第32話 切音との対決
「そう。あなたが鹿平さんのお孫さん」
少女が自分の家を探していると知った衣乃理、そして健児は、ジョギングを切り上げて自宅目指して歩いていた。
衣乃理たちが歩いているのは鹿島神宮に面した宮中通り。少し早い初夏を感じさせる陽気の中、鹿島神宮の森から漂う風が心地よい。
「はい、武見衣乃理です」
「俺、鹿森健児です」
「そう。私は切音。よろしくね」
「よ、よろしくお願いします。あの……苗字は?」
「私、名前で呼ばれるのが好きなの。だから切音って呼んで。私も衣乃理ちゃんって呼ぶから」
「は、はい」
落ち着いた雰囲気に似合わず、わりとぐいぐい距離を詰めてくる人なのだろうか。そんなことを考えながら衣乃理もうなずく。
「ということは、……あなたがミカヅチの巫女ね?」
「えっ」
突然、そんな話題を切り出され、衣乃理と健児が声をあげる。
ミカヅチの搭乗者である衣乃理の実名は、一応、報道されないことになっている。だが、人の口に戸は立てられない。外部に知っている者がいてもおかしくはないが……。
「お姉さん、ナニモンすか」
健児が、衣乃理の前に出ながら尋ねる。
「私? ……そうねえ」
健児の警戒した様子を笑顔で受け流し、切音は人差し指を顎にあてがう。
「最強の神の関係者……かしら」
「!?」
最強の神。それは、衣乃理が祖父の鹿平から何度も聞かされた言葉。衣乃理たちにとっては、ミカヅチ、つまりは建御雷神の代名詞のような言葉である。
「それって……」
「お姉さんも、鹿島神宮、ミカヅチの関係者ってことかい?」
神に関係する人物と聞いて、衣乃理と健児の警戒心もいくぶん和らぐ。
しかし、それに対する切音の返答は、決して友好的とは思えないものだった。
「ミカヅチが最強……それは、どうかしら?」
「えっ」
思わぬ言葉に、衣乃理は息を呑む。
「私は、最強の神に関わる者と言っただけ……それが、ミカヅチだとは認めていないわ」
こともあろうに、この鹿島の地、鹿島神宮に面する宮中通りで、目の前の少女、切音はそう言い放ったのである。
「さて。今のところ、人はあんまり通らなさそうね」
切音は森林浴でも楽しむかのように両手を広げた。
衣乃理たちがやってきたのは、鹿島神宮の敷地内。宮中通りから要石、奥宮をつなぐ道の途中である。
「あの……ここが、何か?」
衣乃理と健児は、切音に半ば強引にここに連れてこられていた。どうやら切音は、鹿島神宮内の道には通じているらしい。
「ちょっと、あなたという子を知りたくてね」
衣乃理の方を振り返りながら、切音が笑う。
「……?」
「最強を勝手に名乗る神。その巫女が、どれほどのものなのか」
そう言うと、切音は手近にあった枝を二本拾い上げ、一方を衣乃理に投げて寄越した。
「えっ、あっ、え?」
突然、投げられた枝を、衣乃理はわたわたと戸惑いながら受け取る。
「ちょっと、腕前を見せてくれる?」
「う、腕前?」
「わかるでしょ? あなたも、戦神の巫女なら」
片手で正眼に枝を構える切音。
「先に枝でどこかを叩かれた方が負け。お互い、怪我はしないから安心して」
「ちょ、ちょっと待って」
「そ、そうだよ。いきなりすぎるよ、お姉さん」
強引すぎる展開に、衣乃理も健児も腰を引いて宥めようとする。しかし。
「あら、逃げるの?」
「逃げるとか、そういうことじゃ……」
「あの諏訪希って子は、堂々と私と戦ってくれたわよ? ……もちろん、私が勝ったけど」
「!」
諏訪希。その名前に、衣乃理の体が強張った。
希は、諏訪大社の祭神、建御名方神の巫女。神機ミナカタの搭乗者だ。ミナカタも、希も、衣乃理より遥かに修業を積んでおり、強く、速く、逞しい。その希が……?
