三章 募兵

1

 クロアはベニトラをぬいぐるみのように抱きかかえ、招獣の専門店へ入った。店内の戸棚に装飾品や薬などの商品が陳列してある。だが生物の姿は見えない。クロアは招獣の店には招獣もいるものだと想像していた。

「招獣は取りあつかっていないのね」

「あ、売り子さんの後ろにいますよ」

 鼬を肩に乗せたレジィが勘定台の奥を指差した。勘定台では帳面になにかを書き付けるヒゲの中年男性がいる。その背後には檻に入った猫や鳥などが並んでいた。

「飛馬はいないのかしら。そういう飛獣は人気があるはずでしょ」

 中年の男性が手を止めた。無愛想に「飛獣が御入り用で?」と聞いてくる。クロアは見ず知らずの他人用の、丁寧な対応に切り替える。

「いえ、いるかどうか気になるのですわ」

「店の後ろにいますよ。買ってくれる客には見せますがね」

「そうでしたの。では遠慮しますわ」

 疑問を解決したクロアは商品の見物をはじめる。ここはこれまで訪れる機会のなかった店だ。好奇心を大いに刺激された。購入予定になかった物品にも注目し、手にとる。

「術を使用する招獣向けの精気回復薬……こんなものもあるのね」

 瓶詰の丸薬から普通の焼き菓子にしか見えぬものまで、種類はさまざまだ。

「ベニーくんに要りますかね?」

 ベニーとはベニトラの愛称だ。ベニトラの名はこの地域では馴染みの薄い音ゆえに、呼びやすい名前をレジィが付けた。ベニトラ自身に了解をとっていないが、別段不服はないようだ。本名と愛称のどちらで呼んでも、ベニトラは尻尾を揺らした。クロアがベニトラに「どう?」と聞くと、垂れていた尻尾が上がる。

「余財はあるのか?」

「ちゃんとあるわ」

「ならばひととおり食してみたい」

「ええ、よくてよ」

 突然、店内で騒がしい音が鳴った。勘定台の店員が椅子を倒したらしい。椅子から立ち上がった店員はベニトラを凝視する。

「そ、の赤毛の猫……話せるんですかい?」

「そうですけど、そんなに驚くことですの?」

「いや、その……町を荒らしてた魔獣も、同じ毛色でしたね?」

「同じ子ですわ」

 店員はおびえ、勘定台の後方へ倒れた。クロアたちはすぐさま勘定台に寄りかかり、店員の容態を確かめる。痛がる店員のそばに椅子が転がっていた。倒した椅子に足が引っ掛かったようだ。

「あのう、おケガはありませんか?」

 レジィの声は店員に届いていなかった。彼は勘定台に座る朱色の猫に一点集中する。ベニトラは悠長に自身の胸をなめていた。

「ひ、人喰いの魔獣!」

「人喰い? 死者は出なかったと聞きましたけれど」

 クロアはレジィと顔を見合わせた。二人とも、魔獣の被害に遭った現場には立ちあっていない。そのため実際の状況は把握していなかった。レジィは「治療にあたった医官によると……」と伝聞を思い出す。

「お腹を噛まれたまま振り回された人がいたらしいです。そのことを『人喰い』と言ってるんでしょうか?」

「それだけじゃない!」

 男性店員が怯えたまま凄む。

「首を噛まれたり土手っ腹に爪が刺さったり、悲惨だった! そんなむごいことをしでかした魔獣を、よく連れて歩けるな!」

 店員が剣突くをくらわせてくるが、クロアは冷静に首を横にふる。

「あれはこの子の意思でやったことじゃありませんわ」

「信じられんな。そいつは『人間が憎い』と言っていたそうじゃないか」

 クロアの予期しない情報だ。「本当?」と不幸な加害者に問う。問われた獣は毛づくろいを止めた。こっくりうなずく。肯定の態度だと見たクロアは考えうる理由を挙げる。

「赤い石のせいで混乱して、そうしゃべったのでしょう?」

「いかにも。あの男への憤怒が転換されたとおぼしい」

 店員は恐怖心が残る顔のまま、居住まいを正した。椅子に腰を下ろすが、その位置は勘定台から人一人分の距離がある。その距離が双方の心の遠さを意味した。

 クロアはベニトラが脅威のない獣だと知らしめるため、その頭をぐりぐりなでる。

「わたくし、昨晩はこの子と一緒に寝ましたのよ」

 就寝中のクロアは寝相でベニトラを苦しめた。それでもこの獣は寝台のすみで大人しくしていた。その我慢強さはベニトラに他者への思いやりがあることの証になる。

「一夜明かしてみて、無事に起きられましたもの。この子は自分から人を傷つけるような魔獣じゃありませんわ」

 店員がしげしげとクロアの風貌に注目する。

「……あなたは公女様なのか? お付きの護衛と二人で魔獣を討ったっていう……」

「あら、いまお気づきになったの」

 クロアは多くの住民が公女の姿を目にしたことがないとは知っていた。だが風貌の伝聞自体は広まっているものだと思っていた。

「わたくしの特徴をご存知なかったのね」

「いや、ま、特徴といえばいろいろ聞いていましたけど……想像とはちがったな、と」

「どんな特徴をお聞きになっていらしたの?」

 クロアは自分の容姿が珍しいほうだと考えている。男性並みに身長があり、赤銅色の長い髪と、色香は母に劣れども肉感的な身体を持つ。加えるなら貴人らしい品格もあるだろう。これらを合わせもつ女性はありふれていないはずだ。

