第四幕 滅びの運命 F

「くたばれ犬っころ!」

 狂太郎は手を伸ばす。延ばした右手の先には、なんとプラスチック製の水鉄砲の銃口がまっすぐ前に向けて構えられていた。

 狙いはマーナガルムの貌。

 そこに、コップ一杯ほどの液体をぶっかけた。

「ガルルルルルルルル!」

 マーナガルムが獣の声を上げて悶えていた。貌を押さえ、地面に半身をこすりつけている。

「お、お前……なにを!」

「けっ、18歳未満の俺の前で、猟奇シーン見せるんじゃねぇよ!」

 狂太郎は水鉄砲を構えたまま、不敵な笑みを口に浮かべる。

「お前もなんやかんやいって生き物なんだろう? なら、お前は見た目通りの狼ってやつで、狼の特性も引き継いでいる――と仮定した」

「な、なにを……」

「何事も演繹的に解決しねぇとな。狼ってのは犬公のご先祖様。犬公は『警察犬』となってシャブを探せるくらい、“嗅覚”が優れているんだ。人間の数百万倍とも言われている。狼もその例にもれず、嗅覚が鋭いから……」

 狂太郎は水鉄砲の銃口からちょろりとゆるい粘性のある液体を溢した。それはなんとシャンプーの液で、オレンジの酸っぱく芳醇な香りがあたりに漂った。

「このシャンプーの香料だけで、鼻がひん曲がっちまうってわけだ」

「な、なぜシャンプーなんか……」

「偶然シャンプーが切れてたからコンビニで買ったまでだ。まったく騒がしい犬っころだぜ」

「……お前は、どうして。私に刃向かうというんだ?」

「はぁ? 何言ってんだよお前?」

 狂太郎は目の前に佇むリリスのもとへと歩く。そしてそのリリスの頭を押さえる。

「うニャ、きょ、キョータロウ」

「安心しろ、もうお前は死なねぇよ」

 狂太郎は視線をマーナガルムへと戻す。

「なぁにが世界だ、滅びの遺伝子だ。そんな話、まさしく“犬”に食わせろって話だぜ。俺たちにはちぃーっとも関係のねぇ話だ」

「なにを言っている……。魔王の娘を放っておけば、早くて1年後には世界が……」

「んなもん、1年も先の話じゃねーかよ。それよりも俺たちは目先のことを考えなきゃなんねーんだよ。俺たちはお前という暴漢を捕まえて、警察から感謝状をもらって、その栄誉をダシにして生徒会選を勝ち抜くんだよ! そのためのお前は“噛ませ犬”なんだよ!」

「よくもこのワタシを犬犬と……。ワタシは狼だぞ!」

 マーナガルムはよろよろと起き上がろうとするが。

「おっと、これ以上近づくと俺のマグナムが火を噴くぜ」

「ぐっ……」

 マグナムでなく水鉄砲。火ではなくシャンプー液が噴き出すのだが。しかしそれは狼であるマーナガルムにとってマグナムと同等の凶器となっていた。

「狼だか神だか知らねぇが、これで教会側もおしまいだな! 魔王の娘の抹殺は大失敗! 始末書でも書かされんのか? それともお仕置きとかか?」

「……狂っている、お前は狂っているぞ」

「は? 狂ってんのはこの世界のほうだぜ? コペルニクス的転回乙ー!」

「どうしてだ! 世界を滅ぼそうとする存在なんだぞ! それは魔王の娘だ! まさかお前は…………その娘に情愛を抱いているのでは……」

「そうなのかニャキョータロウ」

「バーロウ、んなわけねぇよ。言ってなかったかもしれねぇけど、俺、この世界ダイッキライなんだわ」

「世界が嫌いだと……」

「だからさ、世界を滅ぼす魔王とか現れたら万々歳って話だしよー」

「いったいぜんたいどういう神経をしているんだ……」

「それに1年ほど猶予はあるんだろ? だったら今すぐ殺すなんてむごいことすんなよな。仮にも神の使いならその1年で楽しい思い出でも作りましょーぐらいの提案はなかったのかよ」

