第二幕 学校征服! E
「はぁ……。せっかくサボりだというのに、全然心が休まらないじゃないか」
「尾田くんはどうして図書館に来たの?」
「まー、ちょっとした調べものを」
さんざんのんびりしていた狂太郎だが、リリスとの世界征服についてまるっきし考えていないわけではない。そんなわけでリリスと世界征服について話し合おうとしていたが、当のリリスはこの体たらくである。
「キョータロウ、調べものなんかネットですればいいだけだニャ。そんな前時代的でメンドクサイ紙媒体なんかいらないニャ」
「ホントにお前はネットにかぶれやがって。紙媒体をそんなに悪く言うんじゃない。たまにはこーして紙の質感を感じつつ本を読むのも悪くない。本ってのはある意味一種のインテリアだしな」
「ニャー、ワガハイもこの世界に来たばかりは本をしこたま読んでいたからニャ。それなら、マンガを読むのを休憩して本を読むニャ」
「そーだそーだ、子供は本を読め」
狂太郎の話を受けリリスは本棚を駆け巡る。
「さて、俺も調べものをするか」
「尾田くんが調べもの? 保健体育のベンキョウかな?」
「見目麗しい文月さんがそんなこと言っちゃだめですよ」
重い腰を上げて狂太郎は図書館を歩く。本棚の間を通り抜け、図書館の一角でうずくまり本を読むリリスのもとへと向かう。
「ニャニャー。この本は面白いニャ」
「なに読んでるんだリリス?」
リリスは表紙にアニメタッチな絵の描かれた文庫本――いわゆるライトノベルを読んでいた。
「口当たりのよい文章で書かれていて読みやすいし、そのくせ、物語もなかなかアクション的、キャラクターも立ってて面白いニャ」
「コドモのオマエにゃ、ライトノベルのほうがお似合いなのかね」
リリスはそんなふうにライトノベルを絶賛していた。
人の好みは十人十色であるが、エンタメに特化したライトノベルのほうが受けがいいのは必至なのだろう。リリスは持ち前の瞬間記憶能力でライトノベルをさらさらと読んでいく。
「ワガハイの世界にはこんな小説はないから新鮮だニャ」
「まー俺たちの世界でも昔はこーいう文学的価値のあまり見受けられない、陳腐なモノは切り捨てられていたけどな」
ライトノベル然り、大衆文学然り。
型破りな手法はいつも批判される傾向にある。昔は大衆が本を読めたり字が読めたりしなかったためなおさらその傾向があった。つまりは、リリスの住む世界でも、そんな懐疑的なことが起きていたことは想像に難くない。
「だが、小説には、表現には壁を作っちゃいけねぇ。この世のあらゆることに制限ってのはつけちゃいけねぇ。そうしたら文明が停滞する」
「ほー。たしかにシャカイシュギは失敗したニャ。やっぱり人間は人間らしく生きるのがいいのかニャ」
「そうだぜ。だからリリス、お前はこの世界の“自由”を学べ。そして俺たちが新たなる自由を獲得する!」
「新たなる自由?」
「そーだ。この停滞した世界に一石を投じる、新たなる“型破り”を――」
狂太郎の熱弁の中、がらりと。
おもむろに図書室の扉が開かれ、そこから静かに一人の女子生徒が現れる。
「あなたは――」
と冷たい声。
現れたのは眼鏡をかけた女子生徒。特徴のないところが特徴のような、真面目腐った表情。定規で測ったみたいなおかっぱ頭。そして学校の規則を馬鹿真面目に守ったような整った制服。狂太郎と対を成すような真面目腐った女子生徒の所属は――
(たしか、生徒会の……)
ゲームのキャラの名前は憶えても、人の名前は教科書に載らない限り覚えない狂太郎。そんな狂太郎でも頭の片隅に浮かぶほどの有名な生徒、生徒会長の十全寺丸美である。
十全寺は狂太郎へと顔を向け、鋭利な視線を向けた。
「いまは授業中だというのに、どうしてあなたはこんなところにいるんですか?」
職務質問する警官みたいに、十全寺は義務的に尋ねる。
「いやぁ、数学の授業が自習になっちゃって」