 店員はクロアから目線を逸らした。あごのヒゲをいじって、なにかを考えている。

「その……髪の色が濃い赤だったり……」

「そういう人はわたくし以外にもいらっしゃるでしょうね。ほかには?」

「体が……」

「大きいでしょう?」

「熊みたいに大きくて粗暴だとか……」

 熊を人にたとえる場合は通常、男性を指す。それも乱暴で荒々しい人に、だ。クロアは自己認識との乖離に憤慨する。

「なんてこと、わたしが粗雑な乱暴者ですって?」

 店員は首を横にふるって「噂です、うわさ」と自分の発言に非がないことを強調した。無論クロアも目の前の男性を害するつもりはない。ただ自分が上品な立ち居振る舞いを心がけているのに、そうではない人と同じ見方をされたことに腹が立った。

 ふぎゃっ、という鳴き声がクロアの手元から聞こえた。なでていたベニトラをうっかり手で押しつぶしたのだ。猫は腹ばいになっている。自由が利く尻尾でクロアの腕を叩いた。その尻尾攻撃に痛みは感じない。ただの抗議の態度だ。

「ごめんなさいね、つい力が入ってしまいましたわ」

 クロアは猫の後頭部から尻までの毛先に手をすべらせた。その動作を何度かすると、ふさふさな尻尾の角度が下がる。尻尾は台の上を掃除するかのごとくうごいた。

 店員がずずっと椅子を引きずり、接近する。

「……こうして見ると、大人しい猫みたいだな」

 ベニトラの温柔さを店員が認める。彼は後方の売り物らしき黒猫や白猫を指して「あいつらのほうがよっぽど気性が荒かった」とつぶやく。

「で、公女様がうちになんのご用で?」

 店員の顔にいくらか笑みが浮かんだ。クロアはさっそく本題に入る。

「この子に合う首輪をひとつ売っていただきたいのです。体型に合わせて伸縮する種類があると聞きましたわ」

「ああ、それなら……」

 店員が勘定台の横に設置した自在扉を開けた。売り場へ出てくる。ベニトラに背を向けながら商品を紹介している。その姿には警戒心がなかった。


2

 店員は招獣用の首輪の棚へクロアたちを案内した。首輪は陳列棚に並ぶものもあれば、鍵付きの透明な戸棚に展示されたものもある。厳重な管理をされた商品のほうは高級な装飾品のごとき待遇だ。その棚を店員が開けた。彼は大粒の淡黄色の宝石がついた帯を取り出す。

「これがおすすめの、伸縮自在の首輪です」

 クロアに見せたのち、帯を幼獣形態のベニトラの首に装着する。

「ちゃんと首輪が大きくなるか、こっちで試してみますか」

 彼は商品棚同士の間隔が広い場所へ移動した。クロアはベニトラの本当の姿がどれだけ大きいのか覚えていない。念のため、外に出たほうがいいのではないかと思った。が、それはそれで大騒ぎになる。それゆえ店員の指示にしたがった。

 クロアは広めな通路にてベニトラの変化を解除させた。ベニトラは一時的に本来の大きさにもどる。その際に店員はベニトラの正体をわかっていながら、おののいてしまった。昨日まで凶悪な魔獣でいた者の姿が、そこにあるせいだ。ベニトラは自身が周囲に畏怖を与える存在だとわかってか、その場に静止した。

 ベニトラの首輪は分厚い毛皮の奥に見え隠れしている。クロアはベニトラの首元をさぐった。暖かい毛にまぎれて、首輪の感触をとらえた。その首輪の下に指を入れてみる。密集した毛を押さえれば指が二、三本ほど入る余裕があった。

「これくらいがちょうどいいのかしら。首輪の着け心地はどう?」

「不都合は無し」

「そう。じゃあ首輪を買う方向でいくわよ」

 ベニトラの返答はない。おそらくは了承の態度だ。クロアはほかの首輪もいくつか試着してみようと思い、ベニトラの首輪を外そうとした。

「あ、それが一番いいやつなんですよ」

 店員はクロアの行動を引き止めにかかる。

「その首輪は長さを変えるだけじゃないんです。術の耐性を高める術具でもあります」

「術の耐性? 術が効きにくくなるということ?」

「そうです。その魔獣がまた同じような凶暴化の術をかけられても、耐えられるということです」

「ふーん、それはよい性能かもしれませんわね」

 クロアがそう言うと店員はにっこり笑った。彼はそれきりなにも言わない。実際に術を無効化できるか、という実験はやらないようだ。

(まあ、この人が術士じゃないのなら試しようがないわ)

 クロアは術が不得意。レジィも療術以外はさほど得意とは言えない。かろうじてレジィの招獣が術による雷撃を使える程度だ。ただしその術をベニトラにぶつけたとしても、ベニトラ自身の防御力が高ければ道具の効果は計測できない。

(あとは見た目と値段で決めるしかないわ)

