六章 閉じた学校

1

 拓馬たちは職員室へ足を踏み入れた。室内は普段通りに机や事務用品がならんでいる。だがその使用者たちの姿はない。

「先生たちもいねえか。どうなってんだ?」

「災害がおきて、避難したってこと、あるかな」

 二人の掛け合いを、赤ゴーグルを被る者が「あっはっは!」と高らかに笑い飛ばす。

「平和ボケした発想ですね」

「赤毛さんはなにがあったのか知ってる?」

 異邦人は突然口を真一文字に閉じた。「赤毛?」とつぶやくなり拓馬たちに背を向ける。ゴーグルのふちをつかみ、上へずらした。そして赤く長い髪を一房にぎる。

「たしかに赤いですね」

「いつもは髪が赤くないの?」

 ヤマダがたずねると「ええ」と肯定の返事がくる。

「ま、大したことじゃありません」

「よくあることなの?」

「たまにあります。変化の失敗ですね」

「『へんげ』って? 赤毛さんは本当は人じゃないの?」

「はい。びっくりしました?」

「ううん」

 ヤマダがあっさり否定した。暫定的に「赤毛」と名付けられた者は口をへの字にする。

「おやまあ、つまらない反応ですね」

「だって、普通の人だったほうがびっくりする見た目だもん」

 失礼なことをヤマダが言い放った。自覚があるのか赤毛は「それはともかく」と受け流し、椅子を二つ持ってくる。

「二人とも、ここにお座りなさい」

 それは教師が使うキャスター付の椅子。生徒はあまり座る機会がない。勝手な使用を咎める者は現在いないため、拓馬とヤマダは遠慮なく椅子に座った。

 赤毛自身は立ったまま、机の上を物色しはじめる。その机はシドの仕事机だ。

「さて、アナタたちはいろーんな疑問を抱えているでしょう。『学校にいた人はどこにいった』だの『さっきの黒い怪物はなんだ』だの。それらのナゾを逐一解説する時間はありません。本気で助かりたければ、余計なことはやらないように。よろしいですか?」

「いまのあんたが余計なことをしてないか」

 拓馬が赤毛の家探し行為についてツッコんだ。赤毛は得意気に「これは必要な探索です」と言い張る。

「このあたりから怪しいものを感じます」

 赤毛が机の引き出しを引っ張る。その引き出しに鍵口がないので、鍵はかかっていないようだ。それなのに赤毛が両手で引き出しのくぼみをつかんでも、開かないでいる。

「……これ、開きませんねえ」

 ヤマダが椅子に座った状態で机に接近する。

「物が詰まってて開かないのかも。わたしがやってみる」

 ヤマダは右手で引き出しを、左手で机の縁をつかんだ。深く呼吸する。そうして「ふんぬ!」とドスの効いた掛け声をあげ、全力で右腕を引く。引き出しが勢いよく開かれた。中にあった文具が飛び出す。ペンやのりなどが散るや、ヤマダが奇声をあげる。

「えー、カンタンに開くじゃなーい!」

 ヤマダが怒り気味に「わざと開かないフリしたの?」と問い詰めた。

「わざとではないんですが」

 赤毛が弱々しく答える。その言い分は本当らしかった。

「じゃあ開き方がわからなかったんだね」

 人の生活に慣れてないんでしょう、とヤマダは赤毛の不手際に理解を示した。

 拓馬とヤマダは床に散らかった文具を集める。その際、拓馬は文具類ではない小さなガラス瓶を拾う。瓶には紫色のガラス片が入っていた。

「それです、それ!」

 赤毛が嬉々として言う。

「その石くずの効力が、この異空間を創る補助になっていそうです」

「そもそもが『異空間』ってなんだよ?」

 だいたい、赤毛は拓馬たちの疑問に答えると言っていながら、まだなにも説明していない。しびれを切らした拓馬は「そこから教えてくれ」と要求した。赤毛が「噛みくだいて言いますと」と前置く。

「ここはアナタたちの知る場所ではありません。似せてつくった別物です」

「学校のニセモノなの?」

「そうです」

「ここまで似せるの、普通はできないよ」

「そうです、普通じゃないのですよ」

 赤毛も教師用の椅子に座り、足を組む。

「この空間は……アナタたちの世界の、どこの土地にも存在しません」

「どゆこと?」

「術者の創造力で生み出した箱庭……といったところでしょうか。その箱庭に我々は閉じ込められています」

 突拍子ない説明だ。拓馬らが事態を飲みこめなくとも、赤毛はなお続ける。

「アナタがたの世界にいながら、これほどの術を使ってみせるとは……よほど用意周到に準備したのでしょう」

「準備ってどんな?」

「例えばいまお嬢ちゃんがもっている石くずと同じものが、この空間のどこに設置されているかと思われます」

「その石を壊したら、どうなる?」

「空間を維持できなくなり、我々がこの場を脱せるかもしれません」

「じゃあ石をさがしたらいい?」

 拓馬もそう思ったが、赤毛は「いいえ」と首を横にふる。

「それは最終手段です。最初から試すには危険が多いですね」

「どんなふうに危ないの?」

「どの世界にも属さない異次元に放りだされる可能性があります。アナタたちがそこへ迷いこんでしまえば、どこへも行けず、あとは死ぬしかないかと」

 一か八か、という賭けに相当する行為のようだ。安易にやれない手段だと、拓馬たちは肝に銘じた。

「ですから、正規の手順をふんで、帰るべきです」

「手順ってなに?」

「この空間のぬしが知っているはずです。その者に出してもらいます」

「おねがいして、出してくれるものなの?」

 わざわざ特殊な空間を創った動機には、なんらかの目的達成があるはず。もしその目的が拓馬たちの監禁だというなら、そのような願いが聞き入れられるわけがない。

「無理にでも言うことを聞かせますよ」

 特別強そうには見えない赤毛が、自信満々に言ってのけた。


2

 拓馬は赤毛の話を聞くうち、以前にシズカが教えてくれたことを連想する。

(特殊な空間とか得意なフィールドがどうとか……シズカさんが言ってた気がする)

