七章 収集

1

「箱を集めてきましたよ。解答は任せます」

 赤毛は両手に持った箱をヤマダ付近の机に置く。あらたに現れた箱は二つだ。

「二個か……さっきあんたが持ってきたのは三個で、一個はとなりの教室にあったから……全部で六個だな」

「あとひとつは持ちはこべない場所にありました。ここにある箱を処理した後、ナゾナゾを解きに行きましょう」

「了解。んじゃ、やってくか」

「よーし、どれから……て、あれ? タッちゃんがもう解いたのもあるの?」

 ヤマダは紙が乗る箱に注目した。その紙は拓馬がメモ書きしたものだ。

「ああ、答えらしい答えはわかったんだけど、まだピースをはめてなかったんだ」

 解答権がヤマダにのみ与えられている、との事実を伝える間もなく、ヤマダは「ほかのもさきに答えを考えようか」と言う。まずは一通りの答えの候補を挙げる、というやり方で拓馬が取り組んでいると考えたらしい。

 二人はどの問題から取りかかるか選定した。そこを赤毛がヤマダに話しかける。

「アナタだけでも問題は解けそうですか?」

「んー、イケると思うよ。文章は初歩的だし、試験より簡単」

「それは結構。しばし一人で解いてもらえますか。坊ちゃんに知らせることがあるので」

 ヤマダはすっかり謎解きに集中しており、「いいよー」と生返事をした。

 赤毛と拓馬は教室の後方へ移動する。少女はヤマダの隣に座ったまま。赤毛は少女がこちらに関心がないのを確かめ、拓馬の着席を促した。拓馬は素直に椅子に腰を下ろす。だが赤毛の話が始まるまえに「聞きたいことがある」と先手を打つ。

「あんたは言ったよな。犯人は俺らの身近にいるやつだって」

「ええ、そうですよ」

「なんでわかった?」

「まずはひとつ確認しましょう。ここへ入室する前のアナタの言葉から察するに、アナタは精神体の異界の者が見えるようですね?」

「俺は幽霊もごちゃ混ぜに見える。どっちがどの世界のやつだか区別できやしない」

「つまり、アナタが学校にいる間に不審な幽霊がうろついていれば、すぐに発見できますね。頻出するようなら、シズカさんに伝えて対処してもらうのではありませんか? そして、その連絡をアナタはしなかった」

「そうだけど、だからなんだって言うんだ?」

「この学校は異界の者が創出した偽物です。似せるには、隅々までよく知る必要があります。ですからこの昼間の建物内を再現するに至るまで、異界の者が潜入を繰り返したことになります。それにアナタが気付けず、我々は現在まがい物の学舎にいる」

 赤毛の主張は、現状におちいった原因が拓馬にあると言いたげだ。その意見は不快だが一理あり、「俺がにぶくてわるかったな」と拓馬は嫌々ながらも認めた。赤毛は「反省しようがないことですよ」となぐさめる。

「アナタが鈍感なのではありません。異界の者がアナタをうまくだましていたのです」

「それが、身近にいた人だっていうのか?」

「教師、職員、学生、なんでもよろしい。それらになりすまして日常的に学舎に入り、この空間を生み出した。そう考えると無理がないでしょう?」

 赤毛の推論はもっともらしかった。拓馬は異議をとなえず、赤毛の話を継続して聞く。

「この国は戸籍管理が厳重だそうですね。簡単になりすますにはこの学校に所属する人を殺害し、その人に化けるのがよいでしょう」

「さらっとムゴイことを言ってくれるな」

 拓馬が残虐性のある仮説に難色を示した。赤毛はその非難を無視する。

「しかし、中身が別人になっていてはそのうちボロが出ます。最近、性格が変わった知り合いはいますか?」

 拓馬は赤毛の軽薄な態度に嫌気がさすが、必要な質疑ゆえに返答をとどこおらせない。

「いないな。けど、三か月前にこの学校にきた人がいる。その中で怪しいのは……」

 拓馬は銀髪の少女に目をやる。彼女は銀髪の教師に似た姿に変化した化け物。その姿はヤマダが想像したものだ。ヤマダが少女に、新任の教師に共通する特徴を与えたわけとは──ヤマダが例の教師を、黒い化け物の一味だと疑う思いが具現化したのではないか。

(でも、決定的な証拠はないんだよな)

 状況的に不審な点が多いとはいえ、まだシドが黒幕だと決定づける段階ではない。

(あいつは、見つけたんだろうか?)

 拓馬が見逃した証拠を、ヤマダは発見しているかもしれない。それを問いただしてよいものかどうか、迷いが生じる。話の途中で沈思黙考した拓馬に対し、赤毛は不敵に笑う。

「怪しいのはだれです? 嬢ちゃんには言いませんから、安心して言ってください」

 拓馬が黙した理由はヤマダにあると赤毛は思ったらしい。当たらずとも遠からずだ。拓馬は不確実な推論で返答する。

「……今月で退職する英語の先生だ」

「エイゴ、というと箱に書かれた言語は?」

「英語だよ。扉の問題文も、綴りは英語」

「では犯人はその教師で決まりですね。退職するのは、あとで逃走するためでしょう。あの娘を捕えるためにずいぶん回りくどいことをしたものです。潜伏の期限がせまってきたので事を起こしたのでしょうが、多大な労を割いてこの場に囲った目的とは……」

 赤毛が言葉に詰まったかと思いきや、「ああ、そうです」となにかを思い出す。

「アナタは箱の引き出しのことを気にしていましたっけね。どうして嬢ちゃんには開けられるのか、知りたいですか?」

「ああ、まあ……」

 赤毛はにんまり笑い、「考えられる理由は三つ」と語りはじめた。


2

「一つ、術者が彼女限定で開けられるよう細工した。判別方法は彼女の掌紋なり生体反応なりあるでしょう。二つ、箱になんらかの術がかかっていて、その術を解除する能力を彼女が備えている。これは稀にいます。たとえばシズカさんはその力を持っています」

