第7話 君の貞操を守る
「おっ、衣乃理。帰ったか。それに珠子ちゃんも。ちょうどよかった。テレビを見な」
衣乃理が帰宅すると、鹿平は居間でテレビに向かってあぐらをかいていた。
傍らのちゃぶ台に置いてある煎餅やら饅頭やらを勧めながら、衣乃理と珠子を招き寄せる。
「あっ。歌舞伎揚げ、好きなんですよね。いただきま~す」
素直に煎餅を受け取りながら畳の上に座り込む珠子。わりとカラッとした性格でノリもいい彼女は、鹿平とも馬が合うのだ。
「テレビ見ろって……どういうこと、お爺ちゃん? 用事がないんなら、わたしの部屋に行きたいんだけど」
「いや、黙って見てろ。これから大事な放送があるみてえだからよ」
珍しく真面目な声で衣乃理に言い聞かせる鹿平。つられてテレビを見てみると、画面の右上に「緊急記者会見」という文字が、ぎざぎざした仰々しい字体で飾られている。よくわからないが、何やら大変な発表があるらしい。と言っても、衣乃理には政治やら経済やらの話はわからないので、あまり興味はそそられない。
「わたしも歌舞伎揚げにしよう」
「やっぱ、これだよね~。ただ、わりとカロリー高そうだけど」
「珠ちゃんもカロリーとか気にしてるんだ? わたしも気を付けた方がいいかな」
「いや、衣乃理は気にしなくていいって。中二にしては、あんまり出るとこ出てないもん」
「え、それ、どういう意味? どこ? どこ見て言ったの?」
秘かに抱いていたコンプレックスを刺激された衣乃理は、歌舞伎揚げを口に咥えたまま珠子にずいっと顔を近づける。
「ほれ、静かにしろ。始まったぞ」
そんな二人に、テレビを見るよう促してくる鹿平。衣乃理が仕方なく視線を画面に向けると、たくさんの記者に囲まれて、見たことのあるおじさんが神妙な顔をして映っていた。
「あれ? この人って確か……総理大臣?」
「だね。三木公義だよ」
「わあ。珠ちゃん、総理のフルネーム言えるんだ? わたし、苗字しか知らなかった……」
珠子に差を付けられたような気がして、ちょっと恥じ入る衣乃理。
「いいから黙ってテレビを見ろっての」
鹿平が顎で示したテレビの中では、三木総理が記者たちの質問攻めに遭っていた。
『総理! この会見は、茨城での二足歩行重機の乱闘についてのものですよね!?』
「えっ!? それって……」
いきなり自分と関係ありそうな話題が飛び出してきたので、衣乃理は一気に画面に釘付けになる。
『え~、はい。先日の鹿島神宮襲撃事件に関する発表であります』
神妙な顔で頷く三木総理。
『結局、あれはどういう勢力の争いだったんですか!? 片方のロボットは重機ではなく、自衛隊の二足歩行戦車ではないかという噂もありますが!?』
『あー、いえ、そのことも含めまして、これからお伝えいたします。質問は後で受け付けますので、まずは私からの……』
わいわい、がやがや。
総理の制止を受けても、まだ何人かの記者は勝手に質問を続けている。
「お爺ちゃん、これ、どういうこと!?」
「どういうことも何も、お前が学校に行ってる間にニュースで言ってたんだよ。この時間に総理の会見があるってな」
「で、鹿平お爺ちゃん。ミカヅチと自衛隊が関係あるみたいなこと言ってたけど……あれ、本当じゃないよね?」
「おう、もちろんだ。それとも、俺が百里にでも勤めてるように見えるか?」
百里とは、茨城県内にある百里飛行場、またの名を航空自衛隊百里基地のことである。
「お爺ちゃんは、ミカヅチを神のヨリシロ? とか言ってたよね。ていうことは、ミカヅチは鹿島神宮の物なんでしょ?」
「鹿島神宮の物、って言い方はよくないかもしれねえが、まあ、誰が所有してるかって言われれば、神宮なんだろうなあ。ていうか正確には、鹿島神宮自体がミカヅチの……建御雷神の物なんだろうけどな」
衣乃理たちがそんなやり取りをしている間に、テレビの中の三木総理はわざとらしく咳払いをし、ふたたび場を仕切り直す。
『コホン。えー、では、先日の二足歩行重機、これは、鹿島神宮を防衛した方の重機のことですが……あの機体は、正式名称をミカヅチと申します』
「わっ……ミカヅチのこと話してる……」
