第30話 紫電、決着、謎の影
ギギギギギ……。
大きく後ろに引かれた五月蠅なすものの左腕が、限界まで絞られた弓のような音を立てる。全身の筋肉を使って、必殺の投擲を練り上げているのだ。その発射準備は、すでに整っている。だが、放たれない。必中の瞬間を狙っている。
「…………」
対するミカヅチは、布都御魂剣を大上段に構えたまま、二十メートルほど離れた場に立っている。剣しか武器のないミカヅチにとっては、余りにも遠い。一足一刀の距離とはとても言えない。
ヒュウ。
搭乗席上部に穿たれた穴から潮風が吹き込む。もし、真正面から同じ攻撃を食らえば、今度こそ衣乃理の体が貫かれるだろう。その恐怖を振り払いながら、衣乃理は操縦桿を通してミカヅチの声に耳を傾けていた。
(いくよ、ミカヅチ)
鹿平から多くを聞かずとも、衣乃理にもわかる。この構えからの攻撃は、ただひとつ。まっすぐに剣を振り下ろす。それだけだ。
ガンマンが向かい合うかのように、動かないまま睨み合うミカヅチと五月蠅なすもの。
「ふぅ……」
衣乃理の呼吸に合わせて、ミカヅチの剣先が少しだけ揺れる。それでも、両者は動かない。
「……ギ」
何秒経っただろうか。五月蠅なすものの左腕がぴくりと動いた。そして。
「ギィアォォォ!」
左腕がさらに太くなり、必殺の投擲への動作を開始する。その瞬間。
バチッ!
鋭い音とともに、ミカヅチの足元の砂浜が爆ぜた。
(ぐっ……!)
極限の集中の中、衣乃理は座席に押し付けられながらもタイミングを計っていた。あれほど距離があった五月蠅なすものが、みるみるうちに接近する。いや、接近しているのはミカヅチだ。
ミカヅチは、右足を前にしてて砂浜を飛んでいた。
五月蠅なすものは、まだ投擲のモーションの途中だった。その間に、ミカヅチが凄まじい速度で間を詰めた。今の衣乃理は、それをスローモーションのように見ることができた。
ザン!
ふたたびの鋭い音とともに、時間の流れが戻る。
前に出したミカヅチの右足が、五月蠅なすもののすぐ前に着地する。踏みとどまった右足から伝わる勢いを膝、腰、肩、腕、手首へと伝える。それは決して洗練されたものではなく、半ばつんのめるような状態であったが、伝達される力は十分だった。
「うおぉぉぉぉぉぉーっ!」
自分のものではないかのような、雄々しい叫び声が口をついて出た。
「……ギ!?」
袈裟切りに振り下ろす布都御魂剣を、投擲動作中だった五月蠅なすものの太い左腕が遮る。
だが、最強の戦神が振るう最強の剣は。
ズドン!
まるで紙を裂くかのごとく。残酷なほどに圧倒的に、砂浜に突き立った。
「……ギ」
砂浜に大きな切れ込みを入れた布都御魂剣。
その両側では、左右に裂かれた五月蠅なすものが、ゆっくりと左右へと倒れ込んでいった。
「布都御魂剣。そして、紫電……すごいものね」
砂浜に刻まれた斬撃の跡を見ながら、希がつぶやく。
「うん。でも、次はできるかどうかわかんないよ」
あの時、衣乃理は「敵に近づいて、斬る」ということだけに集中していた。紫電とやらいう技を使えたのは、そのおまけのようなものだ。
「お互いに、まだまだ修行が足りないわね」
希が小さく溜め息をつく。
「でも、もう、ミカヅチを降りるなんて言わないんでしょう?」
「……うん」
カラココ。
衣乃理の言葉に喜んだかのように、駐機しているミカヅチの歯車が鳴った。
「わたしが弱いせいで、みんなにも迷惑かけちゃったし」
自衛隊の天幕の近くでは、健児と大和が、それぞれの両親からどやしつけられていた。ミカヅチを引っ張り出すために、二人は勝手に立ち入り禁止区域に突撃したのだそうだ。しでかしたことは褒められたものではいが、その気持ちは素直に嬉しかった。
「と、言っても、もうあのお化けみたいなのはやっつけたし。後は、黄印さんが挑戦してくるくらいだよ」
ミカヅチの足にもたれかかりながら笑う衣乃理。ミカヅチに体重を預けてみると、自分が思っていた以上に疲れていることを実感する。
「……だと、いいけれど」
楽観的な衣乃理の言葉に対し、希はつぶやく。こんな時だというのに、その表情は悲しげに見えた。
「佐竹さん、あのミカヅチってのにいいとこ持ってかれましたよ」
槍埼一等陸曹は、不機嫌も露わに親指でミカヅチを指差した。
「違うだろ、槍埼。神の化身が、我々が出るまでもなく解決してくれたんだ」
上官の佐竹は、ほぅと溜息をつきながら訂正する。
「でも、またあたしら叩かれますよ? 税金泥棒だの訓練してるだけだのって」
「……もし我々が動いていれば、さらに叩かれたさ。我々はそういう存在だ」
槍埼の不平を静かに
「それにな、槍埼」
