第四幕 滅びの運命 B

「で、キョータロウ。これからどうするかニャ」

 放課後。

 狂太郎とリリスは小売山城跡公園にいた。城跡ゆえに、ここには城はなく、石垣で組まれた堀と、再現されたと思われる櫓と門があるだけだ。あとは資料館的なものがあったりなかったりするそうだが、地元民だからこそ逆にそういうことに疎かったりする。

 そんな平日は人っ子一人いない野ざらしの広場に狂太郎はどういうわけかやってきた。

「まずは実地調査だな」

「ニャ?」

「俺は今日一日、授業なんか聞かずに考えたんだがよ」

 狂太郎はいつも授業のことなんか耳に入れてないのだが。

「落ちた評判ってのは、取り戻せないものなんだぜ」

 狂太郎は静かにそう言った。

「ニャー、たしかに、芸能人とか、不倫とか発覚しちゃえばしばらく表舞台に立てないニャ」

「人のうわさも75日というけれど、世の中の人たちはそう簡単に忘れてくれねぇ。日本だと特にそうだ。罪人には罪人のレッテルを。経歴に少しでもキズがあれば会社面接で落とされる。選挙も同じだ。ワイロを働いた人間や、不倫してたエロオヤジなんかに、誰が票を入れるかって話だ」

「ニンゲンの世の中って醜いニャ」

「だろう? ほーんとみみっちいことでマスコミは騒ぎやがる。だから、政治家ってのは品行方正でなきゃならねぇ。経歴に傷のない宝玉のような人間しかなれない……ってことになる」

「そんな人間いるのかニャ?」

「いるわけねーだろうが。だからみーんなだましだまし、そして相手の荒探ししながら、自分の傷を隠しているのさ」

「で、悪いことが発覚すると?」

「俺のようになるってワケよ」

 つまりは、悪いことをしなければいい話なのだが、人間はそんなにいい子ちゃんじゃない。

「こうなったらもうどうしようもない。ヘタに他人に罪をなすりつけようとしてみろ、それが発覚すれば泥沼だ。落ちるまで落ちていくしかない。謝罪しようが頭を丸めようが、やったことを帳消しにはできない。今の社会、記録ってのは残っちゃうもんだからごまかしようが利かないんだ」

「ネットに拡散されちゃったら火消しできないニャ。未来永劫ずぅっと残っちゃうニャ」

「だから罪ってのはどうしようもできない。油性マジックで書かれたみたいに消せないんだ」

「じゃあ、もう狂太郎はお手上げかニャ?」

 とリリスはどこか心配げな声を出す。しかし、狂太郎は笑みを浮かべている。

「バカ野郎、消せないもんを無理に消してどうするよ? 消せないなら、そのままにしておくしかないだろうがよ」

「ニャ? じゃあ、狂太郎は選挙で負けちゃうだニャ」

「負けねーよ。罪ってもんをぬぐえないなら……それを上書きしてやればいいんだよ!」

「ニャ?」

 リリスが首を傾げて鳴いた。

「マンガでよくあるだろ? 不良っぽいキャラがおもむろにいいことすると担ぎ上げられるって話が」

「ニャ、ジャイアンがいいことするとめちゃくちゃいいヤツに見えちゃうような話かニャ?」

「まぁだいたいそうだよ。いいか? 経歴に傷がついても直せない。だけど、経歴は上書きできる。どんなろくでなしでも、世界を救うような善行を行えばそれは英雄だ! いわゆる悪人正機説ってヤツさ!」

「ニャー! 偉人や英雄と呼ばれているヤツらの中にも、過去がろくでなしだったヤツがごまんといるが、そんなこと、偉いことやすごいことしてしまえば真っ白になるんだニャー」

「そういうこったぜ。世の中ってのは複雑に見えて、意外と単純だ。要は……ロクでなしの経歴を払拭するほどの“善行”を行えばいいってことなんだよ!」

「単純明快だニャ! つまりキョータロウが英雄になればいいのかニャ!」

「そうだ! 俺はジャンヌダルクだぁ!」

 ジャンヌダルクは見目麗しい少女なのだが、突っ込むのは野暮である。

「だがキョータロウ、英雄になるためにはどうするのかニャ? ドラゴンを倒すかニャ? 日本なら鬼を倒すかニャ、巨人や悪魔を倒すかニャ? それとも女風呂に忍び込むのかニャ?」

