第27話 五月蠅なすものとの対峙

「さ、佐竹さん!」


 槍崎に言われるまでもなく、佐竹准陸尉も一連の事態を見ていた。


 ワイヤーで縛られ、うずくまっていたミカヅチ。それが今、ワイヤーを引きちぎろうとするかのように両腕を動かしている。


 そのきっかけを作ったのは、先ほど叫んだ少女だろう。たしか、彼女こそがミカヅチの搭乗者だったはずだ。だが、彼女があそこにいるのにミカヅチが動いているのは不可解だった。


「なんだ、どうした? 誰か乗り込んだのか?」


「いや、誰も乗ってはいないはず……」


「まずは、あの子たちを連れてこい! 危ないぞ!」


 ミカヅチの近くには、先ほどのやんちゃ坊主たちが何か叫んでいる。ミカヅチが動いたことを喜んでいるようにも見える。


 そんな様子を見ている間にも、ミカヅチの体から火花のようなものが散り、自らを拘束するワイヤーが千切る。


 ゴロロロロロ……・。


 ミカヅチは一声鳴くと、ゆっくりと上半身を起こす。


そして、大きな足をトレーラーから砂浜に下ろし、一歩、一歩、確かめるように歩き始めた。


「危ねぇ!」


 近くにいる少年たちに向かって槍崎が叫ぶ。


 だが、偶然か否か、ミカヅチはすぐ近くにいる少年たちを踏むことはなかった。その足取りは迷いなく、まっすぐに海岸入口に向かう。


「ちょっと! 何を黙って見ているの!?」


 そこに、遠くからの見物を決め込んでいた遠藤議員が砂浜に足を取られながら走ってきた。


「あれを止めなさい! 市民に被害でも出たらどうするの?」


 遠藤議員の怒り顔はここ数日で見慣れたつもりだが、今が一番興奮しているように見えた。


「……大丈夫です。幸い、ここにいるのは、全て関係者です」


 あなたを除いては、と心の中で付け加える。


「そういう問題じゃないわ! あれが町中でまた暴走したらどうするの? 破壊してでも止めなさい!」


 ヒステリックに遠藤が叫ぶ。


「と、おっしゃられていますよ、准陸尉どの」


 と、そこに槍崎が口を挟む。妙にわざとらしい口調だ。


「槍崎?」


「遠藤議員は、我々に武力を用いてでも対象を破壊せよとのご命令です。ここは、議員のお言葉に従うべきでは?」


 澄ました顔で話しているが、槍崎の目が笑っている。その目を見て、佐竹も槍崎の意図を察する。


「馬鹿なことを言うものではない、槍崎一等陸曹!」


 佐竹が叫ぶ。やはり、わざとらしく。


「現場の独断で実力行使に出るなど、許されるはずがなかろう! 分をわきまえたまえ!」


「なっ……」


 佐竹の言葉に、遠藤が目を見開く。彼女が口を開く前に、佐竹が続ける。


「ご安心ください、遠藤議員。我々は上からの正式な命令があるまで、動くことはございません」


 佐竹の言葉を槍崎が引き継ぐ。


「議員の皆様方の議論がお済みになるまで待機いたしますわ」


「ば、何を馬鹿な……!」


 遠藤がさらに赤く顔を染める中、ミカヅチは、あの少女……衣乃理の目前まで歩みを進めていた。






 ずん、ずん、ずん。


 カラカ、カカカカ。


 重い足音と軽い歯車の音を鳴らしながら、ミカヅチが衣乃理へと近づいていく。


 その光景を、鹿平も軽トラックの運転席から首を出しながら見ていた。


「動いたか……」


 制止する人たちや交通規制の波を「関係者だ」と押し切って、ようやく衣乃理に追いついた。その時にはもう、ミカヅチはワイヤーを外しながら立ち上がっていた。


「どうします、武見さん? あなたは、衣乃理ちゃんを……」


 戦わせたくないのだろう、という言葉を続けるはずだった宮坂が、唇の動きを止める。


「……ふん。この非常時に」


 黄印が不満げに舌打ちするが、今ばかりは強気な鹿平も反論はしなかった。


「仕方ねえ……仕方ねえよ」


 目を細めて、孫娘を見る。


「あんな風に笑う孫娘を、止められるもんかよ」


 そう言う鹿平もまた、泣き笑いのような表情を浮かべていた。






「来たぞっ! 敵機、上陸っ!」


 自衛官の一人が叫ぶ。