 クロアはベニトラからすこし距離を置いた。獣と首輪の全体像を正面から見る。朱色の毛皮と、淡黄色の宝石が付いた首輪。この取り合わせは色彩的に問題がないように感じる。

「んー、色はまあまあかしら」

 店員は困り顔で「色なんて些細なことを!」と言い出す。

「また変な術のせいで暴れるかどうかってことが重要じゃあないんですか」

「あなたの主張なさることはわかります。けれど、見た目も気に入ってこそ道具は長く使えるのですわ」

 店員はクロアの好み次第で推奨商品が買われなくなると知った途端、慌てはじめた。棚にある商品をさぐり、ひとつ持ってくる。固形の薬がつまった小瓶のようだ。

「これ、疲れた招獣の回復に効く薬です。首輪を買ってくださればおまけしますよ!」

「回復薬……使う機会はあるでしょうね。でも──」

 苦い薬の服用はだれしも嫌がるもの。そんな考えからクロアはベニトラの顔をうかがう。

「もっと食べやすいものがいいかしら?」

 朱色の猛獣は頭をかしげ、なにも言わなかった。すると店員はまた別の商品を取ってくる。

「お菓子感覚で食べられるものもあります。これもお付けしましょう」

「それはありがたいのですけど……」

 クロアはさっきから見せつけてくる店員の情熱に困惑する。

「なぜわたくしにこの首輪を買わせようとなさるの?」

 店員が口ごもった。そのうえ視線が泳いでいる。彼の態度の裏にはなにかやましいことがありそうだ、とクロアは怪しむ。

「うまいことを言って、ほんとーは伸び縮みするだけの首輪なんじゃなくて?」

「ちがいます! 術効果を弱めるのは本当です」

「ではどうして?」

「買い手がつかないんですよ。値が張るし、クセが強くて……」

「クセ?」

 術具にクセというものがあるのか、クロアは知らなかった。この場でもっとも術に長けているであろうレジィの顔を見たところ、彼女もきょとんとしていた。

 店員は言いにくそうに「長所に欠点があるんです」と不可解な説明をする。

「混乱したり、ねむくなったりする術が効かなくなるのはいいんですが、効いてほしい術も効き目が悪くなります。たとえば招獣がケガをしたとき、療術をかけると──」

「治りがわるくなるんですね?」

 レジィが店員の説明をいちはやく理解した。店員が後ろめたい気持ちが吹っ切れたように深呼吸する。

「はー、おっしゃるとおりで」

「それは使いにくそうですね……」

 レジィが商品の短所を明言してしまうと、店員は落ち込んだ。商品購入の決定者たるクロアは単純な克服策を思いつく。

「ケガを治療するときは首輪を外せばよろしいのね?」

 店員はうなずいて「ええ、そういうことです」と答える。

「めんどくさいと思いますけどね」

「『クセが強い』の意味はわかりましたわ。ところで『値が張る』というお値段はいかほどですの?」

「お代は八万ほど……」

 え、と声をあげたのはレジィだった。一般家庭の金銭感覚をもつ彼女が驚くのだから、世間一般的にはかなりの高額なのだとクロアは察する。

「いまの手持ちで、足りる?」

「あ、はい……それはだいじょうぶです」

 レジィは自身の腰に提げた鞄に触れた。その中にはクロアの私用の財布が入っている。今日の外出目的は招獣専門店での買い物と、強い戦士の勧誘。この二つを達成するには多額のお金が必要になるかもしれない──そう思ったクロアが外出前、余分にお金を持っていくようレジィに言いつけた。その総額が十万だったとクロアはなんとなくおぼえている。

「ちょっと聞くけど、レジィは八万のお金があったらなにができる?」

「えっと……うちの家族が二ヶ月くらい暮らせますかね」

「二ヶ月分の生活費……首輪一個にしちゃ法外な額ね」

 店員が「法外なもんですか」と反論する。

「いい術具はそれぐらいしますとも」

「あなた、『クセが強い』売れ残りの品物を『いい術具』とくらべますの?」

 クロアがツッコむと店員はうらめしげににらんでくる。

「そんなことをおっしゃっても……本当に高かったんですよ」

「それはわかりますわ。術具の効果が付け足された首輪に価値を見出して、高い仕入れ値で引き取ってしまったのでしょ」

「ええ、まあ……こんなに不評ならもっと値切ればよかったですよ」

 首輪に余計な効果があるせいで、逆に商品の価値を落とすことになるとは。不幸な現実だ。

(術具性能のない、伸びる首輪だったら価格はどうなるのかしら?)

 術具でなければ価格は落ちるはず。クロアはその相場を知っているはずのレジィにたずねる。

「レジィのその招獣、大きさが変わる首輪を着けているんだったわね?」

「はい、マルくんの首輪はそうです。ほかはなんにも特徴がないですけど」

 少女は自分の肩に乗る鼬のあごの下をなでた。

「その首輪はいくら──」

 問いをさえぎるようにして店員が「わかりました!」と叫ぶ。

「もー、値引きしますよ! 売れ残りがければいい!」

 店員は勘定台の定位置にもどり、そこで帳簿を開いた。商品の原価を確認するのだろう。クロアは意図せず店員に負い目を感じさせてしまったことを反省する。

(やけっぱちにさせてしまったようね)

 このまま店に金銭的な負担をかけたくはなかった。クロア自身はお金を出し惜しむつもりはない。支払えるものはきちんと払ってこそ、健全な経済が成り立つのだとどこかで教わった。

(どうせなら値引きじゃなくて、なにかオマケしてもらったら……)

 クロアは頭に引っ掛かりをおぼえた。なんらかの、他人に依頼したいことがあった、という記憶の残骸がある。

(ほかに、ベニトラに必要なこと……?)

 クロアは投資する対象に目を向けた。店内の通路を占領していた猛獣が、徐々に小さくなっていく。最終的な姿は成猫と同じ大きさになる。そしてその場で丸まった。まるで入眠するかのような姿勢を見て、クロアはやっと記憶の本体を探りあてる。

(ああ、この子の寝床を用意したいんだったわ)

 その要求が店員に通るか、ためしにクロアは話しかけた。


3

「あの、ちょっとおたずねしてよろしい?」

「なんです」

 店員はクロアたちの入店時と同様の無愛想さにもどっている。高額な商品を値下げするはめになり、傷心しているらしかった。

「わたくし、首輪の値引きは遠慮しますわ」

「え、なんでそんな奇特なことを?」

 店員が目を丸くした。若干うれしそうだが、すぐにしかめ面になる。

「なにか裏がおありのようですね……」

「あなたに言われたくありませんわ」

 首輪の最大の欠点を隠そうとした店員は再度うつむき、帳簿に目をやる。あまり掘り返されたくない話題のようだ。クロアは追い打ちをかけずに、話をすすめる。

「わたくし、招獣の寝床を用意したいのです」

 クロアは成猫の大きさになったベニトラを指差す。

「いまのあの子に合うものが、このお店にあります?」

 店員は床に丸まるベニトラを見つめる。しばし考えたのち、席を離れた。彼はあらたに商品を持ってくる。それは魔獣を捕獲したり招獣を閉じ込めたりする檻ばかり。そういった拘束目的の住処はクロアの想定にない。もっと自由な、好きに出入りできる温かい寝床がよいのだ。

