第28話 最強をつくるもの

「一方的だな」


 攻撃を食らうミカヅチを見ながら、黄印が唇を噛む。


 たしかに、あの化け物は強い。まともにやっても、勝てるかどうかわからない。しかし、ミカヅチがろくに反撃を試みることすらできない理由のひとつは、杏奈を助けようとしているからなのだ。


「おのれ……!」


 自らの不覚が、あの少女を、ミカヅチを窮地に陥れている。天才を自称する自らの体たらくに、黄印は唇を噛む。


「おい、あんた。あの化け物、中身はあんたの作った重機なんだろ? 何か弱点とかはねえのか?」


 武見衣乃理の友人らしい子供が聞いてきた。何度か見たことのある顔だ。


「……ない。自慢ではないが、私の重機は頑丈だ。それに、あのような化け物がまとわりついている今、その耐久性は想像もつかん」


「ったく、余計なもん作りやがって!」


 少年のそんな悪態にも、今は返す言葉もない。


 ピーッ、ピーッ、ピーッ。


 そんな中、黄印の白衣の懐から、高い電子音が鳴った。携帯電話ではない。黄印の手製の通信機だ。そして、これで通じている相手は一人しかいない。


「まさか!?」


 通信機を取り出す。当然と言うべきか、相手は予想した通りの人物だった。


『……はか、せ……通じた……』


「杏奈くんか!?」


 わかりきったことを確認してしまう。鹿平たちに目くばせし、通信機を拡声モードにする。今は、情報を隠している場合ではない。


『よかった……この距離……届……』


「無理して話すな、杏奈くん! 外が見えるか!? ミカヅチが戦っている! 忌々しいが、奴が君を救う!」


 ガァン!


 黄印がそう元気づけた時、ミカヅチの頭部が五月蠅なすものによって横殴りを食らった。中の衣乃理も衝撃に襲われたのか、そのままゆっくりと横に倒れる。


「くっ……!」


『無理……これじゃ、みんな……危……』


「大丈夫だ! 奴ならきっと!」


 横倒しになったミカヅチは、緩慢な動きながら立ち上がる。その途中、ふたたび重機にドアを投げつけられて、大きくのけぞった。


『私……もう……』


「おい、諦めんな! 最強の神様があんたを助ける!」


 横から鹿平も杏奈を元気づける。しかし、杏奈の声は弱い。


『博士……博士の、いつもの……』


「? なんだ、何を言っている?」


『はかせ……美学……』


 ふふっ。


 大変な状況だというのに、杏奈が小さく笑う声。


 その『美学』という言葉に、黄印の背筋に冷たいものが走る。


 ひとつは、追い詰められた杏奈の覚悟に。


 そしてもうひとつは、それに応える手段がないことに。


『はかせ……発明品に、必ず……自爆……』


「なんだ? 何言ってんた?」


 先ほどの少年が、説明を求めて自分を見てくる。


「……私は、発明品に、必ず自爆機能を付ける。私の美学であり、機密保持のためだ」


 説明するといううより、自分への確認のようにつぶやく。


「あそこにある、私の愛機にも付いていた。自衛隊が処理したようだがな。もし、内側から重機が自爆すれば、あの化け物とて無事では済むまい」


「……てめえ……!」


 黄印の言葉に、鹿平が目を釣り上げる。


「自爆してほしい……それほどまでに、杏奈くんの体力は追い詰められている。または、あの化け物の脅威を実感しているのか……どちらにせよ、彼女の判断だ。正しいのだろう」


