青山せらぴの特奇症患者治療録~かげろうの追悼者~
神崎 ひなた
1.メンタル施工技師の日常
「患者さまの気配がする」
そういい残して青山さんが廃ビルに突入してから三十分が経過していた。無線機には未だ何の応答もない。額から汗が垂れ、頬を伝った。それは緊張によるものでは無くて、ただ単に車の中が暑すぎるだけなんだ。
「青山さん。まだ時間かかりそうですか?」
無線機に呼びかけても返答がない。溜息を吐く。手の甲で汗を拭う。ああ、車を走らせて風の一つでも感じたい。しかし青山さんがいつ戻るか分からない以上、勝手な真似はできない。九十八年式ランドクルーザー、別名プラド。彼女の不在の間、愛車を守ることが、ぼくに与えられた仕事なのだから。
それにしても、とTシャツの
『ザザ――…………ピー……ガリガリ………ザッ』
車載無線機が、砂まみれの声でなにかを喚いた。ぼくは咄嗟に無線を取り、スピーカーに耳を近づけた。
「青山さん? 無線取れますか?」
ざりざり、という返事がかえってきた。車がポンコツなら無線もポンコツらしい。こいつとの付き合いも五年になるが、ヴィンテージの良さを見いだせる日は遠い。
「ポンコツのプラドから青山さん。繋がりませんか?」
『ザッ……ザリザリ――さっきからバッチリ全部聞こえてるよ。貴様、私の愛車をポンコツ呼ばわりとはいい度胸だな』
さっきまでの暑さが嘘のように引いていく――背筋が凍るとはこのことか。
「なんだか無線の調子が悪いですね……聞き間違えたんじゃないですか?」
『愛してるぞ、結婚しよう』
「式はどこで挙げます? やっぱりハワイ?」
『
「怖いですね。生まれ変わったら気を付けます」
『ところで、オオカミより怖い奴がそっち行ったぞ』
「え?」
その直後、青山さんが突入したビルの三階から、なにかが窓ガラスをブチ破りながら落下した。そのなにかは青空をバックに、太陽光に煌めくガラス片を纏いながら、一本の軸を保った美しいフォームで、真っ直ぐに地面へと突き刺さった。砂埃が舞い、視界が塞がる。遅れて、ガチャガチャとガラス片が落下した。ぼくは一連の光景を唖然として見守っていた。やがて、「フシュウウウウウウ」という喘ぎ声があたりに響いた。
「……たしかにオオカミの方がよっぽど可愛いですね」
砂埃が晴れると、地面に突き刺さった異形がその姿を現した。肌は白く、脇腹から禍々しく肋骨が飛び出ている。人間だったときの名残か、ボロボロになったジーンズを履いていた。三階から飛び降りた(あるいは落ちた?)にも関わらず、負傷している様子はない。ガラスで皮膚を切った様子もない。
特筆するべきは、異状に発達した頭部だった。ハンマーヘッドシャークの頭部を、さらに五倍くらい大きくした生物に人間の手足が付いているのを想像してもらえれば、大体合っている。
ぼくたちが患者さまと呼ぶ生命体の中でも、見るからに尋常では無い個体だった。
「メーデーメーデーメーデー。青山さん、早く戻って来てください」
『まだ他の患者さまの施工が終わってないんだよ。私が行くまで場を繋いどけ』
「場を繋ぐって……」
『問診くらいなら貴様にもできるだろ? 以上通信終わり』
「えぇ……」
とても言葉が通じるとは思えないのだが。どうしろというのだ。
そうこうしている間にも、患者さまはゆっくりと近づいている。あれだけ巨大な頭部を有しながら、バランスを崩さず器用に歩くものだ。酔っ払いみたいな足取りだが、その巨体ゆえに、自立した攻城兵器が接近してくるような迫力があった。
患者さまとプラドの距離が十メートル程度になろうかというあたりで、ぴたりと静止する。そして不意に片足を持ち上げたかと思うと、頭部を地面スレスレまで傾け、地面に倒れる瞬間、逆足を持ち上げて、頭部をグッと持ち上げる。そんな動作を繰り返している。そうすることで、遠心力の力を蓄積させているのだ。
