三章 ロード・トゥ・パーディション

第9話 ロード・トゥ・パーディション①

 ……はい。

 ……また来たんですか。これで何回目だと思ってんの??


 ……そんな露骨に嫌な顔しないでくれって言われても……、こうも何回も何回も同じような話をさせられるために家に来られたって……。


 ……いや、手短に終わらせるとかいう問題じゃないし……、前にも伝えたと思うけど、迷惑なのよね。あんた達がサンディのことを面白おかしく書き立てるのは別に構わないけど、あたしにまで付き纏われちゃ、あたしまで世間様から好奇の目で見られちまうんだよ!いい??これが最後だよ!サンディ・ハッチャーは世間様の印象通り、天使のような見た目と違って悪魔の心を持つ女なんだ!!だから、あたしは二度と関わりたくないし、当然会っちゃいないよ!!


 ……これで満足だろ?!さ、とっとと帰っておくれ!!












(1)


 昼時の繁忙を乗り切り、ようやく落ち着いた店内にはあたしと店主、二、三人の客だけが残っていた。

 今日はあたし以外の従業員は誰もいない。厨房とホールの仕事を同時に回していたあたしもひと段落つき、シンクの中で幾重にも重なった皿を手早く洗っていると背後に誰かの気配を感じた。振り返れば、店主が神妙な顔付きで佇んでいる。


「あぁ、マスターったら、いつの間に厨房に入ってきたのよ。吃驚するじゃない」

「なぁ、フランシス。サンディのことなんだが……」


 店主は分厚い唇をへの字の形に歪めて、太い指で頭をガシガシと引っ掻いてみせる。わざと目を伏せ、あたしから視線を逸らす彼が何を言わんとしているか、何となく察しがついた。


「これ以上休み続けるようなら……、サンディには店を辞めてもらおうかと思う」

「…………」


 やっぱりね。


 身内の不幸に見舞われたとか、事故や大病で病院に入院している訳でもないのに、一週間以上も仕事を休めばクビを宣告されても仕方ない訳で……。ましてや、サンディの場合、恋煩いが原因で仕事を休み続けているのだから……。


「でも、マスター。あの子、サンディは、本当に体調が悪くて……」

「そんなことは分かっているよ……。いつも元気で明るいサンディがこんなに休むことなんて、今まで一度足りともなかったよ。何か事情があるんだろう……。でもな、フランシス。こっちにも商売ってもんがある。あんまり長期間休まれては店にとっちゃ大損になっちまうんだよ??」

「…………」

「もし、明日も来ないようならクビにする。そうサンディに伝えておいてくれ」

 あたしは店主に猛抗議したいところをグッと堪え、「…………分かったわ…………」と応じる。

「嫌な仕事を押し付けて……、悪い」


 店主は申し訳なさそうにあたしに軽く頭を下げると、そそくさと厨房から出て行った。あたしは皿洗いを再開するべく蛇口を捻り、皿についた洗剤の泡を洗い流そうとした――、けど。皿を一枚だけ洗うと水を流したままで作業の手を止めてしまった。

 ジャーと、無駄に勢い良く流れる水が排水溝に落ちて行く音がやけに煩く耳に響いてくる。店主が見たら勿体ないことをするなと注意されるかも。

 でも、事実上の(ほぼほぼ)解雇通達をサンディにどう伝えればいいのか。そのことで頭がいっぱいのあたしには店の水道代を気に掛ける余裕など皆無だった。


 ただでさえ酷く塞ぎ込んでいるのに解雇を伝えたら、サンディは益々落ち込んでしまう。あたしに対しても、どうして店主を思い止まらせてくれなかったのか!と容赦なく責めてくるかもしれないし、下手をすれば嫌われてしまうかもしれない。 嫌だ、サンディにだけは何があっても絶対に嫌われたくない……。

 サンディを落ち込ませず、尚且つ嫌われずに済むにはどうしたらいいのか。

 耳障りな流水音に気を散らしながらも、無い知恵を絞って思案に耽っていた時だった。


『実は、僕が勤めている化粧品会社の宣伝ガールを探している最中でね。良かったら、君達二人にお願いしたいなぁ、と思ったんだ』



 そうだ、アレックスに一度連絡を取ってみようかしら。


 名刺を渡された時は胡散臭く感じて、適当に聞き流していたけど。思い起こせば、ロイの妻のような確かな地位の上流女性に声を掛けていたくらいだし、思っている以上にまともな仕事かもしれない。

 それにあの夜、アレックスは終始紳士的な態度を崩さず、具合の悪そうなサンディを心配して快く家まで送り届けてくれた。だからきっと、あたし達のことを悪いようには扱わない。あたしは休めていた皿洗いの手を再び動かし始める。


 約一〇分後、休憩に入ったあたしは店の外へ出た。入り口のすぐ傍にある赤い電話ボックスまで急ぐ。名刺は今着ているジャケットのポケットに入ったままの筈……、あった……!

