第一幕 魔王とエンカウント C


☆☆☆


 大魔王が死んだ。

 勇者が魔王を討ち滅ぼした。

 それは人類側にとっての栄光であり、そして魔族側にとっての悲劇であった。

「ママっ! パパが剣で刺されたニャ! ワラワはどうすればいいニャ!」

「リリス……」

 途方に暮れる猫耳の我が娘に、母親――猫耳の“悪魔憑き”はただただ娘を抱きしめていた。

 大魔王と、人類に見放された悪魔憑きの間に生まれた娘――

 滅びの運命と、厄災の運命を受け継ぐその存在は、しかし、さびれた魔王城で愛らしい姿をしていた。

 どうしてこの子が、と。悪魔憑きの母は涙を瞼に乗せ、悲嘆に暮れていた。

 どうか、この子だけは。

 たとえ、いずれ世界が滅びようとも、この子だけは――と思うのは、親心である。

「リリス、どうかあなただけは生き延びなさい」

「ママっ!」

 母親は、娘に丸い水晶を突き出す。

 大魔王の娘は――ガラスを通り抜けたような白い光に包まれる。

「さようなら、リリス。あなたは生き――」

 白い光の向こう側、母親が銀の剣で斬られる情景――

 ぷっつりと、視界が黒い幕に覆われる。

「ままぁああああー!」


☆☆☆


「にゃ」

「お目覚めか、びっくり人間」

 現世へと落ちた大魔王の娘。

 ぱちり、と目を見開いた世界には、穴の空いたアパートのリビング。

 そして、学ラン姿で不敵な笑みを浮かべる天才――狂太郎の姿があった。

「大魔王の娘だか、知的生命体か知らねぇが。お前の身柄は拘束させてもらったぞ」

「ニャ、ニャニャア!」

 猫耳は首元の違和感に気づく。

 そこに首輪があった。それは鉄でできた硬い首輪である。その首輪はさらに紐につながれ、その紐は大きな箪笥へと繋がれている。

「なんなのだこの首輪は! こんなのでワガハイをコウソクできると思ったのかキサマ!」

「ああ、オマエなんかその首輪一つで十分だ」

「こんなものワガハイの一握りで」

「はいおしおきー」

 狂太郎はカチリ、と手元のスイッチを押した。

 すると、鉄製の首輪からもこっとネコジャラシのような毛が生えた。そのモコモコは猫耳の首をくすぐった。

「にゃ、ニャハハハハハハハハハハハハハハハハ!」

「どうだ参ったか猫耳野郎! その鉄の首輪は俺が5分でCAD設計、3Dプリントしたものでな! 首輪は中が空洞で、表面がアナボコ。中に毛糸が入っていて、それが中の機構が作動するとニョッキリ穴から這い出て、まるでネコジャラシのようになるってわけさ! 名付けて『エノコロリング』! 特許出願中だ!」

 狂太郎が鼻を高くして説明している中、猫耳は『エノコロリング』の毛糸にくすぐられ、涙を流すほどの笑い声をあげている。

「ニャハハハハハハ! た、助けてくれなのニャ! ワガハイは笑いすぎて喉がつぶれて死んでしまうのニャ!」

「人にものを頼むときは頭を下げろ! 額を床につけて『誉れ高き狂太郎様』と叫ぶがいい」

「ははぁー! 誉れ高きキョータロウ様!」

 身もだえしながらも、猫耳は頭を額につけていた。

 その姿を見て、狂太郎は矛を収める。エネコロリングの電源を切った。

「所詮は弱肉強食ってワケだ。強いヤツが偉い、それがこの世界の理だ」

「オヌシは……やはり、ニンゲンか」

「そういうオマエは何者だぁ? このさい、洗いざらい話してもらう。おあつらえ向きに、どうもお前は人語というか日本語を解すようだからな」

「ニャ……」

「話さなきゃ、エネコロリングを起動するぞ」

「それはヤメロニャ!」

 猫耳は首元を抑えてぶるぶると震えている。破天荒なヤツであるが、案外学習能力はあるようである。

「ワガハイは……」

「ワガハイは?」

「……猫である」

「……猫である、っていつの時代の小説の引用だよ」

「名前はリリスだニャ」


 大魔王の娘――リリス曰く。

 リリスは異世界よりやってきた大魔王の娘だそうな。勇者に大魔王が倒され、その勇者から逃げるため異世界へ飛び立った。

 そして落ちた先は太陽系の地球の日本の郊外――奈良県である。

 そこでおよそ一週間、まさしく野良猫のように放浪していたのだったが、ふと見上げたアパートから、一夜干しのうまそうなにおいを嗅ぎつけ、狂太郎のベランダに不法侵入。ついでにほかの食料も手に入れようと偶然空いていた窓から侵入したさい、狂太郎と出会ったそうな。