 そういった異空間をつくる技がある、とシズカが述べていた。彼の説明と赤毛の話には似通った部分がある。そこから考えられることは、ひとつ。

「あんた、異界の生き物なのか?」

「ええ、そうですよ」

 赤毛はすんなり認めた。その風貌がこの世の者とかけ離れている点もふくめ、拓馬の予想通りだ。拓馬は「そうか」と淡泊な反応を示した。一方、ヤマダは感嘆の拍手をする。

「おぉ~」

 やんわりとした歓声をあげた。手品でも見せられたかのような反応だ。

「だったらさ、シズカさんは知ってる?」

 ヤマダは無邪気に質問した。たしかに拓馬も気になることではある。シズカは異界でそこそこ名の通った人物なのだと、シズカ自身が言っていた。

「そういうあだ名の人は知っていますよ」

「そう、本名じゃないんだってね。ほかにもシズカさんのことで、なにか知ってる?」

「……こちらでは寺の息子をやっていて、時々念仏を唱えるそうですね」

「うん、当たり」

「アナタのお知り合いなのですか?」

「わたしは会ったことないんだけどね、タッちゃんは友だちなんだよ」

 赤毛が拓馬を見て「ふーん」と淡い関心を示した。拓馬はこの会話をきっかけに、最大の助っ人の存在を思い出す。さっそく彼との連絡をはかる。

「この状況が異界絡みで起きてるってんなら、シズカさんに伝えるか」

「電話、繋がるかな?」

 ヤマダはリュックサックから小型の電話を出す。すぐに「電波がきてないね」と諦めた。赤毛が鼻で笑う。

「ここは外界と隔絶しています。そんなもので他者と連絡は取れませんよ」

「んー、じゃあどうする?」

「空間の創り手を見つけましょう。アナタたち、犯人の候補はわかりますか?」

 拓馬は頭をひねる。異界の知り合いといえば、シズカが呼ぶ獣たちだ。彼らが事前の知らせなしに奇怪な仕業をしでかすことはない。シズカの仲間以外で、拓馬たちと接触がある存在──拓馬たちが躍起になって捜した男だ。

「……あの大男か。シズカさんは異界の住民だと言ってたな」

 目星のついた人物はいる。それを知った赤毛は口角を上げる。

「ほう、どういった経緯で接触しました?」

「そいつは何ヶ月かまえにこの町に現れて、人を襲っていた。襲うといっても、気絶させるだけな。俺らがそいつを捕まえようとしたけど、逃げられっぱなしだ」

「その男はこちらで生き延びるために人を襲ったんでしょう」

 赤毛はまたもシズカと同じ見解を述べる。

「われわれの栄養源は生き物の活力です。でもワタシは奪いませんよ。見返りが少ない人間の多いこと……苦労に見合いません。吸収したぶんがすぐに消費されて、仕舞いには食事目的で活動するようになります。それでは世界を渡ってきた意味がなくなる。ですからワタシは力が尽きないうちに、元の世界へ帰ります。行き帰りは慣れれば楽なのでね」

 赤毛の言い分はおおむねシズカの説明と合致する。赤毛はうさんくささ満点なやつといえど、真実を述べたのだと拓馬は信用した。

 拓馬が赤毛を見直した矢先、赤毛がヤマダの頭からつま先までを観察した。やはり不審なやつだ、と拓馬は嫌悪感をもった。

「……アナタから補給していれば長居できそうですかねえ」

「わたし?」

「急に体が重く感じたり眠気が強くなったり、そういった不調は続いていますか?」

 赤毛は医者の問診らしき質問を出す。ヤマダは「最近よくある」と答えた。

「原因はアナタの精気が何者かに奪われたせいでしょう。経験則で言わせてもらうと、ワタシは常人に見えない姿で活動できます。その状態なら家屋などの障害物は物ともしません。無防備なアナタに近づくくらいは簡単にできます」

「あ、うん。それはだいたい知ってる」

 ヤマダが既知情報であることを告げると、赤毛は肩をすくめる。

「シズカさんから説明されましたか……」

「うん。それで、大男さんのことだけど……赤毛さんはここで、背の高い男の人を見た?」

「アナタたち以外の人間は見ていません。それらしい人がいそうな場所は見つけましたけど、いまは行けないかと」

「どうして行けないの?」

「口で言うよりも見たほうが早いですね。その場所へ行ってみますか?」

「わたしは行きたい。タッちゃんはどう?」

 赤毛の長話を聞いていても物事は進まない。拓馬も「行ってみるか」と同調した。赤毛が席を立ち「ついてきてください」と言う。拓馬は追おうとするが、手にした小瓶の処遇に迷って、踏みどどまる。赤毛が言うには小瓶に入った石が、この空間を生み出す道具らしい。そんな怪しげなものを持っていてよいのか不安になる。

「あんたが探してた瓶はどうする?」

 戸外に立つ赤毛が、体の側面を室内に向ける。

「お好きなようにしてください。それ自体は異空間の形成に使われなかった余りのようです。持っていても害はないと思いますよ」

「好きなように、つってもな」

 ヤマダが「わたしがあずかるよ」と手を出した。拓馬は小瓶を渡す。ヤマダは「あれ? これ……」と小瓶を物めずらしげに見る。

「その瓶の中身、めずらしいものなのか?」

「え? あー、そんなことないよ」

 ヤマダは小瓶をスカートのポケットにしまう。二人は先に廊下に出ていた赤毛に合流した。赤毛は二人のまえで両腕を広げる。

「ワタシに掴まってください」

 赤毛の意図はよくわからない。とりあえず拓馬は赤毛の右腕を、ヤマダは左手を握った。

「ちょっと違いますね。一度手を離してください」

 二人の手が離れた直後、赤毛は二人の腰を抱いた。思いのほか赤毛に腕力があり、拓馬たちは無抵抗で抱擁される。

「落ちないように」

 赤毛の足が床を離れる。拓馬とヤマダは足がつかぬ状態にあせり、赤毛にしがみついた。

「さあて、飛びますよ」

 拓馬たちの視界は揺れた。廊下、階段、一年生の教室と、あらゆる情景が認識するより先に消えた。激動する景色が固定されたとき、三人の目前に体育館前の扉がそびえていた。


3

 三人は何秒ぶりかの床の感覚を得た。赤毛が拓馬たちを解放するとヤマダが「本当に飛んだねー」と感嘆する。

「赤毛さんは飛べる術を使ったの? それとも飛べる生き物が人に化けてるの?」

「いまは無駄話をしていられません」

 赤毛は質問を一蹴し、鉄扉の前に立つ。

「ここが怪しい場所です。どうやら札に書かれた文章を解読できれば開くようです」

 体育館の扉には見慣れない大きな札が掛かっている。札には記号の群れが記してあった。記号の下には横長の枠があり、枠の中に六つの縦の溝が等間隔で刻まれる。そこになにかをはめ込むのだろう。そのヒントとなる札の記号は、拓馬には皆目意味がわからない。

