クレオメのせい
~ 七月八日(月)
緑=…… 黄=たくあん ~
クレオメの花言葉 秘密のひととき
いよいよ始まった期末テスト。
初日、三つめの教科は。
鬼門たる物理。
だというのに。
集中しないといけないのに。
「気が気でなりません」
今朝は珍しく。
俺より先に家を出て。
と、言いますか。
始発で学校に来たらしいのですが。
田舎の学校ならでは。
ちょいとその辺から学校に忍び込んで。
こいつが一体、何をやっていたのか。
テスト中ですが、気になって仕方ありません。
「……今朝、ここでなにをやっていたのです?」
「秘密なの。秘密のひと時を堪能してたの」
雛ちゃんと、点数で勝負ということになっていますし。
まさか不正行為じゃないでしょうね。
気になって気になって。
さっきから、テストに集中できません。
ここ連日の空と同じ。
胸にもくもくと疑念が湧いて。
心に、じとりと汗をかきます。
常識的に悪と分かる行為。
そんなことを行う穂咲ではありません。
でも。
困ったことにこの人。
その、常識が足りていない。
悪とは思わずに。
カンニング行為を行っている可能性があるのです。
「ほんとに、何をやっていたのです?」
「何でもないの」
「お願いですから教えてください」
「困った道久君なの。今のとこだけ切り取ると、カンニングなの」
確かにね。
これ以上はやめておきましょう。
俺はテストに向き合いますが。
一度乱れた集中力。
容易に戻るわけありません。
もしも職員室に忍び込んでいたら。
もしも机にカンペを仕込んでいたら。
もしも。
もしも。
「……時間です。答案を裏返してください」
そして、不安ばかりだったテストが終わって。
三々五々、みんなが帰っていく中。
こいつは、俺からYシャツを取り上げて。
テスト中恒例。
早めのごはんに取り掛かります。
「……ねえ、教えていただけませんか? ほんとに何をやっていたの?」
「大したことではないのだよ! 誰でもするようなことなのだ!」
そう言いながら、缶小豆を砂糖で煮て。
網で食パンをトーストするこいつは
軽い色に染めたゆるふわロング髪を、ポンパドールにして。
そこに妖艶なクレオメを二本活けているのですけれど。
秘密を表すこのお花が。
右へ左へ揺れる度。
俺の視線も右左。
泳いで手元にぽとりと落ちます。
誰でもするようなこと。
そう言うのなら、信じましょう。
すっぱり気持ちを切り替えて。
今日、実力を発揮できなかった分。
明日以降で取り返すのです。
「……こないだ、雛ちゃんが作ってたおにぎらず」
「はい、ありましたね」
「今日のメニューは、あれにキャトルミューティレーションされたのだよ!」
「こわいこわいこわい。インスピレーションをそんな言い間違えする人いません」
おにぎらずからヒントを得て。
どんな料理を思い付いたのやら。
それにしたって、いつもいつも言い間違えばかりしますけど。
脳を通さずにしゃべるからそうなるのです。
そんな、失礼なことを考えている間にも。
お料理は完成したようで。
食パンと、ホイップクリームと、あんこ。
別々の皿に乗せて。
机に並べ始めました。
「お待たせしました! これが、おにぎらずを越える、次代のスタンダード!」
「ほう? して、この料理のお名前は?」
「はさまず」
「好きに食べさせてください」
俺は、Yシャツを脱いだ穂咲と手を合わせたあと。
小倉サンドにしようとして。
食パンにあんことクリームを乗せたところへ。
目玉焼きを乗せられました。
「ぶあつい。これじゃ挟めません」
「はさまず」
「やかましいのです」
負けてなるものか。
俺は慎重にパンを持ち上げて。
目玉焼きだけをずるりと吸い込んだのですが。
その直後。
パンの上に、円筒状のたくあんをまるっと乗せられたのでした。
「ええい、なんという嫌がらせ。いずれも小倉サンドに反旗を翻す強敵ばかり」
「なんとしても挟んで食べさせないの。せっかくのアイデアを台無しにされる心地なの」
「じゃあ挟みませんよ、小倉トーストとして食べます。それにしてもたくあんってなに? パンと小豆とクリームを鞄に詰めた時点で不要とは考えなかったの?」
「だって、しょうがないの」
そう言いながら。
穂咲がカバンから出した黄色い物体。
「またルーレットですか」
「こいつに言われたらやむなしなの。しょうがないから十本ほど買ってきたの」
「そんなに!? ……でも、これ一本しか見当たりませんけど?」
「そりゃそうなの。だって朝一で、緑のものに貼り付けて来たの」
……え?
貼り付けた?
たくあんにとって。
おそらく初体験であろう動詞。
そんなものを聞かされて。
不安しかありませんが。
保護者たるもの。
確認せねばなりません。
「……出しなさい、緑」
「はいなの」
そして穂咲が鞄から取り出した。
緑の方のルーレット。
その矢印が指すものは。
『非常出口の、人が慌てて走ってる、光るあれ』
「……貼りましたか」
「そりゃもうべったりと」
「スライスして?」
「ちょいと厚めに」
机に突っ伏してうなだれる俺に。
悪夢のような召喚の呪文がぴんぽんぱんぽん。
でもそれは。
ちょっと予想に反していました。
『あー、非常誘導灯にたくあんを張り付けた藍川。藍川、聞いとるか』
「珍しい。俺じゃないのか」
スピーカーに向かってつぶやいた俺ですが。
その表情が。
一瞬で曇り空。
「藍川は、こんな事やってる暇があったら至急帰って勉強しろ」
ん?
藍川は?
「……じゃあ、お勤めよろしくなの」
「いやです。逃げます」
俺は非常誘導灯の絵のごとく。
扉から、一目散に逃げ出しました。
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