「おい、まさか!」


 少年が黄印の腕を引っ張る。


「ふふ、ふふふ……」


 自然に口から自嘲の笑い声が漏れる。天才を自称する自分が、こうも無力だとは。


「私は、悪の科学者だが外道ではない。あの化け物が、私の重機が、無関係の人間を襲うというのは耐えられん」


 今やすっかり原型をなくしたギルガメシュを見る。今度は無造作に蹴りを出し、ミカヅチを仰向けに倒しているところだった。


「それに……彼女が、自ら介錯を願い出ている。そういうことだろう」


『博士……!』


 黄印の言葉に、杏奈の声が僅かに嬉しそうな響きを纏わせる。


「それじゃ、あなたは」


 青い顔で、もう一人の老人が黄印を見る。しかし、その場の一同の問いかけに対し、黄印はがっくりと両膝を着いた。


「無理なのだ」


 ぽつりと、黄印がつぶやく。


「君の望みは叶えられん、杏奈くん」


『はか、せ……?』


「……私の美学は、あくまで私一人のものだ。いざという時、君の身を巻き込むつもりはなかった」


『…………』


「そりゃ、つまり……」


 鹿平がぐっと目を閉じる。


「……杏奈くんの機体に、自爆装置は、爆薬は、ついていない。彼女を、私の美学、自己満足に付き合わせるつもりはなかった」


『あぁ……』


 喜びか、それとも哀しみか。杏奈の通信は、かすかな吐息とともに途絶えた。


「けっ」


 鹿平が鼻を鳴らし、黄印の脇に手を入れる。反対側から、少年も黄印を引き上げる。


 肩を落とした黄印は、半ば強引に立ち上がらされた。


「いざって時に、役に立たねえ美学だな」


「…………」


 鹿平になじられても、黄印には返す言葉がない。


「だがよう」


 鹿平が黄印の首に手を回す。身長の高い黄印が肩を落としているので、顔が同じ高さになる。


「おめえ、そんなに嫌いじゃねえぜ」








『衣乃理、聞こえたか!?』


 スマホを通じて鹿平の声が響く。衣乃理もまた、五月蠅なすものの攻撃に耐えながら黄印と杏奈の話を聞いていた。そしてきっと、ミカヅチも。


「うん」


 五月蠅なすものに攻撃されながらも、口元に笑みが浮かぶ。


「いい人だね、黄印さん」


『すまんが、頼む』


「……うん」


 ドン。


 五月蠅なすものの腕が、ミカヅチの右横腹を襲う。木の胴体がミシミシと音を立てる。


「ゴロァ!」


 衣乃理の意思か、ミカヅチの意思か。反射的に相手の体を突き飛ばして距離を取る。


「ゴロロロロ……」


 一方的に殴打された苛立ちからか、ミカヅチが低いうなり声をあげる。


「駄目だよ。あんまり興奮しないでね」


 そう声に出しながら操縦桿を握る。


『荒ぶる戦神だもの』


 希の言葉を思い出す。


『それを抑えるのも巫女の役目』


 怒りに引っ張られないように、深く息を吐く。


「ギィァ!」


 ふたたびの攻撃。今度は下からすくい上げるような打撃。いわゆるアッパーカット。


「ぐっ!」


 激しく揺さぶられ、壁の一部に頭をぶつける。天井部分にも綿入りのクッションがついており、なんとか負傷は免れた。


「ミカヅチ、また暴れたら駄目だよ。力を出すのはいい。でも、落ち着きながら力を出すの……っ!」


 そこまで言いかけてから、衣乃理は緊張で口をつぐむ。


「ギギギギギギ……」


 ミカヅチが思ったよりも耐えることに焦れたのか、五月蠅なすものの腕の先端が、ゾゾゾゾという音を立てながら変形していく。その手は太い棒状となり、やがてギリギリと捻じれることで鋭い杭と化した。


「……危ない!」


 先ほどまでの打撃とは違う。形状からそう察し、ミカヅチを後退させる。


 ヒュッ。


 伸びてきた杭状の腕を布都御魂剣で受け止めるが、衝撃を殺し切れずに肩先を削られた。


「ゴロァ!」


 ミカヅチが、またも怒りの声をあげる。


「だ、大丈夫! 大丈夫だから!」


 衣乃理にもようやくわかってきた。ミカヅチは、自分を心配しているのだ。


 だが、その心配は、ともすれば激しい怒りにもつながる。それでミカヅチに暴れられてしまっては、今度はミカヅチが住民に被害を与えかねない。


 ひとまず五月蠅なすものの腕が届かない範囲に逃げながら、衣乃理は歯噛みした。


(早く助手さんを助けなきゃいけないのに……でも、ミカヅチも怒りも抑えないと)


 今の衣乃理は、以前よりもミカヅチとの強いつながりを感じていた。だが、それだけに、勝負を急げばミカヅチの怒りに飲み込まれかねないという予感があった。


 本当は、こんなはずではなかった。ミカヅチを呼んだ時の衣乃理には、強い自信と確信を感じられた。だが、一時的な感情で強くなったつもりでも、目の前に敵が現れるとそうはいかない。やはり自分は未熟なのだ。


 ビュン!


 杭のような腕が迫る。


 素早く横に逃げる……つもりだったが、砂浜に足を取られてか、ミカヅチは膝をついてしまう。


 ガン!


