Trade Off Game
笠井 玖郎
*
「いまさあ、すっごいしんどいゲームやってるんだよね」
話題も尽きかけた昼下がりの喫茶店、ぬるくなった紅茶をティースプーンで混ぜれば、目の前に座る女性が、はあ、と気のない返事をする。
「なにそれ」
「なんていうか、めちゃくちゃ選択肢が多いんだけど、全然途中でセーブさせてくれなくってさ。もうずっとやってるんだけど、全然進まないし」
角砂糖の山からひとつ、白い立方体をつまみ上げてはカップへ落とす。緩やかに沈んでいく白い箱は、水分とわずかな熱とで崩れ、粒子を底につもらせる。
へえ、と何の感慨もなさそうな彼女は、先程から私が持てあましているケーキしか見てはいない。「食べる?」と問えば、「いらない」と返ってくるが、目線は一向に外さない。
「街のパラメータがあってさ。市民の幸福度によって街の繁栄度が上がるんだけど、主人公だけは市民の枠組みの対象外なの」
市民の幸福度を上げるために一人奔走する主人公。たとえ命が脅かされようが、衣食住さえ危うかろうが、繁栄度にはなんら影響されない、たったひとりの
最終的な目的さえこちらには開示されず、ただ変動する他人の幸福と繁栄のため、自分の行動を決定する。
正直、何をやってるんだろう、と思う。
「主人公が誰かのために何かをあげたり、そういう行動をすればするほど、みんな幸せにはなるんだよ。でもね」
目に見えて減っていく私物。広くなっていく部屋。財布の中身も口座の貯金も、そろそろ底が見え始め、ケーキセットすら頼むのを迷うほど。
自分のものだった筈のものが、苦労して手に入れた筈のものが、失われていく。
たとえばバイトして貯めたお金が、やりたくて買ったゲームが、ふかふかのぬいぐるみが。
リストラされたんだというサラリーマンに、ゲーム売り場から肩を落として帰る少年に、迷子で泣いていた女の子に。
先程まで持っていたものが、持ち主を変えていく。
渡してしまう。
欲しかったはずのものを。
奪われて、いや、奪わせて、しまう。
「部屋がさ、どんどん寂しくなってくの。でも、主人公はこう思うわけ」
「……私より、その人が持つ方がふさわしかったんだ、って?」
そう、お金は家庭のあるサラリーマンの方が。ゲームは遊び盛りの子供の方が。ぬいぐるみは寂しがり屋の少女の方が。
それを持つ方が、正しいと思ったから。
譲ってしまう。
譲ることを、やめられない。
それはきっと。
「『ほんとは、私なんかが欲しいと思ってはいけなかったんだ』」
主人公の声が、私の声に重なっていく。
私が与えられたもの。私が欲したもの。私が手に入れたもの。それらはきっと、私が手にするべきではなくて。
だからこそ、私が手にしているものすべてを他人に分け与えれば――すべての帳尻が合うように出来ているのだと。
それに気付いたのは、気付いてしまったのは、一体いつだったのだろう。
この緩慢な流れの世界で、一体いつ。
「……だから、いらないっていったんだよ。ケーキ」
溜息とともに紡がれた言葉は優しい。思ってはいけないことを、考えてしまいそうになるほどに。
「私が欲しがってたら、あんた、あげようとするでしょ」
あんたはちょっと欲張んな、と撫でてくる手は暖かくて。
知らず、机上には雫が落ちていた。
「『世界』のシステムは知ってるよ。これがパラメータに影響することもさ」
「うん……」
「このまんまじゃ、あんた何にもなくなっちゃうよ」
それでも。それでも、と思ってしまう。
物質的なものしか、私には与えられていないのだから。
行動と物質、そのふたつ以外、
“所有”は許されず、いずれ還元されなくてはならない。
他人に、世界に。
でも、もし叶うなら。
本当は、私も。
「……ねえ、あなたは、私と友達でいてくれる……?」
答えのわかりきった問いを投げかける。こんなことに、きっと意味なんてないのに。肩書きを手に入れられても、その先に待つのは。
「『世界』に、目を付けられてなきゃ、ね」
彼女の顔が翳る。それでも私は、どこか安心していた。
あなたが私の問いに、明確な答えを出さないでいてくれて――
静かになった喫茶店。
残されたのは、ふたり分のケーキセットと、それを持てあますひとりの人間。
カップの中に角砂糖の姿はすでになく、甘く幸せな紅茶だけが満たされていた。
Trade Off Game 笠井 玖郎 @tshi_e
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