「もっとフツーなものでいいのよね……」

「すいませんが、うちの専門外です」

「そう……残念ですわ」

 店員も残念がった。公女の希望を叶えれば首輪の代金は満額もらえたのに、という悔いの表情がにじんでいる。

「商品以外ではこんなものしか……」

 店員は文具類のそばにある編みカゴに手をのばした。カゴには文字が書かれた紙や丸めて紙が入っており、店員はそれを除ける。空になったカゴは内側に布が敷かれていた。

「これは買い物カゴだったんですが、持ち手が取れてしまいましてね。捨てりゃいいんですけど貧乏性なもんで……」

「広さはちょうどよさそうですわ。でも寝床にするには底が深いかしら。ちょっとためしてよろしい?」

「はい、お好きなように」

 クロアは床にいるベニトラを持ち上げた。勘定台に置かれたカゴへ、獣を入れる。カゴの中でベニトラは尻を落とした。カゴの正面から顔が見える。

「んー、ほどほどの高さのようね。ベニトラはどう思う?」

「敷き物があればなお良し」

「それなら屋敷に余ってると思うわ。帰ったらさがしてみましょ」

 クロアはカゴの側面を両手で触れる。

「これをくださる?」

「よろこんでお譲りします。ですが、本気でそんなもののために首輪を定価で購入なさるのですか?」

「そうですけれど、なにか問題があって?」

「こっちの懐を痛めずに、売れ残りとゴミを公女様に押し付けるわけにはいきません」

 店員は意を決したように立った。彼はカゴの縁をつかむ。カゴの中にいたベニトラがぴょんと勘定台へ移動した。

「このカゴに回復薬をお詰めします。それで首輪をお買い求めいただけますか?」

「首輪を買えば、回復薬が無料でついてくるということですの?」

「はい。おっしゃるとおりです」

「値引きよりもお店の負担にならないのでしたら、それでよろしいですわ」

 商談は成った。店員が空のカゴを抱え、商品棚のほうへやってくる。彼は招獣用の薬やらおやつやらをカゴへどんどん詰めた。種類ごとに一点ずつ無償提供するようだ。どれがベニトラに合うものかだれもわからないので、全種類詰め合わせが無難な贈り物だと言えた。

 店員が一通りの回復薬をカゴに敷きつめた。それを勘定台に置き、また定位置にもどる。

「こんなところで、どうでしょう」

「ええ、充分ですわ」

 レジィが首輪の代金を支払った。この大陸でもっとも高額な紙幣通貨がやり取りされるのを、クロアは不思議な感覚で見守る。

(金貨のほうが価値がありそうだけど……紙幣が高いのよね)

 クロアは自分の手でお金を使う機会がとんとなく、通貨の基準がいまひとつなじんでいなかった。ダムトが言うには「紙幣を使うときは大金がうごいているものだと思ってください」だとか。

(もうお金をたくさん使っちゃったわ)

 招獣一体に大金を投入する。その決定を熟練の従者はどう思うだろうか。

(「ムダ遣いした」と言われるかも)

 傭兵の雇用に注力すべき状況で、別段金をかける必要はないベニトラへの散財はとがめられうる。そうなったとしてもクロアは気にしない。おそらくクロアが買わねばずっと店に飾られていた品物だ。使われずにいる道具の、本来の役目を果たしてやることに意義があるように思えた。

 会計は終わった。首輪の代金を得た店員はホクホク顔でいる。これだけよろこんでいるのならもうすこし依頼事を押し付けてもいける、とクロアは打算的になる。

「ちょっとおたずねしてもよろしい?」

「お、なんですか」

「このお店に強そうな人がお見えになることはあります?」

「くるときはきますよ、招獣を戦友にする人はいますんで。でも多くはないですね」

「ではもしお越しになったら、公女が仕事を依頼したがっているとお伝えねがえます?」

「はぁ、かまいませんが……」

 店員はカゴをぽんぽん触るベニトラに視線を落とす。

「この招獣を捕まえたのに、まだ人手がいるんで?」

 町の住民にとっての脅威はこの魔獣だけ──それが現段階の民衆の認識らしい。クロアは注意喚起がてら目下の計画を明かす。

「賊の討伐をしたいので、お強い人を捜しているのです。これは一時的な傭兵の予定ですわ」

「でしたら同業組合に行かれては? そこだったら内密な口利きもやれるそうですよ」

 それはクロアの知らない同業組合の活用方法だ。初耳ゆえに自分の認識があやまっていないか、確認をとる。

「一般公開しない募集もできる、ということですわね?」

「はい、うちにたのむよりは確実だと思いますよ」

「わかりましたわ。有益な情報をくださり、感謝します」

 クロアは店を出る意味もかねて礼を述べた。勘定台にいたベニトラがクロアの肩にとまる。前足でクロアにつかまっているが体重はかかってない。得意の浮遊能力で、体重をかけないようにしていた。

