プロローグ2 世界情勢

 2020年、東京オリンピックは開催されなかった。

 第一の理由は間違いなく、北朝鮮核問題の交渉決裂から遂に米朝の軍事衝突へと至り、そこに中韓がそれぞれの思惑から情勢をかき回したことに起因する極東情勢の深刻な不安定化であろう。北朝鮮は打倒されたが、その後の朝鮮半島情勢はアメリカにも韓国にも中国にもロシアにも、他国へ介入しうる軍事力を持たない日本は当然のこと、ましてや北朝鮮自身にも収拾はつけられず、混迷を増すばかりであった。

 そのカオスの中で、やはりというべきか懸念されていたように核兵器と技術者は散逸してしまった。その一部を韓国が得たのは言うまでもなく、必然日本にとっては安全保障上の最大の懸念となった。しかしその技術は韓国だけでなく北朝鮮と友好的な関係にあったイラン、さらにはイランも拾わなかった一部が混迷のシリアを経てイスラム過激派にまで流出した。これによりイスラム社会に対して脛に傷のある、国際社会という名の欧米先進国の関心の目は専らそちらへと向けられてしまっていた。「国際社会」が核の脅威から日本を守ろうとしない現実を前に、「9条信徒」の求心力が大きく損なわれたのは言うまでもない。

 さらに悪いことに、欧米諸国はもはやイランへ関心を向ける余裕すらなくなりつつあった。事の起こりはスウェーデンであった…が、それは偶々ドイツよりも先にスウェーデンで着火しただけのことであり、欧州を見渡せば火種などそこら中に転がっているような、どこも似たような状況であった。2020年4月29日深夜、移民によるスウェーデン人女性への集団暴行事件が発生した。そのような事件は2019年以降のヨーロッパではもはやありふれており、取り立てて騒がれることもないはずであった…が、翌30日、どういうわけかその事件がネット上で爆発的に拡散され、その日の夕方には、同様の事件には沈黙報道しない自由を貫くテレビの電波に乗るまでの騒ぎになった。その翌日は5月1日、メーデーの集会が各地で行われる。各政党の集会も行われ、当然世間の関心事である2日前の事件についても各党が言及し、それぞれの立場を示した。ところがここで既存の正義、即ち「反差別」の側に与する、いわゆるリベラルのとある政党の党首が、(あの手の者たちにはありがちな、いつものどこか高圧的な物言いで)いつものように移民を擁護し国民に抑制を求め、特に男性を批判する趣旨の発言をした。2日前の事件を受けてのこの発言はSソーシャル・NネットワーキングS・サービスを通して大炎上した。これまで欧米をはじめとする先進国では、「反差別」の名の下に移民の不法行為の悉くに目を瞑らされ、セクハラ対策や男女平等の名の下に(同性愛者でない)男性に対する一方的な抑圧が行われてきた。その過程で破局噴火寸前まで高まっていた「反差別」のダブルスタンダードに対する不満が遂に爆発、「反差別」に敵対的な政党の集会が暴徒化しデモとデモと移民が衝突する大暴動へと発展した。

 この騒ぎはインターネットを介して世界中を駆け巡り、その日のうちに欧州大陸全土へ延焼し、翌日にはドーバー海峡を超えイギリス、さらに大西洋の反対側の北米へと燃え広がった。「反差別」による抑圧への不満を募らせていた各国の国民は、「差別の加害者」として抑圧され続け貧困と圧制に苦しむ白人や男性という「第三身分」の幸福と安寧を守るための闘争へと向かった。

 一連の騒動により欧米社会における性別・民族・所得の分断はもはや取り返しのつかないものとして顕在化した。民主主義を採る欧米諸国の政情は急激に不安定化、もはやイランの核開発へ干渉する余裕などなく、イスラム過激派が不十分な技術と核物質で造り上げた不完全な核兵器(汚い爆弾ダーティボム)を自国内へと持ち込み、居場所を失いつつある移民を操って核テロを起こさないよう、国境警備を強化する以上のことはできなかった。そんな中では「国際社会」は遠く極東の情勢、韓国へ流れた核技術のことなど気にしている場合ではなく、さらには当の韓国もまた半島有事の混乱から醒めきっていない中で、深刻な失業率と甲乙葛藤など慢性的な格差に直面してきた若年層を中心に不満が爆発、暴動の嵐に包まれており、著しい混乱からいつ暴発してもおかしくない状況だった。

