう。まずはそのお茶を飲みほしてください」

 言って従者は彼の分の茶を飲んだ。クロアは茶杯に手をかけるが、指示を素直に聞く気になれない。

「ゆっくり飲ませてくれないの?」

「はい。はやく茶器を片付けたいのです。クロア様がおひとりで片付けられる、というのならかまいませんが」

「なにをいそいでるの」

「今宵のうちに出立します。順調にいけば明日中に戦士を連れてきますが、そううまくいかないと思います。帰還には数日かかるものだとお考えになってください」

 なにはともあれ人手をあつめるのがさきなのだ。彼が真相を話さない理由も、いまは時間を惜しんでいるからだとクロアは思い、これ以上の詮索をやめにしておいた。


2

 クロアは茶杯を空けた。従者はすぐに片付けに取りかかる。その作業をクロアが見守っていく中、ひとつの疑問が湧く。

「そうそう、あなたが連れてくる方は何人ぐらいいるの? あと三人はほしいのだけど」

「三人……集まるかもしれません。ただ確約はしかねます」

「わかったわ。それじゃ、こっちでも強い人をさがしておくわね」

 目下の活動計画が決まった。下男役に従事する従者は廊下へ出る。クロアはなにもない円卓を見て、以前はそこにあったカゴを連想する。

(やっぱり無いほうがラクね……)

 カゴを得た当初はこの円卓に置いていた。それでは円卓の利用がしにくくなるので、現在は背の低い棚の天板にカゴを移動した。カゴを寝所とする猫はその変更を受け入れ、いまなおカゴの中で休んでいる。猫が上から被るために用意した毛布は敷物と化していた。この獣が毛布を被るのはレジィがそばにいたときだけ。その被毛の保温機能が優秀であるがゆえに、毛布のあたたかさは必要でないようだ。

 ベニトラはクロアに背中を向けた状態でねており、クロアと従者の会話を聞いていたかはわからない。クロアはダメ元でおおざっぱな質問をしかける。

「ねえ、ダムトの言ってたこと……あなたにはわかる?」

 クロアの胸中にある言葉は「すべてを失う」という一文。取り返しのつかない事態を示唆する言葉だ。その重みゆえに、かるがるしく口にできなかった。

 ベニトラは長い尾を上げた。天井を向く尾を左右にゆらす。

「知らん」

 そっけなく言うと縞柄の尻尾をカゴの外へ垂らした。われ関せず、の態度だとクロアは感じる。

「そうよね、あいつと付き合いの浅いあなたじゃ……わからなくて当然」

 あてが外れたクロアは気持ちを切り替え、部屋を出た。目的は就寝前の入浴だ。しかし浴室へ向かう足取りはおそい。

(うーん、やっぱり気になる)

 納得の落としどころがほしかった。それがダムトの真意をつかめていなくてもいい。なんらかの仮説がなくては、このざわついた気持ちはしずまらないと考えた。

(だれかに聞いてみる?)

 ダムトの性情を知る人物で、なおかつ公女が危機に直面するかもしれぬことを告げてよい者。

(お父さまかしら?)

 ダムトを見い出した者は父だ。そして、他人である官吏には不穏な情報を洩らせない。この二点をかんがみ、父にたずねるのが適切だと判断した。

 クロアは父の寝室へおもむいた。父の部屋は母の寝室と隣り合っており、どちらか一方の部屋に両親がいるときもあるのだが、今日は父ひとりが長椅子に座っていた。

 父は来訪した娘を歓迎し、自身のとなりへ座るようすすめた。クロアは素直に応じた。その際、父のひざにある写真帳に関心がいく。

「あら、写真を見ていらしたの」

「ああ、すこし……昔がなつかしくなってね」

 クノードは厚紙に貼った写真を見せた。写っているのは身長が低いころのクロアだ。ソルフに抱きあげられ、彼の毛むくじゃらな腕の中でねむる場面だった。

「わたし……?」

「こうしてときどき見ているよ。おかしなことじゃないだろう? 私はクロアの父親なんだから……」

 そう言って笑う父を見て、クロアはうしろめたいものを感じた。これから問おうとしたことをそのまま言えば、きっと父は暗い気持ちになる。そんな不快な感情をいだかせたまま就寝させてしまうのは気が引けた。

「それで、クロアはなにをしにここへ?」

「えっと……お父さまの顔を見たかったのです。これで失礼いたしますわ」

「そんなはずないだろう。この部屋にきたときのクロアは辛気くさい顔をしていたぞ」

「え、そうでした?」

 クロアは自身の頬を手でなでた。平常心をこころがけて入室したつもりだったのだが。

「なに、なんとなくそう思ったんだ」

「あてずっぽうでしたの?」

「そんなところだね。けれど私に相談することがあるなら、言ってみなさい」

 クロアは父の厚意に応えられるよう、明かしやすいほうの事実を話す。

「ダムトが……先日の偵察の結果をすこし教えてくれました」

「ほう、どうだった?」

「賊の戦力には、いまのわたしたちでは勝てないなにかがあるそうです。その対策のため、ダムトは強力な戦士をさがしに、ひとりで出かけました。ですからわたしの護衛がしばらく欠けた状態になります」

「ふむ、ダムトの外出を報告したかったのか」

「はい、お父さまにご一報入れたく……ですが支障はないと思います。日中の外出にはレジィとエメリが同行しますし、夜は移動方法を変えればソルフと一緒に出かけられます」

 クロアの夜の外出時、本来は町で禁止する飛獣の飛行を行なっている。領主の許可は下りたので違法ではないが、おおっぴらにベニトラの姿を人々に見せるわけにはいかない。それゆえ、術で姿を消すのを前提に行動してきた。ダムト不在となると姿を消すすべがなくなる。その代替案として、今度は昼間と同じように馬車に乗るか、あるいは普通の馬に乗るかして町中を回ることになる。

