ルドベキアのせい
~ 七月十一日(木)
緑=葉っぱ 黄色=お花 ~
ルドベキアの花言葉 立派
「テスト中! 昨日現代社会で絶望的な体験をしたので、勉強させてください!」
このところ恒例になっている。
木曜日のお迎えが。
テスト期間中にもかかわらず。
俺を後ろの扉から。
今にも飲み込もうとするのですが。
「何度も言わせるなど、どのようなおつもりなのでしょう。テストというものは、日頃の勉強で得た知識に不足や誤りなどないか確認する場です」
「そんなこと考えてる日本人、おばあちゃん一人だけなのです!」
文句を言ったところで。
この人に敵うはずもなく。
今日も通りすがりの女子から。
秋山先輩って、実は御曹司?
などと、あらぬ噂を立てられながら。
高級車へ押し込まれたのですが。
でも、ここで言いなりになっていたら。
本当に留年してしまいます。
「職業体験は、もういいのです! 夢なら見つかったのです!」
「ほう、そうでしたか。ならばすぐに歩き出すと良いでしょう。今日はそのお仕事の現場を見学することにいたしましょう」
うわ。
前門の虎から逃げた先で揺れていたのは。
その虎のしっぽなのです。
なんでぐるっと一回りの洞窟に門なんか付けますか。
「どのような職業に就きたいとお考えなのです?」
「いや、それがですね。方向は見つかったのですが、そんな職業があるのかどうか……」
「曖昧な物言いですね。では、近しい職業でも構いません。言ってごらんなさい」
もう、どう言っても逃げられそうにありません。
だったら仕方ない。
未だ明確じゃない俺の夢。
近しい物と言えば……。
「ああ、そうだ。おばあちゃんの誇りと言うか、お仕事って、おじいちゃんの手助けですよね?」
「……広義に言えば、そうなりますね」
「おじいちゃんから命令されなくても、先んじて準備したり」
「はい」
「じゃあ、おばあちゃんのお仕事を見たいのです」
この言葉に。
珍しく、おばあちゃんが視線を泳がせます。
ええと。
今のは一体、何です?
そのうちため息をついたおばあちゃん。
新堂さんに、藍川邸へと進路を取らせたのですが。
それきり無言になってしまいました。
「気になるったらありゃしないの」
「ほんとにね」
俺の隣で、我関せずを決め込んで。
存在を消していたこいつは
軽い色に染めたゆるふわロング髪をポニーテールにして。
そこにルドベキアを一本ぶっ刺して。
やたらと高い位置でぷらぷら揺らしていたのですが。
さすがにみんなの気が散るからと叱られて。
休み時間の間にエスケープ先を探して歩いて。
担任の先生の机にあった。
ミネラルウォーターのペットボトルに突き立ててきました。
――さて。
俺達を乗せた車が。
見上げるほどの門の前に。
音もたてずに停止すると。
扉を開いたメイドさんに。
おばあちゃんが声を掛けます。
「……先方のご希望通り、私がモデルをすることにいたしました。準備をいたしますので三名ほど手伝いを願います。残りの者は、このお二人を案内なさい」
そして、ベテランっぽいメイドさんを三人ほどを引きつれて。
先にお屋敷へ向かうのでした。
残された俺は。
穂咲と顔を見合わせて。
おばあちゃんに似合うとも思えない。
意外過ぎるその単語を。
同時に口にしました。
「モデル?」
「ぬーど?」
このおバカ!
俺は穂咲にチョップをくれると。
そんな様子を見ていた五人のメイドさんが。
楽しそうに、くすくすと笑うのですが。
「……いつも、ノーリアクションなので。こういったことに笑わない皆様なのかと思っていました」
「そんなことないわよ!」
「奥様の前だから我慢してただけ!」
「つい吹き出しそうになることもあるんだから、勘弁してよね?」
なるほど。
「それはいつもいつも。穂咲がすいません」
心からのごめんなさい。
俺が穂咲の頭を押さえつけると。
そんなご迷惑さんの手を取って。
皆様、ここぞとばかりに大興奮。
「奥様のお孫さん!」
「羨ましいわ!」
こんな、見上げるほどの門を持つ。
豪邸の孫だからという意味でしょうか。
勘ぐる俺でしたが。
どうやらそのような意味では無かったようで。
「奥様、素敵な方ですよね~!」
「ほんとに! かっこよくって凛々しくて!」
「私も、奥様にお仕えすることができて幸せなんです!」
「……あたしも、おばあちゃんがおばあちゃんで嬉しいの」
おばあちゃん、大人気。
なんだか誇らしくて。
とっても嬉しくて。
広いお庭に据えられたベンチに腰かけて。
おばあちゃんの話題で盛り上がっていた俺たちですが。
ふとした瞬間に、皆さんは口をつぐんで。
すまし顔で居住まいをただすのです。
「……超高感度センサー」
「何のお話です?」
お屋敷からこちらへ向かってくるおばあちゃんが。
あきれ顔でメイドさんたちを見る俺を。
いぶかしんでいらっしゃいます。
そんなおばあちゃん。
ボタンの柄が鮮やかな。
真っ白なお着物で現れたのですけれど。
「おや、艶やかですね。梅雨の合間だというのに、眩しい朝日ですがすがしく目覚めた心地です」
「これは驚きました。きれいな表現ですね、褒めて差し上げましょう」
そんな言葉は上機嫌だというのに。
表情は、珍しく。
うんざりといった雰囲気なのですが。
先ほど、おばあちゃんが言ったモデルとの単語。
おばあちゃんに続いてこちらへ向かってくる。
カメラマンと、大勢のスタッフ。
そして、おばあちゃんの隣に立って。
お着物についてあれこれ説明しながら。
きっといいパンフレットが作れるとまくし立てるおじさん。
これだけ見れば。
状況を理解するのには容易なのです。
「……おばあちゃん、外でぬーど?」
「君はもうちょっと、おバカを慎みなさい」
「じゃあ、何をするの?」
「きっと呉服やさんのカタログのモデルをするのです」
言うが早いか。
お庭の一角に豪快に咲くルドベキアを前にして。
カメラマンさんが、スタッフにあれこれ指示を出しているのですが。
「奥様は、花の向こうに立ってください!」
腰高まで、ごちゃっと茂るルドベキア。
先端のお花越しに撮るならば。
胸から上しか写らないのでは?
