第13話 黄印の挑戦状

「た、武見くん! 先ほど、君の家の塀にこんなものが!」

 そう言いながら慌てた様子で大和が駆け込んできたのは、三日ほど経った日の夕方であった。例によって衣乃理の警護を買って出ていた大和は、右手にはいつもの竹刀を持ち、そして左手には一本の矢を握り締めていた。

「大和先輩、それって……? さすがに弓矢は危なくないですか?」

 ついに大和は飛び道具まで導入したのかと思い、ちょっと引いてしまう衣乃理。

「違うよ! これは何者かが君の家に放った矢だ! ほら、ここを見て!」

 大和が衣乃理の眼前に矢を突き出す。見ると、矢の中ほどの部分には丁寧に折り畳まれた紙片が結び付けられていた。

「これは……」

「矢文ってやつだな。ずいぶん古風なことをしやがる」

 いつの間にか衣乃理の後ろに来ていた鹿平が、面白そうにつぶやく。

「やぶみ、って……つまり手紙? だったら普通に送ってくればいいのに」

「普通の方法じゃ送りたくねえか、または格好でもつけてるんだろうよ……なんにせよ、時候のご挨拶ってわけじゃなさそうだ」

「武見くん、中を見てみたらどうだい」

「は、はい」

 大和に促され、嫌々ながらも矢文を開く衣乃理。

「ええと……」

『拝啓 おだやかな春日和が続いているが、いかがお過ごしだろうか。ちなみに私は元気だ。

愚かな古人は“馬鹿は風邪をひかない”などと言い伝えたそうだが、私に言わせれば、きちんと健康管理ができる賢人こそ風邪をひかないのだ。さらに言えば、風邪をひきやすいかどうかは環境や体質によっても違ってくるので、風邪は知能指数を計る基準たりえないのである……』

「なんだこりゃぁ」

「ただのイタズラかな?」

 衣乃理が途中まで読み上げたところで、鹿平と大和が呆れたようにつぶやく。

「わかんないけど、まだまだ手紙は続いてるよ。ていうか、三枚組だし」

「もういい、飛ばせ飛ばせ。三枚目だけ読め」

「うん、そうしよっか……」

『……つまり、私がキュウリ嫌いなのは、別に好き嫌いなどではないのである。世界一栄養のない野菜などは食べる価値がないのであって、それを無理矢理食べさせようとした小学校時代の担任には、いずれ然るべき報いを与えようと考えている……』

「三枚目も無駄なことしか書いてねえじゃねえか」

 あまりにも無駄が多い手紙に鹿平が憤慨する中、衣乃理はさらに続きを読み上げる。

『まあ、それもこれも、私が愚民どもを恐怖のドンドコに陥れ、正当な地位に就いてからの話だ。そのためにも、貴様……ミカヅチを今のうちに討っておく必要がある。つきましては、お流れになったままの決着をつけるため、貴様らに決闘を申し込みたい。念のため正確な日時は定めずにおくが、近日中に訪ねさせてもらうから首を洗って待っていろ 草々 悪の天才 黄印博士より』

「これは……あの黄印という博士からの果たし状じゃないか!」

「ていうかよう。拝啓で始まったら敬具で締めるもんだろ? 天才とか言いながら、そんなことも知らねえのか」

「あんな重機を作るくらいですから、理系の文野では天才なんですよ、きっと」

「それより、果たし状って……また、あの変な人と戦わなくちゃいけないの?」

「おう、望むところだぜ。へへへ、面白くなってきやがった」

「面白くないっ! ていうか、戦うのはわたしとミカヅチでしょ!?」

「しかし、武見くん。あの博士は、放っておいてもやって来るよ? その時、町内の皆さんを守れるのは君しかいないじゃないか」

「普通に警察とかに通報すればいいと思うんですけど……」

「ガタガタ言うな、衣乃理。正々堂々と挑戦を受けた以上、真っ向から迎え撃つのが男ってもんだぜ」

「わたし、女の子だもん!」

「建御雷神は男だ」

 と、衣乃理たち三人がそんなやり取りをしていると、横合いから抑揚のない声が響いた。

「では、決戦の日までに腕を磨いておかないとね」

「あ、希ちゃん……」

 いつから話を聞いていたのか、希は感情をうかがわせない顔で衣乃理たちの横に立っていた。

「あの程度の敵、ミカヅチの敵ではないと思うけど……それもあなた次第ね」

「うっ」

 先ほどの練習のことを思い出し、言葉を詰まらせる衣乃理。何しろ今日の練習では、衣乃理はミカヅチをまともに動かすこともできなかったのだ。あんな体たらくでは、黄印を迎え撃つことなど不可能である。

