第一幕 魔王とエンカウント D

「で……だな」

 狂太郎はリリスと笑いあった後、ふとリリスの身体へと目を向ける。背は小さく、狂太郎の腰の位置ほどであるのだが。

「どーしたのかニャ、キョータロウ」

「いままで言いそびれていたんだがな、お前……」

「ニャ?」

「すんげぇ臭いぞ」

 異世界に来て1週間。着の身着のままの野生生活を強いられていたリリスの身体は、自然と鼻を突くような異臭を放っていたのだった。


 狂太郎はワケあって一人暮らしである。そのため、高校生でありながら主婦にも劣らない家事スキルを有している。

 そして狂太郎は綺麗好きでもある。重曹で排水溝を掃除するのがひそかな趣味となるくらいの綺麗好きである。

 そんな綺麗好きだからこそ、リリスの異臭にはことのほか敏感に反応したのである。


「いまからお前を丸洗いする! ニオイが消えるまで洗い続けるぞ!」

「ニャーせっけんが目に染みるニャー!」

「目えつぶってろ! うわぁ、アカがボロボロ出てくるぜ……」

 狂太郎は下僕であり魔王であるリリスの身体を洗っていた。

 もちろん、ハダカ同士のお付き合いであるのだが。リリスは『ワガハイ』という一人称を除けば、見た目は小さな女の子である。男湯に入っても問題ないほどの幼女なら、一緒に風呂に入っても問題ないだろうというわけで、さして考えず狂太郎はリリスと風呂に入っている。

(まぁ相手は大魔王の娘だし、法律は適用されないよな)

 狂太郎は女性に免疫があるわけではないが、小さな子供にはかなりの免疫があったりする。

 スポンジでリリスの身体を耳の先からシッポの先まで洗い終えた。狂太郎とリリスは二人湯船で茹っていた。

「ニャー、こういうのを“ゴクラク”というのかニャ」

「どうして異世界生まれのお前がそんなことを知ってんだ?」

「辞書で学習したニャ。ワガハイは賢いから、一日で日本語をマスターしたニャ」

「一日で日本語……異界の言葉を理解できたのか」

 狂太郎は思う。リリスの荒唐無稽であるが、どこか理性のある感じ。ただの荒々しい魔物ではなく、知能の備わったところは目を見張るところがある。

「図書館で本を読んで調べたニャ。こーじえんを読んで、ある程度の単語を理解して、ニンゲンの話す言葉を解析して、文法も理解してわかったニャ。日本語は文字が多くて大変だったけど、学べればなかなかクセのあるおもしろい言葉だニャ」