「しかし、魔王の娘などという危険な存在を現世にとどめておくわけには……」

「とにかくだ」

 狂太郎は指を一本立てる。

「リリスは渡さねぇ。殺させねぇ。理由はお前たちが気に食わねぇからだ! なにせ俺は世界と一人の女の子を天秤にかけられたら、世界を迷わず厭わず切り捨てる、“悪党”だからな! 残念でしたー正義の味方さーん。ぷぎゃー」

「ぷぎゃー、だニャ」

 指を突き出してあざける狂太郎とリリス。いよいよマーナガルムの頭は混乱する。

「キョータロウ、ワガハイはここにいていいのかニャ?」

「ああモチロンだ。むしろお前がいねぇと俺が世界征服ができねぇ」

「キョータロウはしょうがないニャ。なら、ワガハイは死んでやらないニャ」

「そうだぜ。何があってもお前はしぶとく生きろよ」

 たとえ、滅びの未来が約束されていたとしても――

「そう……か。お前たちはそう決断したのか……」

「ああ。そういうこったぜ。だから犬公、お前はとっととおうちに帰りな――」

 空気が変わった。なぜかそう、狂太郎は本能的に感じ取った。

 マーナガルムを覆う、オーラというものだろうか。それがどくどくと放出されたような……。それが一つの炎となって燃え上がっている。

 マーナガルムは険しい顔で狂太郎を睨んでいる。おそらく、シャンプーの柑橘系のにおいで苦しんでいるのだろう。その苦しみさえも乗り越えて、さらなるオーラを放って狂太郎に狙いを定めている。今までは、リリスだけが狙いだったのに。

「お前は……尾田狂太郎と言ったな」

「こ、個人情報が筒抜けだと……。まぁ、名前ぐらいは調べられないこともないだろうが」

「お前は魔王の娘に加担した。ならばお前は――今日から教会の“敵”だ!」

「なんだってぇ!」

 狂太郎が異世界の教会公認の悪となってしまった。

「待ってくれ! 教会の敵だと! 俺がいつどんな悪いことをしたっていうんだ! 音楽も漫画もアニメもちゃんと公式のものを買って違法なことはなに一つしてないって言うのに!」

「ワタシはこの世界の人間ではないが、ワタシたちの世界の不始末はワタシたちが片付けなければならない使命がある。魔王の娘はワタシたちが責任をもって排除する義務があるが、それを拒む存在があるのなら、民間人だろうと、容赦はしない」

「そ、そりゃごもっともな話だけど――って、オーラ放出するなよ! 界王拳かよ!」

 見ると、マーナガルムの身体が黄色い光に包まれている。それは丸く、まるで満月のようであった。

「匂いなぞ、根性でどうにでもなる。私は、なんとしてでもお前と、魔王の娘を排除する!」

「こ、このっ……」

 狂太郎は水鉄砲を構える。運よくそれは先ほどマーナガルムに効いたのだが、果たして本気モードのマーナガルムに効くのかどうか。

「きょ、キョータロウどうするのニャ」

「あああああ! なんでお前と仲良く俺も殺される羽目になってんだよ!」

「ワガハイとキョータロウは一心同体だニャ」

「地獄まで一緒に二人三脚なんてゴメンだからなぁ!」

 水鉄砲の銃口の向こうにマーナガルムが。いったいどうすればいいか。考えろ、考えろ、考えろ……

「ああああ……。俺には思いつかねぇ! もう万策尽きたぁ!」

「キョータロウ……」

「リリス、なにか手はないのか! あのマーナガルムを倒せる、反撃の一手は! 俺はなんだってしてやる! 今生き延びることができるなら、命の半分ぐらいまでなら擲ってやる!」

