第22話 杏奈の思い出

「おう、衣乃理。どこ行ってたんだよ、こんな夜に」

 衣乃理が自宅に戻ると、庭先に健児が待っていた。

「大変だったぜ、おとりになって記者を引き付けた後は。いろいろ文句言われちゃってさ。勝手に追いかけてきたくせに」

「ご、ごめんね。迷惑かけちゃって」

 努めていつも通りに返事するつもりだったが、上手くいったとは言い難い。だが幸い、健児は衣乃理の様子がおかしい理由を誤解してくれたようだ。

「ま、あんまり落ち込むなよ。お前は何も悪くない」

「うん、ありがと」

「……でさ」

 衣乃理が礼を言うと、健児の口調が少し真面目なものに変わる。

「その時、記者の人から聞いたんだけどさ。ミカヅチ、海岸の広場に置いてあるって。自衛隊がそこに集まってるらしいんだ」

「そう、なんだ」

「…………」

 衣乃理が答えても、健児は続く言葉を待つように押し黙っている。

「……なに?」」

 衣乃理にも、健児が期待する答えはわかっている。健児は、衣乃理に言ってほしいのだ。ミカヅチがいなくなって寂しいと。せめて、ミカヅチの姿を見に行こうと、だが、衣乃理は健児の望む答えを返すことはできない。

「いや、なんでもない」

 健児は、それ以上なにも言わなかった。長い付き合いだ。衣乃理が応じる気がないと悟ったのだろう。

「んじゃ、もう遅いし、俺も帰るわ」

「うん」

「衣乃理もちゃんと寝ろよ。疲れた顔してるぞ」

「大丈夫。健ちゃんこそ、早くお風呂入って寝なさいよ」

 できるだけいつも通り、お姉さんぶった口調で答えてみる。

「おう。んじゃな」

 そう言って背中を向け、武見家の門を出ていく健児。似ても似つかないはずなのに、その背中は先ほどの黄印の白衣と重なって見えた。




「佐竹さん、例の化け物、動きは掴んでないんすか」

 鹿島海岸都市改良区近くに設営された自衛隊基地、二十時。

 そこに配置された女性自衛官、槍埼うつぎざき一等陸曹は、いささか荒い口調で上司である佐竹准陸尉に詰め寄っていた。

「お前の口の利き方、どうにかしろ。聞いているのは身内だけじゃないぞ」

 佐竹は眉間に皴を寄せるが、槍埼に対して本気で怒っている風ではない。相手が槍埼に限らず、部下の口調には甘いのが佐竹のやり方だ。そんな彼が今日ばかりはやや口うるさいのは、普段は現場に顔を見せない幹部や政治家の耳を気にしてのことだろう。

「聞こえてないっすよ」

 ハッ、と鼻で笑いながら、横目で遠くにいるお歴々を見る。特に大物と言えるのは、美人議員として有名な遠藤とかいう政治家だ。そして、今日集まった中で、もっともミカヅチと、そして自衛隊に敵愾心を向けてきている相手でもある。

「それより、例の化け物、まだ居所は掴めないんですか」

「一応、海上保安庁が捜索している。近くにはいないようだがな」

「発見したとしても、海保じゃあの化け物に対抗できないでしょ」

「だからと言って、特車は出せんぞ」

 槍埼の言葉を先回りして封じてくる佐竹。

「ちっ」

 わざとらしく声に出して舌打ちのパフォーマンスをして見せる槍埼。槍埼は、自他共に認める二足歩行特車、一般に「歩行戦車「軍用重機」などと呼ばれるロボットの腕利きの乗り手だ。現在は、二人乗りの複座式特車の砲手を務めている。