 肘のあたりを強く打たれ、布都御魂剣を手放してしまう。主人の手を離れた剣は、波打ち際に放り出される。


 追撃を受けまいと、慌てて立ち上がりながら距離を取る。だが、離れた分だけ相手は距離を詰める。


「駄目、このままじゃ」


 このまま逃げ続ければ、いずれ市街地まで敵を誘導してしまう。逃げる方向には気をつけなければ。そう考えて、ちらりと市内の方を見る……すると。


『衣乃理! がんばって!』


 衣乃理の目に入ってきた光景とともに、スマホから珠子の声が響いてきた。


「えっ……み、みんな!?」


 いつの間に集まっていたのか。衣乃理が気づかない間に、鹿平や健児たちの周りには、大勢の住人が集まっていた。衣乃理の見知ったご近所さんも大勢集まっている。お年寄りが多いが、若い者たちもちらほら混ざっている。その前では自衛官たちが立ちふさがって彼らを追い返そうと説得しているようだが、誰も言うことを聞いていない。


『衣乃理ちゃん、がんばれ!』


『負けるなよ!』


『ミカヅチが負けるかよ!』


 知った顔も知らない顔も、口々に声援を送ってくれている。


(……まさか)


 衣乃理の胸に、そんな思い去来する。


 まさか、みんなが自分を応援してくれるとは。こんな危ない場所まで見に来てくれるとは。


 自分は、前回、みんなを危険な目に遭わせたのに。


 ミカヅチだって、あんな風に暴れて、とっても怖かったのに。


 声援を送ってくる者の中には、包帯で腕を吊ったままの男性もいた。あれは、ミカヅチと自分が暴れた時に負傷した人ではなかったか?


(みんなを守らなくちゃ)


 斜めに後ずさり、後退の方向を変える。少しでも住民から五月蠅なすものを遠ざけるのだ。


 ガン! ガリ!


 杭状の腕をかわすことはできず、懸命に両腕でガードする。今は、敵の進行方向をずらすのが優先だ。


『衣乃理ちゃぁん』


 スマホから、老婆の声援が響いた。聞き覚えのある声。珠子の祖母だ。聞き慣れた声に、思わずそちらにミカヅチの首を回す。


『衣乃理ちゃん、私らもついてるよ』


 数十メートル離れたところに立つ住人たち。その中に立つ珠子の祖母は、何か小さなものを両手に持って立っていた。


「あれって……!」


 この距離では、珠子の祖母が持つ物を正確に視認できるはずはない。だが衣乃理は、珠婆ちゃんが持つ物が何であるかが一目でわかった。


  なぜならそれは、衣乃理の目の前、神座の中の天井や側壁にいくつも設置されている物と同じだったから。


(これって……)


 先ほどの何度もの衝撃から衣乃理を守ってくれていたクッション上の物体。衣乃理は、それに見覚えがあった。


それは、以前、珠子の祖母が縁側で縫っていたお手玉のような綿袋だった。


『タマ婆ちゃん。それ、なに作ってるの?』


『ん、これ? お手玉みたいなものよ』


(これって……)


 衣乃理を心配して、こんなものを付けてくれていたのか。珠子の祖母も、鹿平も、何も言わずに。


「ゴロォ」


 衣乃理の感情を察してか、ミカヅチが妙に落ち着いた声を発した。


 ギュル!


 ミカヅチが横を向いた隙を見逃さず、鋭い腕が、今度は正確に腹部を狙う。そこにあるのは、衣乃理が乗る神座だ。


 ズドン!


 だが、ミカヅチは僅かに身をよじり、衝撃を受けながらもど真ん中への命中は免れた。そのまま、左脇の下を抉った相手の腕をこちらの左腕で抱え込む。


「ギ!」


 逃げ回っていたミカヅチからの初めての反撃らしい反撃に、五月蠅なすものも戸惑いの声をあげた。


「ミカヅチ。わたし、また間違えてたよ」


 相手の腕をぎちぎちと締め上げながら、衣乃理がつぶやく。


「わたし、臆病だから。また、みんなのために『戦わなきゃいけない』って思ってた。ミカヅチは強いから、みんなを守るべきなんだって」


「…………」


 衣乃理の操作通りに腕に力を込めながら、ミカヅチは声をあげない。衣乃理はそれを、ミカヅチが自分の話を聞いてくれているのだと理解した。


「でも、そうじゃないよね」


 夢の中で、女性の声が問いかけてきた、二番目の問い。


(どうして、あなたは最強なの?)


