最終話? ヤマユリのせい


 ~ 七月二十六日(金)

   緑=森 黄色=蛍 ~


 ヤマユリの花言葉 人生の楽しみ



「わんわんはいやなの。あれ、ぼくをふんづけてくるの」

「道久君は臆病だね。……よし。それじゃ、いいところに連れて行ってあげよう」

「どこ?」

「原村さんといってね、知り合いのお宅なんだ。すごく優しい、大きなワンワンがいるんだよ」

「……ふまない?」

「踏まないよ。きっと道久君、ワンワンのことを好きになってくれると思うよ」

「なんないの。だってわんわんは、せかいでにばんめにこわいどうぶつだから」

「二番目? じゃあ一番怖いのは、何の動物だい?」

「ほっちゃん」


 そんな返事に苦笑いした大きな背中へ。

 厳しい言葉がかけられます。


「ちょっと! 品出しもしないで出かける気!?」

「ご、ごめん。でも道久君が、犬嫌いのままじゃ可哀そうじゃないか」

「そんな子に大きな犬なんて見せたら、余計嫌いになるわよ。そんなことも分からないの?」

「ううん? ……あのね。悪い記憶は、抱えたままでいてはいけないんだ。誰かが上から明るい色で塗ってあげないと、人生を楽しむことが出来なくなる」

「…………それで、私の手には泥を塗るっての?」

「そ、そんなに汚れていないはずだから。品出し、お願いしてもいいかな?」


 女性は、心底嫌そうにため息をつくと。

 大きな背中の男性は。

 胸を押さえて苦笑いしながら。

 男の子を連れて出かけて行ったのでした。



 ~🌹~🌹~🌹~



 バイトから帰ってきて。

 お隣さんのダイニングを覗いてみれば。


 疲れた顔をしたおばさんが。

 懐かしい席に座っていました。


 ……そこは、もともとおじさんの席で。

 おじさんが亡くなってから、数年の間は。

 おばさんが、ずっと座っていたのです。



 穂咲のこともあり。

 思い出してしまったのでしょうか。


 また、体調など。

 悪くならないといいのですが。


「穂咲、まだふさぎ込んでいるのです?」

「ごめんね道久君。……私、どう言葉をかけていいか分からなくて」

「気にしなくていいのです。あいつがショックを受けているのは、あいつ自身のお粗末な記憶のせいですから」

「どういうこと?」


 俺はコップを借りて、水を一口含んでから。

 二階の、穂咲の部屋を見つめながら教えてあげました。


「普通なら、悲しい思い出ってやつは徐々に薄れていくから、たまにキーワードのような物を聞いてもショックは少ないはずなのです」

「そっか。ほっちゃんの場合、完全に忘れちゃうから」

「ええ。全部忘れて、一から思い出すから。だからショックになっちゃうのです」

「じゃあ……、慰めようもないわね」


 おばさんは、そう呟いたきり。

 かつてのように。

 しょんぼりと肩を落としてしまったので。


 久しぶりに。

 インスタントのコーヒーを淹れて。

 疲れたあご先へ置いてあげました。


「……ちょっと前までは、コーヒーカップを置くにも背伸びしてたのにね」

「ちょっとじゃないですよ。大昔なのです」

「ふふっ、大昔か。……おばさんはいいから、ほっちゃんをよろしくね?」

「……そのセリフに関しては、大昔から現在に至るまで変わりませんね」


 ずっとずっと昔から。

 おばさんが口にしてきた言葉。


 小さな頃は、面倒を押しつけられたらいやだから返事をしないで。

 ちょっと大きくなった頃は、体調の悪いおばさんにそんなことを言われるのが悲しくて返事をしないで。



 そして。

 ここ最近は。



 その言葉の意味が分かってしまったので。

 その重さが分かってしまったので。

 返事をすることが出来なくて。



 でも。

 返事はしなくとも。


 俺に対する効果は抜群な言葉なのです。



「そうですね。いい方法がありますので、なんとかしてみせましょう」

「いい方法?」

「ええ。悲しい思い出は、楽しい思い出で上書きすればいいのです」


 珍しく、良い作戦を思い付いた俺は。

 ちょっと高くなる鼻を押さえきれずに。

 胸を反らしてその作戦を語ったのですが。


 おばさんの驚いた顔には。

 なぜか、称賛の色が見当たりません。


「道久君。それ、よく覚えてたわね」

「え? 教えてもらったものではありませんよ。これは、俺が思い付いた画期的な作戦なのです」

「…………そう、なのね」


 そう呟いたきり、どういうわけか。

 おばさんは、かつて見た。

 色彩の無い表情を浮かべます。


 そして、俯いたまま。


「ほっちゃんを、よろしくね」


 ぽつりとつぶやいたきり。

 顔を上げてはくれなかったのでした。



