第20話 ドローン飛来
「う…」
衣乃理の家の前には、昨日にも増して多くの大人たちが集まっていた。
中でも目を引くのは地元の警察官、そして制服姿の自衛官である。
別に衣乃理を捕まえに来たわけではないが、自宅前に警官と自衛官が並び立っているのは妙なプレッシャーがある。とはいえ、彼らがこうして睨みをきかせているからこそ、メディアは自宅にまでは押しかけてこないのだが。
今も、いかにも記者やカメラマンといった風体のグループが、離れたところから武見家を監視している。あれ以上、彼らを近づけさせないのは、大和の父のおかげだろう。
自衛官たちはミカヅチの回収が任務だったが、政治家たちがミカヅチの処遇を決めかねているせいで鹿島を離れられないのだった。今、ミカヅチの機体は海沿いの工業地帯近くの広場に置かれている。もちろん、衣乃理をはじめ、民間人の誰もミカヅチには近づけない状態だ。
「お帰り、衣乃理」
家に帰っても、迎えてくれたのは母親だけだった。
最近、武見家は希や大和などの来客が常駐していることが多かったため、母ひとりの出迎えはなんとなく寂しく思える。
「お母さん、お爺ちゃんは? それに、希ちゃんたちもいないけど」
「お爺ちゃんは、宮坂さんや希ちゃんと出かけたわよ。なんだか、希ちゃんのロボットのことでお話があるみたい」
「ミナカタの?」
希の乗機、ミナカタは、ミカヅチの暴走によって腕を引きちぎられたままだ。宮坂に鹿平が同行しているということは、ミナカタの修理についての相談だろうか?
「わたしも行った方がいいのかな?」
ミカヅチに乗っていた……つまりは、加害者とも言える衣乃理としてもミナカタの状況は気になるところだが、今、あまり外をうろつくと、警察やマスコミもうるさそうな気がする。
と、そんなことを考えていると。
「おーい! 衣乃理、いるか!?」
門前から騒がしく響く声は、幼馴染みの建児のものだった。
「ちょっと、君!」
同時に響くのは、家の前にいる警察官の声。いつもなら勝手にあがりこんでくるはずの建児が外で騒いでいるのは、警察官が武見家への来客をチェックしているからだろう。なんの用かは知らないが、ここは、衣乃理の方から出て行ってやった方がよさそうだ。
「ちょっと、健ちゃん。今はあんまり騒がないで……」
足にサンダルをつっかけながら衣乃理が玄関先に出る衣乃理。すると、警察官に両脇を捕まれた建児が、飛びついてきそうな勢いで叫んだ。
「衣乃理! ミナカタが! 変な政治家のオバサンが来て……このままじゃ、俺たち、あの化け物と戦えなくなっちまうぞ!」
「ごめんなさい、ちょっと通してください!」
衣乃理が鹿島神宮の門前に駆けつけた時には、ミナカタの周りには人だかりができていた。
「おう、衣乃理ちゃん、通りな!」
衣乃理を知る近所のおじさんに助けてもらいながら人だかりをすり抜けると、人々の中心にいる鹿平の姿が見えた。鹿平の前には、10人ほどのスーツ姿の集団がいた。先頭に立っているのは女性だ。三十代くらいに見える、かなりの美人だ。
「おいおい、ミナカタが何をしたってんだ?」
「そうですよ。だいたい、国はミナカタやミカヅチには不干渉だと決めたはずでは?」
鹿平と宮坂は、その一団に何やら抗議をしている。
「ですから、コレは、あのミカヅチとかいう兵器と同じものなのでしょう? そんなものを、市民の近くに置かせるわけにはいきません!」
「コレとはなんだ、コレとは! ミカヅチもミナカタも、
「まあ、戦争の神だなんて。やはり、コレは兵器ではありませんか!」
「いやいや、それは誤解というものです。戦の神とは、別に戦争だけの神様とは……」
穏やかな口調で宮坂老人も割って入るが、女性は聞かない。
「いいえ。先日の一件で、アレは危険な兵器だと判明しました! 事実、怪我人も出ているではありませんか!」
「……」
女性の鋭い一喝に、衣乃理はびくりと肩をすくませた。アレ、というのは、ミカヅチのことだ。
「そ、そりゃ、怪我人は出た……が、なにも悪気があって……」
「悪気がなければ許されるというものではありません! だいたい、こののうな兵器、暴力装置の勝手を許しているということが、国家の、現政権の敗北なんです! これは、総理の退陣も問われる大事ですよ!」
「わぁ……」
総理やら何やら、なんだか話が大きくなってきた。女性の剣幕に、衣乃理は口を挟むこともできずに鹿平たちを見守る。
「おいおいおい、おばさん! 勝手なこと言うなよな!」
と、そこに口を挟んだのは、衣乃理を連れてきた建児だった。
「な、おば……!?」
「ミカヅチは、俺たちを守ろうとしてくれたんだろ! 悪いのは、あの変な化け物じゃないか!」
「おい、君!」
遠藤の背後に控えていたスーツの男たちが立ち塞がるが、建児は怯まない。
「なんだよ! あんたら、こんなところでミカヅチやミナカタに絡んでるんだったら、あの化け物でもやっつけてみろよ!」
「このガキ……!」
建児の挑発を受けて、スーツ姿の男が両側から掴みかかる。
「……やめなさい!」
だが、それを止めたのは、男たちを従えている遠藤という女性だった。
「子供の正直な意見よ。腹を立てるようなことではないわ」
「し、しかし、遠藤議員……」
(議員……? あっ!)