「あのバケモンの中には、民間人が乗ってるって話もあるんでしょ。あたしらが出れば……」

「救出できる、か? 確実と言えるか? 何かあれば、それこそ吊るし上げられるぞ」

「でも、黙っていても……」

「わかってる。だから、俺も上も解決策を考えている。答えは出ないがな」

「ちっ……あのセンセイ、誰の味方なんだよ」

 横目でちらりと遠藤議員一味を睨む槍埼。

「そう言うな。あちらにはあちらなりの理屈があるんだろう」

「『あちら』って言い方自体、国会議員のセンセイを敵だと認識してません?」

「……そういう意味じゃない。揚げ足を取るな」

「すみません、今のは八つ当たりでした」

「とにかく、今はあの木製重機を監視、輸送するのが俺たちの仕事だ。いずれ出番は来る。静かにしてろ」

「はい」

 と、素直に返事しつつも、槍埼は横目で鋭く遠藤議員一行を見る。

(出番、ね……あの人らがあたしらに出番をくれるのは、いつだって手遅れになってからなんだよな……)



 あれは、二年前。いや、もう三年目に入るだろうか。

 あの頃、自分……屋久杏奈はごく普通の、中小企業のOLだった。

 普通なら普通なりに、能力はあったと思う。いくつかの資格を持ち、与えられた仕事はきっちりこなした。

 だが、それがいけなかったのか。それとも、自分の性格が問題だったのか。仕事をこなせばこなすほど責任は重くなり、同僚との関係も崩れていった。

能力のない上司に応えるほどに増える仕事。同期に差をつけるほどに囁かれる嫉妬の声。肉体と精神の疲労は、ますます周囲との壁を高くした。

 そんな中。賃貸マンションの郵便受けに奇妙な求人広告が入った。

 家庭用のプリンターで印刷したのが丸出しの、文章だけの簡素なチラシ。おそらく、自分で近所に配ったのではなかろうか。しかも、その文章の内容もおかしかった。

「事前連絡不要、当日集合。いずれ教科書に載る人物の助手を求む。給料、応相談」

 明らかに、変人である。だが、その時の自分は疲れていた。それに、国からの指導とやらで、生まれて初めての有休を取った日でもあった。

 そんなわけで自分は、珍獣を見るようなつもりでチラシにある会場へと足を運んだのであった。

「おお、いいところに来た。そこにあるスパナを取ってくれ」

 だが、会場を訪れた杏奈に挨拶より先に投げかけられたのは、そんな言葉だった。

「え? ……はい」

 冷やかし半分とはいえ、面接に訪れた場所である。杏奈は逆らうことなく近くにあったスパナを手渡した。

 スパナを要求した男は、脚立の上に立ち、重機と思われる大きな機械の搭乗席に上半身を突っ込んでいた。だが、機械いじりに夢中なのか、それとも運動神経が鈍いのか、足元の脚立がガタガタと揺れて危なっかしい。

