第35話 お宅訪問 後編
「話っていうのは単純でね、娘と、明里と別れて欲しいんだ」
ん? 今なんて言われたんだ?
頭が言葉を理解するのを拒否して考えるのを止めたため言葉を発することすらできない。
「すいません、もう一度言ってもらってもいいですか、うまく聞き取れなくて……」
やっと思考を再開した頭で口に指令を送るも掠れた声しか出せず、胸の中の不安はどんどんと膨れ上がっていった。
「何回でも言ってあげるよ、明里と別れてくれないか?」
「…………」
今度はしっかりと自分が何を言われたか理解できた。
それと同時に目の前の明里のお父さんの顔が歪み、猛烈な吐き気と目眩に襲われ、椅子の上で蹲ってしまう。
「大丈夫かい?」
「……はい」
全く大丈夫ではないが、あのまま何も言わなければそのまま話を進められ、最悪な結果になる気がしたので全身の力を振り絞ってなんとか返事をした。
「それで明里と別れてくれるかい?」
「……いや、です」
「まあそうだろうね。でも別れたほうが身のためだと思うよ?」
「……はい?」
「僕、日本の教育業界ではちょっと影響力があってね、星城高校にも知り合いが何人かいるんだ。だから君を退学にすることだってできる」
この人は何を言っているんだろうか? 言葉が聞こえても、どんだけ内容を咀嚼して理解しても、意味が分からない。
「お、俺が訴えたらどうするんですか?」
「訴えても絶対に勝てない理由で君を退学にさせればいい」
「そんなことできるわけ……」
「できるよ、君が思ってる何倍も大人の世界は汚れているからね」
「そんな……」
もし自分が退学したらと考えると恐ろしすぎて震えることすらできなかった。
ここまで育ててくれた早苗さんと源治さんに多大な迷惑をかけてしまうし、灯火や今まで仲良くしてくれたクラスメイト達には二度と会えなくなるし、裁判で絶対勝てない理由で退学をしたら編入も就職も何もできなくなる。
「もう一度聞くよ、別れてくれるかい?」
心が苦しみから早く解放されたいと叫び声をあげて折れそうになり、それに呼応するように頭が『高校生が大人の権力に勝てるわけがない』と納得しようとする。
そして「はい」と返事をしようと口を開いた瞬間、先ほど明里の部屋で見た日記の一文を思い出した。
『私はどんなことでも太陽さんが居れば乗り越えられる。そう心から思えるくらい私は太陽さんが好き。』
それは俺が明里に告白した日の日記の一文だった。
ほんの数瞬前まで俺も全く同じ気持ちだったのに自分が楽になりたいからと容易に明里のことを諦めようとしていた。
あまりの不甲斐なさに自分を殴りたい衝動に駆られ、両手で思いっきり自分の頬を叩く。
それと同時に自分の中で何かが吹っ切れる音がした。
家族や友達、世間体はとても大事だし今後生きていくうえで確実に必要になってくるだろう。
しかし俺はそれらよりも大切なものを今は持っている。
星宮明里という可愛くて、照れ屋さんで、でも時々積極的で、料理が上手で、頭が良いのにどこか抜けている俺の世界一大好きで大切な彼女を。
「答えは決まったかい?」
「はい。俺は……明里と別れる気はありません」
予想外の答えだったのか明里のお父さんは目を見開いた。
「それは高校を退学になってもかい?」
「はい」
「退学したら人生が終わるのと同義なんだよ? なのにどうして諦めないんだい?」
「明里のことが好きだからです、この世のどんなものよりも。それに俺は明里がいなきゃ生きていけませんから」
「そうか……おめでとう、合格だよ。これからもずっと明里の隣に居てあげてくれ」
「…………へ?」
合格……? 合格ってなんの合格だ? 今、明里の隣に居ていいって言われたのか?
