四章 嘗試

1

 拓馬がめざめたのは夕飯時だった。家族はさきに夕食をとっており、寝過ごした拓馬も早々にくわわる。今夜ひかえたシズカとの通話に専念できるよう、夕飯を早めにすませた。ほかの雑事もおわらせるため、犬の散歩を支度したところに、シズカの連絡が入る。いま話せるか、との確認だった。いつも連絡がとれる時間帯より早い。

(しゃーない、シズカさんを優先しよう)

 シズカを待たせても怒られはしないが、助けてもらう身でそんなことはできない。拓馬は犬の散歩を翌朝に延期し、自室へこもった。

 電子機器を起動させる間、拓馬は内省した。夕寝する時間に犬の世話をしておけばよかった、と思う。しかし休養をとらないデメリットもある。集中力を欠いた状態で、シズカの話が耳を通りぬけていくのもまずい。両存はむずかしかったと考え、反省を切り上げた。


 ヘッドホンを装着し、通信を開始する。さっそくシズカは『幻術はどうだった?』と聞いてくる。

『イメージ映像だけど、大男さんの顔は見れた?』

「はい、しっかりと」

『よし、それなら込み入った話ができるね』

「そのまえにひとつ、聞かせてください。どうしてこのタイミングで話すんです?」

 老猫の話ぶりを考慮すると、シズカは大男の経歴について昨日今日知れたわけではない。もっと早くに、拓馬に教えようと思えばできたはず。そのことを暗に拓馬が指摘すると、シズカは『だまっててわるかった』とわびる。

『すこし迷ってたんだ。きみに教えていいかって』

「まようって、なにに?」

『理由をひとつあげると……異界にはちょっとした決まりがある。こちらとあちらは時間の流れが複雑だから、なにかの拍子に未来を知ってしまう人があらわれる。知るだけならまだいい。それで未来を変えようとしたらよくないんじゃないか、という考えのもと、二つの世界に関わる人同士の、不必要な情報交換はしないように推奨されている。その決まりごとに違反するんじゃないか、と思った』

 拓馬はこの言葉に同調できなかった。規則をおもんじるせいで、異界の者による被害が食い止められなくては、納得がいかない。

「そんな決まりを守ってて、だれかがひどい目に遭ったらどうするんですか」

『その指摘はもっともだ。ヤマダさんが襲われたと聞いちゃ、きみに知らせないわけにいかなくなった。きみは猫から、大男さんがどういう人の指導を受けたか聞いたよね?』

「はい」

『じゃあその次にいこう。彼が学びを去って、なにをしていたか──』

 シズカは推測できる大男の来歴を語りはじめる。商家の一家消失事件に関わった犯人、政治家の親戚をねらった誘拐未遂──簡単にいってしまえば人攫いをしていたという。

『彼は人を捜しているみたいだ。どういう人を求めているのか、異界での活動だけじゃ、はっきりしないけどね』

「こっちの世界にきたのも、人捜し?」

『たぶん。あっちでハデに指名手配されたから、ほとぼりが冷めるまでここにいるとか』

 シズカの主張はそれっぽく聞こえた。しかし拓馬はその見方に穴があると感じる。

「ほんとうに、そんな理由なんでしょうか?」

『どうしてそう思う?』

「大男はここへくる方法を学んでいたと、猫から聞きました。人攫いをやるまえから、こっちへきたいと思ってたんじゃないですか」

『なかなかするどいね。実をいうと、拓馬くんの言うとおりだと思う』

 シズカはまたも真相を述べずにやりすごそうとしていたらしい。拓馬はあきれる。

「なんでテキトーなことを言うんです?」

『ウソを言ってるつもりはないよ。彼はスタールという通り名までつけられた犯罪者だ。あちらで活動しにくくなって、こっちへ拠点を移したのも、自然な流れだと思う。でもその動機は進退窮まって、ではなくて、計画を前倒しにしたんだとも思う』

「そいつの捜す人が、ここにいると?」

『そう。きっと、おれがそのひとりだ』

 シズカはさらっととんでもない告白をした。彼が大男の標的。そうと自覚するシズカの落ち着きぶりが、拓馬には信じられない。

「あの、かるーく言ってますけど、かなり危ないんじゃ?」

『ああ、心配しないで。彼がおれを捕まえにくることはないと思うよ』

「そうなんですか?」

『わりに合わないからね。よっぽど彼の得意なフィールドでの戦いをしいられないかぎり、おれのほうが勝率は高い』

「『得意なフィールド』?」

 実態のつかめない、ふわふわした言葉だ。それが物理的な場所を指すのか精神的な領域を意味するのか、発話者の意図によってだいぶ変わる。シズカも適切な表現がしづらいようで、うなる。

『えーっと、なんというか、特殊な空間をつくる術があるんだよ。そこに入ったら、とある条件を満たさないと出られなかったり、その空間にいると特定の生き物がすごく強くなったり、まあいろいろだ』

 補足説明もあまり実感のわかない内容だ。拓馬は卑近な例としてサッカーが思いうかぶ。

「……ホームとアウェーみたいなもん?」

『イメージはそんな感じかな。自分が慣れた場所で戦うのと、知らない土地で戦うのとじゃ、戦いやすさがちがう……てところは』

 これは核心を突いたたとえではなかったようだ。シズカ自身も、超常現象的な物事を拓馬にわからせるのはむずかしいのだろう。拓馬はもっと建設的な質問に変える。

「その空間をつくる術って、大男は使えるんですか?」

『使えるだろうね』

「え」

『向こうの住民がこっちの世界へこれるのは、空間をあやつる術の成果なんだ。彼はその系統の術が得意だというし、やれないことはない』

 緊迫感のない口調だ。シズカの不利をまねく要素が大男にあるのに、なぜ鷹揚にかまえていられるのか、拓馬はやきもきする。

「だったら、ぜんぜん安心できないですよね」

『言っただろう、「わりに合わない」って。その術を仕掛けるにはものすごーく力を消耗するんだ。彼がおれに勝てたとしても、力の使いすぎで死んでしまう』

 つまるところ、危険視すべき事態は実現不可能なようだ。拓馬が知ったところで取り越し苦労になるがゆえ、シズカはすべてを語ろうとしなかったのかもしれない。

「シズカさんは安全なことはわかりました』

『うん、だから心配しなくていいよ』

「シズカさんがねらわれてないなら、いったいだれが標的にされてるんです?」

『いまは言えないな』

 シズカは躊躇なく答えた。拓馬はたずねても秘匿されると思っていたが、食い下がる。

「俺がどういうことをしたら、教えてもらえます?」

『拓馬くんはいつもどおりにしててくれ』

「いいんですか、そんなのんびりしてて」

『まだあわてる段階じゃない。大男さんのほうも、いまはちょっかいを出してみてるだけだろうから』

「ちょっかいって、ヤマダに?」

『いや、きっと間接的におれを挑発してるんだ。きみとおれが繋がってることはバレてるからね』

 シズカに手を出せないからほかの者を利用し、出方をうかがう、という理屈はわかる。ただそれがシズカの知人の拓馬でなく、拓馬の友人をねらうとは、なんともまだるっこしい。