少し声を抑えて、佐竹は部下とは目を合わせずにつぶやく。
「あれが最後という保証はない」
現場で鍛えた佐竹の勘が伝えていた。今回の件についての、人為的な何かを。
「つまり、特車が出る機会もあるってことですか?」
「嬉しそうな顔をするな、馬鹿……ま、その危険性もあるということだ。だから精々、訓練に励むとしよう。今までと同じくな」
「ではな」
海岸の衣乃理とミカヅチを遠く見ながら、黄印は鹿平に軽く頭を下げた。
「……いいのか、衣乃理に挨拶していかなくて」
黄印の背後には、二人の警察官がぴったりと張り付いている。その意味は明らかだった。自分は悪の科学者……犯罪者なのだから。鹿平とこうして話す時間をくれているだけでも温情というものだろう。
杏奈は搭乗席から無事に救出され、担架で運ばれている。彼女が保護されている以上、黄印に抵抗の意思はなかった。
「必要ない。私と貴様らは、そもそも宿敵同士なのだから」
「ま、そりゃそうか」
「次はお前を倒す。そう伝えてくれ」
鹿平が肩をすくめるのを見ながら、黄印は踵を返した。
「……近いうちにな」
「へへっ」
最後にそう付け加える黄印の背後で、鹿平が笑った。
「お疲れさまです」
黄印がパトカーの後部座席に乗せられようかという時、警察官の一人が立ち止まり、敬礼の姿勢を作った。黄印もつられて振り向くと、そこには見覚えのある女性が立っていた。
「少し、お話しをいいかしら……そちらの人と」
遠藤が視線で示してきたのは、黄印だった。
「手短に願います」
現役議員からの要請とあって、警察官も素直に従う。
「遠藤議員か」
「あら、私をご存じ?」
黄印のつぶやきに、遠藤はとぼけた返事を返してきた。
(まあ、そうだろうさ)
黄印は口元で僅かに笑みの形を作る。
「テレビなどにも出ている人なのでね。私は政治には興味がないが、顔と名前くらいは知っている」
「そう……あなた、研究者らしいけど、凄いものを作ったのね」
「……計算外のものも生み出されたようだがな」
遠藤議員を睨む黄印。杏奈の重機が変貌を遂げた理由。それに黄印は気が付いている。
あの時、遠藤は支援の代償として自らが持ち込んだパーツの使用を命じてきた。そのパーツは、自機の全てを自らの手で仕上げたい黄印の代わりに、杏奈が使用してくれたのだ。原因はあれだとしか思えない。どういう仕組みによるものかは残念ながら不明だが。
「そう。暴走かしら? 機械なんてアテにならないものね」
「いや、機械は素直だ。間違いがあるとすれば、人間のミス……または悪意だ」
「…………」
ほんの一、二秒、睨み合う。
「……とにかく。しっかりと、警察にお話ししなさい。あなたの可愛い助手さんも、まだ動けないのだから」
「……!」
「私も今度、彼女のお見舞いに行きたいわ」
「そうか……それは、感謝する」
黄印は目を伏せた。遠藤の言いたいことはわかっている。杏奈は今、人質も同然だ。
「せめてもの例に、ちゃんと証言するさ。『貴様の望む通りに』な」
「ありがとう」
遠藤議員はにこりと笑う。その笑顔が魅力的であることが、逆に気持ち悪かった。
「話は終わった」
「お、おい」
黄印は自ら話を切り上げると、パトカーの後部座席にもぐり込んだ。
(遠藤……今は、黙って従っておいてやる)
そう思いながら、横目でミカヅチを見る。その足元には、衣乃理ももたれかかっている。
(これからが始まりだぞ……私以外の者に負けるなよ、戦の神)
ジリリリリ。
三木総理の私邸に、電話の音が響く。
「三木だ」
席に着いていた三木が素早く受話器を取る。
「なに? うん、うん……わかった」
手短に返すと、三木は受話器を置く。ひとつ息を吐いてから、室内にいる二人に向けて口を開いた。
「化け物は撃退、ミカヅチが勝ったとさ」
「おお」
「そうでしょうね」
秘書官が短い歓声をあげ、女性は微笑した。
「……では、今後のこともありますので」
女性は音もなく立ち上がると、まず三木に、続いて秘書官に頭を下げる。
「まだ続くってぇことかい?」
「もちろんです」
「しかも、あんなのがまだまだいると? 化け物も……カミサマのロボットとやらも」
「ええ。これから忙しくなりますわ」
女性の表情が、少しだけ厳しくなる。
「む……」
自分の半分以下の年齢ほどしかないはずの女性に、三木は気圧されるものを感じていた。遠藤議員のような、食ってかかってくる迫力ではない。何か、静かな貫禄のようなものだ。
「五月蠅なすものは、あれだけではありません。そのために、全国に、神の化身が
「ぜ、全国?」
女性の言葉に、秘書官が声をあげる。
「全国ってぇと、各都道府県、って意味かい?」