「あなたのクラスの授業は国語でしょう? 数学は前の時間のはずです」
「さっすが生徒会長さん、全クラスの時間割は把握済みとは。頭にエクセルでもインストールされてるのかなー」
狂太郎はいつものようにとぼけるが、十全寺の顔は鉄のように硬い。
「そーいう生徒会長さんも、授業中のくせしてこんなところにいるとは何事です? まさかサボりとか?」
「数学の水島先生が突然早退したので、自習になったんですよ」
「ありゃま、あの頭のさびしい数学の先生、風邪でもひいちゃったのかなー」
なんて狂太郎は他人事のようにつぶやいた。
「そんなことよりもあなたのことです。あなたは自習の時間ではないでしょう? なら、いますぐ教室に戻りなさい」
「不良生徒の指導も生徒会長さんの仕事なのか? そこらへんの管轄はどうなってるんだ?」
「そんなことはどうでもいいことです。私は生徒会長として、また一人の小売山高校の生徒としてあなたを糺そうとしているだけです」
「俺はさしずめ『腐ったミカン』ってやつかい?」
狂太郎は自嘲気味に言った。
「あーあー、どうしてこう、日本人は群れたがるんだろーね。赤信号、みんなで渡ればこわくなーいってか? ルールを犯した奴はつまはじきにされる、村社会ってヤツだ。そんなんだから『自主性』ってヤツが育たないんだよ」
「……私が言っているのは最低限のルールです。なにもあなたの自由を束縛するものではありません」
「授業をサボるのも、立派な権利だと思うぜ。俺たちは金払って学校来てるんだ。いわばお客様。しかも俺の場合、学費は俺のサイフから出てるからな! 親も泣かないんだぜ!」
「あなたはまたそんな屁理屈を……!」
十全寺は奥歯を噛む。こんなふうにしていつも狂太郎に言いくるめられている十全寺である。1年にして生徒会長となった彼女の手腕はなかなかのもので、この小売山高校の平和と平穏を彼女が制定しているのだ。彼女のおかげでこの学校には不良なんてものはいない。
ただ一人、狂太郎という異分子を除けば。
「キョータロウ、コヤツはなにものなのかニャ?」
リリスがライトノベルをめくりながら尋ねた。
「ああ、こいつはジュウゼンジっていう生徒会長さんだ」
「生徒会長というと、ガッコウで一番すごいヤツなのかニャ」
「まぁだいたいそうだ」
と狂太郎が何の気なしに返すが――
「尾田くん、その子はいったい……」
「ん、あ?」
狂太郎はまたもポカをやらかす。リリスの存在を厄介な存在に見つけられてしまった。
「平日のこの時間に、こんな女の子が学園にいるなんてどういうことですか?」
「まぁそりゃ、ごもっともな質問だが」
「場合によっては警察に連絡しますが」
「ちょ、ちょっと待ってください生徒会長!」
警察に電話されたら、ヤバイ。
十全寺は生徒会長であるが故、正義感にあふれている。そのため、一般的な正義の人間よろしく、杓子定規に物事を進めてしまう。推理小説に出てくる警察みたいに。異分子がいれば、何の考えもなしに捕まえる。
まぁ、不審な人物を見つけて警察に連絡を入れるのは至極まっとうな話であるのだが。
「こ、この子は俺のとぉーい親戚で」
「目の色から察するに、外国人のようですが」
「そーなんだよ! なんか俺のとぉーい親戚って日系人? みたいな人でさ、その人の子が大統領選挙のゴタゴタで日本にやってきて、それで俺が面倒見てるんだよねー」
「……なんだかとってつけた理由のようですが」
「あ、いや、その……」
狂太郎の言動がシドロモドロになる。
「それに平日のこんな時間に、子供が小学校に行かず、こんなところにいるなんて明らかにおかしいです。まさか尾田くん、この子は君が攫ってきた子じゃ」
「んなわけねぇだろうがぁー!」
「尾田くんはやっぱりそういう小さな女の子が趣味だったのね」
「文月先輩も変な誤解しないで!」
