第34話 経津主神(ふつぬしのかみ)との対峙

「はぁ~あ」

 朝のホームルーム前。

 窓際の席で、衣乃理は頬杖を突きながら溜め息を漏らした。

「おはよ、衣乃理……なによ、溜め息なんかついちゃって」

 後ろの席で宿題やらを確認していた小川おがわ珠子たまこが、目ざとくそれを見つけて声をかけてきた。さすがは親友といったところだ。

「最近、そんな溜め息つくことなかったのに」

 最近、というのは、ミカヅチが五月蠅なすものを退治してからは、という意味だろう。あの頃、衣乃理はいろいろと悩むこともあったが、以降、特に大きな悩みは抱えていなかった……昨日までは。

「う~ん……ちょっと面倒なことが起きたんだけど……今は時間ないし、後で話すよ」

 衣乃理の悩みは当然、香取切音とフツヌシのことだ。経津主神の化身、フツヌシの巫女だという切音は、最強の座を巡って衣乃理に挑戦してきたのだ。

「まずは挨拶にうかがっただけですので」

 切音はそう言って単身、帰っていったが、来週にはロボット……フツヌシとともに再来するという。しかも……。

(あの希ちゃんが、本当に負けたの?)

 だとすれば、ミカヅチが……というか、自分が勝てるはずはない。

(それに……ミカヅチより強い神様?)

 まさか、あそこまで堂々と言い切る者が現れるとは、神様についてよく知らない衣乃理にも衝撃だった。何も知らないだけに、かえって「建御雷神は最強」という言葉を疑ったことはなかった。

「はぁ……」

 衣乃理が、深く二度目の溜め息をついた時。

「はーい、朝礼ですよー」

 担任の女性教師、二重作ふたえざく先生が教室に入ってきた。いつもよりちょっとだけ早い。

「あれ、先生、もう来た」

 そう言いながら、珠子が急いで席に着く。

 先生がいつもより早く教室を訪れた理由は、すぐにわかった。その後ろに、見知らぬ女生徒を従えていたからである。

「今日は、みなさんに転校生を紹介します」

 その言葉に、教室がざわめく。このような中途半端な時期の転校生は珍しいからだ。

「転校生……? 私、そんなの聞いてないわ」

 後ろで珠子がぼやく。別に珠子が聞いてないから問題ということはないが、噂好きの珠子としては、事前に情報が入れられなかったことがショックだったのかもしれない。

「そうだね。五月に転校生なんて、ちょっと中途半端かも」

 この鹿嶋市には、プロサッカーチームを擁することで有名な製鉄会社があり、その関係で転勤などで訪れる生徒もたまにいる。だが、それなら、年度はじめの四月に転校して来てもよかったのではないか。まあ、いろいろと事情はあるのかもしれないが。

「さ、自己紹介して」

 そう言いながら、二重作先生はチョークを手にした。クラス全員の視線が転校生の少女に集まる。

「は、はい……」

 転校生の少女は……なんというか、とてもおどおどした、儚げな印象を受ける少女だった。

 肩を超えるほどまで伸ばした黒髪は美しかったが、やや前髪が長く、うつむいているせいでほとんど目を覆ってしまっている。両手も体の前でもじもじとせわしなく動いているし、爪先もまた、所在なさげに上下に動かしていた。転校したてて緊張しているとはいえ、見ているこちらまで緊張してきそうな空気を漂わせている。

 あまり飾り気が感じられない中、唯一、目に止まったのは、小さなヘアピンについている星形の飾りだろうか。とはいえ、前髪が目を覆うほど垂れているので、ヘアピンが役に立っているかどうかは疑問だったが……。

