終劇 学び舎の魔王

 そして5月の末――

 十全寺丸美が書類を抱えて廊下を歩いていた。

 いまは放課後。小売山高校の生徒たちが、部活動に精を出している時間である。十全寺も自らが所属する『生徒会』の部屋へと向かっているのだった。

 十全寺は吹奏楽部の演奏を耳にしながら、この1週間のことを思い起こしていた。

 己の対抗馬――にも及ばなかったあの無鉄砲な男、尾田狂太郎。あれはたしかに天才であると、十全寺は渋々理解はしている。しかし同時に人格破綻者であることも重々承知だ。

 あれは生徒会長になる存在ではなかった。それはやるまでもなくわかり切ったことであったが、十全寺もふと思ってしまう。

 はたして、本当にこれでよかったのか――と。

 いつも気丈にふるまっている十全寺であるが、その心というものは案外不安定なモノである。いつも自分のやることに疑問ばかり浮かべている。

 自分は正しかったのか。

 自分は――生徒会長にふさわしいのかと。

 もし、あの不良生徒である狂太郎が生徒会長となっていたら……。

(そんなこと、万が一にもないわね)

 そうは思うも、なぜか十全寺は最近狂太郎のことばかり考えている。あいつはどうなったのか、はたして自分との勝負を覚えているのか、すっぽかしているのか――と。

 今日は生徒会選の開票があった。生徒会の役職の中には狂太郎の名前はどこにもなかった。

 狂太郎の敗北。

 その狂太郎はというと、どういうわけか授業をサボっているそうだ。もしかしたら落選のショックでふさぎ込んでいるのかと十全寺は柄にもなく心配をする。

(私も、あのときはどうかしていたわ)

 狂太郎相手になるとどうしてか熱が上がってしまう。とっても苦しいが――どういうわけか時折狂太郎との言い合いが“気持ちよく”なるような瞬間があった。本当の自分になったような気分が時折訪れるのだ。

(ほんとう、尾田くんは……)

 ひとまず今日の授業のサボりは目をつぶろう。しかし明日以降は容赦しない。そう十全寺は頭の備忘録に記録して、生徒会室の引き戸を開ける。

「やあやあ、遅いじゃないか会長さん」

「あんまり遅いから備え付けのおせんべい食べちゃったニャ」

「なっ……」

 生徒会室の長机に、傲岸不遜に狂太郎とリリスが居座っていた。リリスのほうは生徒会書記の文月が取り寄せた『有明海苔せんべい』をバリボリ食べていた(もちろん耳とシッポはステルス状態)。

「お、尾田くん、なんであなたがここに……」

「なんでって、俺は生徒会選に勝ったんだし、むしろここに居なきゃいけないだろ? まったく、ほかのメンツはまだなのかねー」

「ニャー、海苔が歯に付いたニャ」

「だからどうしてあなたがここにいるんですか! あなたは、生徒会選で負けたんでしょう! 生徒会長は私――」

「そう、生徒会長さんは十全寺お前だ。副会長は香芝で、書記は文月先輩。そして……生徒会会計はこの俺、尾田狂太郎だ!」

「か、会計ですってぇええええ!」

 十全寺は驚きすぎて背骨が反り返っていた。

「か、会計って、あなたは生徒会長になるんじゃ……」

「いや、生徒会選に立候補するとは言ったけどよ、別に『会長』に立候補とは言ってなかったぜ。俺はもとより『会計』狙い。それでまぁ、前会長の長井くんより多く票を獲得したから俺が“勝ち”ってワケ、ドゥーユゥーアンダスタンドゥ?」

「な、なにを寝ぼけたことを……! 仮にあなたが会計に立候補していてもおかしいわよ! 今朝の開票で私は読み上げたのよ! 『生徒会会計は前任の長井くんのままで――』って」