「本当に一日で日本語を理解できたなら、お前はもしかしてメチャクチャ頭がいいのか……」

「ワガハイは賢いニャ!」

 リリスが自慢げに言い放った。

「ところでどうしてお前の一人称は『ワガハイ』なんだ?」

「うニャ? ネコの一人称は『ワガハイ』になるんじゃないのかニャ?」

 『吾輩は猫である』――とは確か、猫目線で社会を皮肉った風刺小説なのだが。

「それは例の小説の中での話だよ……。そもそも、人語を理解するネコなんざ、現実にはいないんだよ」

「ニャー、はじめてこの世界で読んだ小説がアレだから、すっかりうつっちゃったのニャ。もー面倒だからワガハイはワガハイでいいニャ」

「そもそもオマエ、猫じゃなくて大魔王の娘なんじゃ……」

「パパは大魔王だけど、ママは“猫憑き”なんだニャ。だからワガハイにはネコの血が流れてるのニャ」

「大魔王と猫憑きのあいのこ……ねぇ。それでオマエはそのママとパパのいる世界からこっちにやってきたと」

「ニャ」

「で、そのパパとママは……」

「たぶん、勇者にやられて、もう……」

 リリスは入浴剤の入った、白い水面を眺める。白濁した水面に自分の顔がうっすらと映る。

「なーにしんみりしてんだよ。大魔王の娘なら、しっかりしろよ」

「ニャ……」

「この世界を征服して、あの世のお前のおふくろさんを喜ばしてやろうぜ」

「でも……ママは乱暴なことしちゃいけないって、いつも言ってたニャ」

「なんだよ、大魔王の奥さんは意外と常識人か……? ならさ、やさしい世界征服をやってやろうぜ!」

「やさしい世界征服?」

「そうだ。誰も傷つかない、みぃんなが笑っていられるハッピーな世界を作り上げる、そんな世界征服を目指そうぜ!」

「ニャー、それならママも怒らないニャ。パパも満足してくれるニャ」

「だろ。だったら俺についてこいリリス!」

 ザバッ、と湯を滴らせ狂太郎は立ち上がる。

「キョータロウ! とってもすごいニャ!」

「はっはっは!」

「でも股の間のモノは小さすぎるニャ。パパの10分の1ほどニャ」

「テメェどこ見てんだよ!」

 狂太郎はすかさず股に手を当て、恥じらいを見せた。


 風呂を上がったリリスと狂太郎は、ジャージへと着替えた。

 狂太郎は愛用のダサい緑のジャージ。リリスのほうはピンク色のフードのついたジャージを着ていた。

「キョータロウありがとうニャ。ワガハイのために下着と服を用意してくれて」

「まぁ、お前は俺の下僕1号だからな。手厚く養ってやるさ」

「この服は動きやすくて、そのうえかわいいニャ。気に入ったニャ」

 リリスはテレビの前でくるりと回る。その愛らしい姿に狂太郎は思わず笑みがこぼれる。そして一瞬、過去を思い起こす――

「――っと、もうこんな時間だ。メシを作らねぇと」

 時刻は7時半。いつもならすでに夕食を食べ終えている時間である。しかし今はごはんもろくに炊けていない。

「リリス、お前はそこで待ってろ」

「ニャー、それじゃあゴホンを呼んでおくニャ」

「ああ、ゴロゴロしといてくれ。テレビもつけといていいからさ」

「テレビ?」

「なんだお前、テレビを知らないのか」

 狂太郎はテレビのリモコン――がないので、テレビ本体の主電源を点けた。

「ニャ、たしかこれは電圧により液晶の屈折率が変わって色とりどりの光の絵が描かれるというテレビというやつかニャ!」

「詳しいのか疎いのかてんでわかんねぇな……」

「ニャー、単語としては知っていたけど、ワガハイの世界にないものだからイマイチ理解できていなかったニャ。で、これはなんなのニャ?」

「簡単に言えば……電子紙芝居か?」

「紙芝居なら知ってるニャ? つまり電気で動く紙芝居かニャ!」

「まぁ端的に言えばそうだ」

 テレビ画面の中にはスーツを着たニュースキャスターが淡々とニュースを読み上げていた。

「まぁ、とにかくくつろいどけよ」

 狂太郎はテレビにかじりつくリリスをよそに、キッチンへと向かっていた。


 狂太郎は一般的男子と比べて料理ができるそうな。

 まさに才色兼備で、嫁の貰い手に困らないだろうが、残念ながら男である。そのスキルも狂太郎が一人暮らしの末に生み出したものであるのだが。

「時間がなかったから、残り物ばかりだけどガマンしてくれ」

 お盆に料理を伸せ、狂太郎はリビングへと向かう。

「ニャニャ? なんだかいい匂いがするニャ」

「さすが猫、いい鼻してるぜ」

 テーブルに並ぶ庶民的な膳。

 早炊きされた、少し硬めの白ご飯。豆腐とわかめの、ほんわりとした味噌汁。

 一夜干ししたアジの開き(リリスに食われなかった分)を焼いたもの。そして残り物の煮物。食生活の乱れが叫ばれる昨今にしては珍しい、庶民的で和風な夕食であった。

「なかなかいい香りがするニャ」

「異世界の大魔王のくせに、和食のニオイが好きだとは変わってるな。オマエの世界じゃこんなものあんまり出なかったろう」

「そーだにゃ。おさかなは貴重だったから、ワガハイは好物だったニャ」