「さあ」

 名前を書こうと待ち構えている先生が、もう一度、少女を促す。すると、少女はおずおずと半歩、前に出た。

「あ、天橋あまはし美景みかげです。よろしく、お願いします……」

 その自己紹介とともに、二重作が黒板に名前を書く。

「天橋さんは、お家の方の仕事の都合で日立市から転校してきました。みなさん、仲良くしてね」

 その後、二重作が気をきかせて質問タイムを設けたのだが、そこはあまり盛り上がらなかった。

「好きなテレビ番組は?」

「あまり、観ないです」

「好きな科目は?」

「特に、ないです……」

「好きな食べ物は?」

「え、ええと……ええと……」

 など、答えがなかったり言葉に詰まったりと、あまり話すのは得意ではないようだった。

「じゃ、あそこの席に座って。小川さんの隣」

 と、二重作が指定した時には、盛り上がらない質問から解放されて、天橋もクラスのみんなもほっとした空気を漂わせたほどだった。

「よろしくね、天橋さん」

「は、はい。よろしくお願いします」

 それでも、珠子が話しかけると天橋は小さく笑みを作って頷いてくれた。

「小川さん、武見さん。天橋さんがわからないことあったら、あなたたちが教えてあげて」

 そこに先生からの声がかかり、衣乃理と珠子もうなずく。

「そういうわけだから、あらためてよろしく。私、小川珠子。前の子は、武見衣乃理」

「は、はい。ありがとうございます」

 こうして衣乃理と珠子は、転校生である天橋美景の世話役に任命されたのだった。



「えっ、美景ちゃん、ミカヅチの騒動、知らないの?」

 美景と一緒の初めての下校時。珠子は、ミカヅチと衣乃理について美景に説明していた。

 美景ちゃんという呼び方については、珠子が早々に「名前で呼んでもいいよね? 私のことも珠子ちゃんでいいからさ」と了承を取ったことによる。とはいえ、美景の方は珠子や衣乃理を苗字で呼び続けているが。

「す、すみません。私、そういう事件とか、あまり知らなくて……なんとなく聞いたような気はしますが」

 恐縮して肩をすくめる美景に、衣乃理は慌てて首を振った。

「そんな、別に、謝るようなことじゃないよ。むしろ、あんまり大きく報道とかされたくないし……」

「は、はい。でも、すごいです……武見さんて、その、神様に選ばれた人なんですよね?」

 うつむきがちだった美景が、ぐっと顔を上げて衣乃理の目を見る。その瞳は、心なしか輝きを増しているように見えた。

「美景ちゃんって、神様とかの話、好きなの?」

「はい! 私、日本神話に限らず、神話とか伝承とか大好きなんです! もちろん、まだまだ知らないことばかりですけど……でも、鹿島に引っ越してくるので、鹿島神宮のことは少し調べました。ここの神様は、とっても強いんですよね?」

「ん? ……うん、そうらしいね」

 切音からの挑戦を思い出し、少し歯切れの悪い返事になってしまう衣乃理。

「しかも、その神様の力で動くロボット……でしょうか? そのようなものが実在するなんて、ロマンですね!」

「あはは……まあ、そうだね」

 予想外の美景の食いつきに、衣乃理は引き気味に答える。

「そんなに好きなら、今度、衣乃理が操縦の練習する時、見に来たら?」

「えっ、いいんですか? そういうのって、機密なんじゃ……」

「平気、平気。町のみんなも、普通に見てるから」

 衣乃理も応じる。

「そうですか……それでは、ぜひ」

「あ、じゃあ、携帯の番号とか交換しようよ。声かけるからさ」

「わ、わかりました。ええと……」

 美景はスマホを取り出し、さっそく衣乃理や珠子と番号を交換する。

「武見、衣、乃、理……さん。この漢字でいいですか?」

「お、ご名答。よくわかったね。衣乃理の名前、けっこう珍しいのに」

「小川さんは……はい、登録できました」

「じゃ、今夜から早速、いろいろメッセージするからね」

「はい、よろしくお願いします……私、前の学校でもあまりお友達がいなかったので、いろいろお話しさせてくれると嬉しいです」

 そんなことをストレートに言われてしまうと、衣乃理や珠子としても放っておけない。

(思ったよりもおしゃべりが好きな子みたいだし……これからは、お休みの日とかも声をかけてみようかな?)

