第10話

湯浴み、とは言っても時間が遅くなってしまったので温かいお湯でタオルを濡らして拭くという簡易的に汗をとる方法だけになってしまった。

司教様の部屋にはお風呂があるみたいだけど、さすがに遠慮した。

髪の毛はなんとか、美容室でやってるみたいに後ろ向きに桶に頭を入れる方法をとったんだけど、椅子を無理やり斜めにしたから怖かったのなんの。ちょっとバランスを崩すと転びそうになっていたから、次からはやり方を考えよう。

少しはスッキリしたところで、今日教えてもらった事を羊皮紙に書き込み、ベッドに潜り込む。そういえば、ミサの時間って何時からなんだろう。起こしてもらえるのかなぁ…。



どこからか、コーラスが聞こえてくる。

『神よ、我々をお導きください。すべて貴方の御心のままに、我らは貴方に仕えます…』

…ん?コーラス?

寝過ごした!?

慌ててベッドから飛び起きて服を着替えた。

『…いやあ、でもこれ遅刻確定してるならもう同じじゃないかなぁ…出ても出なくても…』

大学の講義を思い出すと、途中から入室しても気まずい思いをしながら席に行くことが多かった。特に、ゼミの講義で。

『しかも、他の人は全員顔見知りだから良いだろうけど、私なんかは完璧にアウェーだからなあ。どちらかというと、遠縁の親戚の集まりに強制参加させられてる感じだし…』

あとはローブを羽織るだけという所まで着替えは終わったが、そのままベッドに腰をかける。

『そもそも、呼ばれていないとか起こされていないっていう事は参加しなくてもいいっていう事じゃないのかな』


そもそも、凛は人付き合いが苦手な方だ。しかも「少し」ではなく「かなり」苦手だった。顔を覚えるのも、名前を覚えるのも不得意で、1回でサッと覚える事が出来る友人の事をひそかに尊敬しているくらいだ。

『異世界に来たんだったら、それくらいすぐに覚えられるようになってれば良いのに』

思わずそっとため息をこぼした。

話しかけられればそれなりに対応はできるし、興味のあるものとかは話に加わりたいが、どうもタイミングの取り方が苦手なのか3人いるといつの間にか後ろにいて話に参加できなくなってしまう。平たくいうと、自分を抜いた他の人が盛り上がりはじめてしまう事ばかりだった。

それで、気を使われて話を振ってくれるのも申し訳ない気分になってくる。それで更に引っ込み思案になってしまう、正に悪循環なパターンを繰り返していた。

『変わらなきゃなのは自分だってわかってるけど、難しいんだよねぇ…』

仲良くなろうと一生懸命に話の内容に出てきたものを調べても、好きな話題に深く入れるわけでもなく『にわかな子が一番行くパターンだね』という事を言われたことすらあった。

