第4話「Decided Prepared」Aパート

『……で、どうなのだ? 結果は』

 デスクの埋め込み型モニターから聞こえる、微かにノイズの入った声。もう聞き慣れた声。聞きたくもない声。しかしそんなことは言っていられない。これは仕事だ。大人が仕事をしっかりしないでどうする。そうやって無理矢理、ウルティマの隊長である黒田は自身を励ました。それがどれだけ余計に疲れることなのかは分かっていた。モニター越しに見える世界統一連合軍のスタンレー・オーティス参謀が催促してくる。黒田は一つ咳払いをし、しっかりと、確実に答えた。

「盟約の儀は、交わされています。確実に」

 事実を伝えることがどれだけ重要で、どれだけ辛く、どれだけのプレッシャーなのか、黒田はこの時はっきりと分かった。簡潔に言えば鈍痛ととても重量のある何かを心臓に与えられているような感じだった。この事実を、彼は受け止めているのだろうか。とてもそうは思えなかった。まだ17歳の子供である門山大悟に、仮に受け止めていたとして、果たしてどれだけ心が持つだろうか。大人である黒田でさえ、これほど苦しんでいる。しかしそれは当事者である大悟はどうなのだろうか。もっとキツく、辛いものなのではないだろうか。苦しんでいるのではないだろうか。

 だが、当のモニター越しにいるスタンレーはそんなことを気にしていないのか、大声で笑っていた。拍手までしている。朝から笑わないでもらいたいものだ。

『貴重なEGが戦力となった。素晴らしいことではないか。何故そんな悲壮的な表情になるのだ?』

 この男、事態を呑み込めていないのだろうか。大悟は未成年であるということを、本当に分かっているのだろうか。いや、そもそも未成年にこんなことを、殺しをさせてしまっていると本当に理解しているのだろうか。

 とはいえ、感情を表に出してはならない。抑え込んで、伝えるべきことだけを伝えなければならない。

「参謀、喜ぶのはまだ早いです」

『何故かね、黒田隊長?』

「彼は、門山大悟はまだ、ウルティマの隊員ではありません」

 司令室後方の扉が開き、誰かが入室してくる。それと同時に、モニター越しに黒田は怒鳴られた。スタンレーの顔が茹蛸のように真っ赤になっている。

『何をのんびりしているのだ、さっさと入隊させないか! いや、何故そうしない! 連合軍ならそんなに悠長にしないぞ、この馬鹿者が!』

 やはりこんなことしか考えていない。黒田も黒田で怒鳴りそうになったが、辛うじてそれを抑え込んだ。冷静に、至って冷静を装って対応する。

「相手は未成年です。慎重な判断が必要かと」

『何を言っている! 未成年かどうかなど関係ない! それに、ではあの鳳三咲というのはどうなのだね! 彼女も未成年だろう!』

「彼女は自らウルティマに入隊しました。偶然盟約の儀を交わし、EG7のニュークリアスとなった門山大悟とは違います」

『ではこれからも夜刀浦市の市民を怯えさせるというのか! 恐怖と共に暮らせと言うのか、そういうことになるのだぞ、貴様の言い分は! ゼットロンを殲滅する力を、我々は持っているのだぞ!』

 勝手だ、あまりにも勝手過ぎる。いや、確かに市民の恐怖は取り除かなければならない。だけど、そのために若い人間を、民間人を使うのは違う。絶対に違う。それも自ら望んで力を手に入れてしまったわけではない。事故のようなものだ。それを大人の都合で、敵を、人間を未成年に殺せなど、どうかしている。間違えている。それではゼットロンのやっていることと何ら変わりない。トップの都合で人を殺している。そんなことは、人間が人間にやってはならない。だが、それを言えないのがリーダーとしての辛いところでもある。ここで本音を言ってしまえば、ウルティマとしての活動が出来なくなる。いや、ウルティマの存在そのものが消滅、吸収させられて連合軍の一部として活動しなければならなくなる。それは黒田としては最も目の当たりにしたくない事態であった。

「決してそうは言っているつもりはありません」

 しかし、強く言葉は発する。それぐらいは構わないだろう。

『ではさっさとしたまえ。いいな?』

 そう言ってスタンレーは回線を強制的に切った。いつもはこちらから強制的に切っていたため、スタンレー側から切られるのはどことなく違和感があった。黒田は深く椅子に座り直した。同時にデスクにアメリカンコーヒーの入ったカップが置かれる。顔を上げると、そこには矢作がいた。

