第三幕 驕る平家 B
そして放課後。
急きょ予定された、生徒会選再選による立候補者の演説が、講堂で行われることとなった。だが、突然告げられた生徒会選挙の再選に名乗り出たのは事の発端である狂太郎だけであった。
生徒たちがどこかつまらそうに講堂正面の演説台を目にしている間、狂太郎とリリスは舞台裏で待機していた。
狂太郎の手には原稿もなく、そして頭の中にも原稿はない。ただ、勝利のための『兵器』が、脇にいるばかりである。
「いーかリリス、今日の演説で俺たちはこの学校の生徒のすべての票をかっさらう」
「ニャー、全部なのかニャ」
「そーだ総取りだ!」
「でもどーするかニャ? キョータロウはドーテーで、細かくて、オンナの扱い方もわからない、フリョーで股の間のモノも小さい、そんなキョータロウがどんな大逆転をするんだニャ」
「オマエは本当に俺を慕ってるのか……」
「で、キョータロウ、具体的にワガハイはなにをすればいいのかニャ?」
そう、この作戦にはリリスの存在が不可欠である。
「簡単だ。昼食の時にやったことと同じ、オマエの魅了の魔法で、学校中の生徒を魅了してやるのさ」
「なーるほどニャ!」
「しかも幸運にも、今は俺の演説の時間だ。いくら変人扱いとなっている俺でも、壇上に上がれば6割ほどの生徒が俺を見るだろう。チラ見でもいい、なんにせよ俺へと、いや、正確には俺の隣にいるリリスへと目を向けてやればいい。そうして皆の視線を集めたとき、オマエの魅了の魔法を発動する!」
「おお!」
「そうするとあとはお前に心酔する信者どもの完成だ。オマエの信者となるなら、俺の信者と同義だ。なにせお前は俺の下僕、下僕の下僕は俺の下僕さ!」
「すごいニャすごいニャ!」
リリスが手を叩いて狂太郎を褒めたたえる。
「さぁリリス、時間だ。はやく行こうぜ」
「ニャー」
そして、魔王の選挙が始まった――
それはたった5分間の出来事だった。
「それでは、生徒会長に立候補する、2年A組の尾田狂太郎くんの演説を始めます」
狂太郎はおっとりとした足で壇上へと立つ。貴重な放課後を減らされて、態度には出さないがあまりよくない表情を浮かべる生徒たち。そんな愚民たちに、狂太郎は――
「あ――」
狂太郎はマイクを下へと向ける。すると、きぃーんとマイクがハウリングした。
耳を突くようなその音に、一瞬、皆が狂太郎へ目を向ける。
すかさず、狂太郎はリリスを持ち上げ、演説台の上に乗せた。
「ワガハイの目を、見るニャ!
リリスの魅了の魔法が発動する。魔法は特殊な光の波、もしくは粒子となり、網膜へと投射される。網膜より視神経へ――マクロウイルスみたいに、脳の判断がしっちゃかめっちゃかとなり、なぜか『リリス』への恋慕の念がどくどくと湧きあがる。
『リリスさまぁあああああああああああああああああああああああああああああああああ!』
講堂じゅうが声に包まれた。
「にゃっはっはっはっはっは! 愚民どもワガハイを崇めるがいい!」
「ハイルリリス! ハイルリリス!」
「ワガハイを写メしてSNSにアップするがいい!」
パシャパシャパシャとスマホを操作する生徒たち。および、教職員。講堂の中のほとんどの人間がリリスという“神”を崇めていた。
「愚民ども頭が高いぞ! 頭を地面につけるがいい!」
「ははぁ!」
生徒の皆が椅子から降りて頭を下げる。土下座のポーズだ。
「面をあげい!」
「ははぁ!」
「愚民ども! オヌシたちは今日からワガハイの下僕だニャ! ワガハイの手となり足となりシッポとなり働くがいい! 完全週休二日の残業ナシ! 有給休暇100パーセント消化のホワイト企業の下僕だニャ!」