 店員は席を立ち、「ちょいと聞きますが」とクロアとの会話を続ける。

「あのう、その赤毛の招獣はずっと連れあるくおつもりで?」

「そうですけど、よろしくないのかしら?」

「いえ、大丈夫だと思います。そいつが気のいい獣だということがわかりましたし」

 ベニトラはクロアの足となる飛獣、あるいは護衛の招獣だ。この獣に危険性がないことは周知されておきたいとクロアは思う。

「よろしければその評判を広めてくださる?」

「ええ、そうしましょう」

 ヒゲ面の店員は純朴な笑みをベニトラに向ける。その笑顔はクロアの来店以降、はじめて見せる表情だ。

「そいつはこれからこの町を守ってくれる招獣なんだ、って」

 その期待は婉曲的にクロアにもそそがれている。クロアは自分が住民から求められている役目を再確認し、うれしさと責任の重さをかみしめた。


4

 クロアはベニトラの首輪を買い終えた。クロアが商品の詰まったカゴを抱えてくると、路上で待機していたエメリが目を丸くする。

「たくさん購入されましたね」

 彼女はクロアが大量に品物を持ってきたことにおどろいた。クロアもはじめは首輪の購入のみが目当てだったので、たしかにこの収穫物の多さは意外だと客観視する。

「あ、このカゴと品物は首輪のおまけでもらったの」

 女性御者はクロアの肩につかまるベニトラを見る。

「ではその首輪にけっこうな値がついていたのですか?」

「そう、八万ですって。高い?」

 裕福な家庭出身のエメリはかえって平静な態度にもどる。

「並みの兵装が一式そろうくらいですね」

「兜や胸当てに、武器も?」

「はい、小手やすね当てなども、量販されたものならその予算でおさまるかと」

 兵士ひとりの装備にかかる金と同等。そう表現されるとクロアは投資の甲斐があるような気がする。

「この子の戦力は兵士が何人束になってもくらべられないわ」

「はい、投資にふさわしい活躍を今後期待しましょう。ところで、次に向かう場所のご希望はありますか?」

「店の人の勧めで、同業組合に行きたいのだけれど……」

 クロアは町へ出かける直前、戦士捜しによい場所はあるかエメリにたずねたことを思い出す。そのとき彼女は「考えておきます」と答えていた。

「エメリはほかにもいい場所を知ってる?」

「いえ、組合がよいと思います。やはり仕事を求めに人が集まる場ですし、戦いの心得がある相手なら話は聞いてくれるでしょう」

「組合の人にもたのんでみるわ。荒事の仕事を探す人がきたら、公女からの依頼があることを紹介してみて、って」

 行き先は決まった。クロアたちは馬車へ乗りこむ。カゴはクロアの座席の隣りに置いた。この荷物で人ひとり分の座席を占領している。それゆえ、クロアは戦士を勧誘できても人数が多いと同乗はむずかしい、というぜいたくな心配をおぼえた。

 道中、クロアは車窓から往来を見て、強そうな人物が通りがかるか確認する。行けども行けども住民が行き交うばかりだ。

「武器を持ってる人は見かけないわね」

「そういう戦士さんはお仕事中なんじゃないんですか?」

「それもそうよね、昼間だもの」

 行商人の護衛に付き添うなり、なんらかの討伐依頼を請け負うなりするにしても、すでに町の外で活動している最中だろう。もしいま町にいたとしたら、仕事が早めに片付いて、一息をついているような人か。あるいは仕事にありつけなかった人か。

「どの時間帯だったら町中で会えると思う?」

「そうですね……朝は出かける準備で忙しいですし、夕方から夜がいいんでしょうか」

「夕飯を食べて、ゆっくり休んでるときをねらうのね」

「はい。夜の外出をクノードさまがお許しになるか、わかりませんけど……」

 この町の治安は良いほうだとクロアは思っている。だが、それでも夜は危険が多くなるものだとよく言われた。たとえクロアの親が領主でなくとも、娘の夜歩きを許可したくはないだろう。

「むずかしそうだけど、お父さまを説得してみるわ」

「もしお許しが出たら、いまみたいに馬車で移動するんですか?」

「そうしたほうがよいのでしょうけど、メンドーなのよね……」

 クロアは自身の膝にいるベニトラに目を向けた。この飛獣に騎乗すれば町中の移動はかなり手軽になる。馬車では御者ひとりに馬二頭を拘束してしまううえ、大通りのみの移動になるので、小回りが利かない。そのせいで、奥まった場所にある酒場や食事処などは行きにくくなるのだ。

 レジィがクロアの意図を察したようで「ダメですよ」と否定しにかかる。

「町中では飛獣に乗っての飛行はしちゃいけないって……それに町の人たちはまだベニーくんのことをこわがってるんです」

「姿を隠せばいけると思うわ」

「ダムトさんの術にたよるんですか?」

「そうよ、あいつは姿を消す術が使えるから」

「でも万能じゃないんですよ。術士や招獣には気付かれることがあるって言います」

「わたしが求めているのは戦士だから平気よ、バレない」

「そういうものでしょうか……?」

 レジィは腑に落ちていなかったが、組合に到着したので話は中断した。

 クロアたちは同業組合の敷地内で降りた。ここは馬車を停めておける広い庭があり、その見張り役の職員が何人か立っていた。馬や招獣は専用の厩舎があるようで、そちらにも人がいた。

 クロアはまたもエメリに馬車の見守りを任せ、建物へ入る。中は横繋ぎの受付が椅子とともにずらりと並んでいた。受付の一つひとつが衝立で隣席と隔離している。どれがどういった受付であるかは、天井より下がる札によって示してあった。

「請負用には種類があるのね」

 請負には一般向けと戦士向けの札が二つある。二つの札の間には、どちらの札の範囲なのかわからない受付が続く。線引きの不明瞭な席に、弓矢を背負った男性がいた。体格は申し分なさそうである。

「あら、あの方は候補になりそうだわ」

 クロアはさっそく人材を発見できたことに歓喜した。そしてなぜかレジィの黄鼬がキィキィと鳴きはじめる。なにかに反応したらしい。

「マルくん?」

 黄色の鼬が招術士の声を無視して、床に下りる。鼬は一目散に弓士の男性のもとへ走った。その男性の肩には茶色の襟巻きが垂れており、その形はレジィの招獣とよく似ていた。

(同じ種類の魔獣かしら?)

