第四幕 滅びの運命 C

 外が暗闇の世界に変わったころ。

 ちょうど9時。よい子は寝る時間であるが、狂太郎たちは戦いの準備をしていた。

 腹が減っては戦ができぬというわけで、すでに夕食は平らげている。リリスは狂太郎の自家製カレーを大層気に入り、ぺろりと5人前を平らげていた。狂太郎はしばし食費のことを忘れて、リリスと笑いあっていた。

「しかしキョータロウは本当に料理の天才だニャ」

「よせやい、料理なんて、ネットとかテレビとかのレシピを見よう見まねでやってるだけだ。初めて作ったカレーなんてロクに食えたもんじゃなかったぜ」

「ニャー、誰しもサイショはうまくいかないのかニャ」

「初心者がよくやる間違いでな、インスタントコーヒーやらメンツユやらジャムやら……いろんなカレーの“隠し味”を入れて煮込んだら、摩訶不思議な味のカレーができちまってな」

「そうだったのかニャ」

「隠し味ってのは文字通り“隠さ”なきゃいけないもんだ。そういうのがわかるようになるまで結構時間がかかったさ」

「日々精進だニャ。ワガハイもキョータロウを見習って……今度はデザートのプリンを食べるニャ!」

「んなもんついてこねーよ。ここはファミレスじゃねぇ」

 いつものように狂太郎はリリスの頭を抑える。にゃ、と目をつぶるリリスの姿を見ると狂太郎の心が洗われる。

 その手には子供用の、ファンシーなスプーン。そして皿も小さなもの。

 まるで最初からリリスが来ることを想定していたみたいに、子供用の食器が揃っていた。そのことについて、リリスが気づかないわけがない。リリスの頭脳は、見た目とかけ離れたトンデモである。

「キョータロウ、ずっと気になっていたんだがニャ」

「……なんだよ、リリス」

 リリスはスプーンを置いて、狂太郎をじぃっと見つめた。

「キョータロウは、どうして“一人”なのかニャ」

「はっ……」

 狂太郎は口をぽかんと開けた。

「ワガハイはずっと不思議に思っていたニャ。キョータロウにもきっと、パパやママ、もしくは妹や弟がいたはずだニャ。それがどうして一人でいるのかって」

「……そういうお前も、一人じゃねぇかよ」

「……キョータロウももしかして、ワガハイと同じなのかニャ」

 同じ――天涯孤独。

 リリスの両親――大魔王とその妻は異世界で殺されたそうだ。

「お前と同じってわけじゃないが……なぁ」

 曖昧に狂太郎は返答する。その狂太郎の態度にしびれを切らしたのか、リリスはスプーンを手に持ち狂太郎に突きつける。

「このスプーン、うっすらとペンで名前が書かれているのがわかるニャ」

「…………」

「“リリ”とは、誰なのかニャ」

 狂太郎は軽くため息を吐いた。まるで尋問をされているよう。しかも相手は大魔王の娘だ。ウソを吐けば舌を抜かれかねない。

「お前はほんとうにデリカシーってのがないのな」

「デリカシーとは、『繊細さ。感覚や感情のこまやかさ』のことかニャ」

「子供にデリカシーなんて言葉通用しないか……」

 狂太郎は観念する。

「別にお前に隠しておこうとしていたわけじゃないんだけどな……。ちょっと、込み入った話で、俺自身話しづらかったからよ……」

「キョータロウ水臭いニャ。ワガハイとキョータロウの仲だニャ、で、リリとやらはキョータロウの何なのニャ」

「……ちょっとついてこい」

「ニャ?」

 狂太郎は手招きする。

 狂太郎は黙って廊下へと歩いていく。電気もつけずに暗い廊下を歩く。リリスも黙った静かについてくる。

 そして、入り口右の、リリスが開けたことのない“部屋”の鍵を、狂太郎は開ける。カチャリ、と金属の擦る音のあと扉が開かれ、そこからなぜか、線香のにおいが微かに漂ってきた。

「ここは……」

「母さんと莉々……俺の妹の部屋だったんだ」

 そこには2段ベッドがあった。白と青の積み木みたいなベッドの上にはデフォルメされた動物の人形がずらりと並んでいる。1段目のベッドにはいくつかの健康グッズがある。

「母さんと莉々はこの部屋で二人いっしょに寝起きしていたんだよ。まぁ、アパートだから部屋が少ないからな」

「確かに狭いニャ。でも、ちゃんと勉強机もあるニャ」

 リリスはベッドとデザインの似た勉強机を見る。それは狂太郎の妹であったリリのモノである。机にはファンシーなキャラのシートが引かれ、そして教科書類が時が止まったみたいに積まれている。