「ははぁ!」
最近の下僕の扱いは手厚いらしい。
「リリス、お前は調子に乗るな」
「ニャ」
狂太郎はリリスの耳を抑える。
「いーか、あんまり図に乗るんじゃねぇぞリリス。俺の座右の銘を教えてやろう、『慢心は死亡フラグ』だ!」
「『慢心は死亡フラグ』……いったい誰が考えたコトバだニャ?」
「俺だぜ」
「ニャー、なんだか四番煎じぐらいしてそーな言葉だけど、胸に止めておくニャ」
「わかったなら、仕上げと行こうかリリス」
「仕上げとはなんだニャ?」
「あとはオマエに骨抜きとなった愚民どもを誘導するだけだ。リリス、魔王となるのは俺のほうだ。俺のことを崇めるよう、愚民どもを操作しろ」
「ニャー、了解するニャキョータロウ!」
リリスは壇上に立ち上がり、生徒たちに叫ぶ。
「愚民ども! オヌシたちに問おう! この世で一番賢くてかっこいい大魔王は誰だニャ?」
『リリスさまです!』
「違うニャ! 確かにワガハイには力がある! だが、ワガハイはまだまだ若輩者だニャ。お尻が青いんだニャ。このニンゲンの世界にはワガハイよりも強い存在がいる! それは――キョータロウだニャ!」
リリスはキョータロウを指さした。
「キョータロウはワガハイの主、ゆえにオヌシたちの主でもある! オヌシたちはワガハイよりも、キョータロウを崇めるがいい!」
『そんな! リリスさま!』
「ワガハイに口答えするかニャ? オヌシたちはなんにも分かってないニャ。確かにキョータロウはドーテーでウブでヘタレだニャ」
「……おい」
「だが、キョータロウにはこの世界を乗っ取ろうという大きな野心があるニャ! キョータロウならこの世界を面白おかしくしてくれるだニャ。だからオヌシたちも、キョータロウを慕うがいいニャ」
「…………」
リリスの絶叫のあと、一瞬冷たい沈黙となった。
「お、おいリリス……。やっぱりオマエの魅了じゃ俺にたなびかなかったか……?」
「安心するがいいニャキョータロウ、魅了の対象が変わったニャ」
「え?」
と狂太郎が壇の向こうの生徒たちを見ると、
『狂太郎さまぁああああああああああああああああああああああああああああああああ!』
と狂太郎への熱いラブコールが起こった。
「ま、まさか魅了が……」
「ワガハイの魅了は人間の心を操るニャ。だから、崇める対象を変えることもできるのニャ」
「オマエの熱弁はそのための布石だったってワケか……。便利すぎて助かるぜ。お前はまさしく22世紀の猫型ロボットだ」
「うふふーだニャ!」
そんなこんなで、講堂内の生徒たちは一転、狂太郎という“教祖”に宗主替えしたそうだ。
「ふふふ……はーっはっはっはっは! なんて簡単なんだ! ヌルゲーだ! これで俺の総取り! 俺の勝ちだ!」
「おおおおおおおお!」
生徒たちが喝采の声を上げる。
「いいかよく聞け愚民ども! 俺はこの学校を乗っ取り支配するためこの生徒会選挙に立候補した! 俺の望みはただ一つ、学校征服だ! 現生徒会長である、十全寺丸美のツマラナイ政策はもういらない! 俺の考えた面白おかしい政策でこの学校を変えてやる!」
『おおおおおおお!』
「お前たちに自由をやろう! つまんねぇ校則は取っ払ってしまえ! テハジメに図書館の書物の自由化だ! あらゆる表現を許容するため、俺は図書室に同人誌を並べることをここに宣言する!」
「おおおおおおお!」
「あとは授業の自由だ! 授業をサボる権利をお前たちに分け与えてやる! これで平日に遊びに行けるぞ!」
「おおおおおお!」