 そんなことを考えていると、やがて、武見家へと続く分かれ道に到達していた。

「じゃあ、また明日ね」

「じゃねー」

「は、はい。明日も、よろしくお願いします」

 珠子たちに手を振り、衣乃理は一人、家路についた。



 夜、二十時。

 香取神宮の敷地内に設置された格納庫。

 香取切音は、その格納庫で、神機……フツヌシと向かい合っていた。

 両肩に雄々しく張った鋭い飾り。そして、腰にいた大小の刀。戦神にして剣の神、経津主神の化身たる姿である。

「……調整は完璧のようね」

 後ろで見ていた女性が、切音に声をかける。

 黒い、パンツスタイルのスーツ姿の女性。神社本庁から派遣されてきたという、鈴木奏すずきかなでなる女性だ。

「ミカヅチとの対決、手続きはしていただけましたか?」

「ええ。もともと、神の化身の戦いは治外法権……とはいえ、何か事故が起きては大変だものね。広い、安全な場所で行うことを条件に、自衛隊や警察にも事前に許可を取ってあるわ。総理にも報告済み」

「そうですか。安心しました」

 フツヌシもミカヅチも、互いに最強を名乗る戦神だ。切音は負ける気はさらさらないが、場合によっては危険な戦いになりかねない。以前のミカヅチのように拘束されないためにも、戦いの場は整えておく必要があった。

「それで、あなたから見て、ミカヅチの力のほどは?」

 奏が訊いてくる。

「わかりません。五月蠅なすものを倒す時、一時的に強い力を発揮したようですし」

 フツヌシの鞘に手で触れながら答える。

「その力を発揮されたら、あなたでも危ない?」

 奏からの質問に、切音は目を閉じ、ふうと息を吐く。

「それは、ありえませんね」




 次の土曜日。

 部活にも入っていない衣乃理は、のんびりとした休日を過ごし……たかったのだが、今日は朝からミカヅチの操縦訓練をさせられていた。

 場所は、下津海岸。ミカヅチが暴走したり、化け物と戦ったりして、衣乃理には嫌な思い出Bもある場所だが、他人様に迷惑をかけない場所としてはここが最適だったのだ。普段は鹿島神宮横の駐車場を借りているのにわざわざここを選んだあたり、鹿平の気合が感じられる。

「ほら、衣乃理! ミカヅチの素振り!」

 鹿平の命じるままに、布都御魂剣の神を振る衣乃理。布都御魂剣は一応、国宝なのだが、こんなことに使っていいのだろうか……まあ、持ち主である建御雷神が使っているのだから、いいのだろう。たぶん。

「いーち、にーい……って、こんなこと意味あるの、お爺ちゃん? ミカヅチはロボットなんだし、こんなことしても筋肉とかつかないよ?」

「黙って続けろ。これは、どっちかというと乗り手のお前の稽古だ。正しい姿勢、強い動きを体に叩き込め」

「はぁ~い」

 鹿平は、こうと言ったら聞かないのは衣乃理もよくわかっている。それに、切音とフツヌシは、いつやってくるかもわからないのだ。というより、今日、来るのではないかというのが鹿平の予想だった。見たところ、切音もまだ学生の年頃のようだし、やってくるとしたら学校のない週末の可能性が高い。

 などということを考えていると……。

 プルルルル。

 操縦席に備え付けてあるスマホに着信があった。母の明美からだ。

「はい。なに、お母さん?」

 ハンズフリーにして応答すると、明美がのんびりした声で問いかけてきた。

「衣乃理、あなた、お爺ちゃんと一緒に海岸よね?」

「うん、そうだけど?」

「よかった~。さっき、切音さんが遊びに来たから、下津海岸にいるって伝えておいたわよ。もうすぐ行くと思うから待っててね」

「え……!?」

 いや、そんなこと言わないで、呼び止めておいて。お茶でも出しておいて。

 衣乃理がそんなことを母に頼もうとした時。

 フォン!