「む、無理だよ、わたしじゃ自信が……ていうか、希ちゃんとミナカタが戦ってくれない? 希ちゃんたちだったら、あの博士だって怖くないでしょ?」

「こら、衣乃理! 他人様ひとさまをあてにするんじゃねえ!」

「だ、だって、もしわたしが負けちゃったら、町のみんなも危ない目に遭うかもしれないんだよ? だったら、わたしより強い希ちゃんに頼んだ方がいいよ」

「たしかに、先日の重機だったらミナカタの敵ではないわ」

「でしょ、でしょ!?」

 希からの助け舟のような発言を受けて、鹿平を押しのけながら彼女に迫る衣乃理。

「お願い、希ちゃん! 町のみんなを守って!」

 妙に衣乃理への当たりが厳しい希だけに、おそらくは断られる。「自分でやりなさい」と言われてしまうだろう。そう思いながら駄目元で頼んでみた衣乃理であった、が。

「承知したわ」

 希の口からは、シンプルな了解の声が返ってきた。

「あ、ありがとう!」

 内心では断られるかと思っていただけに、喜びのひとしおの衣乃理。

「住民に被害が出ないように、ミナカタと私も見届けてあげる」

「……ん? 見届ける? どういうこと?」

 雲行きが怪しくなってきたことを感じ、首を捻りながら希の顔を覗き込む。

「どうもこうも、挑戦状を受けたのはあなたたちでしょう? 私が横取りするわけにはいかないわ。だから、私が守るのは住民の安全だけ。だから、あなたは安心して敵と戦いなさい」

「えっ、それって……」

 住民の安全は守る。ただし、衣乃理とミカヅチは勝手に戦え……つまり希は、衣乃理とミカヅチのこと「だけ」は守らない、と宣言しているのである。

「おお、話がわかるじゃねえか、希ちゃん! 町の奴らの安全を守ってくれるだけでもありがてえぜ!」

「ありがたくな……くはないけど、よくないよ! そこまでしてくれるなら、わたしのことも守ってよ~!」

「いや、武見くん。ここは君とミカヅチの力を示す好機じゃないか! 鹿島の地を守るのに、ミナカタにばかり頼るわけにはいかないよ!」

「いかないよ、って、戦うのはわたしなんですよ、先輩!?」

 希、鹿平、大和。三者三様に戦いを勧めてくる者ばかりで孤立無援である。結局その後、衣乃理は三十分ほど食い下がったものの、多勢に無勢のまま黄印の挑戦を受ける羽目になったのであった。