 まるで突然、この部屋の使用者がいなくなったみたいに、部屋は時を止めていた。

「母さんのモノは、ほとんどリビングにあったからあまりここにはない。それに、母さんは…………」

 そこで狂太郎は言葉に詰まる。さすがのリリスも狂太郎のうつむいた表情を見て声をかけられない。

 ただその視線を追う。その視線は部屋の奥へと向かう。

 そこに、ひっそりと母親の遺影があった。

「たしかこれは……」

「遺影だ。俺の母さんは死んでいる。7年ほど前、俺がまだ10歳の頃だ」

「そう……だったのかニャ」

 母親の死。その切なさと苦しさをリリスは身をもって知っている。

 異世界という、この世界以上に死が隣り合わせな世界であってもそれは酷く重く苦しいものである。なくなるということは、どのようにも処理ができないことである。

 思いを伝えることもできなくて。相手に触れることもできなくて。

 その笑顔も二度と見れなくて――

「母さんは交通事故で亡くなった。7年前に……。それ以来、俺は妹と二人でこのアパートで暮らしていたんだ」

 狂太郎は部屋の奥、桐材で作られた仏壇へと向かう。そこに、いつものように線香を立てる。

「キョータロウの妹……リリかニャ?」

「ああ、俺の大切な妹……だったんだけどな」

 狂太郎は勉強机の上の写真立てを手に取る。そこには学ランを着た狂太郎と、ランドセル姿の莉々りりが、花弁を散らす桜の木をバックに写っていた。

 妹、莉々は満面の笑みを浮かべていた。ぷっくらと膨らんだ頬と、黒い長い髪。小学校の制服を着た莉々の姿は心が洗われるほどの無邪気さを放っていた。

「これが莉々とやらかニャ。キョータロウの妹だけあってカワイイニャ」

「その言い方じゃ俺がカワイイみたいな誤解を受けるぞ」

「キョータロウも女装すればきっと……」

「んな需要はねぇからな!」

 しんみりとした空気をぶち壊すようなやりとり。しかしそんなやり取りはむしろ狂太郎にとってはありがたかった。

「莉々とも、よくバカみたいなやりとりしてたなぁ……」

「そうなのかニャ?」

「ああ。あいつ野菜嫌いでさぁ。『どーしてニンジンを食わねぇんだ』って言ってやったら『ニンジンって漢字で書くと「人参」で人が参るって書くじゃない! そんな参っちゃうようなモノ食べれるわけない!』って屁理屈をこねやがってさ」