 自らの存在感を示すかのように、海岸の駐車場に高いエンジン音が響いた。



「送っていただいてありがとうございます」

 切音は、鈴木奏が運転する2シーターのスポーツカーから降りて礼を言った。

「いえいえ、小さい車で窮屈じゃなかった?」

「そんなこと。素敵な乗り心地でした」

 切音は車には詳しくないが、奏とのドライブは快適だった。

「フツヌシとミカヅチの対決となれば、私も見ておきたいし……上にも報告したいしね」

 奏も車から降り、小さなビデオカメラを取り出した。

「ご期待に添えるような戦いになるといいですが」

 そんなやり取りをしていると、やがて、フツヌシを載せた後続のトレーラーも駐車場にやってきた。



「わ、わぁ、お爺ちゃん。切音さん、もう来たよ?」

「予告通りか。こうなったら、逃げも隠れもできねえ。衣乃理、やってやれ!」

「やってやれって言っても……」

「こないだ化け物を倒した時の威勢はどうした?」

「あの時の威勢って……そんなの、どっか行っちゃったよ」

 事実である。あの時、衣乃理が、ミカヅチが見せた紫電や鉄角爪といった技は、練習の場では再現できなかった。どうも衣乃理は、またはミカヅチは、まだまだ本番でキレないと力を発揮できないようだ。

「とにかく。香取の神様相手に、恥ずかしい戦いはするんじゃねえぞ」

 からここここ。

 鹿平とそんな話をしている間に、衣乃理にとっても聞き慣れた歯車の音が響いてきた。神機の駆動音。フツヌシの動く音である。

「さあて。まずはご挨拶ね。久しぶり……というほど前ではないわね、衣乃理ちゃん」

 フツヌシの拡声器から切音の声が響く。

 初めて見るフツヌシの姿は、当然ながら、ミカヅチともミナカタとも違う形状であった。

 ミカヅチのような長い角はないが、その代わり、両肩の飾りは大きい。また、布都御魂剣一振りだけを持っているミカヅチとは違い、まるで武士のように大小の剣を佩いていた。

「うっ、強そう」

 思わず弱気な声を漏らす衣乃理。まあ、衣乃理は、今まで戦ったすべての敵に「強そう」という感想を抱いているのだが。

「さて。問答は無用でしょうし、始める?」

 フツヌシは鳴れた手つきで大刀の鯉口を切りながら歩いてくる。

「も、もうですか? でも、心の準備とか、ルールとか」

 そう言いながら、衣乃理は一歩、ミカヅチを後退させる。

「ルール? そんなの『参った』するまででしょ?」

すらりと刀を抜くフツヌシ。布都御魂剣のような直剣ではなく、いわゆる日本刀に近い形状だ。

「参ったすれば許してくれるんですか?」

 その言葉に希望を見出し、衣乃理が食いつく。

「ええ。でも、すぐに参ったしちゃ駄目よ?」

「う」

 図星を突かれて、衣乃理が言葉を失う。

「ある程度粘ってくれないと、手を抜いたとみなして、もっと強めにいじめちゃうかも」

「そ、そんなぁ」

 では、全力を出しても粘れなかった場合、どうなってしまうんだろう。

「さあ」

 切音は弾んだ声で勝負を挑んでくる。戦いの場だというのに、妙に嬉しそうなその口調がかえって怖い。

「衣乃理、愚図ってても終わらねえぞ! 行け!」

 鹿平が勝負の邪魔にならない場所まで下がりながら怒鳴ってきた。

「う、うぅ……わかった! やりますよ!」

 もはや物理的にも立場的にも逃げられない。衣乃理は半ばヤケになって布都御魂剣を上段に構えた。

「……上段の構え。私とフツヌシを相手に防御を捨てた構えとは、恐れ入るわ」

「えっ? そういうわけでは……」

 切音からの指摘に、ミカヅチの剣先が揺れる。衣乃理が取らせた構えに深い意味はない。ほとんど威嚇のような意味合いしかなかった。

「いいのよ、別に」

 ミナカタは、右手に持った刀を下段に下げながら、無造作に歩いてくる。

「! えいっ!」

 その何気ない歩みを見て、衣乃理は布都御魂剣を両手で振り下ろさせる。

「おっと」

 だが、フツヌシは布都御魂剣が当たる寸前ギリギリのところで歩みを止めた。剣先がフツヌシの眼前を通り過ぎ、止めきれなかった剣が砂浜を叩く。

「はい」

 ぴたり。

 そして、フツヌシの持つ刀の先が、ミカヅチの顔に突き付けられた。

「まだまだね」

 先日、生身の姿の時に敗北したのとほぼ同じ形だ。衣乃理は切音に打たれることもなく、寸止めで実力差を思い知らされていた。

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