「……また、見られてしまったな」

「は?」

「いや、こちらの話だ、気にしなくていい」

 そうだ、前は岸田だった。矢作ではない。とはいえ、部下にあのような場面を見られるのは嫌だったし、情けなくもあった。

「よくやれますよね、ほんと」

 コーヒーを飲みながら、矢作が言う。確かにそうだと思った。あんな理不尽参謀と真っ向から会話をするなど、もしかしたら自分しかいないのではないかとすら思えた。連合軍内では浮いているのではないかと想像すると、何だかおかしくなった。コーヒーを一口飲み、表情を隠す。

「大悟君はどうなんだ?」

「今、小宮山隊員と三咲隊員がケアに当たっています」

「成功、すると思うか?」

「隊長がそんなネガティブでどうするんですか。信じましょうよ、あの二人と、大悟君を。そんなに弱い男じゃないですよ、大悟君は」

 どこからそんなことが言えるのかはまるで分からなかったが、黒田はどことなく納得してしまった。それが矢作の良い所なのだ。

「そうだな。仕事をしながら、信じて待つとしよう」



               ■



「大悟君、本当にウルティマに入隊するの?」

 小宮山の質問。それは、最早大悟の部屋と化している個室の医務室での彼との会話から飛び出た。大悟は、ウルティマに入るつもりであった。人間ではない者が人間で組織構成される特務部隊への入隊の希望というのも変な話ではあるが、ここでもなければ死と隣り合わせになる事態にならない。最近分かったことだが、どうやら自分は死が近ければ近いほど、意識が遠のいて無自覚で動くようになり、楽になるらしい。そんな人間が他にいるのかどうかは知らないが、少なくともそう感じているのだから、そうなのだろう。

「ええ、そのつもりです」

「何も大悟が入らなくても……」

 隣に居合わせた三咲が言う。かれこれ小学生の頃から、そして今になってもずっと一緒にいるが、彼女が自分のことを理解しているのだろうか、という疑念を大悟は払拭出来ずにいた。彼女の言うこと全てが、どうにも大悟の思考を理解していないことのように思えて仕方がないのだ。

「あんまり非人間に喋りかけない方がいいよ、三咲」

「非人間って、あんた……」

「大悟君、今のは酷いと私は思うわ。謝りなさい」

 誰があんなことを本心から言うと思うのか。それは多分小宮山も理解しているだろう。だけど、今の大悟は事実そうなのだから、そう言うしかない。言うしかないのだ。それ以外の言葉が、分からないから。

「すみませんでした。でも事実です。俺はもう、人間じゃない。セレーネのニュークリアスなんです」

 ニュークリアス。特定のEGと盟約の儀という儀式を交わした者だけがなる、所謂人間を何段階も進んだ先の姿のことだ。ニュークリアスとなった人間は人間ではなくなる。具体的には、身体能力の異常進化、血液が従来の赤色から黒色への完全変色。両手に嵌められた紋章の指輪――クリアスリング――。そして、不死の力。理論も原理も全くもって不明であるが、ニュークリアスとなった人間は不死、つまり死ななくなるらしい。流石に首をごっそり斬られるなどをされれば死ぬらしいが、海中や宇宙空間での無装備での活動が可能らしい。つまり、今も呼吸はしているものの、本当は必要無いらしい。肺が自力で酸素の精製が可能だとドクターからは言われている。とはいえでも、そんな実感など全く無い。当たり前だ。そんな場面に直面したことが無いのだから。

「……ニュークリアスとか、人間とか、そういうの関係無い」

 三咲が声を震わしながら言う。

「大悟は、自分に厳しくし過ぎなのよ。昔の大悟に戻って。昔の、優しかった頃の大悟に」

 そう言ってくれるのはとてもありがたいし、嬉しいことだ。しかし、大悟は違うんだとかぶりを振りながら優しく否定する。

「……何が、何が違うのよ」

「俺は、ニュークリアス。人間じゃないん――」

「いい加減にして!」

 突如座っていた三咲が立ち上がり、大悟に詰め寄ってその頬を引っ叩いた。虚しく、しかし悲しい乾いた音だけが室内に響き渡る。一瞬大悟は何をされたのか分からなかったが、すぐに痛みを感じた。ニュークリアスでも痛みは感じるのか。そう冷静に考えられたのはほんの一瞬のことであった。気付けば大悟は三咲の胸倉を掴み上げ、詰め寄っていた。そんな三咲の顔に、恐怖は無かった。強い目で大悟を見ている。