わかっていたこととはいえ、実際にテレビで、しかも総理の口からミカヅチの名が出ると、なんともいえない興奮と不安に襲われる。
『ミカヅチにつきましてですが、あれは、日本政府が所有および稼働させているものではございません。少なくとも、えー、江戸時代あたりには鹿島神宮に存在していたと聞いております』
「……お爺ちゃん、本当? そんなに昔から?」
「おう。ていうか、江戸時代なんかより昔からいたそうだぜ。無論、時代によって俺みてえな宮大工が補修や改造を繰り返してるがな」
『総理! つまり、政府は何百年も、あんな危険なものを放置していたということですか!?』
「けっ、危険なわけあるかい。ありゃ神様の化身だぜ。バチ当たりがよ」
建御雷神や総理の気持ちを代弁するかのように鹿平がつぶやく。
だが、さすがに三木総理自身は鹿平のように軽々しく言い返すわけにはいかないようで、神妙な面持ちでぽつりぽつりと質問に答えている。
『えー、放置というわけではございませんが、ここ数十年、稼働したという報告もなく、特に問題も起こしておりませんでしたので……』
『では、これからはどうされるのですか!? ミカヅチというロボットは、政府に無断で軍事活動を行ったわけですよね!?』
『いえ、軍事活動というよりは、緊急事態における正当防衛のようなものと考えております』
『しかし、何らかの規制や罰則というものは必要ではありませんか!?』
『…………』
「おっ?」
それまで、弱気な表情で対応していた三木総理の顔が、一瞬だけ引き締まる。それを察してか、鹿平が面白そうに片眉を上げた。
「面構えが変わったな。こいつ、何か言う気だぜ」
「何かって……何?」
「ま、黙って見てろ」
鹿平の言葉に合わせるかのように、しばらくタメを作っていた三木総理が口を開いた。
『あの木製ロボット……ミカヅチは、神の化身です。同時に、鹿島神宮の管轄下において、神社や人々を襲う外敵と戦う存在であります。ですから、ミカヅチがその目的から外れない限り、政府が関与することはございません』
『えっ……!?』
いまひとつ要領を得ない三木総理の言葉に、記者たちが首を捻りながらどよめく。
『関与しない、とは、罰則を与えないということですか!?』
『はい……ですが、それだけではありません。特に罰則も与えない代わりに、ミカヅチに対しては積極的な支援もいたしません』
『つまり、放っておくと? 次に鹿島神宮などの神社が襲われた場合にはどうするのですか!?』
『近隣住民の避難、救助に関しては警察が通常どおり執り行います。ただし、ミカヅチに対する戦闘支援は行いません。もちろん、国家としての予算も割きません』
『それはつまり、鹿島神宮が治外法権のような扱いになるということですか?』
『こと、あのミカヅチ……仮に重機と申しますが、あの重機を用いての自衛という点においては、そうなるかと思います』
『そんな! 誰の承認を得たのですか!? 神社本庁はなんと!?』
『横暴ではありませんか!?』
今にも詰めかからん勢いの記者に囲まれ、三木総理の姿が小さくなっていく。そして、ワイドショーの中継はそこまでで打ち切られた。
「……お爺ちゃん、治外法権って何?」
「あー、なんつうか、普通の法律が通じねえっつうか、その場所ではお前らが勝手にやれ、って言われたようなもんだな」
「つまり、どういうこと!?」
「つまり、次にあの黄印とかいう変なのが襲ってきても、誰も助けちゃくれねえ。ミカヅチがやるしかねえってこった」
「えぇっ!? な、なんで? なんでそうなるの!?」
誰も助けてくれない、という言葉に衝撃を受け、障子がびりびりと震えるほどの大声を出す衣乃理。だが、鹿平はそんな孫の反応は意に介さず、楽しそうに唇の左側を吊り上げた。
「宮司や市長からは、悪いようにはしねえとは聞いていたが……いい落としどころじゃねえか。こりゃ面白くなってきやがった」
「面白くないっ! だ、誰も助けてくれないって、どういうこと? 私、これからも変な人たちと戦わなくちゃいけないの?」
「そうキーキー騒ぐなよ。最悪の場合は、お前や俺だって捕まってたかもしれねえんだぞ? そうならなかっただけでも御の字だろうが」