 クノードは「そのとおりだ」と同意を示した。これで父との会話を穏便に乗り切れた、とクロアは安堵するが、そうすんなりといかなかった。

「でもクロアが言いたいことはそれだけじゃなさそうだね?」

 父は痛いところを突いてきた。しかしそう受け取られるのも不思議ではないとクロアは自省する。まことにこの程度の状況報告をしにきたのなら、とっととそう言えばよい。「父の顔を見にきた」などと言葉をにごす意味がないのだ。

「言ってごらん。私のなやみごとが増えそうだとか、余計なことは心配しなくていい」

 父の包容力にほだされ、クロアは本心を明かすことにした。視線を過去の自分に落とす。

「ダムトが……奇妙な忠告をしてきました。このまま賊の討伐に行くと、わたしはすべてを失うことになる、と……」

 クロアは聞き手の反応をたしかめずに、次なる伝聞を告げる。

「わたしの家族や生活が変わってしまうかもしれない、と言ったのです。これは、どういう意味なのか……あいつは答えてくれませんでした」

 クロアがおそるおそる父の横顔を見てみると、案じたとおり、父は怪訝な表情を浮かべている。

「それはきっと……敵が強すぎると言いたいんだろう」

「敵の強さ、ですか」

「ああ。たかが賊だと油断してかかると、大事な仲間を死なせてしまう……そんな危険をクロアの身に染みるように、彼が言いかえたんじゃないかな」

 父の見解はいたく腑に落ちた。そこからさらに一歩ふみこんだ説を、クロアが思いつく。

「それか、わたしが戦って死ぬのを……まわりくどく言ったのかも」

 ダムトにクロアに対して不遜な口を利くとはいえ、忠誠心はある男だ。主人の悲惨な未来を率直に表現することに、はばかりを感じた──そうとらえると辻褄が合う。

「敵は、わたしたちの手におえない相手なのでしょうか」

「あきらめるかい?」

「いいえ、やります。ですが勝てないと思ったら逃げます」

「堂々と言うね」

「なにも一回の討伐で、完璧に勝つ必要はないでしょう?」

「たしかに……皆の生存が最優先だ。撤退しても、相手がいかほどの強さを秘めるのかさぐれれば今後の方策に役立つ」

「はい、決行のときは撤退をすばやくできるようにそなえましょう」

 クロアは自分の置かれた状況と対策が見えてくると、徐々に心が晴れてきた。父と話し合ったおかげで得体の知れない恐怖がうすれたのだ。

「お父さまと話せて、よかったです」

 クロアは笑顔で退室することができた。しかしクロアの去り際に見た父の顔はあかるくなく、不安げに写真帳をながめているようだった。

(いくら逃げればいいといっても、戦死の危険が高い討伐をやるんじゃね……)

 今後の展開を楽観視できない事態には変わりない。クロアは父の心労を軽減できるよう、明日からはとくに強い勇士を見つけようと考えた。


3

 クロアは男性従者不在の朝を二度むかえた。彼が事前に「数日かかる」と宣言したように、やはり手間取っているようだ。ひょっとすると数日ではすまないかもしれない。

(おそくなるときはダムトが連絡をよこすでしょ)

 彼の良識を信じ、クロアはみずからがすべきことに集中して、職務にあたった。


 自身の職務室にて、午前の仕事を仕上げる。その成果をレジィに託したあと、仕事机に突っ伏す。

「ああ……あと三人、はやく見つけなきゃ……」

 そう焦る原因が、クロアの仕事机のまえへやってくる。

「なにをあわてる必要がある? 町の内も外も、平穏そのものだろう」

 金髪の青年が物知り顔で言った。彼は帽子をぬいだマキシ。昨日からクロアの執務室へ出入りするようになった。ベニトラがこの部屋にいるので、その観察のためにお邪魔している──というのが本心なのか建前なのか。クロアは疑わしい目で彼をにらみつける。

「あなたはどうして文官の真似事をなさるの?」

 この青年は一昨日まで、庶務にも刑務にも顔を出していたそうだ。彼の観察対象であるベニトラはたしかにそのあたりをぷらぷらしたらしいが、マキシの興味は朱色の獣だけにとどまらなかった。持ち場にいる官吏にあれこれ質疑応答をし、官吏を困惑させた、との苦情があがっている。

 厚顔な青年は「見聞を広めるためだ」と自信満々に主張する。

「僕はこれまで術や魔物のことばかり学んできて、為政にはうといんだ」

「あら、あなたは宰相の家族なのでしょ」

 マキシが偉大な血族につらなる者ゆえに、カスバンでさえこの若者を強くはとがめない。その手ぬるい対応はマキシの横のつながりを視野に入れたものだ。彼はいずれ母国へもどる。そのとき彼が国の重役を務める身内に対し、アンペレでの苦い思い出を吹聴したなら、外交関係がわるくなるおそれがある。そんな思いから百官はマキシを丁重にあつかうのだ。あるいはマキシが将来、宰相の跡を継ぐ可能性をも考慮していると言える。

「まつりごとにたずさわる準備をしておられないの?」

「僕は宰相とは親戚だが、べつに息子や孫ではないしな……」

「では宰相の後継者になる予定はないんですのね」

「ああ、そのとおりだ。あちらは帝都、僕は学都に住んでいて話す機会もないし……」

 家名の重みのわりに、マキシは権力者にちかしくない人物のようだ。これは朗報である。クロアはもともとマキシを特別視する気がなかったものの、ほかの官吏たちが変に気張らなくてすむのはたすかる。そのように気が休まったのを、マキシは皮肉げに「残念だったかい?」と聞く。

