第三幕 驕る平家 A

 そんなこんなで、狂太郎は生徒会選挙へ立候補した。

 生徒会選がなんらかの事情によりやり直される――

 その情報はなんと、授業中にも関わらずわずか1時間後、12時ちょうどに緊急放送で告げられた。生徒会長、十全寺の“権力”というやつはあながち口任せではなかったということか。

(仕事が早い……。自分の優位性も示すためにこんなに早く放送したのかね……)

 十全寺は狂太郎と同学年の2年生。そういえばと、テストの自分の順位のそばにいつも“十全寺”の名前があったことを思い出す。つまりは、十全寺も狂太郎に引けを取らない頭脳を持っているという。そうでなくては、狂太郎と言い合うこともできなかっただろう。

 皮肉にも、十全寺による放送のおかげで選挙のルールを知ることができた。

 選挙は1週間後、五月の下旬となるそうな。その日の放課後に、日本の一般的な選挙よろしく前時代的な“紙”での投票が行われる。

 会長、副会長、書記、会計の4つの席があるが、そのうち狂太郎が目指す席は一つである。

 生徒会選の倍率はそれほど高くない。運が良ければ対抗馬なしで思うままの役職に就けるが、狂太郎の対抗馬はすでに決まっている。

 なんにせよ、十全寺に勝たなければならない。

『生徒会選に立候補する生徒は、本日の18時までに立候補届出用紙を提出してください。立候補届出用紙は職員室前に備えてあります。なお、生徒会の4つの役職のいずれかに立候補者がいない場合は前年に当選した生徒が引き続きその役職を引き受けることとなります……』

 そんなふうに、淡々と十全寺が説明していた。

 狂太郎はそれを片耳で聞きつつ、これからの予定を頭の中のエクセルで組んでいく。

「まずは各種書類を書いて、選挙活動……」

「なぁんで突然選挙なんだろうな。まったく、俺の副会長の地位が脅かされちゃたまったもんじゃねぇぜ」と香芝がつぶやく。

「え? お前副会長だったの!?」と狂太郎は初耳の事実に驚く。

「おいおい、自分の友人が生徒会副会長だってこと、お前さんは知らなかったのかよ?」

 興味のないことにはとことん無神経な狂太郎である。生徒会のことなんて、十全寺の存在以外はからっきし知らない。

「おい香芝! 友人のヨシミだ! 俺を生徒会長にしろ!」

「おいおいどうしたんだよいきなり、白々しくも友人のヨシミとか……」

「いくら払えばいい! 上モノのエロ本何本ならいいんだ!」

「生徒会選挙でワイロなんか受け取りたくねぇよ!」

 狂太郎の要求はあっさりと跳ねのけられた。高校生どうしでは闇の交渉なんてものは土台できないのだ。

「なら俺は……自力で票を稼がなきゃならんのか」

「まさかお前さん、ほんとうに生徒会選に立候補か」

「あったりめぇだ! あの杓子定規の生徒会長を止めなきゃ、俺たちの自由が取り締まられる! そうなったら俺が授業をサボれなくなる!」

「とんでもなく自分勝手な理由だな……。そんなので、票が集まると思ってるのか?」

「正直なところ……。手を考えあぐねているんだな」

 狂太郎は悩む。なにせ狂太郎はいままで学校で傍若無人に、勝手気ままに過ごしてきたのである。数学教師にしたような行いも幾度かあり、そして時折授業をサボる。交友関係も豊かとは言えず、なにかの部活動に所属していることもなく、人から褒められるようなことは学業以外ではやっていない。