男たちの言葉を聞いて、衣乃理も遠藤の正体を思い出す。たしか、国会中継の時に、ミカヅチについて総理に厳しい質問を投げかけていた議員だったはずだ。
「この子は悪くないわ。まだ、ああいう危険な兵器にロマンを感じてしまう年頃なのよ」
そんなことを言いながら、余裕の笑顔を見せる遠藤。
「なんだよ、その言い方! ミカヅチは間違ってねえだろ!」
「こら、建児。そのくらいにしとけ」
スーツ姿の男たちと揉み合いになりそうな建児を、鹿平が首根っこを引いて抑える。
「悪いね、議員センセイ。で、話はのんだったっけ?」
「ですから、このような危険な兵器が、みなさんの近くにあることが心配だと申し上げているのです」
「……危険かどうかは置いておいてもよ。ミカヅチはもう、自衛隊の手にあるんだ。文句ねえだろ?」
「いいえ。まだこうして、もう一体……ミカヅチ? と似たようなものが残っています」
「似たようなもの、ではありません。建御名方神の化身、ミナカタですよ。神に対して失礼でしょう」
宮坂が遠藤の言葉を訂正する。
「同じようなものですよ。市民に脅威を与えるという意味ではね」
先ほどの作り笑いとは一変し、冷たい視線でミナカタを見上げる遠藤。
「そうは言っても、神の化身には国は口出しをしないというのが総理のお言葉でしたでしょう?」
「ですが、総理もさすがに、ミカヅチへの拘束命令を出しました。ならば、このミナカタというロボットもいずれは……」
「そんな乱暴な!」
「誰か一人が事故を起こしたら、自動車を禁止するみたいな言い様だな」
宮坂と鹿平が同時に反論する。
「こんな兵器が、町中にあることが看過できないと言っているのです! 話を逸らさないでください!」
「話を逸らしているのはそちらでしょう? ミナカタになんの関係が?」
「そもそもこっちは、ミカヅチを取り上げられたことも納得してねえからな!」
「…………」
遠藤たちと鹿平たちが睨み合う。大人がこんな大声で喧嘩するのを滅多に見たことのない衣乃理は、息が詰まるような思いで双方を見る。
「……いでしょう。まだこちらも、二台目……ミナカタの方を拘束する権利はありませんしね」
しばらくの沈黙の後、溜め息をつきながら折れたのは遠藤だった。
少しだけ場の空気が緩み、衣乃理もつられてため息をつく。
「……ああ。とりあえず、ここは退いてくれや。それに、建児の言うことはもっともだぞ。あんたら、俺らを虐めるより先にやることがあるだろ」
「虐めるというのは心外ですが……膿に逃げた怪物のことも、放っておくつもりはありませんのでご安心を」
捨て台詞のようにそう告げると、遠藤は衣乃理たちに背中を向けた。取り巻きの男たちも、それに従い去っていく。
「……あの様子だと、また来るな」
「ええ。どんな言いがかりをつけられたものかわかりません。あの化け物がふたたび現れる前に、ミナカタの修理を急ぎましょう」
宮坂の言葉に、衣乃理たち一同がミナカタを見上げる。その両肩には、本来あるべき両腕がない。暴走したミカヅチが引きちぎった跡だ。
「……ごめんなさい」
衣乃理は、何度目になるかわからない謝罪とともに宮坂に頭を下げる。
「いやいや。これは、衣乃理ちゃんがしたことじゃないし……とはいえ、神の化身であるミカヅチを責めるのも恐れ多いけどね」
ははは、と苦笑いを見せる宮坂。
「大丈夫。ミナカタは直せばいいんだ。それに、町の人だって最悪の事態にはならなかった。私は、衣乃理ちゃんも希ちゃんもよく頑張ってくれたと思っているよ」
「宮坂さん……」
「さーて。お前らは家に帰ってろ。俺と宮坂さんは、ミナカタを直す。これから何日かは、メシもこっちで食うから弁当を頼む」
「う、うん。わかった。お母さんに頼んでおく」
ミカヅチが奪われた今、もし、あの化け物が再来すれば、戦えるのはミナカタしかいない。
(でも、わたしは……)
それなのに、衣乃理は心のどこかで自分が戦わずに済んだことに、希に全てを任せられることに安心してしまっている。
(でも、しかたないよね。どうせ、わたしじゃ役に立てないんだから……)
自分の中でちくちくと転がる痛みに言い訳をしながら、衣乃理は少しだけ足早にその場を後にした。
「ただいま~」
建児と別れて自宅に帰った頃には、辺りはうっすらと夕闇に包まれはじめていた。
……フォン! ビシュ!
