シャクヤクのせい


 ~ 七月二十四日(水)

   緑=唐草風呂敷 黄色=バナナ ~


  シャクヤクの花言葉 思いやり



 昨日は父ちゃんにパソコンを借りて。

 俺の夢を満たすような仕事を探していたのですが。


 これがなかなか。

 あちらを立てればこちらが立たず。


 結局、思うような仕事を見つける事が出来ずに。

 朝までネットをさまよっていました。


 そんな無茶が出来たのも。

 今日はバイトがお休みだから。


 俺は、みっともない時刻と分かりながらも。

 未だに布団にくるまっているのです。



 背の高い、上のまつげが男性で。

 下のまつげが彼女さん。


 同時に数十組ものカップルが。

 一日ぶりねと抱き合って。


 そんな皆さんを分かつなんて。

 無粋じゃありませんか。


「男子の方が断然多い世界なの。道久君、うかうかしてらんないの」

「…………ほんとですね。急いで起きなきゃ」


 当たり前のように。

 俺の部屋の真ん中で。

 ペタンコ座りで紅茶をすする女の子。


 当たり前のように。

 俺の頭の真ん中で。

 夢を覗いて感想を述べる女の子。


 彼女の名前はちょっと待て。


「……怖い」

「何がなの? 今日は買い物に付き合ってくれるはずなの。早く起きるの」

「え? そうでしたっけ?」


 深く考えることはやめておこう。

 そんな恐怖の能力を持つ生き物は藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたロング髪を珍しくストレートに落として。

 前髪を刈り揃えて、バングを幅広にセットして。

 耳の辺りにシャクヤクを一本活けているのです。


 ちょっぴり不思議な、まるでクレオパトラのようなムード。

 でも、シャクヤクは花の宰相と呼ばれているので。


 現在のブーム。

 役職的には。

 あと一歩及びませんね。


「昨日、そんな話しましたっけ?」


 ベッドの淵に腰かけながら。

 寝不足な眼をごしごしこすって確認すると。


「昨日じゃないの」

「そうですか。何日も前の約束でしたのですっかり忘れて……」

「今日なの」

「おい」


 そう言えば。

 買い物に付き合うと言っていましたね。


 なんで俺のスケジュールを。

 君が勝手に決めますか。


 でも、無能マネージャーの言う事など聞きたくはないのですけれど。

 このまま寝ると。

 また夢の中を覗かれてしまうのです。


「じゃあ、着替えるので出て行ってください」

「着換え、出しといたの。あと、荷物も」

「ありがとう。それは助かりま……、せん」


 ねえ。

 なんでニッカボッカ?


「……意味が分かりません」

「早くするの。こっちのリュックとセットなの」

「それをリュックにしていいのは、昭和で限界なのではないでしょうか」


 穂咲がどうぞどうぞと手で示す先。

 床に敷かれた、緑の唐草模様。

 こいつを首に巻けと?

 それをリュックと呼ぶの?


 しかも、風呂敷の上に並ぶのは。

 トンカチ、カンナ、釘、ヤスリ。


 あと、大工道具と共に置かれた。

 一本のバナナ。


「まだ夢でも見ている心地なのですが……」

「早く起きるの」

「推測なのですが、そうまでして俺を大工さんにしたいと?」

「……他意は無いの」

「目をそらしなさんな」


 やっぱり。

 洗脳する気満々じゃありませんか。


 俺は大工さんセットを無視して。

 穂咲を部屋から追い出して。


 普通の服に着替えてから。

 ナマモノなので、バナナだけ手に取って。

 玄関へ向かうと。


「……おい」

「履物を準備しといたの」


 わざわざ買ってきたのですか?