「怒れるんじゃない」

「あ? それがどうした」

「人間じゃないなら、怒れないと思ってた。怒れるのなら、あんたまだ人間よ」

 そうだ、自分は何なのか。人間なのか、ニュークリアスなのか。それすらも分からない。痛みは感じる。それは身体的な痛みもあるが、心の痛みもちゃんと感じることができる。それが本当に人間ではないのだろうか。いや、そもそもニュークリアスとは何なのだろうか。人間の姿をして、人間ではない。それは確かに体内構造が違うのだから、人間ではない。だけど、どこまで人間ではなくなるのだろうか。いや、逆にどこまでが人間としての機能を維持できるのだろうか。そう考えると、今自分がやっていることは何なのか。どう考えても人間の怒る姿そのものである。

 大悟は項垂れながら三咲を離した。三咲は少しだけ小さく咳をし、制服を正して再び大悟を見た。

「今、大事なのは大悟が何をどうしたいかだと、私は思うわ」

 そう言われても、と大悟は更に項垂れた。三咲と小宮山が色々と質問を投げかける。だが、どの問いにも答えられない。いや、答えてもそれが本当の答えなのか、大悟は己の思考と心に不安があった。だから、本音を言うしかない。

「どうしたらいいか、分からないんだ、俺」



                ■



 EG3「ヘカティア」の爆装完了の報告が入ったのは、翌日の昼のことであった。殆どのミサイル、弾薬、エネルギーを使い果たしていただけに、ここまで時間が掛かったらしい。しかし、そんなことなどリンダに言わせてみれば、何故帰投してすぐに修理と整備、補給の全てを同時進行しないのか。それは整備員が悪いだけではないかという意見だけだ。リンダは自分が悪いとなど一度たりとも思ったことがない。とはいえ、爆装出来たのなら、すぐに出撃できるというものだ。リンダは格納庫へ向かった。

 格納庫には一人の来客があった。ネビルだ。ネビルは格納庫の天井にワイヤーや懸架アームで吊るされているヘカティアを見ていた。リンダも同じように見る。そこには、対EG戦専用装備が成されていた。と言っても、本当の戦用装備ではなく、小型の空対空ミサイルを大量に装備し、両腕にレーザーガンポッドを持たせていた。

「今度は上手くやれよ、リンダ」

 ヘカティアを見上げながら、ネビルが言う。言われなくてもそうするつもりであった。が、ここで反論しても汚名返上など出来ない。するのであれば、ただただ実戦で実績を積む以外に手段は無い。

「やってみせるわ、必ず」

「期待してるぜ。じゃあな」

 そう言って、ネビルは格納庫から出て行った。リンダは気合を入れて、シュードクリアスの中に入る。ゲル状のナノマシンとリンダの体が一体化する。網膜投影が開始され、視界が一気に広がる。各部の神経接続も問題無い。いける。

「ハッチ開けて。ヘカティア、発進するわよ!」

 CZ-3のハッチが開くと同時に、発進カウントが始まる。10、9、8、とカウントは小さくなっていく。この戦いであのEG7を叩き潰す、必ず。リンダは視界に高速で動く雲海を目にしながら、そう覚悟した。カウントがゼロになり、機体を支えていたアーム、ワイヤーが外れる。は進と同時に、リンダはヘカティアに装備されたブースターを点火させ、一気に加速した。目指すはEG7が眠っている、あの忌々しい日本は夜刀浦市の沖合の遺跡。移動の間、リンダは各武装のチェックをする。どれも異常は今のところ来たしていない。確実に、確実に仕留めなければならない。仕留めそこなったら、その先にあるのは死だけだ。そう、自分に言い聞かせながら、リンダは上空を飛び続けた。



 暗い、暗い部屋。埃が充満した部屋。ネビルはそこで一人ほくそ笑んでいた。

 面白い、実に面白いものだと過去を振り返っていた。これまで使えていたはずのEG1は大破、連合軍に回収され、パイロットであったジョンは死亡。れっきとした現役米軍兵だというのに、あの程度のことで死ぬとは何と情けないことか。それにリンダもだ。あれだけ威勢よく言っておきながら、結局は一度失敗しておめおめとここに帰ってきている。今回は本当に覚悟を決めたようだが、仮にあれが撃墜され、死んでもそれはそれで面白いものだとネビルは思っていた。ネビルは上を見上げた。真っ暗なその部屋には、微かに光る二つの巨大な目が、確かにあった。

「その時が楽しみだよなぁ。なぁ、EG5、エレーボスよ……」

 刹那、咆哮のような音がした。それがCZ-3のエンジン音だということはすぐに分かったが、あまりにタイミングが良いのでネビルは一瞬エレーボスが唸ったのかと思った。そんなことなど、あり得るはずがないというのに。そんなことを信じてしまった自分がおかしくて、面白くて、ネビルは一人大笑いしていた。

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