「最後のは英雄じゃなくてヘンタイだろうが……。この世界はRPGじゃないし、ドラゴンも鬼もいねぇぞ」

「ニャー」

「でも魔王の娘がいるから、オマエを絞め殺せば……」

「ニャニャア!」

「安心しろ、オマエの寝首は掻かねぇよ。そんなことしたって俺は英雄視されない」

 首を押さえて唸っていたリリスを、狂太郎は耳を撫でて抑えた。

「しかしお前を抜くと、この世界には英雄のための噛ませ犬たる、魔物がいないんだよ」

「ニャー、ネットにオバケの出没情報ならたっくさんあるニャ」

「騙されるな。それ99パーセントはデマだ」

「残りの1パーセントは?」

「お前みたいなのがもしかしたら地球の裏側にいるのかもしれないけど、そんなもの探す暇なんかない。だからオバケ探しは却下だ」

「じゃーどうするのかニャ?」

「オバケなんかいなくても、この世界にも魑魅魍魎の類がいるんだよ」

「ちみもーりょう?」

「“ニンゲン”っていう魑魅魍魎がな」

 狂太郎は一枚のコピー用紙を取り出した。そこにはワードのテンプレで書かれたみたいな面白みのない連絡事項が書かれてあった。

「これは学校から配られたプリントなんだけどな。どうも最近、この辺りに正体不明の“暴漢”が徘徊しているみたいなんだ」

「ならず者がいるのかニャ?」

「ここいらはそんなに治安の悪いところじゃないんだけどな。どういうわけか、見計らったようにこの暴漢が現れた。目撃情報はあれど、夜中に遭遇したもんだから、相手の姿形もろくにわかってないそうだ。日本人か外国人か、男か女か大人か子供か老人か、それとも……人ならざるものか、もな」

「ニャー。この国のケーサツとやらも怠慢だニャ」

「ちなみに聞くがリリス、この“暴漢”まさかお前じゃないよな?」

「ニャ? ワガハイが他人にボーリョクを振るうような、そんな礼儀知らずに見えるかニャ? ワガハイはママによって清く正しく育てられ、パパによって黒く悪く育てられたのニャ!」

「そーかい。いや、見当違いなことを聞いて悪かった。一応確認しただけだ」

 狂太郎は頭を掻いた。もしかしたら、リリスがここにやってきたことと関連があるのかと思われたが、リリスの素の顔を見る限り関連がなさそうに見える。

「とにかくこの町に暴漢がいるんだ。しかもその暴漢はちょうどこの公園あたりで、つい3日前、我が小売山高校の生徒を襲ったんだ。幸い、擦り傷程度の負傷で逃げおおせたみたいだが……」

 狂太郎はプリントに目を落とし、淡々と語った。

「この暴漢の正体がなんなのか、俺にはどうでもいいことだ」

「ニャ? じゃあ、どーしてそんな話をするのかニャ?」

「ここでさっきの話に戻る。俺の選挙と、俺の罪の話だ。俺の罪を徳政令みたいに帳消しにするためには、俺が英雄的な行いをすればいいって話だ。魔王もいない、オークもいない、スライムもいないこの世界で英雄になるには、ならず者を倒すしかない」

「つまり……その、暴漢とやらをキョータロウが倒せば」

「俺が英雄になる!」

「なるほどガッテンだニャ! 話がつながったニャ! だからキョータロウはこの城跡公園とやらに来て、犯人を待ち伏せしていたのかニャ」

「待ち伏せというか下見だよ。暴漢は深夜にここに訪れたから、昼間には現れないと思うし」

 狂太郎の逆転の策、それはあまりにも暴力的な策だった。要は『英雄』になる。学校を、町をおびやかす暴漢を懲らしめて、その手柄によって自分のロクでなしの経歴を帳消し、そして選挙のアピールポイントにして、選挙を勝ち抜こうというものだ。

「暴漢を倒したっていう肩書きがあれば、俺を見る目が変わるだろう。昨今ではテロや暴動ってのが取り上げられて、みぃんな潜在的にそういうものに恐怖心を抱いている。そこに付け込んで、暴漢を倒した『英雄』が生徒会長に立候補! 暴漢を倒したノウハウを生かして学校の治安維持を強化するとかなんとか、テキトーなこと言ってれば票があつまるかもしれない」