「それがお前のいきさつってわけか」

「そうだニャ」

「……精神鑑定が必要か。コイツか、もしくは俺の」

 狂太郎はため息をついた。

「オヌシ、ワガハイのことを信じないのかニャ!」

「大魔王なんてこの世界にはいないんだよ。いるのはRPGの、空想の世界だけだ。お前が大魔王だっていうのなら、その証拠でも見せてみろ」

「しょうこ?」

「ああ。口から炎でも吹けば、認めてやろうじゃないか」

「それでいいのかニャ。じゃー火蜥蜴息吹サラマンダーブレス!」

 リリスが満面の笑みで叫ぶ。口を大きく丸く開くと、そこから炎の柱が一直線に伸びる。

「が……ぁ」

 狂太郎の空いた口がふさがらない。リリスの吐き出した炎は、壁を黒く燻ぶらせた。

「な、なにを……なにをやってくれたんだ! また俺の家がメチャクチャじゃないか!」

 狂太郎はリリスの人知を超えた力よりも家の被害を真っ先に嘆いた。いついかなる時も庶民感覚というものは抜けないものである。

「なんだニャ? この家を直せばいいのかニャ」

 とリリスはぼんやりと言った。

「それならお安い御用だニャ。さんざん暴れたお詫びにワガハイが直してやるニャ」

「は?」

 狂太郎は自信に満ちたリリスの姿に首を傾げる。いったいこいつはなにをおっぱじめるのかと、狂太郎は身構えたのだが。

「『戻れ、捻れ、廻れ――万物よ流転せよ!』だニャ!」

 どこかこじゃれた呪文をリリスはつぶやいた。狂太郎はいよいよコイツおかしいんじゃないかと一瞬思ったが。

「な、ぁ!」

 なんということでしょう。

 穴の空いた壁と炎で燻された壁が、ビデオの逆再生のように元に戻っております。そして、元のまっさらな白い壁に元通り!

