第29話 布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)
「ミカヅチ、大丈夫。あんたは、暴れたりしない」
夢の中の光景、夢の中の声を思い出す。
「あんた、鹿島が好きだもんね」
『武見さん』
ミカヅチとのそんな対話の中、スマホから希の声が響く。
「希ちゃん!?」
『返事は結構。手短に言うわ。私が見せた力は覚えている?』
「見せてくれたって……ジンツウリキとかいう?」
五月蠅なすものの腕を引っ張り、敵を牽制しながら答える。
『それを使いなさい。神の化身は、己が象徴する力を振るえる』
「しょ、象徴って?」
『……剣。雷。建御名方神との戦い。思い出して』
「あ……」
鹿平から聞いた、建御雷神と建御名方神との戦い。あの時、建御雷神は、手を剣に変えて建御名方神を振り払ったという。
ギュン!
そこへ、五月蠅なすものがもう一方の腕を突きだしてきた。
「うっ!」
肩のあたりを強打され、掴んでいた敵の腕を放してしまう。その間も、希は話し続ける。
『ミカヅチも、聞きなさい。ミナカタからの伝言……彼なら、こう言うでしょう』
『「そんな奴が、この建御名方神よりも強いとでもいうのか」、とね』
ヒュウゥゥゥ。
ほぼ密閉された神座の中だというのに、衣乃理は耳元に風を感じる。言葉にならない鼓舞、叱咤。衣乃理はそう信じた。
(ありがと)
気づけば、五月蠅なすものの腕がふたたびミカヅチを襲っていた。今度は顔面狙い。刹那、操縦桿から衣乃理に伝わってくるものがあった。
巫女装束に身を包んだ女性。今とは少しだけ配置の異なる神座。湧き上がる自信と闘争心。闘いの、思い出。
(あいつと、比べれば)
この世で数少ない、自分に歯向かってきた相手。風の神。あいつと比べれば。この程度。
そんな意思が流れ込んでくるのを感じながら、衣乃理は、ミカヅチは伸ばした五指を揃えて突き出す。目標は眼前に伸び来る敵の腕。
ビシャァァァァァ!
両者の腕の激突は、予想したよりもずっと衝撃が小さかった。だが、その結果は誰の目にも明らかだった。
「ギィィィィィ!?」
ミカヅチの五指、その頂点と激突した五月蠅なすものの腕先は、まるで竹のように四方に裂けていた。
『
スマホの向こうから、鹿平がつぶやくのが聞こえた。
(この指なら……!)
敵の杭状の腕をものともしない指先。それを衣乃理が認識した時、天啓のように閃くものがあった。
「黄印さん! 助手さんが乗ってる場所の位置!」
『あ……?』
「早くっ! 杏奈さんって人、どのあたりにいるの!?」
理解が遅れた黄印を強く急かす。
『む……も、目測だが、あの化け物は以前より百センチ前後、身長が上がっている。だとすれば、登場席は二メートル五十から三メートル。そこから高さ一メートルの間といったところだ』
さすがと言うべきか、質問の意図を理解してしまえば、黄印の返答は早かった。
「わかった!」
答えるが早いか、ミカヅチは両手の五指を揃える。鋭い剣となった左手を顔、右手を腹の前に構え、ただ、真っ直ぐに走り出した。
「ギィ!」
五月蠅なすものが、傷つけられていない方の腕でミカヅチの横腹を叩く。ミカヅチの上体が大きく揺れるが、構わず前進する。
「ごめんね、ミカヅチ」
きっと、夢に見た過去の「巫女」たちなら、もっと洗練された戦い方ができるのだろう。だが、今の衣乃理には、急所だけを守りながらの特攻しかなかった。
「ギィィィアァオ!」
ミカヅチが迫る。五月蠅なすものが吠え、頭突きのように体当たりを仕掛けてくる。ミカヅチは、今度も避けなかった。それどころか、踏み込んで両手を伸ばす。そして。
ズン!
左手を上、右手を上にして、その十指を五月蠅なすものの腹部に突き刺した。
『杏奈くん!』
黄印の悲鳴じみた声が響く。
「ギィィィィィィ!」
腹部を刺された五月蠅なすものが、狂ったように暴れた。距離が近いため、二の腕や肘、頭などを使っての打撃を入れてくる。ミカヅチの五体がミシミシと軋む。だが、衣乃理は防御をしなかった。両手首を敵に突き刺した態勢では、どうせろくな防御ができない。
(大丈夫……大丈夫)
殴られながらも、衣乃理の神経は操縦桿、その先にあるミカヅチの指先に集中していた。
手を突き刺した五月蠅なすものの体内。それは、汚泥や腐肉の中に手を突っ込んだらこんな感覚だろうか。だが、今は逆にそれがありがたかった・
(気持ち悪い……だから、そうでないところを探して)
おぞましい感触と敵意に溢れた敵の体内。その中にある、生命力を感じさせない重機の感触。そしてまた、五月蠅なすものとは異なる生命の鼓動。そこが、衣乃理の目的の場所。
(……見つけた!)
