2.仕事裏

「今ので施工で麻薬がキレちまった。発注しとけ」


 びっしり埋め尽くされたメモ帳をぼくに渡す青山さん。彼女はこれから道具の片づけや着替えがあるので、後処理はぼくの仕事だ。血まみれのプラドをどこで洗うか考えつつ、メモに視線を落とす。

 リストには麻薬だけでなく、なんらかの銃、弾倉、爆弾の名前が書いてあるようだった。ぼくはリストを裏返して、青山さんの着替え、食料、車のエアコンガス、燃料といった必需品を加えた。一通り書ききった後に、カーワックスも追加しようとペンを取り直す。


 ボブ爺さんと連絡を取るときは、専用端末を使う。本人曰く、「旧岩手県を占領した際、自衛隊駐屯地から拝借した衛星通信式の端末」らしい。


 数コールの後、年寄りのしゃがれた声が鳴り響いた。


『ごきげんよう、イカれたメンタル施工技師のお嬢ちゃん』


「青山さんはイカレてないですよ。ちょっとネジが外れているだけです」


『ウハハハハハハ。そうだな、お前さんの言う通りだ。わかってるさ、コミュニケーションだよ、コミュニケーション。その覇気のない声は、まっとうな坊主の方だな? ということは注文か。今度はなにが欲しい? ヤクか? ならタイミングがいいぜ、ちょうど新種の塩基配列を組み終わったところだ』


 ボブ爺さんは薬物をキメたばかりなのか、口調が足早でも回っていなかった。それでも会話の軸がぶれていないのは流石だ。うまく薬物と付き合えているのだろう(そんな人間は、地球のどこを探してもこの人だけだが)。


「まぁ、ヤクもそうですが……他にも、と」


『そのってのが一番やっかいなんだよな! しかもって言われるのが、最悪だ!』


 ボブ爺さんは吠えるように笑った。


『なんせお嬢ちゃんの仕事道具きたら、一に特注、二に特注! カラシニコフの弾倉をモルヒネのホロウポイントにしてくれって依頼をされた時は、さすがの俺も、こいつぁ稀代のイカレ野郎と……おっと、ネジの外れあそばせたお嬢様だと思ったもんだ!』


 実際にその特注を実現した方も大概イカレている、と言いそうになったが口を慎んだ。

 ぼくはこの人と出会ってから、世の中の不可能はおよそ実現可能だと学んだ。大切なのは時間と、人件費と、土地と、素材と、エネルギー面で妥協しないこと。そうすれば大抵の技術むちゃは可能になる。鉛とモルヒネを無理やり合金化して弾倉に加工することが可能になったように。

 青山さんが患者さまの施工に使う道具は、ほとんど彼が生み出している。


『それにしてもご苦労なことだ。今や、世界でたった一人のメンタル施工技師、だったか? ――正直、俺にゃよくわからん話だよ。世界がこんな有様なのに、クソ真面目に働こうってんだからよ。……いや、ってわけでもないのかな?』


 ボブ爺さんの声が低くなった。きっと端末の向こう側で、人相の悪い笑顔を浮かべているに違いない。


「どういうことですか?」


『つまり、お前らがいうってのは、基本的に無害な連中だろう。それをわざわざ見つけに行って、カラシニコフの弾丸を浴びせようってんだから、いやはや猟人生活ハンターライフもなかなかいい趣味だと――』


「無害じゃないの個体もいます。人間に対して無差別な性行為をしかけてくる個体とか――」


『そりゃ大昔の話だろ。パンデミックが始まって最初の頃は、そりゃ酷い有様だった。人を犯す個体もいりゃ、人を喰う個体もいた。しかし、あれから五年も経った。大体の『特奇症患者とっきしょうかんじゃ』ってのは、もうくたばったんじゃねぇのか? 現に、ロックハンズシティじゃめっきり見かけなくなった』


 ボブ爺さんは自ら占拠した街を、ロックハンズシティ呼ぶ。その強引な命名に異を唱える人はいない。そういうまともな神経を持つ人は、とっくに『特奇症患者とっきしょうかんじゃ』になってしまった。