「シズカさんが……?」

 シズカとヤマダの二人だけができること。拓馬は少女が告げた狐救出の条件を思い出した。赤毛が三つめの話に進むのを、拓馬は手を上げて止める。

「さっき、あの女の子が言ってたんだ。シズカさんが俺たちを守るために送ったキツネが、ここに囚われている。そいつを助けるために、シズカさんかヤマダの力がいるって」

 これはその能力が関係してるのか、と聞くまえに赤毛は「そうですか」と答える。

「では二つめの仮定が正解ですね。なるほど、奴らも本能バカばかりではないようです」

 赤毛は高笑いした。それが長く続いたので、

「漫談やってるの?」

 とヤマダがたずねてきた。拓馬は「俺は真面目な話をしてる」とつっけんどんに返した。

 赤毛がひとしきり笑った。拓馬は赤毛が落ち着いたのを見計らい、奇行の意味を問う。

「どこが笑いのツボだったんだ?」

「いえね、なかなか斬新な方法を思いつくものだと感心したのです」

「斬新?」

「このナゾナゾの数々はおそらく、彼女が本当に能力者なのか確かめる最終試験なのでしょう。合格したあかつきには異界に連れこみ、その力を悪用するものと思われます」

「鍵の開け閉め程度の力じゃないのか?」

「その応用です。例えばこの空間に囚われた狐。その状態は異界の処刑方法の一種です」

 処刑、と聞いて拓馬は背筋がぞっとする。だが少女は狐を「死んでもない」と説明していたので、そこまで酷い状況ではないのだと自身に言い聞かせた。

「大罪人は悪しき魂を所有する、と考えられていましてね。死刑にした罪人が生まれ変われば、また罪を犯すのだと人間は思っています。それゆえ生死のない次元に閉ざし、二度と悪事を働かせないようにするそうです。そんな極悪人が、機密情報として隠された場所に眠り続けるのです。その連中を解き放てば、世界は大混乱に陥るでしょうね」

 赤毛の話は突拍子がない。事の重大さが実感できない拓馬をよそに、赤毛は話を続ける。

「ほかにも使い道はありますけど、知りたいですか?」

「いや……べつにいい」

「そうですか。では今度はワタシからアナタに聞きますね」

 まだ赤毛はしゃべるつもりだ。拓馬は精神的に疲弊してきたが、内容の要不要が不明なうちは耐えておくことにした。

「ワタシがここへもどるときに白い烏を見かけましたが、アナタの所にきましたか?」

 これは必要な情報伝達だ。拓馬は烏が訪問してきたときの状況を思い出す。

「ああ、シズカさんの手紙を届けてくれた。手紙には、白いキツネと連絡が取れなくなって、いまどうしてるかと書いてあった。返信はしたから、こっちの状態が伝わってる」

「ではじきに彼もきますね。それまでに七つのナゾナゾをすべて解けると良いのですが」

 赤毛は視線をヤマダに移した。ヤマダは木切れをあちこちに置いては並べなおす作業を繰り返している。赤毛はまだ時間がかかると思ったらしく、ふたたび拓馬を見る。

「そうそう、先程言いそびれた、彼女が引き出しを開けられる三つめの理由ですがね」

「まだしゃべるのかよ……」

 拓馬は長話にげんなりしている。赤毛は動じず「まあ聞きなさい」と会話を強行する。

「ワタシは彼女に一定の望みを叶える権限が与えられたのだとも考えました。扉の問題文を見た彼女が言ったでしょう、『文字の置き換えが一覧になった表がないか』と。その言葉の通り、表がそばに落ちていました。あれはワタシが初めてあの場に立ったときも、我々三人がきた直後にもなかった。あのとき、彼女の思いを反映して用意されました」

「たしかに出来すぎなタイミングだったけど……なんで監禁した側が俺らを甘やかす?」

「よい質問ですねえ」

 疑問をもらした直後、拓馬は自分から赤毛におしゃべりのネタをやったのだと後悔した。

「論理的な思考で言えば、ズルを認めても最終的な結果に差がないと判断したのでしょう。希望をちらつかせてからの絶望は見物ですし、自信家がやる手です。力量を把握できない三下はそれで足をすくわれるわけですが」

 赤毛が悪役の心境を洞察する。その指摘には説得力があり、赤毛自身にも身に覚えのある思考のようでもある。

(こいつがそういう悪人なのかもな)

 と、拓馬が邪推するかたわら、赤毛はおもしろくなさそうに口元をゆがませる。

「……感情的な見方をすると、怪物の親玉は彼女と接触を重ねるうちに情が湧いたのでしょう。我々人でない者にも感情はあります。自分に良くしてくれる対象には、すくなからず愛着が出てくるものです。そのせいで非情になりきれないのだとしたら、悪党には向かない相手だと言えますね」

 赤毛は対極な犯人像を打ち出した。そのどちらが真相に近いか、拓馬は決めあぐねる。

(先生……どっちも当てはまりそうだな)

 犯人候補の教師がかつて不良少年に見せた冷徹ぶりは前者、平時の穏やかな人柄は後者に思えた。とりわけヤマダに対しては親切そのもの、徹底して優しかった。

「ま、敵の心中は考えなくてよろしい。嬢ちゃんを上手に誘導すれば我々に有利になる、とだけ思っていてください。ワタシからは以上です。ほかに、アナタがワタシに聞きたいことはありますか?」

 拓馬は気が乗らないものの、質問すべき謎が残っていないか模索する。赤毛の話には、ヤマダに知らせないほうがよい話題が多かった。彼女が箱の問題に熱中する間に話し合っておくべきことはあるか。そのように考えを深めていくと、あらたな疑問が出る。

「あんたの世界じゃ、だれでも自由に見た目を変えられるのか?」

「だれでも、とは言えませんがよくあることです。ワタシ自身、時と場合によって体の大小を変えます。それがどうかしましたか?」

「俺らをここに閉じこめたやつが先生だろうってことはわかった。それとは別に、ヤマダに手を出してきた男がいて……」

 赤毛が手を打ち「ああ、大男と言ってましたね」と主旨を理解する。

「その大男は偽教師の別形態ではないか、と思うわけですね?」

「どうせなら同じ人であってほしい、って願望だな。どっちもすごく強かった。もし二人同時に戦うことになったら、シズカさんでも勝てそうにない」

「ワタシがいれば敵が何人でも同じですよ」

 赤毛は自信満々に笑い飛ばす。その自信がどこから来るのか、拓馬にはわからない。

(口だけでなけりゃいいが)