 仲間を見つけたとおぼしい鼬の後を、レジィが追う。図らずもレジィの鼬が弓士の足止めをしてくれそうだ。クロアの意思を知るレジィもきっと男性に本題を説明してくれるだろう。そう思ったクロアは合流を急がず、周囲を見物した。


5

 クロアはベニトラを両肩に乗せた状態で、組合内の壁に注目した。そこには組合で取りあつかう業種の説明をまとめた紙が貼ってあった。そのほかに建物の案内もある。クロアが意外だと思ったのは演劇の宣伝などの広告も貼られていることだ。

(海神ローラントの劇……)

 絵本に小説に人気のある題材だ。その演目もまた、ありふれている。

(新劇に困ったらいつもこれなんだわ)

 大昔の記録を基盤にした物語、かつ神族礼賛の面もふくむ内容である。神を信仰する聖王国において、国民全員が一度は見聞きするほどの知名度をほこる。アンペレも聖王国の土地であり、クロアは公演を何度か見たことがある。

(きらいじゃないけど、同じ内容じゃ見なくてもいいわね)

 クロアは広告への興味が削がれた。観察対象を変えると、階段を降りてくる人影が視界に入る。二階は依頼用の受付があるのだと、ついさっき見た案内図に説明があった。

(どこかの工房長さんが人手の募集をしにきたのかしら)

 しかし人影の服装は職人のそれと系統が異なる。杖を持ち、鞄を肩から提げて、帽子を被っている。その風貌は旅人のよそおいにちかい。おまけに上背が高く、そのへんの兵士以上に体格の良い男性だ。有望な戦士の期待を持てるが、同時にクロアは心配も感じる。

(あの方は戦えそうだけど、どうしようかしら)

 組合に依頼をしに来た動機──本人に職務があり、その助けとなる手を借りたいと思ったはず。すでに本業を持ちえている人物が、傭兵になってくれるとは考えにくかった。

 クロアがじっと男性を見ていると、相手と目線が合う。男性の年頃は三十路前。彼もまたクロアに興味深げな注目をそそいでくる。

(ふふん、わたしだって異性の視線をあつめる美貌はあるのよ!)

 そんなふうにクロアは男性の態度を好意的に解釈した。肝心の男性の口がひらく。

「その獣は……魔獣では?」

 彼の関心はクロアの肩に乗っかるベニトラにあった。そうと知ったクロアはやや落胆する。

「え……ええ、そうですの。よくおわかりになりましたのね」

 クロアは普通の動物と魔獣の区別がつかない。レジィのマルは一般的な鼬と見た目が変わらないし、ベニトラも空を飛んだりしゃべったりしなければ猫科の動物だと思える。それらを見分けられる人物とは、一定以上の経験を積んだ術士だという。術の修練を経た副産物として、魔獣特有の魔力の高さを察知できるようになるのだとか。

(と、いうことは……この方は術士かしら?)

 体格に恵まれた術士がベニトラの顔に手をちかづける。

「昔の友人が連れていた招獣と同じ魔力を感じた」

「ベニトラとお知り合いなの?」

「顔見知りだ。貴女がこいつの招術士になったのか?」

「ええ、つい昨日に招獣にしたばかりですの」

「こいつはいつもヒマを持てあましているから、どんどんこき使うといい」

 男性は世間話を終えたと見て、立ち去ろうとした。クロアは咄嗟に声をかける。

「あなた、依頼をお出しになったのでしょ」

 男性が止まった。会話を受け付けてくれるらしい。

「どういう依頼なのか、聞いてよろしいかしら」

「薬草採取……その進捗状況を見にきた」

「どうでしたの?」

「どうも不人気らしい」

「いまはしかたないと思いますわ。最近はこのベニトラが石付きの魔獣になっていて、近辺を荒らしてましたもの。危険に慣れた戦士だって、わざわざ石付きと遭遇してまで薬草摘みはしたがらないんじゃなくて?」

「そうか……それなら自分で採りに行こう」

「あの、ほかにも危険はありますのよ。ちかくに賊の一団がいるとか……」

「問題ない」

 常人ならば無謀な発言だ。その強気さゆえにクロアは関心を持つ。

「あなた、賊を倒すお力がおありですの?」

「自分の身を守る程度にはある」

「では一緒に成敗しに参りませんこと?」

 薬草摘みの男はとまどった。クロアは彼が考えを固めないうちに押しまくることにする。

「わたしはいま、お強い方を探していますの。手練れが五人集まると、アンペレの正規兵が賊退治に乗り出す計画になっております。賊がいなくなれば採取の仕事をこなす人がきっと現れますわ。退治したあかつきには褒賞も出ますし、いかが?」

 渾身の説得だと手応えを感じ、クロアは自慢げに笑う。だが相手は渋面だ。

「悪いが私は人同士の争いに加わるつもりはない」

「人同士って……あなたも人間じゃありませんの?」

「私は半魔だ。貴女なら気付けると思うが」

 クロアは彼が半魔だという告白を自然と受け入れた。しかし、クロアならそれを見抜けるという口ぶりには同意できない。

「そんなの、見てもわかりませんわ。普通の人となんにも変わらないんですもの」

「なに……? 失礼だが、貴女の両親の血筋はどうなっている?」

 質問の意図はクロアにはよくわからない。困惑しながらも素直に答える。

「父、クノードはたしか、三代さかのぼっても生粋の人間で……母、フュリヤは人間の母と魔族の父を持ちますわ。母方の父は、お母さまもお会いしたことがないそうです」

 遠回しに自身を公女だと明かした。地元の住民にはこれで伝わるが、住民ではなさそうな半魔では不確実だ。彼は憐れむような目でクロアを見る。

「アンペレ公の娘か……私の話はすべて忘れてくれ」

「なんですの、藪から棒に」

「魔族とは関わるな。私のような魔族寄りの半魔にもだ」

 それきり男性は速足で立ち去った。その背をクロアが呆然と見ていると、レジィが弓士を伴ってくる。彼女の両腕には黄と茶の二匹の鼬があった。


6

「この人はティオさんって言うんです!」

 レジィは二匹の鼬を抱えながら、弓を携える男性を紹介した。ティオという弓士は思いのほか年少だ。正面から見てみると、青年というよりはまだ少年な雰囲気がある。

(レジィと同じ年頃?)