 日本においても暴動こそ起こっていないものの、一向に改善しないばかりか悪化の一途をたどる各種社会問題と、それに対しなにもせず政争に明け暮れる政治に対する不満が噴出し、未だかつてないほどにデモが頻発していた。IOCは東京オリンピックについて異様なほどに支出を嫌っており(開催費用の肥大化が進み過ぎて一部の国以外ではまともに開催できなくなるという理由と思われる)、経済効果を損ねるようなそうした方針に批判が集中していた。国民に犠牲を強いるのみで経済効果ももたらさないオリンピックにはもはやオリンピックの神通力はなく、反オリンピックの流れは留まるところを知らなかった。オリンピックそのものへの不信が広がっているこのような状況では、東京オリンピックの開催など不可能であった。

 そしてこれに追い打ちをかけたのが、新年度に入ると同時に太平洋上に突如として発生し拡大を続ける「赤い海」と、その付近にて4月末に海自の護衛艦が一隻消息を絶ち6月10日に未知の艦隊と共に突如出現した怪事件、そしてこの事件から始まった未曾有の混乱であった。一か月以上の間消息を絶っていた護衛艦「いぶき」と彼女が引き連れてきた未知の艦隊は、この日本国と世界にとって致命的な驚くべき情報をもたらしたのだった。





西暦2020年6月11日 横須賀 ヴェルニー公園


 JR横須賀駅を降りてすぐ、数年前から戦艦陸奥の主砲が展示されているここヴェルニー公園は平日の昼間であるにもかかわらず人でごった返していた。平日であるが故に特にイベントもないのに、である。いや、しかしある意味においてそれは確かに一大イベントであった。

 事の起こりは前日10日の夕方にSNS上に投稿された、とある写真付きの「つぶやき」であった。

「横須賀に見たことない妙な艦が泊まってる」

この「つぶやき」に添付されていた写真には、少なくとも海上自衛隊のものでも米英豪印といった同盟国のものでもない、正体不明の軍艦と思しき船が海上自衛隊の横須賀基地に停泊している様子が映し出されていた。規模としては(その区分自体が時代遅れとなりつつある)巡洋艦程度といったその艦は、驚くべきことに第二次世界大戦期の一部の巡洋艦や戦艦のような三連装砲塔を備えており(現代の軍艦はロシアの巡洋艦などの極一部の例外を除くと、砲をもっていたとしても単装砲、つまり砲身が一本しかない砲である)、さながらタイムスリップしてきたかのようであった。英国はロンドンには主砲として15.2センチメートル6inch三連装砲を備える二次大戦期の巡洋艦「ベルファスト」が展示されており、この正体不明の艦はある程度大雑把に見ればこの「ベルファスト」に近い艦影であった。しかし今日も今日とて観光客をもてなしているはずの「ベルファスト」がテムズ川を離れ(南シナ海周辺で活動している空母「クイーン・エリザベス」をはじめとする栄えある王立海軍ロイヤルネイビーの現役軍艦たちを差し置いて)この極東くんだりまで来るはずもなく、横須賀に現れた旧世代の巡洋艦の正体はやはり全くの謎であった。

 夕刻に投下されたこの「つぶやき」は、仕事や学業を終え職場や学校から帰宅して一息つきながらスマートフォンやPCでSNSのTLタイムラインを観測していたミリタリークラスタ(軍事マニアをはじめ軍事ミリタリーに興味関心を持つ人々のこと)の視線と興味と関心のブラックホールと化し瞬く間に界隈に拡散された。その後も目撃情報が多数寄せられこれが合成写真を使ったデマの類でないことがはっきりし、またSNS上に生息する野生の専門家達が、スマートフォンで撮影されたと思しき画質のあまりよくない写真からこの謎の艦の細部を分析し(酒の肴にし)たところにより、この艦が現在知り得る現役または歴史上のどの艦とも異なったものであるという、さらなる驚嘆に値する事実が判明した。

 当然の如くこのミステリアスな情報不足のヴェールに包まれた謎の巡洋艦は熱心な艦船・軍艦オタク達を「ベルファスト」の母国の掃除機ダイ○ンの如き吸引力で首都圏を中心に日本全国津々浦々から吸い寄せることと相成った。これが平日の真昼間からヴェルニー公園が大きな少年少女でごった返し柵に沿ってずらりと三脚に据え付けられたレンズの砲門が並んだ顛末であった。