「な、なんでよ? わたし、何も悪いことしてないもん!」
「俺だってそうだよ。だがやっぱり、町中でいきなり戦うのはマズかったかな~、とは思ってたのさ」
「よくわかんないけど、衣乃理やミカヅチはこれからも自由に戦っていいってことよね? よかったじゃない、衣乃理」
「戦っていい、って、別にわたしは戦いたくないってば!」
「さーて、俺はちょっくら神宮の格納庫に行ってくらあ。ミカヅチがいつでも戦えるように仕上げておかねえとな。へへっ、忙しくなってきやがった!」
「仕上げなくていいってば! そんなことより、わたしの代わりにミカヅチに乗ってくれる人でも探してよ~!」
「鹿平お爺ちゃん、いってらっしゃ~い。あ、衣乃理、お饅頭ももらっていいかな?」
政府からの公認(放任)と、ノリノリの祖父。……そして、必ずまた訪れるであろう敵。
衣乃理本人の意思はともかく、こうしてミカヅチの戦いの幕は本格的に上がってしまったのであった。
そして翌日。
教室のでの衣乃理は、相変わらず遠巻きに観察される存在であった。
当然、昨日のニュースの件はクラスメートも知っている。加えて、今朝は校長と担任の先生にまで呼び出されて、「今後、鹿島神宮を守る任務の際は自由に早退してよい」というお墨付きをいただいてしまった。
「へえ、これからはときどき早退できるんだ? いいな~」
「そんな楽しいものじゃないってば~」
珠子は気楽な事を言っているが、衣乃理にしてみれば気が気ではない。
「早退ってことは、つまり、またあの変な人たちと戦わなくちゃいけないんだよ? わたし、すっごく怖かったんだから!」
こうしている今も、多数の見物人が廊下から衣乃理を見ている。健児や珠子は、「しばらくすればみんなも飽きる」と言ってくれたが、それは果たしていつになるやら。
……と、その時、人だかりの向こうで、ひときわ高く、はっきりとした声が響いた。
「すまない、みんな。ちょっと通してもらえるかな? 武見衣乃理さんに用事があるんだ」
「……えっ?」
名指しされた衣乃理は、頬杖を解いて廊下へと顔を向ける。
「今の声は……」
いきなり名前を呼ばれたことにも驚いたが、衣乃理にとってもっと重要なのは、声を発した人物だった。間違うはずがない。この声は……。
「やあ、ありがとう。ちょっと失礼するよ」
道を開けてくれた野次馬に律儀に礼を言いながら歩いて来るのは、やはり、衣乃理の思った通りの人物。衣乃理の憧れの先輩……
「や、ややややや、大和先輩っ!?」
「ああ、うん。確かに僕は大和だ。初めまして、武見さん。でも『やややっ』だなんて、そんなに警戒する必要はないよ。僕は曲者じゃないからね」
おっとりしているのか、それともちょっとアレな人なのか。慌てて立ち上がる衣乃理に対し、大和はズレた答えを返してきた。
「は、はい! 剣道部でのご活躍はかにぇがにぇ……じゃなくて、かねがねうかがっておりますです!」
なぜか敬礼で大和に相対する衣乃理。緊張のあまり、軍人さんのようになっている。
だが、衣乃理にとっては緊張するなという方が無理な話だ。大和といえば、つい先日、衣乃理が恋愛祈願をしかけていた相手である。
なぜ「していた」ではなく「しかけていた」なのかというと、お賽銭の五百円を健児に貸してしまったからなのだが。そういえば、あの五百円はまだ返してもらっていない。
まあ、五百円の行方は後で追及するとして。とにかく、大和先輩は衣乃理にとって特別な男子なのである。
「僕を知ってくれているんだね! それは光栄だな。それなら僕も話がしやすいというものだ」
「お話、ですか? は、はい! なんでしょう!?」
衣乃理の心臓がとくんと高鳴る。
え、え、これってどういうこと!? も、もしかして、私に特別なお話が……!? そ、そうだよね。考えてみれば、建御雷神って、戦の神、剣の神だもんね。剣道をやっている大和先輩には、ミカヅチに対する特別な想いがあるのかも。それでそれで、そのミカヅチに乗るわたしのことも気になっちゃって……とか!? っていうか、ここで言うの? みんなの目の前で!? きゃー!!