 クロアは彼を十五歳前後の若者だと思った。その若さでは実戦経験を期待できず、即戦力になるか疑念が湧く。

(でもいいわ、傭兵になれなくても武官として育てられれば……)

 その算段を秘めておき、クロアはティオの意思を確認する。

「ティオさんはレジィから依頼の件をお聞きしましたの?」

「ああ! 賊の集団をとっちめるっていうんだろ?」

「そうなのです。手伝ってくださるのね?」

「やるとも! 弓を活かせる仕事がなくて、がっかりしてたところなんだ」

 少年はやる気満々で答えた。クロアはその気鋭に水を差したくなかったが、必要な注意事項を述べる。

「けれど、無条件で雇うことはできませんの」

「まずは力比べをやるんだってな。弓だと、なにやるんだ? 的当て?」

 クロアは答えられない。今朝、頑固な老爺が試験内容を決めるように話し合ったばかりだ。具体的な試験内容は皆目見当がつかないし、そもそもまだ決まっていない可能性もある。適当なことを言うわけにはいかず、正直に事情を明かす。

「お教えしかねますわ。わたくし以外の者が取り決める手筈になっていますので──」

「じゃあ行くっきゃないんだな」

 ティオはあどけない笑顔でそう言った。クロアも同感だ。ただちに馬車に乗ろうと思ったが、なにかをやりわすれた気がして、足が止まる。

「んー、ほかに用事があったような……?」

 レジィが「組合の人へのたのみごとですか?」と言った。まさしくそれだ、とクロアは膝を打つ思いで従者を見る。

「そうだったわ。戦えそうな人がきたら、わたしの依頼を伝えてほしいとたのみたかったの」

「あたしが話しておきました」

「あら、気が利くわね」

「ティオさんに事情を話すのといっしょに、受付の人も話を聞いてくれたんです。きっとこちらの気持ちは伝わったと思うんですけど、たしかめておきます?」

「今日はいいわ。またきたときにたずねてみましょ」

 クロアはティオの情熱が冷めないうちに移動したいと考えた。さっそく屋外へ出る。組合の庭に停めた馬車へ向かった。車外で待機していたエメリと合流する。

 クロアはエメリに帰宅を要請したかった。だが御者の視線がクロアの後方にあるのを気にかけて、話しそびれた。すると後方から「うわ!」という少年の声があがる。

「なんでエメリがここにいる?」

 ティオはエメリと顔見知りらしい。当のエメリは「勤務中よ」と簡潔に言った。

 クロアとレジィはこの二人の関係を知らないので、会話に加われない。クロアがエメリに仔細を問おうとしたところ、ティオが「だって」と話を続ける。

「仕事中は屋敷の厩舎にいるんだろ?」

「外へ出る用事がなければ、ね」

「外出するときはお偉いさんを送るときだけだって……」

「貴人はあなたの目の前にいらっしゃいます」

 ティオが目を大きくしてクロアとレジィを見る。交互に二人を見たのち、クロアの全身を注視する。

「え? じゃあ……こっちの背の高い女の人が、剛力無双のクロア公女?」

「そのとおり、わたしがアンペレの第一公女ですわ」

 少年は呆けた様子で、事実を飲みこめないでいた。クロアはてっきりレジィが紹介したものだと思っており、彼女の横顔を見つめる。

「言ってなかったのね?」

「あ、そうみたいです……」

「べつにいいわ。自己紹介はいつでもできるもの」

 クロアは次なる紹介をたずねにかかる。

「ところでエメリたちはどういう間柄なの?」

 エメリが「夫の弟なんです」と答えた。クロアはその続柄に違和感をおぼえる。

「エメリの夫は馬具工房の跡取りでしょう。その兄弟も職人になるのではなくて?」

 工房の息子が戦士を目指す、という事態が現実に無くはないだろうが、アンペレの通論では少数派だ。エメリは「おっしゃることはもっともです」とクロアの認識を肯定する。

「ティオは家業を手伝いたくないんですよ」

「あら、職人にならないつもりなのね」

「はい。昔から学舎の訓練場で矢を撃ったり、友だちと剣の稽古をしたり……体をうごかすのが好きなんです」

「じっとしていられない性分なのね。なんだかよくわかるわ」

 クロアもティオと同様、武芸を好む。その性情をよく知るエメリはなつかしそうに笑う。

「お嬢さまもお裁縫や楽奏の練習より、武術の鍛錬を好まれましたね」

「まあね、戦うことがわたしの天職だと思っているもの」

「ティオも、そうなのかもしれません。うちの弟のいい稽古相手でしたよ」

 エメリには歳の離れた弟がいる。彼は将来有望な武官だ。この町における数少ない優秀な戦士である。そんな人物と親しく稽古に励んでいたというティオも、同等の強さが期待できるかもしれない。そう思ったクロアは「よくわかったわ」と機嫌よく答えた。


7

 クロアたちは馬車へ乗った。クロアは荷物の隣りに座り、クロアの対面にティオがいて、その隣りにレジィが座った。レジィが抱いていた二匹の鼬は車内で解放される。鼬たちは互いの招術士の間でころげまわった──とクロアは思ったが、ティオが招術士だという確証がないことに気付く。

