第26話 呼びかけ
「おい! みんな、大丈夫か?」
宮坂老人とともにミナカタの修理にあたっていた鹿平は、警報を聞いて自宅へと戻っていた。
「うちは大丈夫です。でも、衣乃理は……」
心配そうに衣乃理の母、明美が玄関先に出てきた。衣乃理の父は会社にいるので、ひとまず危険はないだろう。
「衣乃理には、地下倉庫の掃除を頼んだ」
そう答えながら、鹿平は携帯を取り出す。衣乃理の気分転換にと倉庫の掃除を任せたが、結果つぉいてはそれがよかった。あそこは、重機が多少暴れようともビクともしない、鹿島神宮ご自慢の秘密基地だ。だが。
「あ、お爺ちゃん!」
電話に出た衣乃理の後ろからは、多くの人々の怒鳴り声や悲鳴が聞こえた。避難する人々の声だ。
「衣乃理! お前、外に出たのか?」
「うん。今、海岸に向かってる」
「む、向かってる? 違うだろ、海岸から逃げるんだ!」
「みんなはそうしてる! でも、わたしは行くの!」
「な、なにを、お前……」
「お爺ちゃんならわかるでしょ? わたしが何をしに行くのか! ……はっ、ふっ」
衣乃理の荒い息が聞こえる。電話しながらもなお、海岸へと走っているのだろう。
「……! ば、馬鹿! お前はもう、巫女じゃねぇ! ミカヅチには乗らなくていい、戦わなくていいんだ!」
「えー。前は、わたしを無理矢理乗せようとしてたくせに~」
「……それは撤回だ! もう、乗るな! あの黄印って奴との遊びじゃねえんだぞ!」
「はぁ……走りながら話してたら息があがっちゃうよ。いっぺん切るね!」
そう言うと、衣乃理は一方的に電話を切った。
「お、おい、こら馬鹿、衣乃理!」
携帯のマイクが壊れそうなほど怒鳴っても、もう衣乃理には通じていない。
「くそ……!」
「お遊びで悪かったな」
塀の向こうからの声にリダイヤルしようとした鹿平の手が止まる。
「あ………?」
「あの少女に会いに来たのだが、ここにはいないようだな」
武見家の生け垣の向こうから、黄印がひょっこり顔を出していた。
「衣乃理!」
衣乃理が海岸を目指して走っていると、コロを連れた珠子と出会った。珠子を含む人々は衣乃理とは逆、海岸から離れるように避難している。
「衣乃理、放送、聞いてなかったの? 海から離れて! また、あの変なお化けが来るよ!」
そう言っている間も、珠子を避けるようにして何人かの人が逃げていく。
「ううん! わたし、行かなくちゃ!」
「行くって……」
「くぅ~ん」
珠子の感情を察してか、コロも心配そうに喉を鳴らす。
「……ふふっ」
そんなコロの頭を撫でながら、衣乃理が笑う。
「大丈夫。わたしたちも、珠ちゃんとコロみたいなものだから」
「……え?」
「珠ちゃんも、ありがとう」
「え? え?」
「わかるんだよね。きっと、わかってる……見ててね!」
何がなんだかわからない様子の珠子を置いて、衣乃理はさっきよりもさらに速く駆け出した。
「つまり、あの衣乃理という少女は、ふたたびミカヅチに乗る気になったのだな」
「みてえだな……だが、衣乃理はもう、戦わなくていいんだ。そもそも、乗りこなせるとは限らねえだ」
答えながら、鹿平はトラックの運転席に乗り込む。宮坂老人は助手席だ。
「なぜだ? あの少女は、ミカヅチの乗り手だろう?」
黄印は荷台に乗り、運転席後部のロードレストにしがみつく。
「神機は、ただのロボットではないからね。衣乃理ちゃんの、そしてミカヅチのつながりが不確かなものなら動かない……または、動いたとしても制御を離れてしまう」
「あの時の暴走か……なら、どうする?」
「今の衣乃理をミカヅチに乗せるつもりはねえ。俺はただ、止めるだけだ」
「では、あの化け物は……」
「話は後だ! 舌噛むぞ!」
続く黄印の問いに答えることなく、鹿平は軽トラックを発進させた。
「おいこら、ミカヅチ!」
自衛官が他のことに気を取られている間に、健児はミカヅチの前へとやってきた。大和も一緒だ。
「お前、勝手に動けるってほんとか? だったらさっさと動け!」
「建御雷神さま……と呼んでいいのかな。あなたに本当に自我があるのなら、みんなを助けていただけませんか?」
健児たちは、動かないミカヅチにそう呼びかける。
ミカヅチに自我があるのなら。自発的に動くというのなら。そう信じて。
「こらこら、君たち!」
近くの自衛官が一人、慌てて走ってくるが、健児たちに手は出してこない。ただ「神様」に呼びかけているだけだということを察してくれたようだ。
「おいこら! 動けよ! 動けって!」
だが、焦れた健児がミカヅチの脛の辺りを蹴ると、さすがに自衛官も慌てて肩に手をかけてきた。
「こ、こらこら、変に刺激を与えて、何かあったらどうするんだ!」
「何か起きるんなら起きてみろ! おい、ミカヅチ!」
健児はさらに熱くなり、声を高くする。
「お前、衣乃理を選んだとかなんとか、えっらそうに! このままじゃ、ただのポンコツ……」
そこまで健児が言いかけた時。
「敵重機、目視にて確認!」
自衛官の一人が持つメガホンが、鋭い警告を発した。
「来てる……」
衣乃理は、そう感じていた。
サイレンや警報が知らせたからではない。衣乃理自身の感覚が、嫌なものが近づいていることを教えてくれていた。
(怒ってるかな)
(悲しんでるかな)
衣乃理は、そんなことを考えながら走っている。
その心を占めるのは、不安、恐怖。
だが、敵や、戦うことの恐怖ではない。その中心にあるのは……。
(許してくれるかな)
(仲直りしてくれるかな)
という、日常にありふれた、でも、とても不安な想い。その対象は……。
(ミカヅチ……)
相手は、神の依代だ。
どんな力を持つか、何を考えているかわからない。意思疎通のできない……怪物。衣乃理は、心のどこかでそう思っていた。事実、ミカヅチは、怪物扱いされてもしようのないことをしでかした。
でも。
なら、言葉が通じない相手は怪物なのか?