などと、止まらない衣乃理の妄想。だが、できるだけ表情を崩さず、平静を装って次の言葉を待つ。
「ああ、うん……」
大和は一瞬、視線を逸らし、自分の顎をぽりぽりと意味なく掻いた。見れば、その頬もほんのりと染まっている。
(大和先輩も緊張している……)
お互いの緊張が伝わり、呼吸さえも止まる。
周囲の生徒たちもただならぬ気配を感じ、息をひそめて大和と衣乃理を見ている。
「あの……さすがに少し、言いづらいのだけど……」
「はい、なんですか?」
「武見さん、君の……」
「は、はい! わたしの……なんですか!?」
「君は……君の処女は、僕が守る! 安心してくれ!!」
「………………え?」
言葉の意味がわからず、衣乃理は間抜けな声を漏らした。
野次馬たちも、この場に存在しないかのように静まっている。
……え? 先輩、わたしを守るって? それって告白? いや、何か別のことも言っていたような……何を守るんだっけ? わたしの……しょじょ? 賞状? 表彰状? そういえば小学生の頃、アサガオを綺麗に育てて賞状をもらって……いや、違う!
あまりのショックで余計なことばかり考えてしまったが、衣乃理は強引に脳内で大和の言葉を再生した。
『君の処女は、僕が守る!』……大和は、確かにこう言った。
「しょ、しょ、しょじょじ……じゃない! 処女を、守るっ!? ど、どういうことですか、それっ!?」
「いやあ、そんな大声で繰り返されると、さすがに照れるなぁ~、ははは」
大和はさほど照れていない様子で気楽に笑っている。
「いや、実は、僕の父は警察関係者でね。地元の政治家や鹿島神宮の氏子さんを通じて、あのご神体……ミカヅチの搭乗者の条件を聞いたそうなんだよ」
「は、はあ……」
いまだショックの抜け切っていない衣乃理は、相槌ともため息ともつかない声で応じる。
「ミカヅチの搭乗者は処女でなければいけないなんだろう? だから、君の安全と純潔を守るための護衛が必要だと思ってね!」
「え? あの、その……」
衣乃理は意味なくわたわたと手を振り、大和の言葉を遮ろうとした。なんだかわからないが、とにかく、すごく恥ずかしいことを言われている気がする。
だが、大和は衣乃理の様子など意に介さず、高らかに宣言を続けた。
「ミカヅチは鹿島神宮の平和と誇りを守る神の化身! そのミカヅチのためなら、僕は身命を賭して君を守ろう! 安心したまえ、この僕がいる限り、君に近付く男子は誰であろうとも排除してみせる!!」
「えっ……えええええぇーっ!?」
ちーん。
なぜだろう。神の化身についての話をしているはずなのに、衣乃理の脳内で響いたのは、自宅の仏壇に置いてある鈴(りん)の音であった……。
「う、うぅぅぅぅ~うぅ……」
自宅に帰ってからも、衣乃理は低いうめき声を漏らしながら落ち込み続けていた。大和からの『処女を守る』宣言以来、ずっとこんな調子である。畳につっぷしたままなので頬に網目状の模様がついているが、そんなことは今はどうでもよかった。
そんな衣乃理を見ながら、鹿平と珠子は気軽にポリポリと煎餅を食べている。
「なんで落ち込んでんだよ、おめえは。頼りになる男に守られるなんざ、幸せなことじゃねえか。なあ?」
「そうですね~。大和先輩って、剣道でも県大会の常連ですし。真面目で腕が確かな人ですよ」
そうしていると、鹿平と珠子はまるで本当の祖父と孫のようである。なんとなく疎外感を覚えて、衣乃理の声はさらに陰鬱になっていく。
「だって……ここだけの話、ちょっと憧れてた先輩なんだよ? その人から、『君に近付く男子は排除する』とか、しょ……『処女を守る』とか言われるなんて……それって、大和先輩とは絶対に交際できないってことじゃないの!」
「衣乃理、おめえ、何言ってやがる! まさかおめえ、あの大和ってのと深い仲になろうって思ってたんじゃ……!?」
孫の軽率な行動を許してなるかと、鹿平が片膝を立てて詰め寄る。
「ち、違うってば! そんな具体的なこと、今まで考えたことないもん!」
本当である。衣乃理にとっての恋というものは、素敵な男性と一緒に下校してみたいとか、テレビドラマみたいな綺麗な町を歩いてみたいとか、その程度のぼんやりした空想の対象でしかない。具体的に誰かとあんなことやこんなことをしてみたいなどという大胆なプランは一度も考えたことがない。
だが。だが、である。
想像していなかったからといって、今後、そういった関係に発展する可能性自体を閉ざされるというのはまた話が違う。
ミカヅチの搭乗者……『巫女』は純潔を守らなければいけないというが、それはいつまで続くのか?