「あとは活動の自由だ! 部活動はもとより、同好会の設置も許可する! そして利益の出る活動……株トレード、インターネット事業、転売……の活動も許可する! これでお前たちは雀の涙の小遣いで暮らすことはなくなる! ゲームソフト買い放題だ!」
「うぉおおおおおおおおおおお!」
「ほかにもマニュフェストはあるが、とにかく俺はこの学校、もとい社会を面白おかしい、自由な世界にしてやる! いいか、世界はヌルゲーだ! 自由度のないクソゲーだ! こんな世界は俺は御免だ! だから俺が……この日常を、ぶっ壊してやる!」
「うぉおおおおおおおおおおお!」
「愚民ども! 俺に付いてこい!」
「うぉおおおおおおおおおおお!」
「にゃああ! さすがキョータロウだぁ! みぃんなキョータロウに心を奪われてるニャ」
「オマエのおかげだぜリリス、ありがとよ。見事選挙に勝ったら、何でも好きなの買ってやるぜ」
「ニャー、こんなの、キョータロウが勝つのは明らかニャ」
そんな風に狂太郎たちは笑い合う。もはや学校の全生徒が、狂太郎のシモベである。もはや狂太郎たちの対抗馬も
――かに、思えたのだが。
「…………待ちなさい」
狂太郎を崇める生徒たちの中に一人、真夜中を這う猫のような、光る視線が届いた。しかし、すっかり慢心中となった狂太郎は、その視線を無碍にする。
「待ちなさいって、言ってるでしょう!」
「んあ? その声は……メガネ属性で委員長属性の、十全寺か」
「メガネ属性でも委員長属性でもありません」
「じゃあ氷属性かよ。てか、どうしてお前は……」
講堂じゅうの生徒が狂太郎に屈服したと思われたが……。
どういう不都合か、どういうバグか、十全寺には『魅了』の魔法が効いてないようである。
「おいリリス」
「なんだニャ、キョータロウ」
「オマエの魅了は、人間なら誰でも効くんじゃなかったのかよ? あの十全寺、どうも魔法にかかってないようだぞ」
「ニャー、どういう事なんだろうニャ? 魔法はワガハイの目から発せられて、それを対象の目に投射してやれば聞くんだがニャー」
「目から目……か」
狂太郎はそこで、魔法の発動者であるリリスの眼を視る。しかし狂太郎には魔法は効かない仕様となっているため何も起こらない、そこから、その視線の先の――十全寺の目を見るが、それは叶わない。
なにせ、十全寺の眼は眼鏡に塞がれているのだから。
「なぁるほど、メガネか。メガネのガラスがリリスの魅了の魔法を防いでいるのか。魅了の魔法は目の網膜に魔法を投射しないと意味ないから、メガネが邪魔してうまく作用しないことになってるのか……」
「ニャ、ニャー……。メガネっ子に魔法が効かないなんてわからなかったニャ、どうするんだニャキョータロウ!」
「なにをぶつぶつとしゃべっているんですか」
眼鏡の奥の眼で、十全寺は狂太郎を睨んでいた。
「これはどういうことなんですか尾田くん、いったいどんな手を使ったのか見当もつきませんが、あなたが“悪い”ことをしているのは誰の目にも明らかです」
「ケッ、また善悪の問答か? 性善説とか性悪説とかさ、エラーイ人は考えるだろうけど、ニンゲンはケモノだってこと忘れんなよって話だよ! 俺のしたいようにして、なぁにが悪いってんだよ!」
「あなたは……狂ってます」
「狂ってナンボだぜ。なにせ俺は――大魔王になるオトコだからな!」
「そしてワガハイはその下僕として世界の4分の1を手に入れるのニャ」
「「ニャッハッハッハッハッハッハッハ!!」」
壇上の狂太郎と生徒の波の中の十全寺。お互いがお互いを睨み合う。
「あなたをその座から引きずり降ろしてあげます! あなたの狂った思想なんか、絶対に成就させません!」
