08. Into the dawn

「……駄目だ。もう動けねぇ」

 寝巻きで二段ベッドの下段に倒れ込む刹華に、羽月は呆れの感情を向けていた。

「ほんと、君って人は……もう少し後先考えて動くべきだと思うよ」

「うっせ。ゆうりのことを完全に忘れてたんだよ」

 うつ伏せのまま、刹華は反論する。

「あんなに喜んでくれてたのに、忘れてたって酷くない? 罪悪感とかないの?」

「あるからちゃんと赤飯食べたんだよ。今度から、忘れないようにする」

「……買った手帳、有効活用してよね」

「努力する」

 寝転がったまま目覚まし時計を弄る刹華を確認した羽月は、机に向かいノートパソコンを触り始めた。情報収集をしようとブラウザを開きながら、ふと思い出したことを口にした。

「ねえ、何も聞かないの? 私がレッダーなのを隠してたこと」

 刹華は目覚ましをセットし終え、倒れ込んだまま言葉を返す。

「何を聞くんだよ。別に聞くことなんてないだろ」

「あるでしょ普通。なんで隠してたのかとか、そういうことなら協力するって話はナシにするとか」

「なかったことにしたいのか?」

「別に、そうじゃないけど……」

 羽月には刹華の考えていることが理解出来ず、言葉に詰まってしまった。

「手伝うって決めたのはあたしの意志だ。脅されたからじゃねぇ。それに、話したくないことくらい誰だってあるだろ」

「そうかもしれないけど、そんなことで割り切れるとは思えないよ」

 妙に噛み付いてくるんだな。そう返そうとした刹華だったが、そうしなかった。少しだけ考える。

「……レッダーって、化物だと思ってたんだよ」

 そうして、言葉を繋げた。

「心の底で思ってたかもしれないことだ。あたしは他のやつとは違う。あたしは化物で、あまり他人に関わるべきじゃない。いつ迫害されても、いつ大切なものを失ってもおかしくない。だから、失って困るような関係は極力作らねぇことにしてたんだ。多分」

「多分って、他人事みたいに……」

 羽月の言葉を気にせず、刹華は続ける。

「そう思ってたら、お前が現れた。優秀な癖して人間臭いっていうか、人間らしいっていうか。最初、私とは全く違う生き物だと思ってたんだ。憧れじゃねぇけど、ただなんとなくいいなって思うくらいに」

 お互いに顔を見ることがないまま、刹華は結論を出す。

「だから、今は少し安心してるのかもしれねぇな。羽月も同じレッダーで。レッダーは化物じゃねえんだなって」

 羽月は、初めて刹華の心の内を垣間見た気がした。

「刹華も、十分人間らしいと思うよ。時々考えなしに動くけど、結構優しいし。レッダーである前に、私達はみんな人間だと思う」

「考えなしは余計だ」

 背を向けている刹華が照れているように見えて、それが少し微笑ましくて、羽月は笑ってしまった。

「……そういえば、霧山って今も並んでんのかな。あいつ意外とタフだな」

「じゃないの? あと、霧山さんが君のことをせっちんって呼んでたけど、せっちんって昔の言葉でトイレって意味だからね」

 うつ伏せのまま、刹華は思わず真顔になった。

「……あいつ、次あったら一回殴ってやろうか」

「あの性格だとそんなに悪意はないと思うし、もしかすると知らないだけじゃないかな……そういえばで続いちゃうけど、君、なんか突然私のことを羽月って呼ぶようになったよね」

 言われて気がついた刹華だったが、全く意識していなかった。

「ん? お前が刹華って呼んだから、同じ感じで呼ぶようになっただけだろ。気に触るのか?」

「え? 私が? ……まあ別に嫌じゃないけど、私も羽月って呼ばれ始めたから刹華って呼ぶようになったし……最初に呼んだの君じゃなかった?」

「そんなのいちいち覚えてねぇよ。お前こそ、何でも覚えてるんじゃねえのかよ」

「じゃあ君が先に呼び始めたんだよ。そうだったと思う」

「思うってなぁ……まあ、別にだからって悪いことでもねぇし、いいか」

 いつもよりもほんの少しだけ平和な会話をしながら、刹華は二度目の勘違いを受けた日から意識を外した。





 刹華の目が覚めたのは、夜の二時半だった。妙に眠りが浅かったのだなと、不思議な気持ちで起き上がる。今から寝ても三時に間に合う気がしなかったので、五十分にセットされたアラームを切ることにした。

 ベッドから抜け出し、少しだけ身体を動かしてから、刹華は羽月がまだ寝ているのか確認するために梯子を登る。しかし、ベッドの上段はもぬけの殻だった。

「あいつ……」

 先に捜索に出ているのか。だとすると、あいつ寝てねえだろ。

 その思考の先に、刹華は別のことを思い出す。朝、この部屋で刹華は羽月の姿を見たことが一度たりとも無い。それまでは単純に早起きなだけだと思っていたが、まさか毎日のように朝から、それも未明と呼ばれるような早い時間から捜索に出ているんじゃないのか。そういった推測が、刹華の中に浮かび上がってくる。