その時。玄関の引き戸を閉めようとしていた衣乃理の耳に、縁側の方から鋭い風切り音が飛び込んできた。
「ん?」
何かを鋭く振り回すような音。建児が木刀の素振りをしている時のような音だが、それよりもさらに鋭い。
「あ、希ちゃん」
風切り音に導かれるように衣乃理が縁側に向かうと、その庭先には、巫女装束の希が素振りをしていた。ただし、その手にあるのは木刀ではなく、それよりも長い、希の身長ほどもある棒だった。
ビュン! シュビッ!
衣乃理が現れても希は無言で体を動かし続けていたが、五、六回ほど棒を振り回すと、区切りがついたのか深く息を吐き出した。
「……庭をお借りしていたわ」
懐から手拭いを取り出し、額を拭く希。
「あ、はい。狭い庭でございますが、どうぞどうぞ」
緊張して、妙に媚びた返答をしてしまう衣乃理。もともと希とは打ち解けているとは言えなかったが、ミナカタの腕を破壊した一件以来、ますます話しづらくなってしまっていた。
「……いいえ。そろそろ切り上げようと思っていたところだから」
「あ、そうですか……」
どうぞ続けて、とジェスチャーで示した衣乃理だったが、それも希にすげなく流されてしまう。
「あ、あの、その棒って、なにかの武道なんだよね? なんていうの?」
希との会話の種になればと、本当はあまり興味のないことを質問してみる衣乃理。
「棒というより、正確には
「杖? 杖って、お年寄りとかが使ってる?」
「ええ。その杖を使う、一種の護身術よ。と言っても、源流は諸説あるけど。戦場において、槍先を切り折られた時に使われたという説もあるし」
「へえ、そうなんだ……」
自分から聞いた以上、わかったようなフリをしてうなずく衣乃理。武道に関しては知識も興味もない衣乃理だが、思ったより希が饒舌になってくれたのは嬉しかった。
「でも、ミナカタは刀を持ってたよね? だから、希ちゃんも剣道をやってるのかと思ってた」
「もちろん、剣術も学んでいるわ。剣だけではなく杖術、柔術など、ひととおりをね。ミナカタは、剣だけではなく杖も装備しているし」
「へえ……」
衣乃理はうなずくことしかできない。
「今、ミナカタは動けない。修理を待つ間、私はこうして稽古をする以外に何もできないから」
「あ……」
結局、ミカヅチと自分によるミナカタの被害に話が行ってしまい、肩をすくめる衣乃理。しかし、希の口調は衣乃理を非難する風ではなかった。
「……あなたの無念は、私が晴らすわ」
それどころか、希が次いだ言葉は、衣乃理を慰めるかのようなものだった。
「え?」
希の意図がわからず、いささか間抜けな返事をしてしまう。
「自らの乗機……相棒を奪われたこと、お察しするわ」
「え? あ……うん」
思いがけない希の優しい口調に、あいまいなうなずきを返す衣乃理。
どうやら、希は希なりに、ミカヅチを失った衣乃理を気遣ってくれているらしい。
(う、でも……)
あまり気遣われるのも、衣乃理としては心苦しい。
衣乃理も今の事態、町の人やミナカタに傷を負わせたことには罪の意識を感じている。だが、ミカヅチを奪われたことについては複雑な感情を覚えているためだ。
(それは、わたしだって、ミカヅチを取られちゃったのは少し寂しいよ。だけど……)
だけど、衣乃理は心のどこかで、これでもうミカヅチに乗らなくていい、戦わなくていいという安心感も抱いている。こんな気持ちを知ったら、希は怒るだろうか?