衣乃理が衝撃を受けていると、切音が言葉を続けた
「あの子、プライド高そうだったから。今ごろ泣いてるんじゃないかしら」
そして、ふっ、と鼻で笑う。嘲ったのだ。希を。
「……!」
それを認識した時、衣乃理も自然と枝を構えた。とはいえ、
「衣乃理、やめとけ」
健児が制止の声を飛ばす。幼馴染が何を言いたいか、衣乃理にもわかっている。希と同じ巫女に選ばれたとはいえ、衣乃理は未熟もいいところ。しかも、衣乃理自身は武術の稽古などしたことはない。せいぜい、健児に付き合わされて少しばかり素振りをした程度だ。
(でも、でも)
目の前でああして希を馬鹿にされて、それでも何もできなかったなんて、後で希に顔向けできない。
(勝てっこないけど、でも)
一矢報いたい。あの余裕の笑みを崩したい。その一心で、衣乃理は枝を構えた。もちろん、これが本物の竹刀や剣を構えての試合だったら、この決意も揺らいでいたかもしれないけれど。
(枝でどこかを叩いたら勝ち、だもんね)
拾った枝を使ってのチャンバラなら、幼少時代に健児と何度もやった経験がある。あの頃は、健児に勝つことだってあったのだ。
「やる気になったみたいね」
枝を構えたまま、切音がにこりと笑う。
「衣乃理……」
「大丈夫だよ。チャンバラ遊びみたいなものだもん」
心配そうに声をかけてくる健児の方を振り返らずに答える。
「じゃ、あなたから来る? それとも、私から?」
「……」
切音が声をかけてきても、衣乃理は答えない。無視をしているわけではない。どちらが有利なのか、衣乃理にはわからないのだ。
「ん~……それじゃ、私から行くわね」
衣乃理の返事がないのを見て、切音が正眼に構えていた腕をだらりと垂らす。そして、まるで散歩でもするようにふわりと衣乃理に向けて歩いてきた。
一歩、二歩、三歩。切音はみるみるうちに、衣乃理の枝が届く間合いへと踏み込んだ。その瞬間、緊張状態にあった衣乃理の体が勝手に動いた。
「やぁっ!」
枝を振り上げ、切音の頭に向けて振り下ろす。剣道で言うところの面だが、ただの枝なので怪我はしない。強い打撃を与えようとすれば、むしろ枝の方が折れるだろう。
「おっ」
健児が、短く歓声を漏らす。この距離、このタイミングならかわせない。衣乃理にもそう思える一撃だった。切音は油断しすぎたのだ。
「えい」
だが。
切音の気の抜けるような声とともに、衣乃理の視界ががくんと揺れた。同時に、体が大きくつんのめる。
「わっ、たっ、たっ……!」
その勢いを制御できず、衣乃理はケンケンをするようにたたらを踏む。目の前には、鹿島神宮に並び立つ巨木のうちの一本があった。
「た、たたたた……!」
このままでは木にぶつかる。枝を放り投げ、少しでも勢いを弱めようと両腕を振る衣乃理。
……ぴたり。
今まさに衣乃理のおでこが木にぶつかろうと言う時、すんでのところでその勢いは止められた。
「危ない、危ない」
振り返ると、切音が左手で衣乃理の右腕を掴んで止めてくれていた。
「あ、ありが……」
「やぁ」
礼を言おうとした衣乃理の額に、ほとんど触れるような優しさで切音の枝が振り下ろされた。
「あ……」
頭上の枝を見上げながら、置物のように動きを止める衣乃理。そんな衣乃理に、切音はふたたびにっこりと大きな笑みを見せた。
衣乃理は、敗れたのである。
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