たとえば、ほんの数年ならばいい。衣乃理だって鹿平の孫である。貞節というものを軽く考えたことはない。ちゃんとした男性とお付き合いして、将来を誓い合って、それで……というのが正しい人生プランだと思っている。
しかし、いつまでミカヅチの巫女でいればいいのか? 十年か? だとしたら、その時、衣乃理は二十四歳だ。うん、まあ、大丈夫だ。二十年? その時は三十四歳だ。その歳まで男性との交際禁止か……辛くなってきたかも。いや、期限があればまだいい。もしかすると、お嫁に行けるようになる前に、戦闘中に大変な事故に遭って……。
最悪の予想をしてしまい、ぶるっと体を震わせる衣乃理。とにかく最悪だ。ミカヅチに乗って戦わなければいけないだけでも嫌なのに、憧れていた人から直々に男女交際を拒絶されるなんて……。
どたどたどた。
衣乃理が畳の中に沈み込みそうなほど落ち込んでいると、畳越しに元気な足音が響いて来た。武見家を歩きなれた様子の、でも、父や母ではない足音。健児である。
「衣乃理! いるかっ!?」
ほとんど衣乃理と兄妹のように育った健児は、挨拶もなくいきなり居間に入ってきた。
「おう、健児。おめえも煎餅食うか」
「あ、宮内くん、こんにちは」
「あ、小川も来てたのか……って、それより、衣乃理! 玄関先に大和先輩が突っ立ってるぞ! あの噂、やっぱり本当なのか!?」
「……そうだよ。先輩に会ったんならわかるでしょ?」
健児にまで愛想を使う余裕のない衣乃理は、畳に突っ伏したままで不機嫌に答える。
そう。大和は今、この時も、武見家の門前で衣乃理を……正確には衣乃理の処女を守るべく警備を敷いているのである。
念のため言っておくと、衣乃理たちが彼を門前に放置しているわけではない。衣乃理や鹿平は、「とりあえず上がってはどうか」と誘ったのだが、大和自身が固辞し、外での警戒に当たっているのだ。
「じゃ、じゃあ、先輩はやっぱり、衣乃理の……アレを、守るためにいるのか!?」
「いちいち確認しないでよ、恥ずかしいでしょ!」
「あ、ああ……すまん。でもお前、先輩をあんな番犬みたいに……あれ、なんとなく世間体が悪いぞ」
「わたしもそう思うけど、先輩がやる気になっちゃってるし……」
お互いに眉間に皺を寄せ、やれやれと肩を落とす衣乃理と健児。
「おめえら、そんなに邪険にするもんじゃねえぞ。ってえより、渡りに船ってくらい有難い話だぜ」
二枚目の煎餅を平らげた鹿平が、湯呑みを手にしながら言葉を続ける。
「ミカヅチが動くにゃ、搭乗者である巫女の存在は欠かせねえ。だから、いずれはそういう見張り役は必要になると思ってた」
「え、じゃあ、鹿平爺ちゃんは、これからも玄関先に大和先輩を置いとくつもりかよ!?」
「ま、あの大和ってのがしたいようにさせるさ」
「で、でも……それって、いつまで続くんだよ?」
健児の口から、先ほどまで衣乃理が抱えていたのと同じ疑問が飛び出した。
「衣乃理はいつまで巫女ってやつでいればいいんだ? 十年か? 二十年か!?」
健児は拳を握り、顔を紅潮させながら鹿平に詰め寄っている。衣乃理の疑問を代わりに口にしてくれているのは有難い……が、なんで健児がそんなにムキになっているのだろうか。
「宮内くん、どうどう。落ち着いて。ほら、お茶」
勝手知ったる他人の家状態の珠子が、熱いお茶を健児に差し出す。
「あ……悪いな、小川」
「でも、わたしも知りたいよ、お爺ちゃん。わたしはいつまでミカヅチの巫女でいればいいの?」
「……衣乃理……おめえ、ミカヅチに乗るのは、辛いか?」
一瞬、鹿平が意外なほど弱気な表情で衣乃理を見た。
「えっ……?」
普段は強気で乱暴な言葉ばかりを吐く祖父の変貌に、衣乃理の勢いも削がれてしまう。
