24. Into the nightmare
「霧山さん放して! 刹華が! 刹華がっ!」
叫ぶ羽月を三階まで引き摺ってきた美里は、意外にも落ち着いていた。それ故、その手を放さなかった。
「落ち着きなはつきん。静かにしな。この状況で、この旧校舎で、あんたがセッカに何をしてやれるんだよ」
「何を」と問われた羽月は、その答えを出そうと考える。考える為に美里に抵抗することを止めたが、直ぐには答えが出てこない。
「あんたは冷静な方が強い。だから、少なくともあんたくらいは落ち着いてよ……」
羽月は、やっと気がついた。自分の腕を掴む美里の手が震えていることに、今まで気がつけていなかった。
「ウチだってブチ切れそうなんだ。あんだけセッカやはつきんをコケにされて、レッダーは幸せになる権利がないとか言われて……でも、あんたらがいたから、ほんの少しだけ冷静でいられてる。だから、今度はあんたらが落ち着いてよ」
羽月の思考が少しづつ回り始めた。少しづつ、歯車の間の異物を取り除いていく。
「……ごめん。もっとちゃんと、冷静になんないと。助けられるものも、助けられなくなっちゃうよね」
「分かりゃいいのよ。だーいじょうぶさ。アイツ、クソが付く程しぶといんだから。はつきんだって、分かってんでしょ」
美里は思いの外さらりと、羽月の腕から手を放した。
この人はいつもこうして、何でもない風を装っているのかもしれない。羽月は少しだけそんなことを考えたが、今はそんな時ではないと思考を切り替えた。
「で、どうすっかね。アイツの行動が無駄にならないように、出来るだけ安全を確保してからセッカを助けようと思うんだけど。一階ルートと三階ルート、はつきんはどっちの方に相手がいると思う?」
「……どの階にもいるっていう可能性と、そうでなくても読みが裏目に出ることもあるし、なんとも言えないよね。ただ……」
羽月は今までに起きたことを思い出す。手がかりになりそうなのは、二つの出来事。
「三階からの狙撃、生徒会長の襲来……別々の説が成り立っちゃうね。もし相手が何らかの理由で二つの渡り廊下しか封鎖できないなら、三階に来ないように三階から狙って、そこから二つの渡り廊下を封鎖すると思う。とするとノーガードな渡り廊下は三階。だけど、生徒会長がノーガードの一階から遠ざけさせたっていう考え方も出来るね」
羽月は恐る恐る廊下の向こう側を覗き見る。そこには、無人の廊下が続いていた。
「誰もいない。渡り廊下の所に隠れてるのかもしれないけど」
「ん? 生徒会長って、ウチらがレッダーって知らなかったように見えたけど、あれって赤井教授? とかいうヤツとグル?」
美里は、おかしな点を指摘するが、羽月もそれには気づいていた。
「多分、グルじゃないと思う。発言自体が嘘なら、刹華と私達で別れた時に私達を追うと思うし。色々、不自然な気はするけど……あと、赤井教授じゃなくて赤い饗獣ね」
そっかそっか、赤い饗獣ね。などと言いながら、美里は自分の頬を触りながら考えている。
「……でもやっぱり、狙撃手がいて外に出るのを止めないといけないなら、三階には狙撃手がいると思う。一階にしない?」
「ま、そっか。どっちにしろ運だし、そうしよっかね」
呑気そうにキャリーケースを抱える美里に、羽月は顔をしかめた。
「霧山さん、それ置いていかない?」
「やだよー。大事なものとか武器とか入ってんだぜ?」
「……武器って、さっきのクナイ? なんでそんなもの入れてるの」
「あー、長くなるからこれ切り抜けたら話すわ。痴漢対策にもなるし、結構便利なのよ」
「……そっか」
羽月は思考を止め、二人は一階へと戻ることにした。
結論としては、一階はノーガードではなかった。
「わー! こんにちはー! きしがまさんのお友達だよねー? だれも来ないかもって言われてたから、うれしいなー!」
羽月と美里から見て明らかに歳下、もしかすると中学生の年齢にも満たないかもしれない小柄な幼顔の少女が、真っ赤なワンピースを着て渡り廊下の麓に待機していた。元々、旧校舎への入り口として使われていたこの場所には、大量の靴箱が並んでいる。
「……赤い饗獣って、もしかしてこの子?」
美里は少し困惑した様子で、羽月に耳打ちする。
「多分。小さい子がいるって刹華が言ってたから、そうなんだと思う。油断しないで」
羽月の小声の返答を聞いた美里が再度状況を確認してみるも、少女は飴玉のようなものを口に入れながら、小さなイヤホンマイクに喋りかける。
「つーだよー! きしがまさんのお友達が二人来たー! あそぶねー!」
イヤホンマイクの感度が悪いのか、羽月達にも聞こえる声で話す少女。そして、言い終えるや否や、彼女はイヤホンマイクを外し、それをその場に放り投げた。