 今から五年前、世界規模である症状が蔓延した。それはストレスを媒介とする感染症で、瞬く間に世界中の人間に広がっていった。WHOは、その症状に「自立神経特奇症じりつしんけいとっきしょう」という名前をつけた。さらに事態を鎮圧すべく、メンタル施工技師と呼ばれるエキスパートを派遣したが、それ以上の記録は残っていない。というのも、その一年後に全人類の九割が症状に感染し、文明が崩壊したからだ。


 『特奇症とっきしょう』は、一定以上のストレスを条件に感染し、発症すると強制的に

 大抵は、急激な肉体の変化についていけず死んでしまうが――ガンを思い浮かべてもらえばわかり易いかもしれない――それでもごく稀に肉体の変化に適合し、生き残るケースもある。

 そのごく稀な人々を、ぼくたちは患者さまと呼んでいる。


 基本的に、特奇症とっきしょうを治す方法はない。いちど罹患すれば死ぬか、人ならざる者に変貌するかである。

 さらに、肉体がストレスに適合した後の特奇症患者とっきしょうかんじゃは、生物として非常に不安定な存在となる。生殖器がうまく働かず、消化機能も衰える――そのため、食欲がある個体も喰っては吐いて、を繰り返す。


 放っておけば勝手に死ぬ。それが特奇病患者の末路だ。


 そんな生物と今さら関わろうなど、というボブ爺さんの言い分は非常にまっとうだと思う。だが『自立神経特奇症じりつしんけいとっきしょう』がれっきとした精神病である以上、メンタル施工技師である青山せらぴは、常に患者さまに対して、最善を貫き続けなければならない。


 たとえ、狩猟生活ハンターライフと揶揄されるようとも。


『お前さんたちのやっていることは狩猟生活ハンターライフと何も変わらん。違うのは、殺した肉を喰わないことだけだ。……まさか、食ってないよな?』


「まさか。あんなの不味くて喰えたもんじゃないですよ」


『ウァッハッハッハッハ! お前さんもジョークというものが分かってきたな』


 ひとしきり大声でわらったのち、「まぁそう悩むなよ」と言う。


『この大悪党の俺様が、他人にモラルを語る気はない。だが、まっとうな方の坊主よ、そうやって自分のこととか、将来のこととか、人のこととか、何でもそうだが、クヨクヨ悩んで動けないって状態が、人間の身体にとって一番よくねぇぞ。そういう連中がどういう末路を辿ったか、お前さんもこの五年でみてきたはずだぜ。いいか、世界ってのはもうとっくに破綻してるんだ。年金も、老後も、仕事も、義務も権利もクソもねぇ。お前はもう、自分の人生を好きに生きられる世界にいるんだぜ。お前は、お前がその気になればなんだってできるんだ。お前が何をしたいにせよ、そいつだけは忘れちゃいけねぇな』


「ぼくが何をしたいか……」


『そうそう。一番の確信はそいつだぜ。俺を見ろ。人類がほぼ滅びかけてるのに、好き勝手に楽しんでるだろう?』


「たしかに」


 ボブ爺さんのときたら、旧岩手県の占領、自衛隊駐屯地の乗っ取り、衛星通信網の独占、船舶、航空機、タンカーの略奪、麻薬の製造、武器製造・および流通――これで人生を楽しんでなかったら一体なんなのだ。


『このご時世、人生を楽むことが最大の護身となりうる――でねぇと、いつの仲間入りをするかわかったもんじゃねぇぞ』


「……忠告ありがとうございます」


『俺はな、テメェみたいな半人前がいつあのお嬢ちゃんに迷惑をかけるかって、仕方ねぇのさ』


 そう言って、ボブ爺さんは豪快に笑った。


『注文の品は、明後日の内に届けよう。カネはいらん。その代り、とびっきりの後日談ピロートークをよろしくな。じゃ』


「よろしくお願いします」


 通信が切られた後も、ぼくはしばらくぼんやりと無線を握っていた。


「自分が何をしたいのか…………」


 確かにこのご時世、なろうと思えばなんだってなれる。人間として生きるうえで課せられる制約の大半が、全人類の九割と一緒に吹き飛んでしまったからだ。しかし、いくら考えても自分のやりたいことが思い浮かんでこなかった。きっと、ぼくのやりたいことも一緒に吹き飛ばされてしまったのだ。


 ぼくはただ青山さんの傍にいられればそれでいい。

 




 

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