第一章 9 兵器とインフラと夢を運んだ煙の轍

西暦2021年12月のある日 種子島宇宙センター


「いいいいいいいいいいいやっと打ち上げだあああああああ!!!」

「そこそこの年齢」の女性が、ロケットの打ち上げの如く画面があれば震えそうな歓喜の声を魂の底から絞り出しているここは種子島宇宙センターである。今日はこれまで延期されていた、H3ロケット一号機の打ち上げが行われることになっている。H-ⅡA/Bの後継として開発されたH3ロケットは、結局地球で打ち上げられることはなく、惑星の各種環境の精査の終わった異世界にて、初めての打ち上げを迎えようとしていた。

 基本的に地球と大きな差のないこの異世界惑星改め「新地球」でのロケット打ち上げは、傍から見ている分には地球でのそれとなんら差はない。延期され過ぎて磨き上げられてピッカピカの新しいロケットに、新しい惑星、新しい宇宙といえど、打ち上げを行うJAXA職員の仕事は何ら変わることなく正確だった。一部延期され過ぎた鬱憤が溜まっておかしなテンションになっている者もいたが、仕事は至って慎重だった。

「あれは何です?」

「お気になさらず。射場の妖精です」

 今回の打ち上げに常と違うところがあるとすれば、それはテントー王国の視察団が来ていることだった。

 何故テントー王国の人間が視察に来ているのか。何も技術を見せびらかすためだけに呼びつけたのではない。テントー王国に大規模なロケット発射場、宇宙港を建設しようという動きがあるからだ。今後予定される、衛星インフラの再建に伴うロケット打ち上げラッシュに対応するのに、国内の射場だけでは荷が重いというのも勿論あるが、理由はそれだけではない。

 ロケット発射場というのは、基本的に赤道に近い方が、惑星の自転の遠心力によってロケットの効率が良くなるため有利である。いやロケットだけではない。未だ理論上の存在であるマスドライバーや、理由は異なるが軌道エレベーターも赤道に近い方が有利になる。そのため、フランスがギアナにロケット発射場を置いているように、より赤道に近い場所に将来にも繋がる宇宙港を確保しようと日本政府は考え、日本よりも赤道に近く、飛行場の建設計画や観光地開発計画で「関係を深めつつある」テントー王国、そしてオージアと共同でイーリス王国に話を持ち掛けた。

 となれば当然、その建設しようというのはいかなるものであるのか、という話になる。こうしてテントー王国の要人が視察に訪れることとなった。勿論そこには、超先進技術のデモンストレーションという目的も多分に含まれているわけではあるが。

「それにしても…あれが空高く上がっていくというのは本当なのですか?」

 視察団の一人が、何度目かわからない質問を案内役のJAXA職員に投げかける。全高60メートルに達するH3ロケットを間近で見た彼女達には、未だその翼もない巨体が宇宙まで飛翔するという事実が飲み込めていないのだ。

「ええ。まぁ失敗は起こりえます。ロケット打ち上げにおける成功率は、95%を上回っていれば信頼性が高いとされていました。私たちは苦い失敗も経ながら、ようやくその領域に到達しましたが、今回のロケットは新型です。不測の事態はつきものではあります。しかしかつての失敗を糧にした職員達は、慎重に確実に取り組んでおります。成功を期待していただいてよいと思います」

 心ここにあらず、といった表情で曖昧に頷く視察団の面々。民族衣装に身を包んだ彼女たちは、まさにおのぼりさんといった風情であった。





同日 オージア大陸北部アラタ半島 シラリー・ガッハマ空軍基地


 一方そのころオージアでも、ロケットの打ち上げ準備が始まっていた。こちらには双方が競合した(翻訳魔法使いという万能翻訳者の本拠地であるため交渉は至ってスムーズに暗礁に乗り上げた)結果、紆余曲折を経て日オ共同となったイーリス王国へのロケット発射場誘致のために、イーリス王国の要人が招かれていた。その中にはイーリス王国国王夫妻もいる。

