第8話 諏訪ナンバーの訪問者

♯第三章

広がる波紋


 そんなわけで、携帯電話に釣られた衣乃理の特訓が始まった。

 何しろ、あの黄印という自称博士がいつまた攻めてくるかわからないのだ。衣乃理の安全のためにも、そして地元の皆さんの安全のためにも、ミカヅチを操ってしっかりと鹿島神宮を守る必要があった。

 幸いにして衣乃理は帰宅部だったので、部活の代わりに帰宅後はミカヅチの操縦訓練である。携帯電話という大きな報酬に報いようと、衣乃理はここ数日、実に真面目に訓練に励んでいた。

……だが。だが、である。

 周囲の期待とは裏腹に、衣乃理の操縦は驚くほどに上達しなかった。

 ミカヅチを立ち上がらせようとしても、そもそも動かない。やっと動いたと思っても、ちょっとした起伏でつまずく。剣を持たせれば右へ左へとふらつく……と、まったくいいところなしである。

「おいおい、どうしたい? この間、黄印とかなんとかいう(ピー)野郎が来た時にゃ、それなりに戦えてただろうがよ?」

 鹿平が不満げに鼻を鳴らすが、当の衣乃理自身、何が悪いのかわからない。

「そんなこと言われたって……そもそも、ミカヅチがなんで動いてるかもわからないんだもん……」

 衣乃理はテレビゲームなどを遊ぶ際、「説明書をきっちり読む派」だ。チュートリアルだってスキップせずに、じっくりしっかりプレイする。なのに、このミカヅチときたら、説明書はおろか、操縦法を知る者すらいないのである。

「この子、こないだは自分から動いてたみたいな感じだったんだけどな……どうせなら、人が乗らなくても、自動操縦で勝手に戦ってくれたらいいのに」

「無理を言うな。神様が力を貸してくれてるだけでもありがたく思え」

「そうは言っても……どうしたらいいのか見当もつかないよ」

「どうやったら動いた、とか、どうやったら動かなかった、ってのを繰り返して覚えていくしかねえだろ。何事も積み重ねが重要だ」

「う~ん……なんか、こう、気合を入れる? みたいな感じで動いてくれたかな?」

「なら逆に、気を抜いてるとどうなる?」

「気を抜いてると、操縦桿そうじゅうかんをいくら動かしてもウンともスンとも言わないみたい」

「まあ、ミカヅチは科学力で作られたロボットじゃねえからな。神への祈りみたいなものがねえと応えてくれんのかもな」

「でも、お祈りするだけじゃ動かないみたいだよ?」

「そりゃおめえ、神様だって人間だって同じよ。漠然としたお願いをされても困っちまう。きっちり指示を出してもわらなきゃ、何をすればいいかわからねえってもんよ。まずはおめえがミカヅチに慣れて、しっかり指示を出さねえとな」

「はぁ……よくわからないけど、がんばってみるよ……」

 衣乃理は嘆息をひとつ漏らすと、やけに重く感じる操縦桿を握り直す。



 そんな孫の様子を見ながら、鹿平もまた嘆息とともにぽつりと言葉を漏らす。

「やれやれ……こりゃ、早いとこ助っ人に来てもらわにゃならんな……」



 鹿森健児しかもりけんじは、不満を抱いていた。

 不満を腹の中で転がしているせいで、レンガの坂道を歩く足取りもずんずんと強いものになってしまう。

 何が不満かと言われれば、理由はひとつではない。ひとつではないが、とりあえず、それらの不満の原因は、幼馴染の武見衣乃理がミカヅチのパイロットに任ぜられてしまったことに行きあたる。

 なぜ、どうして衣乃理なのか。いくら女性しかミカヅチの搭乗者になれないといっても、何も衣乃理を選ぶ必要はないだろう。巫女だかなんだか知らないが、そんな特別な役目はあいつには無理だ。それは、赤ん坊の頃から兄妹のように育ってきた自分が一番よく知っている。

 そう……自分と衣乃理とは同い年だが「きょうだい」を漢字で表すなら「兄妹」なのだ。決して「姉弟」ではない。

 そりゃ、たまには衣乃理も年上ぶって口うるさいことを言うこともあるけど、基本的にあいつは、俺が守ってやるべき存在だ。

 あいつが二つ上の男子に漫画を取り上げられた時だって、帽子が木の枝に引っかかった時だって、自転車に乗れないと言って泣いていた時だって……どんな時も、助けてやったのは自分だ。

 助けてやった、とは言っても、もちろん、それを恩に着せるつもりはない。衣乃理が困っているのなら、助けるのは自分の役目だ。衣乃理には、自分が必要なのだ。

 ……だが、ミカヅチの件だけは代わってやれない。女の子しか乗れないロボットだと言われてしまっては、自分にはどうすることもできない。

「なんで衣乃理なんだよ……あー、もう、わかんねえ!」

 正直言って、健児は頭を使うのが得意な方ではない。だから、はじめのうちは気楽に構えていた。ロボットのパイロットなんてうらやましいと思っていた。

 なのに、まさか、こんな面倒なことになるなんて……。

「やあ、鹿森くん。いま帰りかい? 君もこれから武見くんの家へ?」

 ……と。

 そこに現れた者の姿を見て、健児の不満ゲージはさらに上昇した。

 現れたのは、大和一郎やまといちろう…衣乃理がミカヅチの搭乗者となって以来、彼女に付きまとっている先輩である。

 本人が言うには「武見くんの身辺を守るため」とのことだが、健児にしてみればそれが面白くない。衣乃理を守るのは自分の役目だし、何より、毎日のように衣乃理の家を訪れるのはいささか図々しいとは思わないのだろうか?