「ほぉー、じゃあやってみろよ“前”生徒会長。果たして無事にココまで来れるかなぁ」
「舐めないで! 私は……正しいんですから!」
十全寺はずかずかと壇上への道を歩いていく。脇には狂太郎を崇める生徒たちが、いまも手を叩き、声を上げ、口笛を吹き狂太郎をたたえている。
そう、十全寺にとってこの場は完全なアウェーなのだ。ゆえに、十全寺に――狂太郎にたどり着く“道”はないのだ。
「さぁて、俺のギアスを発動させる時が来たな」
正確には、リリスのギアスなのだが。
「皆の者ぉ! その杓子定規の偽善者――十全寺を取り押さえろ!」
「「ははぁ!」」
狂太郎の鶴の一声で、生徒たちが一斉にラガーマンみたいに十全寺を押さえつけようとした。相手が女の子だとか、同じ生徒だとか関係なく、
「狂太郎さま、あのオンナを捕らえましたワ」
「おお、ご苦労……って、その声は詩恋ちゃん……」
詩恋はいつもの10割増しで狂太郎に心酔していた。狂太郎を黒ずんだ目でじぃっと見つめている。リリスの魅了にかかろうがどうしようが、詩恋が狂太郎を慕うのは変わらないのだった。
「くっ……」
そこには、コワモテ体育教師と、柔道部大将の榊原先輩という重量級選手によって拘束された十全寺の姿があった。
「キョータロウ、コヤツをどうするかニャ? オークに襲わせて、エッチな同人誌的なコトをするのかニャ?」
「バカ野郎、俺たち魔王がそんなことしちゃいけねぇ。俺たちは紳士でなければならない」
「ほぉー」
「武士の情けだ、放してやれ」
「え? いいんですか狂太郎様……?」
いつも威圧的なコワモテ体育教師が狂太郎にへりくだっているのは、どこか倒錯的である。コワモテと柔道部大将は狂太郎に言われるがままに十全寺の手を放した。
「……あなたは。私に何をするつもりですか」
「お前が何かしない限り、俺は何もしない。言った通り、武士の情けでお前を解放してやる。どーせ選挙は俺の勝ちだ。この学校は俺のモノ! もう選挙自体、意味がないぜ!」
「…………」
いつも突っかかる十全寺であったが、今日ばかりは反論できなかった。あの狂太郎を崇める生徒たちの熱狂に当てられてか、十全寺は思考停止していた。狂太郎とリリスの施した“正体”がわからない以上、十全寺には手を打つ術がない。
「キョータロウ、コヤツのメガネは外さなくていいのかニャ」
「やめとけ。コイツには正気の状態で“負け”ってやつを見せつけなきゃならない。バカは死ななきゃ治らないが、聞かん坊は思い知らせてやらなくちゃわからねぇ。生徒会選の開票の日まで、コイツにはあえて魔法をかけないでおくぜ」
「勝者の驕りってヤツだニャ! キョータロウすごすぎるニャ」
「というわけだ十全寺、もはやお前に勝つ手段はない! 優等生ははやくおうちに帰ってお勉強でもしてな!」
狂太郎は嫌味っぽくそう言った。すっかり悦に入っている。
そんな狂太郎に対し、十全寺は強く奥歯をかみしめる。この不条理で、圧倒的不利な状況でどう自分は立ち振る舞えばいいか、答えはない。
「……待ってなさい、尾田狂太郎。私は、あきらめないわ」
震える顔で十全寺は言い放った。しかしその熱い言葉は、心酔した生徒たちの歓声にかき消される。
十全寺は講堂を後にする。とぼとぼと、小さくなった背中を見せてその場を去っていく。
「これで俺たちの勝ちだな!」
「ニャッハッハ!」
狂太郎とリリスはただただ笑い合っていた。まるで前時代の帝王のように、この世のものすべてが自分のもののように思えてならなかったそうな。
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