「この茶色いイタチは、ティオさんの招獣?」

「ああ、ドナっていう名前なんだ」

「女の子みたいな名前ですわね」

「そう、メスだよ。レジィの招獣はオスだし、そのおかげですぐに打ち解けたのかもな」

 ティオはクロアの身分を知ってなお、同世代の知人のような態度でいる。クロアは自分を対等な存在に見られる分には不快を感じないので、そのままにした。

「しっかし、公女さまが兵士の勧誘をしにくるとは思わなかったなぁ」

「わたくしも正直おどろいておりますの。いままで外出に制限がかかっていたものですから」

「そうだよな? 公女が外出するっていったら、悪者退治をするときばっかだって」

「ええ、その認識でだいたい合っていますわ」

「今日の外出も賊を退治する関係で、公女さま直々にやってるのか?」

「そのとおりですわ」

「そんくらいはほかの役人がやってもよくないか?」

 ティオが至極正当な意見を言う。なにかと戦う役目はクロアでなくては失敗に終わることがあっても、人材の確保はちがう。公女以外の者でも遂行できる仕事だ。

「公女さまが直接やらなきゃいけないほど、人手がいろいろと足りないのか?」

「勧誘くらいは人員を割けるはずですわ。けれど一部の高官が賊の掃討に難色を示していますの。交渉の結果、わたしが戦士を集めて、その高官が試験を課すことになりました」

 ティオは口をとがらせ、不満をあらわにする。

「わるいやつらを懲らしめちゃいけねえのか?」

「騒ぎが大きくなるまでは様子を見る、ということらしいのです」

「最初に被害に遭うやつがどうなると思ってんだ。物は盗られて、ケガさせられるっていうのに」

「出兵を渋るのにも事情がありまして……それはそうと、ティオさんのことをうかがってもよろしいかしら?」

「ん? なに?」

 少年はころっと表情を変え、真顔でクロアを見つめてきた。クロアはティオとの会話をしていく中で、生じてきた疑問を告げる。

「あなたは官吏登用試験に参加なさらなかったの?」

 アンペレでは年に二度、大々的な官吏の募集をかける。冬から春にかけた時期に文官、春が始まる時期に武官を一斉に登用するのだ。文官は行政を担う一般文官以外にも、学官や医官などの業種を分けて試験を行なう。一方、武官は一律一兵卒から始まり、基礎的な修練をこなした後で個々の適性と希望を考慮した配属に変わる。募集資格には年齢の下限も上限もない。それは種族によって成熟の早さ、寿命の長さが異なることを考慮しているためだ。

 実家がアンペレの工房にあるティオは毎年挑戦の機会があった。ティオはしょぼくれた様子で、足元に置いた弓矢を見る。

「親が許してくれないんだ」

「どうしてです?」

「口すっぱく言うんだよ。『兵士になったら痛い思いをするだろう、運が悪けりゃ死んじまうだろう。そうまでして金を稼ぐ理由があるのか』ってね」

 工房の主が言うと説得力のある主張だ。安定した稼業が手近にあるのに、ほかの仕事に手を出すのは理解しがたいだろう。まして命の危険が及ぶ職種ではなおさらだ。ティオへの反対意見はアンペレ住民の総意とも言える。それゆえこの町では兵士が足りなくなるのだ。

「それは正論なのでしょうね。この町の武官職は不人気ですもの」

「でも、だれかがやらなきゃいけない仕事だろ?」

「はい、必要としていますわ」

「戦う能力がオレに足りてないならあきらめはつくよ。まだためしてもいないのにダメだと言われるんじゃ、納得いかない」

 ティオは一時的な傭兵の仕事だけで満足する少年ではなさそうだ。永続的な従事を希望しているようにクロアは見受ける。

「……ティオさんは、正規の武官になりたいと思っていらっしゃる?」

「ああ、親が認めてくれたらね」

 言ってティオが「あ、そうだ」となにかひらめく。

「『公女さまにたのまれて兵士になるんだ』と言えばいいのか」

「わたしのおねがいで?」

「そうだよ、武芸達者な公女さまがオレを見つけてくれたっていうなら、親もだまるさ」

 ティオの見解はまちがいではない。クロアはたしかに組合でこの少年を戦士として見い出した。だが実際にあった出来事の順番は多少前後している。

「最初に傭兵の話を持ちかけたのはレジィですけどね」

 レジィは黄色い鼬を両手で持ち上げる。

「マルくんが声をかけるきっかけだったんですよ」

「そうだったわ、そのイタチがまっさきに駆けていったのよね」

 女性二人が事実を修正していく。ティオは自分に都合のよい誤認をしていたと婉曲的に言われ、少々むくれる。

「じゃあなんだ、オレはイタチの縁で兵士になったと言えってか?」

 彼は自身の膝の上に伸びてきた茶色の鼬をつついた。クロアはふふっと笑う。

「冗談ですわ。イタチとレジィがいなくても、わたしはティオさんにお声をかけるつもりでしたもの」

「べつの人を誘ったあとで?」

 クロアはティオの言葉の意味がわからなかった。ティオは「男の人と話してただろ?」と言う。

「体の大きい人だったな。あの人には傭兵の話をしたのか?」

 クロアはようやく自分が勧誘に失敗した一件を思い出す。

「そういえばわたし、薬草採取を依頼しにきていた男性と話してたわ」

「あの人さっさと行っちゃったし、ダメだったみたいだけど」

「ええ、断られてしまいましたわ。仕方ありませんわね、あの方は戦いがお好きではないようでしたもの」

「戦いが好きな人は薬士くすりしをやらなさそうだしなー」

 クロアは半魔の男性との会話を想起してみた。その内容は募兵に関するやり取りのみ記憶にのこる。彼の去り際の勧告はもう頭から消えていた。


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