イヌホオズキのせい


 ~ 七月十七日(水)

   緑=猫 黄色=半ズボン ~


 イヌホオズキの花言葉 嘘つき



「昨日はお世話になったのです」

「気にしないでちょ! こっちこそ助かったし!」

「あんな時刻に制服だったので。通報されるところでした」

「風船配ってたら怪しまれないもんね! それより、なんで屋上に突っ立ってたのか教えてちょ?」

「……その理由は恥ずかしいので聞かないでちょ」


 学校から、駅を挟んで反対側。

 小さめなデパートの屋上へ。


 俺は緑のネコさんにお礼を言いにやってまいりました。



 小屋型の、ポップコーン屋台に据えられた大きな軒の下。

 片手に色とりどりな風船を摘まんで。

 俺を見つめる、黄色い半ズボンのネコさんは。


 くぐもった声でつぶやきます。


「雨が降っと、この軒下で立ちっぱなしになっちゃうし」

「わざわざお客さんも来ませんからね、雨の屋上なんて」

「ほんと。……ちょい早いけど休憩にするかな? 昨日手伝ってくれたお礼に、ジュースくらいおごるし!」


 そんなお誘いにつられて。

 休憩室と言う名の、屋台の裏手に入ると。


「ぶへえ! 雨の日は蒸すから辛いし!」


 被り物を脱いだ、その中から。

 汗だくのお姉さんが現れました。


 ランニングシャツにスパッツ姿のその方は。

 ベリーショートの髪が、汗でペッタンコになって。


 まるでおしゃれっ気もないのに。

 これがもう、驚いたことに。


「びっくり。凄い美人さんなのです」

「言うねえキミ! 恥ずかしいからそういうのはやめてちょ!」


 お姉さん。

 恥ずかしがって、ネコの頭を俺にかぶせてしまったのですが。


 この被り物。

 今の今まで、お姉さんがかぶっていたわけで。


 きっと、お姉さんの香りが充満していて。

 ドキドキしてしまうに違いな……。


「くさああああ!」

「にゃはははは! ほんとにね! こればっかは慣れないわ~!」


 慌てて被り物を取りましたが。

 独特の、嫌なにおいが鼻にこびりついてしまったよう。


 いつまでも顔をムズムズさせていた俺に。

 お姉さんは、ゴメンねと謝ると。


 屋台の中へ、裏の扉から上半身だけ突っ込んで。

 二つのジュースを貰って戻って来たのです。


「はい、どーぞ!」

「頂きます。……しかし、大変なお仕事なのです。俺はまだ頑張れますけど、知り合いで臭い系はまったくダメな子がいて」

「分かるし! どんくらい苦手なん?」

「多分これ被ったら、その場で失神すると思います」


 にゃははと笑うお姉さんですが。

 別に今のは冗談じゃなくて。


 多分、ほんとにそうなります。


「そんな子がそばに来たら嫌われちゃうだろな~! 体中にこの臭いがこびりついてる気がするんよね~」

「じゃあ、なんでこんな仕事を?」


 ここの所、仕事探しに躍起だったもので。

 つい条件反射で聞いてしまいました。


 失礼な質問だったかなと。

 慌てて口をつぐんだのですが。


 そんな心配は。

 杞憂だったみたいです。

 


「だって、子供に風船あげるんだよ? 世界一幸せな仕事だし!」



 ……うわあ。


 なんて素敵な方。



 ニカッと笑うお姉さん。

 もちろん、その笑顔も素敵なのですが。

 このお仕事を、世界一幸せだなんて。


 すっごく好きなタイプの方なのです。


「…………今の言葉、いいですね。俺もそう思います」

「ありがと! でも、臭いし暑いけどね!」


 そのうえ、お姉さんは笑顔を絶やさないまま。

 ジュースを飲んでは、美味しい美味しいと。

 楽しそうに口にしますけど。


 いやはや、ほんとに素敵な方なのです。


 お綺麗な方ですし。

 俺なんかがどうこうできるはずなんか無いですし。


 だから。

 それ以上の感情は湧きませんが。


 でも、このままお話していたいのに。

 ひどく居心地が悪くなった気分。


 目を合わせるのも恥ずかしくなってしまいました。


「ん? 急にどした?」

「あ、そのですね。友達が、俺が世話になったお礼を買って来ることになっているのですよ」

「そんなのいらないし! ……それよか、なにその関係? パシリ?」

「とんでもない。パシリは俺の財布から勝手に五千円札をくすねて買い物に行きませんし、お釣りだってちゃんと返すものです」

「え? なにそれ? …………奥さん?」

「呼んだ?」


 また、どえらいタイミングで。

 返事をしながら顔を出したこいつは藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を、フラワーバスケットの形に結い上げて。