そんな騒ぎの真っただ中、リリスはただライトノベルを読んでいる。
「それじゃあ尾田くん、この子がどうしてここにいるのか、説明してもらえますか?」
「うっ……」
狂太郎は考える。魔王の娘だなんて馬鹿正直に話しても、信じてもらえないか、頭がおかしくなったんじゃないかと疑われるだけだ。ならば、それっぽいウソを吐くしかない。
「この子……リリスはだなぁ、MIT(マサチューセッツ工科大学)を飛び級で卒業した世紀の天才児なんだ!」
「え、ええええええ! まさかあのマサチューセッツ工科大学を卒業だなんて!」
文月先輩がえらく大袈裟に驚いている。はたしてマサチューセッツ工科大学がどんな大学なのか存じていらっしゃるのだろうか。
「ほんとうに、この子がマサチューセッツ工科大学を卒業したと?」
「そうだ」
「……ホントウ、なの、あなた」
十全寺は言葉を丸くしてリリスに問いかけた。リリスは十全寺の眼鏡を見据えた。
「ニャ、ニャー。ほ、ほんとだニャ。ワガハイはまさつぅせっちゅー工科大学を首席で卒業した天才児だニャ」
「マサチューセッツ工科大学って言えてないじゃないか!」
せっかくの狂太郎のウソに、さっそく綻びが入る。十全寺はさっき以上の険しい表情を狂太郎に向けていた。
「にわかに信じられませんね。こんなところに青天の霹靂のように、テレビ出演しそうな天才児が現れるなんて。あなたのデマカセと考えた方が信じられます」
「まぁ、たしかに荒唐無稽だろうな。だが、俺の言ったことは真実だ。俺は生まれてこのかたウソを吐いたことがない!」
「……あなたはいつもウソを吐いているようですが」
「じゃあ、証明してみようかな。コイツがほんとうにマサチューセッツ工科大学を卒業した天才児かどうかを」
「証明って、いったいなにをするつもりなんですか」
「なんでもいい。コイツが天才児かどうか、それっぽい質問をしてみろよ。フェルマーの最終定理を証明してみろとか、素数が無数にあることの証明をしろとかさ」
狂太郎は誇らしげに言った。その狂太郎の不敵な笑みに、十全寺は眼鏡のブリッジを抑え顔を引きつらせる。いったいあの屁理屈の自身はどこから来るのだろうか……と。リリスを見つめ、本当に天才児かどうか見分してみるが、バリボリと人目を気にせずニボシをしゃぶっているばかりである。
「それでは……簡単に質問してみましょう。円周率を答えてください」
「りょーかいだニャ」
そう言われたリリスは、本とニボシの袋を脇に置き、念仏を唱えるように無限の数を述べていく……。
「3.14159265358979323846264338327950288419716939937510582097494459230781640628620899862803482534211706798214808651328230664709384460955058223172535940812848111745028410270193852110555964462294895493038196442881097566593344612847564823378678316527120190914564856692346034861045432664821339360726024914127372458700660631558817488152092096282925409171536436789259036001133053054882046652138414695194151160943305727036575959195309218611738193261179310511854807446237996274956735188575272489122793818301194912983367336244065664308602139494639522473719070217986094370277053921717629317675238467481846766940513200056812714526356082778577134275778960917363717872……………………」