「僕に取り入って、あとあといい思いをさせてもらおうと考えてた?」

 彼は官吏たちが自分に甘い対応をするのを、媚びへつらった態度だと考えているらしい。クロアは心外だと憤慨する。

「バカを言わないでちょうだい。あなたはわたしたちに必要な人手だから多少の無礼を見過ごすのです。用事がすんだらポイっとしますのよ」

 クロアは青年を突きはなす態度に徹する。

「あまりわたしの席にちかよらないでくださる? 普通、公女の執務室に部外者は入れませんのよ。みだりに機密情報を知られてはいけませんもの」

 マキシの耳に忠告をしかと届けた。だのに彼はクロアの仕事机の端に腰かける。

「才知がないと言われてしまう公女に、重要な資料が回ってくるものか」

 あなどられたクロアは文具立てにある細長い定規を手にとった。これは鋼鉄でできている鉄尺であり、暗器のたぐいだ。それを青年の尻へ打ちつける。

「机は座るものじゃなくてよ!」

 怒りがこもった一撃だった。被弾者は苦痛により床に倒れる。

「用事がすむまで……無礼を見過ごすんじゃなかったのか……」

 クロアの視界外で苦悶の抗議があがる。クロアは声のする方へ手持ちの道具を投げる。

「見過ごすにも程度の問題がありましてよ」

「くっ……これが武勇だけは優れるという公女か」

 マキシが尻をさすりながら立ち上がる。手にした鉄尺を忌々しげに机上へ落とした。定規は頑丈な仕事机とぶつかり、鈍い音が鳴る。

「こんな重いものを使っているのか?」

「ええ、わたしは不自由していませんわ」

 といってもクロアが鉄尺を使用する機会は無きにひとしい。定規本来の役目は物の長さを測ったり直線を引いたりすることだが、そういった作業はクロア以外の者がおこなう。暗器としての活躍もこの平和な屋敷内ではのぞめない。この鉄尺はクロアの興味本位で手元に置いてある、非実用的な道具だ。

「アンペレ公は生粋の人間、その夫人は魔力の高い半魔だというが……」

 学者気取りの青年は痛みをわすれ、考察にふける。彼の視線は机上の鉄尺にある。

「その馬鹿力はどういう過程で発現したのか不思議だ」

 無遠慮な言葉にクロアは閉口した。クロアの怪力は人外由来に決まっている。その力の祖は、家族全員が腫れ物のように遠ざける生き物だ。その存在をクロアも取り沙汰してはならないと思っている。そんな繊細な事情に他人が踏み入ってきては気分がわるい──


──ほんとうに そう?


 意表を突く心の声が、脳裏をかすめた。自身の不愉快な気持ちがどこを起点としているのかを、疑問視する声だ。

 クロアは己の直感がなにを言わんとするかさぐろうとした。しかし目のまえに朱色の猫が浮遊してくると、関心がそちらに向いた。

 猫は机に乗り、ころがった鉄尺を前足でさわった。ちょいちょいと細長い板をうごかす。クロアたちが話題にした鉄尺の硬さか重さをたしかめているらしい。この獣は老人くさい物言いをするかたわら、子どものような好奇心を発揮する面もある。クロアは獣の無邪気さに気をとられ、自分がなんの洞察を深めようとしたのかわすれていった。

 そのうちに部屋の扉が開いた。入室者はレジィで、彼女は移動配膳台を押してくる。

「マキシさんの分もご飯をもらってきたんですけど──」

 ここで食べますか、との問いは青年の「よし、決めた!」というさけび声で消される。

「僕も公女の付き人になるぞ!」

 レジィはびっくりして、クロアに「そんな話をされていたんですか?」と聞いてきた。

クロアは頭をぶんぶんと横に振る。

「ぜんぜん、なんの脈絡もなく言い出しているのよ」

「なにを言う! 謎を解明するために決まっているだろう?」

 ようはマキシはベニトラの観察同様、クロアのそばにべったり張り付こうと考えたらしい。しかし魔獣と人間では勝手がちがう。

「あなたは魔物や魔獣専門の研究者なのでしょ。わたしとは関係ありませんわ」

「魔物学は広義での魔族が研究対象だ。その混血児の特性も調べている」

「わたしを実験動物あつかいなさるおつもり?」

「実験はしない。観察するだけさ!」

 マキシはそそくさと配膳台の盆を取った。彼の飲食する場所はダムトの仕事机である。

現在その席の所有者は外出中なので、不都合がなかった。

(いまはよくても、ね……)

 青年の興味対象がクロアにうつった現状、今日からマキシがクロアのまわりをうろちょろするのは目に見えている。

(席を用意してあげる? いえ、それは甘すぎるかしら)

 クロアは青年を突きはなす方向で話をすすめようと考えた。

(だいたい、この人は学者でしょ? 官吏をやるヒマがあるの?)

