第一幕 魔王とエンカウント B

 ソイツは頭に猫耳を生やした、闖入者だった。

 おまけに口にサカナを咥えている。それは狂太郎が昨晩ベランダで干していたアジの開きである。サカナの一昼夜干しはゴハンが進むと聞いて干したものだったのだが。

 それを猫耳生やした――小さな少女、もしくはミュータントが口にくわえている。

(……なにこの状況)

 あらゆることに冷めた態度を向けていた狂太郎が、柄にもなく驚いていた。

 なにせ、平和なこの日本で不法侵入、しかも相手は謎の生命体である。文章に起こしてしまえばアニメの世界の出来事である。

「ニャー」

 と、その生命体はか細く鳴いた。

 狂太郎は停止した空間のなか、驚く気持ちを抑え、状況を確認しようとする。

 目の前の生命体――

 まず目につくのは猫耳である。それは黒猫の耳を移植手術したみたいにきっちり少女のアタマに取り付いている。しかも時折乱数的に動いているという。

 そして猫耳の下は猫耳の毛と同色の黒い長髪である。猫耳さえなければ美人の髪なのだが、しかし、その少女の目は黄色い。

 そして、少女には二本の猟奇的な八重歯が生えていた。まるで猫と人間のあいのこのような存在であるが……。

 その少女――いや、幼女と言っていいほどの小柄な背丈のミュータントは、衣装道具みたいな、黒いローブと赤いマントを羽織っている。それはおそらく寒い地域用の服装なのだろう。フェルトで作られたものだ。

 そして首にはドクロの首飾りが……。

「…………」

 観察すればするほどわからない。猫耳で黄色い目、ハロウィンの衣装みたいな服。まさか、尻尾まで生えてるんじゃないかと狂太郎が目を凝らすと、

「はっ……」

 にょろりと、その猫耳幼女の尻から、黒いモールみたいな尻尾が床を這った。

(ヤバイヤバイヤバイ……)

 あれは妖怪か、モンスターか、宇宙生命体か。

 狂太郎はとっさにそう思ったが、狂太郎は仮にも天才である。そんな荒唐無稽な存在はNASAが認めない限り認めないのである。

(そうだ。これはドッキリじゃないのか……)

 と狂太郎は一瞬思ったが、この手のタチの悪いドッキリはPTAやら謎の団体やらにクレームを入れられかねないだろうから、最近では放送されていないはずだ。そもそもアポなしでドッキリなんて民事裁判モノである。

 じゃあいったい……。

(確かめるしか、ないか)

 確かめる。目の前のソレが、宇宙生命体か、それとも特殊メイクした子役か。

(まぁ、俺のアタマがノイローゼでおかしくなったって線もあるかもだが……)

 狂太郎はおもむろに手を伸ばす。

 そのアタマの双丘へ。もふもふの耳へと。

「にゃにゃあー!」

「あったけぇ! 血が通ってるぞ!」

 なんだこれは! ホンモノの猫耳だ!

 狂太郎は興奮を隠せない。あの猫の耳の何とも言えないモフモフ感。それは作り物では再現できない、ホンモノの猫耳だった。

「なにをするニャ! キサマ!」

「お前、言葉がしゃべれるのか」

 どうも、目の前の猫耳は人語を解せるようだ。しかし猫耳である。

 いったい目の前のものの正体は何者か。

「いや、なんにせよこんな珍妙な生物、一般人の手に負えるものじゃない。警察か、もしくはNASAに引き渡すか……」

「まさかきさまも、ワガハイを突き出すのか」

 目の前の猫耳は四つん這いになって身構える。臨戦態勢というわけか。

「お前が人間にしろ謎の生命体にしろ、そうするのが市民の義務だ。大人しく捕まって……」

「やだニャ!」

 猫耳はそう叫ぶ。

 そして、床に落ちていたTVのリモコンを拾うと、それを狂太郎目がけて投げつけた。

「うわっ」

 運動神経のあまりよろしくない狂太郎であったが、奇跡的に飛んでくるリモコンを躱すことができた。

 躱せなければ、狂太郎の命はなかったのだが。

「な……あっ……」

 コンクリートの壁に穴が開いていた。

 2LDKのアパートの部屋。狂太郎の背後の白い壁がハンマーで打ち抜かれたみたいに壊れていた。現在不在のお隣さんの部屋が丸見えとなっている。

 狂太郎の平穏な日常が、こうして壊されていく。

「ワガハイに手を出すニャ! ワガハイは大魔王の娘ニャ! いずれこの世界を征服してみせるニャ!」

「はっ……」

 クレヨンで描いたような、猫耳の妄言。

 だが、あのリモコンによる壁破壊で、その妄言が一蹴できなくなっている。

 魔王の娘……だって?