「どこの文字だ、これ?」

 拓馬はヤマダにたずねる。彼女は首を横に振って「知らない」と答えた。赤毛が回答役を引き継ぐ。

「ワタシの世界で有名な文字ですよ。しかし綴りはアナタたちの世界の言葉のようです」

「赤毛さんの世界の文字で、言葉はわたしたちの世界のもの?」

「ですから、ワタシには読めません。この文字がアナタたちの言語でいう何語に対応するのかも、説明できないのです」

 八方ふさがりなようだ。拓馬は「だれが解けるんだ、こんなの」と投げやりになる。

「俺らはあんたたちの世界にゃ行ったことないんだぞ」

「つまりこの扉を開く人物はアナタたち以外の者を想定している、ということですね」

「俺ら以外……?」

「双方の世界を解する文化人、でしょうか。なおかつアナタたちとご縁のある人物です」

 該当する人物はひとりだけだった。

「シズカさんならわかるのかな……」

「きっと彼は突破できますよ。文字の勉強をしていたようですから」

「シズカさん用の仕掛け、ってことか」

「彼はここへくるのでしょう。アナタたちが異界の者に拉致されたこと、シズカさんが勘付けるように細工してあると考えられます」

 シズカが救援にくる。その未来がほぼ確定、との推論は拓馬の精神を安定させた。拓馬は友人も同じ気持ちだろうと思い、顔色をうかがう。ところがヤマダは気難しい顔をする。

「んー、待ってるだけってのはねー」

「でも俺たちじゃこの札は読めないだろ?」

「……文字の置き換えが載ってる表があるといいんだけど」

「そんな都合よく用意されてるわけが──」

 拓馬が反論しきらない間に「ありますね」と赤毛が告げた。赤毛は通路の隅にしゃがみ、紙切れを拾い上げる。その紙には札に書かれた文字と同じ種類の文字が羅列してある。文字の横に引いた棒線の先にアルファベットが並ぶ。いままさにヤマダが希望した一覧表だ。

「あ、いいところに! なんかツイてるね」

「ツイてる人は最初からこんな変な場所にこないと思うぞ」

「不幸中の幸いっていうやつだよ」

 他愛もないおしゃべりをしながら二人は一覧表を見る。表は札にない文字もアルファベットに対応していた。ヤマダがメモ帳を出し、札の文章を変換させる。変換後の文章は赤毛の予想通り、拓馬たちが読める英文になる。

「ふーいずごっですおぶらっきねす?」

 ヤマダが読み上げた。音で聞くかぎりの英単語には馴染みがないものの、スペルを見れば文意がわかる。

「神さま……の女バージョンで、幸運の?」

「『幸運の女神はだれか』と聞いているのか」

 文章を解読した途端、赤毛は活き活きとしはじめる。

「ほう! 女神とやらの名前を答えるのですね。この枠が解答欄で、枠内になにかをはめるのでしょう。はめるものはここにありませんから、探さねばならぬようです。枠内の区切りを見たところ、必要となる物は七つありますね。この建物内のどこかに置いて──」

 赤毛は堰を切ったように捲くしたててくる。拓馬はげんなりし、制止をかける。

「ゆっくり言ってくれ。頭がこんがらがる」

「ようはこの札と関連していそうな、怪しい物を探せばよいのです。ワタシに心当たりがあります。ついて来てください」

「また飛ぶのか?」

「いえ、すぐそこですから歩きましょう」

 赤毛がすたすた歩きだした。拓馬たちは早歩きでついていく。ふと拓馬は赤毛の指示に従い続ける状況に疑問をもつ。無駄のない赤毛の行動は、拓馬たちに思考する隙を与えないでいるようにも感じる。その疑いをヤマダも持ったのか、複雑そうな表情を浮かべて「ちょっと聞いていい?」と赤毛に言う。

「七つのなにかが必要だと、わたしたちに会うまえからわかっていたんでしょう?」

「はい」

「それがほかの場所にあると知ってて、どうして集めてないの?」

 拓馬はその通りだと思った。赤毛がわからなかったことは、扉の質問文の内容のみ。その解読以外、赤毛ひとりで処理できたはずだ。

「その理由こそが、アナタたちに協力せざるをえない原因ですよ」

 赤毛は立ち止まらずに言う。ヤマダはそれ以上追究しなかった。現物を見れば疑問が解消すると判断したようだ。二人が赤毛の案内を受けた先は一年生の教室。教卓の上に小さな棚のような木箱がある。赤毛が箱を指さす。

「これと同じものがほかの場所にもありました。アナタ、触ってみてください」

「わたし?」

 赤毛はヤマダを指名した。ヤマダが教壇にあがる。よばれていないが拓馬も付き添う。

 箱の上面には英文が書かれている。その文章の下に横長のくぼんだ枠があった。体育館の鉄扉の前にある問題と似たつくりだ。

「体育館にあった問題のミニチュア版って感じだな。こっちははじめから英語、か……」

 異界の住民による解答を想定していない仕掛けだとわかった。赤毛の口が笑う。

「これでわかったでしょう。ワタシがアナタたちを連れるわけが」

「うん、これは赤毛さんひとりじゃ解決できないね。納得しました」

 二人は赤毛への不信感を払拭した。


4

 ヤマダは教卓に置かれた木箱を持ち上げた。四方から箱の形状を確認する。上へ下へと観察したところ、上面の問題文が普通に読める位置から見える側面──正面側に、取っ手のついた引き出しがある。

「じゃ、引き出しを開けてみるよ」

 ヤマダは引き出しを開けた。中にはアルファベットが書かれた正方形の木切れがある。大きさは二センチ四方ほどの板だ。この木製のピースを使って解答するらしい。

「ピースのダブりはない……みたい」

 解答の道具を発見したのち、拓馬たちが改めて英文を見る。「What belongs to you but others use it more than you do?」と書いてあった。

「問題を訳したら……『あなたのものだけどほかの人がよく使うもの』ってことか」

 拓馬が発した訳文をヤマダはメモに書いた。拓馬は首をかしげる。

「自分以外の人が使う、自分のもの……?」

「んー、哲学だねー」

 二人が考え悩むところを、赤毛がせっつく。

「この箱の枠は木切れ四つ分の空きがあります。当てずっぽうでも正解できますよ」

「そういやそうだね」

 ヤマダが箱の引き出しの木切れを教卓にならべた。木切れに記したアルファベットが見やすくなるよう向きを変えていく。その作業中に彼女がはたと顔をあげる。

「ならなんで赤毛さんは挑戦してないの?」

 適当に木切れをはめればいい、との助言は、最初に箱を発見した赤毛にも適用できる。その正論を、赤毛はめんどくさそうに「アナタはこまかいことを気にしますね」と答える。

「この箱はたまたま枠が短かったのです。ほかには枠の長いものもあります。すべてを総当たりで解くのは無理なので、力技をやるまえにアナタたちの協力をあおいだわけです」

「なるほど。んじゃテキトーに入れてみる」

 ヤマダは試しに「bike」と枠にはめた。箱に変化はない。不正解らしいのを確認し、次は「time」と解答した。またも反応はない。一度解答欄を空にしようとするが、二つ外せなくなった。ヤマダは大げさにうろたえる。