 と拓馬が疑う最中に「終わったよー」とのんきな声が飛んでくる。

「そっちの話は済んだ?」

「ええ、次のナゾナゾへ行きましょうか。そこまでワタシが運んであげます」

 赤毛は銀髪の少女にゴーグルを向ける。

「アナタも一緒にきますか?」

 少女は「ひとりでいく」と断った。それは後で拓馬たちに合流するとも、別行動後の再会はしないという意味にもとれた。少女のそばで、ヤマダが机上に散乱した文具と木切れをまとめる。拓馬も片付けを手伝うと、机上に出た木切れが箱五つ分もないことに気付く。

「もしかして一回一回、片付けてたのか」

「うん、箱とセットになってるピースでなきゃ認識しない仕組みかもしれなかったから」

「ありえそうだな。でも最後に解いた分はほっといていいんじゃ?」

「んー、ここまできたら最後もキレイにしときたい」

 二人がいらぬ片付けまで行なう中、赤毛は一足先に廊下へ出る。拓馬はちらっと少女を見る。彼女はじっとヤマダを見つめていた。

 ヤマダがリュックサックを背負うと、拓馬の手をとる。

「次いこ、次」

 ヤマダは空いてる片手で少女に手を振る。

「また会おうね」

 少女はこっくりうなずいた。彼女をひとり教室に残し、拓馬とヤマダは赤毛と合流した。


3

「さあて、行きましょう」

 赤毛が拓馬とヤマダを抱え、二度目の飛行を行なう。またたくまに中庭に続くガラス戸の前に到着した。拓馬たちは慣れたもので、今度は赤毛にしがみつかなかった。

 拓馬は透明な開き戸を押す。反対校舎へ続く経路から横にそれた先が中庭だ。

「この噴水に問題が設置されています」

 赤毛がそう言うので、拓馬たちは噴水へ近づく。噴水は今なお稼働し、水を下から上へと循環させる。流動する水は淡い光を放つ。

「噴水に照明はついてたっけ?」

 ヤマダが非日常的な仕様の噴水を不思議がった。しかし拓馬は別の異物に気を取られてしまい、返答しなかった。

 噴水の縁に大小二つの持ち手付きの容器が置かれている。その付近には札と台が設置してあった。札にはまたも英文が記載されてあった。設問は「Please draw exactly 4 liter of water」。透明な容器のうち、大きいものには目盛りの横に数字で五、小さいものには三と印字してある。

「五リットルと三リットルの水差しを使って、四リットルの水を汲めってことか」

 拓馬が出題を翻訳した。ヤマダは小さい水差しを持ち上げる。

「大きな計量カップみたいだね」

 一リットルを超える計量カップは二人とも見たことはないが、それが卑近な例えだった。

「量ったらどこに置くのかな……この台?」

 ヤマダは水差しを台に置いてみた。なにも変化は起きない。やはり一定量の水が解答に関わる仕組みなのだろう。

「これに水を汲む……手順、知ってるか?」

 拓馬はヤマダと赤毛に聞く。赤毛は「二人に任せます」と非協力的だ。

「若いアナタたちにはちょうどいい遊戯でしょう」

「ジジくさいことを言うんだな」

 赤毛の性別は明確でないが、拓馬は率直にそう感じた。そうこうしているうちにヤマダが小さな水差しを手にする。

「試せばわかると思うよ。三と五以外の水の量にできないかな」

 ヤマダは水を汲み、いったん縁に置く。大きな水差しも縁に置き、その中に汲んだ水をすべて入れた。再度小さな水差しで水を汲む。汲んだ水を大きな水差しの五の目盛りまで入れた。現在水差しには五リットルと一リットルの水が入った状態になる。

「小さいほうは一リットルの水になったね。これを繰り返せば四リットルができる!」

「一リットルをとっておく容器がねえぞ」

 指摘を受けたヤマダは「やっぱそうねー」と笑った。するといきなり真面目な顔になる。

「一足す三は……」

 そのつぶやきによって拓馬も解法を理解した。まず大きな水差しの水を捨てる。空になった水差しを台に置いて支えた。そこにヤマダが一リットルの水を入れる。彼女は小さな水差しに水を汲み、拓馬が支える水差しへ注ぐ。これで四リットルの水が用意できた。

 カチっと物音がする。水差しの下にある台の側面の板が外れ、なにかが地面に落ちる。拓馬が拾いあげた。目当てのピースだ。

「よーし、体育館に入る用意はできたね」

「アルファベットで言うと、どれが集まったんだ?」

 ヤマダはリュックサックを下ろし、異界の文字の置き換え表を出した。表に丸の付いたアルファベットが六つある。その六つは「F」、「A」、「R」、「N」、「T」、「O」。

「印をつけたところがいままで集めた文字ね。ここで手に入れた文字は……『U』」

 そう言うとヤマダは表に丸を書き足した。あとは正解となる綴りがわかれば体育館の扉の問題は解ける。だが体育館へ突入するまえにやり残したことがある。

「さきにキツネを見つけようぜ」

「向かいの校舎にいる子ね」

「ああ、体育館に行くのはそれからだ」

 拓馬は赤毛を見た。赤毛はその機動力で学校中を探索している。囚われの狐がいる場所の見当がついていそうだと拓馬は思い、可能性のある場所を聞こうとした。

「狐など捨ておきなさい」

 この場の脱出のみを目的とする者らしい意見だ。拓馬は赤毛がそう主張するのもわかるため、丁寧な反論を心がける。

「シズカさんの仲間なんだ。生きて返さなきゃいけない」

「空間を生み出した術士をくだせば、もどってきますよ」

「シズカさんならそうするのか?」

 赤毛は口をへの字にする。

「彼は助けにいくでしょうね」

「なんであんたはイヤがるんだ?」

「体育館以外にもワタシが行けなかった場所があります。そこに狐がいるかもしれませんが、我々では到達できません」

「なにが邪魔してる?」

「アナタたちよりも体の大きい蜘蛛です。あれを倒すには戦闘向きな者の力が要ります。この場で協力を仰げる仲間がいますか?」

 拓馬は無理だと思った。自身の体術は人外に通用しない。手助けが望める者といえば、ヤマダが力を分け与えた少女。しかし彼女が戦力になるとは思えなかった。確実な方法とは、シズカの到着を待ちその仲間に戦ってもらうこと。だがこの手段にも欠点がある。