 これも何かの試験なのだろうか。そんなことを思いながら、杏奈は脚立を両手で支えた。

「ふむ、ここが断線していたか。やはり、知らんメーカーのパーツはいかんな。黄印印のオリジナルに勝るものはないか……」

 男はブツブツ言いながら重機をいじっていたが、やがて、今気づいたという風に杏奈に話しかけてきた。その間も搭乗席から上半身は出さない。

「で、君は誰だ?」

「え? あ、私、求人広告を見て来た者で……面接日、今日ですよね?」

「面接日? ……今日だったのか?」

「え? 今日ですよね?」

「それにしては、君以外に誰もいないようだが」

「……いませんね」

あんな変な求人広告を見て訪れたのは自分一人というわけだ。それを自覚すると、杏奈も猛烈に帰りたくなってきた。

「まあいい。では、面接を始める」

 顔も見せないままに男は言う。

「私の名は、黄印博士。ハカセと書いてヒロシだ」

「は、はい。よろしくお願いいたします」

 やっぱり帰ります、とは言えず、頭を下げる杏奈。もっとも、黄印は顔も出さずこちらを見てもいなかったが。

「まず、志望動機だが……我が研究所の理念に賛同し、その一助となりたく思い応募してきたわけだな?」

「え? あ、そ、そうですね」

 いきなり断定系の質問を投げかけられ「違います」とも言えずに曖昧に答える杏奈。その間も、黄印が何やら機会を弄る音は止まらない。

「うむ。それでは逆に、後ろ向きな質問をしよう。君は今、何か職に就いているのか? もしそうだとしたら、その職から離れたい理由は?」

 今度は断定系ではない質問だったので、杏奈は急いで思考を巡らせる。

「え、ええと、それは……」

「給料か? 休みか? それともやりがいか? 不満はなんだ?」

「そ、それは……」

 あまりにストレートな質問に、杏奈は口をつぐんだ。不満がないのではない。言われてみれば、不満があまりに多すぎて、何から話せばいいのか判断できなかった。

「私は……」

 気づけば、杏奈は面接ということも忘れて、あらゆる物への不満を口にしていた。仕事。会社。同僚。そして、それらを上手く対処できない自分。八つ当たりも自己嫌悪も、全てをぶちまける。

「…………」

 杏奈が話す間、黄印は相槌を打ちながら作業を続けていた。黙って聞いてくれたのか、それとも作業に没頭していたのかはわからない。しかし。

「くだらん」

 ようやく顔を出した黄印が口にしたのは、そんな素っ気ない言葉だった。

「!」

 黄印の言葉に、杏奈の顔がかっと熱くなる。それは、冷たい黄印の言葉への怒りと、初対面の相手に長々と愚痴をこぼした自分への気恥ずかしさが混じり合った熱さ。悔しさにぎゅっと唇を噛むと、なぜか涙がこぼれそうになった。

 このまま背中を向けて帰ろう。幸い、この男には履歴書も何も渡していない。何も恥ずかしいことはない。杏奈がその考えを実行に移そうとした時。

「そのくだらない物、私が全て破壊してやろう!」

 そう言って、黄印は脚立の上で大きく手を広げた。

「同僚や仕事への不満、そして自己嫌悪! 素晴らしい! この愚か者だらけの世の中を『素晴らしい』などと言うやつがいたら、そいつはとびっきりの愚者か、愚者を食い物にしてるカスだ! 少しでも人としての心があれば、この世の中に不満を持って当たり前!」

 なぜか楽しそうに黄印は言い放つ。

「そして今、君は、腐った世の中に唯一、光り輝く大天才、黄印博士博士に救いを見たというわけだ!」

「いえ、そういうわけでは」

 あまりにも筋違いな黄印の自画自賛に、思わず否定してしまう杏奈。そんな言葉とは裏腹に、今度は違った意味で顔が熱くなっていたのだが。

 当の黄印は杏奈の否定など聞こえなかったのか、まだ何やら叫んでいる。

「会社など辞めてしまえ! 自らの殻を壊すのだ! それでも不満があるなら、会社を物理的に壊してやってもいいぞ? 鉄筋だろうが鉄骨だろうが、我が愛機の敵ではないわ! 君の会社の住所を教えたまえ!  ビルの強度を計算してやろう!」

 子供の冗談のようなことを大真面目に言う黄印。一言で言えば、危ない人だ。だが、だが。杏奈は、思ってしまったのだ。「今の会社に勤めるより、この人と一緒の方が楽しそうだ」と。




「……ふふ」

 よくわからない肉の壁に包まれ、動かない体。その中で、杏奈は唇だけを笑みの形に歪める。

 博士に初めて会った時の記憶。きっと、今のは走馬灯だ。

 ありがとう、博士。あなたのおかげで、たくさんの物を壊し、たくさんの面白いことにも出会えました。まさか、世の中に神様のロボットだの、こんな化け物だのがいるとは予想外だったけれど。

「私はね、自分の発明品には必ず自爆装置を付けるのだよ」

 黄印の言葉を思い出す。

「偉大なる私の発明を盗ませるわけにはいかんし……何より、最後に爆発するのはロマンだろう?」

 爆発を語るときに瞳を輝かせる黄印。そんな彼の顔が、ロマンが、今は杏奈の希望だ。

(博士……私は、もう……早く、ご自慢の自爆装置を……)