「ストップ! ストォップ! これ以上やったら応募原稿が足りなくなる!」
狂太郎は機械的に数字をつぶやくリリスの口元を押さえた。
「な、なななななな……」
「すごぉーい、リリスちゃん全部合ってるよ」
図書館にあった『円周率の本』片手に文月先輩が明るく言った。
「どうだ、これがリリスの頭脳ってやつだ。コイツが天才児ってことはもうわかっただろ?」
「そ、そうね……」
「こんな天才児に、一般教育なんか釈迦に説法、孔子に論語ってやつだ。こいつはさっき俺が言った通り、マサチューセッツ工科大学を飛び級で卒業してる。だからもう、学校教育はすでに修了済みってワケだ。だからこんなところでブラブラしていても問題ないわけだ」
「ニャー、問題ないのニャ」
十全寺はすっかり、リリスの天才性に充てられ困惑していた。眼鏡の奥の眼が、水面の金魚のように泳いでいる。
「分かったなら生徒会長、あなたはこんな偏屈な俺たちに関わらないほうがいいですよ。俺たちのことなんか放っておいて、せいぜい自習でもしておいてください」
「そーだニャ。キョータロウに盾突くやつはワガハイがハイジョするニャ」
「あなたたち……ねぇ」
十全寺はイラついていた。どうして自分が虚仮にされ、無碍にされなきゃならないのかと。
どうしてこんなやつらなんかに……。
「そんなふうに偉そうなことばかり言って……。あなたたちは何がしたいんですか? 私はただ、この学校をよりよくするために邁進しているだけのにっ……」
「自分の価値観を他人に押し付けるもんじゃないぜ」
「ですが、私は生徒会長です」
十全寺は引かない。誰も彼も、狂太郎という面倒な存在を無視するばかりであるが、この十全寺だけは引かないのだ。
正しくなければならない。少しでも、正しくないものがあれば、それを質し、糺し、正さなければならない。
堅実な家庭で堅実に生きてきた十全寺であるが、だからこそ、譲れないものがある。それは狂太郎と方向は違えど、同じようにまっすぐなモノである。
「私は生徒会長です。この学園のキマリは、私が決めるんです」
「生徒会長ったって、ただの生徒だろ? そんなヤツにそんな権限なんて」
「黙りなさい。私の行うことは正しいんです。だから権限がなくとも、先生方が後から権限をつけてくれるほどの“チカラ”があるんです。私という“正しい”存在の生徒会長に刃向かった――そんな事実が先生方に伝われば、あなたの心証が悪くなるのは確実です」
「ははぁ。ただのメガネっ子委員長キャラかと思ったら、意外とキレるこというじゃねぇか」
狂太郎は十全寺の横暴な物言いにむしろ関心していた。
「つまり、キマリを守らない俺を、生徒会権限で排除するってわけか?」
「そうです。あなたのような人が出しゃばったら、この学校がおかしくなりますよ」
「学校だぁ? はっはっは、俺は学校なんて狭い囲い(フレーム)に収まらねぇ、この世界ってやつを“おかしく”してやるんだよ!」
「さっすが狂太郎! ワガハイにできないことを平然とやってのける! そこにしびれるあごがれるー!」
リリスは狂太郎を鼓舞する。それに応えるように不敵な笑みを浮かべる狂太郎に、十全寺は怖気ない。
「私は、あなたたちみたいな存在を、絶対に許しません。あなたたちみたいな、遊んでばかりいる人たちなんかに、私の苦労なんてっ……」
眉を顰める十全寺は、狂太郎たちに反撃するための材料を探す。相手の弱点を探すのはバトル漫画でも討論においても有効な手段だ。
そして、十全寺は床に散乱したライトノベルに目を向ける。それはリリスが速読して読み込んでしまったものだ。
