第二幕 学校征服! C

「はぁああああああー」

 始業のベルが鳴ったばかりだというのに、狂太郎は精力を使い果たしてしまっていた。

 ネコバスという名の魔王ジェットコースターに乗り、衆人環視、カワイイ後輩でありキョウフの後輩であるところの詩恋ちゃんに(リリスが)殺されかけ、何とか誤解が解けたもののまたもリリスの姿が衆目に晒され……

 最終的にリリスの『錯視トリックアート』という都合のいい魔法で、リリスの正体はバレることはなかったのだが。

「おいおい尾田ぁ? どーしたんだよ減量中のボクサーみたいな顔してさー」

 とひょうきんな声と顔と性格を醸し出すのは、香芝マサル。なりゆきで狂太郎とつるむこととなった刺身のツマのような存在である。

「俺は……燃え尽きた」

「おいおい朝から真っ白ってどういうことよ? そーいえばお前、詩恋ちゃんと今朝も仲良くしてたそーじゃないか! とーいうことはつまりアレか? お前が落ち込んでるのは詩恋ちゃんとなにかあった、もしくは猛烈アタックしてフラれたとかか!」

「……それは絶対にないな」

「なんだよその妙な自信は! ちょっとは謙遜するってのが日本人ってヤツじゃないのか!」

 香芝は変顔で怒っていた。詩恋が狂太郎に愛想をつかすなんてことは死んでもないのである。そう、死んでも……

「ふーん、いーもーんだ。所詮お前と詩恋ちゃんは幼なじみの仲、幼なじみが結ばれないのはゲームや漫画じゃ常識だ! だから詩恋ちゃんのハートをゲットするのはこの俺!」

「……それは絶対にないな」

「コピペみたいに返すんじゃねぇよ!」

 狂太郎はそんなふうに、友人のようななにかである香芝と話していた。香芝という生命体はおちゃらけた感じであるがその頭脳は狂太郎と引けを取らないモノだったりする。狂太郎と違って活発な性格で、剣道部で好成績を残しているのだとか。

「で、尾田よ。どーしてお前さんそんなに元気ないんだ? いつもはフツーに元気ない感じだけど、今日はマジに元気がないぞ」

「オマエ、俺の家に異世界から来た魔王の娘がやってきた……なーんて話信じるか?」

「ああ。信じてやるさ。そのアニメどこの放送局でやってるんだ?」

「たぶんアニメ化も書籍化もありえないだろうな」

 なーんて、毒を吐く狂太郎。

「はっはっは! 魔王の娘なんか現れちゃ、フツーに学校なんか登校しねぇって」

「それがしちゃうんだよなー」

 なんて狂太郎がつぶやく前の席。そこにリリスがいた。現在、『雲隠』の魔法でリリスは姿を隠しているのだが。

 そして、1時間目が始まる――


「…………」

 狂太郎のストレスは閾値をとうに超えていた。

 今は数学の授業時間。ただでさえ退屈で死にそうな数学の時間であったのだが、狂太郎には禿頭の数学教師――名前を忘れた、以上に迷惑な存在がいた。

「にゃにゃにゃにゃにゃー」

 狂太郎の隣、どこかから持ち出してきた座布団に寝っ転がって、ぐうたらとタブレット端末を操作するリリスの姿があった。

「すごいニャ。日本の漫画は面白いニャ」

「…………」

 そう言ってリリスはタブレットの漫画をパラパラめくっている。狂太郎が昔衝動買いした超大作冒険バトル漫画(現在も連載中)だが、リリスのずば抜けた動体視力なら一日もかからずに読破できるだろう。

 そのゴロゴロと漫画を読む姿は、心に余裕があるときはほほえましく見えるかもしれないが、鬱屈した狂太郎には授業という拘束を逃れてのんきにするリリスは妬ましい存在でしかない。言うなれば、奴隷が汗水流している中、王様が優雅にスイーツ食ってるようなものである。

「ムダムダムダーだニャ」

 リリスは漫画を読みながらニボシをつまむ。バリボリ。ついでに狂太郎のお茶も勝手に飲む。ゴクゴク。静かでつまんないニャ、と言ってBGMをかける。ジャンジャンジャン、流行りのJポップミュージック!