「和服のカタログって、全身を写すイメージがあるのですけど」
「私もそのように思っていたのですが、どうやら違うようですね。お草履も、呉服屋様自慢の逸品と聞いておりましたのに。これでは写りませんでしょう」
「草履…………? え? 花壇の中に入ったら、汚れちゃいませんか?」
俺が、思い付いたままの事を口にしたら。
おばあちゃんのそばにいたメイドさんが、真っ青な顔をして。
急に玉砂利に両手を突いて。
大きな声を上げたのです。
「奥様! 申し訳ございません! 私が、木板を渡しておくことになっておりましたのを失念しておりました!」
すると、彼女の左右にもう一人ずつ。
メイドさんが平伏してしまうのです。
「申し訳ございません。佐藤は、風邪を引いた姪の面倒を見てからこちらへ来たもので……」
「佐藤が遅れて到着したのを知らず、茅野建設様のご案内を命じたのは私です! 申し訳ございませんでした!」
にわかに空気が張り詰めて。
カメラのスタッフさんたちも。
メイドさんたちも。
固唾を飲んで成り行きを見守っていたのですが。
「なんという騒ぎでしょうか。呉服屋様やカメラマン様の前でみっともない。皆、藍川が認めた女中であることを今一度胸に宿し、背を伸ばし、顎をお引きなさい」
「申し訳ございません。すぐに準備を致しますので……」
「ですから、慌てぬよう申しているのです」
おばあちゃんはいつもの凛々しい表情で。
メイドさんたちを叱っているのですが。
驚いたことに、その場で草履を脱いで。
足袋まで脱ぐものだから。
皆さん揃って騒めいて。
顔を真っ青にしています。
でも、そんな皆さんをよそに。
おばあちゃんは、綺麗に着付けた着物の裾をぐいっと引き揚げたまま。
飄々と。
裸足で花壇へ入ってしまったのです。
「胸より上だけ写れば宜しいでしょう。如何でしょうか?」
「ええ、ばっちりです! たくし上げているようには見えませんよ!」
「す、済みません藍川様! うちのカタログの為に、そこまでしていただくなんて……」
「何を言います。ご先祖様を辿れば、素足につちくれを感じて生きた方の方がはるかに多い。なんのおかしいところがありましょう」
そして無事に撮影が開始されたのですが。
さすがはおばあちゃん。
小さなことには動じずに。
綺麗な誇りの為に。
その身が汚れることなど。
お構いなしなのです。
感心しながら見守る俺の裾を。
くいくいと引く手が一つ。
「……さすがおばあちゃんなの」
「ほんとですね」
にこにこと俺を見つめる穂咲に。
笑顔で返していると。
さらに。
くいくいと引く手が二つ三つ四つ五つ六つ。
「痛い痛い痛い! 何事ですか!」
「やばいって!」
「奥様、ちょーかっけー!」
「マジ惚れる!」
……ああ。
先ほどの、おばあちゃんファンクラブの皆様でしたか。
でも、加減を弁えてくださいな。
首、締まってますって。
それにしても。
やっぱり、おばあちゃんのお仕事を見に来て正解でした。
俺の夢を叶えるためのヒント。
確かに、一つ手に入れた心地なのです。
「……おばあちゃん。お疲れさまでした」
撮影を終え。
体中から息を吐きだして、ほっと肩を落としたご様子のおばあちゃん。
俺が足を拭いて差し上げようとして前に出ると。
急にぴしっと姿勢を正します。
「……騒ぐのはみっともないと言ったはずですが?」
「え? ……ああ、さっきの? あれは不可抗力なのです」
「言い訳など見苦しい」
「とは言いましてもですね、あれだけの人数に引っ張られては……」
「正座」
……ちきしょう。
この石頭め。
さっき感心したの。
却下なのです。
梅雨の合間。
冷たい視線と冷たい玉砂利。
でも。
厚い雲を抜けた日だけは柔らかく。
正座する俺を。
優しく包んでくれたのでした。
…………そっぽを向いてる穂咲。
並びにファンクラブの面々。
覚えていなさいよ?
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