 発射台には、円錐形の液体燃料ブースターを4基装備したクラスターロケットが、チュルパン式の支柱に支えられて鎮座し、発射の時を待っていた。乾燥していて天候が安定していることに定評のあるこの地の天候は今日も快晴、絶好の打ち上げ日和である。

「やあどうも、科学総局局長」

「これは国務長官、あちらはよろしいので?」

「私よりもずっと詳しい者が実感のこもった解説をしているところさ」

 そう言いながら、クロード・ユリア国務大臣はライターを取り出し煙草に火を点けた。

「どうだね?進捗は」

「そりゃあもう最高ですよ。あれだけの予算を投入していただいたんで、みんな張り切ってますよ。あんな軍の玩具じゃなくて早く人を飛ばしたいってみんな息巻いてます」

 ヒト種で叩き上げの科学総局局長の言い草に、国務大臣は苦笑いする。

「そう嫌ってやるな。それにこういうものは戦争とは違う。場数は多いに越したことはない。まして飛ばすのが人ならなおさらだ」

「そりゃあそうですがね。私らだってそれはわかってるんですよ。でも何事も一番最初以外は記憶に残らないものなわけで、前人未到でなきゃならないんですよ」

「先を越される懸念か?」

「ええ。日本はそれほど熱心じゃないからまだいいが、技術は揃ってるし何より連中にとっちゃある意味で『初めて』ではない。その分彼らはやるとなったら堅実にやって確実に成功させてくるでしょう。もっと手強いのがシライトだ。彼らはそれくらいしか存在感を示す手がないから必死ですよ。国家ぐるみで後押ししていると聞きます。しかも技術は悪くない、というより認めたくないですが我々は一部負けてます。こういうのは何より『意志』が大事だ、先を越される可能性は十分にある」

「それはわかっている。だがね、こちらもこちらでリソースは無限じゃないんだ。料簡してくれ」

「ええ、分かっちゃいますよ。でもね、軍じゃ絶対勝てんでしょう。日本は勿論、イツーシア大陸の国々にも。しかもこれからも国が転移してこないとは限らない。キリがないですよ。追いかけ続けるなんか無理に決まってる。その点こっちは違う。やれば先を越せるんです。イツーシア大陸の野蛮人共は勿論、あの日本を、世界で最も優れた技術力を持つ国を出し抜けるんですよ。人類を宇宙へ、前人未到の大海原へ、無限に広がる可能性へと最初に送り込んだという、未来永劫燦然と輝き続ける不滅の金字塔に、彼らのではなく私達の名を刻みつけることができるんです。それがどれほど大きな影響力を持つか」

「確かに、今は軍事力ではあの先進国群には到底勝てない。だがそれでも、『勝たせない』だけの力を維持し、追いかけ続けなければ我々は奴隷に墜ちる。意思なき者に、意思がないと見做される程度の存在に。力もまた『意志』によって示すものなのだから」

「それが王道だとしても、それは茨の道でしょうや」

「だろうな。だが茨の道から外れればそれは茨の野原だ、それこそ地獄だよ」

 暫しの沈黙。煙を吸い、吐き出す音だけがじんわりと広がっていった。

「まぁ、安心したまえ。今後の先進軍事技術は宇宙開発とは切っても切れなくなる。宇宙への道は十全に切り拓かれるだろう。その道を通して望遠鏡や実験器具を運ぶくらいの権利は君達にきちんと与えられるさ」

「そうであることを願ってますよ。おっと、そろそろか」

「ふむ、では戻らねばな」

 二人はその場に背を向けて、それぞれに熱気と喧騒の中に戻っていった。後に残ったのは、漂う紫煙だけだった。





 種子島宇宙センターでは、いよいよ打ち上げが間近に迫っていた。

「21、420、19、18、17…」

「安全系、準備完了」

「410、409、408、407…」

「射場系、準備完了」

 カウントダウンが開始され、緊迫した空気が漂う。テントー王国の視察団は、少し前に受けた説明を反芻していた。


「これは、どのような軍事的価値を持つのですか?」

「そうですね、ロケットというものは本質的には高いところに荷物を飛ばすものであるわけで、荷物を爆弾にすれば遠くに爆弾を落とす、という使い方もできます。また軌道上…つまり空の上、地球の重力から離れ、物が落ちてこなくなる高さまで上げた機器を用いることで、敵国上空からの常時の偵察などが可能です。また目印のように機能する機器で、地上にいる人や物が位置情報を把握することができるようにもなります。遠く離れた場所から飛ばした、爆弾を搭載した無人航空機をその位置情報を元に突っ込ませる、なんてこともできます」