「キツネの救出までシズカさん任せには……ここのボスを倒す力が無くなったら困るぞ」

「だから我々が先んじて空間の主を打倒するのです。ワタシにはできます」

「蜘蛛のバケモノから逃げたやつが、かなう相手なのかよ」

「蜘蛛は視力が弱いのでワタシとの相性がイマイチだったのです。例え真に効き目のない敵だとしても、ワタシが変化を解けば戦えます。あの体育館は広そうですから身動きが取れなくなる心配もありません」

 赤毛本来の姿では廊下や教室が狭すぎるらしい。ヤマダは「赤毛さんは大きい鳥か竜なの?」とたずねた。赤毛がうなずく。

「そういうことです。……ワタシを信じるも信じないも貴方次第です」

 赤毛は拓馬に判断を委ねる。拓馬は赤毛の力量が不足すると疑うつもりはないが、赤毛の提案に乗るのはリスクが高いと思った。やはりシズカが同行してくれれば安心できる。

「俺はシズカさんと合流してから体育館に乗りこみたい。それじゃダメなのか?」

「彼とはあまり仲が良くないのですよ」

「シズカさんはよっぽど悪さする相手じゃなけりゃ、なにもしないだろ」

「悪さをすると思われているから会いたくないのです」

「あんたの日頃の行ないが悪いってことか?」

「平たく言えばその通りです」

 赤毛は悪びれもなく答える。その潔さの手前、拓馬はなにも言う気にならない。

「アナタが彼を待つのならワタシは抜けます。あとはご自由にどうぞ」

 赤毛は拓馬たちが長らく滞在した校舎へと歩き、ガラス戸の付近で立ち止まる。

「ここにはワタシ以外にも招かれざる客がいます。敵意のある者、手助けしてくれる者もいるでしょう。それらを見極めなさい」

 忠告を終えると赤毛は校舎内へ入る。赤い髪が炎のように揺れ、消えていった。


4

 拓馬はヤマダと二人きりになる。現在は自分たちを守る者のいない状況だ。

「行っちまったな……」

 脇腹が寒くなるような、心もとなさを拓馬は感じる。

「お前はあいつと一緒にいるべきだと思うか?」

「いたらたのもしいけど、しょうがないよ」

 ヤマダはケロっとした顔でいる。

「一度、大きい蜘蛛を見てみよう。たおさなくてもキツネ捜しができるかもしれない」

「そうだな。でも危なそうだったらすぐ逃げよう」

 その判断は保身とシズカへの配慮をふくむ。

「シズカさん、俺らがやられてまで仲間を助けてほしいとは思わないだろうから」

 拓馬たちは赤毛が向かった校舎の逆へ進む。一階の廊下にはなんの姿もないので階段を上がる。銀髪の少女が示した場所は二階か、それ以上の階だ。二階を確認して異常がなければ三階に──と画策したのもむなしく、階段の踊り場に白い糸が垂れていた。

 階段にある異物は縄のように太い。階下から見上げた廊下にも、その白い糸は点在する。

「この糸……普通じゃなさそう」

 ヤマダは筆箱から鉛筆を出し、一際太さのある糸にくっつけた。鉛筆を引っ張ると糸が引き寄せられる。その粘度は高く、ヤマダが鉛筆をぐいぐい引っ張ってもはがれない。彼女が何秒か格闘して、やっと糸と鉛筆が離れた。鉛筆には細かな糸が付着している。

「お餅みたいにくっついて、伸びる糸だね」

 ヤマダは糸の特性を検分する。

「これに足を取られたら、逃げられないかも」

「この糸を避けつつ大蜘蛛からも逃げる、ってのはキツいな」

 二人は周囲の環境が自分たちに不利だと確認した。次に警戒対象を発見すべく階段を上がる。階段を上がってすぐの壁に身を隠す。

 先頭に立つ拓馬は廊下の奥を見る。床も天井も、白い糸が張り巡らされていた。その中に、黒くうごめくものを見つける。全身が毛羽立ち、長い足が何本も生えている。尋常でなく大きな蜘蛛だ。

 ヤマダも拓馬の後ろで、蜘蛛を観察する。

「どこかの教室に入るか、反対方向をむいてくれたら部分的に捜せるけど……」

「それで教室を調べられても、出るときにあいつがいたんじゃ立ち往生しちまうぞ」

「じゃ、三階に行ってみる? きっと赤毛さんはここで引き返してて、見落としがあると思う」

「そうしたいが……」

 蜘蛛は拓馬たちのいるほうへ移動してくる。速度はおそいが、侵入者を察知したときの行動は予想がつかない。

「近づいてきてるな。俺らに気付いたら、なにしてくるか……」

「ちょっとタイミングがわるいね。いったん引こうか?」

「そうしよう」

 二人はきた道をもどった。一階に着き、ヤマダが無人の教室を指さす。

「ここの教室から見てく?」

「うーん、そうだな……」

 拓馬は一階にはなにもないと思った。おそらく赤毛はこちらの教室を一通り見ただろう。それに狐の居場所を知る少女は一階を指差してはいなかった。

 拓馬はなんとなく窓越しに中庭を見た。噴水の前に、銀髪の少女が立っている。

「……いや、もう一回あいつにキツネのことを聞いてみよう」

「あ、あの子ね」

 ヤマダは窓を見、中庭へ出た。一時、別行動をとった少女に話しかける。

「ねえ、エリー。また質問してもいい?」

 少女は「うん」と承諾した。

「白いキツネがどこにいるか知らない?」

 拓馬たちがいた校舎の二階を指して「あのへん」と答えた。ヤマダは眉を落とす。

「やっぱり蜘蛛をどうにかしなきゃいけないんだね……」

「バケモノ退治、する?」

「わたしたちにそんな力はないよ。協力してくれる相手がいたらいいけど……」

「強いバケモノ、あっちにいる」

 エリーは拓馬たちの関心になかった場所を指す。そこは一階の校長室のようだ。

「あのバケモノ、仲間をたおそうとするから……うごけなくされた。キツネみたいに」

「確認するけど、そのバケモノは赤毛さんじゃないんだね?」

「うん。ぜんぜんちがう」

 赤毛とは別個体の、異形をたおしうる化け物がいる。そいつがはたして拓馬たちに協力するか、敵となるかは未知数だ。

「あなたがさわったら、おきるよ」

 少女は簡単に言ってくれるが、その行為には危険がともなう。目覚めた化け物が拓馬たちを攻撃するかもしれないのだ。

「……試すか?」

 拓馬は危険性をわかったうえで、ヤマダにたずねた。彼女は緊張気味に「やってみる」と答えた。


5

 二人は校長室へむかう。校舎内は黒い人影の異形が廊下をうろついていたが、さいわい校長室の付近になにもいない。二人は駆け足で校長室前へ移動した。

 校長室の入口には両開きの扉がある。その扉には西洋風な金ピカのドアノブがついていた。拓馬がドアノブに手をかけてみると、鍵はかかっておらず、すんなり開いた。

 扉を開けたなり、拓馬は室内の異物を発見した。校長の椅子に人が座っている。それは学校関係者ではない。袖口を絞った着物の上に、胸から腹を防護する鎧を着た男。頭部は頭頂の後方が膨らんだ頭巾で覆われている。

