プロローグ3 事前協議(前半)

 双方の代表者と通訳が席に着く。会談を始めるとはいっても、なにしろ言葉が通じない。互いにとって未知の言語だ。一応の通訳としてあちらの世界、オージアで保護されていた間にオージアの海軍軍人らと身振り手振りとスケッチブックやタブレット端末に絵を描いてどうにかこうにかコミュニケーションをとることから始めて、なんとか片言くらいにはオージアの言語を操れるようになった「いぶき」乗員たちと、そのコミュニケーションの相手であったところのオージア海軍軍人たちがいるが、それでもお互いに片言だし語彙も未だ少ない。当然、高度に政治的な交渉なぞしようがない。

 ところがオージアの使節のうち、最も背が低い、白髪で色白の女の子のように見える人物がおもむろに立ち上がり、口を開いた。

『はじめまして。私はナギといいます。今日はニホンの人たちと会うことができて嬉しいです。』

突然、そのような言葉がその場にいた者達全員に聞こえた。それは実に不思議な感覚であった。確かに耳から聞こえているのに、その声は外から入ってきた音ではない。この時の日本の代表者にその余裕はなかったが、のちにある人物はこの感覚をよく吟味して「ある種の耳鳴り」と表現した。

「なんだこれは!」

「頭の中に直接声が聞こえる!?」

日本側の代表者たちは大混乱に陥った。当たり前である。未知の現象を前にして、至極当然の反応であった。

「ちょっと待ってください、あなたは日本語が話せるのですか!?」

一人が質問した。これもまた日本側の代表者を混乱させた理由である。相手は日本語を使えないはずであるのに、ナギと名乗った人物の口から発された奇妙な声は日本人である彼らにも自然に理解できる言葉として聞こえたのだ。しかし、この質問をナギは理解できていないようで、きょとんとした顔をするだけだった。双方の通訳がやり取りし、オージア海軍軍人の口から先ほどの質問がオージアの言葉で取り次がれ、ここに至ってようやくナギは例の不可解な声で返答した。

『いいえ。私は日本語を話せるわけでも、聞けるわけでもありません。これは…そうですね、「魂の言葉」とでも言いましょうか、「想い」のようなものです。これが日本語に聞こえているのは、あなたたちの魂と頭がこの「想い」をあなたたちの言葉を使って言葉にしているからです。より簡単な言葉になりやすいので、少し伝わりにくいかもしれませんね』

日本の代表者というか、その場にいた日本人全員が絶句した。この少女らしき人物の言うところの「想い」、おそらく印象だとかイメージだとか、あるいは概念というのが正確なところなのだろうが、そんなものを意図的かつ直接的に他人の脳内に喚起させるのか叩きつけるのか、いずれにしてもそんな芸当は当たり前の人間に為せる業ではないし、現代科学でそんな真似が可能であるとは聞いたことがない。まさに「魔法」であった。

『さて、こうして私はあなたたちに言葉を伝えることはできますが、先にいったようにあくまで簡単なものなので、私はあなたたちの言葉を聞くことはできませんし、あなたたちも私たちの言葉を正しく聞くことはできません。なので、子供が私たちの言葉を学ぶ時に使う本を持ってきました。そちらでも同じように子供があなたたちの言葉を学ぶのに使う本を持ってきてもらって、お互いの言葉を学び、仲良くなりましょう。』

 想定外極まる事態にもかかわらず、簡単な紙芝居(当初はこの絵で日本側の意図を伝える予定であった)と乳幼児向け国語学習用教材を持ち込んでいた準備のいい外務省職員たち(この準備と物分かりのよさはオージア側にとって好印象だったようで、以降の彼らはそれまでにもまして大変友好的であった)とオージア使節たちは早速、通訳代わりの海上自衛官と海軍軍人を巻き込んで相互の言語学習に取り掛かった。例の「魂の言葉」なる魔法に助けられながら精力的に言語習得に取り組み、翌日からは日本側に言語学者が加わり(オージア側は緑の髪をした男性が言語学者であった)猛烈な勢いで言語の学習と翻訳作業が進められていった甲斐あって、一週間の後には日常会話がこなせるまでになっていた。

 そこからはいよいよ会談が始まった。少しずつ会談を進めながら、適宜専門的な用語について翻訳し、擦り合わせていくこととなった。

(会談の内容については専門用語の翻訳作業を省略の上要約してお送りします)

「ではお聞きします。あなた方がここへ来た目的はなんですか?」

「貴国との国交の樹立と、貴国が現在置かれている状況、つまり、あの「赤い海」についての情報をお伝えするためです」

これは予想された答えであった。「いぶき」を送りがてらあの海域から現れた、未知の国家を名乗る武装集団である。自然な内容と言えたが、日本が現在置かれている状況という何やら不穏な内容が含まれていることには目を瞑りつつ、日本側もまた当然の質問で返す。

「国交の樹立とは言いますが、私たちはまず「オージア連合王国」が国民と領域と主権をもった国家であるのかを確認できていません。そもそも貴国の領土はどこにあるのですか?」

そう、オージア連合王国なる国家は地球上には存在しない。では彼らは何者なのか。何をもって「国家」を名乗るのか。その答えは予測はできるが、しかし常識外れな狂気染みたものだった。

「あの「赤い海」の向こう、この世界とは異なった世界です」

「!?」

「いぶき」乗員の証言から予想はされていたことだった。客観的事実からも、「いぶき」が世界中どこにも見つからず、そして世界のどこにもいなかった謎の艦隊が現れた。相手の言語は未知のもの。この時点でこの結論は予想されていた。しかしそれはおよそ常識というものに飛び膝蹴りをかますような突拍子もないものであり、対等な交渉相手、オージアなる国家が実在するのならそれなり以上のエリートであろう外交使節という相手が真面目にこう返したことに、やはり外務省職員一同は驚いたのだった。

「あの変色した海域はいわば世界の境界、この世界と私たちの世界との狭間でして、あの海域から決まった方向から離脱しようとすることで二つの世界を行き来することができます。オージアの国土が確認されていないのも無理はない、オージア連合王国はこの世界とは別の世界にあるのです。」

「……………わか、り、まし、た。」

なんとか現実に追いついた彼らは、これが件の「情報」だと考えた。

「それがあの「赤い海」についての情報ということですか?つまり日本の目の前に別世界への扉が開いたと?」

「間違ってはいませんがことはそう単純ではありません」

どうやら話は終わっていないらしい。

「と、言いますと?」

「海域の変色、時間が経つにつれ広がっていますよね?」

「!…ええ、そうですね」

「どこまで広がると予想されていますか?」

「予想はできていません。このまま広がり続ければ日本全体を覆い尽くす可能性があるとだけ」

「では我々の持つ情報を。「赤い海」は恐らく今後半年から一年ほどは拡大を続けます。正確な拡大期間の特定には貴国の領域内での調査をさせていただかねばなりませんが、拡大が止まった後どうなるかは判明しています。「扉が開く」のです」

「…まさか!」

「変色した海域の内側は扉をくぐり、我々の世界と直結し、この世界から切り離されます。つまり」


「『

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