 総じて言えば、狂太郎は生徒たちから――“変人”と思われている。

「ダメだぁ! どうあがいても絶望だぁ!」

 そんな狂太郎の絶叫のなか、

『それでは選挙の説明は以上となりますが……。一つだけ連絡を』

 淡々と十全寺が連絡を告げている。狂太郎はもはやなにも聞いてない。

『昨晩、小売山城跡近辺にて、不審な暴漢による襲撃事件があったそうです。この暴漢の襲撃により、夜中に徘徊していた生徒の一人が怪我をしたそうで……』

「ははぁ、世の中物騒になったもんだね。ま、子供は早くオウチに帰れって話なのかな?」

「んなこたぁどうでもいい! どーにかして俺は票を集めないと……」

 狂太郎は考え込むばかりだった。


 現在12時15分。お昼休みである。

 お腹を空かした生徒の半分ほどが学食へと向かっていく。残りは教室で弁当か、購買のモノを食べるかであろう。

「それでキョータロウ、どうするかニャ」

 ステルス化したリリスが尋ねる。そのリリスに対し狂太郎は耳打ちするように話す。

「ああ、こうなってしまった以上、とことん戦うしかない」

「キョータロウ、ワガハイは選挙というのを言葉の意味では知っているが、イマイチ雰囲気は分かんないのニャ」

「そうか、お前の世界には選挙なんてもんがなかったんだろうな」

「選挙とはたしか支配者を決めるんだニャ。でも、ワガハイの世界では支配者は強いヤツか、オーサマの血を引く人間しかなれないことになってるニャ」

「俺たちの世界――まぁ日本は、普通の人間がその支配者ってものになれるんだよ」

「ニャー、ワガハイの世界では考えられないニャ」

「もっと細かく言えば、普通の人間の中から選ばれた人が国会議員になれて、またその中の選ばれた人――というよりグループの長が総理大臣になるってワケだ」

「なるほどニャ」

「アメリカの大統領選挙のほうがわかりやすいか。大統領ってのは誰でもなれる。要は選挙で票を集めたヤツが大統領。その選挙の仕方ってのがややこしいけど、どの選挙にしろとにかく票を集めればいいんだよ」

「つまりキョータロウの賛同者をたくさん集めればいいのかニャ」

「そういうこった」

「それなら簡単だニャ。キョータロウの魅力に愚民どもが気づけばいいだけだニャ」

「それができりゃ苦労はないんだけどよぉ……」

 狂太郎はため息を吐く。リリスと話しつつ、狂太郎はすでに選挙の関係書類記入と、選挙用のポスターをフォトショップで作成中である。狂太郎も狂太郎で仕事が早い。

「選挙で票を稼ぐ“だけ”なら、それほど難しい話じゃないんだよ」

「カンタンに票が稼げるのかニャ?」

「お前がここの生徒と仮定しよう。オマエという生徒をたなびかせるにはどうすればいいか」

「どうするのニャ」

「俺が生徒会長となった暁には、生徒一人一人にニボシ1年分を支給しよう」

「ははぁ! キョータロウ様! ワガハイは何があろうとキョータロウ様に一票投じるニャ」

「というわけだ。モノとかカネとかで釣ってしまえば早い話だ。実際はおおっぴらにモノやカネで釣ることはできないだろうけど、ホンモノの議員選挙なら、マニュフェストに『手当て』と称して、国民にお金をばらまくことを約束すれば、票ががっぽり入る」

「ほー」

「だがその場合、国政は赤字だ。その『手当』のお金はどこから出す? その分税金吸い取られるんなら意味ねぇじゃねぇか! って1億人の国民に突っ込まれるんだ」

「にゃ、にゃー……」

「そうなったら政権は崩壊だ。だから政治も選挙も、慎重にやらなきゃなんねぇ。その後のことも見据えてな」

「その後というと、キョータロウがこの学校の魔王となった後どうするのニャ? いろんな学校を支配していくのかニャ?」

「戦国時代じゃあるまいし、んなことしねぇよ。なんにせよあまりセコい手で勝っても生徒は俺に従わねぇ。お前のいた世界じゃあるまいし力で押さえつけるなんてことできないからな」

「じゃーどうやって生徒をキョータロウは手籠めにするかニャ」

「そりゃ、ココを使うんだろう?」

 狂太郎は自分の頭をこんこんと叩いた。

「色々と手は考えてあるが……。まずは俺の“変人”というイメージを払拭せにゃならん。しかも選挙は1週間後、この1週間の間に、生徒たちの俺を見る目を変えなきゃならないが……」

 狂太郎の醜聞はもはや全生徒に知れ渡っている。文月や詩恋など、狂太郎を肯定的にとらえてくれる人間もいなくはないが、たいていは狂太郎という変人に近づこうとはしない。『変な人に付いてっちゃいけない』とは平成生まれの子供たちみんなに刻まれた言いつけなのだから。