「戦国武将か? あんまり立派な甲冑じゃないけど」

烏帽子えぼしを被ってるから、もっと昔の人かも」

 二人は武者の様子をうかがう。武者は椅子に腰かけたまま目をつむり、微動だにしない。

「この人、固まってるね」

「さわると目を覚ますらしいが……お前の印象だと、こいつは安全そうか?」

「イヤな感じはしないよ」

「なら悪霊じゃないのかもな……」

「起きていきなり攻撃されたらこわいね。弓を持ってるよ」

 武者の手には弓が、背中には矢筒がある。筒の中の矢数は数本程度。だが人外の持ち物に物理的な数は関係しないかもしれない。ひとたび拓馬たちを敵と認めれば延々射かける危険はある。

「わかった。逃げ道を用意しとこう」

 拓馬はすぐに逃げられるよう、校長室のドアを開いた状態を保つ。

「ここを開けておく。危ないと感じたらすぐに走ってこい」

 ヤマダはうなずいた。そうして武者の向かって右側から近づく。小さな鉄板を繋げた鎧に、指先をちょんちょんと当ててみる。

「本当に鎧だ!」

 ヤマダがはしゃいだ。彼女は次に烏帽子を手のひらでポンポンと触った。だんだんヤマダは物怖じしなくなり、しまいには武者の顎鬚あごひげをぴんぴん引っ張った。

「なかなか起きないね」

 ヤマダは武者の顎をさすりつつ、拓馬を見る。当初の警戒心は完全に消えていた。そんな無防備な態度をとっていると突然、ヤマダの手を、武者がつかんだ。

 ヤマダがびくんと体を震わせ、長い髪を振るう。武者が覚醒したのを、彼女も気付いた。

(こいつはどう出る?)

 拓馬は息を呑んだ。武者は無言でヤマダを見据えている。無礼な接触をしたせいで怒ったか、と拓馬は内心ヒヤヒヤした。

「追いはらってほしい物のもののけがいるの」

 武者に手を握られるヤマダが嘆願する。

「お願い、ついてきて!」

 武者はヤマダの手を放し、矢筒に手をかける。拓馬は武者が攻撃をしかけるのかと思い、「こっちにこい!」とヤマダに逃走を促す。彼女は拓馬めがけて走るが、足を止める。

「タッちゃん、うしろ!」

 必死な呼びかけだ。異常事態を察した拓馬が後方を向く。目の前に黒い異形がいた。拓馬はぎょっとした。あとずさり、ヤマダのもとへ走る。二人は応接用のソファの影に隠れた。

 袋の鼠になってなお、拓馬は逃走経路を考える。武者の後ろには窓がある。そこから脱出できそうだ。しかし窓へ近づくには、武者の注意を逸らさねばならない。武者が異形の相手をする隙をつけばなんとかなりそうだ。

 武者は矢をつがえ、狙いを異形にさだめる。拓馬は声をひそめて「窓から逃げるぞ」と言い、そろりそろりと移動する。二人が校長の机に身を寄せたとき、空気を切り裂く音が鳴った。

 矢が異形を射止める。命中した部分に大きな風穴があく。体を保てなくなった異形は床に沈み、あとかたもなく消えた。一撃で異形を葬った早業に二人は感心する。だが決着が予想以上に早くついてしまった。

「えーと、窓と廊下の、どっちに逃げる?」

 ヤマダが拓馬にたずねた。どちらにしても逃げ切れるとは考えにくい。武者の放つ矢を避ける方法はないのだ。二人がまごついていると武者は片膝をつき、弓を床に置いた。敵意がないことの表れのようだ。

「武者のおじさんはわたしたちを守ってくれたのかな?」

「たぶんな。あとは蜘蛛の住処までついてくるかどうか……」

「よーし、行ってみよう」

 二人が校長室を出る。武者は浮遊して追ってきた。ヤマダの依頼を受けるつもりらしい。

「助けてもらえそうだな」

「それはうれしいんだけど、なにか意思表示してくれたらいいのにね」

 武者は無言かつ無表情。口も堅く閉じていた。

「タッちゃんが見える幽霊も無口なんだっけ?」

「幽霊の声は聞こえないな。俺が小さいころはしゃべってたような気もするんだが」

「武者のおじさんは口がうごいてないから、たぶんわたしたちが『聞こえない』んじゃなくて『話してない』んだろうね」

「言葉が通じねえのかな? 昔の人みたいだし」

「わたしの言葉がわからないんだったら、どうしてついてきてくれるんだろ?」

 拓馬は赤毛の言葉を思い出した。この空間において、ヤマダの願いが実現されるという不思議な力が存在する。それが武者の霊にも適用されたか。しかしその不確かな予想を本人に告げていいものか、拓馬はなやむ。

「心は通じるんだよ、きっと」

 拓馬が適当に答えた。ヤマダはぽかんとする。拓馬らしからぬ発言だと思ったのだろう。しかし彼女は同調する。

「やっぱりハートは大事だね」

 そう言って、握りこぶしを左胸に数回当てた。

 拓馬たちは武者を引き連れ、蜘蛛の住まう区画へ向かう。順路は噴水の前を通る道だ。。そこに銀髪の少女はいない。

「あの子、どこ行ったのかな」

「放っておいて平気だろ。ここは黒い連中のテリトリーなんだから」

 彼女ひとりで行動しても危険はない。同じ仲間がうろつく中、害する敵といえば大蜘蛛と武者だ。蜘蛛は糸の存在でおよその潜伏位置がわかるし、武者は拓馬たちのそばにいるとわかっている。武者を連れて蜘蛛を退治しようとする者の前からいなくなるのは正しい判断だ。

