第一章 8 防疫と厚生労働大臣の胃

西暦2021年11月22日 オージア連合王国首都アメイヤ レイセ宮殿


 なんだこいつらは。

 それが彼らの共通した感想だった。


 この日、世界的な防疫などの体制を話し合う、近代国家による国際会議が、オージア連合王国首都アメイヤにて行われていた。

(しかし…えらくカラフルだな)

 新宿 厚生労働大臣は内心でそう思った。何がカラフルなのかと言えば、出席者の髪の色である。オージア連合王国の局長とイツーシア共和国の長官、シライト帝国の大臣の髪色は、凡そ普通の人間の髪色ではなかった。それに比べればやや地味ではあるが、翻訳魔法を使える魔法使いを派遣する見返りとして招待されたイーリス王国の保健衛生担当者(哀れ周囲が大臣級ばかりで縮みあがっている)の髪の色も十分にエキセントリックだった。

 しかし、それはどうでもいいことだった。厚生労働大臣は、逃避していた目の前の現実と向き合わざるを得なかった。

「異端者は黙っていろ!」

「神を騙る蛮族の言うことか!」

「なんだと!?耳長の癖に!」

「はん、御自慢の丸耳も大して役に立っちゃいないようだな」

 円卓をバンバンと叩きながら罵り合う、メフタル連合の大臣とイツーシア共和国の長官。それにやんややんやとヤジを飛ばすメフタル連合各国とヒルクーク王国の代表者たち。外交とか儀礼とか面目というものを次元の彼方まで投げ捨てたその場の状況は、まさにイツーシア大陸情勢の縮図であった。

 イツーシア大陸は現在、概ね二つに割れていると言っていい。メプト教を国教とする国々と、メプト教からの迫害に対抗する国だ。

 神聖メフタル連合とは前者の国々の共同体であり、EUのような国家連合である。メプト教はヒト種至上主義を掲げ、エルフや獣人、同じヒト種でも少数民族などを迫害していた。

 後者にはイツーシア共和国とヒルクーク王国が該当する。イツーシア共和国は主に元々この大陸に住んでいたエルフの国であり、メプト教≒メフタル連合との相性は致命的なまでに悪い。エルフだけではなく迫害されていた少数民族なども囲い入れており、最早反メフタル連合、反メプト教のための国家とさえ言っていい。

 ヒルクーク王国は厳しい国土を持つダークエルフの国であり、こちらもメプト教≒メフタル連合との相性は悪い。ダークエルフとエルフの種族的な関係は微妙だが、イツーシア共和国とは国家として反メプト教、反メフタル連合で固く結束している。

 見ての通り、見事なまでの対立が存在する。こうなった経緯というものもあるが、結果だけを言うならイツーシア共和国とメフタル連合は戦術核のやりとり使用が当たり前の関係である。核地雷による焦土戦術など、イツーシア共和国にとっては慣れたものであるし、ヒルクーク王国にもノウハウは共有されており基本的な国防方針核を持ったスイスである。

 つまり、彼らはポスト・アポカリプス滅亡後の世界ではなく、アポカリプス・デイズ黙示録の日々を生きていた。

 日本人および地球の政治家としての平均的な感性を持つ厚生労働大臣にとってなお頭が痛いのは、これらヒャッハー手前の国々が文明水準としては1990年代相当、つまりオージア連合王国やシライト帝国、ハラーマ帝国よりもずっと上、日本に次ぐ水準の国々であるということだ。1950年前後相当の国々のほうが外交的な常識というものを余程わきまえていた。この状況にはそれらの国の代表者達も眉をひそめている。

 この国際会議は単なる防疫のための情報交換についての協議のための準備だった。それでこの有様である。かの国々の外交状況などは推して知るべしである。

 この日は最終的に官僚上がりのオージア国務省内務局局長が、開催国としての面子を守るために一睨みで魔王も殺さんばかりの凄まじい殺気を放ちながら両者を宥めすかし(なお内務局局長がヒト種猿の耳であったことは対メフタル連合を考えると外交的な幸運であった)、なんとか会議を纏めた事前の実務者協議の決定事項を呑ませた。各国は情報共有の必要性で一致し、種族間の差異も含めて迅速な情報共有と、防疫と医療のための国際機関の設立が決定した。また、将来的にここから入国管理や国境についての各種国際的なルールと、それを運用する国際機関へと発展させていくことでも一致し、全世界へ向けて声明が発表された。