「キョータロウ、そこまでワガハイのことを……」

「ちげーよ! 自分の命が危ないからだよ!」

 するとリリスは狂太郎の正面へと体を回した。

「キョータロウ、そこまでキョータロウの覚悟があるのなら……。奥の手を使うニャ」

「お、奥の手……だって?」

「ニャー、とっておきは最後までとっておくニャ」

「でもリリス、お前は魔法が使えないんじゃ……」

「“魔力を使わない魔法”なら、使えるニャ」

「そんな低燃費系な魔法があったのかよ。なんで今まで言わなかったんだよ」

「いろいろとアブナイ魔法だから、パパがもしもの時にしか使っちゃダメって言ってたニャ。それに、この魔法を使うとキョータロウにも負担がかかるニャ」

「お、俺に反動が来るのかよ……」

「まー安心するがいいニャ。うまくいけば問題ないけど、失敗したら…………お察しくださいだニャ」

「ちょ、ちょっと待てよ! それってとってもリスキーな手じゃないだろうな! いやだ! 俺は死にたくなぁい!」

「グァアアアアアルウルルルルルルルルルル!」

 しかし四の五の言ってもマーナガルムは止まってくれない。現状、狂太郎はリリスの示した『奥の手』に頼るしかないのだ。

「こうなったらその奥の手にかけるしかねぇ! で、それは具体的になんなんだよ!」

「キョータロウとワガハイが正式な契約を結ぶのニャ」

「契約……」

「主従契約だニャ。ワガハイとキョータロウの精神を同期させて、一心同体となるニャ。それが契約だニャ」

「契約して……それからどうするんだ?」

「契約するともれなくワガハイは悪魔の力を得ることができるのニャ」

「まじかよ……」

「なんだかよくわからないが、とにかく契約すると、ワガハイのチカラをせき止めていた枷というやつを解放できるそうだニャ」

「なぁるほど。お前のチカラの解放のために、それを制御する“主”が必要になる、だから俺はお前と契約すると」

「そーいうことだニャ」

「それってフツーの人間の俺でもできるのか?」

「…………オトコはドキョーだニャ」

「お茶を濁す気かテメェ!」

 狂太郎はリリスの耳を引っ張ろうとするが――

「グァアアアアアルウルルルルルルルルルル!」

 マーナガルムの空を突き破るような絶叫で手を止める。言い合っている暇はもうない。

「こーなりゃヤケだ! お前と契約してやる!」

「ニャー、これでワガハイとキョータロウは運命共同体の主人と下僕だニャ」

「ああ、運命共同体……。異世界の教会に指名手配される身とは……」

 何のかんの言って、チキンな狂太郎には荷が重すぎるのかもしれない。

「とにかく時間がない! その契約ってどうするんだ!」

「すぐ済むニャ。キョータロウ、羊皮紙と羽ペンはないかニャ」

「ここは日本だぞ! ちなみに半紙も筆もねぇぞ!」

「なんでもいいから紙と書くものが欲しいニャ」

「よ、弱ったぞ。ペンも紙もないぞ……」

 なにせ現代っ子。スマホがあればメモ用紙もスケジュール表もいらないため、現代人は紙とペンを不携帯でも問題がなかったりする。

「なら、これで代用するニャ」

 そう言ってリリスが掲げたのは――なんと、狂太郎からパク……もらい受けたタブレット端末である。

「これのメモ帳アプリで事足りるニャ」

「ま、マジかよ……。電子データで契約OKとかIT企業みたいだな……」

「媒体は別に何でも構わないニャ。あとはキョータロウ、ワガハイは契約のための『呪文』をそちらに出力するから読むがいいニャ」

「呪文を出力……って」

「ウニャァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

 とリリスは絶叫する。するとリリスの身体もマーナガルムよろしくオーラに包まれる。リリスの場合、そのオーラの色は紅いものような紫の光だった。

「お、おいリリス!」

「キョータロウ、ワガハイは契約のための力を呼び寄せているニャ。キョータロウはワガハイと精神を同期させるため、呪文を読むニャ」