「わたしらといるほうが危険だもんね」

 ヤマダも拓馬と同じ心情に至った。


6

 拓馬とヤマダは無口な仲間を連れて、蜘蛛がねぐらとする校舎にもどった。二階へ続く階段は依然として極太の白い糸で装飾されている。これが大蜘蛛の縄張りだ。その範囲は二つの校舎をつなぐ連絡通路にはおよんでいない。

 拓馬たちが階段をのぼりきる直前、ヤマダが仲間に引き入れた武者の霊が前方へ行く。彼は下向きに矢を弓につがえていた。臨戦態勢のようだ。

(見えてなくても、わかるのか)

 武者はすでに異形の気配を捕捉している。その証に、武者は二階廊下へ出るとすぐさま矢を放った。奇怪な音が響く。蜘蛛のうなり声だろうか。音が止むのを待たずに武者は二本目の矢を撃った。武者は自発的に健闘する。その様子に拓馬の胸がおどる。

「本当にやっつけてくれそうだな」

 拓馬がヤマダに同意を求めたところ、彼女は両手をひざにつき、つらそうに立っている。

「どうした? 調子がわるいのか」

「いきなり、体が重くなってきて……」

「やせ我慢してたんじゃないか?」

 ヤマダは拓馬の足を引っ張るまいと、無理をしていたのかもしれない。なにせ彼女は少女の異形に活力をうばわれていた。その回復が未完全なのだと拓馬は推しはかった。

「ううん、急に、だよ」

「そうか? とりあえず、ここの蜘蛛を退散させたら休むか」

 蜘蛛退治をすぐに放棄してもよいのだが、武者を止める方法がわからなかった。そのため拓馬は物陰から人外の闘争を見守った。

 当初は武者の優勢に見えた。だが蜘蛛がねばり、糸を武者の体にまきつけて、弓攻撃を妨害する。身動きの取れにくくなった武者は跳び、窓へぶつかる──と思いきや窓をすり抜けた。糸でつながっていた蜘蛛もつられて外へ行く。二体の人外は落下せず、すっと掻き消えていった。

(いなくなった?)

 拓馬はあわてて窓に駆け寄る。地面にも宙にも、彼らの姿はない。ひょっとしたらこの窓なら外に出られるのだろうか。そんな淡い期待から窓を開ける。外へ手を出そうとするも、見えない壁に押し返された。

(窓の外は行けないのか?)

 一階は中庭に出られるため、おそらく一階の窓ならこんな妨害はされない。二階以上の高さになると、出入りが禁じられるようだ。

(なんであいつらだけ……?)

 人外たちのみが忽然と消えたことに拓馬は釈然としなかった。だが目下の目的は狐の捜索である。狐捜しをはばむ障害がなくなったいま、やるべきことはひとつだ。

「とにかく、順番に教室を──」

 見ていく、と拓馬が言いかけた。振り返るとヤマダの姿がない。視線を下へずらしてみると、彼女は階段上で突っ伏していた。段の角が彼女の頬に当たっている。

「おいおい、そんなとこで寝るな!」

 倒れるなら床にしとけ、と小言を言いながら、拓馬は介抱しにむかった。以前ジュンがノブにやっていた、意識不明者を運ぶ方法にならう。まずはヤマダの体を仰向きにする。脇の下へ自分の腕を通して彼女に腕組みをさせ、その両腕を持って二階へ引き上げる。彼女が背負うリュックサックを下ろし、上半身を壁に寄りかからせた。

(ここで休ませて、いいのか?)

 安全な場所へ移りたいが、どこが適切な休憩場所だか判断しようがなかった。通常、体調不良の者は保健室で休むものだ。しかし保健室とて異形がいつ出現するか知れたものではない。

(ヘタにうろつくのも危険だしな……)

 人ひとりを運びながらの移動は体力を消耗する。そのうえ、襲撃を受けた際の逃走にも支障が出る。おまけに場所を移動すればするほど、異形との遭遇率も高まるだろう。むやみな移動は避けるべきだ。危険がせまるまでは待機するのが賢明だと拓馬は考えた。

 いつでもうごけるよう、拓馬はヤマダのリュックサックを背負った。横から、上から、下から異形が現れないかと周囲に気を配る。

 視界による警戒を続けて数分が経つ。まだなにも起きない。この後もあたりに平穏が続くようなら、ねむる女子を置いて狐捜索に行けるが──

(でも目をはなした隙をつかれるってこと、きっとあるよなぁ)

 異形は神出鬼没。ものの数秒であっても、連中は無抵抗な人間に接近できるはずだ。

(ムチャする意味はないな……)

 拓馬はおとなしく待機を続けた。


7

 拓馬自身にも若干の睡魔がにじり寄ってきたころ、足音が聞こえた。人のようだ。その根拠は三つ。異形は足を鳴らさない。幽霊は地に足をつけて歩かなかった。赤毛は飛行で移動する。となると、それ以外の人、あるいは人型の異形だ。

(さっきの女の子なら、いいんだが)

 現状、男のほうがくると抵抗すらできずにやられる。拓馬は自分たちに協力的な少女の到来に期待を寄せた。

 足音の出所は連絡通路。拓馬が通路へ一点集中すると、銀髪の少女を発見した。シド及び大男でないことを拓馬はよろこんだ。

 少女は拓馬のもとにくる。ねむるヤマダを見て、不思議そうに拓馬の顔をのぞく。

「こんなところにヤマダをいさせていいの?」

「安全な場所がどこだかわかんねーんだ。お前、知ってるか?」

「はじめに、ここへきたときにいたとこ。あそこがいいよ」

「追試をやる予定だった教室のことか?」

「うん、むこうのすみのへや。あそこはいちばんさかいがうすくなってて、外をこわがる仲間はちかよらない」

「俺らが最初にいた教室が安全なのか……」

 言われてみれば、拓馬たちが気絶している間は何者にもおそわれなかった。それが黒い異形たちにとっての不可侵な領域ゆえか。

「それに、シズカはあのへやにくる。使いがそこからきてた」

 安全圏かつシズカとの合流場所──とくれば絶好の休憩場所だ。

「それを早く教えてくれよ!」

 拓馬は明朗に言い、ヤマダを横抱きで持ち上げた。シドのように軽々とはいかないが、空き教室までは持ちこたえられる。一気に駆け抜けようとしたものの、少女が「わたしがもとうか?」とたずねてきた。