 そう祈りながら、杏奈の意識は暗い闇の奥の奥へと沈んでいった。



 翌日の土曜日。学校が休みということで武見家が普段より遅めの朝食をとっていると、大和がいつもより少し遅れてやってきた。

「おはようございます。遅れてしまってすみません」

「あ、どうも、お疲れ様です……」

 恐縮して頭を下げる大和の警護を受けるようになってから、彼が以前思っていたよりもかなり天然な人物だと衣乃理も理解はしていた。それでもまあ、かっこいい先輩には違いない。

「でも、もう大丈夫だと思いますけどね」

 そう付け加える衣乃理。すでに自分は、ミカヅチの巫女ではない。ならば、警護も必要ないだろう。大和が衣乃理の警護に就いたのは「鹿島を守るミカヅチの搭乗者」を守るためだったのだから。

「そうは言っても、ミカヅチを動かせるのは、今のところ武見くんだけなんだろう? なら、しっかり守らないと」

 さっぱりと言い切る大和。しかし、それは裏を返せば「ミカヅチの搭乗者」である衣乃理にしか興味はないということだ。そんな大和の言葉に、少しだけ寂しさを覚える。

「ところで、今日は海沿いの道は一部封鎖されているようです」

 何気ない世間話といったように大和が鹿平や父に向かって話しかける。

「ああ、知ってるよ。朝早く、市役所から警報があった」

 食後の茶をすすりながら鹿平が答える。鹿平は歳の割には食べるのが早い。

「なんでも、例のナントカいう博士の重機から、爆発物が見つかったそうですね」

「え、そうなんですか?」

 昨夜、なかなか寝付けなかった衣乃理は朝方になってから寝入ったため、その警報は聞いていなかった。

「おう。だから今、自衛隊が解体作業をしてるとかでな。近所の人は一時避難させられてる」

「もう……危ないことするなあ、あの人」

 ほぼ全壊した黄印の重機は、立ち入り禁止のロープに囲まれて海岸に置かれたままだった。それを調べたところ、中から爆発物が見つかったということらしい。

「まったく。ミカヅチもろとも自爆でもする気だったのかね、あの狂人は」

 鹿平がため息をつく。

「もう少し、洒落のわかる奴だと思ったんだがな」

「あの博士は、まだ逃走中で捕まっていないようですね。今、どうしているんでしょう?」

「さあな。だいたい、紫色の重機の方も行方不明だしな」

「重機ですから、あのまま海に沈んだのでは?」

「……あれは、沈んだのではありません。きっと、まだどこかで力を蓄えています」

 黙って食事をとっていた希が口を開く。

「だろうな」

 鹿平がうなずく。

「なぜ、あの重機に五月蠅さばえなすものが憑いたのか……あの黄印という人物は、悪しき神と関係があるのでしょうか?」

「だとしたら、紫色の方に乗ってた女は、生贄いけにえみたいなもんだってことか? 酷いことをしやがる」

「そ、それはないよ!」

 希と鹿平の言葉に、思わず衣乃理は立ち上がる。

「……?」

「どうしてそう言える、衣乃理?」

「え、だって……」

 昨夜、夜の公園で黄印と会ったことは、誰に話していない。話せば、警察はますます黄印の追跡を強化するだろう。

 衣乃理はまだ、黄印がどんな人物なのかは知らない。善人か悪人化で言ったら、きっと悪人に近い人なのだろう。だが、自らの助手を助け出そうとしている黄印の邪魔はしてはいけない気がした。

「そ、それはその……そこまで悪いことができそうな人じゃないかなって」

「それはわかるがな……実際、ああなったのを見るとな」

「あの博士を捕まえられれば、化け物退治のヒントも見つかるかもしれませんね」

 あの人はそんなんじゃない。あの人も、杏奈さんていう助手を助けだがってるんだよ。

 そんな気持ちを、衣乃理は口にできない。大和は、仮にも警察署長の息子だ。その彼に昨夜のことを話せば、きっと黄印にとってまずいことになる。

(……お願い。あの助手さんを助けてあげて)

 心の中で祈る衣乃理。だが、今の自分は、いったい誰に向かって祈ればいいのだろうか。そう思うと、この願い事が叶うことはなさそうに思えて、衣乃理の胸はちくりと痛んだ。

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