「ピースが、外せない! 呪われた?」

「外せない箇所が正解じゃありませんか?」

「え、あ、そういうことね」

 ヤマダは不動の「me」をそのままにし、リュックサックから辞書を出す。それは試験用に貸与されたものだ。

「語尾が『me』の単語ね……」

 辞書で正解を探す気でいる。紙の辞書での語尾検索は効率がわるい。そんなことをするより、しょっぱな二文字を当てた勘を行使したほうがたやすく正解を導けそうだ。

(まあ、辞書を繰る練習になるか……?)

 ほかの謎解きでは辞書の力が必須になるかもしれない。手持ちの辞書の使い勝手を知るためにも、拓馬はヤマダの好きにさせた。

 のんびりする少年少女のかたわら、赤毛は腕組みをして待機する。赤毛が自身のひじを指でかるく打つ様子は、この非効率的な解答方法にいらだちを見せているかのようだった。

(『時間の余裕はない』とか言ってたっけ)

 職員室での赤毛がそう忠告してきた。それが拓馬たちのためになる、という論調で。

(どうせシズカさんを待つんだし……いそぐ意味あるか?)

 謎解きの数々を考慮するに、ここのボスは拓馬たちに時間をつぶさせたいのだろう。

(こいつがシズカさんに会いたくない?)

 シズカはかつて、こちらの世界へ訪れる異界の者を良く思っていない言い方をしていた。赤毛がその原因となる存在ならば、シズカと出会う際に一悶着起きるのかもしれない。

(こっちによくきてるらしいし、くさいな)

 拓馬は赤毛とシズカの関係性を明らかにしたいと思った。だが直球で聞いてもムダだろう。なので遠回しに雑談をはじめる。

「あんた、なんでそんなにいそぐんだ?」

「こんな場所でくつろぐ遭難者はいません」

「そりゃわかるが、あんたのせっかちっぷりはちょっとヘンだ。ここへ迷いこむ直前に、なんかやりのこしたことでもあんのか?」

「アナタもしょーもないことが気になる人なんですか?」

 また小馬鹿にされて、拓馬はカチンとくる。

「俺にとっちゃ大事なことなんだよ。あんたがシズカさんの敵じゃないかって意味でな」

「おお、剣呑ですねえ。どうすればワタシがアナタたちの味方だと思ってもらえます?」

 赤毛は飄々と返答した。拓馬に警戒される事実を痛くもかゆくも思っていないようだ。拓馬の嫌悪感は深まるが、うまい切り返しが思いつけなかった。

「もー、ケンカしちゃだめだよ」

 辞書をもつヤマダが二人をたしなめる。

「みんなここを出たいと思ってるのは同じでしょ。出るまでは仲良くしよう」

「出たあとになにかされたら?」

 拓馬が不穏な未来を口走る。ヤマダは「そういうのがよくないよ」ととがめる。

「赤毛さんだって言いがかりをつけられちゃ気分わるいでしょ。なにもわるいことやってないんだし。ねえ赤毛さん?」

「ええ、ワタシはアナタたちとワタシが最大限の得をするよう努めているだけですよ」

「わたしたちが用済みになったら襲うってことはないよねー?」

 「用済み」の語感は、ヤマダと拓馬が現在赤毛に利用される状態をほのめかしていた。ヤマダとて赤毛への疑念を抱えているのだ。その感情を表に出さなかっただけで。

 赤毛は口をとがらせて「信用がないですねえ」とつぶやく。

「シズカさんとお知り合いなアナタたちに、大それたことはできませんよ。彼を怒らせるとワタシもしんどいですから」

 切実な主張だ。それは真実らしいと感じたので、拓馬はこれ以上は不問にした。

 拓馬が視線を変えると開いたリュックの中身が目につく。極秘と書かれたノートがある。三郎が手掛けた記録物だ。それはヤマダが根岸宅を訪問したおり、拓馬がヤマダへ譲渡していた。拓馬はもと三郎の私物を手に取った。それを赤毛が注目する。

「思い切りのよい字ですねえ。なにについて書いてあるのですか?」

「大男のことだよ。俺たちがここにいる原因もこいつが……あ」

 拓馬はノートの氏名欄に印字された「name」を目にする。早速解答枠に当てはめた。箱の上面がわずかに浮く。できた隙間に拓馬が指を入れ、蓋をずらす。中には奇妙な文字が書かれた大きな木切れがひとつあった。拓馬が入手したピースをヤマダに見せる。