「にゃはははは! さすがキョータロウの妹だニャ、ソーメイな上に策士だニャ」

「ほんと誰に似たんだか……」

「きっとキョータロウに似たんだニャ」

「んなわけねーよ。俺に似てたら、あんなにかわいかねぇよ……」

 狂太郎は照れることなく、莉々への想いを述べる。

「たしかにキョータロウのような邪悪さは感じられないニャ」

 リリスは写真立ての莉々を見てつぶやいた。

「これは桜が咲いているから、4月の写真かニャ」

「そうだな。4月の、莉々の入学式の写真でな。俺は父兄として入学式に出席するため、学校サボって来てたんだったな。当時は俺は小6だったが……」

 妹の入学式のために学校をサボる中学生なんて、今の時代そうそういないだろう。

「父兄……。その頃はもう、キョータロウと莉々のママは死んじゃってるんだニャね」

「そうだ」

「じゃあ、キョータロウの……パパは?」

 狂太郎も人の子である。父親もいるし、母親もいる。たとえ今現在いなくとも、父親無くては狂太郎は存在しないのだ。

「俺の父親は……いねぇよ」

「いない? まさか死んじゃったのかニャ?」

「違う……。俺の家は母子家庭なんだよ。少なくとも俺が物心ついたころにはいなかった。父親って存在は、テレビの中でしか知らなかったよ」

「キョータロウの父親はキョータロウが生まれたあと、どこかに行っちゃったのかニャ……」

 育児放棄。なんて話は現代だけの話じゃない。それこそ、法整備のない異世界では父親のいない子供、果ては両親のいない子供なんてものがざらにあったのだろう。

 だが、狂太郎は違う。

「生まれるどころか、結婚する前に別れた……そう聞いている」

「それは……どういうことなのニャ」

「俺もよくわかんねぇんだよ。伝聞だから、確かなことは分からないけど……。母さんは昔ある男と交際していた。でも、ある事情によって別れてしまった」

「それで……」

「でも、母さんはそのとき身ごもっていた。母さんは身ごもったことを、その別れた男に言わずに俺を育てた……」

「ニャア……そうだったのかニャ」

「莉々のほうも、どこの馬の骨ともわからない男の間から生まれた……みたいでな。俺たち兄妹は異父兄妹で、そのうえその父親がいないってわけさ。何気に壮絶な生まれなんだよ。大魔王の娘のお前に比べりゃ、大した話じゃないだろうけどな」

「キョータロウはその、父親のことは知らないのかニャ」

「あれは父親じゃない」

 狂太郎は冷たく言い放った。

「……言った通り、俺の生物学上の父親ってのは母さんと結婚もしてないヤツだ。母さんにも、その父親にもいろいろ理由があって別れて……そのうえで母さんは俺を育てたんだ。だから俺には……生物学上の父親が存在しても、戸籍上の父親はいない。俺は母さんから生まれた。莉々も母さんから生まれた。それだけだ」

「そうなの……かニャ」

 狂太郎の冷たいもの言いに、少しリリスは顔をひきつらせた。いつ何時も余裕のある狂太郎が、なぜか“父親”のことになると狩りをするケモノのように怖くなる。

 それほどに――“父親”という存在を拒絶しているのか。

「と、とにかくキョータロウのママは死んじゃったのかニャ。でも、じゃあその莉々とやらはいまどこに……」

「莉々は…………いない」

 狂太郎はまたしんみりとつぶやいた。

「いない、とはどういうことだニャ? どこか別のところで暮らしているのかニャ、それとも……」

「莉々はいなくなった。行方不明になったんだよ……」

「ニャ……」

 このアパートには“莉々”という狂太郎の妹が存在した。

 その痕跡はいまもこの家の中にある。リリスが着ていた服、下着、食器、アニメのDVDなど……。

 リリスぴったりのサイズの服がたまたまあったのも――ただ、莉々の古着をリリスに貸してやっただけである。ちょうどリリスと莉々の背格好が同じであったため、服も下着もぴったりだったのだ。

 だが、その莉々はいない。ただ莉々の品々が、痕跡が家の中に残っている。

「あいつは……学校でいじめられてたんだよ」

「イジメ……かニャ」

「あいつは俺以上に食わせもんで偏屈なヤツで、それは外でも一緒だった。そういう莉々の言動を理解してくれるやつもいたけど……。でも、小学校の世界だ。莉々は、クラスのとある女子3人に、陰湿なイジメを受けていた。アイツのプライドからか、イジメのことは一度もあいつから口にされなかった。全部あいつがいなくなってから知らされたことなんだけどよ……」

 狂太郎は重油のようなねっとりとした過去を思い起こす。あのいつも笑顔を絶やさなかった莉々。その笑顔の陰で、莉々はイジメという世界の影と戦っていた。

「ただのイジメで終わるだけだったら、まだよかった。でも、莉々は、あいつは運が悪かった……。あいつが小学4年のときだ。遠足で奈良の南部――吉野のほうの山に登ったみたいなんだけど、そのときあいつの班に、不運にもイジメを行っていた女子3人がいてよ。そのうちの一人の命令であいつは『荷物持ち』をさせられたんだ。班全員の荷物を運べって……命令されたみたいだ」

「荷物持ち……。そんな……。山登りで、ほかの人の荷物を運んでだなんて……無茶だニャ」

 人外のリリスでさえも容易に推測できる話だ。しかし相手は小学生、それが理解できるかできないか――微妙な年ごろだったのだろう。

 もしくは、理解しながら強いたのか。

「あいつはたぶん、負けん気なところがあるからさ、馬鹿正直に班全員の荷物を持って行って、澄ました顔でいじめっ子をあざ笑おうとしたんだろうけど……。でも班全員、6人ぶんの荷物なんて持っていけるわけもない。そのままあいつは……みんなとはぐれて、それで…………」