「うるせぇんだよテメェ! ここはサテンでもネカフェでもジタクでもねぇ! 俺が拷問のような授業を受けてる間下僕のお前が悠々自適にくつろぐなんざおかしすぎるだろうがぁ! 少しは静かにしろこのネコミミ!」

「うニャ、うるさいニャジョータロウ」

「俺はジョウタロウじゃねぇ! てめーは俺を怒らせたぁー!」

 そんな風に狂太郎は、昨日の延長の感じでリリスと言い合っていた。

 しかしここは自宅でなく学校。しかもリリスは公共の福祉を犯さないために律儀に『雲隠』しているため――クラスメートたちからは『狂太郎だけが騒いでいる』ように見えるのである。

「あー……」

 それを気づいた狂太郎は冷たい汗を一筋溢した。狂太郎のクラス、2年A組の生徒はいつもよりはっちゃけた狂太郎の奇行に、嘲りよりも驚きのほうが勝っていた。

「お、お、おおおおおお尾田君! 君はまた私の授業中に騒いでぇ――!」

 禿頭の数学教師、名前は――知らないけど、が巨大三角定規片手に叫んでいる。今日の授業は幾何学だったようだ。

「キョータロウ、なんでこのオッサンは怒ってるニャ?」

「教師のプライドを傷つけられたからだろう。あーあ、大人ってヤダねぇ」

「君はまたよくわからん独り言を!」

 数学教師のアタマがてかっていた。

「なんだねこれは! またこんなゲーム機なんか持ち込んで!」

「先生、これゲーム機じゃなくてタブレット端末ですよ」

 数学教師はリリスが置いていたタブレットを指さしている。リリスは見えなくともタブレットは見えるようだ。

「どっちも一緒だろうが! まったく最近のヤツはゲームと現実の区別もつかなくなって、ロクな事せんからなぁ! ほんとう、ゲームは害悪だ!」

 と、数学教師は声を大きくして言い放った。

 狂太郎はそのもの言いにカチンと来たものの、これ以上言い合ってもエネルギーを無駄に消費するばかりだと思っておとなしく――

「オヌシ! ゲームを馬鹿にするニャ!」

「ニャ、ニャ? 尾田くん、また君かね!?」

「いや、どう聞いても俺の声じゃないっしょ!?」

「君以外に誰も口を動かしてないじゃないか!」

 理不尽にも狂太郎は怒られる。リリスの姿は周りに見えないため、現実的に考えると狂太郎が発した言葉になってしまうのだ。

 そんな狂太郎を慮ることなく、リリスは続ける。

「ゲームはニンゲンの手で作られたものニャ。いくらグラフィックがコージョウしてもそのソフトの部分はニンゲンの小さな頭脳で必死になって作られるものだニャ。たくさんの開発費と開発期間をかけて作られた匠の技ニャ! それを馬鹿にするなんてそんなオヌシのほうが大馬鹿野郎ニャ」

「と大魔王の娘リリスがおっしゃってます……」

「尾田くん! 私に盾突くというのかね!」

 リリスの熱弁は、数学教師には狂太郎の言葉に聞こえたそうだ。

「とにかくいまは数学の時間だ! 君はゲームと現実の区別をつけたまえ!」

「ゲームと現実の区別……ねぇ」

 狂太郎は、はぁ、とため息をつく。リリスの熱弁に突き動かされてか、狂太郎の中のなにかよくわからないものが目覚めた。

「ゲームと現実の区別なんて、つくわけねぇよ」

 と、狂太郎は突っぱねるように言い放った。

「き、君はまたそう言って屁理屈を!」

「この世界が本当に現実か、はたまた超高解像度でオープンワールドでクソゲーなゲームなのか、判別なんざゲームマスターにしかわかんねぇぜ。数学の先生なら、この世界が『ゲーム』じゃないってこと“証明”してみてくださいよ。演繹的に、帰納的に、逆説的に……」