「あなたたちは、授業をサボってこんなものを読んでいたんですか?」
「はぁ? 俺たちが何読んだってべつにいいじゃねぇかよ」
そう言った十全寺は一冊のライトノベルを無作為に取り出す。そしてパラパラとその中身をさらすように見せつける。
「こんな陳腐な内容で、いかがわしい絵で……。こんなものを読むから、あなたたちはおかしな思想に取り付かれたんじゃないんですか?」
「なっ……」
狂太郎はその少し的外れな言葉に、すかさず反撃できなかった。
それはたしかに。一部を切り取ってしまえばあまりお天道に見せられない部分もあるだろう。セリフだらけで紙面の半分が真っ白な作品、美少女ゲームそのまんまを切り取ったような際どい挿絵なんてもの……。そんなものを突っ込まれれば反論ができないのだ。
「私は生徒会長です。ですから、このような書物を取り締まります」
「ま、待て! 書物を取り締まるだぁ? そんなのお前の権限でできるかってんだ! 表現の自由は憲法で定められてるんだぞ!」
「私が取り締まるのは、この学園の図書館の本だけです」
「な、なんだよ……。ほかは管轄外だからいいって、お役所仕事じゃねぇかよ」
「何と言われようと、この学校にはライトノベルのような本は設置しません。あなたたちのような人間が生まれないように、私が徹底的に取り締まります」
「なんて横暴な……。お前の言ってることはおかしすぎるぞ!」
「あなたに言われたくありませんよ。私は、正しいことを言ったまでです」
「なにが正しいことだぁ……」
なぜか、狂太郎と十全寺のやり合いにライトノベルが槍玉にあげられてしまった。おそらく、十全寺としては真剣にライトノベルをどうこうは思っていない、ただ、狂太郎への反撃と、狂太郎のような存在への抑止力として言ったまでだろう。誰も核戦争なんかしたくないけど、不穏分子を収めるために仕方なく核を持つように。
正しい人間は時として、『悪』の手段を用いてしまう。
「こんなもの、学校には不要なモノです」
十全寺はそういうと、ゴミ拾いするみたいな感じでライトノベルを拾っていく。乱雑にそれらをまとめていく。あと一冊で床の本がなくなる――というところで、
「待つニャ!」
リリスの手が伸び、十全寺の持つ本を引っ張った。
「オヌシはこのライトノベルをどうするつもりニャ!」
「それはもちろん、処分しますよ。この学校のためです」
「なにを言うんだニャ! そんなこと大魔王の娘であるワガハイが許さないニャ」
「またあなたたちは荒唐無稽なことを!」
「荒唐無稽で何が悪いだニャ! 星の王子様が言っていたニャ! 『いちばんたいせつなことは、目に見えない。』って。ワガハイたちの夢や希望を、オヌシは否定するのかニャ!」リリスは言い放った。
「星の王子様とは、なかなかいい引用だ。お前は俺たちの空想を否定するが、オマエには何がある?」狂太郎が十全寺に問う。
「わ、私にはこの学校を正しくする信念があります!」
「そんなもん、つまんねーじゃねぇか。しかもお前の掲げる信念ってのは横暴だ。書物の取り締まりたぁ、いつの時代の皇帝様だよ!」
「あなたたちが何を言おうと、私は生徒会長です。私のキマリには従ってもらうしかありません。そうでないなら、あなたたちを退学させてやりますよ!」
「はははっ、なかなか面白い話になってきたじゃねぇか」
狂太郎はまるでちっともダメージを受けていないラスボスのように、余裕の表情だった。
「まったく、眼鏡キャラってのは萌えないぜ。だいたいアイツらは一貫性がないんだよ。おねんねの時は眼鏡外しちまうし、それキャラ変わっちまってんじゃねーか。まさに画竜点睛を欠くってやつだ」
「あなたはいったい何を言ってるのよ……。私の眼鏡がそんなに気に入らないの?」
狂太郎のシニカルな笑み、それは反撃の狼煙であった。
「学業にそぐわない書物を取り締まるねぇ。じゃあ、この“女の子と一緒にお風呂に入っちゃう”シーンのある――三四郎っていう小説も焚書な」
