ファンタズマ
牢に入れられたのは初めてだが、とにかく出たくて仕方がない。プレジデンテの野郎が来たらもう顧問でも何でもやるから外に出してくれと頼みたいくらいだが、幸か不幸かやつは来ない。カルドが日に2回飯を持ってくるだけだ。刑務所であれば運動の時間があると思うが、ここではない。廊下の向こうのシャワー室に一日一度連れていかれるのだけが部屋の外に出る機会で、それ以外はずっと部屋。独房のため話し相手もいない。ヤバいやつと同室になるのは嫌だからある意味で安全だが、同時に泣きたいほど孤独でもある。
外に出たい。ゆっくりそこらを散歩したい。コーラが飲みたい。ラーメン食いたい。何も来てないとしてもLINEチェックしたい。体を動かしたい。
もらった雑誌を見ていてもスペイン語はほとんど読めない。日本語が読みたい。なぜかプレジデンテが置いていった5000ドルの束を数えて暇をつぶしてみたが、こんな金あったところで何か買えるわけじゃない。ここには売店も何もない。
「今日はオレンジをやろう」
一日一度、カルドが俺に果物を分けてくれる。昨日はマンゴーおとといはバナナ。
何の罪もない俺を監禁している連中の一人のはずだが、こうなってくるとカルドとの会話が唯一の娯楽のようなものだ。案外いいやつなのかとさえ思えてくる。まあカルドは命令でやってるだけだしな、的な。誘拐された被害者が誘拐犯を好きになるなんとかシンドロームというやつだろうか。ロンドンシンドロームだったかベオグラードシンドロームだったか、ヨーロッパの町の名前のついたやつ。ググれば出てくるのだろうがスマホは外の部屋にある。
カルドとは最初英語で話していたが、そのうちカルドはスペイン語を使う用になった。ゆっくり、意味の分からない単語があればそれは英語で補足して。別に覚えたくもないスペイン語学習が強制的に進む。
「お前、幽霊見たことがあるか」
スペイン語教師カルドが言う、
¿Alguna vez has visto un fantasma?
ファンタズマはghostだとカルドが説明してくれる。ないよ、幽霊なんて。怪奇現象なんて体験したことがなかったぞ、この島に来るまでは。
図書館の幽霊についてカルドは話した。
biblioteca、library。
ファンタズマ・デ・ラ・ビブリオテカ。
この島にも図書館がある。コロニアル様式の小さな図書館で、蔵書数は二万冊。
ここにいつも貸し出し中の本があるという。この島唯一の作家の書いた小説で、タイトルは『不眠』。
この図書館の貸し出しは1週間。水曜日の夕方になると白髪に麻のスーツの男が現れ、本を返し、そしてまた借りていく。
狭い島の事、それが誰かみんな知っていた。書いた作家本人。もう20年も前に死んだはずの男なのだという。
死んでからモ自分の本の貸し出しを増やしたいのかと、皆おかしく思いながらも何となく受け入れていた。死人が本を借りに来てもいいじゃないか、だって水曜の夕方だからな。
そんなノリの島らしい。
別にそれで何の問題もなく回っていたのだが、ある日興味を持った読書家の青年が予約を入れて本を借りてみた。いつもの水曜日、現れた幽霊が本を返却窓口に持っていき「また借りたいのだが」と言った時、20年で初めて「その本は予約が入っています」と司書が断る。
「あ……」幽霊は恨めしそうだったのか悲しそうなのか、とにかく予約というシステムの前ではどうしようもない。
上手くやった青年はさっそくその夜、自宅で本を読んでみた。所詮無名作家と正直出来にはまったく期待してなかったが、意外なほど面白い。これは素晴らしい本じゃないかと読み進めていくうちに、読書家の青年はだんだん真相がわかってきた。
盗作だ。話の展開も登場人物のセリフも、アメリカの中堅作家の処女作に酷似している。二十年前、ネットもないころに出版された盗作本。作者は貸し出しを増やしたかったのではなく、盗作に気付かれたくなかったのだ。
ちょうど本を読み終えた時、青年の家のドアをたたく音がした。
「その本は予約済ですよ」
と声が聞こえてくる……そういう落ちの幽霊話。
何か教訓があるのか、この話には。俺はそう聞きたかったが。教訓という意味の単語をスペイン語でも英語でも知らなかったから黙っているしかない。
ニート死すべし @yamashirotaro
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