国家機密の夜

 「日本から来たそうじゃないか、君」

 プレジデンテはそういった。頬ヒゲとティアドロップ型のサングラス、オリーブドラブの軍帽で顔がほとんど見えない。40代くらいのおっさんのように見えたが、肌にしわがないから案外若いのかもしれない。

 普通大統領と言えば黒塗の装甲車じみた車に乗ってSPがうじゃうじゃ引き連れて、みたいに思っていたがこの夜来たのはプレジデンテと護衛の兵士が一人。兵士は昼にあった年配のメガネのやつだった。

 「ええ。来たというか転げ落ちたというか。まさか不法入国とか言うんじゃないでしょうね」

 「まさか。日本から来た初めての客人にそんなことを言うものか」

 「初めて? 今まで日本人は誰も来てないんですか」

 「そうだとも。君が初めてだ。だから挨拶をして、友だちになろうと思ってね」

 髭の形をゆがめて笑顔らしきものを作ったプレジデンテは、座れ座れと促す。俺の部屋なのだが。部屋の応接セットに座るとプレジデンテは「カルド」という。俺の知らん単語だがおそらく友情や健康を祈った挨拶だろうと思って「カルド」と俺も繰り返したら変な顔をされた。

 「カルド、飲み物を二つ」

 年配兵士の名前がカルドだったようだ。そのカルドは持ってきたカバンから瓶やグラス、氷やミントを取り出して何かカクテルらしきものを手早く作り上げた。

 「さ、乾杯といこう」

 「俺、酒は」

 「気にするな、わが国では18から酒を飲める」

 「17なんで、遠慮しておきます」

 「じゃあ今から17から合法だ。私がそう決めた。さあ、飲め」

 無理やり飲まされ仕方なく口に少し含む。ドロッとした甘味とミントの香り、それ以上に強烈なアルコールの匂い。

 「ラム・ジュレップだ。甘くてうまいだろう」

 「甘いですね」

 同意できるところを同意しておく。

 「よし! これで私と君は兄弟だな」

 ガバガバすぎるだろう、血縁が。

 「初めてどこかの国から人が来るたび、兄弟になりに大統領が出迎えてるんですか」

 「そんなわけないだろう。君が特別だからだ」

 「特別……というと」

 「聞いているよ。君の噂を。何でも才知にあふれた人物で、今行くところがないのだと。違うか」

 「才知はどうかわかりませんが、行くところは確かに」

 「そうだろう、我が国は福祉が充実していてな。そういった有意な人材の困窮に手を差し伸べずにはいられないのだ」

 そういってプレジデンテはポケットから出してきた薄汚れた紙袋をテーブルの上に投げ出した。そっとのぞき込むと、ドル札がみっしり見えた。福祉とは大統領がドル札を持ってくる、ということなのか。

 「5000ドルある。不足があれば言うといい。無限にとはいかないが、我が国の財政が許す範囲でなるべく希望にこたえるとしよう」

 「……タダでくれるんじゃないでしょうね、やっぱり」

 「我が国の顧問になってもらいたい」

 「顧問」

 アホみたいに繰り返す俺に、グラスの酒をざばざば飲みながら頷くプレジデンテ。

 「その通り。我が国は今様々な問題を抱えている。経済、外交、国防に紙おむつの不足まで。その諸問題の解決に、君の知恵を借りたいというわけだ」

 いよいよなろうじみてきた。なるなら軍師。

 「少し、質問いいですか」

 「もちろんだ、兄弟。何でも聞いてくれ。国家機密以外は教えよう」

 「この国の名前は」

 「レプブリカ・パライソ」パラダイス共和国か。

 「この国の所在は」

 「国家機密だ」

 「独立はいつ?」

 「1900年。私の曽祖父が独立させた」

 「初代大統領の名前は」

 「オロ・ダイン。私はオロ・ダイン二世だ」

 「どこの国から独立したんです?」

 「国家機密だ」

 「この国の人口は」

 「8566人。最後に私が報告を受けた時にはね」

 「国連には加盟していますか」

 「していない」

 「この国に通貨はないのですか」

 「ない。米ドルが流通している」

 「アメリカと外交関係がありますか」

 「ない。君は何を知りたいのかな」

 プレジデンテの反問をあえて無視して、俺は立ち上がって窓のカーテンを開ける。星空が見えた。

 「昔、親父が天体望遠鏡を買ってくれたことがあった」

 「素晴らしい趣味だ」

 「結局少ししか使いませんでしたけど。それでもメジャーな星座は覚えている。夏の大三角形も見えない。北斗星もないし、ついでに言うと南十字星もなさそうだ。ここは地球ですか?」