「はっ……」
そういうと、狂太郎は棚にあった夏目漱石作の『三四郎』を床へ叩きつけた。
「これもダメだな。村〇春樹なんて官能小説だ。10代のオコサマには早すぎる。推理小説も残酷だから全部だめだ。ていうか、ほとんどの本は放送禁止用語に抵触してるし……」
そう言って狂太郎は図書館中の本を叩き落としていく。あらゆる本を検閲にかけ、少しでも学業にふさわしくない表現があれば切り捨てる。そんな風にして検閲していくと……図書館の本のほとんどが棚から叩き落された。
「すごいニャキョータロウ、ほとんどの本が落ちたニャ」
「有害図書は取り締まらないとな。そうでないと、健全な青少年は育たない。そうだろう、正しい生徒会長さん?」
「ふ、ふざけないでくれる!」
十全寺が震えた表情で叫んでいた。
「あなたの言ってることは屁理屈だわ! 夏目漱石の名著が有害図書ですって! それじゃあほとんどの本が読めないじゃないの……」
「お前のやっていたことはまさしくコレなんだぜ。中身も見ないで悪い部分ばかり指摘する、低俗なマスコミと同族だ! 俺はお前を認めないぜ。ゲームや漫画、アニメ、ライトノベル……みんなクリエイターが魂込めて作ってるんだぜ? その魂を脅かすってんなら、俺は悪魔になってやるぜ!」
「私はただこの学校のためを思ったまでよ! あなたがそこまで言うなら、あなたたちが好きなこのライトノベルだって叩き落して――」
十全寺が一冊のライトノベルを手にし、床へ叩きつけようとする――とき、
「あ、その本の作者さん、直木賞作家だぜ」
「な……」
「あとあっちのは1000万部の売り上げを記録してるぜ」
すかさず狂太郎が言った。
「オマエの判断基準じゃ、直木賞作家さんの作品も取り締まるってワケか? はっはっは、オマエ、将来独裁者になれるぜ!」
「ニャー、独裁者になるのはワガハイだニャ!」
「くっ……」
「何が正しくて正しくないかなんて人間には決められねぇんだよ。そんな議論は詮無いことだ。そんなものにがんじがらめになってる生徒会長の命令なんざ、俺は死んでも聞かないぜ」
「だから私は生徒会長……」
「はたして、どっちが横暴なんだろうな。俺とオマエ、どっちの言葉を生徒たちは信じる? この民主主義の世界で、お前は独裁的な生徒会長でいられるのか?」
いかに正義を振りかざそうと、支持をする人間がいなければ意味がない。逆に言ってしまえばみんなが“支持”すればどんな暴君も王様や大統領になってしまう。
民主主義の悲しき運命、である。
「あなたはっ……。私に反論して何がしたいんですか!?」
「俺はただやりたいようにやってるだけさ。そうだなぁ、リリス」
「ニャ?」
「今ちょうど、いいことを思いついたんだ」
「イイコト? それは、“悪いこと”かニャ?」
「見ようによっちゃそうだな。というより、もとより俺たちが企てていたことの足がかりだ」
「いったい何をおっぱじめるのかニャ」
「それはだな、この学校の征服だ!」
「ニャニャ! 学校を征服なんて、キョータロウは学生闘争でもやるのかニャ?」
「んな暴力的なことはしねぇ。俺は正攻法で戦う。俺はこの学校の生徒会長になってやる!」
「ニャー! すごいニャ! キョータロウは学校の大魔王になるのかニャ!」
「そーだぜ、こんな杓子定規でメガネな生徒会長に、俺の学校は任せちゃおけない。リリス、世界征服の予行演習としてこの学校を征服しようぜ!」
「ニャー!」
「せ、世界征服……ですって」
いよいよ十全寺は、狂太郎とリリスの言ってることがわからなくなる。目の前の二人は本当に人間なのか、はたまた自分がおかしくなったのか。それほどに十全寺の目に映る狂太郎とリリスの姿は異様だった。
異様なのはこの世界のほうか、自分のほうか。