 クロアはマキシが身を置く所属をよく知らない。彼の従者就任希望の可否を決めるまえに、そこをあきらかにしておく必要がある。それゆえ、手始めに彼の経歴について質問をしかけた。


4

 レジィが食器のならんだ盆を運ぶ。その盆をまずクロアの机上に置いた。移動配膳台にのこった盆はひとつ。それをレジィは彼女自身の席へもっていき、着席した。

 クロアは出された食事に手をつけず、他国からきた青年を見る。彼はすでに昼食の汁物をすすっていた。クロアは数日前、彼に見せられた卒業証書を思い出しながら、

「あなた、学都の学校を卒業なさったのよね?」

 とたずねた。問われた青年は口元に寄せていたサジを食器にもどす。

「ああ、高等部をね。それがどうした?」

「卒業してからはどうすごしておいでなの? 学校の研究員を?」

「いや、僕はまだ研究員にはなれないな」

「どうして?」

「上等部にすすんでないからさ。専攻にもよるが、研究員は上等部に所属する者か、上等部を卒業した者にかぎられるんだよ」

 つまりマキシは高等部を卒業したのち、その上級学府には進学しなかったということになる。

「ええと、学生じゃないし研究員でもないとなると……どうなるの?」

「学者の真似事をしている素人、になるかな」

 自信家らしき青年が自身を「素人」とおとしめたことに、クロアは面食らった。これほど面の皮が厚い有識者にはたいそうな肩書きがあるのだろうと思っていたのだ。

 意外な自己評価をくだした瞬間のマキシはなおも自信に満ちていた。けして成績不振ゆえに進学をあきらめたわけではなさそうだ。

「そんなに研究熱心なのに……?」

「ほかにやりたいことがあってね。それをやってから上等部に行こうかと考えたんだよ」

 マキシは壁に架けた棚へ顔を向けた。その視線のさきにはベニトラがいる。骨太の猫は棚板のうえでうつ伏せになり、目を閉じていた。猫のまどろむさまは無防備で愛らしい。愛玩動物に通じる愛嬌ぶりを見ていると、かつての凶暴な害獣の姿がウソのようだとクロアは感じる。

(マキシは「石付きの魔獣を調べにきた」と言っていたし……)

 野生の魔獣をじかに研究したくて学府の所属から外れた、とクロアは青年の心境を推測した。

 学者もどきの若者は「きみはいい装具を与えたね」と、クロアの想像とずれた着目をする。

「やはり職人の町の公女は金持ちなんだな」

「あの首輪がいいものだと、わかるんですの?」

「ああ、僕も招獣用の装具を作る仕事をしていたんだ」

「あなたが、職人?」

 魔獣の研究と物作りの二分野は知識も技術も共通していない。思いきった転身だ。そうクロアは感じたが、実際魔獣に使う道具はそれ専門の知識も必要になりそうだとも思った。

 マキシはこの経歴を明かしてはじめて、恥じ入った顔を見せる。

「『元』がつくがね……」

「いまはお辞めになったの?」

「この町へくる直前にクビを切られてしまったのさ」

「それでルッツさんといっしょにこちらへ?」

「よくもわるくも、彼が店にきたからこうなった」

 以前、マキシが勤めた店にルッツがおとずれた。ルッツの目的はベイレという招獣が身につける装具の修復だった。装具の損傷具合は軽度で、その場で簡単に直せる──とはマキシ以外の職人の基準。マキシは修復の仕事を務められないため、業務中はおもに接客をこなした。その業務には客との世間話もふくまれる。ルッツは装具の仕上がりを店内で待つというので、待ち時間の間、マキシは魔獣に関する話を客にした。おりしもアンペレで石付きの魔獣が出没することを噂された時期で、マキシが「聖王国ではまた石付きがあばれているそうですね」となにげなく話した。すると客はにこやかだった顔をけわしくして、噂の詳細を求めてきた。マキシが知りうるかぎりの情報を教えていくうちに、ルッツは石付き魔獣を退治すると言いだした。

「僕はずっと石付きに興味があったから、深く考えずに『僕も行ってみたい』と口に出してしまってね。それを聞いた親方はもうよろこんで『ついでにアンペレで修行してこい』なんて言うんだ。たしかにアンペレのほうが未熟な者でも技術が身に付く場所だと聞いていたよ。僕にはいい学びの場だろうさ。でもそれは建前で、ようは僕が邪魔だったのだろうな」

「で、すなおに厄介払いされてしまったの?」

「ああ、もともと僕の肌に合ってない工房だったしな。僕が論理の矛盾を指摘してるのを『口答えだけは一人前』だとか怒鳴られるんだ」

「そうでしょうね。学校で弁論を学んだ人とそうでない人では常識も感性もちがいますもの」

 工房ではおそらく従順で手先の器用な者がこのまれるはず。良家の出身で勉強漬けだったろうマキシでは、それらの適性が無くともいたしかたない側面がある。

(おまけにナマイキな性格だし……)

 本人の自覚があるのかは知らないが、マキシは厚顔不遜。この性情では周囲との衝突はまぬがれえず、どの職場にいってもうまくいかない可能性は高い。

(うちで面倒を看てあげるのが、いろんな意味でいいのかも)

 マキシはおそらく職人には不向きな人材だ。町の工房へ再度弟子入りして、また不和を引き起こすよりは、クロアのそばで対等に言い合ったほうが平和的かもしれない。平和的、というのはあくまで精神面での話だが、とクロアは文具立てにもどした鉄尺を横目で見ながら思った。

 クロアが考えこんでいる間にマキシは昼食を食べすすめていた。クロアも食事をはじめる。クロアがもっとも食べ始めがおそかったせいで、マキシがさきに食べおわった。手持無沙汰な彼は急に「せっかくだから魔族について教えてあげようか」と言い出す。

「混血児なきみなら知っておいて損はないだろう」

 青年は善意の押し売りをはじめる。クロアはそれをデキのよくない演奏かなにかの代わりに聞くことにした。


5

 昼食時の執務室が講義室へと変わる。部屋の在りようを変えた者は、秀才を自負する青年だ。

「魔族というものは大きく分けると二種類になる。人型の魔人と、獣型の魔獣だ。この二つのちがいは知っているかな」

 マキシは一拍おいて、だれも答えないのを見るや、即座に話をつづける。

「どちらにも高い魔力と知能をそなえた個体がいる。おまけに、人に変化する魔獣だっている。魔獣が人に化けてしまえば魔人と区別がつかないと思わないかい?」

 いつもならクロアとレジィは会話を交わしながら食事をとる時間だ。しかし二人はだまっていた。講義を中止させるのは昼食が食べおわったときでよい、とクロアが判断したためだ。