「お、俺は夢を見てるのか……」

「違うニャ、ワガハイの魔法で壊れた壁を直したのニャ」

「魔法だってぇ!?」

 見ると、リリスの手から白い光が放たれていた。

 たとえるならそれは、ゲームのエフェクトである。いや、そのゲームのエフェクトの元ネタであるホンモノの“魔法”であるのだが……。

「ついでにテーブルも直しておくニャ」

 そう言ってものの数秒で、リリスは崩壊していた狂太郎の部屋を直したのだった。むしろ、もとよりキレイになったぐらいである。

「猫の恩返し……ってヤツか」

「大魔王さまの義理だニャ」

 ずいぶん気分よくリリスが答えた。

「どうだニャ、これでワガハイが大魔王の娘であることが分かったかニャ?」

「……うーむ」

 狂太郎は悩み苦しむ。あの目の前で起きた出来事。壊れたはずの壁が元通りになる。増大したはずのエントロピーが減少する――なんていう人知を超えた出来事が起きたのだ。

 科学で説明できないのなら、それはオカルト。まさか本当にコイツは大魔王の娘だってのか……。

「大魔王の娘か。ははは、そんなもんがこの世界に来るとはな」

「にゃ?」

「いいだろう! お前が大魔王の娘だってことを認めてやろう! ただし、今日からお前は俺の下僕だ!」

「ワガハイが、オヌシの下僕……」

「“オヌシ”じゃねぇぜ。狂太郎様だリリス」

 言うが早いが、狂太郎は一枚のコピー用紙を取り出す。それはものの数秒で書き終えた『誓約書』であった。

「この誓約書にサインしろ。それでオマエは俺の下僕となるんだ」

「だ、大魔王の娘であるワガハイを下僕にするつもりかニャ!」

「そーだ。お前は俺に負けたんだ。弱肉強食、強いものが弱いものにひれ伏すのは自然の摂理だろう」

「そ、そんなのワガハイの魔法で……」

「エネコロリングを起動させようか?」

「ニャ、卑怯だニャ!」

 エントロピーを減少させるほどの力を持つリリスであったが、天才である狂太郎になぜか頭が上がらない。エネコロリングの頸木は、孫悟空の緊箍児のようにリリスを拘束する。

「はやく契約書にサインをするんだ」

「オヌシはワガハイを下僕にしていったい何をするつもりだニャ」

「は、そんなの決まってるじゃねぇか」

「まさか……ワガハイにエッチなことをしようとしてるかニャ?」

「んなこたしねーよ! 俺はそんなストライクゾーン低くねぇぞ!」

「オトコはケダモノとパパがよく言っていたニャ」

「オマエみたいなチビに欲情したらオシマイだろうがよ……」

「ちなみにワガハイはこう見えて110歳だニャ」

「まさかのロリババア設定かよ!」

 もはやリリスのトンデモに免疫のついた狂太郎は、真偽を確かめることなくため息をつくばかりだった。

「じゃーオヌシ、キョータロウはいったいワガハイを捕らえてどうするつもりだニャ」

「ふっふっふ、よくぞ聞いてくれた忠実な下僕よ!」

「まだ誓約書にサインしてないから下僕じゃないニャ」

「細かいこと言うなよ。俺は現実主義者だが、ひとまずお前が大魔王の娘で、人知を超えた力を持つことは認めてやるよ。だから、その代わりお前に頼みたいことがあるんだよ」

「ワガハイに……なにを頼むかニャ」

「世界征服だよ! お前の力を使ってこの世界を征服するんだよ!!」

「にゃ……んだと」

 そういって狂太郎はA4サイズの電子端末(タブレット)を取り出す。そこに、地球が映っていた。

「これがこの世界、地球だ。人間の統括する惑星だ!」

「ニャー、小さいニャ」

「なにを言うか。地球の円周は約4万キロ。俺たちのいる日本はここで、俺たちの住む町は点ほどの大きさになるぞ」

「ニャ……」リリスは舌を出して驚いていた。

「俺はこの日本に住んでいるがな。日々が退屈で退屈でたまらないんだよ」

「たいくつ?」

「そうだ。命を脅かされることもなく、財産を脅かされることもない。ただただ平和で平坦な平穏な日常なんて、もうゴメンなんだよ! だからお前が必要なんだよリリス!」

「ニャ!」

 狂太郎はリリスの手を取る。ガラスの向こう側の世界はすでに夕焼け色に染まり、あともう少しでたそがれ時となる。

 魔王のいない日常はつまらない。それはつい1時間前まで、狂太郎が念仏のように唱えていた願いだった。

「オヌシは、ワガハイが必要なのか」

「そうだ。俺はお前を待っていたんだよ! このぬるま湯の世界をぶっ壊してくれるやつをさ! 俺たちでこの世界を変えてやるんだ! この世界を征服して面白おかしい世界に書き換えてやる!」

「せかいせいふく……」

 それは、狂太郎の野望。

 そして、リリスの父、大魔王が志半ばで完遂できなかった夢――

 二人の野望が交わるとき、この世界の行く末に暗雲がかかる。

「すごいニャ! オヌシ、いやキョータロウ! 魔王の娘であるワガハイを下僕にして、世界征服をしようなんて狂気の沙汰だニャ!」

「それは誉め言葉と受け取っておくぜ。この狂太郎さまにできないことはない! 日本も、この世界も俺の――いや、俺たちのものだ!」

「にゃにゃあああ! キョータロウ!」

「俺たちはいま、ここに宣言する! いずれ俺たちはこの世界を恐怖のどん底に貶め、世紀末でヒャッハーな世界にすることを! ついでに核兵器とかは使わないエコでクリーンな世界征服を行うとここに誓う!」

「すごい! すごすぎるニャ! ワガハイのパパのようだニャ。決めたニャ、ワガハイはキョータロウの下僕になるニャ! そしておこぼれで世界の4分の1ぐらいは貰っておくニャ」

「さすが大魔王の娘、したたかだな。その暁にはオーストラリアぐらいはくれてやるぜ!」

「ワガハイはこの南極大陸がいいニャ」

「バカ野郎、そこは人が住めねぇぞ」

「ニャッハッハッハッハッハッハ!」

「わーっはっはっはっはっは!」

 狂太郎とリリス、二人は顔を突き合わせ笑いあう。

 そこに二人を分かつ壁はない。鉄の頸木も、種族の壁もなく、ただ二人は意気投合し、心を通い合わせ、不気味な笑い声をあげていた。

 魔王と天才。その最悪のコンビが今日、手を結んだ。

 世界はやがて、彼らの手に落ちることになる――のか?

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