「アルファベットだと、なんになるんだ?」

「えーっと……『O』だって」

 ヤマダがメモ帳にはさんだ紙を見て答えた。同時に得られたピースが「O」であることを記録する。拓馬はノートをヤマダに返す。

「これのおかげで早くわかった。なにが役立つかわかんねえもんだな」

「『名前』かあ。シャレた答えだね」

 ヤマダはリュックに荷物をしまった。移動できる状態になると赤毛がしゃべる。

「同じ物が六つあるはずです。探しますよ」

 三人はあらたな目的物を求め、教室を出た。


5

 ヤマダはひとつめの箱があった教室を出た直後、廊下の突き当たりへ向かう。

「こういうのは端っこから攻めていこう」

 隣の教室に行くのを赤毛が引きとめる。

「そちらは例の怪物がいました。注意してください」

「そうなの? 様子だけ見ておくよ」

 ヤマダの言動には拓馬も不安を感じた。職員室前ではヤマダが化け物を視認できていたが、ほかの個体も見える確証はない。

「俺がさきに見る。お前じゃ見えないかもしれない」

 拓馬は未確認の教室を戸の窓からのぞく。赤毛の言う通り、黒い化け物がいた。机と机の間で、ぼーっと突っ立っている。職員室前で見たものよりは体が小さいようだ。

「……本当にいるな。見えるか?」

「あ、うん。さっき廊下にいたやつみたい」

 化け物の目らしき緑色の部分が拓馬たちのほうへ向く。人間の存在に気付いたようだがこれといったアクションを起こす気配はない。

「あれは敵意がないようです。部屋の中を探索できそうですね」

「どうよタッちゃん。近づいていいかな?」

「いいんじゃないか。あいつが危険なことをしてきても、にげられるだろうし」

 拓馬は赤毛に視線をやりながら答えた。赤毛は拓馬たちがおらねば脱出が困難な立場にある。それゆえ赤毛が優先的に同行者を守ると予想がついた。赤毛は口元に笑みをつくる。

「ええ、アナタたちに傷は負わせませんよ」

 満場一致し、拓馬が教室の戸を開けた。ヤマダはそろりと黒い化け物に近付く。化け物は視線でヤマダを追うが、やはりその場をうごかない。意を決したヤマダが声をかける。

「えーと、こんにちは。言葉はわかる?」

「……」

「あなたと似た子を見たんだけど、仲間?」

「……」

 反応はなかった。ヤマダが次にかける言葉を模索していると、赤毛がせかす。

「話す意思がないようです。早く次へ──」

「まって……」

 黒い者が口を利いた。かぼそい、子どものような声だ。あるいは女性の声かもしれない。

「うまく、はなせない……チカラ、いる」

「あなたの言う『力』って、なあに?」

「あなたから、もらえる」

「わたしが力をあげたら、話してくれる?」

 赤毛がヤマダの腕を引く。ヤマダは強引な制止を受けたことにびっくりした。赤毛はヤマダの驚愕をよそに、一方的にしゃべる。

「酔狂な提案をしますね。こいつらは人間を貪り喰らうのを生業としています。そんな天敵にむざむざ喰われてやる気ですか」

「手加減してくれるよ。命まではとらない」

「なにを根拠に……」

「この子たちを連れてる……かもしれない大男さんは、人を傷つけたがらないから」

「アナタたちをここへ閉じ込めるまでは大人しくしていただけでしょう。こちらの人間を殺せばシズカさんが黙っていませんからね」

「それもあるかもしんないけど……」

「第一、この者が我々に利益をもたらす保証がありますか。力を奪うだけ奪って逃げるかもしれません。無意味な交渉はよしなさい」

「あぶなくなったら助けてね。赤毛さんならできるでしょう?」

 赤毛は饒舌な口を数秒停止した。無言でヤマダの腕を放し、首を左右に振る。

「アナタは大層なうつけ者だ。せいぜい魂だけは獄に繋がれないよう気をつけなさい」

「んーと……忠告ありがとう」

 ヤマダは不可思議な忠言をいちおう受け止めた。手近な椅子に座り、異形と対面する。

「さ、おいで」

 呼びかけに応じて、黒い体がヤマダを包む。異形の頭部らしき部分がヤマダの顔に接近した。さながら接吻のようだ。拓馬もヤマダもびっくりする。だがヤマダは自分から言い出した手前、この状況をぐっと耐えた。拓馬は目の前の光景について赤毛に問う。

「力を吸い取るって、口から?」

「それが一番手軽で効率が良いのです」

 赤毛は当然のことのように解説した。拓馬が戸惑いつつ感想をぶつける。

「いや、あの、だれにでもチューは……」

「相手は他種族ですよ。アナタは犬や猫相手でも恥ずかしがるのですか?」

「そう言われれば、まあ……」

 拓馬は犬に口をなめられてもなんとも思わない。その行為は友愛のしるしであって、異性への愛情表現とは無縁なものだからだ。とはいえ、人間の言葉をあやつる未知の化け物相手では、やはり受ける印象がちがった。

「あんたの世界じゃよくあるのか、これ?」

「ええ。生まれ持った力や回復力の乏しい者が他者から力を得る行為です。アナタたちが魚や果物を食べるのと同じことですよ。自然や生き物が持つ魔力なり霊力を、活動源にするわけです。霊的な力の出入り口が、口です。ほかにも回復手段はありますが、こちらの説明はいりますか?」

 ほかの方法──拓馬には思いあたる体験がひとつあった。それは大男に体を掴まれた際、体が重くなったときだ。

「別の手段はどんなのがあるんだ? たとえば、相手の体をつかむとか」

「それはワタシの古い知人がやりますね。相手の力を強制的に放出させ、体外に出てきた力を吸収します。効率は悪いそうですよ。提供者の体力を著しくそこなう上に、自身の回復量は多くないとか。もしかして、アナタは経験したのですか?」

「ああ、まえにこのバケモノを引き連れてる大男にやられた」

「なるほど。ちなみにどんな状況でした?」

「その男をとっつかえまえようとしたときだな。ヤマダとほかの友だちも一緒だ」

「ほうほう、ではその大男とやらはアナタたち二人に狙いをさだめているのですね」

 赤毛の推論は間違いではなさそうだが、一か所だけ、拓馬は異議を唱える。

「あの男に一番会ってたのは別の同級生だ。そっちが本命かもしれない」

「この場にはアナタたち以外の人間はいません。その人は部外者じゃありませんか?」

「そうかぁ? その子は外で四回も会ってる。俺は一回だけだし、ヤマダでも二回だぞ」

「遭遇した頻度など些細なことです。犯人はアナタたちの身近にいる者ですから」

 しれっと発された言葉に拓馬は耳を疑う。

「俺らの近くにいる人……?」

「詳しい話は後です」

 赤毛がヤマダに近付く。同時に異形は後方にしりぞく。ヤマダは椅子にもたれたまま、うごかない。赤毛がヤマダの頬をかるく叩く。

「寝てますね。しばらく休ませてましょう」

 赤毛は化け物に視線を投げたのち、教室の戸へ向かった。拓馬は「どこに行くんだ?」とたずねた。赤毛は振り返らない。

「ナゾナゾが書かれた箱を集めてきます。ワタシがいない間、アナタたちはここで待っていてください。危険がせまったなら場所を移してもかまいませんが、庭の向こう側の建物までは行かないように」

「この黒いのは放っておいて平気か?」

 拓馬が化け物を指さした。赤毛はちらりと拓馬たちを見る。

「大丈夫でしょう。人を喰わずにいられる理性があります。ごくまれにいる個体ですね」

 赤毛はいなくなった。拓馬は少々心細さを感じる。なんやかやと赤毛への不信感をぶちまけてきたが、赤毛自身は拓馬たちの身を気遣っている。ヤマダの大胆な行動も、危険だからと赤毛は必死に制止した。たとえこの場の離脱がかなうまでの薄情な協力関係だとしても、現時点での赤毛はいいヤツである。

(キツいことを言わなきゃよかったかな)