コロのような動物は? 外国語を話す人は? まだ言葉を知らない赤ちゃんは?
(あんたなんか、犬か赤ちゃんみたいなもんだよ)
心の中で、神への不敬もいいところなことを思う。
(衣乃理ちゃん。ばあちゃんとか、珠子とか、コロの考えてること、わかる?)
そんなこと、わからないよ。超能力者じゃあるまいし。
(でも、衣乃理ちゃん、ばあちゃんたちと仲良くしてくれてるでしょ?)
そうだ。心が読めなくたって。理解はできる。信じることも。
(わたし、あんたがロボットだからって、特別扱いしてた。全てが思い通りにならないと、黙って操縦されるロボットでないと気持ち悪いって)
でも……ミカヅチは。
夢の中で見た、何人もの女性……「巫女」たち。ミカヅチは、あの人たちに。
(巫女とかなんとか、大袈裟なこと言うけどさ。あんたの、ミカヅチの考えなんか、お見通し)
少しだけ顔をほころばせる。
(……要するに、あんた、あの人たちに恋しちゃったんでしょ)
海へと続く下り坂が見える。あとほんの少しで、海岸が見える。
(そして、今は……)
海岸へと続く下り坂を、衣乃理は転げるように走った。
「おい、こら! 君、逃げるぞ!」
自衛官が、後ろから健児と大和を抱えてくる。だが、今回は二対一ということもあって、健児たちもなかなか後退しない。
「ミカヅチ! てめえ、こんな半端なことすんなら、はじめから動くな! 自衛隊に任せとけ!」
「その通りだよ、君! だから下がりなさい! そこまで来てるぞ!」
今や、例の化け物はその頭部を海面から出し、砂浜から二百メートルほどのところまで迫っていた。
「トラックを回せ! 足止めしろ!」
重機の使用許可が下りていないらしい自衛官たちが、化け物の足を止めようと海岸線に数台のトラックを横付けてしている。懸命の抵抗だろうが、攻撃できない限り、いつかは破られる防衛線である。
「……いけない、このまま僕たちが邪魔をしては、自衛隊の人たちにも危害が及ぶ! ここは逃げよう!」
大和は自衛官への抵抗をやめ、逆に健児の腕を掴んで後ろに引き始めた。自衛官を含む二名に引っ張られ、健児は易々とミカヅチから引きはがされていく。
「くっそ……てめえ……!」
クソミカヅチ! と、そう罵倒してやろうとした時。
「ミカヅチィッ!」
健児のよく知る声が、浜風を引き裂くようにして海岸に響いた。
「はぁ、はぁ……」
坂道の勢いで転びそうになりながらも、衣乃理は海岸に着いた。
海岸線では、大きなトラック何台か、バリケードのように横づけに展開している。トラックのために姿は見えないが、その向こうにいる。今の衣乃理にはそれがわかった。
(よかった)
衣乃理はそう思った。まだ犠牲者は出ていない。
(なら……)
荒い息をつきながら、見る。ミカヅチの方を。
すると、ミカヅチの前で、健児が何やら騒いでいる。自衛官に制止されても言うことを聞かず、何かを叫んでいるようだ。
「……・まったく」
そんな光景を見て、ちょっとだけ力が抜ける。
(ほんと、わたしがいないと駄目なんだから)
男はみんな、馬鹿ばかりだ。神様も人も。
「はぁ、はぁ……」
全力で走ってきたから、まだ息が荒い。
「すぅ……はぁ……」
大きく息を吸って、吐く。
(ここまで迎えに来たんだから、あんたも少しは歩み寄りなさい)
でないと、ちょっとシャクだもの。そんなことを考えながら、もう一つ深呼吸……そして。
「ミカヅチィィィッ!」
浜風を引き裂かんばかりの勢いで、衣乃理は神の化身の名を呼んだ。
「ミカヅチィィッ!」
「え?」
聞き慣れた声に、健児が振り向く。
「衣乃理……!」
視線の先に、幼馴染の姿を見つける。と、同時に。
……カラン。
木と木がぶつかり、擦れ合う音が、小さく響いた。
カラ。カラカラカラカラ。
カカカカカ、カン!
海岸に響くその音は、初めはゆっくりと、徐々にテンポを上げていく。今やその音は、海岸の入り口に立つ衣乃理の耳にも達していた。
そして。
ゴロロ、ゴロゴロゴロゴロゴロ。
歯車の音とも鳴き声ともつかぬ鈍い音を発しながら、ミカヅチが……戦神の化身が、立ち上がろうとしていた。
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