 「国家……」

 「機密ですか」

 「と、いうより答えるべき内容がない。端的に疑問を行ってくれ」

 「ここが、何なのか。それが知りたい」

 「それに意味があるのかね。酒が減ってないようだ。氷が解けてる、変えてあげようか?」

 プレジデンテはなだめるように言った。

 「あなたは俺の知恵など必要としていない」

 「そう卑下したでもない」

 「俺は、死んだのか?」

 「まさか! 死んでないとも、それは明らかだ」

 「そんな証拠がありますか」

 「死人は酒を飲まんだろう」

 「…………」

 「やれやれ。私のオファーは明瞭だと思うがね。君は日本で居場所を失くした。それは不幸な事だ。しかし今こうして君は我が国という楽園に出会った。私は君に永続的な仕事を与えるつもりだ。権威があり、報酬が良く、責任はあるように見えるが実際は君が何をしたところで、あるは何をしなかったところで私は文句を言ったり叱責したりするつもりはない。それどころか私も国民たちも大いに君を称賛するだろう。君は『また俺何かしちゃいました?』みたいな顔をしてその辺をぶらぶらしていればそれでいい」

 「それは、」

 「それは当然君がこの世界の主だからだ。決まっているだろう。というか、知っているだろう? 私はそこの管理人だ。君にいい気分でここに滞在してもらうのが私の最大の仕事で、そうでなければここに存在意義はない。言う通りここは地球上のどこにもない、クローゼットの中の国だ。君はここに住むべきだ、何の問題がある?」

 「…………」

 何の問題がある。問題はない。ただ、

 「お断りする」

 俺はそういうしかない。

 「一応聞こうか。なぜだろう。これ以上ない良い話だと思うが」

 「クローゼットで一生を過ごすために生れてきたわけじゃない」

 「……はっ」

 はっ、と鼻で笑い、プレジデンテは酒を一息に飲み干した。それから部屋中が揺れるほど大声で笑った。

 「笑わせるなよ兄弟。君はどこにも行き場がない、だからクローゼットに国など生やしたのだろう。何をいまさらまともな事を」

 「俺は、まともだ」

 それは本心だ。俺は権威主義で、正統派で、マジョリティだ。そうやって今まで生きてきた。たかが一か月程度のニート生活でその意識は変わらない。

 人は無為に生きるべきではない。ニート死すべし、だ。たとえ自分自身がニートであったとしても。

 「そうかそうか。君はそういうやつなんだな」

 プレジデンテはどこかの教科書で見たようなセリフを言って、首を大きく振った。

 「気は変わらないかね」

 「多分」

 変わらないと言い切れないのが情けない。

 「わかった。君の決意は尊重されるべきだ。帰るぞカルド」

 そういってプレジデンテと兵士カルドが立ち上がる。

 「さて、では別れに乾杯しよう。せめて、注いだ分くらいは飲んでくれ」

 そう言ってプレジデンテはほとんど氷の溶けたグラスを指で刺す。俺はそのくらいはしておいた方が良いかと思い、なんとかなれない酒を飲みこんだ。

 「おっと……君は17歳だったな」

 「そうですが」

 しゃべると口から酒気があふれる気がする。

 「それは残念だな。我が国では18歳未満の飲酒は違法なのだ」

 「は? さっき今から合法って」

 「そんなわけがあるか、わが国は法治国家だ。カルド! こちらの少年を逮捕しろ。顧問にならないならそれでいい、地下牢で生きてさえいてくれれば」

 恐ろしい事をさらりと言ってプレジデンテは俺にウインクする。とっさに窓から逃げようとしたが酒のせいで足がもつれ、一瞬でカルドに組み伏せられた。このおっさん、強い。

 「悪く思うなよ。私の8566人の国民のためなのだ」

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