「なんでそんなまわりくどいまねを?」

『はっきりしたことはわからない。彼がなぜ、わざわざヤマダさんの目の前にあらわれたのか』

「『わざわざ』?」

 まるでそうする必要がないと言いたげだ。あの大男は活動力の補給目的でヤマダに手を出したというのだが。

『ああ、知ってると思うけど異界の生き物は体のない状態でうごけるよね。おれはその姿を精神体とよぶ』

 拓馬は自宅にきていたシズカの猫を思い出した。あの化け猫は玄関の戸をするっと通り抜けた。あの状態のことをシズカは言っている。

『あの姿だと並みの家は簡単に侵入できる。物音も気配もなく、ね』

「じゃあ……?」

『彼女が部屋で寝ているところを侵入されて、力を吸われてると思う』

 拓馬は目を白黒させた。ヤマダは普段の素行が奇抜ではあっても、恋愛観が旧日本的な大和撫子である。その身が得体の知れない生き物にどうこうされていると知れば、きずつくにちがいない。

「そそそ、それって婦女暴行ってやつじゃ」

『あー、それはないよ』

 シズカがあかるく否定する。そのトーンのおかげで拓馬は平常心が多少もどってきた。

『彼、そのへんはお堅い考えの持ち主なんだってさ。「一生添い遂げる」と思った人にしか、スケベなことはしないように教育されたんだとか』

「どっからそんな話を知ったんです?」

『きみに送った猫と、おれの知り合いが言ってたよ。ほかにも聞いた話……彼はお色気ムンムンな女性にほだされて、一晩同じベッドですごしたことがあったそうだけれど、なにも起きなかったってさ』

「異性には興味なし、と……」

『そういう感情自体がないのかもね。だいたい、彼は普通の人間じゃない』

「あ、それはわかります。クロスケの仲間じゃないかと、うちの父が──」

『クロスケってヤマダさんに憑いてる子?』

「はい、それです」

『うーん? そうなのかな……』

 シズカは拓馬が出した仮説をもてあましたようで『それはおいとこう』と言う。

『おれの一存で大男さんを放置してたけれど……ヤマダさんが彼の夜間の侵入をいやがるなら、大男さんを追いかえす護衛を出すよ』

「あ、はい……あした、いや今晩のうちに聞いたほうがいいですかね」

『今日は彼がこないんじゃないかな。単独でこっちにきた異界の人が言うには、三日四日はなにもせずに生きていられるらしい。毎日補給しなくても平気なようだよ』

「じゃあ、あしたで……」

 拓馬の直近目標が決まった。拓馬は通話を打ちきる。

(あいつに……どう言っていいもんかな)

 ヤマダへの伝え方を思いなやんだ。口のうまくない拓馬ではソフトな言い方がしにくい。

(深刻にならないように言おう……)

 声のトーンが変わるだけでも話の印象は変わるものだ。重すぎず、かつ不謹慎なほどの軽さもなく、普通でいこうと心に決めた。

 拓馬はモニターにうつる現在時刻を見る。いまはまだヤマダが起きていそうな時間帯だ。本題をもう伝えておくか、それがしづらいならせめて明日話がしたいと連絡しておこうかと考える。だが風呂の順番がきたという催促を受けてしまい、それらの決定は中断した。


2

 早朝、拓馬はアラーム音で覚醒した。部屋はまだすこし薄暗い。一瞬、どうしてこんなはやくに目覚ましの設定をしたのかわからなかった。寝返りをうっていると、昨日自分がすっぽかした家事があることを思い出す。

(トーマの散歩……二回分か)

 飼い犬は多くの運動量を必要とする。朝夕一時間ずつは運動させてやりたい、と父も拓馬も考えている。散歩担当はとくにだれとは決めていないが、基本的に朝方は両親のどちらかが、夕方は拓馬がやる分担になっている。昨夜のうちに、両親には朝の散歩は翌朝自分がすると言っておいた。

 拓馬はぐっといきおいをつけ、体を起こした。てきぱきと外出支度をする。普段の外出時のよそおいとは別に、肩掛け鞄を提げた。中には散歩のマナーを守るために必要なティッシュとナイロン袋の入っている。その姿でトーマに会うと、犬は尻尾をはげしく振った。

 興奮したトーマを連れて、拓馬は玄関を出る。敷地内に設置した、犬の脱走防止用の門扉が閉まっていた。扉を開けようとして拓馬が足を止めると、トーマは三度吠える。散歩が待ちきれない、という意思表示なのだろう。近所めいわくな、と拓馬は苦笑いするも、そうさせた原因は自分あると思った。

 扉を開けはなつ。トーマが引き綱をぴんと張らせた。犬の好奇心がおもむくままに、拓馬はついて行く。トーマはヤマダの家の前を通る。そのまま通過すると拓馬は思っていたが、先導者はくいっと進行方向を変えた。ヤマダの家は拓馬の家のような柵や扉はないので、簡単に敷地内に入れる。

(玄関のまわりくらいなら、いいか)

 普通の訪問客が移動する範囲で、トーマの自由にさせることにした。すると庭先から白い帽子の被ったヤマダがやってくる。

「タッちゃん、おはよう! いま散歩中?」

「そうだけど……

 ヤマダは普段からこんなに早く活動する人ではない。そのことを拓馬は不思議がる。

「タイミングよすぎないか?」

「今日は早起きしちゃってさ、せっかくのすずしい時間だし、庭の手入れをしてた。そしたらトーマの声が聞こえたから『うちにくるかも』と思って、ちょっとまってたよ」

 ヤマダは軍手を脱ぎ、トーマの背をなでる。人間の友にかまわれる白黒の犬は尻尾をぶんぶん振った。

「それで、シズカさんとは話せたの?」

 拓馬は一気に気まずくなる。彼女に言いにくい情報があるのだ。あー、んー、というあいまいな返事をしているとヤマダは「ここじゃ言いづらい?」と聞いてくる。

「……となりの空き家で話そうか?」

「そうだな、おまえんちの人にも聞かれたらまずいし……」

 二人は両家のあいだに立地するお宅へお邪魔した。門扉のかんぬきをいじり、敷地内へ入る。この家の主は現在入院中である。その家族が別居中につき、家の管理は小山田家に託されている。そのため、庭先を短時間借りるくらいはおとがめを受けない。その確信が二人にはあった。

 門扉をもとあったように閉める。拓馬たちは家の裏手にある勝手口の、石段にすわった。周りに人工の遮蔽物があり、人目をさけられる。だれかに盗み聞きされる心配がすくなく、心置きなく話し合える場だ。話す内容が言い出しづらいものでなければ、だが。

 白黒の犬はそうそう立ち入らない庭に興味津々で、引き綱を限界まで引っ張る。見かねたヤマダが「リードはずす?」と問う。

「扉は閉めてきたし、脱走しないと思うよ」

「塀に穴開いてないよな?」

「わんこが通れる穴があったら、ふさぐよ」

 そういう約束だから、と言うと彼女の表情がくもった。家主はこの家にもどってくる可能性が低い状態だ。ヤマダはそのことを案じて、気落ちしている。この話題は続けたくないと拓馬は思い、ストレートに本題に入る。

「シズカさんから、お前に聞いてくれって言われたことがあってさ──」

 拓馬はしゃべりながらトーマに近づいた。トーマは散歩の再開だと思ってか、飼い主と距離をたもつ。このまま歩いては庭をぐるぐる回ってしまう。なので拓馬は引き綱をたぐりよせ、どうにか綱を首輪から外す。束縛するものがなくなった犬は、突風のように駆けていった。

「例の大男が夜な夜な、お前の部屋に入ってきてるらしい」

「わたしの部屋に? なんの用事で」

「その、元気を吸うために、だって」

 拓馬は石段にすわりなおした。ヤマダは「ふーん」と他人事のように相槌をうつ。

「家にカンタンに入れるなら、なんで夜道でおそってきたんだろうね」

 ヤマダは冷静な態度でいる。拓馬にはどうも信じがたい反応だ。

「えっと、いいのか? 無断で男に部屋に入られてて」

「半分幽霊みたいなもんでしょ、その人。気にしてたらキリないよ」

 むかしからヤマダは遠出をするたび、霊を連れてきた。その霊の多くは、時間が経つとどこかへ去る。そんな移り気な霊と、確たる目的をもつ大男が、彼女の中で同等の位置にいる。