 少しくしゃくしゃになってるけど、印字は掠れていないので問題ない。

 スカートのポケットから小銭を取り出し、名刺に記された番号の数字一つ一つを確かめるように、ゆっくりダイヤルを回していく。

 ベルが一回、二回と鳴るごとに緊張が高まっていく。受話器を握る左手が微かに震える。

 七回目のベルが鳴り終わるか終らないかのところで、聞き覚えのある声が受話器越しに会社名を告げた。


「あの……、アレックス……??」

『はい、アレックス・コバーンは私ですが……。…………その声は、フランシスさん??』

 アレックスは途端に他人行儀な口調から一転、声を潜めつつ親しげに話しかけてきた。

『やぁ、君もサンディも元気にしているの??電話を架けてきてくれたということは、この間話した宣伝ガールの話、受けてくれるということかな??』

「……うん、まぁ、そんなところかな……。でも、まだサンディの返事次第になってしまうけど……」

『そうなんだ。いやー、でも、もし二人がこの話を受けてくれたら、僕としては非常に助かるかなぁ。南部の女性は何だかんだと言って保守的な人が多いから、声を掛けても皆二の足を踏んでしまうんだよ』

「……と言う事は、まだ誰も決まっていない訳ね」

『残念ながら、ね……』

「分かったわ。とりあえず、この話が他の娘に決まっていないかどうか、確認を取りたかったの。じゃあ、サンディから返事を貰い次第、また連絡するわね」


 アレックスが何か言いかけるのを無視して受話器を下ろす。

 あたしはぶつぶつと独り言を唱えながら電話ボックスの扉を開け、店へと向かった。





(2)


 職場から帰宅すると、あたしはクローシェもジャケットも脱ぐことなく一目散に二階のサンディの部屋の前まで上がっていく。


「サンディ、ただいま。まだ気分は良くならない??」

 やはりサンディは返事を返してこない。

「……あ、あのさ、サンディ……。あんたに……、あんたにどうしても伝えておかなきゃいけない、だ、大事な話が……、あるんだ……。だ、だからさ……、へ、部屋に、部屋に入っても……、いいかい……??」


 あたしは縋る思いで懸命に部屋の扉を注視する。微かな衣擦れと引きずるような足音が近づき、扉が開く。


「…………大事な話って、何なの??」

 何日か振りに見たサンディの顔は窶れ果て、快晴の空みたいな明るい瞳の色がどんよりと濁っている。彼女特有の健康的な美しさがすっかり損なわれてしまった様子にあたしは愕然とした。

「……入れば??……」


 サンディが中に入るよう、顎を突き出して促す。尊大な態度に閉口しつつ、あたしは大きな身体を萎縮させて部屋に入る。

 七帖程の広さの部屋の床には衣服が脱ぎ散らかされ、机の上には大量の吸殻でいっぱいの灰皿と、新書が何冊か積み上げられていた。

 新書の著者名は全て『R・フェルディナンド』と記されていることに、つい苛立ちを覚えてしまう。ベッドの上に腰を下ろしたサンディの隣に、あたしも遠慮がちに座る。


「あの、サンディ……。今日、カフェの店主から……」

「あたしをクビにするとか言われたんでしょ??」

 皆まで言うよりも早く、サンディは投げやりに言葉を被せてきた。

「図星??あーあ、やっぱり言われるとは覚悟していたけど……」

 サンディは、バタン!とベッドに倒れ込む。

「良い人達ばかりで働きやすかったけど……、まっ、いーや!当分働く気もないし……」

「サンディ……」

「フラン、ごめんね。あたしのせいでしばらく働き辛くなるかもだけど」

「……そ、そんなことは……」

「煙草とマッチちょーだい」


 言われるまま、あたしは机の上の煙草とマッチをサンディに手渡した。

 サンディは仰向けに寝たまま煙草を咥え、マッチに火を付ける。広くない部屋の中で、ヤニ臭い臭いと煙が瞬く間に充満した。


「サンディ……。その……、カフェの仕事は駄目でも、他にもっと良い仕事があるの……」

「ねぇ、フラン。あたし、さっき働きたくない、って言ったよね??」

 サンディの声はさっきより尖っている。

「う……、そう、なんだけど……。ほら、前にさ、アレックスから名刺貰ったじゃない??化粧品の宣伝ガールやってみないかって。あたし……、今日アレックスに連絡したんだ!そしたら、中々人が決まらなくて困ってるんだって!!だからさ、サンディとあたしで、その……、やってみないかな、って……」


 あたしが持ちかけてきた提案が意外だったのか、サンディは煙草を咥えたまま、がばっと起き上がってあたしに向き直る。今にも煙草の灰が落ちそうだったので、慌ててあたしは灰皿も手渡した。サンディは煙草を唇から離し、灰皿の縁を使って灰を落とした。


「今までと全く違う仕事だし……、これをきっかけにあんたが憧れる華やかな世界に足を踏み入れるきっかけになるかもよ??そしたらさ……、あの人なんかよりもうーんと良い男に出会える可能性もきっと出て来るわ!」

「…………」

「あんたの言う通り、あたしは一目惚れなんてしたことないから、あんたがあの人にここまで恋い焦がれる気持ちが正直分かんないんだ……。そう、分からない……。分からないけど……、あたしは……、あんたがどうすれば少しでも元気を取り戻してくれるか、頭が悪いなりに毎日必死で考えているよ……。あたしは……、サンディの笑顔が大好きで……、サンディがもう一度笑ってくれるんだったら……、何だってしたいって思ってる……。アレックスの仕事だって、あんたにとって良い気分転換になればいいなって……」

「……フラン……」

 

 しばらくの間、あたし達はお互いに口を開かなかった。


「……フラン、酷い事いっぱい言ってごめんね……。ごめんね……。フランだけはいつだってあたしの味方だから、安心し過ぎてつい甘えちゃってた……」

「いいんだよ、サンディ……」

 気まずげに目を伏せるサンディに、幼い子供をあやすようにふわふわとした金色の巻毛を優しく撫でてあげる。

「明日にでもアレックスにもう一度連絡するよ。化粧品の宣伝ガールの仕事を引き受けたいってね」

「……うん、お願いね……」


 徐々に、普段の素直で可愛いサンディに戻りつつあることに、あたしはこのところずっと抱えていた肩の荷がやっと下りた気になっていた。

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