「おおおっ! キョウフを逆に味方に付けるとは、キョータロウは魔王だニャ!」

「選挙ってのは悪者に成っちゃ負けだが、逆に悪者を利用したらいいってわけさ。ホンモノにしろ、架空にしろ、“悪者”ってのを設けてやって国民を煽る!」

「どこかの大陸の国がやってる手口だニャ」

 どこの国とは言わないが。

「まぁ、悪を味方に――いや、架空の敵にするにしろ、計画を立てないといけない」

「でもキョータロウ、暴漢なんてそうカンタンに来てくれるのかニャ?」

「そこが問題なんだよなー」

 狂太郎の知る“暴漢”という存在は、名前も姿も知らない、とある生徒が襲われた謎の人物である。

「というわけで俺は張り込みをするんだ」

「つまりは待ち伏せかニャ?」

「そうだ。犯人は現場に戻ると推理小説では言うが、俺はここで暴漢を待ち伏せする」

「でもそう簡単に現れるかニャ? もしかしたらもうこの町に来ないかもしれないニャ」

「それはもう、運だ。今日がダメなら明日、明日がダメなら……とにかく選挙の日までに俺は首を長くして暴漢を待つ! ダメなら俺に運がなかったと思うしかない。どうせ、俺に残された策はこれしかないしな……」

「ニャー、そんな低い確率を狙うなんて、ソシャゲのガチャみたいだニャ」

「ああ。ログインサービスで稼いだ“石”で、有名絵師が描いた美少女化された“暴漢”ちゃんをゲットする!」

「声はモチロン有名声優」

「うぅ……。暴漢のイメージってやつがどうにも定まらねぇ……」

 なぜか狂太郎とリリスのアタマには、きゃぴきゃぴとした美少女な暴漢が浮かんでいた。それはもはや暴漢ではない。

「でもキョータロウ、その暴漢を倒して英雄になっても、うまく選挙に勝てるかニャ?」

「なんだよリリス、俺が信じられねぇってか?」

「だがキョータロウが暴漢を倒したとして、それをどう伝えるかニャ? この世界には吟遊詩人はいるのかニャ?」

「人のことを面白おかしく言う『吟遊詩人マスコミ』ってのはうじゃうじゃいるけどな」

 そうぼんやりと狂太郎は言う。

「そこのところなら、ちゃんと手は打ってあるぜ。俺みたいなオオカミ少年が、暴漢を倒したなんて言ったって誰も信じちゃくれない」

「じゃーどうするのかニャ?」

「第三者に伝えてもらう。俺の熱烈な支持者にな」

 狂太郎の熱心な支持者……というと。

「詩恋と文月かニャ?」

「まぁな。あの二人に情報を“拡散”してもらう。ツイッターとかラインとかでな。あまり大事になったら厄介だから、あくまで学校内の友達に拡散するだけなんだがな」

「あの二人の協力なら安心だニャ」

「まぁな。詩恋ちゃんも文月先輩もあの容姿だから男女問わず人気なんだよ。それゆえ、二人の言うことなら誰も疑わない。美人のいうことにウソはないってみんな信じてくれるんだよ」

「ニャー、うまくいけばキョータロウの黒歴史が上書きできて選挙でだいしょーりだニャ」

「それもこれも、暴漢を倒せたらが大前提だがな」

「ニャー……」

 何事も実現させねば“絵に描いた餅”である。

 狂太郎は来るかどうか、実在するかどうかもわからない“暴漢”のために、張り込みをしなければならないのだ。刑事は足で稼げというものだ。もっとも、狂太郎は正義の刑事ではなく、魔王な高校生なのだが。