「……なんか、やばいんじゃね?」
「私もそう思う。早く突破するよ!」
二人は少女の脇をすり抜けようとするが、突如二人の前に巨大な何かが割り込んできた。
「だめー!」
それは、巨大な甲殻類の黒いハサミだった。大声と共に巨大なハサミに変化した少女の腕は、二人を強く薙ぎ払い、強制的に後方へと弾き飛ばした。異様な質量による不意討ちに、二人は古びた床へと強かに叩きつけられた。
「にげちゃダメだよー。僕のおもちゃになってくれないとやだー」
少女の黒い甲殻はみるみる内に服を突き破り、明らかに元の少女と不釣り合いな大きさになり、彼女の身体を覆っていく。そして、高さが三メートル近い大きさにまでなり、少女のシルエットは完全に失われた。
それは、蟹に類する生き物のレッダーであることは理解出来た。黒く巨大な甲羅やハサミに、鮮やかな青の模様が入った、凶悪なビジュアル。人の見た目から明らかに逸脱しているが、絶滅した生き物は絶対にこの大きさではなかっただろうと、羽月に思わせた。
「楽しいことしよー?」
最早元の姿が見えなくなった少女の声は、依然として無邪気そのもの。それがむしろ、羽月と美里の中に畏怖の感情を生んでいた。
「……くそっ。はつきん、立てっか?」
「……なんとか。でも、これはちょっと途方もないね」
戦車のような図体が、地を鳴らしながら近づいてくる。並大抵の攻撃が通じないこと、普通に戦っては絶対に勝てないことは、火を見るよりも明らかだ。
美里は敵から目を逸らさずに、小さな声で羽月に囁いた。
「はつきん、来た道を戻って一人で逃げろ」
「無理だよ。外には狙撃手が……」
言いかけた羽月は、途中で美里の意図に気がついた。
「さっきの連絡からして、こっちに人員が流れてくるはずだ。三階にいる狙撃手がこっちに来るなら、外が空く。飛べるアンタなら逃げられる」
「だったら、霧山さんはどうするの」
「心配なし。実はウチ、一人で戦う方が強いからね」
巨大な甲殻類のハサミが、二人に向けて振り下ろされる。美里はすかさず、羽月を廊下側へと突き飛ばし、自身はその反対側へと飛び退いた。
「ホラお譲ちゃん、遊んでやるよ! 元気よくかかってきな!」
キャリーケースを構えながらの美里の挑発により、巨大な甲殻類は美里へと振り返る。羽月は躊躇いながらもその隙を見逃さず、一目散に廊下を駆け戻り始めた。
「あー、逃げちゃだめだよー!」
それに気がついた少女はすぐに向き直り、羽月を追跡しようとする。しかし、その間に美里が割り込み、キャリーケースを振り抜いた。巨大なハサミが、その一閃を受け止める。
「ウチが相手だって言ってんだろ」
攻撃を受け止められた衝撃で、単純な力比べでは勝てないと美里は再認識する。
「……ぶー、一番可愛くない子が残っちゃった」
装甲の中から少女の愚痴が漏れ、それが美里を微細に刺激した。
「あ? この美少女を前にして、だーれが可愛くないって言ったわけ?」
「可愛くないよー。見てたらちょっと目が痛くなるしー」
「……お灸を据えないといかんのかねぇ。小さい子供だからって、手加減しない……」
美里が言葉を最後まで続けられなかったのは、銃声に遮られたせいだった。銃声。それも、かなり近くから。何があったのかと考えた時に、嫌な予感が美里の脳裏を掠める。
続けて、少し離れた位置の窓が割れる。割れた穴から触手が入り込み、それがクレセント錠をゆっくりと開けた。
「……どうも、お譲ちゃん。あたもレッダーの子だろ。名前は確か、霧山美里」
不気味な余裕と訛りのある発言と共に、窓から侵入してきたのは、スーツ姿の女性。腰の辺りから伸びる触手には無数の吸盤が備わっており、それを器用に利用しながら壁伝いに降りてくる。
「すりー、ごめーん。一人にげちゃったー」
装甲の中から、申し訳無さそうな声。それに対して、スリーと呼ばれた女性の答えは、
「ああ、よかよか。ウチの仕事は大して増えとらん。それよかゼロツー、残りは殺さんようにせなんたい。こげんはしゃいで手土産無しじゃ、上にお小言ば言わるっもんなぁ」
と、あっさりしたものだった。
美里は新手が増えたことよりも、落ち着いた調子の彼女が背負っている狙撃用の銃に目を奪われていた。
「さっきの銃声、まさか……」
銃声、スリーと呼ばれた女性の余裕、彼女の発言。それが意味するものが一つだけ思い浮かぶ。
「ああ、羽月ちゃんは殺した。何処当たったかは見えんだったけど、あしこ高かとこっから落ちたら、普通は死ぬばいなぁ。たいぎゃ鳥のサンプルば欲しがっとらしたけん、勿体無かこつばしたけども」