速度×パワー、即ち威力。この計算式が正しければ、車ごと真っ二つにされてもおかしくない。攻城兵器は、今まさに放たれんとしている。
『おーおー、こりゃまた立派な頭をお持ちな患者さまだ』
ぼくの緊張感を嘲笑うように、無線から無邪気な声が聞こえた。
「青山さん……遅いですよ」
『勘違いするな。私は愛車を護りに来たんだ。貴様の事など知らん』
声の主は、いつのまにか患者さまのすぐ背後に立っていた。
彼女は、楽しくて仕方が無さそうに笑った。そうしていれば、とても可愛らしい女性なのだった。ピンクのワンピースを基調にしたフリルだらけのコスチュームも似会っているし、年齢不詳のツインテールがもう最高に可愛いし、銀縁のメガネも見た目の幼さと不思議なギャップを生み出している。そんな彼女を見るだけでぼくは幸せな気持ちになれる。
ただ、ところどころ返り血に染まっているのと、イカつい削岩式注射器を肩に担いる点がネックで、もっと言えば突撃銃(カラシニコフ)を背負っているのもミスマッチ感がある。
『ここまで頭部が発達しているということは、よほど頭痛に悩まさていたんだろうな。かわいそうに。こんな図体じゃ生きてるだけで苦痛だろう』
「冷静に解説してる場合ですか。愛車が廃車にされちゃいますよ」
『分かってるよ。……いま楽にしてやる』
青山さんの行動は、躊躇なく、唐突で、そして素早かった。回転する患者さまの足元に潜り込むなり、突撃銃を構えて手当たり次第にぶっ放したのだ。
「ウオオオオオオ………ン」
いくら並外れたバランス力を誇るとはいえ、ベースは人間の身体である。銃という元も子もない暴力で腱ごとブチ抜かれれば、為すすべもない。蓄えていた遠心力に、逆に放り投げられるようにして患者さまは吹っ飛んだ。
青山さんは、すでにその背中を捉えている。
『ちょっとチクっとするぞ』
いつのまにか彼女は、突撃銃の代わりに削岩式注射器が握っていた。とっさにぼくは目を逸らす。次の瞬間、チュイイイイ――――ンという音と共に、燃え盛るような激しい断末魔が響いた。プラドの窓に、赤かったり白かったりする液体がベチャベチャ飛来してくる。できるだけ視ないようにする。それらがひと段落すると、ぼくは車から降りて、靴が汚れないように気をつけながら青山さんの元に向かった。
施工はすでに、最終段階に差し掛かっていた。脊髄を破壊されてもなお、患者さまは呻き声をあげている。生物として破綻しているくせに、生命力だけは異状なのだ。だから簡単には死ねない。
「今まで辛かったな。お疲れさん、いい夢みろよ」
削岩式注射器の押し子が、ゆっくりと沈んでいく。内蔵された巨大タンクから、ゆっくりと麻薬が注入されていく。常人が十ミリグラム摂取したら一生戻ってこられないほどの高濃度、かつ高純度のアルカロイドだ。その調合法は、ぼくも知らない。
はっきりしているのは、脊髄に一リットルもの麻薬を注入された生物がどうなってしまうか、ということである。
「オオオ………オオ……」
患者さまの血走った目が、とろんと揺れる。その視線がどこを見つめているのか、なにを見ているのか――それは本人にしか分からない。いや、もう本人も分からないだろう。
気が付くと、青山さんは患者さまに手を合わせていた。なんとなくぼくもそれに倣った。
真夏の太陽光とアスファルトの反射熱に焼かれて、患者さまの白い皮膚がじりじりと音を立てた。香ばしくもないし、美味しそうだとも思わない。そこにあるのは肉片だったし、もっと言えば人に近い形をしている肉片だった。
「……施工完了だ」
目を開くと、患者さまの眼はもう何も見ていなかった。青山さんといえば、もうすっかり普段の調子に戻って、無邪気に笑っている。
一級メンタル施工技師、青山せらぴ。
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