 そこにイヌホオズキを鉢植えごと乗せていますけど。


 まあ、直接髪に挿すよりはいいか。

 そのお花、ソラニンがありますからね。


「あーっ! 駅向こうに住んでる有名人のお花ちゃん!」

「その有名人なの。道久君がお世話になったらしいの。手土産持って来たの」

「そんなのもらっちゃ悪いし! …………ん? どした?」


 お姉さんが見つめる先で。

 鞄の中を覗き込んで、首をひねっているようですが。


「……あ。なるほどなの」

「何を探しているのです?」

「どうりで、お腹がパンパンなの」

「食っちまいやがった!」


 呆れたというか。

 めちゃくちゃですよそれ。


「だったら五千円返すのです!」

「それは無理なの。あたしのお財布に入っちゃったら、どの五千円札が道久君のか区別つくはず無いの」


 お礼の品を食べちゃうという暴挙から。

 この意味不明な暴言。


 お姉さんは、よっぽどおかしかったのか。

 お腹を抱えて笑っていたのですが。


「……すいません。ちゃんと何か買って来ますから」

「いいっていいって! はー、おもしろっ! ……でも、食べ物だったか! それはちょっぴり残念だし!」

「え? 食べ物お好きなのですか?」


 俺が、穂咲にパイプ椅子を譲って隣に立ちながら聞くと。


「好きって言うか、お菓子だったらご飯が一食浮くし!」


 なにやら。

 とんでもない理由が返って来たのです。


「それは悪いことしたの。お姉さん、ビンボウなの?」

「ちょっと! 失礼ですね君は!」

「にゃはは! そうそう、ビンボウ! だから、なんか恵んでちょ!」

「……あげられるものと言えば、このナスくらい?」


 そう言いながら。

 穂咲がイヌホオズキの鉢を手渡すのですが。


「ナスの鉢植え!? 助かる~! 何個くらい生るの?」


 この人、よっぽどお金に困っているのか。

 本気で喜んでるのですけど。

 でも……。


「ウソなの。こっちはバカナスの方なの」

「なんと! バカの方か~!」


 そう。


 ナスのお花に似ているのに実が生らない

 だからバカナスという別名を持つ。

 薄紫のお花はイヌホオズキ。


「バカのナスならアパートの裏に生えてっけど、何にも生らないんだよね! でもこいつは、頑張って育てたら実が付きそう!」

「だから付きませんってば」

「そうなの。頑張れば一つくらい実が生るかもなの」

「おい」


 なんでかこいつ。

 お姉さんには随分意地悪ですね。


「そうだよね! 生るかもね! なんか希望が湧いてきた!」

「ウソなの」

「またウソか~!」

「ちょっと穂咲。お礼にきといて騙さないで下さい。お姉さんも気にせず反撃していいですからね?」

「いやいやいや! 楽しいからもっとウソついてちょ! お花ちゃん!」


 やれやれ、優しい方なのです。

 それなら俺が代わりに反撃しましょう。


 なにかあるかな……。


「はっ!? 道久君、大変なの!」

「え? 今度は何?」

「お姉さんの商売道具、緑に黄色なの!」


 穂咲が震える指で示す先には。

 着ぐるみが転がっているのですけど。


「しかもあれは、猫なの!」


 子供と猫が大好きなこいつが。

 夢中で被り物を見つめているのです。


「……じゃあ、かぶってみます?」

「にゃんと!?」

「しかも、子供に風船をあげてもいいのです」

「きゃっと!?」


 ホントに? ホントに?

 そう繰り返しながら着ぐるみへ近づく穂咲なのですが。


「そこまで着たいの?」

「だって、ネコになって子供に風船あげるの! 世界一幸せな仕事なの!」


 はあ。

 なにをおバカなことを言っているのでしょうね、この子。


 それより困ったな。

 そこまで楽しみにされると。

 ウソでしたと言うタイミングがありません。


 まあ、それを被ったところで言いましょうかね。


 ……ん?

 被ったタイミング?


「穂咲! 待て! それを被ったら……」

「きゅう」


 予想通り、臭いにやられて。

 あっという間にダウンしてしまいました。


「……さっき言ってた、臭いがダメな子?」

「はい」

「騙したりしちゃダメだし」


 俺は、お姉さんに頭をこつんと叩かれて。

 罰として、屋台の前に立たされました。

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