「遭難、したのかニャ」

「……おそらくな」

 狂太郎は熱い瞼を押さえた。

「先生の点呼で、莉々がいなくなったことがすぐに分かった。莉々の学校の先生とかが必死になって探して……。警察も呼ばれて、そして、俺にも連絡が来て……」

 狂太郎の脳裏にあの緑の山の風景が浮かぶ。ただ残酷なほどに緑が広がり山がそびえる吉野の風景。

 その中で、莉々はいなくなった。

「警察の捜索で、莉々の班のリュック――莉々が背負わされた荷物だけが見つかった。でも、それを背負っていたはずの莉々はいなかったんだよ。登山道を辿っても、遡っても、人海戦術で探してもヘリコプターで探しても……莉々は現れなかった。まるで神隠しにあったみたいに、莉々がいなくなったんだよ」

「…………」

 「いなくなった」――遺体が見つからなかった莉々は“行方不明”として届けだされたのだ。

 それゆえ、いなくなっても莉々の葬儀も位牌もない。山で遭難して1年以上も経って生きているなど――恐ろしく低い確率であろうことは狂太郎は重々承知している。

 遺体がないだけで、おそらくは莉々は――

「俺は憎んだよ。どうして神様ってやつは莉々を“消した”んだってな。そして、莉々をイジメていたやつらを恨んだ。そいつらも……おそらく莉々を遭難させようとまでは考えてなかったのかもしれない。でもそいつらがいなければ、莉々はいなくならなかったんだ。怒り狂った当時中学生だった俺は――そいつらの家族に犯罪スレスレの報復をしてやったんだ」

 ネット上に莉々をイジメたやつらの家族の実名と写真を上げる。それをネット掲示板のハイエナのエサにしてやって血祭りにあげる……。運よく狂太郎は警察の目をかいくぐることができたのだが……。

 そんな腹いせの報復をしても、莉々は還ってこなかった。

「それから俺はずっと世界ってやつを恨んださ。どうして俺たちには不幸ばかり襲い掛かってくるんだってな。俺たちはなにも悪いことなんてしてない。まっとうに、普通に生きていたんだ! それがどうして、どうして悪魔に憑かれたみたいに、こんなふうにみんな……家族がいなくなってしまうんだってな……」

 狂太郎は強く拳を握りしめた。

「もし、もしも……。俺たちが普通の、まっとうな家族だったらこんなことにはならなかったんじゃないかって……思うことがあるんだよ」

「全うな家族……」

「父親が健在で母親が健在、ただそれだけの、普通の家庭さ……。そんな世界だったら、俺たちは不幸じゃなかったんじゃないかって……。無性に、身勝手に思ってしまうんだよ」

「キョータロウ……」

「だから俺はこの世界ってやつが大嫌いなんだよ。俺たち家族を不幸にした、悪魔に取り付かれたような世界がさ。そんな考えも、俺の身勝手だけど……」

「キョータロウが世界を変えようと思ったのは、そんなことがあったからなのかニャ」

「ああそうさ。俺たちの家族を奪った世界への復讐だ。まぁ……そんな熱い思いも、お前が現れるまではすっかりくすぶってたんだけどな……」

 狂太郎は自嘲気味に、小さく笑った。

「時折さ、お前を見てると莉々のことを思い出すんだよ」

「ニャ? ワガハイは、莉々と似ているのかニャ?」

「性格はてんで違うけどさ、容姿がそっくりなんだよ」

「まさか莉々のアタマにも猫耳が生えていたのかニャ」

「生えてねーよ。お前のその黒髪がさ、莉々そっくりなんだよ」

 狂太郎はおもむろにリリスの髪をなでた。リリスはどこか恥ずかしそうに眼をつぶっている。

「うニャー、ワガハイは莉々ではないニャ。ワガハイはリリスだニャ」

「そうだな。お前はリリス、莉々じゃない」

「きっと莉々は生きているはずニャ」

「おもむろに何言うんだよ。そんな確証、どこにもないだろう……」

「魔王の娘たるワガハイが断言するニャ! キョータロウ、見事この世界を征服できたならこの世界の軍隊を使役させて莉々を探させてやればいいニャ。そうすればきっと見つかるニャ」

「バカ野郎、軍隊なんか使わなくてもドローンでも使ってやればいい。なんにせよ、俺は莉々が見つかるなら、なにを犠牲にしたってかまわないけどな」

「ワガハイは早く莉々に会ってみたいニャ。この服のお礼もしなきゃならないし」

「そうだな……」

 二人は、狂太郎の母の仏壇に手を合わした。

(母さん、俺はこの世界ってやつを征服して、莉々を探し出してやる。そのためなら、魔王の娘でもなんでも利用してやる。だから――)

 決意を新たに、狂太郎はいなくなった二人の部屋を後にする。

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