「ああそれ、票数数え間違ってみたいでよ」

「はぁ!?」

「ほら、これさっき先生からもらってきたプリント。『生徒会選の開票の誤り』についてだ。どーも先生のエクセルのデータがバグっちゃってて、票数がおかしくなってたんだよ。マクロウイルスにでも感染してたのかね。まったく迷惑な話だぜ」

「なんですって……」

 狂太郎から渡されたプリントを十全寺は震える手で握りしめるばかりだった。

 そこには『生徒会会計は長井君ではなく、尾田くんに――』と間違いなく書かれている。

「こ、こんなのデタラメよ!」

「でたらめだって思うなら先生にでも聞いてくればいい。それでも疑うってんなら俺の“票”を確認すればいい。一つだけ言っておくぜ、俺の票ってやつだけはウソ偽りのない真実だ。さて、果たして俺はいくらの票を手に入れたでしょーか?」

「あなたの票…………そんなもの、集まるわけ……」

 つい数日前の奇行は学校中の知ることだ。狂太郎に票を入れる酔狂な人間がはたして何人いるのか……

「1000票だ」

「はぁ!?」

「この学校の生徒数は約1200人。そのうちの1000票を俺は手にしたんだ」

「そんな馬鹿な……」

「じゃー見てみろよ。選挙の票を。ご丁寧にも投票用紙は紙で、候補者書いたら“筆跡”が残る。だからいくら俺でも不正のしようがないぜ?」

 狂太郎は選挙用の箱を手にしてカシャカシャと振っていた。十全寺はそれをひったくり、中身を机にぶちまけるが――そこに不正はなかった。

 パッと見ただけで、ほとんどの生徒が狂太郎に票を入れているのが分かった。

「どういうことなのよ……これは」

「俺の人徳のなせる業ってやつさ」

「人徳ですって? 誰があなたなんかに――」

「現に俺が勝ったんだ。そこは認めろよ」

「あなたは……!」

「どうもまだ納得がいってないようだな。じゃーどうして俺が票を稼げたか、そのカラクリってやつを話してやるよ」

 狂太郎はパイプ椅子から立ち上がり、オペラ歌手のような出で立ちで話を始める。

「いいか、選挙で票を稼ぐってのはそれほど難しい話じゃない。簡単な話、モノやカネで釣ってやればいい。俺に投票してくれたらお金を配ってやる! なんて気前イイコト言えば当選確実だ」

「あなたまさか――」

「だが、そんなこと一生徒ができるわけねぇ。なにせ俺は資本ってやつが大してないもんだしな。カネで釣ることも、モノで釣ることもできねぇ。オマエみたいに人望で釣るってこともできねぇし、経歴ってのも俺の場合ズタボロだ」

「じゃあ、あなたはいったいどうやって……」

「俺にもあるんだよ。とっておきの“武器”ってヤツが」

「まさかまた変なコトをしたんじゃ」

「つくづく俺は疑われてるようだな……。まぁ弁明の余地はねぇが、今回ばかりはリリスの手は使ってねぇ。コイツにはこの前、教会の犬を倒してもらったし……」

「教会の犬?」

「ああいや、こっちの話だ」

 狂太郎はゴホンと咳をする。

「俺は俺自身の手で票を獲得した。まぁ、詩恋ちゃんや文月先輩の助けもあったけどよ。使ったのは俺の資本だ」

「資本って、あなた資本はないってさっき言ったわよね?」

「いーや、資本ってのは比喩だ。なにもお金じゃない。お金ってのは社会でどうしようもなく必要となるものだけどよ、だが、この学校、生徒たちにとって――お金以外で必要なモノってなんだ?」

「お金以外で必要なモノ……」

 十全寺はメガネのブリッジを押さえ考え込む。

「それは、品物とか、もしくはその、友達とか恋人とか……」

「ちげーよちげーよ。生徒会長も人の子か、案外陳腐な答えを出すんだな」

「陳腐って……」

「学生の本分ってのはなんだ? 勉強だろ? つまり学力ってのが、高校生にとって一番大切さ。そりゃ勉強よりも大切なことはあるだろうけど、そんなのにかまけて赤点取ったり、志望校落ちちゃったりしたら元も子もないだろう? 賢いヤツも馬鹿なやつも、部活一筋なヤツも、不良も……最終的に勉強ってやつをやらなきゃならない。そうでなきゃ卒業できねぇし、赤点で退学だ」