 赤毛の人を食った態度が拓馬をカッとさせたのだから、双方に非はある。拓馬は過度な反省をやめた。やることもないので周囲の確認をしに戸口へ向かう。廊下をちらっと見る。なにもいない。危険物は襲来していないと安心し、戸を閉める。室内を振り返ると──

「……え?」

 ヤマダの顔を見つめる少女がいた。少女は褐色の肌と銀色の髪が印象的で、くすんだ緑色のケープを羽織っている。その髪と肌の色は新任の英語教師と似ている。瞳の色も、シドの青とはちがうが異国を髣髴させる緑だ。

「お前、だれだ?」

「しらない。名前、ない」

 少女の返答は簡素だ。その声は、さきほどまで教室にいた黒い異形と酷似している。

「さっきのバケモノか?」

 少女は「うん」と屈託なく答えた。


6

 拓馬は椅子を持ち寄った。自分と、銀髪の少女が座るためだ。拓馬がひとつめの椅子をねむるヤマダの隣りへ仮置きすると、色黒の少女がそこに座った。拓馬は内心、椅子を置く場所をしくじったと思う。もと化け物をヤマダのそばにいさせる気はなかったのだ。

(でもだいじょうぶ、だよな?)

 少女はヤマダの手をにぎる。その動機は不可解だが、ヤマダを好意的に見ているらしい。拓馬は少女の座席をそのままにしておいた。

 銀髪の少女と向かい合うように拓馬が座る。

「お前、シド先生と似てるな。先生と関係あるのか?」

「この見ため、ヤマダがつくったもの」

「ヤマダが? じゃあ……ヤマダがお前を先生に似せたってことか」

「たぶん、そう」

「お前たちみんなが人に化けたら、銀髪とか色黒になるってわけじゃあない?」

「わかんない。ちゃんとした人にばけるの、ひとりだけだった」

「体が大きくて帽子かぶってる男か?」

「うん」

「あいつとお前はどういう関係なんだ」

「おなじ仲間」

「お前たちはなんのためにこっちにきた?」

「人をさがしてる」

 大男だ人捜しをしていることはシズカの調べでわかっていた。目的がなにかは未解明だ。

「その人を見つけて、どうするんだ?」

「しらない。あるじさま、おしえない」

「『あるじ』……あの大男のことか?」

「ちがう」

 大男とその仲間は何者かの指示に従っている。命令を出す者が動機を告げないにもかかわらず、大男たちは命令を完遂しようとする──盲目的な行為に拓馬は危うさを感じる。

「なんでそんなことをさせられるのか、知りたくないか?」

「あるじさま、仲間のためだって、いう」

「たったそれだけで言うことをきくのか?」

「うん」

「だまされてるとは思わないのか?」

「おもわない。あるじさまも、おなじ仲間」

「そいつも黒い化け物か」

「うん。ちょっとだけ人っぽいけど、ほとんどいっしょ」

 黒い化け物たちのリーダーも同じ生き物。その事実をふまえつつ、質疑を続ける。

「あるじってやつの言うことをきいていて、お前たちにいいことがあったか?」

「仲間は、たぶん、いいんだとおもう」

「お前はどうだ?」

「わかんない」

「じゃあ命令きかなくたってよくないか。なにも得しないんだからさ」

 少女の表情がくもった。はじめて人間らしい感情を見せている。

「……それすると、あるじさま、かなしむ」

「命令にさからった仲間がいるのか?」

「かえってこなかった仲間、いる」

「どんなやつだ?」

「『だれかをころしたい』ってねがいをかなえる仲間」

 少女は物騒なことを平然と言ってのけた。赤毛の言うように危険な生物たちなのだろう、と拓馬は警戒を強める。

「そいつは、なんで殺しの代行をしてた?」

「人さがしのついで」

「殺し屋はどこに行ったか、わかるか?」

「うん、ここにいる」

 少女がヤマダの手をゆする。ヤマダに憑りついている、という意味か。拓馬はヤマダの幼少時から存在するクロスケかと解釈する。

「ああ、あの黒くて丸いやつか……」

 しかし少女はきょとんとした顔で「ちがう」と否定する。

「そっちは、しらない」

「え? また別のやつがいる……?」

「うん。仲間、ヤマダのなかにかくれてる」

「表に出てこないのか?」

「どうかな……たぶん、できるとおもう」

 できはするが普段はしない──その説明によって、クロスケとは別種の存在がヤマダに内在するのだと拓馬は認識をあらためる。

「そいつはなんでヤマダに憑りついてる?」

「うんとね、ヤマダにおねがいされたって」

「一緒にいよう、てか?」

「そんなかんじ」

 ヤマダは人外に寛容な性分だ。そのように化け物を受け入れる発言をすること自体は彼女らしい。だが、なにゆえ他者の命をうばう化け物と鉢合わせしたのだろうか。

「それはわかった……でも、お前の仲間はどういうわけでヤマダに会ってたんだ?」

「ころそうとした」

「え……ヤマダがだれかにうらまれてる?」

 信じがたかった。ヤマダは他人に憎まれるようなことはしない人間だ。そんなイヤなやつなら拓馬とて友人になっていない。

「いったい、だれがそんなことを……」

「ヤマダはしらない人」

「どういうことだ?」

 拓馬はますます混乱した。知りもしない人間から憎悪されることがあるのか。有名でない一般市民ではありえないことだ。

「あのね、ミスミをうらんでるみたいなの」

 ミスミとはヤマダの母の名だ。彼女は娘以上に気立てがよく、気遣いもこまやか。こちらも他者から殺意を抱かれる人物ではない。

「母親のほう……? もっとわかんねえぞ」

「よくわかんない……でも、そのせいで、ミスミの子ども……しんでいった」

 少女はうつむいた。彼女なりに仲間のしでかしたことを反省しているようだった。拓馬はどう声をかけていいかわからず、だまった。

(それが本当なら……ヤマダの兄弟が早死した説明はつくけど……)