「あー……。昼時だってのに、やることが山積みだ……」

「キョータロウ、それよりもワガハイは腹が減ったニャ。ワガハイのお腹のベヒーモスが大地を揺るがす唸り声を上げてるニャ!」

「こんやろう、さっきまでニボシをぼりぼり食ってたくせに腹が減ったなんて贅沢を……」

「ニボシはもうなくなっちゃったニャ。だからキョータロウご飯だニャ!」

「ご飯……って、俺は今日、弁当なんか持ってきてねぇぞ」

「ニャニャ!」

 狂太郎はいつもは手作り弁当を持参しているのだが(食費を浮かすため)、今朝はハチャメチャだったため弁当の用意なんてできていない。

「どうするだニャ! このままじゃワガハイが飢えてしまうニャ!」

「飯を一食抜いたぐらいで死なねぇだろ」

「腹が減っては戦ができぬと昔の人が言ってたニャ!」

「働かざる者食うべからずと昔の人が言っていたが?」

「働かないヤツとは誰のことかニャ?」

「オマエだよ! このゴクツブシ!」

「働いたら負けだと昔の人が言っていたニャ」

「あーもう、オマエと話してるとエネルギーが減衰していく!」

 狂太郎は空腹を耐え、ただ作業を続ける。

「仕方ないニャ。キョータロウがゴハンをくれないならワガハイがチョータツしてくるニャ」

「調達って、なにを取ってくる気だ。間違ってもオオサンショウオとかの天然記念物は狩ってくるなよ」

「そんなの狩ったって調理ができないニャ。ワガハイにはもっと楽な方法があるニャ」

「いったいなにをしようっていうんだ……」

 リリスが「にゃっはっは」と黒い顔で嗤っている。なんだか嫌な予感。

 と思った矢先、リリスは一人の生徒――剣道部の仲間と同じ席で弁当を食う、香芝へと目を向ける。

「ん? なんだこの子」

 と香芝は目を丸くする。どうやらリリスはステルス化を解いてしまったようだ。

「バッカ野郎あいつステルス化解いてなにを……」

 狂太郎の脳裏に不安がよぎる中。

 リリスは「にゃは!」と香芝に向けて笑顔を向ける。手招きするネコのポーズ。尻尾はS字、耳はピクピク。頬に紅いチーク、目は片目をつぶる。片足を上げる。できるだけかわいく。そんなふうに、リリスはいかがわしい喫茶店のいかがわし気なウェイトレスの挨拶のような笑顔を香芝に振りまいていた。

(なんで香芝のヤロウを萌え殺そうとしている……?)