「十全寺生徒会長! 俺はお前を認めない! 俺はお前に不信任の意を呈する」
「私が生徒会長にふさわしくないですって!」
「そーだ、だから生徒会選をやり直せ」
「な、なにを横暴なことを……」
「横暴な事じゃねぇぜ。悪い長を倒すってことは、歴史ではよくある話じゃないか。革命だ! この平穏な学校生活を、俺はぶっ壊してやる!」
「だから! そんなこと言っても生徒会選をやり直すなんてできないですよ! 私は去年の11月に生徒会長になった、それを覆すことなんてこと……」
「あ、でも、生徒手帳には……“不測の事態の場合生徒会選をやり直すことができる”って書いてあるわ」
と言ったのは、狂太郎たちのやり取りを楽し気に見ていた文月である。
「なっ……」
「というわけだ、生徒会長さん。俺がこの学校の魔王になる!」
「ま、魔王だなんておかしなことを!」
「なら、お前の言う“正しさ”で、俺を止めて見ろよ。まさかお前怖いのか? 俺が?」
「あなたなんて……怖くありません!」
「なら証明してみろよ。お前の正しさってやつを。俺は勝ってやるぜ。俺はこの世界の魔王になる男だ。こんなつまらない世界をぶっ壊してやるのならなんでもしよう。その手始めに、この学校を面白おかしくしてやろうじゃねぇか!」
狂太郎は不気味な笑顔でそう言い放つ。リリスもそれに呼応して八重歯を出して笑っている。
「わっはっはっは」
「にゃっはっはっは」
もはや二人に怖いものはない。二人は誰にも劣らない天才なのだから。
だが、この世界も捨てたものではない。そんな魔王に立ち向かおうとする、命知らずな勇者は一人ぐらいいるのだ。
十全寺は、きりっとメガネのブリッジを抑えた。
「……いいでしょう、私はあなたが死ぬほど気に入らない。だから、あなたの心をへし折ってやります」
「ひゅー、そうっこなくっちゃ、勇者さん」
「私の“権限”によって、生徒会選をやり直させましょう。そしてどちらが“正しい”か、雌雄を決しましょう」
「ほぉー、じゃあ、勝った方が“魔王”ってワケか」
「いいえ、“勇者”です」
狂太郎も十全寺もお互い引くことはない。ただまっすぐ前を見据えている。
「細かい選挙のルールは、昨年の選挙にのっとったものとします」
「要は、どっちがより多く票を手にするかで決める、直接選挙ってヤツだろ。でだ、その選挙に落選した場合はどうする?」
「落選したほうは……そうですね、今後一切授業をサボらない、授業に不必要なものは持ってこない……学園のキマリを1ミリたりとも逸脱しない生活を送ってもらいます」
「……それって俺が負けた場合にしか意味なくねぇか?」
「なにか不都合でも?」
「まぁいいか、無理言って選挙のやり直しを言ったのはこっちだし、負けた場合の処遇は煮るなり焼くなり食うなり好きにしろ」
「ニャー、キョータロウはオトコマエだニャ」
狂太郎は自信に満ちた表情を浮かべる。その顔に一抹の不安もない。ただただ無垢な少年の心のように燃え滾っていた。
「選挙は1週間後です。せいぜいそれまでに、票数を稼ぐために奔走しておいてください。もっとも、無意味な生徒会選になることは火を見るより明らかでしょうが」
「へっ、負けたらせいぜいメガネの奥で涙を流しておくんだな! そして俺の俺による俺のための生徒会ってやつを見るがいいさ!」
「そんなこと、絶対にありえません」
「世の中に絶対はないんだぜ」
二人の間にはマリアナ海溝よりも深い溝ができていた。両者、絶対に分かり合えることはない。分かり合えないからこそ戦い、己の悪を、もしくは正義を貫こうとする。
「俺は」
「私は」
「絶対にキョータロウは負けないニャ!」
「……あなたたちになんか、負けません!」
こうして、狂太郎の学校征服――という名の生徒会選挙が始まった。
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