 なんの為に? 金の為に? そうだとして、金の使い道はなんなんだ。早朝とも呼べないような早い時間に毎日捜索に出て、その後に授業を受ける。思い返せば、あたしよりも後に寝ているのか、羽月の寝ている姿を見たことがない。こんな生活を続けていては、間違いなく何処かでガタがくる。そんなことはあいつだってわかっているはずだろうに……




「起きてたんだね。起こす手間が省けて助かるよ」

 私服姿の羽月が自室に戻ってくると、黒いTシャツにジーンズ姿の刹華が難しい顔をして壁際に立っていた。

「夜間の外出は禁止だろ。窓以外で、どうやって出入りしてんだよ」

「寮の玄関の鍵、こっそりコピーさせてもらってね。窓から外に出たら鍵閉められないし、悪いことに使う気もないし」

 カラビナにぶら下がった鍵をチャリチャリと鳴らす羽月に、刹華は呆れていた。

「……お前、割と素行悪いよな」

「なんのことやら」

 羽月は結構なことを何でもないことのように話しながら、部屋に置かれていた段ボールを漁り始めた。

「あとこれ、通販で買っておいたから。ケータイ無いと、別行動の時に連絡取れないでしょ」

 段ボールから出てきたのは、二つ折りの携帯電話とよくわからない(少なくとも刹華にとっては)小さなパーツ。

「プリペイドケータイ。受信はタダだけど、料金は基本的に割高だから無暗に使わないでね。残高無くなると困るし」

「……あたしに金がねえってのは、もう聞き飽きてるよな。そんな余裕あるのか?」

「あるわけないでしょ。ないから賞金でペイするの。背水の陣みたいな話だよ」

 羽月はテキパキと初期設定をこなしている間に、刹華は考えていたことを口にする。

「お前の金が要る事情って、そんなに大事なのか」

「……大事だよ。君だって、大事なものを失うのは怖いって思ってるんでしょ」

 少しだけ考えて、羽月はそう答える。

「ああ。だからあたしは、お前が危うい気がしてるんだ。ろくに休まずに動いてるお前がな」

 作業を進めていた羽月の手元が、ふいに止まった。

「焦ってるのは分かる。ただ、ちゃんと休まないと怪我するぞ」

 羽月はそのまま黙っていたが、しばらくすると再び手元を動かし始めた。

「ありがと。でも、生きてると無理しなきゃいけない時ってあるでしょ。私は、今がそれだと思ってる。大怪我したとしても、他の大事なものを失うとしても……」

 まあ、死なないくらいに頑張るよ。羽月は僅かに笑いながら、そう付け加えた。

 刹華はいまいち納得できなかったが、「そうか」とだけ返した。面倒なことに巻き込まれてしまったんだなと、再認識しながら。自分だけではなく、二人とも。

「……よし、初期設定完了。あまり乱暴に扱わないでね」

 刹華は羽月の手から携帯電話を受け取ると、画面を覗いてみた。シンプルにお洒落な壁紙に、アナログ時計の針が午前三時前を示している。

「今日、刹華が探すのは三田ヶ谷四丁目付近。午前四時になったら三丁目のブラックマートに一旦集合。途中で何かあったら連絡すること。オーケー?」

「それはいいけど、一つ聞きたいことがある」

「なに? あ、私の電話番号はさっき電話帳に登録しといたよ。そういうことじゃなくて?」

 そういうことではなかったのだが、そういう前振りをされると僅かに恥ずかしくなる刹華。ただ、聞かない訳にもいかないので、きちんと聞いておくことにした。

「携帯電話、どうやって使うんだ? 使うの初めてなんだよ」




 三田ヶ谷四丁目。三田ヶ谷商店街から路地に入り、昔ながらの家屋が比較的多く存在する住宅街。刹華がそこに辿り着いた頃には、午前三時二十分を回っていた。

 軽い走りでここまで来た刹華だったが、羽月は人目が少ないのをいいことに上空を飛び回っているらしい。そちらの方が広いエリアをカバー出来るので当然といえば当然ではあるのだが、刹華も自分に翼があればなと少しだけ思った。仕方ないことだとは思いつつ。

 とはいえ、この辺りは刹華にとって庭のようなものなので、見回りをするくらいなら容易いことだった。少しずつ暖かになってきてはいるものの、まだまだ涼しい季節。体を動かしているくらいが丁度いいことを考えると、ランニングしながらの捜索が良いのかもしれない。そう考えた刹華は、軽く走り始めた。運動は好きだがチームプレイは苦手な刹華にとって、なかなか悪くない時間だった。しばらく走り続けていると、曲がり角で突然邪魔が入る。