「……はあ、まいっちゃうよ、もう」

 衣乃理が黄印からの挑戦状を受け取った翌日の放課後。衣乃理は幼馴染である小川珠子おがわたまこの家に遊びに来ていた。というか、正確には愚痴をこぼしに来ていた。

「衣乃理ちゃんも大変だねえ」

 と、小川家の縁側に腰掛けながら相槌を打ってくれたのは、珠子の祖母である。

「でしょ? タマ婆ちゃんならわかってくれると思ってた!」

「でも、お婆ちゃんだってミカヅチが動いたって喜んでたでしょ?」

 という珠子の指摘を受け、タマ婆ちゃんは困ったような笑みを浮かべる。

「まあねえ。あたしが子供の頃は、ミカヅチと巫女さんはみんなの憧れだったから。でも、嫌がる衣乃理ちゃんに無理矢理ってのもねえ」

「だよね! なのに、うちのお爺ちゃんったらさ……」

鹿ろくちゃんは、昔っからミカヅチに夢中だったからねえ。まあ、許してあげてよ」

 そう言いながら、中断していた縫い物を再開するタマ婆ちゃん。

「タマ婆ちゃん。それ、なに作ってるの?」

「ん、これ? お手玉みたいなものよ」

「へえ、懐かしいね。昔、タマ婆ちゃんが教えてくれたよね」

「ふふふ、古い遊びもけっこう楽しいよ。今度、衣乃理ちゃんの分も作ってあげる」

「うん。ありがとう、タマ婆ちゃん!」

「……それよりさ、衣乃理。そのナントカって博士との戦いはどうするわけ?」

「う……どうするも何も、やるしかないよ。ミカヅチの戦いは、おまわりさんたちも手伝うわけにはいかないみたいだし」

 三木総理は、「神の戦いに国家が介入することはない」と明言した。もちろん、ご近所に被害が及びそうな時には警察も力を貸してくれるそうだが、それはあくまで住民を救うための措置であって、ミカヅチを手助けしてくれるわけではない。

「でも、どうしても困った時は、ミナカタ……だっけ? あのロボットも助けてくれるんじゃない?」

「……それもどうかなあ。希ちゃん、ご近所さんに被害が出ないようにはしてくれるって言ってたけど……私とミカヅチのことは知らないって」

「あらら。その子、ずいぶん衣乃理ちゃんに厳しいのねえ」

「希ちゃんは、私とミカヅチに強くなってもらいたいみたいなの。で、強くなったミカヅチに勝ちたいんだって」

「へぇ~、青春してるねえ」

「青春……なのかな? 私としては、普通に仲良くなりたいんだけど」

「仲良くなりたいんだったら、なおさら強くなるしかないじゃない? きっと喜ぶわよ、あの子」

 と、面白がるように笑う珠子。

「うう……結局、そこに話が戻るんだね。どうしても戦いは避けられないのかなあ……」

「ふふ、建御雷神たけみかづちのかみいくさの神様だからね。戦わないと道も開けないのかもね」

「そんなものなの? ……あーあ。ミカヅチが他の神様だったらよかったのに」

駄目押しのようなタマ婆ちゃんの言葉にため息をつきながら、衣乃理は半ば自棄食いのように薄皮饅頭うすかわまんじゅうを口に放り込んだ。



 夜になり、風が強くなってきた。放置された一斗缶がガタガタと揺れる中、黄印はひたすら自らの愛機の調整に没頭していた。

「博士。あまり根を詰めすぎるとお体によくありませんわ」

 そんな黄印を心配し、助手である杏奈がコーヒーの乗ったお盆を手に声をかける。

「…………」

 機械いじりに没頭しているせいか、黄印は返事もしない。とはいえ、杏奈にとってはいつものことである。そのために、コーヒーは保温性のあるステンレスマグカップに注いである。

(まあ、それでも、博士が気づく頃には冷めていることが多いのだけど)

 そう心の中で苦笑しながらも、杏奈は黄印の背中に頼もしさも感じていた。

 寂れたスクラップ場に擬態……というか、そのものの黄印の研究所。給料はろくに出ないどころか、パーツ集めのために副業に手を出したり、あの、いけすかない遠藤議員のようなスポンサーに媚びねばならない日々。就職先として考えれば、正直言って、ブラック企業以下だ。だが、杏奈はそれでもいいと思っている。別に、黄印は利益を独占しているのではなく、本当に金がないだけだから。全面的に信用され、経理を任されている杏奈にはそれがよくわかる。それに、自分は黄印に雇われているのではない。黄印の共同経営者だ。二人で分かつ苦労なら、どんなことでも乗り越えてゆける。

(……そうよ。なんのやりがいもない仕事を続けていた頃と比べたら……)

「おお、杏奈くん。コーヒーかな」

 杏奈が黄印と出会った頃に思いを馳せようとした時、頭上から声をかけられた。機械油で頬を黒く染めた黄印が、これまた黒い重機のコクピットから顔を出している。

「ええ、博士。いつものように、お砂糖は5つ、入れておきましたわ」

「そうか、ありがとう。私の天才性を保つには、脳細胞にたっぷり糖分を与える必要があるのでね」

「はい!」

 ツーといえばカー。そんな黄印とのやり取りに充実感を感じながら、杏奈は脚立の上の黄印に向かってマグカップを持つ手を伸ばした。

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