 紫色の重機……ギルガメシュに憑りついた化け物は、ついに砂浜に足を踏み出した。海面に没しているのは、ほんの爪先ほどだけだ。


「くそっ、特車……せめて、火器の許可は?」


「ありません!」


「落ち着け!」


 自衛官たちが慌てる中、槍崎がバリケード代わりのトラックを迂回して走ってきた。


「佐竹さんからだ。トラックでなんとか足止め! 少しでいい、時間を稼げ!」


「槍崎、まだ民間人の避難は……」


「それは、あらかた終わった。今、稼ぎたいは、その時間じゃない……あれだ」


槍崎が親指で後ろを指す。


槍崎が指し示すそこには、一人の少女の前に立つ、木製のロボットがあった。






「健児、大和くん、こっちへ来い!」


「鹿平爺ちゃん!」


「この子たちを頼みます!」


 鹿平の怒鳴り声を受けて、健児がそちらへ走る。健児たちを保護していた自衛官も、鹿平に後を任せて同僚たちの元へ向かう。


 他の自衛官たちも、海岸に現れた敵を阻止すべく、慌ただしく動き回っている。また、自衛官を怒鳴りつける遠藤議員の声もかすかに潮風に流されてきた。


 そんな騒がしい状況の中、衣乃理は妙に落ち着いた気分でミカヅチを見上げていた。


「ゴロ……」


 衣乃理の前で立ち止まったミカヅチは、まるで会話するかのように一声。


「…………」


 衣乃理が黙って見ていると、ミカヅチも視線を合わせるかのように頭部を下に向けた。


「…………」


 敵機が迫り、喧騒が響く中、何秒ほど黙っていただろうか。やがて、衣乃理がぽつりと、厳しい口調でつぶやいだ。


「わたし、謝らないからね」


 まるで、人間に対するかのような口調。ロボットに対するものでも、神の化身に対するものでもない。


「あのね。珠ちゃんがね、言ってたの。珠ちゃんちの犬、コロのこと」






「……衣乃理? なに言ってんた?」


 二十メートルほど離れたところにいる健児にも、衣乃理の発言は聞こえた。なんだか、珠子だとか犬だとか……。


「しっ、静かにしてろ」


 鹿平が健児の肩に手を置く。


「……対話か。私もよく、愛機と話をする。あのような形ではないがな」


 黄印が、軽トラックの屋根に肘をつきながら薄く笑った。


「もう、俺がどうこう言うことはねえな」


 健児の肩を強く握りながら、鹿平がもう片方の手で目元をぬぐった。






「珠ちゃんちのコロ、ひどいんだよ。わたしを見ると、抱き着いて来て腰をカクカクさせるの」


「ゴロ」


 黙っていたミカヅチが、軽く唸った。もしかして嫉妬しているのだろうか?


「で、珠ちゃんが時々、コロのことを叱るの。もちろん、優しくね」


 話をうまくまとめられない中、衣乃理は続ける。


「大好きでも、叱ることも必要なんだって。誰だって、間違いはあるもんね」


「…………」


「わたしたち、間違えちゃったよね。ここで、この」


「ゴロ……」


「みんなを怖がらせたし、物を壊しちゃったし……ミナカタの腕も……」


「…………」


「わたしはまだ、下手くそで、怖がりで、何もできなかった……あんたが怖かった」


 衣乃理がうつむく。ぎゅっと胸の前で拳を握る。


「……でも、あんただって半分は悪いんだからね!」


 キッと顔を上げる。一瞬、ミカヅチの巨体が震えたように見えた。


「わたしはやめてって言ったのに、あんなに暴れて! あんなの、普通のロボットだったらありえないんだからね! もう!」


「ゴロ……」


 ミカヅチが小さくうめく。


「…………」


 両者の間に沈黙が流れる。それを破ったのは、また衣乃理だった。


「だから、わたしたちは半分ずつ悪い。わたしも謝らない、あんたも謝らなくていい」


 ……から、かかん。


 ミカヅチの胸のあたりから、軽い音が響く。


「その代わり、今度は間違えないよ」


 からん。からから。


「いくよ」


 からからからり。


「『あの人たち』が好きだった。鹿島を守るんでしょ」


 からからからからから!


「ミカヅチィッ!」


 応!