「あの化け物は、必ず、またやってくるわ。次こそ、あいつは私が倒す」
ビッ、と鋭く杖を振り、力強く宣言する希。
「あいつ……」
希の言う「あいつ」とは、紫色の重機が形を変えた化け物のことだ。
「希ちゃん。あれって、なんなの? 希ちゃんやお爺ちゃんは、あれがなんだか知ってるんだよね?」
怪我人が出たり、ミカヅチを奪われたりして先送りになっていたが、衣乃理はまだ、あれがなんなのかを聞かされてはいなかった。
「……あの個体の名前は知らない。でも、
「さばえ、なす?」
「要するに、悪い神、
「悪い、神様?」
自分でつぶやいたその言葉に、ぶるっと背筋を震わせる衣乃理。
「それってつまり、悪魔とかオバケみたいな? そんなものが、本当にいるの?」
「あなたはもう、ミナカタやミカヅチのような、超常的な力で動く神機を目の当たりにしている。なら、それとは別の者たちが存在しても不思議ではないはず」
「そ、それはそうかもしれないけど……」
衣乃理は心の中で勝手に、ミカヅチやミナカタは世界でも稀な……いや、唯一の「不思議な存在」だと考えていた。まさか、ミカヅチたち以外にも衣乃理の常識を壊すモノが、それも、邪悪な敵が存在するとは考えていなかった。
「で、でも、それがどうして鹿島に……?」
「さあ、そこまではわからない。でも、遅かれ早かれ、私たちはあれと出会っていたでしょう」
「え? どういうこと?」
「だって……五月蠅なす悪しき神と戦うことこそ、私たちの乗る神機の作られた理由だから」
「え……?」
「そして、五月蠅なす悪しき神は、あの一体だけでは終わらない。だから、私たちは、まだまだ腕を磨かなくてはいけないの……!」
「悪しき神……かぁ」
夕食の後。衣乃理はふたたび縁側に腰掛け、ぼんやりと夜空を見上げていた。
あの時の化け物……紫色の重機は、ミカヅチたちと敵対する悪い神の一族だという。
(悪い神様だなんて……そんな敵に、わたしは、ミカヅチは勝てるのかな?)
と、そこまで考えてから、衣乃理は思い直す。自分はもう、ミカヅチに乗ることはできないのだ。
(でも……)
衣乃理とて、ミカヅチに乗って戦いたいとは思っていない。しかし、一つだけ大きな気がかりがあった。
(あの、紫色のロボットに乗っていた女の人……黄印って人の助手さん、どうしてるのかな……)
あの紫色の重機に乗っていた杏奈という女性の無事は、未だに確認されていない。そして、黄印博士の姿もまた、どさくさに紛れて消えていたのである。半壊した黒い重機は、今も海岸に放置されたままだが。
(あの、杏奈って女の人……どうしてるんだろ。ご飯、食べてるのかな)
紫色の重機が暴走した時、衣乃理と同じく、杏奈もまた正常な状態ではなかった。だが衣乃理とは違い、杏奈は今なお正気に戻っていないかもしれないのだ。そんな状態のままで、彼女の心身は、命は、いつまでもつのだろうか。
そんなことを考えながら、ぼんやりと夜空を見上げる衣乃理。すると。
ぷぅ~ん……。
虫の羽音のようなものが、衣乃理の耳に飛び込んできた。大きな音ではない。だから衣乃理ははじめ、本当に虫がいるのかと思った。だが、違った。
その羽音のような音は、上空から聞こえた。そう気づいて上を見ると、上空に何かが飛んでいるのが見えた。
「ん?」
小さく、黒塗りされた物体の姿が、少しずつ明らかになる。こちらへと降りてきている。それは、ほんの手の平ほどの大きさの、四つのプロペラで飛ぶ物体だった。いわゆるドローンというものだろうか?
「! もしかして、どこかの記者さんとか……!?」
メディアの誰かが探りを入れてきたのかもしれない。そう考え、衣乃理が身を固くする。
「……待て。話を聞いてくれ」
だが、衣乃理が室内に身を隠そうとするより早く、そのドローンから人の声が発せられた。
「えっ……?」
「声を出すな。誰も呼ぶな。危害は加えない……今は。決して」
衣乃理が事態を飲み込む間もなく、ドローンの向こうの誰かは一方的に言葉を続ける。そして、衣乃理はその声に聞き覚えがあった。
「あなた、もしかして……」
「二人で話がしたい。これから指定する場所に来てくれ。それから、何か食べ物と水を持ってきてくれ……予算は三百円以内だ」
「えっ、食べ物?」
「場所は…………国主近隣公園。いいな。必ず一人で、一時間以内に来い!」
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