「実は魔人と魔獣に明確な差はない。われわれ人間が、彼らの人形態と獣形態のどちらをより多く目撃したかによって区分が変わるんだ。いい加減なものだね」

 受講生の反応がないながらも講師は講釈をとめない。

「有名な魔人でいうと……療術士クラメンスがいい例だ。彼は隻腕の療術士ともよばれ、卓越した療術と薬学をもちいて数多くの人を救済した。すこし前までは、この聖王国のどこかにやってきては薬を人々に売るとも噂されたことがあった。そのときは当然、人間の姿であらわれる。だが彼はもうひとつの姿をもっている。それは巨大な白い熊だ」

 クロアはこの説明に矛盾点を感じ、ようやく講義に口をはさむ。

「その魔人は人の姿で人里にくるのでしょ。なぜ熊が同じ魔人だと言えるの?」

 クロアが指摘すると講師は「いいところを突く」と得意気な笑顔をつくる。

「魔界でいろんな魔人に取材をした人がいてね、その人がつづった手記に載っている。ほかの資料と照らし合わせても、うなずける箇所が多いんだ」

「ほかの資料って、どんなのがありますの?」

「大昔、人界と魔界が繋がる時代よりも前……北の大陸の村に、とある伝承があった。雪深い森の奥に白い熊が住んでいた。その熊はあらゆるケガを癒す力を持っていた。動物も、人も、傷ついた者をわけへだてなく治療して、次第に人々から『土地の守り神』としておもんじられるようになった。ある日、村の娘とそっくりな人が村にやってきた。そのよそ者はしばらく村に滞在したあと、己と顔がよく似た娘と一緒に別の大陸へ渡った。それからというもの、療術をほどこす熊は出現しなくなり、村の者たちは守り神が去ったのだと考えたそうだ」

「村の娘にそっくりなよそ者が、守り神だったということ?」

「伝承だけでは断言できないが、そう考えられるね」

 魔獣が人に変化することもある、という点をクロアは理解した。その本旨とは異なる部分で、疑問を投げかける。

「べつの大陸へ、なにをしに行ったのかしら。伝承では伝わらなくとも、取材した人は聞けたんじゃなくて?」

「ああ、どうやら薬学を学びに行ったらしい。というのも療術には病を治す力はないからね。僕の憶測だが、きっと熊は病人も救いたいと思うようになったんだろう」

「魔人だの魔獣だのとよばれるわりに、ずいぶんお人好しですのね」

「そんなもんさ。神とはよばれない魔力の高い人外を、便宜的に魔族と名付けただけだから。中には神族が魔界へ行って、魔人と化している者もいるというし……魔族全体の性質が悪だと決まってはいないんだ。もちろんクラメンスのような善良な魔人はめずらしいようだがね」

「まるで人間といっしょですわね……」

 講釈を述べた青年は満足そうに笑った。次に黙っている少女に視線を向ける。

「レジィは元医官だそうだね、僕がいま話した魔人のことは知ってるかな?」

「白熊のくだりは初耳です。でもクラメンスさん自体は療術を学ぶときに聞きました」

「そうだろう。帝王国でもクラメンスを知らない療術士がいないほど、彼は有名だ。その弟子になりたいという者がいるくらいにね。だがそれは過大評価だという学者もいる。彼が奇病の治療や新薬の開発に精を出していたのは昔のこと。最近はめっきり活躍を聞かなくなった。それはどうしてだと思う?」

「え? それは……片腕がないからじゃないですか? 片手だと研究がはかどらないから」

「彼が隻腕になったのは千年ちかくもむかしの話だ。それに現在は自身の手となる妻子がいるし、研究を手伝う人造の生命体もいるらしい。両腕があったころより、研究の環境は整っていると思うよ」

 レジィは「そうなんですか」とちぢこまって言う。返答に窮した彼女は「じゃ、理由はなんなんです?」とたずねた。マキシは自信満々に「わからない!」と言い放つ。

「本には載っていなかった。斜に構えた学者の主張では『人間の医術にかなわなくなった』というけれど、僕はそう思わない。彼の作った薬は、たとえ一般的な風邪薬であっても普通のものより効くと評判だ。一部の薬は彼独自の調合配分が公開されていて、だれでも模倣することはできるが、だれもが彼以上の効果には到達できない。それは千年以上もの経験とずば抜けた魔力が合わさった製薬なんだ。ほかの者には真似できないんだよ」

 要領をえない話だ。クロアは結論を急ぐ。

「で、あなたはその魔人が薬の開発をしなくなった原因はなんだとお考えなの?」

「僕は……人間に愛想が尽きたんじゃないかと思っている」

 マキシは白い招獣を呼んだ。小型犬の大きさで、机にちんまりと座っている。その外見の特徴は、マキシとユネスの試合の際にあらわれた美しい魔獣とよく似ていた。

「この子はアゼレダという種族名の魔獣だ。知っているか? この鱗は軽くて硬度があり、防具に最適な素材になる。外観の美麗さもあいまって高値で取引されるんだ。そのせいで乱獲され、個体数が激減した。現在は保護生物に認定されたが、残念ながら増加は確認できない。僕の招獣になったこの子も、密猟者に捕われていた……」