 考えてみれば当然な話である。学校とは“学び舎”である。学ぶための場所で必要なモノと言ったら学ぶこと以外にないのである。

「つまり生徒は総じて“学力”ってやつを欲している。有名大学に行かないにしても、赤点を取らないくらい、母親に怒られないくらいの学力は欲しいと思っている生徒はいる。つまり、経済学的に言うと“学力”ってやつの需要が高いんだよ」

「そんな話が……いったいあなたの選挙とどうつながるんですか」

「いいから最後まで聞けよ。つまりな、その高需要の“学力”ってやつで生徒を釣ってやれば――俺は票を手にすることができる!」

「学力でって……」

「学力は金みたいに実体のあるもんじゃない、ステータスだ。だから売買なんてできないが、学力を向上させる“手段”なら提供できる」

 いったい狂太郎が何を言っているのか。十全寺は狂太郎の言葉の渦に巻き込まれていく。

「まぁ百聞は一見に如かずだ。まずはこれを見てみろ」

 狂太郎はタブレット端末を操作すると十全寺に画面を突きつけた。そこには数式が日本語とともに書かれているが……

「この問題……数学Ⅰの問題じゃ」

「そうだ。これは小売山高校生に支給される『数学Ⅰ問題集』の問題。それの答えと解説だ」

「解説?」

「高校の数学の問題集って案外ぶっきらぼうだろ? 答えが書いてあれど、その途中の過程はすっかり書いていなかったりする。なかなか不親切だと思わないか?」

「そんなもの、先生に質問すれば……」

「そーいうのできない子シャイな子もいるんだぜ? ほかにも、めんどくさがって質問なんかしないヤツ、そもそも先生がロクに答えてくれなかったり、先生と馬が合わなかったり、部活動で忙しくって先生に質問に行く暇がない! とか、いろいろ煩わしい問題があるだろう? 先生だって生徒みんなの質問に答えてられるほど暇ってわけじゃないだろ?」

「そりゃ……そういう部分もあるけど」

「そこで俺は考えたのさ。その先生への質問、俺が肩代わりしてやろうって。こうやって問題集の解説をネットに公開してやれば、誰でも好きな時に解説が見れる」

「まさか、この解説ってあなたが書いたの……?」

「俺を誰だと思っている? 小売山高校一の天才児だぜ? 俺には資本があるんだ。金でもなく、物でもない。俺の頭脳っていう資本がな!」

 そう、狂太郎は天才なのだ。

 その天才性を“資本”にしてしまえばよかったのだ。狂太郎に力はないが、学力はあるのだ。

「俺はこの問題集の解説のサイトを、みんなに広めた。広めてくれたのは詩恋ちゃんと文月先輩だけどよ。評判はなかなかいいぜ。俺、案外、ものを教えるの向いてるのかな?」

「た、たしかにこの解説……詳しく書かれていて、そのうえわかりやすいけど」

「そんな感じで、このサイトのことをダシにして票を集めたんだよ。サイトに書いてたんだよ。『これからもこの解説サイトを利用したかったら是非尾田狂太郎に清き一票を』ってな」

「な、なんですって!」

「べつにお金を使ってるわけじゃないし、むしろ俺は生徒の学力向上のために役に立ったんだぜ? これくらいの見返りはとーぜんだと思うけど、まさか生徒会長さん、生徒1000人が絶賛するこの『解説サイト』、生徒会権限で閉鎖する! なんてこと言わないですよね?」