「え……お前が、こいつを?」

「うん」

 エリーは拓馬と同じ持ち方でヤマダを抱えた。そのさまはシドと同じく、重さを苦にしない屈強さがある。拓馬はちょっとした敗北感を覚える。

「お前たちはみんな力持ちなのか?」

「たぶん、そう」

 こともなげに答えられてしまった。少女は先天的な能力の優秀さを誇る様子なく歩きだした。拓馬も空き教室へ移動を開始する。少女のとなりで歩く最中、ヤマダが倒れた原因について少女にたずねてみる。

「武者の霊を連れて蜘蛛を追っ払ったら、ヤマダが倒れちまったんだ。なんでだろうな」

「しえき、してたから、かな」

「なんだ、その『しえき』って。はたらかせるっていう意味の『使役』か?」

「そう。シズカのつかいとおなじ」

 シズカに例えられると拓馬は納得がいった。シズカも、自身の活力と引き換えに異界の獣を呼び出し、活動させている。その関係を構築する術を、ヤマダが意識せずに行なっていた、ということになる。

「あの武者も……ヤマダの力をつかって、蜘蛛と戦ったのか」

「そう。それに、わたしがヤマダから力をとってたせいもあるかも」

 その見解は拓馬もうすうす勘付いていた。ふと、なぜ少女がヤマダの力を欲したのか気になりはじめる。

「そういえば、なんでお前は人から力を吸い取ろうとしてた?」

「おはなし、するため……」

「本当に、それだけか?」

 会話だけなら黒い化け物の状態でもできはしていた。発話がスムーズにいかない不便さはあっただろうが、会話が成立しないほどではなかったと拓馬は思う。

「化け物の姿でもしゃべれただろ?」

「うん……」

「お前が人に化ける目的……俺らと話をすること以外にもあったんじゃないか?」

「わかんない。そうしろっていわれた」

「お前が人に化けると、いいことがあるのか?」

「たぶん、そう」

 少女自身がよくわからないでやっていたことらしい。その目的は司令塔に聞くほかに手立てはなさそうだ。少女に命令をくだす者──そのことに拓馬の意識が向いたとき、とある疑念が再燃する。

(赤毛とは『シド先生が犯人だ』って話をしたけど……確認はとってないな)

 拓馬は確実に少女が知っている質問をしかける。

「お前に指示だしてる仲間って、先生なのか?」

 少女は答えない。そのへんは口止めされているのだろうか。

「もうだいたいわかってんだ。言ってくれてもよくないか?」

「いっちゃだめっていわれてる」

「マジメなやつだな……」

 彼女の実直さはかの英語教師と似通っている。その態度が暫定的な返答としておき、拓馬たちは二階の空き教室に着いた。拓馬は教室の後方の床にリュックサックを置く。

「この上にそいつの頭がのるように、寝かせてくれるか」

 ヤマダを運んできた者は床に両膝をつき、そっとヤマダをおろした。

「手伝ってくれて、ありがとうな」

 拓馬は感謝ついでに、さらなる依頼をする。

「なぁ、こいつを見ててくれないか?」

「どうして?」

「俺はキツネを捜しにいく。そのためにあそこから蜘蛛を追いだしたんだしな」

「できない」

 意外にも少女がきっぱり断る。

「もうじき、シズカがくる。わたしは会っちゃいけない」

「人間じゃないからって、シズカさんは誰彼かまわず倒す人じゃないぞ」

 少女はすっくと立ち、なにもいわずに教室を飛び出した。その動作が俊敏だったために、拓馬が引き止める隙はなかった。

(そんなにシズカさんって、人以外には危険な存在なのか?)

 赤毛もシズカを忌避していた。あちらは裏であくどいことをしていそうなので、シズカに成敗される事態は理解できる。しかし少女のほうはいまひとつ、シズカが打倒すべき意義を見いだせなかった。

 遠ざかる足音を聞きながら、拓馬は幼馴染を見る。

(どうするかな……)

 教室で時間をつぶすか、単独で行動するか。どちらが最善なのか決めかね、ひとまず適当な椅子に座って、考えることにした。


8

 防音部屋のような静寂さの中、拓馬は自分のすべきことを思い悩む。

(シズカさんを待つにしても、ぼーっとしているわけにいかないよな)

 この場でやれること。それは体育館の扉に設置してあった最終問題の答え探しだ。

(七文字の単語を答えるんだっけか……?)

 七つの解答用の小道具はそろっている。しかし解答は未着手だ。おそらくヤマダもまだ答えの候補を見つけていない。

(ちょっくら考えてみるか)

 問題の訳文のメモや、問題を訳す際に参考にした異界の文字一覧表などはすべてヤマダが所有している。それらは、ヤマダの枕として利用中のリュックサックに入れてある。

(枕代わりはやめとこう)

 気を利かせたつもりだったが、結果的に物事を煩雑にするだけにおわった。拓馬は「ごめんな」とつぶやきながら、そっとヤマダの頭を床におろす。彼女の荷物を持ち、席に着いた。必要な文具類一式を机にならべる。そのうちのリング式のメモ帳を開いた。パラパラとページをめくり、この場に関わる記載をさがす。ストンと折りたたんだ紙が机に落ちた。紙を開いてみると、それは異界の文字をアルファベットに置き換える表だった。文字に七箇所、丸が描いてある。

(この七文字……で合ってるか、いちおう確認しとくか)

 拓馬は現物の解答用ピースをさがした。文具類があった収納スペースには見当たらない。リュックサックの外側についた正面ポケットに硬い感触があり、そこのファスナーを開くと文字の書いたピースがあった。鷲づかみで机上へ取り出す。ピースの向きはなにが正しいのかわからないため、一覧表を見ながらととのえていった。

(丸をつけたところ……と対応してるな)

 次にこのピースを使って解くべき問題文のメモをさがす。一覧表をはさんでいたメモ帳に、記載があった。

(幸運の女神の名前……か)

 拓馬には心当たりがない分野だ。

(この答えはたぶん、和名じゃないよな)

 母音は「U」「A」「O」の三つ、母音のまえにつくべき子音は「F」「R」「N」「T」の四つ。「N」を「ん」と読むのなら子音と母音の数は合う。だが「ん」のつく四文字の女神は記憶にない。そもそも日本の神さまは長い名前が多く、四文字では足りない。

(日本で『幸運』っつうざっくりした運担当の神さまはいない気がするし……)

 運は運でも商売運であったり恋愛運、健康運なりと、日本ではよく細分化されている。神さまも分業しているのだ。

(やっぱ西洋か)

 外国の名前ならば、解答に必要とする子音はどれも母音なしで発音できる。どんな配列だろうと名前として読めそうだ。

(総当たりでためすとしたら、何通りになるんだろ?)