(そんな気楽に考えていいのかな……)

 と、拓馬は認識のズレを感じた。彼女がのんきにかまえる原因は、大男の素性を知らないことにあるのか。そう考えた拓馬は、昨夜のシズカから教えられたことを伝えた。

 それでもヤマダは「人攫いねえ」とマイペースな口調でいる。犯罪者の素行を重く受け止めていないらしい。

「わたしをねらってないのかな」

「さあ……何回もおまえの寝込みをねらえてたなら、そのときに連れていけるよな」

「わたしはただの給水地点か……」

 どこか落胆するような口ぶりだ。拓馬はシズカの用件をまだ達成できていないので、ここで本題に入る。

「イヤならシズカさんに助けを──」

「それは遠慮しとく」

 毅然とした拒否だ。なにか根拠があると拓馬は感じとり、「なんでだ?」と聞いた。

「たぶん、だけどね。わたしをわざと襲ってみせたの、シズカさんの力をムダ遣いさせる魂胆かもよ」

「おまえのお守りに、猫とかキツネをつけることが……大男の目的だと?」

「そう! シズカさんは猫ちゃんたちを頼りにしてるでしょ。力を使いすぎて、その子たちをよべなくなったら、ただの人になる」

「いちおう警官なんだけど……」

「ああ、ごめん。普通の人よりは強いよね」

「まあ、あの大男にとっちゃ一般人と変わらなさそうか」

 拓馬が見た大男の瞬発力は尋常でなかった。生身の人間がひとりで組み伏せられる相手ではない。おまけにシズカ自身、格闘は不向きだと自己評価していた。あのような猛者相手だと、仲間のいないシズカは無害にひとしい。

「仲間をよべなくなったところを叩く! そしてシズカさんゲット、でメデタシメデタシする気なんだよ、あの大男さんは」

「一匹お前に派遣した程度で、そうなるか?」

「わたしだけじゃない。ほかにも事件を起こしていけば、シズカさんがもっと仲間をよぶことになるでしょ。大男さんは美弥ちゃんにもまとわりついてるしさ」

 ヤマダの推測はそれなりに筋が通っている。須坂にも護衛を出せばシズカの疲弊は倍になる。おまけに拓馬も標的になりうる立場だ。万全をつくそうとして、複数の仲間を何ヶ月もよびつづけていたら、さすがにシズカも参ってくる。

「どうしたらいいか、わかんねえな……」

 この膠着状態はいささか不愉快だ。相手の出方が読めない以上、受け身になるほかないという無力さが、なさけなくなる。

「こっちから仕掛けてみる?」

 ヤマダが突拍子なく聞いてくる。拓馬は「へ?」とおどろいた。

「ひとりや二人で戦おうとするから、大男さんにかなわないんだよ。数をそろえたらなんとかなるかも」

 大胆な提案だ。しかしそこには重大な欠陥がある。

「運よく捕まえられても……精神体のほうに変身されちゃ、にげられるぞ」

「シズカさんのお仲間を一体借りようよ。大男さんを運べるような子」

「あの人、オーケー出すかな……」

「だれかをわたしのお守りにしていいって言ってくれてるんでしょ。あんまり変わらないじゃない?」

「いや、俺らがムチャをすることがさ……」

 普通に生活していればいい、とシズカは拓馬に言っていた。必要以上に事態をひっかきまわす行為を、シズカが嫌がるかもしれないのだ。しかしその了承しがたい要求が、シズカが確認したい護衛の要不要の返答でもある。

「ダメもとで伝えてみる。それがヤマダの返事ってことにして」

「いま連絡つく?」

 拓馬はズボンのポケットに手を入れた。携帯用の電子機器の感触がある。

「ああ。でも朝早いからすぐに返事は──」

「いまは送るだけでいいよ。二、三日のうちに返事もらえるでしょ?」

「それは大丈夫だ。なにせシズカさんから『聞いてくれ』って言ってきたことだから」

「うん、じゃあおねがいね」

 これで議決が成った。ヤマダは立ち上がる。

「トーマの様子を見てくる」

「あ、ついでにリードをつけてきてくれるか?」

 ヤマダは拓馬がシズカにメッセージを送る時間を活用して、犬とたわむれようとしている。トーマと触れあう隙に引き綱を首輪にかけてくれれば、拓馬はたいへんありがたい。拓馬が単独でやろうとすると、全力の追いかけっこがしばしば起きるのだ。その意を汲んだヤマダは得意気にうなずく。

「いいよ、なんでも雑用はまかせて」

 ヤマダは妙に気前のよいことを言っている。

「この作戦をやるときは、タッちゃんにもがんばってもらうからね」

 ヤマダはいたずらっ子めいた笑顔で引き綱を取った。ろくでもないことをしでかすつもりなのだ。だが拓馬は嫌な気がしなかった。

(俺にも、やれることか……)

 一介の傍観者や中継ぎ役にあまんじなくてよいのだ。自分に現状を変えられるすべがあると思うと、充足感がわいてきた。


3

 シズカの返答は迅速だった。引き綱をつけたトーマがもどってきたとき、機器の受信反応があった。拓馬はただちに内容を確認する。

 意外なことに、シズカはヤマダの無謀な計画に同意した。

『大男さんは紳士だから胸を借りてきなよ』

 とのアドバイスには、やはり大男が強者であり、拓馬たちは完敗を喫するとの認識をにおわせる。その見立てに拓馬の異論はない。ただ、拓馬側の戦力では不足があると見ていながら、派遣する守護者を積極的に戦わせないと宣言する点が奇妙だ。

(止めてもムダだと思われてる……はないよな。まだ三郎は知らないことだ)

 三郎の一途さをシズカは知っている。こういった計画への参加率が高いことも熟知する。中止をよびかけるならいまがチャンスだが、反対に後押しするようにさえ受け取れる。

(いっぺん徹底的にやられれば、おとなしくなるって思われてるのかな)

 さいわい、計画に失敗しても損害の心配はないらしい。その見込みには、シズカの護衛が守ってくれるのも関係するのだろう。

 返信にはさらにヤマダにたずねてほしいことが書いてあった。彼女への護衛を派遣するタイミングは拓馬たちが大男に接触をはかる当日か、今日からがいいのか。そこで拓馬はヤマダに電子文を見せて「どうする?」と聞いた。ヤマダは画面から目をはなす。

「んー、シズカさんに省エネしてもらう方向でいくと、作戦実施日がいいよね」

「だったらいつやるか決めないとな」

「予定は来週の金曜日のつもりだけど……」

 ヤマダはもう算段を立てている。具体的な計画もあらかた構想が練れているのだろうが、人員がいなくては絵に描いた餅だ。

「人を集められなかったらできない、か?」

「うん、そういうこと」

「やれそうになかったらシズカさんに断りを入れる。いまはその予定で伝えておくか?」

「そうだね。はやめに準備するから、ダメだったときはタッちゃんに言うよ」

 ヤマダがトーマの引き綱を拓馬に手渡した。これで会合は終れる。だが拓馬は気になることがいくつもあった。そのうちのひとつ、とくにシズカへの連絡にかかわる事柄を彼女にたずねる。