「なんて……手を……使うのよ、あなたは……」

 見ようによっては“汚い手”であるが、狂太郎はまかりなりにも生徒の学力向上を担ったのだ。そこは評価するべきであるし、一方的に否定することもできない。

 なんにせよ、狂太郎は1000票を獲得したのだ。

「とにかく、俺の勝ちさ。生徒会長さん。俺は生徒会の会計になったんだ。同じ生徒会として、仲良くやっていこうぜ」

 狂太郎は友好の証として握手を求める。

「どうして……会計なの? 1000票も集まったのなら、生徒会長になることだってできたのに……」

「ふっふっふ、生徒会長の座も悪くないがな、“支配者”ってのはなにも為政者――王様や総理大臣、大統領だけじゃないんだぜ?」

「はっ……」

 狂太郎がいつもの不敵な笑みを浮かべる。

「傀儡政権ってのもあるんだよ。為政者じゃないヤツが、実質的な為政者になるってのは日本史で結構よくあるじゃねぇか。平安時代は藤原家の貴族、鎌倉時代は征夷大将軍だ。つまり、“陰から”政治ってのは操れるもんなんだよ。生徒会長にならなくても、“会計”でも生徒会を、そして生徒をまとめることができる――かもしれないからな」

「そんなこと、私が許すと思ってるんですか……」

「お前が許すように“操る”までだ。生徒会長はほかの役員の意見もちゃーんと聞かなきゃならないからな。つまり俺は陰の支配者……闇の会計なのさ!」

「闇の会計……なんだかすごく邪悪な響きだニャ」

 狂太郎の思惑。それは最初から変わっていなかったのだ。学校征服――世界征服のための予行演習だ。

 そのためには、なにも生徒会長になる必要はないのだ。学校を征服する方法ならほかにもある。その一つである『闇の会計』という役職に狂太郎は就いたまでなのだ。

「俺は会計としてこの学校を支配してやる。くっくっく、本年度の予算会議、せいぜい楽しみにしておくんだな!」

「か、会計の分際でなにができるっていうのよ……」

「会計なめんじゃねぇぜ。俺が会計になった暁には1円たりとも無駄な出費はしねぇ! この学校に潤沢な利益をもたらし、この学校を要塞化する! 固定砲台とかつけちゃって、テロに屈しない最強の学校にしてやる!」