「ええ、最低でも一体は」
「…………」
じゃあ、あんなのが四十七体以上いるってのかよ。
「ありがたいことですね」
三木のうんざりした内心をからかうように女性が微笑する。
「すでに修業を積んでいる巫女、これから目覚める巫女……彼女らは、全国に散らばっています。不謹慎ながら、興奮を禁じ得ませんわ」
それからの一週間は、あっという間に過ぎた。
衣乃理は念のため病院で検査を受けたが、特に大きな怪我はなかった。
五月蠅なすものについては自衛隊や警察が調査をしようとしたようだが、戦いの翌日にはその肉塊は全て消滅し、黄印の作った紫色の重機しか残らなかった。
そして今日は、鹿平によるミカヅチの修理が完了する日であった。
ミカヅチ、そしてミナカタが、鹿島神宮の鳥居横の駐車場に立たされている。未だその姿は見えず、大きな幌で包まれたままだ。
「えー、このたび、市の平和を守ってくれたミカヅチとミナカタの修理がとどこおりなく……」
「市長、長ぇ……じゃなかった、熱の入ったスピーチ、ありがとうよ……おい、健児!」
駆けつけた市長などの挨拶も終わり、大和や健児たちが、両機体にかけられた幌を引っ張る。
「わぁ」
そこに現れた両機体は、すっかり元通りになっていた。腹部に穴もなく、細かい傷も消えている。
「どうだ、すっかり元通りよ」
「うん、さすが!」
修理の経過は鹿平に毎日見せてもらっていたのだが、なんだか、ミカヅチとは久しぶりに会ったような気持ちになる。
「……」
希は黙ってミナカタの足の辺りに触れている。表情は変わらないが、きっと嬉しいはずだ。
ただし、その両腕は、まだ欠損したままだった。
「希ちゃん……ごめんね。私とミカヅチのせいで、ミナカタが……」
「……そのことは、もう何度も言ったでしょう。気にしないで。それより……」
希が、衣乃理に正対する。そして、深々と頭を下げた。
「今まで、いろいろとお世話になったわ。お元気で」
「えっ?」
あまりに簡潔な言葉に、衣乃理は我が耳を疑った。
「私たちは、そろそろ長野に帰ることにするよ。戦いも一段落したしね」
鹿平と何事か話していた宮坂老人が、希に代わって説明してきた。
「ミナカタが直るまでと思っていたけど、鹿平さんのおかげで、直せるところは直したしね」
「……両腕は、地元にある木材を利用して作り直すから」
希はそう言ってミナカタを見上げる。
「そ、そう……」
衣乃理としては、まだ希を引き留めたかった。以前よりはお話しできるようになったとはいえ、もっともっと仲良くなりたい。だが、自分とミカヅチが傷つけた腕の修理のためとあっては我が儘は言えない。何より、希はもともと向こうで暮らしている子なのだ。学校などもあるだろう。
「わかった。でも、また来てね」
「来なければいけないようなこと、起きないといいけれど」
冗談か本気か、希はふっと笑う。
「でも、これで最後ではないわ。だって、私とミナカタは……」
すべては言わず、今度はミカヅチを見上げる希。
「うん。わたしとミカヅチを倒すんだもんね!」
それは、衣乃理と希にとっては、何より大切な約束だった。
ゴロ。
ヒュウ。
衣乃理と希にだけは、そんな音が聞こえる。二人は、それを誓いの言葉だと確信していた。
ミナカタがトレーラーの荷台に載せられた。
運転席の希と宮坂老人に、衣乃理や鹿平、ご近所の人たちが声をかけたりお土産を渡したりしている。集まる人々により、トレーラーはなかなか駐車場から出られないさながら凱旋パレードだ。
「……やれやれ。危なっかしいこと」
駐車場の端に立つ木の陰に隠れるようにして、一人の少女が衣乃理たちの様子を見ていた。
「建御雷神の化身……とは、思えないわね」
シンプルなワンピースに身を包んだ少女は、わざとらしく肩をすくめる。
「でも、とりあえずは私たちが出るまでもなかったし……これからに期待、かしら」
キィン。
彼女にしか聞こえない音が、脳内に響く。彼女の大切な「相棒」の声だ。風のような、または金属が打ち合わされたような小さな音。
「そうね。今の彼女たちでは、話にならないわ」
キィン。
「ええ。いずれ、鍛え直してあげないとね……でも、今日のところは」
心の中の声に応えながら、少女は衣乃理たちに背中を向ける。
「大丈夫。彼らとは近いうちにまた会うことになるわ」
言ってから、少女は少し声をひそめた。
「……いえ、必ず会わなくてはいけないわ。私たちにとっても、彼女たちの力が必要なのだから……ね、フツヌシ」
木造ロボ ミカヅチ 第一巻 終(続く)
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