 なぜ今日ヤマダに会ったばかりの者にわかるのか、拓馬はその疑念を解消しにいく。

「いろいろ納得はいった。お前はそれをだれから聞いたんだ?」

「仲間がきいたのを、おしえてもらった」

「あの大男にか?」

「うん、あと、いまはちょくせつきいてる」

「いまも?」

「ヤマダのちかくにいると、ヤマダのなかにいる仲間とはなせる」

「だからお前がヤマダにくっついてるのか」

「うん」

 少女がヤマダと手をつなぐ理由がわかった。物言わぬ異形の代弁を少女が務めるいま、拓馬はヤマダのための質問をしておく。

「お前が話してるやつは……ヤマダをどうするつもりなんだ?」

「なにもしない。いっしょにいるだけ」

「それでそいつは満足してるのか?」

「うん、いごこち、いいみたい」

「これからだれかの命をねらうことは?」

「ない。もう、イヤがってる」

「殺しは、やらないんだな?」

「うん、やりたくないことだって、やっとわかったんだって」

 身近な異形は無害だ。拓馬は一安心する。

「そうか……だったらいまのままでいい」

「いっしょにいて、いいの?」

「ああ、ヤマダも俺も、気にしない」

 少女はヤマダの顔をのぞく。しばらくしてから拓馬を正視する

「ありがとう、だって」

「仲間が、そう言ったのか?」

「うん」

「なんだ、意外と世渡りのうまいやつだな」

 拓馬が半分冗談で言う。少女は「そうかなぁ」とふたたびヤマダの顔を見つめた。


7

 コンコン、と教室の戸が叩かれた。戸の窓ごしに赤毛の頭部が見える。赤毛が入室してくると、その片腕には箱が二つ抱かれ、さらにその箱の上に箱をひとつ乗せていた。

「一時、置きます。これ以上は運びにくい」

 赤毛は拓馬たちのそばにある机に箱を置く。

「嬢ちゃんのほうは昼寝中ですか?」

「まだ起きてない。箱の問題は俺が解くよ」

「そうですねえ、この問題文の翻訳と答え探しをアナタに任せましょうか」

 赤毛は箱をひとつ拓馬に見せる。設問は「What is the longest sentence in the world?」とある。

「こちらはたくさん文字数がいりますから、ちゃんと答えを考えねばならぬようです」

 解答欄は二段にわたるほど長く、勘では説けない設問だ。それはよいのだが、拓馬は赤毛の依頼の仕方に引っ掛かりをおぼえる。

「なんで俺に『問題を解いてくれ』とは言わないんだ?」

「箱の引き出しを開けてみてください」

 赤毛が箱を拓馬に渡した。拓馬は箱の側面にある取っ手を引く──が引けなかった。力を強くこめてみるも、引き出しは騙し絵かと思うほど、当初の出で立ちを保っている。

「なんだ、これ……」

「ワタシとアナタでは開けられないようになっているのですよ」

「そんなことが……あ、職員室のアレか?」

 職員室にて、赤毛が開けられなかった机の引き出しをヤマダが開けていた。それと同じ理屈だろうと拓馬は察した。

「ええ、アレです。くわしいことは箱を集めたのちに話しましょう。アナタは箱の問題が適度に解けたら、娘に化けた怪物から有益な情報を聞き出してください。ここで足止めを食らった元を取らねば」

 赤毛は残りの箱を探しに出かけた。室内はまた三人だけになる。銀髪の少女は依然としてヤマダの手をにぎっている。彼女のほうから拓馬に話しかける様子はないので、拓馬は箱の問題に集中する。取得した箱のうち、問題を見ていない二つを確認した。ひとつだけ、問題が日本語の文章で書かれている。ただし解答は英語でせよ、との英文が添えてあった。

(日本語で考えなきゃ答えられない問題、か?)

 その異様な設問は「学校にある音の鳴らない楽器はなに?」とあった。この一文で矛盾が起きているが、これはクイズだ。

(こういうのはヤマダが得意そうだな……)

 この問題も解答欄が二段に分かれている。答えを考えるのは後回しにした。

 次なる箱は英文にて「What letter is a parts of the body?」と記述してある。その解答欄はなんと木切れひとつ分しかない。

(これは勘で当てられるか)

 アルファベット二十六文字を一通り当てはめればよい。真剣に取り組まずとも解答できそうだ。これも後回しにする。

 結局、赤毛の提示した箱が拓馬向けの問題だった。翻訳のメモをとるため、ヤマダのリュックサックから文具類を拝借する。彼女がよく使い捨てにするメモ用紙に、原文を書きだした。そして「世界でもっとも長い文はなにか」という訳文を記す。まちがいのない訳のはずだが、これでは意味がわからない。

(長い文……? 長いセンテンス……)

 長い名前、であれば日本には有名な寿限無のくだりがある。しかし解答欄を見るに、そこまでの長い名称を必要としていない。

(上の段が四文字で、下の段が八文字だな)

 つまり文字数での長さは問われていない。

(文以外にも『長い』と表現するもの……)

 拓馬は頭で考えていても限界があると感じ、辞書にたよる。この問いで主軸となる言葉はセンテンスだ。その単語を調べる。

(なんかそれっぽいのないかな)

 単語の説明文に目を通したところ、拓馬が認識していた語義とは完全に異なる意味が記載してあった。

(『刑罰』……そんな意味もあるのか)

 用例には物々しい文章がならぶ。その中に「life sentence」という言葉があった。

(『終身刑』……永遠につづく、刑罰だな)

 解答欄にちょうど合致する熟語だ。拓馬はひとりでクイズを解けたよろこびを感じたものの、答えの言葉の重さゆえに、辞書を開くまえのかるい気持ちが吹っ飛んでいた。

(いまの俺らも、そんな立場じゃないか?)

 自分の意思では外に出られない場所に監禁されている。この状態がいつまで継続するのか、だれにもわからない。そういった現状ゆえにこの解答が他人事とは思えなかった。

 とはいえ、拓馬は問題をひとつ解けた。ヤマダの解答がスムーズにできるよう、訳文の修正と答えの綴りをメモ用紙に書き写す。それが終わると次の箱を手にした。だが、銀髪の少女が視界に入るとべつの考えがうかぶ。

(こいつに聞いたらいろいろわかるかもな)

 なぜ拓馬たちを閉じ込めたのか、どうやればこの場を出られるのか。そのような基本的な質問をまだ行なえていない。謎解きに一段落ついたいま、拓馬は質問を再開した。


8

「なあ、俺たちっていつになったらここを出させてもらえるんだ?」

 拓馬は自分たちを監禁した者の縁者に問う。銀髪の少女はヤマダに寄り添ったままだ。

「わかんない」

「あの大男はお前にも教えてないのか?」

「うん……」

 少女がうなずいた。知らないのなら仕方ない、と拓馬は別の質問に切り替える。

「あいつはどこにいるんだ?」

「いちばん広いへや」

 拓馬は学校でもっとも広い一室がどこかを考えた。図書室、職員室、食堂、校長室、道場など、一通り思い浮かべてみたがどれもピンとこなかった。一番面積の広い場所はグラウンドだが部屋ではない。その次に広い場所は体育館。現在は扉が開かない箇所だ。