「で、オマエ箸は使えるか?」

 狂太郎はリリスに箸を渡す。それは子供用の短いものだった。

「これが箸、ちょっぷすてぃっくかニャ? たしかこーやって使うと習ったことがあるニャ」

「図書館の本で習ったのか……」

 おぼつかない手でリリスは箸を掴んでいた。理解はできても動作がうまくいくとは限らない。スポーツと同じだ。

「とにかく食べるニャ。あ、たしか食べる前に『いただきます』を言うんだったニャ」

「ホント日本好きの外国人並みに知識はあるようだな。じゃ、合掌」

「いただきますニャ」

「いただきます」

 それは狂太郎にとって久しぶりとなる、誰かとの食事となった。


「キョータロウのメシはうまいニャ」

 リリスはアジの開きを手づかみでほおばりながらつぶやいた。

「ちゃんとほかのモンも食えよ」

「分かったニャ」

 そう言ってリリスは漆の椀に入った味噌汁に手を伸ばす。そしてペロッと下をアインシュタインの顔写真みたいに出すが、

「ニャニャ! 熱いニャア!」

「なんだよオマエ、猫だから猫舌だってのか」

「熱くて味がわからないニャ。こーなったら息で覚ますニャ」

 リリスはすぅ、と息をちいさく吸うと、

「氷結颪(コキュートス)!」

 そう言い放つ。すると息とともに、ドライアイスが昇華したみたいな空気が流れる。

 一瞬にして、食卓が凍り付いた。リリスの味噌汁がシャーベットと化していた。

「ニャー、これなら安心して食べられるニャ」

「なにすんだテメェ! 魔法で味噌汁冷ますとか、俺の白飯も凍っちまったじゃねぇか!」

「キョータロウは細かい男だニャー」

「オマエが大雑把すぎんだよ!」

 そんな、和やかな夕食のひと時――

『今朝、佐野防衛大臣が提言したことにより、防衛省は――』

 テレビ画面に防衛大臣の姿がうつったとき、狂太郎は顔をしかめた。

「リリス、お前の好きそうなアニメでも見せてやろうか」

「あにめ? 映写機で映すやつかニャ」

「オマエのその付け焼刃の知識はどうも偏ってるなぁ……。とにかくチャンネル変えるぜ」

 狂太郎はスマホをリモコン替わりにしてテレビのチャンネルを変えた。


「ニャニャー、アニメとはこんなに面白いのかニャ」

「日本はアニメ大国だからな」

「それでキョータロウ、おひねりはいくら出せばいいニャ? どうやって渡せばいいニャ?」

「NHKじゃないんだし、金は払わなくていいよ。広告とかで稼いでんだよ」

「にゃにゃ、そうなのかニャ!」

「アニメだけじゃない、日本にはいろんなコンテンツがあふれている。ゲームに漫画に……。GDP上位国サマサマだぜ」

 そう言って狂太郎はリリスにタブレットを渡した。

「ニャ? 薄くて小さいテレビだニャ」

「さっきも見せたろう。これはタブレットでな、ネットにつなげて、いろんな電子的な娯楽、情報コンテンツが手に入る、文明の利器ってやつさ」

「なんだかよくわからないがすごいものなのかニャ?」

「まーな。試しに触ってみろよ」

 リリスは狂太郎よりタブレット端末をもらい受けると、じろじろとそれを見る。

「どーやって使うのかニャ。説明書が欲しいニャ」

「こーやってタップ、指で触るだけでいいんだぜ」

「ニャニャー。画面が変わったニャ」

 リリスは大興奮でタブレット端末を触っていた。

(しばらく触らせてやるか)

 夕食を終え、すっかり気が緩んでいた狂太郎はそう思った。

「狂太郎すごいニャ! こーやってタップするだけで魔物がイチコロニャ!」

「おお、ゲームをやってるのか」

「すごいニャ。いろんな本が読み放題だニャ」

「……今度は電子書籍か」

「この検索バーにコトバを入力するだけでいろんなことがわかるニャ」

「今度はネットかよ……」

 リリスは竹のような成長速度で、タブレット端末を使いこなしている。

 その成長速度は目を見張るものであったが、

「あー眠い……」

 狂太郎はすっかり眠たくなっていた。

 いつもなら深夜帯まで起きている狂太郎であるが、リリスという厄介者が現れたせいで狂太郎は心身ともに疲れていた。

「リリス、俺は寝るぜ」

「ニャー、もう寝ちゃうかニャ?」

「オマエはまだ眠たくないか?」

 時刻はまだ9時過ぎ。いまどきの子供はこの時間には寝ないだろう。

「俺は寝るぜ。宿題は……まぁいいか。明日も学校だし……」

 狂太郎はそんなふうに、ぼんやりと明日のことを考えていた。

 大魔王の娘を下僕にし、世界征服を誓ったというのにずいぶんと庶民的な考えにしか至らないのである。

(まー世界征服は、明日から考えるか)

 はたして狂太郎とリリスはどこまで本気で世界征服を考えているのか。

「ニャハハハハハハハハ! この猫が段ボールにツッコム動画面白いニャ!」

 狂太郎は瞼を閉じる。

 しかし、夜行性なリリスはタブレットに黄色い双眸を向けていた。

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