「ま、待てお前! 魔王の娘だかなんだか知らねぇが落ち着けよ! 俺の家を壊してどうするんだ! まだローン残ってんだぞ! しかも一人暮らしだし!」

「うるさい――ニャア!」

 猫耳は、部屋の中央のテーブルを持ち上げていた。それは狂太郎の背丈ほど(180センチ)ある大きなもので、とても猫耳が持ち上げられるものでないように見えるのだが。

 物理法則を鼻で笑うかのように、猫耳はそれを悠々と片手で持ち上げた。

「ニャ!」

 それを放り投げる。かんしゃくを起こした子供が、おもちゃを投げるみたいに。

 それは、立ち尽くす狂太郎目がけて放物線を描く。

「うわぁあああああああああ!」

 天才――の狂太郎はもはや、クールさを脱ぎ捨て、一目散に逃げだす。ただ一心不乱に。狭いアパートの入口へと舞い戻る。

 玄関に足を付けると、ちょうど狂太郎の真後ろでテーブルが落ちた。それは床を抉っていた。

(つまり、俺はアレを受けていたらひき肉に……)

 狂太郎は冷や汗をかいた。どうしてこんなB級ホラー映画的展開に巻き込まれているんだ。俺がいったい何をした! 猫に悪さなんかした覚えないぞ! と、不条理を恨み、ヤオヨロズの神々を睨んだ。

 しかし、頭の中で問答している場合ではない。

(とにかく逃げねぇと。でも、逃げ切れるのか。あんなヤバイやつに)

 もしかしたらアイツは地球の果てまで自分を追ってくるのではないのか。

 そうなれば、狂太郎に生きる道はない。ただ逃げるだけでは、問題を先延ばしにするだけになる。

(じゃあどうすればいい? 警察を呼ぶか? でもリモコン投げて壁破壊するヤツなんだぞ! 自衛隊でも呼ばねぇと対処できねぇぞ!)

 果たして自衛隊が駆けつけるまでに自分の命が持つかどうか。国がややこしい手続きをしている間にやられてしまうのがオチだろうと、狂太郎は悲惨なシミュレートをする。

(考えろ! 考えるんだ尾田狂太郎! 俺が今、すべきことは!)

 警察も自衛隊も頼っていられない。ならばどうすればいいか。

「なら、俺がやるしかないだろうがぁ!」

 狂太郎の中に宿っていた熱血魂。それが再稼働する。

 熱血、しかし冷血でもある。メタンハイドレートのような炎を狂太郎は上げる。

(相手は猫のあいのこみたいなヤツだ。なら、一か八か、勝負をかけてみるしかない!)

 狂太郎は脳をフル回転させ、最適解を導き出す。

 そして狂太郎は、勢いよく扉を開け、アパートの廊下へと出る。

 向かう先は大家さんの部屋。


「大家さん!」

「あら狂太郎くんじゃないの。どーしたのいったい?」

 ワイドショーを眺めながらせんべいをほおばる、典型的なおばさんの大家さん。その大家さんの足元にはドラネコが丸まって寝ていた。

「大家さんは猫を飼ってましたね!」

「あ、そうだけど。それがなにか? ウチはべつにペット禁止とかのキマリはないけど」

「じゃあペット用のマタタビって持ってますか?」

「マタタビ? ああ、それならたしか押し入れに……」

「ちょっと借りますよ!」

「ああ、狂太郎くん! いったいマタタビでなにをするつもりなのぉ!」


 アパートの自室へと戻った狂太郎は、恐れることなく廊下を突き進む。

 猫耳が放り投げたテーブルを飛び越え、そしてリビングで一夜干ししたアジを頬張る猫耳と対峙する。

「待たせたな。自称大魔王の娘!」

「ニャ、オヌシ逃げたんじゃないのかニャ?」

「逃げたら経験値、稼げねぇだろ!」

 狂太郎は声を荒げる。それは天才でなく、言うなれば蛮勇。

「猫耳野郎、ニンゲン様を甘く見るなよ! 歯ぁ食いしばれ!」

 狂太郎は拳を強く握り、猫耳へと挑みかかる。

「ワガハイをどうするつもりニャ!」

「大魔王の娘なら、退治しねぇとな!」

 狂太郎と猫耳の距離は1メートルほどに狭まる。猫耳は狂太郎の行動に驚いている。

 身の危険を感じた猫耳はとっさにソファーへと手を伸ばすが、時すでに遅し。

「喰らえ!」

 狂太郎の拳――から、白い粉が撒き散らされた。

 それはマタタビで、猫を陶酔させる魔法の粉であるが……。

「う、うにゃああああああ!」

 猫耳はその粉に当てられ、目を回す。そして頬を赤く染め、酒を飲んでいないのに酩酊し、独楽のように回ったあと、床へとグテンと倒れ込む。

「うにゃー。参ったニャー」

 こうして猫耳が、自称大魔王の娘が倒れた。

 狂太郎は拳を握りしめたまま、

「うーわぁ、魔王の娘、弱すぎ」

 そうどこか満足げな感じでつぶやいた。

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