「ミカヅチが……建御雷神が誰を巫女に選ぶのかは、誰にも予想できねえことだ。まさに神のみぞ知るってやつでな。だが、おめえをミカヅチに乗せたのは……巫女に選ばれる可能性を与えちまったのは、俺だ。だから……おめえには、すまねえと思ってる」
そう言って、鹿平は胡坐をかいたままぺこりと衣乃理に頭を下げた。
「お爺ちゃん……」
「鹿平爺ちゃん……」
鹿平が素直に頭を下げるところなど見たことのない衣乃理と健児は、半ば茫然と鹿平を見る。
「や、やめてよ、お爺ちゃん。そりゃ、確かに自分からミカヅチに乗りたいとは思わないけど……でも、それでお爺ちゃんを恨んだりはしてないよ!」
頭を下げている鹿平を見るのが辛くて、無意識のうちに声が上ずってしまう。
「……おう、そうか。ならよかった。じゃ、恨みっこなしな」
……だが、鹿平の方は、衣乃理の赦しを得た途端にあっさりと顔を上げた。
「ま、あれだ。可愛い孫に命の危険を味わわせるつもりはねえよ。わしらもしっかり手伝ってやるから安心しろ」
茶を飲みながら、からからと笑う鹿平。先ほどまでの殊勝な態度はどこかに消えてしまっている。
(……だ、騙された……)
祖父に一本取られたことに気付き、頬を膨らませる衣乃理。
だが、鹿平は衣乃理に反論の隙を与えず、さらっととんでもないことを口にした。
「あ、あと、いつまで巫女でいればいいのか、って話だがな。正直、俺にはわからん。ただし……昔の文献によれば、二、三十年も巫女を続けた例もあるらしい」
「え、えぇ~っ!? そんなに!?」
「いや、まあ、長ければ、ってえ話だ。中には数年で引退した例もあるって話だぜ」
「で、でも、二十年以上も続く可能性もあるってことでしょ!?」
「そりゃ、敵がいつまでもいなくならなかったり、後継ぎが見つからなかったりすれば、な」
「三十年も続けたら、わたし、四十歳以上だよ!? それまで恋も結婚もできないの!?」
「まあな。でも安心しろ。ミカヅチの巫女ってのは名誉あるお役目だからな。過去に三十年のお役目を果たした巫女は、引退後に名家に嫁いで幸せな余生を送ったそうだぜ」
「そ、それは、その人は幸せだったかもしれないけど……わたしは嫌っ! もっと若いうちに恋とかしてみたいもん!」
「そ、そうだぜ、鹿平爺ちゃん! ちょっと、そこまで待つのは大変すぎるよ! せめて十年にまからないか!?」
なぜか関係ない健児が割って入り、値切り交渉のようなことを始めている。
「いや~、大変だね、衣乃理。でも、私はキャリアウーマンっていうか、独身貴族っていうか、そういう女性もかっこいいと思うよ?」
「ちょ、ちょっと、珠ちゃん! いきなり諦めないでよ!」
「そうだぞ、小川! これは大変な問題だ! 衣乃理の危機だぜ!」
「なんだって、武見くんの危機!?」
「わあっ、大和先輩、いつの間に!?」
「騒がしかったから、様子を見に来たんだ。ところで、危機ってなんだい?」
「ああ、なんでもねえ。気にすんな。まあいいから、おめえも煎餅を食え」
「鹿平爺ちゃん、話を逸らすなよ! 衣乃理はいつまで結婚できないんだ!?」
「ふむ、歌舞伎揚げですね。すみませんが、お茶もいただいてよろしいですか?」
「そうよ! 孫の婚期を遅らせようだなんて、それでもお爺ちゃんなの!?」
「あ、いま、来客用の湯呑み持ってきます」
わたわたわたわた。
ぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ。
衣乃理の貞操と人生設計を巡って、噛み合わないやり取りを続ける一同。
だが、その場を収めたのは、やはりというか当然というか、衣乃理の実の祖父であり年長者の鹿平であった。
