第10話 ロード・トゥ・パーディション②

(1)


 

 たくさんの機材に囲まれた空間で、あたしは毛足の長い高級ソファーの肘掛けに気怠そうにもたれかかった。サンディも同じソファーで寝そべっている。二人揃ってきちんとヘアメイクを施され、色が違うノースリーブのフラッパードレスに身を包んで。

 絶えず浴びせられるシャッターの音と光に向かって、あたし達は妖しげに微笑んでみせる。事細かに指示しながらシャッターを切り続けるカメラマンの隣には、仕事用のスーツを着たアレックスの姿があった。













 あたしとサンディが化粧品会社の宣伝ガールを努めてから数か月が過ぎた。


 あたし達が宣伝した新色のアイシャドウと口紅は二十代~三十代の女性を中心に売れ行きが良好らしい。特に、年増女のあたしをあえて起用したことが却って高い年齢層の商品購買に繋がったとか。

 街の化粧品屋やデパートにはあたしとサンディのポスターが飾られ、見掛ける度にどうにも気恥ずかしかった。あたしは所謂化粧映えがする顔立ちというだけで、ポスターに映る自分と普段の自分は全くの別人のように顔が違っていた。だから、街を歩いていても、ポスターの中の長身の美女があたしだとは誰も気付かない。


 それでいいと思う。

 ポスターに映る女があたしだと気付かれてしまったら、故郷のショーシャーナの人々に居場所が知られてしまうかもしれない。そしたら、ここであたしが半年以上掛けて築き上げてきた、フランシス・キャッシュとしての人生が全て台無しになってしまう。


 もう二度と戻りたくない。

 犯罪者の女房として周囲に要らぬ気を遣いながら、しがなく生きる惨めな生活なんて――


 あたしは、ここスウィントンでサンディと一緒に楽しく生きていきたいの。

 サンディと出会ったお陰で、あたしは誰にも何にも縛られない、自由な生き方を知ったから。



「フラン??どうしたの??」


 向かいの席に座るサンディが、小首を傾げてあたしを心配そうに見つめてくる。

 あぁ、そう言えば……、今はリビングでサンディと朝食を食べている最中だったっけ……


「何か悩み事があるなら、ちゃんと言ってね??フランはあたしの大事な友達だから」

「ありがとう、サンディ。ちょっと考え事していただけだから気にしないで。それよりも、仕事に出掛ける時間は大丈夫なの??あたしは今日休みだからさ、後片付けはやっておくから早く食べちゃいなよ」


 化粧品のモデルを務めたことがきっかけで、サンディはアレックスの会社の小売店で化粧品の売り子として働き始めていた。好きなものに囲まれて働くサンディは、カフェで働いていた時以上に生き生きと輝き、あんなに恋い焦がれていたロイのことなんて忘れてしまったみたい。


 再び戻ってきた平穏な日常が永久に続いてくれればいい――、あたしは、そう強く願ってやまなかった。







(2)


 数日後、あたしとサンディはアレックスに連れられて、とあるパーティー会場に訪れていた。

 何でも、パーティーに出席する会社の取引先の社長だが重役だか(詳しい事はあたし達には聞かされていない)のお偉いさんが、例のポスターのモデル達に会ってみたい、と頼みこんできたらしい。

 アレックスから支給されたビーズを全体にあしらった膝丈のイヴニングドレス、ドレスに合わせた精巧なビーズとシルバーのヘッドドレス、ヘッドドレスと同じビーズ素材のハイヒール。完璧なまでに作られた髪型と化粧で美しく装っている筈なのに。