「あなたはまたそんな荒唐無稽なことを……」

「イヤなら俺を止めてみるんだな、生徒会長さん。俺は、どこまでも覇道を貫くぜ」

「ニャー、キョータロウカッコいいニャ」

 狂太郎とリリス、二人はいつにもまして心を通い合わせ笑顔を浮かべている。

「にゃっはっはっはっはっは!」

「わっはっはっはっはっは!」

「あなたたちは本当に……」

 最終的に煮え湯を飲まされた十全寺であった。もはや十全寺には狂太郎への恨みしかない。

「さぁて、生徒会をしたたかに執行しようぜ」

「それは……私のセリフよ」

 そんなふうにして、小売山高校の生徒会は役員を一新し執行されるのであった。

 果たして、狂太郎の学校はどうなるのやら……


***


 そして週末。

「ニャー、このラーメン濃厚でドロドロでうまいニャ」

「だろぉ、この背油と魚介のスープが癖になるんだよ」

 12時に差し掛かったころ。狂太郎たちはラーメン屋に来ていた。リリスがたいそう食べたがっていたので、この前の――教会の犬討伐のご褒美をかねて連れてきたのだ。

 狂太郎のアパートの部屋ほどしかない狭いラーメン屋であったが、店内は満席。外ではお腹を空かせたお客さんが待っているというなかなか大繁盛な状況だった。

 このラーメン屋『猪八戒』は、最近流行りの濃厚トンコツ、魚介トンコツが売りの脂っぽい店であった。ハマるお客さんもいるらしく、ネット上でも評判が良かったりとか。

 魚好きで肉好きのリリスには、ラーメンというこってりグルメは好みに合ったようで、しきりに舌鼓を打っている。背油の浮いたスープを豪快に飲み干し、ぷはーと恵比須顔。

「キョータロウありがとうだニャ。ワガハイのためにごちそうをおごってくれて!」

「まぁ、お前も頑張ってくれたしな」

「でもワガハイ、最終的に役に立ってないニャ。選挙に勝ったのは、狂太郎の手腕あってのものだし……」

「細かいこと言いっこなしだ。そもそもお前がいなきゃ選挙に立候補してないし、世界征服なんて考えなかった。今の俺があるのは、お前あってこそだよ」

「キョータロウ……ワガハイにデレたかニャ?」

「だからガキには欲情しねぇって」

 狂太郎はリリスの口についた油をティッシュでぬぐってやった。リリスは目をつぶってなすがままになっている。

(こいつが……やがて世界を滅ぼす存在ねぇ)

 あの柴犬――マーナガルムの言葉が蘇る。

 今でも狂太郎はリリスを“教会”なんかに差し出すべきでないと思っている。だが、話は狂太郎が背負えるレベルを超えている、宇宙規模の話だ。

 このまま、リリスを放っておけばこの世界が滅んでしまうのかもしれないのだ。

 『ノストラダムスの大予言』では「1999年7の月、空から恐怖の大王が下りてくる」と言われていたが……その1999年よりすでに20年近くも経過しているのだ。リリスがその「恐怖の大王」であるにしろないにしろ、世界滅亡はあながちデマではない。現にその元凶が隣でラーメンをすすっているのだから。

 これから狂太郎はどうすればいいか。

(ま、世界を一瞬にして滅ぼす兵器ってのも現実にあるもんだしな。そう怖がることはない)

 いつ何時も狂太郎は余裕派である。

 狂太郎はすっかりリリスへの不安を忘れ、のんきにラーメンをすすっていたのだった。

 そのとき、入り口の扉が開いて店内に一人の客が入ってくる。愛想のいい店員が開いたカウンター席へとその客を誘導する。

 ふと狂太郎の視界にその客の姿が入る。その客は……メガネをかけていた。

「って、お前は十全寺!」

「……ごきげんよう、尾田くん、リリスさん」

「ごきげんようって……」

 お嬢様学校じゃあるまいし、と狂太郎は心の中でつぶやく。

「な、なんで十全寺がこんなところに……」

「私がここに来たら、なにか不都合でもあるんですか」

「いや、べつにないけど……。その、なんというかお前も以外と庶民派だと思って……」

 狂太郎のイメージでは十全寺はこんな匂いのキツいラーメンなんか生きているうちは絶対に口にしないと思っていたのだ。しかしそれは狂太郎の勝手なイメージである。

 すっかり調子を狂わされた狂太郎をしり目に、案外早く十全寺のもとにラーメンが運ばれる。リリスと同じトンコツ魚介ラーメンである。十全寺は律儀に小さく「いただいます」と言ったあと、ちゅるちゅるとラーメンをすすっている。