「……よう、衣乃理。おめえ、まだ携帯電話持ってなかったよな?」
「え? 何よ突然……そんなの、お爺ちゃんが一番よく知ってるでしょ? もう中学生なんだから携帯が欲しいって言っても、お爺ちゃんが持たせてくれなかったんじゃない」
そう。衣乃理は今までにもさんざん自分専用の携帯電話を要求してきたのだが、考えの古い鹿平により、「子供には早い」と反対されていたのである。「可愛い孫が誘拐されたらどうするの? 防犯用に必要だと思うよ?」という手で説得を試みたこともあるが、その時に買い与えられたのは大きな音の鳴る防犯ブザーだけであった。
……その祖父が今、なぜ、携帯電話の話題を口にするのか?
衣乃理は警戒心もあらわに鹿平の言葉を待つ。
「うむ。お前も今後、ミカヅチの巫女として頑張ってくれることだし、何かと緊急連絡も必要になるだろうな……」
そこまで言ってから、鹿平はもったいぶって言葉を切った。
「……な、何が言いたいの? 続きを言いなさいよ」
そうは言いつつも、衣乃理の胸は早くも期待に高鳴っていた。
これは……まさか。まさか!?
「うむ……衣乃理。お前に、自分用の携帯電話を買ってやろう」
「……ほ、本当っ!? お爺ちゃん!!」
思わず鹿平の手を取る。間近で見つめ合い、その言葉に嘘がないかどうか確認する。
「おう。俺に二言はねえ」
「き、機種は好きなの選んでいいの!?」
「もちろんだ」
「子供向けのやつじゃなく、ちゃんと大人も使うような機種だよ!?」
「当然だ」
「通話だけじゃなくて、メールとか、テレビとかも見られる携帯でいい!?」
「ミカヅチの巫女ともあろう者が、みみっちいことを言うな。とにかく好きなのを買え」
「や、やったああああぁぁぁ! ありがとう、お爺ちゃん!」
比喩ではなく、本当に飛び上がって喜ぶ衣乃理。
(やった! これでクラスのみんなとメールできるし、お爺ちゃんとのチャンネル争いに負けても携帯からテレビが見られるし……それに何より、自分用の携帯電話って、なんだかオトナって感じだもの!!)
憧れの自分用携帯。それがミカヅチに乗る代わりに得られる報酬だというのなら、喜んで巫女の役割をこなしてみせる。
そう心に誓い、ぴょんぴょんと跳ねる衣乃理。
「……なんか、思ったよりちょろいのね、衣乃理……」
「それでいいのか、お前……」
「よくわからないが、武見くん、楽しそうだねえ。よかったよかった!」
珠子と健児、そして大和が見つめる中、衣乃理はいつまでも子供のように飛び跳ねていた……。
「ふんふん、ふふ~ん」
数日後。衣乃理は鼻歌など歌いながら、上機嫌に下校していた。
ご機嫌の理由は、鹿平に買ってもらったばかりの携帯電話である。携帯電話の分厚い説明書は衣乃理にとって難敵だったが、友達に操作を教えてもらううちに、ひと通りの使い方は覚えられた。
「よかったね、衣乃理」
今日一日、終始ニヤニヤが収まらない衣乃理に対し、珠子が本日何度目かの「よかったね」を口にする。
「うん! だって、ずーっと欲しかった携帯だもん! しかも最新機種!」
「それって今、テレビでCMやってるやつだもんね~。うらやましいよ」
珠子は衣乃理が言ってほしい言葉を的確に読み取りながらおだててくれる。人の自慢話なんて聞いても楽しくないだろうに、さすがは親友だ。
(次に珠ちゃんが機種変した時は、わたしも目いっぱい褒めてあげようっと)
そんなことを考えながら、ふたたび携帯に目を移す。
鏡のように磨き上げられたボディ。規則正しく散りばめられたクリスタルガラス。メールが来るたびにチラチラと明滅するイルミネーション。そして何より、メールとネットの使い放題契約!