 そう応えるように、ミカヅチの腹部ハッチが開く。同時に、ミカヅチが膝を曲げ、左手を下ろす。


 衣乃理はその左手を蹴り伝い、ミカヅチのコックピット、神座に飛び込む。


 ばかん!


 衣乃理が座ると同時にハッチが閉じる。前方の神鏡がぼんやりと光り、衣乃理は後付けのスマホスタンドにスマホを置いた。


「守るよ!」


「ゴロロロロロロロロロァ!」


 木造の神の化身が、太く激しい咆哮を鹿島の海に響かせた。






「動いた……!」


 敵機襲来の知らせを聞いた希もまた、海岸を見下ろす坂の上に着いていた。杖術の稽古の最中だったが、鍛えられた体はここまで走ってもさほど息を乱していない。


「あとは、勝てるかどうかね」


「……あなたは?」


 振り向くと、そこには、シンプルなワンピースと春物のカーディガンに身を包んだ長髪の少女が立っていた。少女と言っても、自分よりは年上に見える。


「ミナカタは、未だ修理中。もしミカヅチが負ければ、大変なことになる」


「…………」


 相手の少女は、ミナカタを知っていた。つまり、希を知った上で話しかけてきたのだろう。しかも、希に気配を感じさせずに近づいたのだ。只者ではない。


「その時は、たとえ、両腕がなくとも……」


 強がりではない。希は本気でそう考えていた。「ミナカタが戦えない」というのは、半分は、衣乃理を奮起させるための言葉だ。もし衣乃理が戦えないなら、自分が行く。


「そうね……もう少し経験を積めば、きっと腕がなくても」


 少女はふっと笑う。柔和な笑みだったが、その言葉と表情を、希は挑戦ととらえた。


「私では無理だと?」


「恥ずかしがることはないわ。あなたは、これからだもの」


 宥めるような言葉も、希にとっては侮辱に感じられた。


「……たしかに、私は修業中の身。それでも、むざむざ五月蠅なすものを見過ごしはしない」


「あら、怖い。特攻でもしかねない雰囲気ね。でも、それは困るの」


 そう言って、少女は悪戯っぽくウインクをした。


「あなたは、最強の一角であるミカヅチに挑む者……そんな強者が、こんなところで消えたら大変。私も困っちゃう」


 おどけて肩をすくめる少女。


「……どうしてもの時の備えはしてあるから、今日は見学してて。いいわね?」


「備え?」


 希のつぶやきを無視して、少女は背中を向ける。


「それじゃ、また会いましょう、諏訪希さん……武見衣乃理さんにもよろしく」


 そう言って歩きだす少女。希は一瞬、少女を追おうかと迷ったが、思い直してミカヅチの戦いに視線を向ける。それでも、先ほどの少女の言葉のいくつかは、希の中に疑問として残った。


(最強の……一角……?)






「おい、女の子があれに乗ったぞ!」


「もういい! 全員後退!」


 トラックで前を塞ぎ、時に衝突してでも敵を食い止めていた自衛官たちが、命令とともに後退する。


 その様子を見ながら、佐竹は通信科からの言葉に耳を傾けていた。


『……特別法により、敵機との戦闘は木造重機……ミカヅチに一任! 総理からも了承を得ています』


「……ということです、遠藤議員」


 佐竹は、無理矢理テントまでついてきた遠藤を振り返る。


「そのようね」


 だが、意外にも、先ほどまでヒステリーを起こしていた遠藤は、落ち着き払った様子で溜め息をついた。


(俺たち自衛隊が動かなければ満足、ということか?)


 そうも考えたが、遠藤は先ほど「ミカヅチを止めろ」と、ヒステリックに自分たちに指示していた。さすがに上からの正式な命令と聞いて黙ったのだろうか?


「それならそれで、いいというものよ」


 遠藤が何事かをつぶやく。だが、その意図は佐竹にはわからない。


「さあ。佐竹さん、だったかしら? 私たちのカミサマの活躍、しっかり見せてもらいましょう。もちろん、あなたたちは民間人への被害が出ないよう心掛けて」


 言われるまでもなかった。佐竹は遠藤について考えるのをやめて、足早にテントを出た。






 カン、カラカカカカカカ、カン、カン。


 まるで歌舞伎の拍子木のような音が、ミカヅチに搭乗する衣乃理の腹に響く。


「いくよ」


 衣乃理は今までより自然に、誰かに導かれるように操縦桿を操る。


 その手つきは、まだまだ鮮やかとは言い難いだろう。だが、迷いも感じない。


「みなさん、危ないので下がってください!」


 拡声器を通じて、衣乃理が叫ぶ。


 見れば、紫色の重機……『五月蠅なすもの』は、トラックの一台を両腕で掴み、横にどかしているところだった。本来なら冷たい金属でできているはずの両腕には赤紫色の筋肉のようなものが絡みつき、不気味に蠢いている。