 ゲームと現実なんてもの、区別なんてできない。もはやそれは哲学の領域である。

 いまやVRやARで仮想現実を体験できる時代である。現実世界の中から現実世界そっくりの仮想世界を作り上げることができるのだ。なら、その逆のことも――仮想世界というものが作れるなら、この世界が仮想世界だということも考えられるのではないのか。

「き、キミはまた妙なことを……!」

「じゃー問題、この写真、ゲームのキャプチャでしょうか、それとも風景写真?」

 狂太郎がリリスからひったくったタブレットを突き出す。そこには1枚の写真があった。それはどこか辺鄙な山の中の風景である。

「こ、こんなものどう見ても風景の写真に……」

「ホントにそう思いますか? もしかしたらこれ、ゲームのキャプチャ画像かもしれませんよ? 今のゲームって解像度スゴイですし」

「ぐっ……」

 禿頭の数学教師は悩む。額に皺を寄せて汗を流している。

 いったい目の前の写真は現実の写真か、それともゲームか。『現実とゲームの区別』について怒っていた手前、この写真の正体を暴かないわけには教師の威厳は保てまい。

 それゆえに、深く悩む。

「こ、これは本物の風景……」

「ぶっぶー、これはゲームのキャプチャ画像でした。残念でした先生」

「なっ……。そんな馬鹿な!」

 数学教師は顔を青くする。いつも目の敵にしていた狂太郎に言い負かされ、もはやプライドはズタボロである。生徒たちも狂太郎の熱弁に興味を持ち、関心を示している。

 数学教師にとってとても居心地の悪い空間が出来上がる。もとより退屈な授業を歓迎する生徒など、このクラスにはいなかったのだが。

「きょ、今日の授業は……まだ早いがここまでにする!」

 そう言って数学教師は逃げるように教室を去っていく。

「なんか先生に悪いことしちまったなー」

 狂太郎にとって授業はどうでもいいことなのだが、別に誰かを傷つけるつもりはなかったのだ。ただリリスのせいで成り行き上こうなってしまっただけである。

「キョータロウすごいニャ。あのツマンナイ数学教師を追い払うなんてアッパレだニャ」

「全部お前がまいた種だろ。まったく、俺の成績がやばくなったらどうしてくれんだよ」

 しかし狂太郎はあまり怒っていない。ストレスもいくらか吹き飛んでいた。

「でもキョータロウ、いまのゲームの絵はこんなにキレイなのかニャ。まるで本物の山の写真のようだニャ」

「まぁこれ、ホンモノの山の写真だしな」

「ニャ!? じゃ、じゃあ数学教師の答えは合っていたのかニャ?」

「まーな。でもアイツは俺のブラフにまんまとハマりやがった。はっはっは! 人を騙すってのはやっぱり清々しいぜ!」

「さすが狂太郎! 大魔王になる男だニャ」

 狂太郎は笑い声をあげる。

「おい、尾田よ。オマエさっきからなにブツブツ空気と会話してんだ?」

 狂太郎とリリスの会話は、リリスが透明なため傍から見れば狂太郎が独り言を言っているようにしか見えないのである。

「香芝、俺実はスタンド能力に目覚めてな」

「マジかよ!」

「ああ、実は昨日なんかくろーい矢が尻に突き刺さってな。というわけで」

「ドラララララ――ッ!」

「ぎゃあああああああ! やめろ俺は新手のスタンド使いじゃなーい!」

 香芝は見えない攻撃、リリスの猫パンチを受けていた。

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