わたしはこれから、この電話でどんな風に使っていくんだろう? 学校の友達の話題? 進路の相談? それとも恋の相談……は、ミカヅチに乗っている間は無理かもしれないけど……とにかく、たくさんの楽しい思い出を作っていこう!
「そういえば、今日は大和先輩はどうしたの?」
「剣道部の練習だって。毎日ずーっとわたしについて来るわけにはいかないって、やっとわかってくれたみたい。先輩には先輩の用事があるもんね」
「ま、あの人、剣道部では頼りにされてるみたいだもんねえ。……ちょっとアホそうだけど」
「そ、そんなことはない……と思うよ」
否定しつつも、思わず言葉を濁してしまう衣乃理。
確かに、遠くから見ていただけの時とは違い、実際の大和はいささか直情というか、物事を深く考えないタイプであった。
考えてみれば、自分は大和について何も知らないまま憧れていたんだなあ、と思う。
だが、それで大和を嫌いになったかといえば、そんなことはない。近くで見ても、やっぱり大和は凛々しくてまっすぐな男だった。まあ、そんな大和の性格のせいで、衣乃理の恋路は閉ざされようとしているわけだが……。
(いつの日か、この携帯で恋人と話ができるようになるといいなあ)
ミカヅチに乗るようになったおかげで買ってもらえた携帯。でも、ミカヅチに乗っている限り、恋も結婚もできない自分。ちょっと複雑な思いを抱きながら、衣乃理は大切な携帯をぎゅっと握りしめた。
「……へっ、衣乃理のやつ、すっかりご機嫌だったぜ」
夕食後、鹿島神宮の地下にあるミカヅチの整備室。鹿平は一人、ミカヅチと向かい合っていた。
「まさか、本当に俺の孫を巫女に選ぶとはな……鹿島の神様も見る目あるぜ」
その左手には一升瓶。自分とミカヅチの前に置かれた湯呑みの中に、日本酒をなみなみと注ぐ。
「俺が言うのもなんだが、衣乃理はいい子だ。今は未熟だが、いずれ、きっとすげえ巫女になるぜ」
顔を上げてミカヅチを見る鹿平。片膝を着いて駐機しているミカヅチとは正面から目を合わせる形になる。
「巫女といやあ、おめえ。時代が時代なら、大勢の娘たちの中から選定される、名誉ある役割だぜ。それを、俺の孫がねえ……へへ、ありがたい話だ」
そう話しながら、一升瓶を持ったままミカヅチの横に立つ脚立を上る。
「こいつは、ご近所さんがお供えしてくれたお
そしてミカヅチの肩に乗り移ると、酒を丁寧にミカヅチの頭に振りかける。
「あのおかしな博士が攻め込んできた時、俺にはわかったぜ。お前は衣乃理を選んだんだってな……まったく。俺の孫が、衣乃理が巫女、ねえ……へへっ」
誇らしげに、嬉しそうに微笑を浮かべながら、何度も同じ言葉を口にする鹿平……だが、突然、その顔が泣きそうに歪んだ。
「……くっ」
ごん!
「お前が動き出したってことは、『敵』も動くってことだろうがよ……」
普段、衣乃理たちに見せているのとは違う表情、違う声。怒りと悲しみが入り混じった表情でミカヅチを睨みつける。
「……今からでも、他の誰かに任せるわけにはいかねえのか?」
鹿平がそう聞いても、ミカヅチは黙したまま反応を返さない。
「この世にゃ、いくらでも巫女の候補はいるだろうがよ。もっと、荒事に向いた娘だって……」
ふたたび自らの額をぶつける鹿平。
「お前にはいつか、ふさわしい巫女を探してやろうと思ってた……なのに、なんで……なんで俺の孫なんだ、なんで衣乃理なんだよ……」
自らの額を強く、強くミカヅチに押し付けながら、鹿平は血を吐くような声を漏らした。
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