「最強って、力じゃなかったんだ」


 衣乃理がつぶやく。


 手に力がこもる。


「この怪物も、ミナカタも、きっと、今のわたしたちより強い」


「……」


 敵の左腕を掴んで拮抗しだまま、ミカヅチも何も言わない。


「でも、一人じゃ『最強』にはなれない」


 一瞬、衣乃理の脳裏に、ミカヅチが暴走した日の光景がよぎる。怪我をした人々。怯えた顔で拳銃を構える警察官。


 その時の記憶は、衣乃理の脳裏に、草木の一本も生えない荒野を連想させた。誰もいない中、すべてを斃たおしてしまった中、一人で立つ寂しい戦神せんしん。我は強い、我は最強だと吠えても、肯定も、否定する者すらいない荒野を。


「どれだけ強くても……強いって、認めてくれる人がいなくちゃ『最強』なんて呼ばれないんだよ」


「衣乃理ちゃん!」


 声援が聞こえる。ミカヅチを、最強にしてくれる人たちの声。最強だと認めてくれる人たちの声。


「わかったよ。『最強』になる方法。最強に、欠かせないもの」


「ゴロ」


 短くミカヅチが唸る。五月蠅なすは、左腕を掴まれたまま暴れる。力は向こうが上だ。ミカヅチの五体は大きく揺れ、時には足が浮き上がりそうになる。それでも衣乃理は語りかけ続けた。


「守りたかったんだ。自分の意思で……わたしたちを最強にしてくれている、せめてものお返しに」


「ギァ!」


 五月蠅なすものが腕を引き抜こうと力を込める。ミカヅチの体が、砂浜の上で僅かに引き寄せられる。


「それに、あんたも。守りたいんでしょ」


 夢の中で見た光景を思い出す。


 あの人の子孫だち。


 あの人の教え子たち。


 あの人が愛した桜。


 それらを見守ってきた……乱暴だけど、情の厚い神様。


「ごめんね、疑って」


 衣乃理は、小さく息を吐く。


「あんたを、信じるよ」


 ペダルに力を込める。


「……ギ!?」


 敵に引き寄せられていたミカヅチの体が、砂浜に根を張ったように停止した。








「現在、ミカヅチは交戦中とのことです」


「あー……ミナカタってのは?」


 秘書官に対し、三木公義総理は身内だけの前で見せる口調で質問した。ここは、三木の私邸として知られる渋谷区の別宅だ。窓際に立つ三木の視線の先には、自慢の鯉を放った池が見える。だが最近、自分で餌をやる時間はほとんどない。


「まだ両腕は負傷中とのこと。戦闘は無理かと」


「自衛隊の特車が動かせない中だと、心もとないな。市民に犠牲でも出たら、俺たち全員の首が飛ぶぜ」


 ため息をつきながら、三木は振り返る。そこには本棚の前に立つ秘書官と、来客用のソファーに座る女性がいた。黒いパンツスーツに身を固めた女性は、年の頃は20代後半くらいだろうか。だが、ぴんと背筋を張り、内心をうかがわせないアルカイックスマイルを浮かべるその所作は、もっとずっと年上だと言われても信じてしまいそうな貫禄があった。


「いざという時は、フォローしてもらえるんでしょうな。あ、もちろん、私の保身ではなく、国民の安全のために聞いておるのですが」


 他に誰もいないとあって、三木は腹を割って女性に聞いた。


「この世に絶対、ということはありえませんものね。ですから、念のための用意はしてあります」


 まだ若いだろうに、女性は物怖じせずに三木の目を見てくる。


 神社本庁からの使いだということだが、ただの使い走りってことはなさそうだ。そんなことを三木は考える。


「戦況を聞く限り、ミカヅチと、それに乗る少女は苦戦しているようですが」


「そうですね。まだ、ミカヅチの巫女は未熟と聞いています」


「大丈夫ですかね。相手は、わけのわからん化け物でしょう」


「……負ける、とすれば、巫女が未熟ゆえ、でしょうね」


 女性は同じことを繰り返した。


「ですが、この試練を越えて、巫女が成長するってんなら、文句はありませんがね」


 三木も女性の前にあるソファーに座り、冷めかけた茶をひとすすりする。


「しかし……あのような化け物は一体だけじゃないんでしょう」


「はい」


「敵の数も強さも不明ときたもんだ」


「ええ。それを正しく把握できる者は、この世にはいないでしょう」


「……そいつらに、今後も、ミカヅチは勝てますか?」


「……お疑いですか?」


「そりゃ、当然ね。相手の戦力がわからない喧嘩ときたら楽観できねぇ」


 不安からか、思わず本来の伝法な口調になる。


「相手の力が謎ってこたぁ、ミカヅチ……建御雷神ってぇ神様より強いかもしれねぇ」


 ダン!


 三木がそう言い終えぬうちに、女性が強く湯呑をテーブルに置いた。


 三木はさすがに眉を軽く上げただけだったが、秘書官はびくりと姿勢を正す。


「総理。僭越ながら」


 自らが作り出した緊張を和らげるように女性が口を開いた。


「建御雷神たけみかづちのかみの勝利を疑うことは、不敬というものですわ」

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