 想像すらもできない次元にある日本の技術に、眩暈を覚えるテントー王国の面々。しかし話はこれで終わりではない。

「これらの技術は、民間でも大いに活用されています。例えば地図上の自身の位置が分かれば、道に迷うこともなくなるでしょう?空から観測した広い範囲の雲の様子で、天候の変化を予測することもできますし、電波を中継していくことで星の裏側にいる人と話をすることもできます。私達としては、そういった形で活かすことこそが本望です。他にも、宇宙から宇宙を観測するといった研究もされていました。地上から観測するよりも、星や銀河といった星空にあるものがよく見えるんです」

「なんと!占星術にも関わってくるのですか」

「そうですね、我々は星に関わる学問として天文学、としていますが、天文学は占星術から発展した歴史があります」

 スクリーンに写真が表示された。

「これは…」

 それは、世界一有名な宇宙望遠鏡が捉えた、遥か彼方の宇宙の姿だった。

「ハッブル・ディープ・フィールド。ハッブル深宇宙とも呼ばれます。私達がいた世界の星空のこの部分を、宇宙から観測したものです」

 今度は地上から撮影した星空の写真が表示される。その中に小さく、ハッブル・ディープ・フィールドの範囲も示されていた。線の内側に、星は見えない。

「地上からでは星の見えないこのあたり、星々の向こうに広がる、文字通り深い宇宙を、宇宙から観測するとこのように見えたのです。このように宇宙からの星空の観測は、大気に邪魔されないため、より高精度に行うことができます。貴国に宇宙港が建設された暁には、こうした観測を行う宇宙望遠鏡なども、そこから空へと打ち上げられることになるでしょう」

「なんと…」

「ですがもっと歴史に残ることになることもあるかもしれません。例えば…」

 新たな写真が表示される。

「これは以前、貴国を訪れた我が国の者が、貴国で撮影した星空です。ここに明るい星があるでしょう?」

「ええ、知っています。我が国では惑星ではないかと言われています」

「ご存知でしたか、ならば話は早い。この星はこの世界の太陽を周回する、今のところ3番目に太陽に近い惑星です。大気と雲、そして水が、海と陸地が存在することがわかっています」

 この世界、この惑星…新地球は、主星である恒星、つまりこの世界の太陽から、二番目に近い惑星である。さらに内側には、恒星のかなり近くに巨大ガス惑星、つまり木星型惑星ホットジュピターが存在し、明け方や夕方に太陽の近くに青く光って見える。ちなみに外側には第三惑星の地球型惑星の他、第四惑星の木星型惑星、第五惑星の天王星型惑星が発見されている。そしてこのうち第三惑星は、新地球や地球と環境がかなり近く、生命の居住に適した環境である可能性が高いことから注目されていた。

「将来的には、ここへ人を送り込む日が来るかもしれません。いえ、我々は万難を排してそれを目指します。その時、貴国に建設された宇宙港から人類がこの星へと飛び立つことになるかもしれませんね」


 頭がクラクラするような未来設計図を見せられ、呆然自失になった視察団の面々だったが、その第一歩となるH3ロケット一号機の打ち上げを、固唾を呑んで見守っている。いつか自分達の国から、人が星空に「降り立つ」日が来るという可能性に、胸を躍らせながら。





「全システム準備完了」


「10、9、8、7…」


「メインエンジンスタート」


「5、4、3、2、1」


離昇リフトオフ!」

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