「クラメンスさんは、私利私欲で魔獣を殺す人間のせいで人間嫌いになった、と?」

「ああ、可能性のひとつとしてそう思う。アゼレダは北の大陸に生息する魔獣だ。彼にとっては故郷の同胞だと言える」

「そう……ありえる話かもしれませんわね」

「だから一度、真相を聞いてみたい。この国のどこかで会える……希望はあるからね」

「あら、人を嫌いになってもこの国にきてらっしゃる方なの?」

「いや、彼はこないが、息子さんが時々くるらしい。それもあって、僕はここにいたいんだ」

「取材ついでで、わたしの従者になろうとおっしゃるの?」

「取材は『運がよければ』のオマケ感覚だが、まあそういうことでもある」

「魔界に行って取材なさったら手っ取りばやいんじゃありません?」

 マキシは天井をあおぎ、大笑いする。

「あっはっは! きみは本当に剛胆な人だ。有象無象がひしめく魔界に行って、無事に帰ってこれると思っているんだから」

「もどってこれた方がおられるのでしょ?」

「それはそうだが、僕みたいな招術頼りの人間にはどだい無理な話だ」

 マキシは食器を片づけ始めた。移動配膳台に自身の盆を置くと、クロアの席へやってくる。クロアの昼食はすんでおり、その盆をマキシが持ち上げる。

「午後からまた出かけるんだろう。僕も行かせてもらえるかな」

「いいですけど……昨日はそんなことおっしゃらなかったのに?」

 昨日の昼もマキシはクロアたちと一緒に昼食をとっていた。ただそのときはクロアとレジィがさっさと食事をおわらせて、出かけてしまったので、マキシが同行を申請する暇はなかったようにもクロアは思いかえした。

「もうベニトラの観察はじゅうぶんだ。今度はきみについていくよ」

 朱色の猫はねむってばかりで、めぼしい調査結果が出そうにないことはクロアでも予想できた。クロアはマキシの要求を飲んだ。そして胸中で、町中の偵察に放った魔人に語りかける。

『ナーマ、調子はどう?』

『いま尾行中! ごっつい魔人の集団がきてる』

『ごつい? それはおもしろそうね』

『簡単に傭兵になってくれそうにないよぉ?』

『話してみなくちゃわからないわ』

 クロアは勇み足で外出の準備をする。なにも言わずともレジィは出かける気配を察知し、足早に昼食の膳を返却しに行った。


6

「ほら、あそこの三人。大物のにおいがプンプンする」

 ナーマの案内により、クロアたちは町一番と評判の酒場に来た。ナーマがねらいをつけた者とは、兜を被った巨漢と、布を頭に巻いた長身の男と、青みがかった銀髪の女の三人。巨漢以外の男女は帯剣している。三人の見てくれは魔人でなくとも強そうだった。

 クロアはベニトラを抱えて、店の食卓に着席する。レジィとマキシも普通の客として席に座り、異彩を放つ三人に注目した。ナーマは座らず、クロアにぴったりと寄り添う。

「あいつら、かなり長生きしてるみたいよぉ」

「見た目は人間と変わらないわね……」

「魔族は雰囲気でわかるの。魂に刻んだ年齢を見るって感じ」

「長生きしている魔人なら有名なのかしら。マキシ、あの外見でだれか思いつく?」

 マキシは魔人の集団を凝視しながらうめく。

「うむむむ、もしや……あの水色か銀色の長髪の女性は、有名な飛竜じゃないか?」

「飛竜? 竜が人に化けているの?」

「ああ! 高い魔力を持つ魔獣は人に変化できる。竜も例外じゃない」

「それで、その竜はどう有名なのかご存知?」

「名前はミアキス。おそろしく剣の腕が立つそうだ」

「竜なのに剣術が得意なの? 変わってるわね……」

「それはご主人さまの趣味さ。あの男の剣士……彼が高名な剣豪ならば曲刀を提げているはずなんだが──」

 マキシはさらに目を凝らした。客の合間から剣士の武器を確認する。その鞘の形状は直線を描いていた。魔族に詳しい青年は首をひねる。

「うーん? 普通の直剣みたいだな……」

 レジィが「あの剣士をだれだと思ったんですか?」と聞くと、青年は財布から金貨を一枚出した。硬貨の中央には髪の長い女性の横顔が浮き彫りになっている。

「この女性はどういう人物か、知っているかな? さぁ公女!」

「なんですの、いきなり……」

 とまどいつつもクロアは懸命に硬貨に彫られた人物を思い出す。該当する人物は三名。ひとりはこの聖王国のむかしの王。硬貨の中の彼は中年の男性の顔をしている。この人物ではない。もうひとりは帝王国のむかしの女王。硬貨の彼女は兜を被る、中性的な顔をしていた。この人物でもない。のこるは剣王国の、女王ではなく王妃とも異なる女性──

「大昔の剣王国の王族でしょう。剣術が巧みで、ひとつの流派を生み出した始祖……」

「おお、よくおぼえていたね」

「それくらい教わりましたわ。この大陸の住民すべての常識ですもの」

 なによりこの三名はクロアにとっておぼえやすい人物だった。彼らはみな、武勇を誇った著名人である。その勇壮な伝記はクロアの興味を惹きつけ、長年記憶の原型をとどめている。

「その女性と魔人がどう関係しますの?」

「このウルミラ王弟妃に剣術を教えた魔人がいる」

「? そんなお話、あったかしら……」

「表向きはウルミラが自力で剣術を体得したものとして伝わっている。だから僕が言うことは正規の歴史の外にある話だ。真相はともかく、彼女の師匠は魔人一の武芸者だとも言われる」

 魔人一の武芸者。その肩書きはクロアの胸にずんとのしかかった。その強さを知りたい、と興味が湧いたのだ。

「それはぜひとも屋敷にお招きしたいですわ」

「でも彼ぐらいの強者になると、盗賊退治だなんてみみっちい仕事は──」

 マキシが説明の途中で体を強張らせた。目線だけが上部へと泳ぐ。

「あいつが一番たぁ、聞き捨てならんなあ!」

 巨漢がクロアたちの席に押し寄せた。彼は口にふくんだ食べ物をごくんと飲み、マキシの顔をのぞきこむ。マキシは椅子がかたむくほどに上半身をのけぞらせた。完全にビビっている。