 この地下足袋。


 まだ洗脳する気ですか。


「他の靴を出しなさい」

「全部洗っちったの」

「そんなバカな」

「道久君、リュックを忘れてるの」

「持って歩くわけ無いのです。あと、このバナナは何さ」

「お弁当」

「そんなバナナ」


 俺はお弁当とやらを母ちゃんにあげて。

 ほんとに他の靴が無いことに頭を抱えながら地下足袋を履いていると。


「だから、リュックを忘れてるの」

「昭和か」


 いつまでも。

 無茶なことを言っていたのですが。


「あ。大切なの忘れてたの。まだ玄関から出ちゃいけないの」


 急に扉を開けて。

 そこいらから石を拾って戻ってくると。


 俺の背中で。

 それをカチカチと叩くのでした。


「……江戸か」


 大工さんの出勤風景と言えば。

 たしかにこんなイメージですけど。


 まったく。

 たまのお休みが。


 いつも通りの。

 面倒な一日になりそうなのです。



 ……

 …………

 ………………



 近所で一番栄えた町では無くて。

 電車で二つ先の駅の前。


 ぶかぶか加減がお気に入りという。

 いつもの服屋を目指して歩いていると。


 ちょっと目を離した隙に。

 お隣りから穂咲が消えていたのです。


 また、ネコか子供がいたのかなと。

 辺りを見渡したのですが、どこにもいなくて。


 仕方なく携帯を鳴らしてみれば。

 目の前のガラス越しに。


 聞き覚えのあるメロディーと。

 俺を不思議そうに見つめるタレ目がふたつ。


「……どうしてそうふらふらとお店に入りますか」


 そう呟いたものの。

 ガラスの向こうに聞こえるはずもなく。


 仕方なくUターンして足を踏み入れたのは。

 仏具屋さんなのでした。


「お線香がそろそろなくなりそうなの」

「誤植です」


 そのセリフは。

 前のページの、二人で歩いているコマの吹き出しに入れてください。


「ねえ、道久君。なんでお隣りを歩いてるのに携帯慣らしたの?」

「きっと、俺たちの間には見えない壁のような物があるのです」


 ふーんなどと、気のない返事をしながら。

 たどり着いたお線香売り場。


 イライラとした俺の気持ちを。

 この優しい香りが癒してくれるのです。


 たぶのきなどが原材料だったりするようなのですが。

 木、そのものも。

 こんな香りがするのでしょうか。


 もし、そうなら。

 俺は家を建てる時。

 こいつを庭に植えることにしましょう。


 ……とは言っても。

 穂咲がそばにいなければ。


 こんなにイライラすることはないかもしれませんね。


 そんなことを考えたのをきっかけに。

 いつもの課題に思いを馳せます。



 穂咲のこと。

 結局俺は。

 どう思っているのでしょう?


 これが、単にクラスやバイト先の女の子の事だったら。

 誰かに相談したりもするのでしょうけれど。


 俺の心情を打ち明けた相手と言えば。

 なぜか、絶対に俺たちをくっ付けると。

 躍起になっている椎名さんただ一人。


 それでは参考にならないのです。


 もしも、穂咲と同じ家に住むことになったら。

 こいつは、いつも笑顔でいてくれるでしょうか。


 あるいは今までと変わらない。

 何を考えているのか分からない無表情のままなのでしょうか。


 それとも。

 あまり考えたくはないのですが。


 ここ最近、よく見かける。

 寂しそうな顔を……。


「おい。なぜそんな顔をしているのです」

「……何でもないの」


 何でもないと。

 寂しそうにつぶやいた穂咲が見つめる先。


 お線香のサンプル。

 緑のお線香の棚に、間違って。

 黄色いお線香が一つだけあったのです。


 やれやれ。

 なんて偶然。


 この件に関しては。

 関わらない事に決めているのですが。


「では、今日はおじさんのために、俺が買うことにしましょう」


 黄色の束を一つ手に取って。

 緑色だけの棚にしてあげると。


 穂咲は、ちょっとだけ嬉しそうに微笑んで。

 レジへ向かう俺の後についてきます。


「蓋が開いちゃってるサンプルなの。それ買うの?」

「これがいいのです」

「……緑の中の、黄色なの」


 そう、ぽつりとつぶやく言葉に。

 返事などできない俺は。

 聞こえなかったふりをしていたのですが。


 穂咲が意外なことを言い出したので。

 相手をせざるを得なくなりました。


「きっと、探してたのはこれなの」

「え? 緑の中の黄色って、これのこと?」

「……違うけど、意味は一緒だから」


 違うけど。

 探していたものはこれ。


 まるで禅問答。

 どういうことなのでしょうか。


 首をひねる俺から。

 穂咲は、お線香をひょいと取り上げると。


 楽しそうに言うのでした。


「やっぱ、あたしが買うの。ママにお金も貰ってるし」

「そうですか。では、お願いします」

「でも、あたしの方が先に見っけたの」

「はあ。確かに」

「道久君が見っけられずに、あたしが見つけたから。なんか一つおごるの」

「そんなバナナ」


 あ、いかん。

 気をまぎらわせようとして。

 結構な勢いで滑りました。


「……お線香、黄色なだけに?」

「……………………いえ」

「黄色なだけに?」


 ええい、にやにやと顔を覗き込むのではありません。


 ここはやむなし。


 俺は再び穂咲から線香を取り上げて。

 急いでレジへ向かいました。



 そんな俺の隣では。


 黄色いシャクヤクの花が。

 ずっとくすくすと笑っていたのでした。


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