「ちなみにキョータロウ、暴漢が現れたら、どうやって戦うニャ? キョータロウがホクトシンケンであたーって倒しちゃうのかニャ」

「俺にはそんな力ねぇよ。なにせ俺の体育の成績は5段階評価で2だし!」

「きょ、キョータロウはいわゆるもやしっ子だったかニャ……」

「そうだぜ。俺の身体は障子紙レベルの耐久度だ!」

「キョータロウはスペランカー先生なのかニャ……」

 実際狂太郎の体力は乏しいものだ。それこそ、段差で一機失ってしまうほどの貧弱さである。典型的な現代っ子だ。

「安心しろ! 俺は戦わない! なにせ俺は策士だ! 策士たるもの、命を危険にさらしてはいけない!」

「しかしキョータロウ、やっぱり強いオトコじゃないと魔王として締まらないニャ。そんなのじゃ女の子にもてないニャ」

「う、うるせぇよ! 筋肉がもてはやされる時代は終わってんだよ!」

 狂太郎はドン、と胸を叩くが、それだけでゲホゲホとむせてしまう。ほんとうに耐久度がひどいようだ。

「それに俺には秘密兵器がある!」

「ニャ? サブマシンガンやC4爆弾、ロケットランチャーとかあるのかニャ?」

「俺はスネークじゃねぇよ! んなもん持ち歩いてる高校生なんて現実にはいねぇよ!」

「じゃあなにを持ってるかニャ?」

「それはお前だよ」

「ニャ?」

 とリリスは耳をぴくつかせた。

「お前の魔法があれば暴漢なんて一瞬にして消し炭だ! いや、本当に消し炭にしちゃ問題だが……。とにかく出力を抑えれば、暴漢を昏倒させることができる!」

「よーするにワガハイ頼りなのかニャ」

「ま、まぁそうなるが……」

「まーキョータロウの頼みなら、聞いてやらないこともないニャ」

「お前は下僕のくせに態度がでかいんだから……」

「キョータロウ! 見事暴漢を倒せたらご褒美をくれだニャ!」

 とリリスは笑顔で言った。

「ご褒美か。まぁ、万事うまくいけばご褒美くらいしてやるぜ」

「ニャニャ! じゃあここにワガハイのために城を立ててくれだニャ」

「んなもんはシムシティかマインクラフトでやれ! アパートのローン残ってんのにどうやって城なんか建てるんだよ!」

「そんなのは借金すればいいニャ」

「返すアテがねぇよ!」

「だいじょーぶ、世界を征服できたらいくらでも返せるニャ」

「んな理由じゃ銀行は金貸してくれねぇよ!」

 物騒なのか、冗談なのか。狂太郎とリリスのやり取りはいつものようにしっちゃかめっちゃかであった。それこそが、狂太郎の求めていた平穏でない日常なのだが。

「とにかくまぁ、そういうわけだ。あとは俺たちは天命を待つのみだ」

「ニャー、こんなところでワガハイはずっと待ちぼうけしなきゃならないのかニャ。晩御飯はどうするのかニャ」

「いや、本格的な張り込みは夜からだ。どーせ暴漢は昼間には現れないだろうし。念のためこの辺りにカメラを設置しといたから、見逃しはないだろうがな」

「それじゃー夜までおうちで英気を養っておくかニャ」

「そうだな。俺もお前もいろいろ準備しとかなきゃならないし」

 狂太郎は立ち上がろうとする。が、狂太郎の曲がった背中に、猿のようにリリスが登った。そのまま器用に狂太郎の頭まで到達する。

「な、なにをするお前……!」

「キョータロウの首を取ったニャ!」

「これは首を取られたというより……肩車じゃねぇか」

 リリスは狂太郎の頭をがっしりと掴んで狂太郎の肩に跨っている。肩車である。

「主人である俺のアタマに乗るとは、いい度胸だなリリス」

「ニャー?」

「俺のスピードに付いてこれるかぁ!」

「うにゃぁー!」

 狂太郎は肩車したリリスを乗せて全速力で走る。風に乗ったリリスは大はしゃぎである。もはやそこに魔王の娘の風格なんてない。狂太郎とリリス、お互いはまるで親子のように、もしくは年の離れた兄妹のように、垢抜けた笑顔を浮かべている。

 とても世界征服をするような二人には見えない。

 とてもこの平穏を憎んでいるようには見えない。

 狂太郎の真意というものは、狂太郎自身も分かっていないところがある。しかし、狂太郎にはどうしてもこの世界を心底から好きになれない理由がある。

(俺は……この世界が……)

 ずっとこの時間が続けばいいと思う自分と、この世界がなくなってしまえばいいと思う自分、そんな存在が狂太郎の心の中に居座っていた。

 夕日が沈んでいく。カタカタと赤い電車が城跡の脇を通り過ぎていった。

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