「先輩。熱心なのは結構ですけどね、別に衣乃理なんて守る必要はないと思いますよ? 鹿平爺ちゃんや親父さん、それに俺だっているんだし」

 言葉にいささか棘を含めた上に“俺”という部分も少し強調して言ってみたが、大和はそれを気にした様子はない。

「はっはっは、別にご家族や君を信用してないわけじゃないさ。でも、仲間は多い方がいいだろう?」

(誰があんたと仲間だってんだよ)

 そう思ったが、さすがに口には出さない。

(こいつ、いったいどういうつもりで衣乃理に近付いて来てるんだ?)

 何も考えてなさそうな大和の横顔を盗み見ながら、健児は眉間に皺を寄せた。

 衣乃理の警護……そう言えば聞こえはいいが、その“警護”には、「ミカヅチの搭乗者としての資格を失わないよう、衣乃理の処女を守る」という意味も含んでいる。

 まあ、それ自体は問題ない。兄妹も同然に育った自分としても、ミカヅチなどが現れるまでもなく“それ”を守っていきたいと思っている。

 だが、このまったく無関係の大和という男は、どういうつもりで衣乃理にまとわりつき、しかも処女を守るなどと臆面もなく公言しているのだろうか?

 自分などは、こうして頭の中で“処女”という言葉を思い浮かべるだけで頬が熱くなってくるというのに。

堂々と「君の処女は僕が守る!」と口にできてしまう大和のデリカシーのなさは、とても同じ中学生とは思えない。

 それに加えて、最近では大和が武見家で晩飯をご馳走になる機会も増えている。夜遅くまで武見家の前で警護をしているのだから自然の流れと言えばそれまでだが、健児にしてみれば、「うまいことを言っておきながら、自分だけ衣乃理に近付いてるじゃないか」と思ってしまう。

 今までの人生の中で、衣乃理に……武見家の中に、健児以外の同年代の男が入り込んできた例はほとんどない。あったとしても、幼い頃にみんなでテレビゲームをして遊んだ程度の他愛ないものだ。だから、大和という初めての来訪者に対して、健児は戸惑いと不快感を抑えることはできなかった。

 ……もちろん、兄貴代わりとして、だけどな。

 と、健児が内心で自分への言い訳をしていると。

 ばるるるる……きぃ。

 レンガ坂を上りきったところで、健児たちの前に大型のトレーラーが停車した。後部には荷台を引いており、大きな積荷は白い幌に包まれている。幌に記された丸いマークは家紋か何かだろうか。

 だが、健児の目を引いたのは、トレーラー自体よりも、その助手席に乗っている人物の方だった。

 助手席の窓から見えたのは、白い和服のようなものに身を包んだ少女だった。年の頃は健児たちと同じくらいだろうか。肩までも届かないようなショートカットのその少女は、まったく感情をうかがわせない静かな視線をただ前方に向けていた。

 こんなトレーラーに女の子? ……引っ越しかな?

 トレーラーと和服姿の少女という不釣り合いな取り合わせに、思わず二度見してしまう健児。

「あー、ごめんね、君たち。ちょっと道を教えてもらえるかな?」

 健児が和服姿の少女に見ていると、するするとトレーラーの窓が開き、運転席に座っていた人物が声をかけてきた。六十代から七十代くらいに見える、温厚そうな男性である。健児たちからは上半身しか見えないが、こちらも白い和装に身を包んでいた。

「あ、はい、俺たちにわかることなら」

 そう答えながらも、健児の視線はどうしても少女に引きつけられてしまう。

「鹿島神宮に行きたいんだけど、こっちで間違ってないよね?」

「ああ、それでしたら、ここをまっすぐ行けばすぐですよ。でも、大型車では乗り入れられないかもしれませんので、別の道をご案内します」

 大和が道案内をしている間も、助手席の少女は静かに前方を見つめている。その姿は、まるで精巧に作られた人形のようだ。

(まさか、転校生とかじゃないよな……)

 なんとなく興味を引かれて、ちょっと前に出てナンバープレートを見てみる。そこには“諏訪”という、このあたりでは見慣れない文字が記されていた。ちなみに茨城県内に存在するのは水戸ナンバーと土浦ナンバーの二種類であり、鹿嶋市を走る車の多くは水戸ナンバーである。

(他県の子か……荷物も多そうだし、まさか本当に転校生?)

 未だに視線すら向けてくれない少女のミステリアスな態度に、健児はかえって好奇心をそそられた。

 だが残念ながら、健児は地理が……というか、正確には勉強が全般的に苦手である。諏訪ナンバーと言われても、どこから来たのかすらわからない。

「あのさ、大和先輩。諏訪ナンバーって、どこの……」

 仕方なく、こんな時だけ都合よく大和に頼ろうとした時。

 がしょおおおおおおおん。

 レンガの坂道の上、鹿島神宮の方向から、金属と石が激しく衝突する音が響いた。

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