「学者さんよぉ、ワシのことはどういうふうにニンゲンに伝わってんだ?」

「いや、あの……どうして僕の話を?」

 蓬髪の巨漢は自身の耳を引っ張り「ワシは耳がいいんだよ」とにんまり笑う。

「で、だ。アンタは魔人のエーベリックをどんなやつだと思ってる?」

「え……あだ名はリックといって、大飯食らいで、珍味な食材や料理には目がないとか……」

 巨漢が額に手を当て、頭を左右にふって残念がる。

「っかー! ワシは食うしか能がねえと思ってやがる。これだからニンゲンはイヤだぜ」

 巨漢がマキシとレジィの間にある空席にどっかと座った。彼は右手で頬杖をついて、大胆不敵な雰囲気をつくる。

「魔人の特徴はひとつしかねえってのか? チュールは剣、クラメンスは医療、ブリガンディは統率者ってえ感じでよ」

 統率者、に該当する魔人がクロアにはわからなかった。話題に逸れることを承知で口に出す。

「『統率者』とは魔界を統べる王のことかしら?」

 荒々しかった巨漢が急に目を伏せ、口をとがらせる。

「魔王のことを言ってんならちがうぜ。シーバはおっちんじまった」

「マオウ……?」

 クロアはその名称が意味する存在を知っていたものの、特定できなかった。そうよばれた魔人は二体いるのだ。それゆえ隣席のマキシに「どっちの?」とたずねた。マキシはあきれて、

「そりゃきみ、二代目のほうだよ。初代はとっくのむかしに滅んでいるんだからね」

 と、クロアに耳打ちした。マキシの小声で発した言葉は巨漢の耳にも届いており、その大きな頭をうんうんとうごかす。

「最初の魔王の子が、シーバだ。つっても魔王の子なんざ、うじゃうじゃいたがな。特別なもんじゃねえ」

 クロアは話が脱線するのを承知で、マキシに「そうなの?」と聞いた。彼はまた耳打ちする。

「そうだよ、かなり好色な魔人だったらしくてね。女性だけに飽き足らず、獣も男性も、人型の女性に変化させてから、子を産ませたとか」

「他者の姿を、変化させる?」

「ずば抜けた魔力をもつ者だからできる芸当だ。そうまでして自分の種をこの世界にばらまきたかったんだろう」

 クロアにはどうもすぐに飲み込めない話だ。しかしいつまでもマキシの解説を聞いていては、せっかくの戦士候補が話に飽きて、去ってしまうかもしれない。そう考えたクロアは話題の軸を元にもどす。

「ところで、そのブリガンディさんはどういう立場の魔人なんですの?」

「んあ? どういうって……どう言えばいいんだろうな」

 大食漢の魔人が天井を見上げた。言葉をひねり出そうとしている。その間にマキシがそっとクロアに教える。

「……魔王とは別に、大勢の魔族をとりまとめる者がいるんだ。それがブリガンディ。魔人の中でもっとも気位が高い竜騎士だという」

 リックが破顔して「おう、それだ!」とマキシの説明に大声で同調した。同意を得られたマキシはびくびくして、はにかむ。

「は、はぁ……」

 逃げ腰なマキシはクロアに小声で「なんできみは普通に話ができるんだ?」と聞いてくる。

「相手は歴戦の魔人なんだぞ。こわくないのか?」

「過去がどうであれ、いまはお食事をしに来られたお客人ですわ。ヘタに警戒したほうが無礼に当たると思いません?」

 リックが豪快に笑う。クロア以外はその大声で驚いた。

「こっち住まいの『ニンゲン』のわりに、よくわかってるじゃねえか」

 クロアは違和感をおぼえた。自分が魔族混じりであるのに、そのことにまったく気づかないかのような発言だったからだ。

(ベニトラとナーマはわたしを混血児だと見抜いたのに……?)

 ここ最近クロアが会った魔獣と魔人は、クロアを魔障の血を継ぐ者だと造作もなく告げた。これはつまり、人外は人外をひと目で見分ける能力がそなわっていることを示す。

(でも、ヘンではないのかしら。わたしは人間の血が濃いはずだし……)

 ベニトラたちはとりわけ、魔障を嗅ぎ分ける感覚がするどいのかもしれない。そのようにクロアは自分を納得させた。

「おめえ、ワシらになんの用だ? 仕事がどうとか言ってたみてえだが」

「わたくし、腕っぷしの強い方をさがしていまして……できればお連れの方もご一緒にお話しできます?」

「ワシはかまわんが、ビビりの学者さんやほそっこい娘は、それでいいのか?」

 意外にも巨漢はクロアの連れを気遣ってみせた。レジィは緊張した顔ながらに「クロアさまのお供をします」と言い張り、マキシは手に震えを見せつつ「こんな機会は滅多にない!」と学者魂を見せた。

「アタシは抜けようかな……座る場所、足りないし?」

 ナーマはすいっと飛びあがり、酒場を出ていく。クロアは彼女を引き止めなかった。ナーマにはほかの猛者の発見を任せたいので、その自己判断は適切だと思ったのだ。

 巨漢が仲間に声をかける。離れた席にいた男女が、料理を手にして近寄ってきた。


7

「俺はお前の召使いじゃないんだぞ」

 長身の男剣士が愚痴りながら料理をもってきた。続く女剣士も、さきほど座っていた席にあった葡萄酒と酒杯を卓上に置いた。女剣士は一言も発さず、むすっとした表情でいる。こちらは無口なようだ。