状況を全く理解出来ず唖然としていると書斎の扉がものすごい勢いで開いて明里が泣きながら入ってきて抱きついてきた。
「太陽さんっっっ!!」
「明里!? どうした、大丈夫か?」
「明里聞いていたのかい!? てっきり下でお母さんと皿洗いをしていると思ってたいたのに」
「太陽さんとお父さんが話すなんて気になるに決まってるじゃないですか、それでお母さんに片付けを頼んで来てみたら娘と別れて欲しいなんて言い出して……」
「そうか、明里にも辛い思いをさせてしまったみたいだね……悪かったね……」
「あの、状況を説明して頂いてもいいですか……?」
「ああ、もちろん、太陽君が明里の彼氏に相応しいか少し試させてもらったんだ、正直退学のくだりは折れても仕方が無いと思ったけどまさか今後の人生より明里を選ぶとは正直思っていなかったからびっくりしたよ」
説明を聞いた瞬間に今まで強ばっていた全身の筋肉が一瞬で収縮し、ガクッと肩が落ちた。
「そ、そういう事だったんですか!? めちゃくちゃ怖かったんですよ!?」
「ははっ、ごめんよ、これは僕が妻との結婚を認めに貰いに行った時にお義父さんにやられたことでね、お義父さんの家の伝統らしいんだ。まあ僕の場合は退学じゃなくて日本刀を突きつけられて殺すって言われたんだけどね」
そういうと明里のお父さんは愉快そうに笑った。
「そうなんですか……トラウマになりそうです……」
「太陽君も明里との間に娘ができたらやってみるといいよ」
「ちょ、それは気が早すぎますって!!」
「そうかい? まあこれからもずっと明里を幸せにしてあげてね」
「もちろんです」
この後、明里のお父さんがやりすぎだとお母さんにこっぴどく怒られ、それを俺らは笑いながら見ていた。
夕食はお昼の会話もあってか明里が唐揚げを作ってくれて、唐揚げを食べると今日感じた心身の疲労をカケラも感じなくなった。
好きな人の作る料理はどんな万能薬よりも万能だった。
夕食後は明里との詳しい再開の流れや明里のどこが好きなのか、どのタイミングで好きになったのかなど誰にも言ったことのないことまで吐かされた。
「じゃあそろそろ寝ます、着替えとか色々貸していただいてありがとう御座います。」
「いえいえ、部屋は明里の部屋の隣が空いてるからそこを使ってね」
「わかりました、お休みなさい」
部屋に入るとまず目に入ったのが明らかに一人で寝るには大きいベッドだった。
完全に二人用だ。
「一人部屋にこんな大きいベッドを置くなんて凄いな……」
自分の家とのスケールの差に驚きながらベッドに寝っ転がりスマホを触っていると部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「太陽さん、入っても大丈夫ですか……?」
「明里? 大丈夫だけど……」
「失礼します……」
そう言って入って来た明里はピンク色の可愛らしいパジャマを着て、手には枕を持っていた。
「どうしたんだ?」
「あ、あの、い、一緒に寝てもいいですか……?」
「えええええ!? ど、ど、どうしたんだ急に!?」
「太陽さんとお父さんの会話を聞いてからもしも太陽さんが何処かに行ってしまったらって考えてしまって、それが物凄く怖くて……だからなるべくずっと一緒に居たいんです、ダメですか……?」
そう言うと明里はぎゅっと枕を抱えて、潤んだ目で上目遣いをしてこちらを見てきた。
そんなことされてしまっては断れるわけもなく、即答で承諾しとりあえず2人でベッドに座った。
「今日は色々と大変でしたね」
「ほんとだよ、まさかいきなり娘と別れてくれなんて言われるとは思わなかったし、脅し方もえげつなかったし本当に怖かった……」
「でも私凄く嬉しかったです、どんなことを言われても太陽さんが私と別れようとしなかったこと。でもまさか自分の人生より私を選んだ時は驚きましたけどね」
「そんなの当た前だよ、今後物凄く生きづらくなるより大好きな人の悲しむ顔を見る方が圧倒的に嫌だからな。それにどっちにしろ明里が居なくなったら俺生きていけないと思うし」
「本当ですか……?」
「本当だよ、実際明里が居なきゃ退学って言われた瞬間速攻で折れてたと思うよ」
「どういうことですか?」
「お昼ご飯の前に明里がお茶を取りに行った時あっただろ? その時に机の上に置いてあった日記を読んでその時読んだ一文に助けられたんだよ」
そう言うと明里は顔を真っ赤にして、「あ、あ、あの日記読んだんですか!?」
と叫んだ。
「う、うん、つい好奇心で……」
「うぅぅぅ、もうお嫁に行けません……」
「大丈夫、明里は絶対俺が貰うから」
「はぅぅぅ……それはずるいですよ……」
「そうか?」
「そうですよ、そんなこと言われたら怒るよりも先に好きっていう感情が出ちゃいます」
そう言うと明里は頭を俺の肩に乗せた。
風呂上がりのためシャンプーの甘い香りと程よい温かさを感じ、理性の枷が外れそうになるがなんとかその衝動に耐えて、話を続ける。
「勝手に読んだのは謝るよ。でも本当にあの日記には助けられたよ、ありがとな」
「いえいえ、やっぱり太陽さんには私が必要なんですねっ」
「ああ、だからこれからもずっと一緒にいてな」
「もちろんですっ!」
「そうしたらもう遅いし寝るか」
「はい……」
とは言ったものの家族以外の女性と一緒に寝たことなどあるわけが無いので勝手がわからずとりあえずベッドに横になる。
すると明里が持ってきた自分の枕を俺の枕の横にピッタリとくっつけて横になった。
「あ、あの太陽さん、一つお願いしてもいいですか?」
「い、いいぞ、なんだ?」
「だ、抱きついて寝てもいいですか?」
「あ、ああ、もちろん」
「ありがとうございますっ」
「お、お手柔らかに……(?)」
「太陽さんの心臓の音すごく落ち着きます……」
「そ、それは良かったよ」
明里が自分の心音で心地良くなってくれるのはとても嬉しいのだが抱きつかれることによってより一層明里の甘い香りと柔らかさを感じて理性を失いそうになった。
「明里、今度家にも来るか?」
「すぅー、すぅー……」
会話をして少しでも気を紛らわせようとして話しかけたが、返ってきたのは可愛らしい寝息だった。
なので一言「おやすみ」と言って明里の額に軽くキスをして俺も眠りについた。
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