「なんで来週の金曜日にやるんだ?」

 金曜日は助っ人になりうる人員のひとりが欠席しやすい。その難点をくつがえすほどの利点があるのかと、拓馬は不思議だった。

「理由はふたつ。大男さんって美弥ちゃんが外出した夜に、よくあらわれたでしょ。それが週末だった」

 騒ぎは須坂が遠方からくる姉をむかえる道中におきた。その前例にならうとは──

「じゃあなんだ、須坂にも協力させると?」

「うん、いちばんむずかしそうだけどね」

 拓馬も同意見だ。最近の須坂は当たりがやわらいできたとはいえ、お人好しレベルまでには変化していない。こんな危険なまねをすすんでやってくれるとは思えなかった。

 ヤマダはいかにも難儀そうな顔をして「説得はわたしにまかせて」と言う。

「休みの日は美弥ちゃんがときどき店にくるんだよ。もちろん、わたしが手伝いにいってるとこね。そのときに会えたら話そうかな」

「店にこなかったらどうする?」

「美弥ちゃんの部屋を知ってる人に聞く」

 住所を知らせていない相手が訪問してきては気味悪がられそうだ。拓馬は「それはどうかと思うぞ」と苦言を呈する。

「学校じゃダメなのか」

「もしサブちゃんにバレたら美弥ちゃんぬきでもやりたがりそう。だからなるべく学校の人には知られないうちに説得したい」

「須坂が不参加なら、作戦中止か?」

 拓馬が言外の意図を察すると、ヤマダはにっこり笑う。

「そうするのがいいと思う。わたしが美弥ちゃんに変装してもいいんだけど……大男さんに別人だと見抜かれて、そのせいでうまくいかなかったら、骨折り損でしょ?」

「須坂がいたからって絶対にやつがくるわけでもないぞ」

「そのとおり。だから確率はあげておきたいんだよ。せっかくシズカさんも協力してくれるんだしね」

 シズカの手助けを無駄にしないために、という主張は拓馬の胸にひびいた。万全の態勢をととのえた結果なら、不発でおわっても悔いはのこらない。そういった思考のもと、彼女は須坂の参加を必須事項にしている。腑に落ちた拓馬は「ふたつめの理由は?」と質問をつづけた。

「格闘に強い人がうちの親父と酒飲みにくる」

「俺の知ってる人か?」

「うん、ジュンさんだよ」

 その人物はノブの元同僚だ。豪放なノブと馬が合う程度にはノリのよい人なので、ヤマダの希望を受けてくれそうだ。

「ジュンさんにも話してみるつもり」

「それなら勝てるかもな……」

 彼は戦闘の技巧に秀でる人物だ。本人は自分を普通の会社員だと言ってゆずらないが、拓馬たちは方便だと思っている。その根拠は彼自身の強さにあるが、そのほか、私生活でも暗器を携行する趣味にある。彼の所持する暗器は一応、この国の銃刀法に違反しないものだ。

 ヤマダはトーマの首元を両手でなでる。トーマの首回りは白くて後頭部と背中が黒いことから「マフラーまいてるみたい」とヤマダはよく言う。ヤマダがその毛並みをめでるのに満足すると、拓馬にむけて片手をあげる。

「じゃ、シズカさんのほうはよろしくー」

 そう言ってヤマダは帰宅した。連絡を催促された拓馬は、その場でシズカへの伝達をすませる。この連絡への返信は待たなくてもよいと思い、機器をポケットにもどす。そしておすわりする飼い犬を見た。トーマはじっと拓馬の顔を見上げている。らんらんとした目と口角の上がった口は、いまからたのしいことが起きると期待しているよう。拓馬はその頭をなでる。

「わかってるよ、散歩はちゃんとやるって」

 そのまえにトーマが遊んだ庭の様子を見ておくことにした。損壊がないか、汚物はおちていないかをひととおり確認する。なにも異常がないとわかると、散歩を再開した。


4

 休み明けの放課後、拓馬は数人のクラスメイトとともに空き教室へ移動した。集合目的はヤマダによる大男捕獲作戦の聴講。同席者にはヤマダが協力を打診した須坂もいる。彼女はとくにゴネることなく、あっさり承諾したという。須坂は須坂で、大男が自分を守る理由を気にしていたので、その思いをヤマダが汲みとれたようだ。

 拓馬と須坂以外の聴講者は二人。こういった計画には確実に関わる三郎と、その日は参加できるか未確定なジモンも面白がってついてきた。性格的に参加しそうだった千智は今回欠席する。彼女は親に夜の外出を禁止されているという。そのせいで計画に加われないそうだ。

 拓馬たちは無人の教室に入る。めいめいに席につき、ヤマダひとりは教卓の上に作戦資料の入った紙袋を置いた。袋から大きい紙を出し、広げる。その紙は片面に絵や文字が印刷される。裏地の白いカレンダーのようだ。

 ヤマダは資料を黒板に当てた。紙の四隅を磁石で留める。紙には簡略化された地図が描かれている。地図上の四角い図形の中には、駅と公園とアパートの文字が書かれてあった。

「金曜日の夜に、大男さんを捕まえる計画を発表します。順番に説明するねー」

 参謀が紙の上に磁石を追加していく。増えた磁石には、字を書いた紙が貼ってあった。ヤマダは「父」と書いた磁石をつまむ。

「この日はうちのオヤジが駅前の飲み屋で酒を飲みます。いっしょに飲む人は昔の仕事仲間のジュンさんです。ジュンさんにお願いして、オヤジは酔っぱらった状態にさせます。そして公園のトイレ近くのベンチにオヤジを放置してもらう予定です」

 父磁石が駅から公園へ移動する。次にアパートの上にある「美」と書かれた磁石が公園にうごく。

「美弥ちゃんはお姉さんを迎えにいくふりをしつつ、公園のトイレにむかってもらいます。このときに着けてほしいのがこのバンダナ」

 ヤマダはたたんだ水色の布を美弥に手渡す。美弥は両手で布をためつすがめつ眺める。

「これを、どうするの?」

「頭巾にするよ、こうやって」

 ヤマダは美弥に渡したものと同じ布を出す。布を大きく三角に折り、頭に覆う。布の端をうなじのあたりでむすぶと、頭巾になった。

「オヤジにはまえもって『わたしが水色のバンダナを被っていく』と教えておきます。美弥ちゃんがこのバンダナを着けたら、オヤジは美弥ちゃんをわたしだと勘違いします」

「ノブさんが須坂に絡んできたら、大男が助けにくるっていう寸法か?」

 ヤマダは拓馬の予想にうなずく。

「それが一番いい『甲』の作戦ね」

 次に武田信玄の絵が印刷された磁石が紙上にあらわれた。その絵のセンスが謎だ。

「わたしたちは公園で待機してて、大男さんが現れたらファイト!」

「信玄の磁石はどういう意味だ?」

「大男さんのぶんの磁石です。絵柄はわたしの趣味!」

「わかった、スルーする。んで『一番いい作戦』ってことは、ほかにも案があるのか?」

 ヤマダは頭巾をぬぎながら「案ってほどでもないんだけど」と答える。

「予定通りにうごいてくれないのがうちのオヤジの困ったところでね。作戦実行中に、オヤジは公園で寝るかもしれない」

 ノブが美弥と接触してこなければ計画は成り立たない。イレギュラーが発生した場合の対処法を、ヤマダが説明していく。

「そのときは美弥ちゃんが酔っぱらいを心配する通行人になりきって、オヤジを叩き起こしてください。起きたら美弥ちゃんをわたしだと勘違いするから。これが『乙』の作戦」

 この対処にも穴がある。それを拓馬は指摘する。

「ノブさんが起きなかったり、公園で待っていなかったりしたらどーするんだよ?」

「そしたら美弥ちゃんはいっぺん駅にむかいます。その途中でわたしが美弥ちゃんに電話をかけます。会話内容は、お姉さんの都合が悪くなって今日は来れない、という感じです。適当にしゃべったら、アパートに帰りましょう。これが『丙』の作戦」