同日 海上自衛隊横須賀基地


「いやー見事に人気者だな」

「オタク連中の情報収集力と行動力は相変わらず凄いなぁ」

「SNS恐るべし、だな。まるでネットワーク戦闘NCWだ。」

 ここ、海上自衛隊横須賀基地は集結した大ヲタク旅団の視線の飽和攻撃に晒されていた。その主たる標的は停泊している一隻の船であり、それはまたこの事態の元凶でもある、オージア連合王国王立海軍アメイヤ級巡洋艦「シンクロード」であった。アメイヤ級巡洋艦は15センチメートル級の主砲を三連装砲塔で4基備える軽巡洋艦であり、重巡洋艦に匹敵する規模の艦体に比較的余裕のある主砲を装備することによって、その分ある程度居住性を重視しており、また余剰スペースには多数の対空火器を搭載する防空艦としての側面もあった。全長約190メートルの艦体に主砲三連装4基12門、高角砲連装6基12門、5連装魚雷発射管(後期型では6連装)2基、対空機銃多数、水上機用カタパルト1基を装備するこの艦は、「遣異世界遭難外国艦及び外交使節船護衛艦隊」の先鋒として本格的な交渉を前に接触と事前の交渉を行うため、一部の使節を乗せここ横須賀基地へと乗り込んだのだった。


「いきなり異世界とか言われても困るんだよな…」

「いぶき」乗組員の報告を受けて急遽派遣されてきた外務省職員たちの一人、伊藤はその場の全員の内心を代弁してか、それとも単なる気まぐれからかそうぼやいた。それというのも「いぶき」乗組員らの報告があまりにも突拍子もないものであったからだ。曰く、「赤い海」を渡った先は地球とは異なる惑星もしくは世界であり、遭難しかけていたところをそこの国の一つ、オージア連合王国の海軍に保護され、そしてそのオージアが「いぶき」を日本へ護送するついでに(というよりもむしろ「いぶき」の護衛のほうが「ついで」なのだろうが)日本へ外交使節団を派遣してきたという。要するに「地球外生命体の国家との接触」であり、当然そのような事態は前代未聞であるどころか想定もされていなかった。全くの未知の国家、それも言葉の通じない相手との一からの交渉などどれほどの困難が伴うか想像したくもないものであり、外務省職員一同は大臣共々頭を抱えたのだった。「いぶき」乗員の中には相手方と多少なりともコミュニケーションをとれる者がいるということと、どうやら相手は(少なくとも外見的には)自分たち「人間」とそれほど大きな差のない存在であるらしいということがせめてもの救いであった。

 派遣されてきた外務省職員4人と一応の通訳の役目を果たす「いぶき」の乗組員3人は、横須賀基地の施設内にて相手方の使節の到着を待っていた。するとそれほど経たずにオージアの使節たちがやってきた。その姿を見た外務省職員たちは少しばかり、いやかなり面食らった。現れたオージアの使節団の先鋒たちは、確かに事前の情報の通りそれほど人の形を逸脱したものではなかったが、しかしながら実に個性的な姿をしていた。

 使節たちには男も女もいる(ように見える)が、全員がスカートを穿いていた。これについては英国はスコットランドのキルトなどの例もあるように、国や文化によっては十分に考えられることだ。地球においても外交の場の人間が皆スーツを着ているとは限らない。しかし、岩のようにがっしりとした、しかし背は低い男(と思われる存在)がスカートを穿いているという図は、日本側の代表者たちに強烈な違和感となって襲い掛かってきた。

 4人の使節たちの半分は、やたらと背が低かった。先ほどのがっしりとした男(と思われる者)は身長150センチメートル前後、もう一人の、真っ白い長髪のかなり色白の、言ってしまえば「白い」女(と思われる者)は140センチメートルあるかないか、その容姿の若々しさもあって子供にしか見えないほどであった。一方残りの二人も特徴的であり、金髪の女性(と思われる者)は、その美貌に加えて尖った耳という、およそ人間には見られない特徴を持っていた。この尖った耳という特徴は、子供のような体躯の「白い」者も若干ではあるが持っている。残る一人は基本的には人間の男性であるようである、ただ一点、鮮やかな緑色というとんでもない髪色をしていたことを除けばであるが。

 この個性豊かな4人が、スーツのような黒い上着に黒いゆったりとしたロングスカートという服装で、護衛の兵士たちと相手方の一応の通訳の役割を果たす海軍軍人3人(使節団の服装を含めたインパクトの強さに目を奪われてしまっていた外務省職員たちであったが、よく見ると彼らオージア軍人たちもズボンを穿いてこそいるがなかなかに個性的であった)とともに現れたのを見て、外務省職員たちはこれからの交渉の(文化の違いのあまりの大きさ故に)難航するであろうことを思い浮かべ、頭を抱えたくなるのだった。

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