 剣士の二人組は椅子に座らず、クロアたちの顔ぶれを確認する。

「冒険者仲間、にしては気品があるように見えるな」

 クロアは育ちの良さを見抜かれ、いたく満足する。

「ふふん、魔界育ちの魔人にも人を見る目がおありなのね」

「どこの神官の娘だ?」

「神官?」

 クロアはこの場で一番聖職者にちかしい少女を見た。するとレジィの隣りに剣士が座っている。おまけに彼は少女の手をにぎっていた。

「あ、あたしは……ふつうの、平民です」

 レジィの顔は赤い。彼女は剣士から顔をそむけて、クロアに助けを求める視線を送ってきた。クロアはその救援に応じる。

「わたしの従者にちょっかいをかけないでくださる?」

 キツく言ったつもりだったが、剣士は堪えない。

「手をとるくらいいいだろう」

 まったくわるびれていない返答だ。クロアはマキシのほうへ上体を寄せて「なんなんですのあの男は」と質問した。マキシが答えるまえにリックが「見てのとおりだ」と言う。

「三度の飯より女が好きなんだ。剣仙だなんだともてはやされてっけど、ワシから見りゃ女にだらしねえだけの男だ」

「どうとでも言え。俺が生きるために必要なことだ」

「おめえも夢魔と変わんねえな。他人の精気を吸い続けなきゃならんってのは」

 リックは鳥足のから揚げに食らいついた。それきり食事にかかりきりになる。リックのほうから話すことはもうないようだ。

 食事に夢中な巨漢に代わり、男剣士がクロアの話を聞くことになる。

「用件を聞かせてもらうか」

「話のまえに、レジィから離れていただけます?」

 クロアはあくまでも穏便な態度を心がける。

「その子はわたくしの護衛です。男性をたのしませる遊女ではありません」

「ずいぶんと潔癖なことだ。この程度で俺がこの娘を遊女あつかいしているだと?」

「あら、そのつもりがないとおっしゃるの? でしたら代わりにこの子をお渡ししますわ」

 クロアは成猫の大きさのベニトラを掲げた。剣士は目をまるくする。

「どういうつもりだ?」

「お手がヒマなのでしょ。この猫をお好きなだけさわってもよろしいですわ」

 クロアは「退屈しのぎになりましてよ」と丁寧に提案した。クロアなりに譲歩した交渉だったが、剣士は鼻で笑う。

「ふん、そんな獣にはなんのおもしろみもない」

「では手ぶらでお話をする、ということでよろしい?」

「そうもいかんな」

 話は平行線をたどった。クロアはいい加減に嫌気がさしてきて、色魔を目で殺す勢いでねめつける。

「あんまりしつこいと、無理にでも引き離すことになりますわ」

 剣士も目が据わる。このときになってやっと彼はレジィの手をはなした。

「気の強い女だな。俺の名を知ってなお挑発するか」

「挑発だなんてとんでもありません。わたくしは正当な申し立てをしておりますの」

「俺の機嫌を損ねれば命が無いとは思わないのか」

「そのときは、あなたも無傷ではいられませんわ」

 剣士の殺気がクロアに突き刺さる。敵意を向けられてなおクロアは眼力を緩めない。

「あなたがどれほどお強いのか存知あげませんが……強い者は他者への礼を失してよい、だなんてバカげた道理はありませんのよ」

 以後、無言のにらみ合いになる。クロアは腰に提げた杖をにぎり、警戒態勢をとる。もう片方の手で、膝の上にいるベニトラの背をかるく叩いた。乱闘が発生した際はベニトラの助太刀が必須。その意思を手で伝えているのだが、ベニトラは四肢を投げ出していた。

(この殺気を感じとれないはずは……?)

 ベニトラはのんきに伸びたままだ。血を見る未来など起こりえない、とばかりに。

「からかうのはよせよ、チュール」

 咀嚼音のまざった勧告が入った。リックは酒で口の中を一掃する。

「おめえが女と遊ぶのが好きだっつうのはわかるが、いまやることじゃねえだろ?」

 クロアは「遊び?」と疑問に思い、下を見る。くつろいでいた猫は長い尻尾を立てて、クロアの頬をなでた。もう大丈夫、と言いたげだ。

「あの、どういうことですの?」

 クロアはリックのほうにたずねた。彼は首をこきこきと鳴らす。

「こいつが女を殺すわけがねえ。どんな赤ん坊や老いぼれでもな」

 剣士はふくみ笑いをした。マキシがほっとした様子で「文献によると」と解説を始める。

「大昔の大戦では神族の軍も人の兵隊にも女性を従軍させたそうだ。理由は、わかるかい?」

「もしかして、この魔人が……本気を出さないようにするため?」

「そうだ。そう知っていても、この空気じゃ本当に殺し合いになるかと思ったよ」

 マキシは顔ににじんだ脂汗を手巾でぬぐう。レジィも大きなため息を吐いて、緊張をほぐした。二人はすっかり安堵の域だが、クロアは不機嫌になる。

「趣味のわるい冗談だわ! わたし、ますます不愉快になりましてよ」

「そう怒るな。俺はおまえのほうが好みだ」

「あなたの好みなんてどーでもよろしいわ!」

 クロアは話の通じない男を放っておき、自身の膝にいる猫の両脇を抱えあげた。ベニトラのすまし顔をしっかと見つめる。

「この魔人に敵意がないと知ってたのでしょ。どうして教えてくれないの?」

「この身で教えた」

 たしかにベニトラのくつろぎぷりには違和感をおぼえた。だが確証のもてる態度ではなかった。それゆえクロアは半ばあきらめた調子で「ちゃんとしゃべってちょうだい」と苦言を呈した。


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