「作戦というか、失敗したときの後始末だな」

「そうだね。ほかの失敗原因は……オヤジ以外の人が美弥ちゃんに絡むこと」

 その事態がもっとも危険だ。ノブが須坂を自分の娘と見誤ったとしても、彼は家族に危害をくわえはしない。だが計画にくみしない他人ではどうか。

「厄介なのは、美弥ちゃんが公園に向かう道中か、『丙』作戦実行中。このときに大男が出ても出なくても、美弥ちゃんはわたしに連絡してください。知らせがきたらみんなで助けに行くので、それまで耐えてください」

「私にどう耐えろと言うの?」

「基本的に公園にむかうように逃げてね。だれかひとりは公園にいるようにするから」

 ヤマダは教卓の上に数枚置いてあるメモの中から一枚を取る

「美弥ちゃんの任務をまとめておいたよ」

 須坂はそのメモを受け取り、じっくり見た。ヤマダの講釈は続く。

「順調にオヤジが美弥ちゃんに絡んでも、大男さんが現れない可能性もある。これも作戦失敗。そのときは解散です。説明は以上!」

 ヤマダが話し終えた。口をつぐんでいた三郎が挙手する。

「その計画において、お前の父君が例の男に倒される危険があるわけだが──」

 三郎が懸念することは人として正しい。ヤマダはみずから父を犠牲にしようとしているのだから。

「それでもいいのか?」

 ヤマダは片手をぷらぷらふって「へーきへーき」と安請け合いする。

「うちのオヤジは殺したって死なないよ」

「あの男は他人を傷つける意思がないようだから、各自の負傷は心配していない。オレが言いたいのは、気絶した父君がちゃんと帰宅できるかどうかだ」

 その憂慮は作戦の成否に関わらず、つきまとってくる事柄だ。ノブが大男に襲われなかったとしても、彼は外で熟睡するおそれがある。酒が入った状態では朝まで野宿もありうる。

「お前の父はジモンと体つきが似ているそうじゃないか。意識のない大柄な男性を運ぶとなると、オレと拓馬の手に余りそうだ」

 ジモンが「ノブさんはわしより重いかもなあ」と補足した。ヤマダはひらひら手をふる。

「いーのいーの。最悪、オヤジを野宿させていいんです。そのうち目がさめたら帰るよ」

 ヤマダは身内をぞんざいに扱う前提でいる。三郎はヤマダの揺るがない不孝心を知り、あきらめたようにうなずく。

「お前がいいと言うのなら、オレから言うことはない。……その作戦に乗ろう!」

 質問をおえた三郎がジモンに顔を向ける。

「して、ジモンは当日、家の手伝いがあるんじゃないのか?」

「店にノブさんがおらんし、わしは出れんかもな」

「となると、オレと拓馬の二人で捕縛を試みるのか」

 ヤマダが「いや四人だよ」と異をはさんだ。三郎は首をかしげる。

「四人? ひとりはお前だとして……ほかはだれだ?」

 この疑問には拓馬が補足する。

「もうひとり協力してくれる人がいるんだ。ノブさんの友だちで、ジュンさんっていう」

「いましがた説明に出た、父の友人か?」

「ああ、その人だ。ジュンさんはかなり強いぞ。拳法とか暗器の使い手で──」

 三郎の目が光る。

「なに? そんな知人がいたのか」

「あ、あぁ……いつも仕事で会えないんだけど、ときたまヤマダんちに遊びにくるんだ」

「ほう! 機会があれば手合せ願いたいな」

「この件が片付いたらな。それで、ジュンさんはどううごく予定なんだ?」

 拓馬は省略された解説をヤマダに問う。ヤマダがメモを片手に「うーんとね」と言う。

「ジュンさんがオヤジを公園においてったあと、しばらく駅のほうに行くふりをして、その道中で待機。大男さんが出たらわたしがジュンさんに連絡して、公園にきてもらう」

「ジュンさんは公園にいない予定なんだな」

「うん。そのほうが大男さんの裏を突けるかなーと思って」

 まるで公園で張り込む人員が、大男に筒抜けであるかのような口ぶりだった。

「それは、やつに俺らのうごきがモロバレしてる前提なのか?」

「うん……どこからどう監視してるのか、わかんないからね」

 心もとない発言だ。事実、大男の能力は未知数。当然の警戒ではある。

「オヤジが役に立たなかったときは、ジュンさんが美弥ちゃんに絡む役をする、とも考えたんだけど、しょっぱなジュンさんが大男さんにノックアウトされたら、きびしいかな」

 ヤマダは作戦に協力する大人の戦力を第一に考えているらしい。拓馬もジュンがこの中でもっとも頼りになる人だと思う。だが──

「こう言いたかないが、ジュンさんがいても勝てる確証はないぞ」

「たしかに……出たとこ勝負だね」

 気弱な拓馬とヤマダは逆に、ジモンが妙案を得たかのように膝に手を打つ。

「そんなに強いならシド先生を呼ばんとな」

 皆が呆気にとられる。言われてみると、身近なところに強者はいた。だが安易にその人物を頼るわけにはいかない。

「先生に言ったら計画がパーになるだろ?」

 拓馬がそうさとすとジモンは「そういうもんかの」と納得しかねた。拓馬はなるべく平易に説明する。

「先生は俺らにこんな危険なまねをしてほしくないんだ。それは、わかるか?」

「そこんとこはわかる。シド先生はわしらのお守り役なんじゃろ?」

「そうだ。だからこんな計画を立ててるとバレたら、止めにかかるだろ」

「手伝ってもらえんのか?」

「きっとな。それが先生ってもんだ」

「犯人をとっつかまえりゃ、わしらがムチャをしなくなるとは思われんのか」

 その見方は建設的だ。このまま大男を野放しにしておくよりも、生徒の奇行に加担したほうが事態は収束にむかいやすくなる。だがシドは一度校長の叱責を受けている。ふたたび咎を食らっても平気でいられるだろうか。校長の顔を立てねばならぬ身分の彼に、そんな反骨精神は強要できない。

「そう思ったとしても、先生はやれないんだよ。立場ってもんがある」

「立場……?」

「そう。生徒がバカやれても、先生はできない。校長とか保護者とかの目があるからな。そのへんの大人たちから文句言われちゃ、先生だって学校にきづらいだろ?」

「ようわかった。話をこじらせてしもうて、すまん」

 ジモンの疑問が解消された。作戦会議は終了──するまえに、須坂が「ねえ」とヤマダに話しかける。

「昨日あなたから聞いた話だと、もうひとり協力してくれる大人がいるんでしょ。警察官だっていう人。その人はなにをするの?」

「えっと、その人は現場にこないんだけど、仲間を送ってくれることになってる」

「仲間? どんな?」

「たぶん、犬とか……」

 須坂は眉をひそめて「なんのために?」とたずねた。ヤマダがあたふたする。

「ちょっと、説明しにくいんだけど……わたしたちに危険がないように、守ってくれる」

 ヤマダはあえて本旨と外れる理由をのべた。シズカの仲間のことを正直に言っても理解してもらえないからだ。大男の本性についても同様だ。それゆえ、まだ話の通じやすい副効果を挙げた。それでも現実離れした理由にはちがいなく、須坂の追究はやまない。