「君、こんな時間に何してるんだ」

 低めの男性の声が、遠く背後から聞こえた。足を止めて振り返ると、五十代くらいでしっかりした体格の男性が近寄ってきた。

 大変面倒な予感がした刹華は、関わらないように逃げようかと一瞬だけ考えた。しかし、すぐに自分のやっていることを思い出す。指名手配犯、火神真也の捜索をしているのだ。男性を見て逃げていては、そんなもの見つかるはずもない。そう思い直し、面倒ごとと向き合うことにした。

 しかし、残念ながらその男は火神ではなかった。写真の火神のような胡散臭さよりも、豪快な笑い声をあげそうな印象の方が目立つ、普通の男性だった。勿論、この状況で笑ってなどいないのだが。

「もう夜の三時を過ぎてる。危ないよ」

 敵意を感じない、優しい言葉だった。

「バイトだよ。心配しなくていい」

「心配くらいさせてくれ。最近この辺りは物騒なんだ。ああ、俺は怪しい者じゃない」

 男は上着のポケットから四角形の物体を取り出した。街灯に照らされたそれは、刹華の顔を歪めた。

「警察だ。ああでも、今日は非番だからやっぱり一般市民だな」

 警察手帳を仕舞いながら、おどけるように笑う男。ただ、刹華は警察が苦手である。

「おっさんこそ、こんなとこで何やってんだよ。非番なんだろ?」

「おっさんとはご挨拶だな。煙草が切れたから買いに行くんだよ。君はどこに行くんだ?」

 正直に言うと面倒事になる気がした刹華は、平静を装いながらも少し頭を捻る。

「……と、友達を探してる。はぐれたんだ」

「バイトじゃなかったのか」

「バイト仲間なんだよ」

「連絡をとればいいだろう。最近は便利になったんだ」

「携帯もなければ相手の番号も分かんねえんだよ」

 自分の境遇が嘘の原本となるとは思わなかった。半分近くは真実なのだが、流石にここまではぐらかせばどうしようもあるまい。そう考えた刹華の浅知恵は、何の苦労もなく粉砕される。

「だったら、俺も探そう。最近はレッダーだの指名手配犯だの、本当に危ないからな。バイト仲間かバイト先の人に会うまで付き合おう」

 四方八方の逃げ道が塞がれた感覚で刹華の頭の中は限界を迎え、ついには促されるままに肯定の返事を返してしまう。後ろ暗いことはそれだけでリスクであるという教訓を得た瞬間であった。




 文字通り、街中を飛び回る羽月。絶対に見つけると刹華に息巻いてしまった手前、見つからないかもという不安を無理矢理に押し退けて火神を探し続けているが、そんなに上手くいく程三百万は軽くない。

 廃墟ビルの屋上に着地し、一休みしてからブラックマートへ向かおうと考えながら、屋上の縁に腰掛ける。眼前の路地裏に人影がないかと見下ろしてみるも、動く影は小動物程度の大きさでしかない。成人男性には程遠い。

「はぁ……」

 自分の選択は間違っているのだろうか。

 もっと確実に大金を得る方法。そんなものはないとは思いながらも、自分を疑ってしまう。これは徒労ではないのかと。そんな徒労に、あの無愛想なお人よしを付き合わせていないかと。

 私は、劣悪な人間ではないかと。


 ピピピピピ、ピピピピピ、ピピピピピ……


 ぼんやりと思案する暗闇に、ふいに携帯電話の着信音が割り込んできた。画面を見ると、先程登録した番号からの着信であった。

「来た!」

 急いで通話ボタンをタップすると、噛み付くように声をかける。

「もしもし! 見つかった?」

 しかし、その返事は良いものではなかった。

『羽月、ブラックマートには来るな。警察がいる』

 思いもよらない報告に羽月は一瞬耳を疑ったが、その情報についてくる嫌な予感の方が気にかかる。

「……えっと、それで君は今どこにいるの?」

『ブラックマート。補導された』

「ばっか!」

 心の声がダダ漏れのまま、羽月は頭を抱える。

「……ってことは、君は今警官の横で電話してるの?」

『トイレで話してる。あたしがそんなことする訳ねぇだろ』

「君ならやりかねない。っていうかなんで捕まったの。君の脚なら余裕で逃げられるでしょ」

『……なんでだったっけな。なんかで混乱してたんだよ』

「君って奴は……」

 頭を抱えていても仕方がない。そう思い直した羽月は、通話時間が伸びないように端的に伝えるべきことを伝えることにした。

「……じゃあ、怪しまれないように警官を適当に撒いて、撒き終えたら私にワン切りして。いい? レッダーの話も私の話も絶対に駄目だからね?」

『それはいいけど、ワン切りって一回鳴らして速攻で切るいたずら電話のアレか?』

「そうだよ。じゃあね。気をつけてね」

 さっさと通話を切ると、羽月の口から深い溜息が漏れた。

 気持ちとしてはどっと疲れたような気はしたが、憂鬱な気持ちが何処かに行ってしまい、それがなんだか不思議と心地よい気がした。

 十分休んだ。そう認識した羽月は、再び捜索に向かう為に翼を広げてビルの縁から飛び降りた。

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