「……すまん、任せた!」


 意外にも、自衛官たちは素直に応じてくれた。そのため、五月蠅なすものがトラックを無造作に放っても被害は出なかった。


「ギギギギギギギ……」


 五月蠅なすものが、金属音とも鳴き声ともつかぬ音を発する。


 ペダルを踏み、ミカヅチを早足に歩かせる。目指すは、ミカヅチが縛り付けられていた地点。そこには、同様に無造作に置かれたままの布都御魂剣があった。


 五月蠅なすものを迂回するように歩き、剣を手にする。神のための剣は、ここ数日の潮風にも負けず、どこも錆びてはいない。


「さあ、来なさいっ!」


 布都御魂剣を上段に構え、虚勢交じりに叫ぶ。敵は、まだ足先を潮の満ち引きに濡らしている。


(そうは言ったものの……)


 小声でミカヅチに話しかける。


(ただ倒せばいいわじゃないんだよね。あの中には、助手さんがいる)


 五月蠅なすものの体内には、紫色の重機、そして搭乗者である屋久杏奈が取り込まれている。そのため、腹部のコクピット付近を叩くわけにはいかない。また、もし重機が燃えたり爆発したりすれば、やはり杏奈の命はないだろう。


(困っちゃったな……ただでさえ、勝てるかどうかわからないのに)


 そんな弱気を悟られないことを祈りながら、衣乃理はじりじりと敵との間合いを詰めた。






「おい、衣乃理! 大丈夫か!?」


 鹿平が携帯で衣乃理に呼びかける。衣乃理はスマホをハンズフリーにして神座から応じてきた。


『うん。ミカヅチが応えてくれた。動かせるよ。でも……』


 衣乃理が口ごもる。


「先にあの助手さんを助けないと、戦えないよ」


「助けてくれるのか?」


 後ろにいた黄印が鹿平の携帯に食いつく。


『もちろ、そのつもり。ただ、どうすれば……わっ、来た!』






「ギギギギギギァ!」


 ミカヅチと五月蠅なすものの間合いが互いに十歩分ほどに詰まった時、今度は相手が動き始めた。


 ズン、ズン。


 無造作に二歩、距離を詰めてから、横にあったトラックのドアに手をかける。赤紫色の腕がひときわ膨らみ、バリバリバキバキという音を立ててドアを引きちぎる。


(なんて力……!)


「ギ!」


 その怪力に驚いていると、五月蠅なすものはトラックのドアを水平に投げてきた。


「きゃっ!」


 まるでフリスビーのように振りぬかれたドアは、高速で回転しながらミカヅチの腹部を襲う。ど真ん中を狙ってきたそれを回避する敏捷性はミカヅチにはなく、慌てて左の肘で神座だけはガードする。肘の一部が削れ、木片が舞う。


「うわぁっ!?」


 神座が激しく揺れ、シートベルトをつけていても衣乃理の頭が壁にぶつかる。壁に小さなクッションのような物がついていたからよかったものの、木が剥き出しだったら怪我をしているところだ。


 バリバキバキ。


 五月蠅なすものは、さらにもう一枚のドアを引きちぎっていた。


「いけない!」


 このまま飛び道具を食らい続ければ一方的にやられるだけだ。


 衣乃理は、そしてミカヅチは、本能的に間合いを詰める。


 ズン、ズン、ズン。


 四歩、五歩と五月蠅なすものに接近する。


 すると今後は、五月蠅なすものが太い腕を縦に振るう。その手には、トラックのドア。


 ガツン!


 縦に振られたドアが、ミカヅチの肩口に命中する。ふたたび衣乃理を振動が襲う。


「ぐうっ!?」


 咄嗟に布都御魂剣を振るい、五月蠅なすものの腕を狙う、が、素早くトラックのドアで弾かれた。


(なんとかして、中の助手さんを)


 そうは思うのだが、救出する余裕も手立てもない。迷っているうちに、次の攻撃がミカヅチを襲ってきた。

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