『部屋にいても気が滅入るだけだなぁ』

根っこが張りそうだったが、なんとか立ち上がり、作業場の方へと足を向けた。

廊下をゆっくり歩くと、静かな中に聖歌が響いている。反響するように設計されているのかもしれない。居住スペースを通り抜け、扉を開ける。

作業場へ続く道の真ん中で、女の子が泣きそうな顔をしながらキョロキョロとあたりを見回していた。

『迷子?』

「どうしたの?道に迷った?」

声をかけると、こちらに気がついたのか、慌てて駆け寄ってきた。よほど心細かったのか、ボロボロと涙をこぼし始めている。

『ハンカチハンカチ…って、無いのか…!!』

しょうがないので、自分の首に飾られているチーフ部分を取り外し、涙を拭いてやる。

『シスターに怒られるかなあ。これ』

そう思いながら、しゃくりあげている女の子の頭を撫でてやる。

「礼拝にきてたの?」

コクコク、と頷く。

 「と、トイレ…がまんできなくて…ヒック…おがあさんと来たんだけど…」

 「おかあさんと来たの?おかあさんは?」

 「あっぢで…魔物が…」

「魔物!?」

いきなりの出来事に頭が真っ白になる。

「にげなざいっで…」

『えええ…こんな時に、どう対処したらいいの…!!?』

「おがあさぁぁぁん…」

『痛いのは嫌だけど、私なら、何かあっても死に戻りできるか…』そう腹をくくる。

「…わかった!おねぇちゃんが助けてあげる!!どっちから来たか詳しく教えて!あと、あなたは教会の中に戻って助けを呼んできて!道はわかる?」

またコクコク、と頷きながら、あっちからきたのと教えてくれた。

指をさされたのは訓練場の方だった。

女の子を教会の扉の中に入れ、訓練場への道を走る。

『道に迷いませんように!!!』

走り始めると、すぐに大きめの道場風の建物が見えてきた。

『これが訓練場かな…』

「おかあさん!いますか!?」

見逃しては困る、と思い、叫びながら少し歩みを緩める。

「おかあさん!」

名前を聞いてくればよかった、と後悔し始めた時。地面に血痕を見つけた。そして、血を出した「何か」を引きずったような跡。

「――――…」

ホラー映画で、こうやって引きずられた先に見るのは死体と相場が決まっている…が、一縷の望みをかけて行くしかない。

さっきの女の子の叫びを、「勇者」だったら聞き入れないと!

跡を追うように走ると、血の匂いが少しずつ濃くなっていき、フッフッと荒い息使いが聞こえる。

「いた!!」

そこにいたのは、人と同じくらいの大きさはある犬だった。毛並みは黒く、目の色は金色に光っている。女の人の首のあたりを咥えており、私が声をあげると、そのまま女の人を咥えて逃げようとした。

「まて!!」

武器も何も持っていないのに気が付き、あたりを見渡すと少し大きめの――家の土台に使われるような――石があるのが目にはいった。

「ぉおおおおりゃ!!!」

考える間もなく、それを両手で掲げるように持ち、魔物めがけて投げつけた。

投げると同時に自身も魔物に向かって走り出す。

石が魔物の尻にあたると、「ギャッ!」と叫んで女の人から口を放し、距離をとってくる。

跳ね返った石をまた持ち上げ、魔物を睨みつける。

『気合だ…!!』

「うるぅぅあああ!!!あっちいけえぇぇ!!!」

また石を投げるようなそぶりをすると、魔物がビクリと体を震わせて、片足を引きずりながら逃げていった。

魔物が退散したのを確認してから石を地面に置き、荒く息をつきながら女の人を見る。

ぐったりとして意識を失っている女性の顔は血の気が無くなっていた。破けた服からは獣に引き裂かれた肉が覗き、肩から腰までが血に染まっている。

「…!!!」

母親が包丁で指を切ってしまった時ですら、痛そうなその傷口を直視することが出来なかった。頭の中が真っ白になってしまい、足元から血の気が引いていく感覚に陥る。

「勇者様!!」

遠くから、シスターたちが走って来ていた。

「あ…私…」

「ご無事でしたか!?」

「女の人が、早く、助けてください」

精いっぱいの言葉でそうお願いすると、医療スタッフらしき男性が女の人をタンカに乗せていた。また走って教会に戻っていく後姿を見送った。

「勇者様」

「はい…」

「素晴らしい働きでした。魔物を倒されたのですね」

「あの、でも逃げただけで…」

「あとで、どこから入ってきたかの点検もいたします。どのように対処されたんですか?」

「石を投げつけて…後ろ足にあたっていました」

「上出来ですね。何も持たない状態での対処は完璧です」

「…ありがとうございます…助かりますか?あの、おかあさん…」

「それはまだわかりません。ですが、もし神の元に行っても、彼女は満足だと思いますよ」

「……」

そういう事を聞きたいんじゃない。でも、それを言う勇気はない。

『無事に、あの女の子の所にお母さんが元気な姿で戻れますように』

血がこびりついた地面から、私は目を背けた。


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