魔王のいない日常はつまらない。

カッパ永久寺

第一幕 魔王とエンカウント A

「あー。この世界、マジつまんねぇー」

 天才は、ため息とともにそう溢した。

 西日の差す窓。退屈すぎるほどに見飽きた教室の風景。

 その教室の最後尾。まるで魔王様にでもなったかのような自由さで、天才は前かがみになって、机に頬を擦り付けて、机の下に隠している携帯機のゲームをプレイしていた。

 ちなみに今は授業中である。

 天才の周りの生徒たちは、真面目に、もしくは惰性でノートを取るか、もしくはペンを持ったまま、石像のように眠りこくる――そんなある意味普通の日本の学校風景である。

 この学校――小売山高校は偏差値の高い、進学校であるのだが。

 天才――狂太郎にとって、学校は陳腐なテレビCMのような、つまらない空間だった。

 学校、もとい。

 この日本が。

 この世界が。

 森羅万象、あらゆるものに対し、狂太郎きょうたろうは退屈していた。

「あーつまんねー、はやくおうちかえりたい。おうちかえりたい」

 呪文のように、狂太郎は独り言をつぶやいた。クラスメートたちはそんな狂太郎の奇行にすっかり免疫がついたのか、誰も見向きもしない。

 ただゲーム機を操作して、独り言をつぶやく狂太郎だけが浮き彫りとなる。

「…………お、尾田君! 君ねぇ!」

 ポキリ、と。石灰で形成されたチョークが折れる。

 教壇に立つ禿頭ハゲの数学教師――名前は覚えてない――が、狂太郎に歯を剥いて睨んでいた。

「私の授業中に堂々とゲームとは、どういうことかね!」

 授業中にゲームをやったら怒られる。それは小学生にもわかる規則ルールである。ゆえに、天才の狂太郎も重々承知。わかっていて、やっている。

「数学の時間にゲームしちゃいけない、なんて条例あるんですかー」

 狂太郎はぼんやりと口答えした。

「なにを言っとるんだ君は!」

「ゲームって、数学の知識が詰め込まれてるんですよ? 変数、関数、論理演算、AI……いま先生がやってる、カルピスの原液をバケツの水で薄めたみたいな授業よりも、よっぽど高度ですよ?」

「わ、私の授業が薄いカルピス……つまり、つまらないだと!」

 数学教師は唾が前の席に飛ぶほどの声をあげた。だが狂太郎はひるむどころか眉一つ動かさない。

「たかがゲームをピコピコやっておるだけで、屁理屈を言いおって! そこまで言うならこの問題を――」

むげんだいだ」

 狂太郎はすかさず答えた。黒板の問題個所を一瞬にして解いた。

 とたんに、額に皺を刻んでいた数学教師が重病人みたいに青くなる。

 二の句が継げない。狂太郎という生徒は、怠惰であるが天才である。ただの秀才でなく、それが決定事項であるかのように天才だ。

 そんなチートな存在に、教師たちはもはや注意を喚起することも諦めている。

 そして狂太郎は――

「つまんねぇー」

 ただ、退屈な時間を何度も周回プレイし続けてきたゲームのRPGに費やしていた。

 選ばれし勇者が邪知暴虐の魔王を倒す、取ってつけたようなストーリーの王道RPG。狂太郎はスキルやレアアイテムを駆使していかに“楽して”クリアできるか、を研究していた。

 プレイを初めてたった1時間。レベル1の勇者が魔王とエンカウントする。

 狂太郎は最適解を、楽な手を、確実に入力し――

 初期装備のダガー一振りで、魔王を倒した。


 キーンコーンカーンコーン。

「うわぁ、魔王弱すぎ」

 エンドロールも見ずに電源を切った狂太郎は、冷え切った教室の空気の中、カバンを手に教室を出ようとする。

「じゃ、せんせーさようならーっと」

 狂太郎は一人、下校した。


***


「あー、マジヌルゲーだ」

 狂太郎はいつものようにそうつぶやいた。

 狂太郎にとって、この日本はぬるま湯であった。

 命を脅かされることもない、まっとうに生きていれば衣食住の不自由もなく、おまけに面白おかしいコンテンツが満載で、モノによってはタダで手に入る。

 中世ヨーロッパの『パンとサーカス』を彷彿とさせるこの世界に飽き飽きしていた。

 日常はヌルゲー。

 あの、擦り切れるほどにプレイしたRPGのように。しかし、あのRPGの世界には魔王がいたが、この世界には魔王がいない。

 魔王のいない世界なんて、つまらない。

「あー、この世界に魔王現れてくれないかなー。そしたらさぁ、ちょっとはこの世界面白くなるのにさー」

 そんな独り言を胸に秘めて、狂太郎は我が家を目指す。

 狂太郎の住む町は奈良県の小売山市。都会でもなくド田舎というわけでもなく。いわゆる郊外――というところだろうか。

 狂太郎の通う高校は『小売山こうりやま高校』。小売山城という、歴史通しか知らないようなマイナーな城跡の隣にある一応進学校な公立高校。

 しかし狂太郎がこの学校を選んだ理由は『家に近いから』という安直なものだったりする。

 近鉄電車の沿線の道路を5分もかからず歩き、踏切を越え、途中のコンビニも、揚げ物屋も通り過ぎ、まっすぐ自宅であるアパート『小売山ハイツ』へとたどり着く。

 家に帰ったら何をしようか。

 狂太郎はふと考える。待ちに待った帰宅であったが、狂太郎の気分はあまりすぐれない。

 そのすぐれない理由は――今季のアニメが不作だとか、最近のゲームはシナリオが陳腐だとか、昨今のライトノベルはネタ切れだとか……そんなグチグチしたものもあるのだが。

 ただ単純に、この世界に飽きていた。

 かといって、『来世に乞うご期待!』といってアパートの屋上から身投げする気力もなく。ただ惰性で、月がぐるぐる衛星軌道を描くみたいに日々を送っている。

 ガラスに映る自分の顔にため息を吐いてやる。ガラスが曇っても世界は曇らない。ただ退屈な世界が何事もなかったかのように動いている。

「はぁ……」

 吐き切れないため息とともに狂太郎はアパートの3階へとエレベーターに乗って昇っていく。

 通路を通り、金属の扉を開ける。

 そこに――


「にゃ?」

 猫耳がいた。

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