「警察犬が警察官ぬきで、人を守れるの?」

 須坂は現実的な解釈をしてくれた。事実とは異なるが、その解釈にヤマダが乗っかる。

「うん、わたしもまえに守ってもらったことあるし……ねえ?」

 ヤマダは拓馬に同意を求めた。シズカの友が拓馬たちを守ったことは多々あるため、拓馬は首を縦にふる。

「そのへんは安心していい。でもその警察犬……シズカさんの仲間は、大男を倒すことには手を出さないらしい」

「中途半端な協力の仕方ね……」

「これでも譲歩してくれたほうなんだ。シズカさんは、俺らにはおとなしくしてほしかったみたいだし……」

 拓馬たちが我を通した成果なのだと知ると、須坂は「そっちも複雑なのね」と同情めいた笑みを見せた。

 ヤマダは「決行時刻は当日に知らせるね」と言い、片付けをはじめる。これで会議は完了したと拓馬は察し、空き教室をはなれた。


5

 時刻は夜の九時頃。ヤマダの作戦を実行するにあたり、拓馬たちは以前に不良と格闘した公園にきた。連中はあれ以来、公園に現れていない。一度学校の近辺を張りこまれたこともあったが、それから目撃情報はない。不良の件は一段落ついており、拓馬たちの目下の関心は大男に一点集中した。

 少年少女たちは暗い公園内に待機する。作戦の拠点となる場所はベンチ。その真正面と斜め横の二箇所の茂みに二人ずつ隠れる。ヤマダは仙谷と組み、斜め横の位置を担当する。真正面を担当する拓馬の相方は、当初不参加の予定だった千智だ。

「夜間外出禁止の規則は守らなくていいのか?」

 と、千智の参加宣言を受けた際に、拓馬は異議をとなえた。

「お友だちの家にお泊りするんだったら、夜でも自由にうごけるの」

 千智は噂の大男に会いたいがために、週末は本当に名木野宅に泊まるという。その熱意と行動力は並みの野次馬でない。ここまで努力されてはだれも反対できなかった。

 暗がりの中、拓馬はしゃがむ自分の足元を見た。薄茶色の柴犬似な小型犬がいる。腹を地につけた姿勢で、その背中を千智になでられていた。

 この犬はシズカが遣わした獣だ。いつもは常人に見えない獣が、いまは実体化した状態でいる。この形態で派遣された目的はおそらく、大男に対する擬態だ。この場に普通の犬がいると油断させる。その偽装工作にふさわしく、犬は愛嬌のあるたたずまいだ。とても悪党をたおせる猛犬には見えない。もし須坂に見せたら「こんなのがどう役に立つの」となじられそうだ。千智もそんな姿にだまされて「この子、一晩借りていっちゃダメかしら」と犬の愛らしさを気に入っていた。

 拓馬たちが潜伏する中、二種類の男性の声が近付いてきた。声の主が公園の電灯にさらされる。痩せぎみの男性が、大柄な男性に肩を貸している。千智が「背の大きい人がヤマちゃんのお父さん?」とたずねてきた。

「ああ、そうだ。細いほうはジュンさん」

「ジュンさんって人がいっしょに戦ってくれるのよね」

「そうなってる」

 拓馬の知人男性らを知らぬ千智は「わかったわ」とすぐに納得してくれた。同様のやり取りが他方のヤマダ組でも行われているはずだ。公園を訪れる人が知人か否かを見極めるため、今回は幼馴染コンビを分断していた。

 中年たちはトイレ近くのベンチに腰を下ろした。細身の中年が立ちあがる。

「シェン兄、ここにトンちゃんがくる」

 ジュンはノブとヤマダを独自のあだ名でよぶ。それは彼の母国での漢字の読み方に由来した。そういった呼び名は拓馬にもある。

「それまで寝ないで待っててよ」

「もう帰るのかぁ?」

「そういう約束ね。また近いうちに顔を出すよ」

 ジュンはノブの肩を軽く叩き、去っていった。残されたノブは大きなあくびをする。所在なさげに両腕を上へ伸ばしたり肩を回したりした。ヤマダに扮する須坂が接触する好機だ。しかし仕掛け人はまだこない。

 ノブは頭をこくりこくりと揺らした。我慢むなしく、とうとうベンチの上で横になる。寝息はいびきに変わった。本格的に寝入りにかかった、かと思うと突然「いってぇ!」と跳ね起きる。ヤマダが用意したパチンコの投石攻撃が命中したらしい。眠気覚ましとはいえ、親を親とも思わぬ仕打ちだ。拓馬は内心ノブを憐れんだ。

 ノブは脇腹をさすりながらベンチに座りなおす。周りをきょろきょろ見る。どこから飛来物があったのか、探しているらしい。

 急にノブは一点に視線を合わせた。立ち上がり、ゆっくり歩く。ノブが向かう先に、白か水色らしき物体がある。須坂が被る頭巾だ。

「よー、遅かったなぁ!」

 ノブは娘の頭巾を被った者に接近した。それが見ず知らずの少女だとは露にも思わない。

「うっかり寝ちまうとこだったぜ」

 大胆にも少女に抱きついた。拓馬はノブの行為が須坂を怒らせないかと不安に駆られた。

 ノブは元来スキンシップの好きな人だ。酔うと一層その性格が強くなる。男嫌いな須坂には刺激の強すぎる相手だ。ノブが胸中の頭巾をなでて「帰るかぁ」と言う。須坂はノブの腹を押した。離れようと抵抗しているのだ。その嫌がる態度が、いまは大事だ。

「なんだ、今日は元気ねえな」

 ノブは須坂の肩を手でおさえる。

「パンチのひとつや二つ、打ってこいよ。張り合いがねえ」

 ノブはいまだに須坂が娘だと思っている。偽の娘の反抗が弱すぎる、というケチをつけた。須坂はノブの指示通りにノブの腹へ一発入れる。ノブは「ヘナチョコすぎんぞ、もっと腰を入れろ」と威力の低さを指摘した。

 格闘指南が始まってまもなく、ノブの頭上から大きな影が落ちた。現れた者は鍔広の帽子を被っており、身の丈はノブを超える。

(よし、きたな!)

 順調に事が運んでいる。決行の合図が出るまで、拓馬は緊張しつつ待った。

 ノブが異様な気配を察知し、振り返る。

「あれ? 二メートル近い身長に、帽子……」

 ノブは須坂を解放した。彼女を自身の背に隠すように立つ。

「娘を襲ったやつか?」

 ヤマダは大男のことを親に話していたようだ。だからノブが娘をかばおうとしている。

「……だとしたらどうする」

 低く重い声だ。外見だけでなく声も他者に重圧を感じさせる。そんな男を相手にノブは「ちょうどいい!」と歓迎する。

「おれも家まで送ってくれよ」

 独特のポジティブ思考のもと、ノブは大男の懐へ身をあずける。

「もー眠くてしゃーねえんだ」

 ノブは相手が知己であるかのように、馴れなれしく抱きつく。

「布団の上まで運んでちょ」

「……」

 大男は無言で酔っ払いを突き飛ばした。その対応を見た拓馬は大男に同情してしまう。

(なんかノブさんが加害者になってる?)