 そう言われた狂太郎の手に持つタブレット端末――その白い背景の上にゴシック体の文字がおもむろに出力された。ご丁寧に呪文は日本語で出力されている。

「と、とにかくこれを読めばいいんだな」

 狂太郎はおそるおそるそれを読む――

「えーと……我は魔王、この世の覇道を往く絶対悪」

「われは、魔王、この世の、覇道を、ゆく、ぜったい悪……」

 狂太郎のあとにリリスが続く。

「我は下僕、魔王の頸木につながれし、盾なる護衛者」

「われは、下僕、魔王の頸木につながれし、盾なる護衛者……」

「魔王は下僕、下僕は魔王」

「魔王は下僕、下僕は魔王」

「我らは一心同体」

「我らは一心同体」

「しかし、我は真なる魔王なり。下僕たる魔王の娘を頸木に繋ぐ――」

 狂太郎がそう述べると、リリスの首に透けた黒いヒモが巻かれた。二人の同期状態から、制御権が狂太郎へと移される。

「邪悪なる下僕よ、その大河の堰を切れ。力の奔流を解き放て。魔王の血よ、その滅びの記憶を呼びさませ――」

 狂太郎は呪文を述べたあと、すぐさまリリスへと目を向けた。

(魔王の血、滅びの記憶……って)

 狂太郎の脳裏にいやな思いが浮かぶ。それはまさしく、マーナガルムが話していた『滅びの遺伝子』のことではないのか……と。

 リリスのチカラの解放とは、まさか……

「ニャァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

 ぶち、ぶち、ぶち。

 リリスが自身愛用の服を突き破って巨大化した。その姿は、猫というよりマウンテンゴリラと形容したほうが早い。

 悪魔へと変貌を遂げた。いや、悪魔の王である、魔王。

「あっ……」

 思わず狂太郎も言葉を失う。その身体はなんと3メートル。狂太郎二人分の高さで、もはや大型動物レベルのスケールだ。未だ頭に猫耳は健在であるが、その身体にはもじゃもじゃと黒い毛が生えている。ハダカであるが、そこにか弱さは微塵もない。すべてが黒い毛で覆われ、獣と化している。直立し、巨大化した猫の姿だ。日本には、人の死体を担いでいく猫型の『火車』という妖怪がいるが、まさしくその妖怪のような姿だった。

「そ、それが魔王の血の力……か」

 それを見たマーナガルムも目を丸くしている。大きかったマーナガルムの姿が相対的に小さくなっている。

「ニャアアアアアアア!」

「リリス……。お前……」

 しかし、狂太郎の声は届かない。もはやそこにリリスの聡明なる理性はない。

 巨大化したリリスはのっそりとマーナガルムへと近づく。石のように固まっていたマーナガルムの胴体を――両手でわしづかみ、そして地面へと叩きつけた。

「アォオオン――!」

 悲鳴をあげるマーナガルム。あんなオーラを放っていたというのに、ただ一回、叩きつけられただけで満身創痍である。

「ニャアアアアアアアアアアアアア!」

 巨大化したリリスは諸手を挙げて咆哮の声を上げる。ジャングルの王のような風格。しばらく満足げにおたけびを上げたあと、ギロリ、と黄色い妖しい目でマーナガルムに視線を落とす。

「ニャアアアアアア――!」

 今までのお返しと言わんばかりに、リリスは拳を地面へと叩き込む。すると隕石が落ちたみたいなクレーターが一瞬で形成された。

 リリスはドンドンドンと残り三つのクレーターを形成する。計4つの穴は、しかしマーナガルムの身体に一つも当たっていない。しかし、もしも一部でもあたっていたならマーナガルムはあの世に行っていただろう。それほどまでに、圧倒的な恐怖。

「アオォオオオン……」

 教会の犬、マーナガルムは無様に吠えるしかなかった。

 リリスは恐怖をも武器にして、鳴き声を上げる。もはや戦いではない、一方的制圧(リンチ)だ……

(これが魔王の血だっていうのかよ……)

 自分がいままで妹のように育ててきた存在。それがこんなにも大きくて強く恐ろしい。

 これって……

(めっちゃカッケーじゃん)