「えぇぇぇぇぇぇぇえいっ!」
「ゴロァァァァァァァァァ!」
ゆっくりと動かしていた指先を、力いっぱいに押し込む。
バリ、ガリガリガリガリ!
五月蠅なすものの肉の中から、金属を突き通す音が響く。
ギギギ……ビギギギギ……!
続いて、それを強引に引き抜く音。
「ギィア!」
怒った五月蠅なすものが脚部で下腹を蹴り上げる。強い衝撃が衣乃理を襲うが、今はそれが助けになった・。
ジュブリ。
「……やった!」
後ろにもんどりうって倒れるミカヅチ。だが、その両手には。紫色の金蔵塊が大切に抱え込まれていた。
『……おお!』
紫色の重機の製作者である黄印の歓声が響く。その声は、杏奈の救出成功を裏付けていた。
『黄印さん! お願い!』
ミカヅチが、仰向けに倒れたままで紫色の塊……杏奈の乗る搭乗席部分を砂浜に転がしてきた。
『乱暴でごめん。でも……』
「わかっている!」
今は、杏奈の身を敵から引き離すのが先決だ。
「あの中に人がいる! 助けてやってくれ!」
鹿平の声に、民間人を追い返そうとしていた自衛官たちが顔を見合わせる。しかし、その後の行動は早かった。
「どうする!?」
「とりあえず、押せ! 敵から引き離せ!」
三人の自衛官が紫色の金属塊に取りつき、砂浜の上を押す。それを見て黄印も横に並ぶ。
「ぐ、ぐぬぬぬぬ……」
細腕に力を込めて金属塊を押す黄印。
「おっさん、協力するぞ!」
そこに、先ほどの中学生二人も並ぶ。
「おおおおおお!」
主に自衛官たちの力ではあろうが、六人がかりの金属塊は砂浜をごろりと転がりはじめた。
「衣乃理! そいつを止めろ!」
黄印たちが重い金属塊に苦戦する中、鹿平が呼びかけている。
「そいつにも乗り手が必要だ! この姉ちゃんを取り戻しにくるぞ!」
『そんなこと……させないっ!』
拡声器を通して、衣乃理の気合が響いた。
「ギィァァァァァァ!」
五月蠅なすものの腹部に空いた穴は、ぬめぬめとした肉ですぐに塞がれた。同時に、ミカヅチに裂かれた腕も回復し、より太さを増す。
ブンブンブンブン!
やみくもに太い腕を振り回す五月蠅なすもの。怒っているのだ。
『衣乃理! 布都御魂剣を拾え!』
鹿平の叫び声に、衣乃理は反射的にミカヅチを立ち上がらせる。
ドス、ドス、ドス。
五月蠅なすものが怒りに身震いしている間に、急いで波打ち際に走り、剣を掴む。
「ギィアァ!」
その時には、五月蠅なすものはミカヅチの方を向いてはいなかった。五月蠅なすものは、人々の方向……杏奈の乗る搭乗席を見据えていた。鹿平の言う通り、搭乗者を取り戻す気なのだ。
「駄目っ!」
布都御魂剣を片手に、五月蠅なすものの背中を追いかける。瞬間、衣乃理の中で、何かの力が弾けた。先ほど、鉄角爪を使った時と同じ感覚。
……グン!
脳内で、バチッという音が響く。同時に、息ができないほどの圧力で座席に押し付けられる。
ドン!
気づけば、ミカヅチは五月蠅なすものの側面から体当たりを仕掛けていた。いや、体当たりなどという上手いものではない。衣乃理自身も気づかぬうちに衝突していたのだ。
「きゃぁっ!」
自分からぶつかっておきながら、衣乃理は高い悲鳴をあげる。
「こ、これって……!?」
横目で後ろを確認すると、先ほど、自分が、ミカヅチがいた地点から十メートル以上も移動していた。
信じがたいことだが、ミカヅチが、五月蠅なすものとの距離を一瞬で詰めたらしい。ミカヅチにも重機にも、その距離を瞬時に詰めるほどの速度はないはずだ。何が起きた? 足元に爆弾でもあって吹き飛ばされた? だが、それにしてはダメージがない。
『……紫電!』
衣乃理のその疑問に答えるように、鹿平の声がスマホから響く。
「しでん?」
衣乃理が聞き返す間もなく、五月蠅なすものは腕で殴りつけてくる。衣乃理はミカヅチをのけぞらせたが、攻撃を避けるには至らず、打撃を食らって大きくよろめく。転ばないように三歩、四歩と後退した。ひとまず、お互いの攻撃は届かない距離。
「グギィィィィィ……」
五月蠅なすものは、まるで槍投げの選手のように長い右腕を肩に担いだ。
「え?」
「ギィ!」
衣乃理が疑問に思う前に、五月蠅なすものは担いだ右腕を前方に投げる。比喩ではない。その手首の辺り、錐状に鋭くなった部分が、手を離れて発射されたのだ。
「わっ!?」
予想しなかった攻撃に、衣乃理の反応が遅れた。咄嗟に両肘を前に出すが、錐状のミサイルはガードの間をこじ開け、搭乗席のある腹部に突き刺さった。
バリン!