 酔漢が通行人に迷惑をかける構図になった。いちおうは意図したやり取りではあるものの、その被害が標的である大男までいくことは想定になかった。

 ノブは地面に倒れる。酩酊中といえど、ノブは倒れる際に受け身をとった。体に染みついた武術がなせる業だろう。転倒したことを痛がりもせず、大の字の姿勢のままいびきをかき始めた。どこまでもマイペースな人だ。そのせいで拓馬の緊張が途切れた。

 須坂を救出した大男は無言で去ろうとした。そのとき、潜伏していた三郎が竹刀を手にして躍り出る。これが最初の合図だ。千智が「行ってくるわ!」と三郎に続いた。拓馬はジュンの増援があるまで待機することになっており、しばし見守る。

「手合わせ願おう!」

 三郎が下段の構えで大男に突進する。竹刀が大男の太ももをとらえた。だが大男は攻撃を食らう直前に竹刀をつかんでおり、握った竹刀を真上へ振り上げる。竹刀は三郎の手から抜けた。強い摩擦熱を手に感じた三郎がひるむ。その隙に、大男は竹刀を叩きつけるように三郎へ返す。三郎はとっさに両手を広げた。しかし竹刀を受けとめきれず、倒れた。

 次に千智が大男めがけて飛び蹴りを繰り出した。大男はヤマダの潜伏する方向へ歩き、回避する。歩行はやまず、彼はヤマダの待機場所へ進む。単に移動しているだけのように見えた。大男が攻撃者をいないも同然にふるまっている。その様子に千智は腹を立てる。

「なーんであたしには興味ないのよ!」

 千智が怒りを爆発させた。自棄になって大男の背面から抱きつく。

「ねえ、顔見せてよ!」

 千智は相手の横腹と腕のすきまに顔をぐいぐい押し込んだ。大男の片腕が上がる。彼の手は千智のうなじにかかった。

「やーん! 猫じゃないんだから!」

 首筋をつかまれた千智は身をよじる。だが拘束をゆるめようとはしない。膠着状態が続くと、千智のうごきがどんどん鈍くなった。威勢の良かった勝気な少女がくずおれる。

「なんだか、足がへろへろに……」

 千智は横座りし、後方へしおしおと倒れた。

「元気を奪われたんだ」

 と、だれかが拓馬に説明する。拓馬が声の主を捜すと、横にヤマダがいた。所定の位置から移動してきたようだ。片手には小太刀サイズの木刀をにぎっている。

「ジュンさんがくるまえに決着つきそうね」

 明るい調子でヤマダは言う。そのセリフには前向きに解釈できる余地がなかった。

「俺らが負けるって意味でか」

「うん、こりゃわたしの読みが甘かったね」

 二人が作戦失敗を口にしていると、仰向けに倒れていた三郎が起き上がった。彼は竹刀の先を地に突く。竹刀を支えに立とうとしているのだ。しかし大男に捕まり、あえなく地面へ突っ伏した。全滅は時間の問題だ。ヤマダは拓馬の肩に手をのせる。

「一蓮托生、わたしらもやられよう! なぁタッちゃん」

 まるでアトラクションをたのしみにいくかのようにヤマダが誘ってきた。拓馬は「あきらめるな」と断る。

「ジュンさんがくるまで、ねばってみるぞ」

 拓馬は予定を前倒し、大男に挑む。防がれるとわかっていても、手加減はない回し蹴りを試みた。大男は拓馬の足首をつかんだ。そこから黒い煙のようなものがたちこめる。

「な……んだ、その黒いの……?」

 次に拓馬ののどが捕捉される。足同様に煙が現れた。黒煙が噴出するにつれ、拓馬の体が重くなる。これが千智らを無力化した技のようだ。拓馬が抵抗する力を失った頃合いに、大男は拓馬を放した。拓馬は意識があっても身動きが取れない。あえなく戦闘不能者の仲間入りをした。

 不審者以外に立っている者は美弥とヤマダのみ。大男は次にヤマダに狙いを定める。ヤマダは短めな木刀をかまえる。そのとき──

「あなたは、どうして私を尾けるの?」

 須坂が大男に話しかけた。タイミングからして、ヤマダへの注意を自分に引こうとしているらしい。大男の歩みが止まった。

「わけもわからずに守られるのは気味が悪いのよ。理由を教えて!」

 大男は答えない。再度、もうひとりの健在者に近付いた。ヤマダは一歩踏み込み、木刀を横に払う。射程が短い武器のせいで切っ先は敵に届かない。それはヤマダなりの威嚇だ。

「美弥ちゃんの質問に答えてよ」

 凛然とヤマダが言い放つ。さっきまで「やられよう」とのんきにかまえた者とは思えないくらい、シリアスな雰囲気をかもす。

「レディに礼を尽くすのがナイトでしょ?」

 ヤマダは須坂の護衛役を果たそうとする大男に礼儀を説いた。木刀の先を大男に向ける。すると大男が前傾姿勢になる。彼は大振りな回し蹴りを放つ。この攻勢は拓馬の予想外だ。

(あいつ、ヤマダを大事にしてるくせに?)

 正確にはヤマダに憑りつくなにかを大男は気にかけている、というのが拓馬の父の見立てだ。その宿主であるヤマダも彼の保護対象のはず。ヤマダの挑発的な物言いのせいで、彼の考えが変わったのかもしれない。

 拓馬の不安をよそに、ヤマダは大男の攻撃をかがんで回避した。矢継ぎ早に大男との距離を詰める。無防備な背中へ一刀見舞おうと、木刀を振り上げた。だが武器は天を仰いだまま、下がらない。振り下ろせないのだ。ヤマダの両手首は大男のうなじに乗っている。相手が瞬時に方向転換したうえに零距離まで接近したために、ヤマダが大男の首に抱きつくような状態になった。おまけに大男はヤマダの背へ両手を回している。両者は前にも後ろにもうごけない状況だ。

「えっと……ちょっと、いや、だいぶ近くないかな?」

 ヤマダは逃げ場がない。大男の腕の中でまごつき、例のごとく活力を失っていく。彼女の手から木刀が落ちた。からん、と木製の武器が地面に転がる。

(やっぱ全滅か……)

 拓馬はあきらめた。あとは仲間がこれ以上傷つかずにすむのを祈るのみだ。

 不意に大男は後方へ手をのばした。次の瞬間、大男の手中に靴がおさまる。だれかの足だ。大男は靴ごと人を横薙ぎに投げた。すると宙返りをうつ人影が生じる。投げられた人物は足をかがめて着地した。その衣服と体術は、酔漢を公園へ運んだ中年のものだっだ。


6

「その子に手を出すの、なしね」

 ノブの友人──崔俊という中国人──が立ち上がる。一見普通の中年男性だが、その体は図抜けてタフかつ身軽だ。大男はぐったりするヤマダを寝かせ、彼女から離れる。

「……何者だ?」

「ただの会社員ね」

 ジュンは上体を前のめりにして走り、攻撃を仕掛ける。対する大男は迎撃姿勢もとった。

 ジュンは身を低くし、足払いをかける。大男が軽く跳んでかわした。その直後、ジュンはベルトのバックルを振りはらった。バックルには鞭のような細長い帯状の金属が繋がっている。ベルトに似せた武器だ。ジュンは腰に巻いていた暗器で大男の上着を裂いた。ジャンプしていた大男が地に足をつける。そして彼の衣服に損害を与えた獲物を見る。

腰帯剣ようだいけん……」

「おや、物知りね。その通り、これヤオダイジェンよ」

 大男は暗器の使い手を見据えた。ジュンはしなる剣を振るう。その剣は刃先が丸い。

「なまくらだけど、当たると痛いよ」

 ジュンの剣は鈍器のたぐいだ。それを彼は「なまくら」と表現した。

 武器で威嚇されても大男はひるむ様子がない。彼は大胆にジュンに詰め寄り、剣の射程内へ入る。剣による攻撃を待っているようだ。見え透いたカウンターを警戒してか、ジュンは大男の顔めがけて蹴りを放った。