 なんて男の子なことを狂太郎は思ったりする。やはり常人とは思考がズレているようだ。

「ストップ、ストップ、ストォーップだリリス」

 狂太郎はリリスに声をかけつつ、地面にへばっていたマーナガルムへと近づいた。

「マーナガルムさんよ。これで分かっただろ、俺たちに逆らったらどうなるかってことが」

「…………お前は、これでいいのか」

「いいんだよ。俺はリリスを使って世界征服を成してやる。それで教会ってヤツが敵になるってんなら、返り討ちにするまでだ」

「魔王の娘を存命させると、やがてこの世界が滅ぶのだぞ……」

「そんなの、後になって考えればいいんだよ。宿題のレポートと一緒だ。無理難題でも、なんやかんやでできちまうんだ。要は、リリスに世界を“滅ぼされ”なきゃいいんだろ? それなら何の問題もない。きっとなんとかなる」

「なぜ、そんな自信がお前にあるんだ……」

「そりゃ、あいつは俺の下僕だからだ。俺はあいつに負けねぇよ」

 そう狂太郎は軽々しく言い放った。

「ニャァアアアアアアアアアアア!」

「リリス、お前いつまで叫んでんだよ」

 そのリリスにはもはや理性がなくなっているというのに、狂太郎は恐れない。

「元に戻れ、リリス」

 狂太郎はバッと正面に拳を突き出し――それを放す。

 そこから白い粉が飛び出た。それは大家さんからもらっていたマタタビだ。

「ニャアアアアアアアアアアア……」

 とたんにリリスの身体がしぼんでいく。後に残ったのは小さく元に戻ったリリスの姿だけだ。

「リリス」

「うにゃあ、キョータロウ……」

「まったく、お前は無茶しやがって」

 狂太郎はリリスを抱き留める。その身体は白い裸で小さく、そしてぽかぽかと小春日和のように温かかった。

「リリス、まぁいろいろあったがこれでコングラッチュレーションだ!」

「ワガハイたちが勝ったのかニャ……」

「まーな。これで俺たちの選挙は勝ち――」

 そう言って、マーナガルムのほうを向くが、そこにマーナガルムの姿はない。

 代わりに、豆柴が四足で立っていた。

「はえ……? な、なんで狼から犬に変わってんだ!」

「……どうも魔力切れで、この姿に戻ってしまった」

「そっちがデフォの姿かよ。俺たちが手こずっていた正体はこんな豆柴だったとは……って」

 そこで狂太郎は衝撃の事実と激突する。

「その姿になられちゃ俺の功績はどう証明すればいいってんだよ! この豆柴ちゃんが暴漢の正体でしたーなんて言っても俺が頭おかしくなったみたいに見られるだけじゃねーか!」

「そんなこと、ワタシは知らない」

「なにが知らないだぁ! どーすんだよ! 俺たちの選挙は……」

 狂太郎はそうして荒く二酸化炭素を吐き出した。

「ま、キョータロウ落ち込むでないニャ」

「なに言ってんだよリリス、俺たち、これじゃあ落選確定だぞ! あのメガネ生徒会長に善良ニンゲンにされるんだぞ!」

「そんなこと、ワガハイにはもうどうでもいいニャ」

「な、なに言ってんだよリリスお前……」

 そう言ったリリスは、狂太郎のほおに向かって、そして――口をつけた。

「なっ……」

「まさかキョータロウ、ほっぺにチューもまだだったかニャ」

「それくらいは妹にされたことが……って、なんでおもむろにチューを!」

「キョータロウへの忠義の証だにゃ。ワガハイはこの狼との戦いで大切なもに気づけたニャ」

「大切なモノ……」

「キョータロウ、ワガハイはキョータロウがいればそれでいいニャ。世界征服なんてもういらないニャ。それだけで満足だニャ」

「リリス……」

「だからキョータロウ、これからはワガハイと一緒に、善良で、フツーでおもしろおかしく日常を過ごそうニャ。それもきっと悪くないと思うニャ」

「平穏な日常……か」

 それは妹――莉々を失くすまで、狂太郎が忘れていたものだった。

 それが、ようやく狂太郎に戻ってくる。そんな幸せ、平坦で何の面白みもない。

 なんて、かつての狂太郎は言っていたが――

「リリス、俺は――」

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