 その会議終了直後のことであった。

 新宿厚生労働大臣の元へ、数人のヒト種猿の耳の男性がやってきた。

「どうも、初めまして」

「初めまして、貴方方は神聖メフタル連合の方々ですか」

 彼らはメフタル連合の代表者達だった。

「ええ、そうです。私はメフタル連合保険衛生機構の長、連合保健衛生大臣のムスタール・サレファと申します。そして紹介します、こちらは…」

「メプトアラスマ連邦内務長官のアル・ジャウハリと申します」

「そしてこちらが…」

「タルキスタ王国社会衛生大臣の…」

 以下略。クレイスト共和国、イルミスタ公国の代表者も紹介を終えると、彼らは本題に入った。

「日本のへ、教皇猊下からの親書を預かってまいりました」

「同じく、我が国の大統領から首相閣下へ…」

 以下略。要するに、彼らは国の長から国の長への親書を携えて来たのだった。

「ありがとうございます、確かに受け取りました」

「猊下を始め、我々は貴国を含め、この世界に住まうとの友好的な関係を望んでおります」

 強調してはいけない箇所を強調したその言葉に、乾いた笑いを飲み込みながら厚生労働大臣は日本人的な微笑と共に適切に対応した適当にあしらった


 メフタル連合の面々が去ってすぐ、浅黒い肌と尖った耳を持つ、銀髪の男性がやって来た。

「初めまして、ヒルクーク王国厚生保健大臣のケレ・ケイです」

「ご丁寧にどうも、日本国厚生労働大臣の新宿明久です」

「我が国の宰相から、貴国の首相閣下への親書を預かっております。それと国王陛下からも、貴国の皇帝陛下によろしくお伝えくださいとの御言葉をいただいております」

「ありがとうございます。確かに預かりました」

「ありがとうございます、お願いします。ところで…」

 言葉を切ると、ケレ大臣は一瞬辺りを見回して、やや声のトーンを落として語り始めた。

「メフタル連合について、お話しておきたいことがございます」

「は、はぁ…」

「彼らの信仰を心から素晴らしいと思えるのでないならば、彼らと関わってはなりません。いえ、それだけではなく、彼らの脅威に備えなければなりません」

「は、はぁ…」

 その後も、ケレ大臣はメフタル連合、というよりメプト教というのが如何におぞましい集団なのかを語った。侵略の歴史や過去占領地域で行われた虐殺など、前世界でいろいろと聞き覚えのある話を列挙され、厚生労働大臣は「日本人としては懐かしいな」などと辟易しながらも一応話は全て聞いておいた。事実であったなら付き合い方を考えなければならない程度には酷い内容だったからだ。

 帰国後、厚生労働大臣は「まさか異世界に来てまで日本が告げ口外交をされるとは、それも告げ口を聞く側になるとは思ってもいなかった」と語ったという。


 ケレ大臣が去った後、今度はやや尖った耳を持つ、緑髪の男性がやってきた。

「初めまして、日本国の大臣の方」

「初めまして、貴方は…イツーシア共和国の方でしたね?」

「はい、内務長官をしている者です。ナル・イーヤと申します。大統領より貴国の首相閣下への親書を預かっております。また神話と永い歴史を背負われている貴国のへ敬意を表し、日本とイツーシアの友好的な関係を構築できた暁には陛下にも謁見したい、とも言付かっております」

 厚生労働大臣は少し驚いた。目に見えてやつれているイーリス王国の魔法使いが展開している翻訳魔法は外交向けだけあって精度が高く、かなり微妙な言葉のニュアンスも、受け手の持つ語彙から適切な単語を選択し正確に翻訳する。つまり目の前の緑髪エルフ男ナル長官は、「皇帝」と「天皇」の間にある違い、神道の祭司としての宗教的な要素を理解し、そして少なくとも表向き尊重しているということになるのだ。今まで来たイツーシ大陸各国の代表者と比べて、彼だけ持っている情報量が違うのだ。イツーシアは明らかにメフタル連合やヒルクーク王国よりも多くの日本についての情報を持っている。

「ふふ、驚かれましたか?私たちは宗教的権威を重んじるので、そういった部分には敏感なんですよ」

「じゃあさっきの(宗教国家連合との)醜い争いはなんなんだ」と口を突いて出かかった厚生労働大臣であったが、なんとか失言の封じ込めアウトブレイクの阻止に成功した。

 厚生労働大臣の脳裏に、目の前のナル長官と同じ白い肌と尖った耳を持つ、オージア到着時に空港まで出迎えに来たオージアの国務大臣の顔がよぎった。国の代表者にエルフを置ける程度にはエルフの社会的地位が高い国同士である、便宜を図った可能性は否定できない。そういえば小さな駐日大使の耳も尖っていたなと思いながら、国際政治の洗礼を前に胃に痛みを感じた厚生労働大臣であった。





同日 オージア連合王国首都アメイヤ 国務省統合本部庁舎


 60年代の米英のスパイ映画や刑事ドラマに出てきそうな雰囲気のビルの正面に、目の前の通りを行き交う車とは明らかに質の違う、しかし古き良きレトロな雰囲気のリムジンが到着した。

 オージア連合王国には、前世界のアメリカにおけるホワイトハウスや、日本における千代田区永田町2丁目3番地の内閣総理大臣官邸のような、行政の長が執務を行うための独立した「官邸」が存在しない。建前上、国務・農務・殖産・運輸etcの各「省」は、国務省の下に付く国防総省、さらにその下の海軍省、陸軍省、空軍省以外は女王陛下の御前にて対等であるとされており、その長たる各大臣もまた建前上は対等となるため、実質的な行政の長である国務大臣にも、その立場としての専用の官邸はない。そのため国務大臣が執務を行う、巨大行政機関国務省の総本山たる国務省統合本部の庁舎が、オージア連合王国の実質的な「官邸」となる。

 国防総省設立に伴う大規模な組織改編に伴って新設された国務省統合本部庁舎の正面玄関で、このビルの主たる女性が客を出迎える。正面玄関の前に止まった、護衛の軍用車に挟まれたリムジンから、その客が降りて来た。

「お久しぶりです、秋葉外務大臣。7月のアーサポルト以来ですね」

 側に控える通訳のエルフ女性がすぐさま日本語に通訳し、来訪客に言葉を伝える。

「これはどうもご丁寧に、お出迎えありがとうございます、クロード国務大臣」

 歩み寄りながら手を差し伸べたクロード国務大臣に握手で答える秋葉外務大臣の言葉を、通訳として付き添う外務省職員の伊藤がオージア語に通訳する。イーリス王国の翻訳魔法の使い手はおらず、双方ともに通訳を介する従来の外交の在り方である。不便ではあるが、「無条件でイーリス王国に情報が伝わる」という圧倒的なデメリットを考えれば、こうしたほうがよい場合も多いのも外交というものだろう。

 大臣たちはエレベーターへ乗り、会談を行うための部屋へと向かった。



「極地の扱いについて、一つ我が国から提案があるのですが…」

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