 外装も内装も絢爛豪華な建物、会場内に集う上流の人々の華々しい雰囲気。テーブルには、滅多に口に入らないだろう豪勢な食事が並んでいる。

 銀幕映画の中でしかお目にかかれない、場違いも甚だしい別世界に訳も分からず放り込まれ、あたしの不安と緊張は高まっていく一方だった。


「フランってば、浮かない顔なんかしちゃ駄目よ。折角、あたし達みたいな一般庶民が滅多に行けない場所に来たんだから、目一杯楽しまなきゃ!」

「サンディちゃんの言う通りだよ、フランシスさん。大丈夫、君達はただにっこりと微笑んで、僕の傍にいてくれればいいだけだから」

「うん……、そうね」


 気後れするあたしとは反対に、サンディは憧れの社交界デビューに心を躍らせている。二人から諭されて無理矢理口角を引き上げ、表情を取り繕ってみせる。

 作り笑いにも拘わらず、アレックスは満足そうに、うん、うんと一人頷いている。


「うん、やっぱり女性は笑っているのが一番だね!じゃ、皆さんへの挨拶も兼ねて会場内を一通り回るとしようか」


 あたしは大人しく彼に付き従い、サンディはアレックスのパートナー気取りで彼の腕を取り、三人で会場内を回り始めた。

 フランシスとして生き始めてから、あたしの人見知り癖はほとんど直っていた。初対面の人とでもある程度は気さくに話ができるようになっていた。なっていたんだけど……。

 今回ばかりは場所が場所だけに、どもり癖こそ出なかったものの、微笑みを絶やさず挨拶を交わすことを心掛けるだけで精一杯だった。

 一通りの挨拶回りを終えると、さり気なくアレックスとサンディから離れ、壁際の隅へと移動した。 凹凸が浮き上がる、金粉が入り混じった赤土色の壁に寄り掛かっていいものか少し考えてみた。でも、遠慮より疲れの方が勝っていたから構わず壁に背を預けた。


「はい、喉が渇いてるでしょ」


 ふぅ、と軽く息をついた直後、シャンパングラスを差し出す手――、あたしの後を追って来たらしいアレックスが目の前に立っていた。

 酒類の輸入も法律で禁止されている筈じゃ、と、突き返そうと思ったものの、指摘するだけ野暮だ。あたしは黙ってグラスを受け取った。


「フランシスさん、本当は気乗りしていないよね??なのに、こんな場所に連れてきてしまって――、申し訳なかったね」

「まったくよ、と言いたいところだけど……、サンディが楽しんでくれているから来て良かったと思っているわ」

「だったら良かった……。サンディちゃんは凄いね、普通は慣れない場所に来たら緊張でガチガチに固まってしまうのに。その場その場を臨機応変に楽しむ方法を分かっているんだなぁ」

 アレックスが目を細めて感慨深げに眺める視線の先には、数人の男女に囲まれて楽しそうに歓談するサンディの姿が。

「サンディは誰とでもすぐに仲良くなれるの。持ち前の明るさと可愛らしさもあるだろうけど……、天性の才能だと思うわ」


 あたしは鼻高々な気分で鷹揚に胸を張る。

 サンディを褒められるのは、自分が褒められる以上に嬉しくなるのよね。


「フランシスさんは本当にサンディちゃんが好きなんだね」

「当然よ!あの子はあたしにとって、誰よりも大切な友達だもの」

「そう……、仲が良いのは素晴らしい事だね」


 言葉とは裏腹に、アレックスの顔つきが何となく昏いような……??


「でも、あたしはともかく、余りあの子を長い時間一人にしておかないでね。ほら、可愛いから変な奴に絡まれても困るし……。それに、あたし達に会いたいとか言ってるお偉いさんにはまだ会ってないでしょ??だから、そろそろサンディを連れ戻しにいかなきゃ」

「…………」

「急にだまっちゃって、どうしたのよ??サンディを連れ戻すのに何か不都合でもある訳??」

「……いや、不都合、という訳じゃ……」


 不審に思ったあたしは、やや厳しい口調で問いかけると、快活なアレックスにしては何とも歯切れの悪い返答が返ってきた。

 こいつは嘘を吐くのが下手過ぎる。

 鈍いあたしでもすぐに勘づけるくらいだもの。


「アレックス。あんた……、何を企んでいるのよ……??はっきり言いな!…………まさかと思うけど…………」


 あたしは、たった今頭に浮かんだ下衆な予想に激しく身震いした。


「そのお偉いさんとやらに……、サンディを一晩差し出す……、とか、じゃないだろうね……??……」


 アレックスは鳶色の瞳を忙しなく泳がせ、あたしから思い切り目を逸らした。



 バチ―――ン!!!!



 手にしていたシャンパングラスを放り出し、アレックスの頬を平手で張り飛ばす。床に落ち、砕けたグラスの破片が散らばり、零れた酒が深紅の絨毯に染みを形作っていく。


「冗談じゃない!!!!あの子はコールガールなんかじゃないんだよ!!!!」


 怒り心頭のあたしがアレックスの胸倉に掴み掛かる寸前、一組の男女が激しく言い争う声が、会場のどこかから響いてきた。

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