 ~🌹~🌹~🌹~



 昨日の夜、おばさんが言っていた。

 蛍の公園。


 場所を聞いてみれば。

 六月の中旬、一番ピークの時に。

 そうとも知らずに一人で行ったことがある場所だったのです。



 歩いて、せいぜい三十分くらい。

 そんな思い出の場所。


 でも、現在。

 家を出てから二時間は経過しています。


「むう……、ならば、こっち?」

「さあ? 俺が知ってるわけ無いじゃないですか」

「役に立たないの。役久君なの」

「それじゃ、役に立ってるみたいです」


 ふさぎこんだ穂咲を焚きつけるには。

 遊びにするのが一番。


 蛍の公園を自力で探してみせろと煽れば。

 これこの通り。


「うう。どこ歩いてっか、わかんなくなっちったの」

「こんなとこでネコを追いかけるからです」

「道久君、よく衝動にかられずにいられるの」

「イヌ派ですから」

「山が右だったとこで、こんな感じのカーブを曲がったとこだから。……あ」


 そしてようやく。

 森の入り口に作られた。

 案内表示もない駐車場にたどり着きました。


 真っ暗な広場に停まるのは。

 四台の車。


 もう、季節はとうに過ぎているので。

 半ば、賭けだったのですが。


 これなら期待が持てます。


「……ここ?」

「だから。俺が知ってるはず無いのです」


 こんなウソなら。

 バチは当たらないでしょう。


 とぼける俺に、下唇を突き出すと。

 穂咲は、森へ続く踏み分け道へ懐中電灯を向けて。


 そして、俺の手を握ると。

 慎重に足を踏み入れたのです。



 ――ぱきり。ぱきり。

 一足ごとに。

 乾いた音が静寂に波紋をおこし。


 俺たちを。

 過去へ導くような。


 まるでその瞬間に導くような。


 そんな錯覚に襲われます。


 口数も少なくなって。

 首をすくめてしまった穂咲は。


 とうとう。

 恐怖と言う名の手に。

 足を掴まれてしまいました。


「……大丈夫ですから。行きましょう」


 俺は、怯える穂咲の手を引いて。

 少し強引に進みます。


 あと、ほんのちょっと。

 ほら、開けた場所に出ますから。

 他の見物客の方もいますから。



 ……森の中、小さく刈り取られた真っ暗な広場に。

 何組かのお客さん。


 そんな中に。

 大きな背中のお父さんに手を引かれた。

 小さな女の子の姿がありました。


「道久君……」


 おろおろとして。

 手を強く握る穂咲なのですが。


「大丈夫ですから。あのお父さんは、倒れたりしませんから」

「ほんとに?」

「ほんとなのです」


 その親子は。

 まるで、俺たちのささやき声に反応したかのよう。


 駐車場へ戻るために。

 俺たちの方へ歩いてきたのです。


「……私たちのいた場所、綺麗に見れますよ」

「ありがとうございます」


 笑顔でお礼を言う俺の背に。

 怯えて隠れた穂咲でしたが。


 背中越しに、二人の会話を聞いて。

 急に、握っていた手から。

 ふわっと力が抜けたのです。



「綺麗だったね」

「うん。また来たいよ、パパと!」

「ああ。また来ようね」

「うん!」



 ――暗い緑の森に。

 ふわりと開く、黄色いお花。


 あたたかくて。

 優しい風が。


 穂咲の頬に。

 ぽつりと、花びらを添わせます。



「……パパ。……また、来たの」



 穂咲が、することのできなかった会話。

 穂咲は、することのできなかった約束。


 時を越えて。


 おじさんが、届けてくれたのでしょうか。



 俺は、踏み分け道へ振り返ったのですが。

 そこにはもう、二人の姿はなく。


 代わりに。

 二つの黄色い光が。


 ふわりと漂っていたのでした。



「……道久君」



 穂咲の声は、柔らかさを帯びて。


 過去へ向かう恐怖から。

 未来へ進む希望へと塗り替えられて。


「きっと、凄い光景なのです」

「うん。……ワクワクするの」


 そして俺たちは。

 緑の中の黄色い風景を見るために。


 ……悲しい風景を。

 幸せに満ちた風景へと変えるために。


 歩き出したのでした。






「秋山が立たされた理由」欄のある学級日誌 23冊目💡


 おしま……、わない!



 2019年7月27日0時!

 エピローグを公開!



 幸せな蛍見物から帰った道久。


 そんな彼を、藍川家で待っていたものは……。




 今夜の更新を。



 お待ちくださいませ。


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