「しかしメガネでラーメンって」

「なにか?」

「……曇らないのかよ」

 と疑問を呈す狂太郎。

「曇り止めを塗ってあるから大丈夫ですよ」

「用意周到だな。さすがメガネっ子のカガミだ」

 狂太郎もラーメンをうまそうにすする。

「尾田くん」

「んあ? なんだ?」

「……一つ聞きたいことがあるんですが」

 と十全寺が言った。狂太郎は何か自分に問いただされるのだろう――という予感はしていた。

「あなたは、どうして会計になったんですか?」

「は? その話なら前にしただろ?」

「ですから、どうも腑に落ちないんです。あなたは私が気に入らなかったはず。なら、なぜあなたは生徒会長になって、私を蹴落とすことをしなかったんですか?」

「……ずいぶん細かいことを聞いてくるんだな」

「昨日、文月先輩と、唐沢木さんからあなたのことについて聞いたんですが」

「なんで勝手に俺の身辺調査を……」

「あの二人が自主的に話してくれたんですよ。あなたのことについて。どうもあなたは、あの二人に対して人望があるようですね」

「人望っていうか、なんていうか……」

「あなたはあの二人を助けたことがあったんでしょう?」

 十全寺がそういうと、狂太郎はテレを隠すようにラーメン鉢のスープを飲み干していた。

「げほっ、げほっ」と咽る。

「唐沢木さんは小学校時代、高学年の児童にいじめられていたのをあなたに助けられたみたいですね」

「あ、あれは成り行きで……」

「文月先輩のほうは、あなたのおかげで家がヤクザから足を洗うことになったとか」

「い、いやそれは偶然そうなっただけで!」

「そして、今度は私を助けた」

「うっ……」

 いよいよ狂太郎は恥ずかしくなる。

 どんな悪行も恥じることなくできる狂太郎だが、いいこととなると恋する乙女みたいに恥ずかしくなる。そんなあまんじゃくな性格なのだ。

 つまり狂太郎はいいやつなのだ。

 いいやつなんだけど……あまんじゃくなのである。

「あなたは私の生徒会長の座を引きずり降ろそうとするつもりは無かったんでしょう?」

「それはあくまでそういう結果になっただけで……」

「ただ私への警鐘をしたかった。私という、杓子定規な存在に喝を入れてやりたかった。生徒会選うんぬんは、ただのオマケだった」

「そ、そんなワケねぇじゃねぇか。俺は学校を支配するために……」

「本当にあなたは、おもしろおかしい学校にしたかったんですか? あなたが本当に求めていたのは、変わり映えのない平穏だったのでは」

「キョータロウ、どういうことだニャ」

 狂太郎は急所を突かれ言葉を失っている。

 そう、狂太郎が生徒会長十全寺を排さなかったのは、狂太郎の中にあった反対側の心のせいだった。

 面白おかしい世界よりも。

 平穏な日常のほうがいいのでは。

 もう、世界を恨んで憎んで、斜に構えて生きるのはいいんじゃないのか。

 “昔”のような、まっとうな自分に戻ってもいいんじゃないのか。

 その思いはあの日――教会の犬、マーナガルムを倒した後にも起きたものだ。

『だからキョータロウ、これからはワガハイと一緒に、善良で、フツーでおもしろおかしく日常を過ごそうニャ。それもきっと悪くないと思うニャ』

 そう狂太郎はリリスに提案された。

 それを、狂太郎は――

「んなもん、願い下げだ」

 そうきっぱりと断言したのだった。

「キョータロウ、ラーメンいらないのかニャ。だったらワガハイがいただくニャ」

「いや願い下げってそういう意味じゃねぇから! 俺のチャーシューを取るなぁ!」

 しばしリリスと丁々発止のやり取りをする。

「……というわけだ十全寺。俺は平穏な日常なんか願い下げだ。なんの勘違いをしたかわからねぇが、別に俺は……女の子負かすのが嫌で、生徒会会計に立候補したんじゃねぇぞ! お、俺はお前なんか認めないからな!」

「私も、あなたなんか認めませんけど」

 大胆不敵に十全寺が言いのける。

「さっすが狂太郎だニャ。なにがあろうと覇道を往くその姿カッコいいニャ」

「はっはっは! 俺はいつかこの世界を変えてやるぜ! 見てろよ天国の母さん! どっかで生きてるかもしれねぇ莉々! 俺はこの世界の魔王になってやる!」

 そう懼れることなく狂太郎は言い放った。

 呆れる十全寺と、そして両手を上げて賛美するリリス。二人は平穏な世界で浮いていた。ラーメン鉢のスープの油のように。

 それはねっとりとこってりと、脂っこくて、そのくせ“クセ”になる、病みつきになる魔法な存在であった。

「にゃっはっはっは」

「はっはっはっはっは!」

 二人は邪悪に笑い合った。


 やがて世界はこの二人によって支配されるのかもしれない。

 しかしその“支配”は、それほど悪くないものなのかもしれない。それはきっと、二人の“やさしい”魔王が成す、おもしろおかしい桃源郷だろうから。

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魔王のいない日常はつまらない。 カッパ永久寺 @kappaqg

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