「体育館を部屋って言うか……? まあいいや、その男はそこでなにをしてる?」

「まってる」

「なにを待ってるんだ? 俺たちか?」

「もうひとりまってる」

「それはシズカさんか?」

「その人のつかいがくるんだって」

「『つかい』?」

「きたよ」

 教室の戸からコツコツと固い物が当たる音がした。拓馬が音の出所へ注目すると白い烏がアクリル窓をつついていた。その烏はシズカの仲間だ。拓馬は助けがきたのだと心の中で歓喜する。即座に席を立ち、烏を教室へ入れた。烏はヤマダの近くにある机に着地する。その足には細長く折りたたんだ紙が結んである。拓馬がその紙を広げる。差出人不明だが、拓馬宛ての手紙だった。

≪タクマくんへ。ヤマダさんを守らせていた子と連絡ができなくなった。その子は毛が白くて首に鈴を付けた狐だ。ヤマダさんの近くにいるだろうか? 返信求む。≫

「……キツネって……」

 拓馬はヤマダを見た。彼女を護衛する狐はいない。そもそも今朝から狐は見ていなかった。試験中にヤマダが襲われたことはシズカに伝えてあり、現在は日中もヤマダを守る手はずになっている。姿を見せなくとも付近にいるもの、と拓馬は楽観視していた。だが狐がシズカと連絡を取れないのなら、狐は正常な状態ではないことになる。

 拓馬はこのことも少女にたずねる。

「……お前は白いキツネを見たか?」

「うん」

「いまはどこにいる?」

 少女は「あのへん」と中庭を挟んだ校舎の上部を示した。反対側の校舎の二階だろうか。

「キツネがどうなってるか、わかるか?」

「生きてないし死んでもない」

「どういう意味だ?」

「ヤマダかシズカ、もとにもどせる」

「なんでその二人なんだ」

「そういう力、もってるから」

 少女は正直に話しているのだろうが、拓馬の要領を得ない。

(引き出しの開け閉めができるのと、関係あるのか?)

 拓馬や赤毛にはできないが、ヤマダにできること──いまのところ、特定の机と箱の引き出しの開閉はヤマダの特権となっている。それ関連の能力かと拓馬は心に留めた。

 突然、烏が拓馬の手をつついた。返信を書け、と催促しているらしい。

「あ、わるいな。いま返事を書くよ」

 拓馬はヤマダの文具を用い、メモ用紙に現状報告を書く。狐は姿を消したこと、自分たちが妙な学校に閉じこめられたこと、狐はこの閉じた空間の中にいるらしいことを記した。紙を折りたたみ、烏の足に結ぶ。役目を達成した使いは羽ばたき、飛び去った。

(無事にとどけてくれよ)

 拓馬はそう念じた。あの烏が拓馬たちの生命線であると信じて。

 烏が通ったあとの戸は開けっ放しである。拓馬は廊下の様子を確認したのち、引き戸を閉める。シズカと連絡がとれた歓喜のせいか、戸を強くうごかしてしまった。ドンという音とともに戸が反動する。拓馬は力加減をまちがえたことを反省し、そっと戸を閉めた。

 拓馬が出した物音のせいだろうか。ずっとうつむいていたヤマダの頭がうごいた。拓馬は彼女の私物を使ったことを伝える。

「お前がねてるあいだ、紙とペンを使わせてもらったぞ」

「……んー? あれ、居眠りしてた?」

 寝起きの生徒が頭を上げた。ヤマダがはじめて少女姿の化け物と対面する。ヤマダはわずかに身を引き、驚愕した。少女と手をつないでいることに気付くと、もとの姿勢にもどる。だが見開いた目は変わらない。

「あー……そうだ、大変なことになってるんだったね」

「ああ。でもシズカさんの使いがきたんだ。ちょっとは状況がよくなるぞ」

「それは心強いね。……あれ?」

 ヤマダは席にもどってきた拓馬の顔を見る。

「そういえばわたしのそばに白いキツネがいるんだっけ。その子はどうしてるの?」

「今朝から見てないんだ。シズカさんも、連絡が取れないと手紙に書いてた。んで、そいつが言うには、向かいの校舎の二階あたりで捕まってるらしい」

 拓馬が「そいつ」と称した銀髪の少女を指し示す。ヤマダは少女の顔をまじまじと見た。元黒い化け物だった者へ向けた視線は、しばらく経つと拓馬へ移される。

「この子が、さっきの黒い子?」

「そうだよ、お前がこの姿を想像したからこうなったんだとさ」

「たしかに、声が女の子かなーと思ったのと、シド先生を思い出しちゃって……」

「なんで先生のことを思い出してたんだ?」

 ヤマダは口ごもった。「なんでって……」と少女と見つめ合う。

「ほんとは試験の時間なのに、こんなことになっちゃって……先生、心配してるかなーと思ったんだよ。そんな想像で、この子が人間に変身できるんだね」

 やや早口でヤマダが答えた。本心とズレた理由を言っている、と拓馬は直感する。

(ほんとうは先生が化け物の仲間だって、思ってんじゃないか?)

 いまにして思うと、追試のはじまるタイミングで異変が起きたこと、謎解きの数々が英語を使用する二点は怪しい。これらは新任の英語教師を騒動の原因だと疑える事実だ。

(わかってても、認めたくないのか……?)

 その気持ちがわからなくはなかった。あれほど友好な関係をきずいてきた相手が、自分たちをあざむいていたとは信じられないのだ。

 拓馬は彼女を傷つけぬよう、あえてヤマダのごまかしの言葉にのっかる。

「シズカさんの猫はいろんな人間に化けられるっていうからな。異界の連中はわりとカンタンに人に化けるもんなんじゃないか?」

「化け猫と一緒かあ……ところで、この子の名前は聞いた?」

「ないらしい」

「んー、ないのは不便だね。パッと思いついたところで……」

 ヤマダは首をひねった。十数秒が経過したのちに少女を正視する。

「黒人女性歌手に、本名がエリノーラという人がいたの。ほかに偉い女性のなかでエレノア・ルーズベルトという人もいてね。そこからとって、エリー。仮にそう呼んでいい?」

 少女は「うん」と二の句を告げずに快諾する。あっさりしたやり取りだ。

(こいつ、けっこう素直だな……)

 少女の従順さをを逆手にとって、大男の計画を根掘り葉掘り聞き出すことはできる。だが赤毛が教室の戸をがらがらと開けて入室したため、その聴取は中断さぜるをえなかった。


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