 拓馬は適当なメモ用紙を出した。数学でならった計算式を書いていく。

(異なる七つの文字を、一列にならべるのは、七の階乗か)

 七かける六かける五……と続いて二まで書いた。本来の数式では一もかけるのだが、答えを出す際には無意味な計算ゆえに省略した。

(五〇四〇通り……ひとつずつ一秒間でためしたとしても、一時間はかかるな)

 一時間は三六〇〇秒。そうと知っているので大ざっぱな算定が簡単にできた。しかし知らぬ知識はどれだけ頭をなやませてもわかるはずがない。

(シド先生が作った問題だと、いじわるはしてこないと思うんだけどな)

 あの素直な教師ならきっと、どこかに答えを用意している──たとえば彼が拓馬たちに持たせた辞書に。

(箱の問題で一個、辞書に答えが載ってるのがあったな)

 それは拓馬が答えを導いた問題だ。問題文にある英単語を、辞書で調べるだけで解答できた。そんなふうに、辞書を検索すれば見つかる答えなのかもしれない。拓馬は辞書を引っ張りだした。キーワードとなる「God」をさがす。項目はあったが、その用例にそれらしい女神の名前は書いてなかった。

(ダメか……)

 そう何度も同じ手段は通じないらしい。あきらめてほかの可能性を考えていくと、他力本願的な発想に行き着く。

(もしかして、シズカさんが知ってる言葉なのか?)

 赤毛の洞察では、体育館前の問題はシズカ向けにつくられているという。異界の文字で表記した問題文だけでなく、答えもシズカ用であるのなら、拓馬たちの長考は休憩と同じことになる。

(やっぱりキツネを見つけようかな……)

 シズカの到来を恐れる少女の言動をかえりみるに、異形はこの教室に近寄らない、シズカとはもうすこしで合流がかなう。拓馬がヤマダを置いて、狐捜索に出かけてもよい条件はそろっている。

(しばらくここにいて、なんともなかったんだし……)

 拓馬は数分前まで蜘蛛の住処だった校舎を見る。窓越しに確認したところ、蜘蛛も黒い化け物たちもいなかった。

(いまがチャンスじゃないか?)

 拓馬はヤマダ向けの書置きをする。拓馬の不在中、寝起きの彼女が拓馬を捜しに教室を離れる事態はありうる。そうならないよう、配慮した。

 拓馬は紙に「俺が戻るまでここにいろ」と自身の名を添えて書く。その紙をヤマダの腹に置いた。謎解きに使った文具類は帰ってきたときにまた使うと思い、そのまま放置した。

 廊下を出ると、こちらの校舎にも黒い化け物が一体も見当たらなかった。

(あの赤毛がなにかしたのか?)

 拓馬はこの好都合な状況を、別行動する同志がつくりだしたものだと仮説を立てておいた。胸中の謎を処理できた拓馬は連絡通路を通り、白い糸が残る校舎に立った。こちらの廊下を一見したところ、廊下の端と端は糸の被害がすくないようだ。拓馬の位置にちかい末端の部屋は自習用の学習室である。

(こっちのほうは、指差されてなかったな)

 少女が示した狐の居場所を思うに、この階の両端は不在だと直感した。

(普通の教室から見ていこう)

 手始めに直近の教室に入る。室内に糸はなく、異形の姿もない。拓馬は安心して教室を調べた。教卓の下、机と椅子の間、掃除ロッカーの中などをくまなくしらべた。ひととおり目を通して、獣はいないと判断する。

(この教室はハズレだ)

 次の教室に移る。隣の教室は二つあるうちのひとつの戸口に糸が絡まっていた。もう一方の戸は無事だったため、そこから入室する。出入口が片方のみの教室にいて、拓馬は緊張した。

(ここで入口に化け物が出てきたら、どうすっかな)

 自身の状況をあやぶんだが、危険な存在は現れず、杞憂ですんだ。この教室も丹念に捜索したが不発だったため、次へと向かう。

 三つめの教室は戸口が両方とも糸で覆われていた。拓馬は糸の被害が比較的すくない引き戸を左右に揺さぶり、糸をはがす。がたがたと何度も戸をうごかしたのち、入室できた。

 糸で覆われた教室に入ったとたん、教卓の下にある白い物陰が目についた。犬や猫が寝入る仕草のように、丸まったなにか。

(キツネか!)

 拓馬は歓心をおさえながら教卓に接近した。かがんでみるとその白い物体は獣だとわかった。分厚い尻尾はまぎれもなく狐のもの。拓馬は狐をやさしく抱き上げた。狐は呼吸をしておらず、うごいていない。まるで死骸のようだ。だが体の熱は失われていないように感じた。これがエリーと名付けられた異形の言う、生きても死んでもいない状態か。この仮死状態はヤマダかシズカが接触すると解除されるという。

(ねてるヤマダに触らせても、復活するのかな?)

 ささやかな疑問を持ちつつ、拓馬は狐を抱いて空き教室へもどる。白い糸の張った廊下をふたたび行き、連絡通路へ出る。するとさっきまでいなかった異形が床からぬっと顔を出した。拓馬は面食らう。それが一体だけでなく、複数体が一挙に出現したため、足を止めざるをえなかった。黒い物体たちは道をふさいでいるのだ。

(これは突っ切れないな……)

 拓馬は迂回ルートを通ることに決めた。即座に思いついた経路は二種類。一階の連絡通路を通り二階にもどるか、二階職員室付近の連絡通路を通るか。

(階段の上り下りは地味にキツい……)

 体力の温存が図れる、職員室前経路を選ぶことにした。化け物たちは動作の緩慢な連中なようで、拓馬の脚力についてこれず、拓馬は難なく逃走できた。


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