あまりに、突然の事だった。
何でもない事のように、羽月の死を知らされた美里。突然の訃報は、美里の思考を完全に止めた。
驚愕、疑念、恐怖、悲哀、悔恨、様々な感情が美里を突き破らんばかりに駆け巡る。しかしその中で、美里の中の感情の中で、一際大きいものが突如その流れを止めた。
「……不思議だわ。ダチが自分のミスで殺されたっていうのに……ウチ、なんでこんなに落ち着いていられるんだろ」
美里は静かな動作で、キャリーバッグからクナイを二本、そして手投げクナイを数本取り出した。先程、刹華を助けだす為に使った冷たいそれを、強く強く握り締める。
「……なんでこんなに怒ってんのに、なんでこんなに冷静なんだろ」
憤怒。通常炎等に例えられるそれは、まるで水のように冷たかった。
「ゼロツー。この状況でウチがやると殺してしまうやろうけん、あたが半殺しにしなっせ」
スリーと呼ばれた女は、そう言い残すと背景に溶けこむように姿を消した。
「わかったー! はんぶんこにするねー!」
意味を取り違えたゼロツーは、両のハサミを楽しそうに打ち鳴らす。
圧倒的な力を前に、美里は黙ったまま立っていた。
美里は、静かに滾っていた。
時刻はおよそ午後三時。場所は旧校舎二階の渡り廊下。半端に屋根のついた吹き曝しの空間で、刹華は仮面の女に苦戦を強いられていた。
長く歪な形の鉤爪が幾度となく迫り来る中で、刹華はその刃の起動を読み続ける。その結果、刹華の身体は満身創痍になりながらも、動ける状況を保っている。
眼、首、左胸、鳩尾。仮面の女の刃は、その四ヶ所を執拗に狙い続けている。即ち、間違い無く刹華の命を消す為に刃を振り続けている。刹華はそれに気がつき、仮面の女の速い刺突や斬撃の軌道を予測し、ひたすら逃れ続けていた。常にほぼ最短距離を描く刃の軌道は、刹華にとって読みやすくはあるものの、その速さのせいで完全に対応出来ている訳ではない。そして、時折混ざる鋭い蹴りを受けてしまうことで、刹華は何度か身体をふっ飛ばされ、その度に意識を持って行かれそうになる。そして、距離が離れる度に向けられる銃口から気合で逃れ、今もまだ立っている。唯一の救いは、仮面の女の射撃が全く当たっていないことだ。まるで「逃げれば撃つ」とでも主張しているかのように、近距離戦には銃を使用しない。息を整える様子も見られず、ただ宛ら機械のように攻め立てる仮面の女は、刹華の眼には異様な存在として映っていた。まさか、人間ではないんじゃないか。そんな不気味さすら感じる始末だ。
しかし、仮面の女に対する異様さは、それらに感じるものではないとも、刹華はぼんやりとだが理解している。
例えば匂い。時間の経過により、ほんの少しだけレッダーの力が戻ってきた刹華は、とある匂いが気にかかっていた。仮面の女から漂う香水の匂いの中に紛れた、嗅ぎ慣れた匂い。それが、刹華を著しく不安な気持ちにさせる。例えば敵の挙動。銃というものを握ったことのない刹華でも、全く自分に当たらない弾丸には疑念を持つことになる。それが、相手の不自然さを加速させ不気味に思えてしまう。例えば現状。刹華は無意識下で、攻撃することを躊躇っている。こんなにも危険な状況下で、仮面の女を退けなければならないというのに、何故かまともな攻撃が出来ない。それが、刹華を苛立たせていた。
「……何なんだよ。くそっ」
距離をとった為、消音器付きの銃から再び弾丸が放たれる。が、やはり外れる。今まで一度も命中してはいないが、いつ命中しても不思議ではない。再度接近することで射撃を止めさせると、当然鉤爪による斬撃が放たれる。こんなことを繰り返していると、ただでさえ力の差が開いている上に、傷と疲労が嵩み続ける。少しでも状況を変えねば、いつかは終わりを迎えてしまう。
再度接近してからの三度目の斬撃。首を狙ったそれをしゃがんで回避したところで、刹華はやっと拳に力を込めることが出来た。
「何なんだよ、お前っ!」
怒鳴りながら突き上げる獣化の一撃。顎に向けて放ったつもりが、その軌道はほんの少しだけ目標から逸れた。鳥を抽象化したような仮面の嘴の部分に、拳が当たる。その衝撃により仮面は吹き飛び、フードも頭から外れることになる。
その一撃は、状況を変えてしまう。残念ながら、状況を悪化させる。
「……なんでだ」
反撃を避ける為、反射的に距離をとった刹華は、自分の眼に映ったものを信じられなかった。自分に銃を向けている人物が誰なのかを知り、刹華は動きを止めてしまった。
仮面の女、葛森ゆうりは、無表情のまま銃の引き金を引いた。
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