ミカヅチの胴体やスマホ越しではない、生々しい音が響く。見上げると、衣乃理の頭上三十センチほど上に巨大な錐の先端が顔を出している。ミカヅチの装甲を突きぬけてきたのだ。
「……危ない」
驚きすぎて、衣乃理は悲鳴も出ない。
『衣乃理ぃっ!?』
代わりに、スマホの向こうで健児や珠子が叫んでいる。
「だ、大丈夫」
応えながら、ミカヅチの左手で錐を抜く。抜いた部分から、鹿島の潮風が吹き込んでくる。
「こんなの、何回もできないでしょ」
飛んで来た敵の手首を左方へと放り投げる。五月蠅なすものの右手首は再生していたが、やや細くなったようにも見える。出鱈目な敵にも限界があるのだ
「ギィィァァァァァア!」
五月蠅なすものが吠える。
『野郎、弱ってねえのかよ?』
『怒っている。余力を全て使い切る気です。先程の攻撃も、なりふり構わぬものでした』
鹿平と希の会話が聞こえる。
『余力がなくなる前に、この場の誰かを搭乗者として捕えるつもりでしょう……できれば、より生命力の強い女性を』
「そんなこと……!」
希の言葉を聞きながら、衣乃理は五月蠅なすものに近づく。さっきと同じ飛び道具を出されては、今の衣乃理には避けられない。それならむしろ、接近するべきだ。
「やぁっ!」
布都御魂剣を振るう。片手斬りの剣は五月蠅なすものの左腕に当たったが、その刃は赤黒い筋肉によって途中で阻まれた。
「ギィオ!」
敵の両腕が、ミカヅチの両肩を掴む。
「わぁっ!?」
衣乃理を突然の浮遊感が襲った。腰を踏ん張る隙もなく、ミカヅチは軽々と持ち上げられてしまった。住民を心配し、攻撃に気を取られすぎたのが災いした。
「この! 放して!」
足をバタつかせ、爪先で相手の胸を蹴る。手にした布都御魂剣を振り回し、肩を叩く。空中で腰が入っていないせいか、剣は相手の肉を薄く切るばかりだ。
「ギァ!」
反撃をものともせず、五月蠅なすもの身をかがめる。そして次の瞬間、思い切りミカヅチを斜め上方へ放り投げた。
「うそっ!?」
『後頭部に手を!』
いかに木製とはいえ、四メートルを超える巨体が浮き上がったことに驚嘆の声をあげる衣乃理。同時に、希の叫び声がかろうじて耳に入る。
「え……頭!?」
衣乃理がその意味に気づいたのは、まさにミカヅチの背中が地面と激突する寸前だった。
ガガザァーン!
今までの打撃より遥かに大きな衝撃が衣乃理を襲う。希の助言通りに後頭部を手で守っていなければ、意識を失っていたかもしれない。
慌てて起き上がると、五月蠅なすものはミカヅチと大きく距離を保ち、両腕を大きく広げてこちらを見ていた。住民たちの方へは行かず、ただ、ミカヅチを睨んでいる。
「ギィ……」
衣乃理にはわかった。こいつは、ここで決めるつもりなのだ。邪魔なミカヅチを倒してから、ゆっくりと獲物を取り込むつもりなのだろう。
「わたしたちなんか怖くない、ってことだよね」
当然かもしれない。先ほどの体当たりは敵の態勢を崩しただけだし、鉄角爪であけた穴も塞がれた。布都御魂剣での一撃すらも止められた。
「ギッギッギギギ……」
五月蠅なすものが不快に唸る。笑っているのだ。
「く……」
どう攻めるか決めかねる衣乃理。
(やっぱり、素手で戦った方が)
回復されてしまったとはいえ、先ほどの鉄角爪は相手の腹に穴を穿った。通じなかった剣を振るうより、その方が……。
そう判断し、衣乃理は右手の操縦桿に意思を込める。右手を開き、布都御魂剣を手放せと。
「……ゴロ」
しかし。ミカヅチの右手はぴくりとも動かなかった。
「え?」
操縦桿から伝わる拒絶感に、衣乃理は目を見開く。
衣乃理にはわかる。これは、衣乃理の未熟による失敗ではない。ミカヅチが、その意思で布都御魂剣を握っている。
『衣乃理。紫電だ』
「しでん?」
鹿平の言葉に、衣乃理は前回と同じように聞き返す。そういえば、鹿平はそんなことを言っていた。
「ギァラァ!」
五月蠅なすものが吠える。そして、今度は左腕を担ぐ。先程の飛び道具を、もう一度放つつもりだ。
『説明の暇はねぇ! 今度は体当たりじゃねえ! 上段だ! 戦神の剣に、小細工はねぇ 構えろ!』
(……構えろ)
最後の言葉は鹿平のものだったか、それとも衣乃理の内から響くものであったか。
「……うん!」
とにかく、衣乃理は、ミカヅチは、疑うことなく布都御魂剣を大上段に構えた。
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