 大男はかがんで攻撃をかわした。同時に大きく踏みこむ。ジュンが後退する暇を与えないまま、ジュンの顔面をつかんだ。絶体絶命──かと思われたが、ジュンは手中の剣で大男の首をねらった。直撃寸前、大男の空いた手で刃は受け止められる。すると武器は乱暴に投げ捨てられた。

 ジュンは武器を失った。それでも彼の闘志は衰えず、自身を捕縛する大男の腕の上と下から、手刀を繰り出した。上下からの打撃が命中する。しかし頑強な太い腕には効果がなかった。依然として拘束は解けない。

「お前……並みの暴漢ではないね」

 ジュンは自身の顔を圧迫する手をつかむ。

「なにが目的でこの子たちを狙う?」

「……答える義理はない」

 大男が片手でジュンを持ち上げる。顔をしめつけられるジュンは苦悶の声をあげた。痛々しい声は長く続かず、即座に捕捉者がジュンを投げ飛ばす。ジュンは軽々と吹っ飛び、木の幹に背中を強打した。

 大男はジュンを一瞥した。敵の復帰に時間がかかると知るや、立ちすくむ須坂を見る。

「もう、会うことはない」

「えっ……?」

 大男は一言つぶやいたきり、静かに去る。須坂はその後ろ姿を見たまま、呆然とした。

 勝負は完敗に終わった。達人級に強いと拓馬が思っていたジュンでも、大男には歯が立たない。結果は出せなかったが、敵対する者が無敵だという収穫はあった。それゆえに無力感が拓馬にのしかかる。

(やっぱり、シズカさん頼りになるか……)

 わかってはいた事態だ。こうも完膚なきまでに負けるとかえってすがすがしい気もする。

(ジュンさんが勝てないんじゃ、俺がどうがんばっても勝ち目ないってことだな)

 普通の人間では太刀打ちできない相手──それが視覚化されて、ふんぎりがついた。

 拓馬は重い体を強引に起こす。拓馬より先に戦闘不能になった者もぞくぞくと復帰する。

「くっ……してやられたな……」

 三郎が竹刀を杖がわりにして立つ。その声は腹立たしげだ。

「結構たくましい体だったわね~」

 反対に千智は座ったまま、大男との遭遇をよろこんでいた。彼らは無事だ。拓馬はもっとも激しい打撃を受けた者の容態を確認しにむかう。拓馬が潜伏していた茂みを越えた場所に顔見知りの男性が木の幹にもたれている。

「ジュンさん、無事か?」

「メイシ、なんともないよ」

 ジュンがすっくと立つ。座っていた人がただ腰を上げたような、しっかりした動作だ。その仕草からは深手を負っていないように見えた。拓馬は安心する。

「よかった……いちばん酷くやられたジュンさんが、なんともなくて」

「たぶん、あの男はさじ加減をわかってやってるね」

「なにを?」

「『これぐらいの攻撃は耐えられる』という見極めだよ」

「痛めつけていい人とダメな人を、区別してる?」

 ジュンは両手を上下から背に回して、ぽんぽんと埃を払う。

「そう。長く戦っていたら、大ざっぱにわかるようになるよ」

「じゃああいつ、わりと歳食ってんのか?」

「それはどうかわからないね」

 拓馬がジュンによる大男の印象を聞くところを、三郎がとぼとぼと歩み寄ってくる。

「オレは須坂と千智を送ってから帰ろうと思うが……」

 三郎はちらっとジュンを見た。拓馬とジュンが協力して、ヤマダ親子の帰宅をうながすことを期待しているらしい。拓馬は「ヤマダたちは任せてくれ」と先に言う。

「ジュンさんと一緒ならなんとかなる」

「では頼む」

 三郎はジュンに「勝手ながらお願いします」と一礼した。この礼儀正しさが目上の者からの評判がよいポイントなんだろう、と拓馬は思った。

 三郎と女子二人が公園を後にし、この場には拓馬たち計四人が残る。うち二人は地面に寝そべったままだ。拓馬は覚醒の望みのあるヤマダを起こしにかかる。彼女の頬を軽く叩くと、すぐに目を開けた。

「大丈夫か?」

「あ、タッちゃん……」

 ヤマダがむくりと上体を起こす。拓馬の後ろに立つジュンを発見すると「どうだった?」と拓馬にたずねる。

「わたし、途中から寝ちゃって……」

「負けだ負け。ジュンさんでも勝てる気配ゼロだったぞ」

「そっか……完敗かぁ」

「それよか、お前の体は平気か?」

「うん。痛いところはないよ。いきなり抱きつかれたのはびっくりしたけど」

 大男は器用な回避行動をとっていた。ヤマダが上段から両手で木刀を振るう、その腕と腕の隙間に自身の頭をつっこんだ。体格差のいちじるしい相手に、そう簡単にやれることではない。

「あいつ背がデカいのに、よくあんなのやったよな」

「あの姿勢ってどうやってたんだろ。アキレス腱伸ばしでもやってたのかな?」

「俺もそこまで見てない」

 二人の会話を、ジュンが「話は帰り道で」と中断させる。

「トンちゃんは持ってきた道具を回収! わすれものがないようにね」

「あ、うん……片付けするよ」

 ヤマダは最初に潜んだ場所へ向かった。ジュンも大男に投げ捨てられた暗器を回収する。しなる剣を、鞘にあたるベルトに収納していく。拓馬は身一つで集合したのでやることがなく、パッと思いついた疑問をジュンに聞く。

「ジュンさんはもっとはやく公園にくるもんだと思ってたけど、なんかあった?」

 大男登場から戦闘開始まで、ノブが予定外の時間稼ぎをしていた。にもかかわらずジュンの到着は他全員の全滅と同じタイミングだった。そこになんらかの手違いがありそうだ。

「ヤマダの連絡がミスってたとか……」

「遅れてすまないね。トンちゃんの連絡はとどいていたんだけれど、こっちもハプニングがあったよ」

「なにが起きてた?」

「髪を染めてる男の子……が倒れてた。話しかけても反応はないし、救急車をよんであげたらいいんだろうが、そんな時間がなくて……近くの家の人におしつけてきたよ」

「それ、倒れてた人がどうなったのか聞きにいったほうがいいんじゃ?」

「そのつもりはあるんだがね……まあシェン兄を運ぶのは後回しでいいか」

 ジュンの武器の柄がバックルに擬態した。移動の準備ができたジュンはヤマダのいるほうへ体を向ける。

「トンちゃん、家に帰るまえにすこーし待っててちょうだいよ」

「わたしもついていっていい?」

「かまわないけど、なぜに?」

「よく町中をうろついてる『髪を染めてる』『男の子』には知ってる子がいるの」

 その人物は拓馬も心当たりがある。まさか、とは思うが、あの喧嘩っ早い性格では何者かに昏倒させられる事態もありうると思った。

「じゃあトーマにはシェン兄を見張っててもらおうか」

 ジュンが拓馬にそう指示した。うなずく拓馬に、ヤマダが自身の荷物を渡す。

「これも見てて!」

「わかった。荷物番をしとくから、はやくもどってきてくれよ」

「うん。じゃあオヤジに気をつけてね。ヘタに近寄ったら抱き枕にされるからね」

 光景を想像したくない忠告だ。ヤマダは気味の悪い助言をしたあと、ジュンと一緒に公園を出る。公園に居残った拓馬は、すこしまえまでノブが座ったベンチへ腰を下ろした。


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