 狂太郎が首を傾げるが、リリスは小さく呪文を唱える。

「『ニャーニャーニャー、悩殺、忙殺、殴殺! ワガハイを崇めよ! 魅了チャーム)だニャ」

「まさか……魔法か」

 リリスという、人知を超えた存在。そんな相手とバカみたいな掛け合いをしていたからか、狂太郎はすっかりリリスのチカラのことを忘れていた。

 リリスは子供ながらも、魔王の娘。その力は世界を滅ぼすに至らずとも、日本ぐらいは滅ぼせちゃうかもしれないほどはあるのだ。

 で、今回発動させた魔法はというと。

「わ、わ、わ、わ! き、キミはなんてかわいらしい! この世に舞い降りた天使! いや、俺の魂を奪いに来た小悪魔ちゃんだぁ!」

 香芝が一瞬にして、リリスにメロメロになっていた。

「お、おいどうしたんだよ香芝」「なんの冗談だぁ? それよりこの子は……」

 一方のほかの友人たちは疑問符を浮かべていたが、

「オマエラもワガハイに魅了されるがいい! ニャニャニャー!」

「「かわいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」」

 と絶叫する香芝とその友人。

「ヤバイ、香芝たちが…………ロリコンになっちまった」

 香芝たちは現世に降り立ったリリスへ正座して、崇めるように礼をする。新たな宗教誕生である。

「なになに」「一体何が起きたの!?」「その子はいったい……」

 そんな感じで野次馬が集っていき、

「ワガハイの目を見るニャ」

『かわいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!』

 そんなふうにしてクラスメートたちが洗脳されていく。

「おいリリス、これはいったい……」

 狂太郎がそう問う中……

 リリスにメロメロとなった生徒たちは、各々の昼食を手に崇拝するリリスへと近づこうとする。

「リリスさまぁ! 私のお弁当を食べてください!」

「私の弁当は手作りなんですよ! オカカ入りのオニギリです!」

「お、俺のはコンビニのサンドイッチだ!」「鮭弁だ!」「この焼きそばパンを!」「駅前のファーストフードのハンバーガーを!」「それなら俺はピザを出前で注文だぁ!」

 と……。各々が自ら持ち寄った食べ物をリリスへ渡そうと必死になっている。さながらアイドルの生ライブのようである。

「にゃっはっは! うまいニャうまいニャ。オニギリはオカカとシャケに限るニャ。おかずはアジフライだニャ。ハンバーグもナカナカだニャ。コンビニのサンドイッチはなかなか新鮮だニャ。これはネットで話題の期間限定バーガーニャ! サバをハンバーガーにするなんてすごいニャ! うニャ、このピザのモッツァレラチーズとやら、なかなか伸びるヤツだニャ。さすが飽食の日本だニャ。どれもこれもうまいニャ」

 とリリスは昼食を堪能していた。

「なんだよこりゃ……。昼食というより、こりゃ、餌付けじゃねぇかよ」

「ニャッハッハ! ワガハイの『魅了』の魔法を使えばニンゲンなんてコロッと心酔してしまうニャ。我を忘れた人間はワガハイに食べ物を献上する! これでワガハイはニンゲンが滅びない限り飢えないニャ!」

「ホント、便利な能力だなぁ……」

「キョータロウもワガハイがもらった飯を食うがいいニャ。ワガハイのモノはキョータロウのモノでもあるニャ! シェアするのが絆だニャ」

 と言って、リリスはオカカおにぎりを狂太郎に渡した。タダで昼食が手に入ったのは、家計にとっていいことではある。

「リリスさまぁ!」「我が姫、リリス殿下よ!」

 リリスの魅了が波及したのか、その人並みは大きくなっていく。

 教室を通りかかった生徒がリリスを目にすると、踵を返して、回れ右して、リリスという名の崇拝者のもとへとかけていく。もちろん、お供えものも忘れずに。

「う、うわっ……。きょ、教室が容量不足だぁ……」

 教室がリリスの信者さんだらけになっている。そしてその真ん中のリリスは大量のお供え物をバクバクと、ブラックホールのごとく口に入れていく。カラダが小さいくせに、リリスはぺろりと30人前ほどの昼食を平らげている。

「り、リリスさま! わ、私のお弁当も食べて下さぁ~い!」

「し、詩恋ちゃん!?」

 見ると、詩恋までもがリリスにお供えのため弁当を餌付けしている。詩恋の弁当は残り物の煮物の入った意外とシンプルなものだが、唐沢木家の煮物のうまさを知っている狂太郎にはうらやましい話だった。

「しかし、詩恋ちゃんが俺でなくリリスに弁当を渡すほどなんて……。いよいよこりゃ、マインドコントロールの類だな……」

「にゃっはっは! サイコーの昼食だニャ!」

 熱狂的に騒ぐ生徒たち。皆の目が虚ろとなって、ただその眼にリリスの姿を浮かべている。

 さながら新興宗教の教祖。

 さながら神、支配者……。

「待てよ……」

 そこで狂太郎はふと思う。このリリスのチカラについて。

 狂太郎は先ほどまで、どのようにして選挙の票を集めようか、人間的に、自然法則に乗っ取って考えていた。先人たちが編み出した選挙の勝ち方――心を響かせる演説や暴言、相手への中傷、具体的で夢のあるマニュフェスト、人気タレントやアイドルをダシに使う……などなど。あらゆる手を考えていた。

 だが別に、勝ってしまえば“どんな手を使ってでも”いいのではないのか?

 もちろん、お金を使ったり労力を使ったりするものは論外である。しかし、狂太郎には核兵器にも匹敵する強大な兵器があるのだ。

 そう、その兵器の名は――

「リリス」

「うニャ、なんだニャキョータロウ、詩恋の煮物はうまいぞ」食べカスを口に付けてリリスは言った。

「俺の分も半分残しといてくれよ。それより、お前に頼みたいことがあるんだ」

「ニャー、キョータロウの頼みなら、下僕のワガハイはなんとしてでも成し遂げるニャ」

「オマエの力を借りたいんだ?」

「チカラ?」

「そーだ、お前の魔法の力で……。この学校を、俺という名の魔王を崇めるように魅了してやるんだよ!」

「ニャー?」

 リリスはサトイモをつまんで首を傾げていた。

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